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はい、こんにちは、ポロです。今日はですね、日本人の99%が知らない情報発信の本質とは、というテーマでお話ししていきます。
今日お話しする内容ですね、僕の知る限りでは、誰一人として発信しているのを見たことがない内容なんですけど、極めて重要な話になるんで、ぜひ最後まで聞いてもらえればと思うんですけど、
多くの人がですね、情報発信は、ただ情報発信するだけだっていう風に思っているんですね。
だから何を喋るのかってことばっかりを意識していて、それさえちゃんとできていれば上手くいくっていう風に考えているわけですけど、これは本質ではないんですね。
例えば、何か台本があってね、テンプレートがあって、その台本通りに読めば何でも上手くいくみたいな話ってよくあるわけじゃないですか。
でも実際そんなことはないわけですね。人間は生き物なわけだし。
例えばセールスとかの場においてもね、セールステンプレートこれを台本通り読むだけでどんな下手くそでも商品が売れますなんてことはないわけじゃないですか。
それがあるんだったらセールスマンなんてこの世にいらないわけだし。
そういうものが通用しないからこそ、そういったセールスマンみたいな人が必要になるわけであって、何を喋るかだけで全てが決まるわけではないし、何を発信するかだけが全てではない。
だからよくYouTubeとかで見かけるめちゃくちゃ台本バチバチに決め込んでる動画とかってあるじゃないですか。
はいどうも今日はこういうことについて話をします。
まず一つ目、こんな感じですみたいな感じで常にテンションが一定で喋ってるような人。
あれっていうのは何を喋るかだけにしかフォーカスしてないんですね。
で、情報発信っていうのは何を言うかだけじゃなくて、それ以外のことも情報発信になるわけですよ。
そこにはどういうエネルギーが乗っているのかってこともすごく重要だし、そのエネルギーの出し方ですね。
例えばこう話し始めからいきなりフルパワーで走り続けてね。
ずーっとフルパワーで走り続けてるっていうのはエネルギーのねこのメリハリがあんまり良くないわけですよ。
最初入り口の部分はちょっとね、まあ助走じゃないですけど緩めに入っていって徐々にクライマックスとかね。
まあその話の本題に入ったところでどんどんエネルギーが高まっていくみたいな。
そういうのが理想であって常に一定で決め込んではいどうもみたいな感じでやるっていうのは、
まあ下手くそな人がやる発信だと思うんですね。
だから台本を読んで何を喋るかだけを意識してるからあんな不自然な喋り方になるわけですよ。
今はオーセンティックにすることがすごく大事だって言われていて、
オーセンティックって要するに作り物感のない、ありのままの自分、作らない自分っていうのがオーセンティックなわけですね。
これ何でオーセンティックがいいかっていうとオーセンティック一切作り込まないっていうのは自分の本心を喋るわけです。
本心を喋る時っていうのは当然そこにエネルギーが乗るわけじゃないですか自然とね。
友達とか家族とか知り合いとかと喋っていてもすごく自分のね何か思いの強いこと、
それは良いことだっても悪いことだってもすごく思いの強い時はやっぱりね言葉が語気が強くなったりとかねすごくエネルギーが乗ると思うんですよ。
そのエネルギーが相手に伝わるんですね。
情報発信ってエネルギーも含めて情報発信なんでそのエネルギーのメリハリが常にフルパワーとかあるいは政治家みたいにただ棒読みで台本読んでるだけ。
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ずっとテンション低い状態でリジョータ低い状態で常に一定でっていうのね。
情報発信としては二流というかね下手くそなわけですね。
何を喋るかしか考えてないからそういうような発信になるわけだってそれはオーセンティックじゃないし。
本心じゃないからこそそういうような形で相手に全然刺さらない。
作り物感バレバレみたいな感じになってしまうわけですね。
僕もオーディオブック出しててオーディオブックの書き込みでなんでねこんな素人っていうかプロのナレーターじゃない人間が喋ってんだみたいな風にね。
雇えよみたいな感じで書いてる人がいたんですけど多分そういう人は全然わかってない。
なんで本人が喋る必要があるのかってところを全然理解しないわけですよ。
例えばYouTube動画を見て日本でもそういう人いると思うんですけどロッカーの会社しかもかなり大きな会社の社長とか代表の人物がずっとYouTubeに出て喋ってますよね。
なんであれあんなことやってるんですか。
それだけ儲かってる会社なんだったら社長よりも喋りが上手い人雇ってその人に喋ってもらうとかね。
でもいいわけじゃないですか。
でもそれをしないっていうのはやっぱりそこに社長が出てきて喋るっていう意味があるからやってるわけですよ。
ただ言葉を伝えるだけだったら別にAIに読ませてもいいしね。
プロのナレーター雇ってナレーターに喋ってもらってもいいわけじゃないですか。
なんでわざわざ本人が喋るんですかってところに意味があるわけですよ。
だからそういう本質がわかってない人っていうのは言葉さえ伝えればいい、情報さえ伝えればいいと思ってるからそういうような結論になるわけですね。
実際そういう否定的な意見でオーディオブックに関してこんなのプロのナレーター雇えよみたいな感じで書き込んでる人もいればですね。
すごく気持ちが乗っていて心に響いたみたいな風に書き込んでる人もいるわけですよ。
それはやっぱり僕が作った作品を僕の言葉で僕の思いを乗せて発信してるから刺さるわけですね。
あれはもし第三者に読み上げさせてもね。
上手には喋るかもしれないけどおそらく刺さらないですよ。
なぜならそこには全然思いまで乗ってない。
その人はただ上手に読むためだけの人であってそこに何の情熱もないしね。
思いもないから感情が乗ってこないわけですよ。
でもこの感情っていうのは喋りの中にも自然と伝わりますよね。
