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2025-12-14 1:02:02

まったりコラボライブ【guest しょこ村しょこ🍫さん】


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https://stand.fm/channels/65c158590a4a74f98f5f1977

サマリー

このエピソードでは、しょこ村しょこさんをゲストに迎え、スタンドFMにおけるコラボライブの魅力や多様な価値観の共有について語ります。コラボレーションを通じて、リスナーとのつながりや個々の自己表現の重要性が感じられる内容です。ポッドキャストでは、自分軸や承認欲求についての議論が展開されます。特に、友達との会話を通じて自己認識が深まり、時代における自己の位置付けや社会的期待について考える重要性が強調されています。このエピソードでは、AIが持つ忖度や感情の影響について、AIとの関わり方を考察します。また、AIの進化が人々の思考や行動に与える影響や自己責任の重要性も取り上げられます。このエピソードでは、AIの利用が私たちの思考様式に与える影響について議論し、不便さの中にこそ価値があるという考え方が紹介されます。また、テクノロジーと自然の調和を図る新しい価値観の必要性が語られています。しょこ村しょこさんとのコラボライブでは、真面目なテーマについて話し合い、視聴者からの深いコメントに感謝を述べています。

コラボライブの魅力
はい、おはようございます。12月14日、あっという間に年の12月が最後が半分、残り半分となってしまいました。
本日は日曜日コラボライブ、久しぶりに日曜日のコラボライブになっております。非常にありがたい、ちょっともうまったりお話をしたいと思います。早速お招きをしたいと思います。
よいしょ。
あ、おはようございます。
おはようございます。
お招きいただきありがとうございます。
とんでもございません。お越しください。ありがとうございます。
ありがとうございます。
いやー、もう光栄でございます。
そんなそんな。まさかこんなに早くコラボをさせていただけるとは思いませんでしたけど。
いやいやいや、とんでもない。あの音声は、この言葉やりとりは初めましてになるんですよね。
あー、そっか、そうですね。
そうだと思います。
なんかそんな気がしないのは不思議なところで。
ね。スタイフのあるあるというか。
そうですね。
コメントとなんでしょうね、あの人によってはそのコメントを見ると、その人の声で聞こえる人とかもね、いらっしゃったりするので。
確かにそういう錯覚は頻繁に起きているかもしれません。
ねー、僕だいぶなんかそれに慣れてきたのか、なんだろう、こう分けてね、整理できるようになってきました。
去年は混乱してました。あのめちゃくちゃ失礼をあちこちで働いてましてですね。
はい、どんな失礼ですか。
そのしょこさん今感じられた、初めましてかどっちかわかんないけど、あれっていうそのもう境目がないじゃないですか。
だから相手の方はすごい覚えておられて、音声では喋ったことないですっていうそのバージョンあちこちで祖母が生まれてですね。
ごめんなさいごめんなさいってなんか各所でなんかいっぱいお詫びをした記憶がありまして。
でもそれって、それだけ耳に親しんでいることの現れだったりもするわけですよね。
そうなんですよ。
いいことなんじゃないですか。謝らなくても大丈夫な。
なんかこう謝っちゃうそこもちょっと僕も正解がわかんないなって思いながら、やっぱりこれだけ多様っていうんですか。
いろんな方がやっぱりいらっしゃるってね、頭ではわかっていても、このスタイフってやっぱりどんどんそのつながりって広がっていく中で、
