2025-06-05 38:52

#18 (前編) HIMO IS INFINITY (LOVE) - 愛とはプロセス

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KK
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ヒモロジー, 無意識, 瞑想, 愛, 農業体験, 元気, 自然, エネルギー, 自己表現, 循環, 愛, 無条件の愛, 条件付きの愛, ホルモン, 自己認識, プロセス愛


▼今回のテーマ:

この会話では、ヒモロジーや無意識の扉を開くこと、無限の愛の感覚、農業体験を通じた人間関係の循環、元気の本質、自然な状態でのエネルギーの循環、自己表現と周囲の期待、そして自然体でいることの重要性について深く掘り下げています。 この会話では、愛の本質、無条件の愛と条件付きの愛、愛とホルモンの関係、愛のプロセスと自己認識について深く掘り下げています。特に、愛がどのように表現され、理解されるかについての洞察が得られます。


▼番組概要:

宇宙と人類をこよなく愛する「コズミック対話」のクリエイター2人がお届けする、人類の意識を拡張するチャンネル。「なぜクリエイターに宇宙的視点が必要なのか」「意識の本質」など、従来のビジネス書や自己啓発本では知覚できない宇宙的叡智と創造の真理を、起業家、クリエイター、アーティストのリアルな深層体験を通じて紐解いていきます。気づけば細胞レベルで意識がアップデートされちゃう、新感覚・宇宙的クリエイションプログラム!毎週火曜夜配信。

▼番組ハッシュタグ:#超実践的ヒモ理論

▼体験談、質問、MCへのメッセージはこちらまで

⁠https://forms.gle/AzkJAE8XhUiFw1Jx6⁠

▼パーソナリティ

須藤美幸(ソーシャルシャーマン/宇宙人):次元を超えた対話を通じて、見えない世界の真理を遊び心たっぷりに解き明かすナビゲーター。時に笑い、時に深く静まりながら、リスナーの意識を新たな領域へ誘う。実態はただのヒモ。

https://chikyuyuei-from.space/

河畠輝(空クリエイター/宇宙人):抽象と具体の行き来でメタ認知を促す思想家芸人カガヤキマン。経営、スタートアップ、エンジェル投資の経験と深い瞑想実践から得た洞察を活かし、論理と直感の調和を体現する。実態はただのヒモ。

https://x.com/kagayakimann

サマリー

「HIMO IS INFINITY」では、愛の概念とその循環的な本質について議論されています。農業体験やオフ会を通じて、無限の愛の実体験の質感も語られています。このエピソードでは、愛の概念とそのプロセスが探求され、リラックスの重要性や愛を伝えるための「ひも」という比喩が用いられています。また、愛の無条件性と条件付きの違いについても議論されています。さらに、愛のプロセスとホルモンの奴隷という視点から恋愛について考察し、愛がどのように体験を通じて深まるのかが掘り下げられています。