こうやって今聞いてる人も多分そうだと思うんですよ。
だからただ情報を伝えるだけっていうのは意味がないですね。
情報発信が上手い人っていうのは何を伝えるかだけではなくて
それをどう伝えていくのかってところも考えられる人が情報発信が上手い人なんです。
だからほとんど人はそこに気づいてない。
だからこそ台本決め込んではいどうもみたいなことをやったりとかね。
そういうナレーターに全部喋らせればいいんやみたいな感じになってしまう。
それはただ情報そのものしか考えてないわけですけど
情報なんかに通ったものが世の中にいくらでもあるわけなんで。
自分が言う必要ないわけですよ。
ただ情報だけなんだったら。
でもそこに自分が言う必然性みたいなものがあるからこそ
情報発信をする意義があるわけだって。
誰が言うかっていうところがすごく重要だったりしますよね。
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だからそこをしっかりと考えていかないといけないし。
確かに洗練されたコンテンツにしたいのであればですね
プロを雇った方がいいと思います。
プロのナレーターとか声優とかね。
あるいはそういうプロをハイヤーして編集してもらったりとか
台本作ってもらったりとか。
それはYouTubeとかも同じです。
洗練したものをしたいんだったらそういう外注して
プロにお願いするっていうのはいいと思うんですけど
世の中全ての人が洗練されたものが好きっていうわけではないんですよ。
例えば超おしゃれな高級レストランがあったとして
じゃあみんなそこ食べに行きますかって。
もちろんそういうのが大好きな人もいればですね
もっと昔からある昔ながらの街中華の方が好きですみたいな人もいるわけですよ。
だからそういう洗練されたものだけが好きな人ではなくて
もっと素朴なというかね。
そっちの方が好きな人も当然いるわけです。
だから変に作り込むんじゃなくてありのままでそのまま出していく。
なんでこのボロボロの街中華汚ねえなみたいな風に思う人もいればですね
こういうところで食べるのがすごく落ち着くとかね。
やっぱり昔から残っているわけあって味が確かだとかっていうのもあるわけですよ。
だから全てが全て洗練されていればいいってわけじゃなくて
逆に洗練されていないところがむしろ良かったりするわけなんで。
そういうところをやっぱり理解していかないと
それも含めて情報発信なわけですよ。
でもそれを理解している人って僕が知る限り一人もいないんですね。
そういうことを言っている人っていうのは。
だからこそ全然刺さらない情報発信になる。
なぜかというと彼らの多くは特に日本の人ですけどね。
広告で集客していっていかに広告で言葉で相手を操るのか
みたいなことばっかり考えているから
全然そういうことまで考えが及ばないわけですね。
普段の情報発信。
自分たちがまともに情報発信をしていないからこそ
そういう情報発信を突き詰めて探求して考えるみたいなことをしない。
だからそういう発想にならないわけですね。
だから誰もそういう発信をしていない。
広告で文字で何とか相手をコントロールするみたいなことしか考えていないから
情報発信ってものが全然上手くなっていかないっていう。
まあそういうことですね。
僕はずっと情報発信だけで集客してきたんで
そういうことも常に考えてますし
いろいろ考えて探求した結果
いろんな自分なりの答えが見つかって
今回お話したような内容になるんですけど
これっていうのは別にポッドキャストとかYouTubeとか
音声とか動画とかだけではなくて文章も一緒です。
結局文字とはいえですね
そこにはやっぱりその人のエネルギーが乗るんですね。
すごく自分の思いが強いことを書いている時っていうのは
その文字に込められた勢いとかエネルギーっていうのは相手に伝わるわけですよ。
逆に何の興味もないものを
ただなんとなく義務感で書いているのって
それもそれで相手に伝わったりするんですね。
仮に文字であったとしても。
もちろん音声とか動画に比べれば
その伝わるエネルギーの量っていうのは小さいですけど
でもやっぱりそこにそういったものも伝わるわけです。
僕もかつてブログを書いていた時に
読者の人からコメントもらって
文章にすごい勢いを感じましたって言われたことがあるんですけど
やっぱりそれっていうのは自分の思いが乗っているから
そういう勢いを感じるわけですよ。
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だからそれは情報発信全般において言われることであって
何も音声とか動画とかそういった媒体だけに限った話ではないので
このエネルギーまで意識する。
そしてエネルギーも常にフルパワーでバーっていけばいいわけじゃなくて
やっぱりメリハリが大事だから。
最初の入りの部分、最初のイントロというか
序盤の部分はやっぱり緩めにスタートして
徐々に上げていってみたいな。
クライマックスとかね。
その本題にかけてどんどんエネルギー状態が上がっていくみたいなのが
やっぱりいいですよね。
映画とかも常にね。
常に何かこうスリリングな展開。
最初から最後まで疲れるじゃないですか。
やっぱりメリハリとかがあるから
映画っていうものがすごく面白くなるわけだって。
それは物語とかも全部そうだと思う。
話に関しても講演会とか聞きに行って
ずっとそういう一定の話とかはしないと思うんですよ。
プロの講演家っていうのは。
やっぱり気象転結じゃないですけど
そういう話の流れがある方が
より聞き手も引き付けられますし
そっちの方がより自然な人間の会話だと思うんですね。
日常的な会話してる時も
常にフルパワーで喋るみたいなことってないと思うんですよ。
だからこれがやっぱり情報発信の本質なんで
何を言うかだけが情報発信ではない。
多くの人はそれが全てだと思ってるんですけど
そうじゃない。
だからこそ台本とかをただ読んでるだけでは
全然意味がないわけですよ。
ちゃんと自分の言葉で自分の思いを込めて発信するからこそ
相手の心に刺さって
響く発信ができるということです。