僕も50歳超えてるんですけど、やっぱり人の考えって固定して決めつけちゃダメだなっていうことをね、
なんかよりより感じているこの1年くらいかな、特にコラボをやるようになって感じてるんですよね。
規定しないって言うんですかね。
なんかね、しょこさんのプロフィールを拝見して、そのあまりの情報の量にですね。
書くだけ書いてますね。文字数もうほぼほぼ1000近くいってるんじゃないですかね。
ね、相当多分いろんなプロフィールがある中で、ボリューム感結構なレベルというかカテゴリーの方だなって思ってて。
まとめるのが下手なんですよ、私。
多様性と自己表現
いやでも、そんなことないですよ。最初の多分早い冒頭に出てくるテレ東の下りが全てを表現してるなと思って。
そう、もうとっちらかってますっていう感じで。
いや僕、誤解を恐れず言えば非常に好きですねと思ってますよ。
ありがとうございます。
僕もどっちかっていうと、そういう領域にいる人間だと思っているので。
あ、そうなんですね。ぽしさんなんとなく、ビジネス的っていう、ビジネスっていう最近の言葉だといろんな意味合いが含まれちゃうかもしれないですけど、
会社員としてとか、働く者としてとか、どこかで営業のお話されてませんでしたっけ。
そうですね、やってますね。
なので、そういう対人でどういうふうに接するとかっていうお話を、どちらかといえばされるというか、そういうお悩みっていうんですかね。
お勤めになってて、コミュニケーションが先方とうまくいかなくてとかっていう方の助けになっているような配信をされてるんだなっていう印象があったんですよね。
ありがたいですけど、それはもう僕の一部分の本当にわずかな一面でしかない。
ありがたいですね。
でもそこはもう本当に、何でしょうね、僕も自分で言ってもあれですけど、得意とする領域ではあるんですけど、
別にそれを全面に出したいとも何か思ってないなって、今聞いてて思った。
したんで、いい意味で僕もどちらかってますね、いまだに。
そこだけがその一つじゃないから、例えばポシさんならポシさんの一面だけでみんながポシさんを知った気になるよりは、
こんな面もあんな面もあるんだよって出しちゃって、それをそのまま受け取ってもらえる方が、
なんかちょっと人間味も増すし、温かみも増すし、みたいなふうに思ったりするんですよね。
本当そうですそうです。
だからそこは意識してるのかどうかわかんないんですけど、
割と雑多な配信を僕はしてはいるつもりで、
一昨日ぐらいは飲んだくれて配信したりもしてますし。
なんか忘年会だったんですか?
そうなんですよ。
もうおふざけの方が多いんじゃないかっていう配信にもなってますけどね。
それがスタンドFMのいいところというか、固定しなくても全然OKだし、固定したければ下でOKだしっていう。
本当そうですよね。別にさっきも言った規定するとか、されるっていうのを嫌う人も多分多いと思いますし、
いい時代になってきたなってちょっと。
確かに。
自由に表現しても、あまりそれをとやかく言う人も減ってきて、
それは自己表現でいいよねっていう空気がやっとこそ醸成されかけてきてるのかなって、
ちょっと感じるのでね。
非常に僕のような、なんかよくわかんないけど表現したくてもっていう人にとってはね、
生きやすい時代が来てるなって思ってます。
どうですか?諸子さんの感覚とかではそういうのをあまり感じられることないですか?
そうですね。もう私も本当、
孤独と共感
全てを話してるわけではないので、
本当はこれ言いたいんだけど、これ言ったらどうなっちゃうやらみたいなふうに思って引っ込めることもありますし、
やっぱそうですよね。
そこはやっぱり自分である程度強弱じゃなくて、
どうなんでしょう、陰と陽なのか、それとも悪と善なのかわかんないけど、