HIMO IS INFINITYの探求
超実践的ヒモ理論〜
はい、ソーシャルシャーマンのミュウミュウと
空クリエイターの輝きマンです。
抽象画とヒプノセナピーで、無意識の扉を開くストーとテクノロジーと迷走体験で、
人類のメタ認知を促す河童が、スピリチュアルな実体験と、
現世での気づきからリスナーの意識を拡張しちゃう、そんな番組です。
では、今回はですね、第18回目ですかね。
はい、そうです。
はい、今回はですね、
HIMO IS INFINITY
またの名を、HIMO ラブ インフィニティ
というようなところで、やっていきたいと思っております。
HIMO IS INFINITY
はい、このフレーズ見て、全く意味が分からないけど、
何か良いと叫んで始まった、今回のラジオなんですけれども、
何ですか、これは。
何ですか、これは。
何なんですか。
宇宙に問いたい。
これはもう、フレーズがインスピレーションとしてやってきちゃった感じですか。
そう、降りてきちゃいましたね。
降りてきちゃった。
寝相と散歩してたら、HIMO IS INFINITY
あ、ひも、つまり愛だな、っていうところもね、補足で入ってきて。
いいですね。
これは、この意味が何なのかを問うのは、やぼな感じがしてきました。
でも、感じてほしいですね。
感じていきたいですね。
じゃあ、そのフレーズがお散歩、瞑想しながら降りてきた輝き間は、
改めてこのHIMO LOVE IS INFINITYから何を感じますか。
もう、なんかあふれ出てる感じですよね。
あふれ出てる。
絶え間ない湧き水みたいな。
こんこんと湧き続ける。
そう、湧き続けて、それがもう絶え間なくじわじわとしみわたり、
井戸ですよ。
透き通った井戸であり、それを放出してるような。
何かいいバイブスをただ放出してる感じですね。
そして、それはもう終わりを、限りを知らないっていう。
どんだけ放出しても疲れない。
自分は筒みたいな感じですね。
筒の状態でもうすごい何かを放出してるよ。
そういうね、そういうインスピレーション。
なんか、このHIMO IS INFINITYを捉えていく上で、今この相対的な位置にある概念は、
結構なんか、ギブアンドテイクみたいな印象を受けました。
なんか、出したら何かで補給するとか、そういう概念とは結構反対のところにありそうで。
確かに。無限ですからね。
無限の中でギブとテイクしてもどうしようもないっていう。
確かに。あるんだからだって。
無限の愛の実体験
無限あるんだもん、そこに。無限にあるから何をテイクするのっていう。
湧いてきちゃうんだもんって。
湧いてきちゃう。終わりを知らない。
終わりを知らない。
まだ湧くの?ぐらいの。
うん。
そう、っていうぐらいのHIMO IS INFINITY、過去だと。
っていう感じだよね。
このHIMO IS INFINITYの無限に湧き出てきちゃうみたいなものを、
今、この現実界の中で、なんか、これ、こういうの近いかもなとか、
あとは実体験の中での、こういう出来事がこの概念に近そうだな、みたいなものってありますか?
この間の旅の質感とかもちょっと近いんじゃないですかね。
我々ね、実質のオフ会をね、この前。
MCのオフ会っていう。
MCのオフ会をね、遠方にちょっとお泊り会してね。
そうなんですよ。遠方にお泊り会で、家族ぐるみでのお泊り会をしまして。
そこをね、まさに農業体験をしながら、ひとつ屋根の下で複数家族で過ごすっていう。
そこには子供もいて、親もいて、そこの農家さんもいて。
で、はたまた全然違う人も外からやってきたりして、みたいな。
絶え間ない人の流れ。
でもそれを絶え間なくもてなしながらも、そのもてなされた人たちは絶え間なく手伝うんだよ。
そこのなんか循環。
循環がありながらも、みんなそう嫌な気持ちでやってない。
何かをするにしても。
その質感近いよな。
なおかつみんなそれぞれ、そんなに緊張してもいなく、遠慮してるわけでもなく。
わりとそのままのありのままの状態で、そういう場にいられるみたいな。
それがもう無限にくるくる回るような世界線。
その質感が。