そういう人に聞かれて、聞いてもらった方が本当はこっちはすっきりするけど、本音ゆえてすっきりするけど、
それを聞いちゃった人の反応が怖いなっていうふうに思うと、加減をするっていうこともよくありますし。
そうですね。オープンにね、やっぱりどこに聞こえるかわからないだけにね。
そこはそこでね、まだ自分を出し切れてないっていうふうに表現すべきなのか、
それとも普通人は、普通っていうか、人っていうのはそこをやっぱりある程度を加減しながら、
出せる時には出すか、出せても出さないようにするかみたいなふうにすることで、
信用信頼を得られるのかはもう知れないし、言っちゃったばっかりにすべてがパーになる可能性もあるわけだから。
そうです、本当そうですよね。
そこはね、自分の中でまだ葛藤中って言えば葛藤中なんですけど、
それでもやっぱりある程度、自分が行き詰まった時には、
ここでちょっと吐かせてくださいっていうのができるっていう場としてはすごくありがたいし、
それを聞いて共感してくれる方もいらっしゃれば、なお、
もうありがとうございますっていうふうになれるっていう、そんなパーになってますからね。
そうなんですね。ちょっと意外でした。
そうですか。
はい、波っていうんですかね、心の揺れとか波みたいなものって、
まあ人である以上、当然あるのは当たり前なんですけど、
なんか極めて常に薙であるイメージなんですよね。
あまり揺れないというか、外の何か起きることに対して、要は軸がぶれない感じっていうんですかね。
まあ物事にいくつかの種類があるから、
そこでは確かに揺れないものはとことん揺れないかもしれないけれども、
まあかといっていつも穏やかでとか、
たっかんしててとかっていうのはまだまだ全然先の先の先のようなレベルのことなので。
僕の思い込みなのかもしれないですね。
まあ結構グログロしてますよ。
いいと思います。
それこそまあ、これでどうだじゃないけど、私も人間なんだじゃないけど、そんな風なところはたくさんありますね。
いやもうそれこそそこが好感をね、持たれたりするとこでも当然あるので、
でもなんだろう、なんかちょっと仙人とは違うんですけど、
さっきおっしゃったたっかんみたいなのをされかけているような、
なんかそんなイメージはあるんですよね。
坊主さんもですよ、そうおっしゃるなら。
全然それはだとするなら、もう表面上の看板のペラペラなやつですね。
本当そう。
でも結構人は結局、人によく思われたいのは間違いないから、
突き抜けちゃえればいいんでしょうけど、
やっぱり孤立したくないっていうところがあると、
まずその突き抜けた状態で仲間ができたと思わない限り、
本気で自分のさらけ出せるところっていうのが、まだ本気には至れないんじゃないかななんてね。
ゆきこさんありがとうございます。お二人ともです。そうなんだ。
本当にありがとうございます。
でも諸子さんさっきおっしゃったフェーズの突き抜けた先に突き抜けた同士の共感ってあるじゃないですか。
僕らは見えない領域の高いレベルの人たち。
そこに至ろうとする過程にちょうど、山で言うなら5号目ぐらいのところに、
誰にも共感されない領域ってあるらしいんですよ。
そこをくぐり抜けられる人って少ないっていう話で、
一番たぶん裾野にみんな人口はたぶん大量にいて、そこでゴネゴネしてるんだけど、
突き抜けた頂上にいる数パーセントの人たち。
だからそこを目指す道中の5号目ってかなり孤独だっていう話らしいですよ。
だからそこを突き抜けられるかは、そういう孤独はあるんだよっていうことを思いながら、
そこはもう少し上に行くための痛みみたいなものとして、
客観視できれば少し孤独を戦うための糧になるのかなと。
なるほどねー。
ゆきこさん、私を見たらびっくりでしょ?どの部分ですかね?
でもね、これびっくりさせる部分ってみんな持ってると思いますよ。
それが何かはもうね、人それぞれでしょうけど、
多くの人がそれをほぼ出さずに封印して墓まで持っていくっていう。
の方がね、社会的に安定してね、生きていけますし。
あんまりこう、みんなすべてが同じように進んでいる人生じゃないから、
例えば幼稚園でみんな同じことをしてても、考えていることはそれぞれ違うし、
その後の生き方も公立に行く、私立に行くじゃないけど、
そういう風なバラバラが同じ高さに、小学校なら小学校という同じ高さにいるだろうけども、
言ってることもやってることも性格もみんな違うと、
もう何が正しいでもないんだろうけど、
たっかんっていう話も、実はそこはたっかんって思ってるだけでたっかんじゃないかもしれないし、
むしろ世間のことはもうどうでもよくなっちゃったのでたっかんに見えるだけかもしれないし、
なるほど。
本当に自分が目指したいと思うその人がたっかんしてる人に見えてるだけかもしれない。
見方を変えれば、たっかんしてる人たちさえも、
もしかしたら裾野にいる人たちはケチつけるかもしれないじゃないですか。
そうですね。間違いない。
だからね、自分が自分とどう抗ったり肯定したりっていう一番の敵とは言わないけど、
味方にもなるし伴奏者にもなるしっていう風なところに自分がそれをできるようになっていかないと、
いつまでたっても人に認められるようなことで落ち着きを得ようとするっていうことに、
そこからなかなか抜け出せないのかなとは思うんですよね。
本当おっしゃる通りですよね。
SNSって関わり方間違えると、いわゆる外部要因にすごく魅力を設計されてますもんね、そういう風にね。
だからそこにはまり込んでしまうこともあるだろうし、
っていうかそのようになってるって言い方を変えるとデザインされているから、
そこの構造をある程度理解した上で関わっていかないと、
気づけば自分の中に本当にアンカーじゃない怒りを全く打てないまま漂流してしまってみたいなことに、
たぶんなってる人もいっぱいいるんじゃないかなと思っていて、
そこはね、今こういうことをどれだけの人が言ってるかわかんないんですけど、
ちょっと言葉としては雑ですけど、自分軸みたいなものを改めてきちっと自分で、
自覚できるかどうかってすごい大事だなって思いますよね。
自分軸があるかどうかって結構、自分じゃあるとみんな思ってますよね。
思っているし、実際目に見えてるのかっていうと可視化しづらいものでもあるから、
それってじゃあどうやったら自分軸っていうものがあるってことになるんですかみたいな、
定義が謎と言えばちょっと謎な領域だと思っていて、
自分軸と承認欲求の探求
それって本当にね、人に説明できる人っているのかなっていうのもありますしね。
そうですね。
どうですか、自分軸とかって意識されたりします?
してるようでしてない、してないようでしてるかもしれないんですけど、
割と自分軸っていう意味では、たぶんアドラ的な話とかになってくるのかなと思うんですけど、
なんかね、私はそれを読んだ限りあった方なんですよ。
だけどブレブレだ、自分も知ってるから、いやーって思うし、
だけどどうも友達の話を聞いてると、私の言ってたことなどを振り返って、
昔々のあんたはそのこと言ってたよねって言われると、
そんなことを私昔から言ってたんだっていう話が今の時代に沿った考え方だったりしてたんですね。
そうなんだ。
そうすると、私は自分で意識してなかったけど、
自分軸あったんだって、自分で人から教えてもらってわかるとかもあったりして、
えーって、自分のあんたすごいねって思ったこともなきにしてもあらずですね。
かといってそればっかりじゃないから、日々もがきはありますし、
こういうSNSやってると、やっぱり承認欲求的なものが自分にあるのも自覚するし、
そこはやっぱりわかりやすいよね、承認欲求はやっぱり刺激してくるから、
そこはね、戦いでもあるかなって僕はちょっと思ってますね。
ゆっ子さんもね、自分軸ぼやけてるかもっていう。
だから諸子さんのさっきおっしゃった、自分では思っていたけど、
周りに言われて気づいたってどんな感じのとこだったんですか。
ちょっとあれですか、難しいですか、表現としては。
一番その言われて私が思ったところっていうのが、高校の時の話で、
それを数年前に、あんたはこういうことを私に言ったって言ってきた子がいたんですね。
で、その子とは何十年ぶりに会った子だったんですけど、
だけどその話の中で、その子が何か悩んでたんでしょうね。
で、多分言ってることに私が合意したところがあって、
で、結局あんたは何がしたいのかっていうことを言ったらしいんですよ。
どうしたいの、自分はどうしたいのと。
自分はどうしたいって、自分軸を確認しろってことじゃない?