何かそんなところから着想を得てるんだろうなーっていう感じですかね。
元の気と元気の考察
私はですね。
まず、ひも is infinity love is infinity の横文字を見たときに、
メビウスの輪がすごい浮かんだんですよね。
もう無限みたいな感じで、
循環していくイメージが湧いたのと、
あと今の輝きまんの話を聞いていて、
農業体験でね、
宿泊しながら、ひとつ屋根の下で、
2泊3日過ごす体験があったときの話を聞いていて、
そうだったなーって思い返すと同時に、
何かをする。
自分を起点として行動するとか、
何か発言をするとか、
何らかのエネルギーを放つときに、
やらないといけないのかな。
本当はやりたくないけれども、やっといたほうがいいのかな。
みたいな、そういうものがやっぱりない感じで、
自分が好きだからとか、
関心があるからとか、
あとは自然と、
ギブできるものだよ、みたいな、
ジョインしたいよ、みたいな感覚なので、
何て言うんだろうな、聞いてて感じたのが、
そういう喜んで、みたいな感覚って、
イメージは前提、あるっていう感覚からやっているような感じがしていて、
例えば、私全然働いてないから、これはやっといたほうがいいのかなとか、
誰もやらないんだったら、誰かやったほうがいいのかな、みたいなものって、
ちょっと私のイメージ的には、
今あるものを、
ジャッジメントして、
ないとか、
罪悪感とか、
現状否定みたいなものでやる、みたいなことも、
世の中には全然あるというか、
私のこれまでの人生の中でもそういうことは、
自分自身もあったことを思い返したときに、
すでにあるという、
満たされている、みたいな前提でいくと、
めぐっていく、
補給するためにやるものではなくて、
ないとか、罪悪感みたいなものだと、
ないっていうエネルギーから始まるから、
無限に続いていくっていうものとは、ちょっと違うイメージを感じていて、
だから、
すなわち、何を我は申し上げたいのかっていうところでいくと、
自分がやりたい、できる、得意とか、
みんながやってたら、
枯渇することはないんだろうなって思ったんです、まさにインフィニティ。
どんどんどんどん流れが、
相乗りしていくみたいなイメージなんですけど、
それはもう、枯渇っていう概念ないよな、みたいなことは、
感じましたね。
元気の話にも通じそうですね。
ゆうた。
元気って、どういう漢字なんだろう?
漢字の意味で。
あれ、車の中でしたっけ?
いや、ご飯中じゃなかった?
ご飯中か、ご飯を食べて、なんか元気になるわ、みたいなことを言ったときに、
今気づいちゃったんですけど、元気って元の気って書くんですね、みたいなことを言った。
自分の口が言った。
元の気に戻るってことが元気なのかっていう話ですね。
今の話ともね、自分の元々の気であれば、
ほぼ無限に枯渇せず、話し続けられるというか、
湧き出るというか。
元の気は、だっていつでもあるわけですもんね、その人に。
うん、確かに、備わってるからね。
元の気だから。
元気、ね、元の気だよね。
だとすると、元の気じゃないことをしていると枯渇しますよね。
うん、ね、確かに。
それは、永遠に湧き続けてくるものじゃない、なんか人工的に作り出しているから、
それはね、なんかこう、枯渇していく感じというか、
ちょっとパワーがいる、負荷がいるようなイメージが湧いてきちゃったな。
確かに、でもなんか元気を、今の解説を聞いて、
君元気だねっていう時って、
会社とかだと結構、空元気の人多いな、みたいな。
本当の元気じゃないというか、無理して元気を装ってる人とか。
確かに。
元の気じゃない、違う気で元気を装ってるみたいな。
確かに。
本当の元気な人っていうのは、そういうものじゃなくて、
もっとなんか野生感の、野生みのある、すごい元気だね、みたいな。
全然同じ元気だね、でも。
ニュアンス全然違うなって、ちょっとね、聞いてて。
違いますね、確かに。
思った。
なんか、会社とかの中で元気だね、みたいなものを、
私も社長ではないんですけど、管理職の時に、君元気だね、みたいなことを言ってた側なんですけど、