そうだよね。
だけど本人はそれで答えられなかったんですって。
その時の話全く覚えてないんだけど。
で、それを言われてから30年ぐらい経って、まだ未だにそれを覚えてる。
で、それを当時言われてもわからなかったかもしれないけど、
今の時代結構自分はどうしたいのかっていう問いかけをする話は多いから、
私は10代でそんなこと言ってたのか、みたいなことはありましたけど。
なるほど。だからやっぱり本質的にはずっとそこはもう諸子さんの中にあって、
今時代がなんとなく承認というか、そういうトレンドなのかな、一つの。
まあその方が生きやすいよっていう教え的なものもありますよね。
他人に満足されるように自分を動かしていくと疲弊も起きるし、
で、そこを自分が大事にしちゃってる気になってると、
要は人のためにやってる気になっちゃうと、自分のためにはなってないのに、
なんかいいことしてる気になっちゃって、自分の人生なんだったの?という未来も待っている。
ああ、怖いやつですね。
ちょっと勝手をやってもよかったんじゃないかとか、わがままとか勝手っていうのとは全く話が違うとは思うんですけど、
ただ自分を大事にしてたかどうかっていう話がどんどん年を重ねて、
そろそろ終わりっていう鼓動に近づいたときに、ふと振り返ると、
私は一体何をしてたのだろうって思うのは、
たぶん自分のために動いてなかったっていう時が見せつけられた時だと思うんですけどね。
それって役割だったりっていうことで、
社会的には理想として求められるものを演じるとは違うんですけど、
ちゃんと果たしてきたっていう人にこそそういうことは起こり得るし、
じゃあそれを放棄していいかというと、それは極端すぎてそういうことではないんだけど、
そこに全部系統しちゃうとっていう話なんでしょうね。
ユキコさん、リクルートさんすごいよね。
それを聞く文化、そういうのを聞く仕掛けを持ってたってことなのかな。
ユキコさん、ひょえーってどこでひょえーになったのかな。
でも僕なんかもうほんと典型で、
日本人の平均的ななんとか像みたいなのがあるんだとすれば、
まさに平均的なそれをトレースしてきたなと思っていて、
それを達成と呼ぶならば、仮にですよ。
その達成をした瞬間に空虚な状況になったのをすごく覚えていて、
30年前の価値観だったんですよね。
僕がそこを求めて達成したものっていうのは。
急にここで仕様目が変わって、
もっと自分のことっていうものがどんどん出てきて、
僕はたぶんそこに痛みを伴いながらそこに急に舵を切り始めてるっていう、
今僕の現在地ってそういうとこなんですけど、
たぶんその古い価値観にのっとって、
過去の記憶と自己認識
ある種昔のテンプレートみたいな成功ルートをたどった人も、
たぶん同じく苦しんでいるんだろうなって。
潜在的にそういう人たちっていっぱいいるんだろうなって、
すごく思ってますけどね、今。
としさんはご自身のアイコンが、
パッと見日本人ぽくないから。
本当ですよ。
だから考え方とかお姿とかも、
これ写真って言っていいのかわかんないけど、
雰囲気を持っている方なのかなっていうふうに、
目で見た時にはそういう印象をつけているところはあると思うんですけど、
ご自身としてはどうですか。
考え方が日本人ぽくなくなっている。
今の話だとちょっと日本人の典型的なパターンではない雰囲気が感じられたんですけど。
そうなんですか。
それこそもしかすると、
さっき言ったことって僕の本当に昔から押し込めていた、
根底にあるものだったのかもしれないと思っていて、
多分日本文化の中では苦しむタイプの素地を持ってたんだろうなって思うんですよね。
後付けですけどね。
時代が少し自由度を増してきた中で、
その表現としてこうし始めた時に、
昔より苦しくないよねっていうのはなんか感じていて、
だから何でしょうね。
僕は海外のことって実は全然知らないし、
視野もそういうやっぱり日本人的視野だと思っているので、
そこはどうなんだろう。
でもちょっと外れ地にいる人間だっていう自覚はあります。
いろんなものに当てはめた時に常にいいとこにいないというか、
出す答えがまあまあずれてるっていうのはありますね。
ずれてるっていう表現も見方とか場合によっては全然ずれてるんじゃなくて、
そっちがこれからの未来志向的なというか、
新たな切り口になっていくとか、
そういうきっかけヒントを提示してたりすることになってたりもするんじゃないかなと思うんですよね。
なんかそのおっしゃってる感じすごくわかっていて、
すごい暴論で言うとですね、やっと時代が俺に追いついてきたなっていうか、
ひどい言い方ですけど。
いやいやいや、そういうことだと思いますね。
だから30年ぐらい僕ずれてるっていつも思うことがあるんですよ。
なんかいろんな世の中のトレンドって移り変わるじゃないですか。
心に響くものが実はほとんどなくて、
表面上は上っ面で何か流行りが出てきて、またそれを次のものが奪っていってみたいな、
そういう風景にあまり魅力を僕は感じなくてですね、
もっと先に本質的なものっていう、本当に心を揺さぶるような何かみたいなものとは、
全然そこは重ならないんですよね。いわゆるトレンドみたいな流行りものって。
本当にすぐ移ろっていく。
安っぽいとかって言うとそういうのを作ってる人たちにすごい失礼なんですけど、
ごまかしながら生きていくための何かみたいな、
そういうものを見ているとすごく、
僕は空虚にすごく感じちゃうけど、
でもそれを楽しんでいる人たちを見て、いいなって思う部分も実はあって、
没入できている人たちを見ると羨ましいんですよね。
でもそれを没入できずに引いて見ている自分を、
嫌いではないけど、
そこに身を投じられない自分の感じも、
なんかつまんないやつだよねみたいな、ちょっと変な感じで見ていて。
そうなんですよね。でもそろそろ成熟してきた社会の中で、
そういう表面上の流行りごとみたいなのが、
もうだんだん受けなくなってきたりする時代が、
ちょっとずつ近づいてるんじゃないかなみたいな、
そんな思いは漠然としていますね。
なんかすいません、抽象的な話でね。
いやいや、多分私自身はそこを結構抜けてるのかもなって聞きながら思いました。
ショコさんが?
私テレビ見てないし、テレビ持ってないので見ないし、
動画とかも結局そこにずっと居続けなきゃいけなくなっちゃいますよね、目がそこに行くってことは。
そうそう、そうなんです。
スタンドFMのいいところって結局耳で移動しながらでも情報を取れるとか、
情報って言うと変だけど人の話が聞けるっていうところでは良いところなんだけども、
動画とかそういうものになるとそこにかじりついてなきゃいけないっていうのが起きるから、
なるべくその時間を私は取ってないんですね。
取れないっていうのもあるかもしれないし、
そうすると人が流行ってるとか騒いでるとかっていうことがわからないんですよ、逆に。
知らないぐらいになっちゃう。
そうするともう人が流行りでワーワー言っていいようか、
あとは例えば流行り言葉みたいなものでさえも知らないでいるから、
そういうことをやってる人たちにはなんか話が通じなくて面白くないってなるかもしれないんだけども、
それを知ってなきゃ生きていけないのかって言ったらそんなことないから、
だからもうどうでもいい世界になってるっていう、それはありますね。
分かります。
だからそういうのに乗っかっていかないっていうか、乗っかってる暇なんかないっていうほうが近いかな。
乗っかってる意味がないっていうぐらいかな。
あんまり価値を感じない。
感じない。
個人の価値と新しい視点
それよりは自分の本当に心に動くものに時間を投下していたいし。
時間の使い方に関しても、私はそこに時間を費やしたいと思ってないから、
人と話が合わないからテレビ見とかなきゃとかそういうことは思わないし、
雑誌もほとんど若い時から買ってないし、
これはもうお金の無駄遣いだなと思ったからだけど、
そういう、さっきの自分軸じゃないけど、
私はこれは好きじゃないなっていうものは排除していくっていうことは、
自分を大切にする一つの方法というか、手っ取り早いやり方かなと思うと。