これあくまでもN1、私のケースなんですが、
なんかね、ちょっと期待がありました。
元気でいてほしい、みたいな。
なるほどね。
で、その元気のイメージは、こう、快活とか、なんかエネルギーあふれるとか、
なんか、その人らしさみたいなものとかは、いったん抜きにして、
なんか、はじけるエネルギーみたいな感じのものを元気ととらえて、
で、そういう状態だと、なんかいい感じとか、成果を出してくれそう、頑張ってくれそう、ケアがいらなそう、みたいなところで、
君元気だね、いいね、みたいなこととかを、まさに言ってたんですけど、
なんかね、最近そうだ、ちょうど、私、昨日インスタのストーリーにも、ちょっとあの、ポエミミュミュとして書いちゃったんですけど、
ポエマや。
ポエマ、ポエマ書いちゃったんですけど、
あの、私的には、こう、自分だとエネルギーが、ちょっと低迷してるとか、
あの、ちょっとローって思っていても、周りからは、なんかエネルギー、エネルギー値高いねとか、
あとは、すごいミュミュが最近、めちゃくちゃ、もう本当にこう、高速で進化していくのを見て、
私もすごい影響を受けてるよ、みたいなことを言われたときに、見事にこう、セルフイメージと周りからのイメージのギャップがあって、
元の気と愛の概念
この例は多分、周りはその、元の気っていう意味での元気として見てたんだろうなって、思ったんですよ。
私結構エネルギーが低迷してるって自分で思ってたけど、なんかふと思うと、あの、ただリラックスして緩んでるだけでした、みたいなことにも気づいて、
それも元の気っていう概念で言ったら元気ですよね、あの、リラックスしてて、緩んでるみたいな。
だからすごくね、あの、自分が今どういう状態なのかっていうところをどう表現するのかっていうのを結構アップデートされた、この数日間を思い出しましたよ。
確かに、そうか、確かに、じゃあ元気の捉え方が、ほぼほぼ日本人は間違ってるってことですよね、今。
間違ってる気がする、なんか、日本、なんだっけな、これ日本に限らないか、結構あの、外交的内交的みたいな話で、
あの、社会だと外交的な方が評価される、求められるみたいな文献とか論があるじゃないですか、
あれの、なんか、外交的なイメージ、ニアリイコール元気とちょっと、そういうイメージあんのかなって思いましたね。
ありますね、必ずしてもね、外交的に振る舞うことで元の気が弱まってるパターンもめっちゃありそうです。
ミイはそういうタイプです。
ミイはそういうタイプですね。
ミミはそうだったよね。
うん、だし、周りの、なんかビジネスパーソンって優秀な方もたくさんいらっしゃいますけれども、
なんかそんなようなこと言ってました、あの、すごい人と、なんか意図的に人としゃべりすぎて、なんか今は人としゃべりたくないとか、
あー、あるね。
それは元の気からはちょっと違う振る舞いをね、してるっていうことですよね。
確かにそうですわ、僕もそういうタイプです。
うん、私もそういうタイプですね。
なんか、ちょっと微細なんですけど、元の気のまま、こう、コミュニケーションしたりとか、ユーモア交えてやったりするとかはできるんですけれども、
なんかその、コミュニケーションを円滑に進めるっていうものの中に、元の気バージョンのものと、元の気じゃない、こうあったほうがいいバージョン、じゃない芸人をしているとき。
はいはいはい、じゃない芸人ね。
じゃない芸人。で、じゃない芸人をしているときのほうが、今、あの、気づいたんですけど、多分多かったなって思います、あらゆるシーンで。
そうか。
こういうの欲しいんでしょ、みたいな。
あの、本当におこがましいんですけど、こういうの好きでしょ、みたいな。
はいはいはいはい。
やってたと思います。
確かに。
だから疲れた。
そうだよね、まあでも無意識にやっちゃうよね、そのほうが。
やっちゃうぜ。
社会の中にいると、特に評価システムの中にいるとね、そのリワードがちゃんと回るようにはじめるから、それをすると。
それは、もとの気ではないとは違う、みたいな感じだったら、ちょっとこう、その人にとって不自然であり、つまりはまあ、あの、ノットインフィニティってことですよね。
ノットインフィニティだ。
ノットインフィニティだ。
イコールにこれで、ノットインフィニティ。
そうそうそうそう。
ノットインフィニティを。
確かに。
そう。
イコールで横線ってね。
インフィニティは、そういうふうに考えると、やはりこう、あの、超自然的ともちょっと近い感じがしますね。
超自然であれるからインフィニティられるっていう。
うんうんうん、確かにね、確かに。
あり方、あり方と結果論みたいな感じですね。
確かに。
超自然であれば、人は疲れないってことですね。
疲れない。
だって、自然の先生である植物とかは、なんか、生えてくるのに、お疲れたなーみたいな感じないですもんね。
葉っぱが生えるのに、はー疲れた、だりーとかない。
ないないない。水と太陽と、あとはね、言葉をかけてもね、ちょっと育つっていうけど。
うん。
元の木をエンパワーネントするものがあるっていう感じなのかもしれないね。
うん、それは。
インフィニティの流れをよりよくこうするって。
うん、ね、そうなんだよな。
ひも、ひもとして成立してるのは、そう考えるとやっぱり自然的であるから、インフィニティだなーって。
確かに。
思いますね。
愛は結構かなりこう、抗議的なキーワードなので、これはまだちょっと深掘りというか、考察のしがいがありますけど。
確かにな、ひも。
愛を伝えるためにはひもである必要もあるんじゃないですか、もしかしたら。
あ、アイミョンの曲のタイトルみたいですね。
愛を伝えたいだとかみたいな。
あったらもう。
アイミョンかと思いました。
アイミョンにごめんなさい、聞い取られちゃって、今言われてたのを全く聞こえてなかった。何でしたっけ。
ひも、なんだっけ、自分でも言いながらちょっとね。
愛を伝えるためにはひもである必要がある、デビューシングルです。
解説もちょっといただいていいですか。
解説、たぶんアリの調子全体である必要が、枯渇しない愛を人々に伝えるためにはある必要があると思っていて。
なので、もしマザーテレーサーが、マザーテレーサーは本当はどんな人だったかちょっとわかんないですけどね、いろんな陰謀論もあったりするんで。
マザーテレーサーが本当の愛の人だったとして、その人がさっき言ってたような、本当の元気じゃない状態で愛を伝えていたら、
愛なんてたぶんどっかで枯渇するっていう。
だから大前提として、それはたぶん偽善、偽善の愛。
本当の愛ではないのかもしれない。
そういう意味で、愛を本当に伝えられる人は紐でもあるんじゃないかって。
まあ、調子全体であるっていう。
調子全体だからこそ、人ともそういうふうに接することができるし、
愛も自然に伝えることができるんだよ。
愛の表現と無条件の愛
不自然ではない自然な愛を伝えることができるんだよ。
っていうめちゃくちゃ抽象的な感じですが。
わかるよ。
っていうインスピレーションがちょっとありましたね。
いや、愛はなんか最近、もうちょっと愛という概念の奥深さに、
愛について語るなんて野暮だよなって語っちゃったんですけど、
なんか、無条件の愛っていう表現があると思うんですけれども、
無条件の愛っていう表現があるんだったら、つまりその対極というか、
区別されるところには条件付きの愛っていうものが存在すると思うんですけれども、
なんか、これはイメージなんですが、無条件の愛はやっぱりインフィニティ的な感じ?
そうだね。
なんか、元の木からっていうのも多分あるんだけれども、
特にこう、何て言うんだろう、まさにこう、メビウスの場って、
ちょっと伝わるかな、こういう形をしてた時に、始まりのここ、こう向いて始まるじゃないですか。
斜めな感じのね。
そうそう、こう向いて始まった時に、メビウスの場って、こう返ってこないじゃないですか。
こっちから返ってくるじゃないですか。
こういう形で愛が返ってくるっていう、期待を超えている感じが無条件の愛だなと思ってて、
行動部から、いつ何の形かわかんないけれども、何かで受け取ってるみたいな感じ?
確かに。
条件付きの愛っていうものは、目に見える形で、こう返ってくるような感じがあるから、
それは多分こう、インフィニティ的ではない、あえて表現するんだったら、便器状?
そう、何だろうなーって。
確かに、ノットインフィニティだね。
ノットインフィニティね。
ノットインフィニティですよね。
なんか、いやー、ちょっとやっぱり愛については語っちゃいますね。
語っちゃいますね。
語るのヤバだなって思いつつ、何か、愛についていろいろわくものがありますよ。
やっぱりこう、愛っていうものは、何か、もう形を規定できない。
これは愛じゃないっていうものは、全て取られた人の主観によるジャッジメントだから、
その人にとっては愛じゃないって見えたとしても、それをした人にとっては、やっぱり愛だったかもしれないから、
そう考えると、いやー、この世界はマジで愛であふれちゃってんなーって思うんですよね。
愛と恋の違い
どんなものであったとしてもね。
愛では、ノットインフィニティ、全然愛じゃない振る舞い、あり方、具体的な感情、行動、
ここは何だろうね。
ノットインフィニティ的なラブってことですね。
ノットインフィニティ、そう、もはや愛の逆か。
これは、自分の愛の思考性とかは、結構反映されてると思うんですけど、
なんかね、ずれてるものっていうのが、
ずれてるものの例の1つは、代表的なフレーズ、あなたのためを思ってですね。
あなたのためを思っては、あなたのためを思っている私のためにじゃないですか。
だから、根源の、それが出てきているニーズとか、願いみたいなものと言っている言葉に、
ギャップの度合いが大きいもの。
なんか、ちょっとコントロール性っていうのかな。
でも、一方で、優しい嘘とか、愛からの嘘もあるから、それは愛なのかなとも思うんですけれども、
でも、なんかずれてるものは、ずれてる、なんかコントロールしようというか、
作手、ちょっとギブアンドテイクっぽい感じは、私の中だと、
なんか、ノットインフィニティ的なラブかな。
ラブじゃないかなって感じですね。
ラブじゃないから、たしかに。
そもそもラブじゃないかも。
そうだね。
そう考えると、やっぱり、その質感ってすごくとらえるの。
たぶん、ドーパミン中毒の恋愛してる高校生からすると、めっちゃ難しいと思うんだよね。
恋愛って、むずかちーってやつね。
そう、恋と愛みたいな恋してる高校生。
人にその話をしても、たぶんね、結構伝わらないだろうなって。
なんで、そこの、やっぱり愛はひもに近いなって、やっぱ思ったんですよね、今の話の中で。
恋、恋したい。
恋したいは。
恋をしたいから。
その人が好き、愛してるっていうよりかは、その人はツールですからね。
恋をするための。
愛のプロセスについて
恋をするための、たしかにツールであると。
そうなんだよね、恋であり。
ホルモンの奴隷ですよね。
ホルモンの奴隷。
これ、ハッシュタグになっちゃいますね。
トーカミントホルモンの奴隷ですよ、恋は。
焼肉のホルモン出てきちゃうぐらいの感じがある。
たしかに。
ホルモン焼きおいしいよ。
ホルモン焼きね。
奴隷すぎてホルモン焼きになっちゃう。
たしかに、そういうふうに捉えられちゃうかもしれないけど、でもそういうこと、それはノットインフィニティ。
ノット、でもどうなったろうな。
なんか、ホルモンの奴隷状態でそれをやっているのと、
ホルモンの奴隷状態をガチでやっているのと、
今、自分はホルモンの奴隷をやっているなっていう、メタ視点があってやっているのとではまたちょっと違う気がしています。
はい、私はホルモンの奴隷だなぁを分かっててやっている時はあるので、
ガチで入り込んでいるシーンもあるとは思うんですけど、
メタ視点を持っている時もあるから、それはある意味なんかこう、
なんて言うんだろうな、
なんかどの単位か難しいんですけど、
自分自身のライフジャーニーとしての観点か、
もしくはその相手との間でのジャーニーか、
はたまたこう、全体のタオル的なジャーニーかの、
何かしらのインフィニティではある。
何かしらはね。
これはインフィニティという表現よりかも、
タオルのほうが近いかもしれないですけれど、
なんかこう、循環しているというよりかは、
大いなる流れの中にみたいな。
大いなる流れの中に、そうね。
そこ、ひも的な生き方も要は、
大いなる流れに流れて生きていくっていうところだと思うので、
それは内なる衝動も込みかもしれないし、
なんかね、理由もなく分けれてきたな。
その理由もなく湧き出てくる、
自分の内側からの宇宙エネルギーと、
ホルモンの奴隷的なその流れ。
どう、ホルモンの奴隷もひとつの流れなのか?
ホルモンの奴隷もひとつの流れな気がするな。
これはもう、仮説遊びですけど、
ホルモンの奴隷のまま、
今世を終えていく人もいるとは思います。
一方で、今世の中で、
経験を通じて築く愛
ホルモンの奴隷という自分をメタ認知する人もいるだろうと思ってて、
ただ、これはちょっと私の仮説ですけど、
魂の旅っていうところでは、
多分どこかしらでは、
メタ認知するというか、抜けてはいくと思うんですけど、
それが今世の中で起こるのか、
今世をはみ出て経験するのかはちょっと人それぞれ。
うーん、確かに。
な気がしたな。
そこの視点が、
どこまでが流れなんだろうなっていう問いが。
例えば、完全なるメタ認知を手に入れたとするじゃないですか。
宇宙レベルの。
そうすると、すべての流れが可視化されている。
あー、なるほど。
その中で、この流れが、
今世の中の流れだから乗ったほうがいいのか、
いやいや、これじゃなくて、もっと大いなる流れがあるよみたいな話だったら、
そこまですべてをメタ認知して、知覚して、流れに乗れたら、
もうね、アセンデッドヒモマスターだと思うんですけど。
はいはいはいはい。
アセンデッドヒモマスター。
そこまでいくとね。
そこの乗りこなし方がね、
ホルモンの奴隷って結構パワフルじゃないですか。
パワフルよ。
パワフルよ。
めちゃくちゃパワフルじゃん。
そう、ホルモンの奴隷は。
僕もそんな時期ありましたけど、若い頃。
僕もそんな時期ありました。
もう止められないじゃないですか、ホルモンの奴隷って。
カッパエビ戦、止められないし、やめられないんだ。
確かにホルモンの奴隷を経験したおかげで、
いろんなものを客観的に見てたり、
そういう気持ちのある人のことも分かるようになったっていう背景はもちろん、
一つの経験としてある。
ただこの年になって、もしホルモンの奴隷が現れたとして、
そのホルモンの奴隷は流れなのか、
はたまた愛ではないただのエゴなのか、
肉体から来るエゴなのか、みたいな問いですね。
今聞いてて、私はそれでもやはり全ては愛なのかなって思いまして、
一見エゴ的なものとか、
さっきこういうのはノットインフィニティ的な愛みたいなことも言ったんですけど、
それすらも最終的な愛にたどり着くためのプロセスアイみたいな感じなのかな。
プロセスアイ、プロセスラブ。
ある意味、ホルモンの奴隷みたいなものを、
その肉体的な年齢っていうところの概念に置くならば、
高年期っていう概念がありますよね。
高年期そうだね。
高年期っていう概念があると思っていて、
じゃあなんでそれが備わっているのか?
その肉体として、万人に基本的に備わっているんだとしたら、
それを経て得るものがあるから、経験するものがあるからなんだろうなって思うと、
ホルモンの奴隷は、それによって何かの築きを得るものだから、
やっぱり愛なのかなって感じましたね。
プロセスアイ。
プロセスアイ。
愛に築くためのプロセスではありそう。
確かに。そうだよね。
結局、愛もそもそもそこにあるから、経験を経て築くものだもんね。
逆の経験をすることで。
地球アトラクションってことか。
地球アトラクション。
愛は、愛を語るのは野暮だなって思うのは、
愛というものが、
すごいシンプルに定義ができないものだなって思っていて、
知れば知るほど、抽象的だし概念的だなみたいな、
ふうに思うんですよね。
だから、何とも語る、何て言うんだろうな、
説明するのは難しいけれども、
語るのには奥深すぎるみたいな感じですよね。
もともと今、輝きも言ってたように、
もともと愛というものは既に存在しているけれども、
38:52

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