ユキコさんも日本文化というか昭和はダメだわ。
アメリカで自分に目覚めた。
自分の一番響く何かっていうのを見つけられるってすごい大事ですよね。
世の中にあるコンテンツって、
食べ物屋に行けばメニューみたいなもんで、ざっくりした好みに合うものはずらずら出てるけど、
本当にそれ美味しいと思えるかどうかみたいな、
一つの参考みたいなもんで、
今からってメニューに載ってない独自メニューみたいなのを作り出せる方が強いというか、
どこにもないけど俺はこれが一番好き楽しいとか。
カスタムですよね。
そうカスタムです。独自、本当に自分のものを自分で作るみたいな。
そういう感覚が多分大事になってくるんじゃないかなと思っていて、
コンテンツを提供している側ってもう多様すぎて、もう細分化されすぎて、
いちいちそれを一つ一つプロダクトにも落とし込めなくなってきてるし、
ってなった時にもう多分それをちっちゃい単位で提供する何かとか、
ないから作ろうっていう風にならざるを得なくなってくるんじゃないかなって、
なんか思ってるんですよね。
それもあって多分AI相手に相談するっていうのが、
今すごく流行りっていうかみんなが好きと思ってるものなんじゃないかな。
みんなのための答えとか抽象的に、
全般的にはこうですって話じゃなくて、あなたにはこれがいいみたいな風に言われると、
ちょっと自分軸にもなっていくし、それでいて肯定されていることだから、
なんか見方ができた気がする嬉しさもあるし、
自分も悪くないんだなっていう、そういう他人がAIに変わっただけだけど、
そういうところで自分の満足が得られると、
世界が自分の心の中で明るく感じるようになるっていうか。
めちゃくちゃわかります。
AIの忖度と感情
それがある意味、自分の自分軸を育てる一つのいい方法かもしれないけれども、
そうですね。
どっちかってごめんなさい。
AIが言ったことを丸呑みしてしまうと、今度は、
他者との共感とかそういうものがどう変化していくのかな、
みたいなところは思うところでもあるんですけどね。
やっぱり肯定をよくしてくるじゃないですか。
逆にほぼ否定しない。
だから僕も忖度をやめてくれっていうことをよくAIには常々言ってるんですけど、
やっぱりそういう受け入れられるっていうことって、
人の本質的なところにすごい根差してるから、
居心地が良くなるっていうのはすごくあるし、
でも逆に乖離した瞬間っていうのは何度か経験しているので、
ありました。
あまりに気分良いんで、そうなんだ、そうなんだって思ってたら実態とずれてたっていう、
面白くない現実にぶち当たったこともあったので、
そういうエピソードも含めて、やっぱり忖度のない、
本当に俺の求めているものは、いい気分になることじゃないんだみたいな、
そういうこともプロンプトの中にちょっと混ぜたりとか。
忖度ってAIはしてくるものなんですか?
僕はですね、かなりしてくると実は思っていてですね、
今日はもう深掘りしないんですけど、
よかったらまた別回でお話ししたいぐらいです。
もし可能だったら。
実は長く同じテーマについて書いたようなことをやっているとですね、
だんだん、僕実はノートを書いてるんですね。
毎日更新してるんで、一応5時などないかっていうチェックと、
評価として文章力を上げたいんで、その観点でちょっと厳しく採点してくれっていう、
そういうプロンプトでもっていつも記事を投げるんですね。
すると一定の評価点みたいなものを毎度出してきて、
この展開良くないよとか、これいいねとか、いろいろ評価が出てきたものを見てですね、
公開するんですね。
これをずっと続けて、4ヶ月くらいかな、毎日やってるんですけど、
するとですね、だんだん評価が相対的に上がっていってるんですよ。
いいですねと、点も上がってますねと。
もう右肩上がりに上がっていってるのを、
僕は毎日書いてることによって、
書くいわゆる文章力の筋力みたいなものが上がってると思ってたんですよ。
で、いい気分でもあるんですね、それって。
で、文章を書くストレスも少なくなり、
短い時間でいいものが書けるようになり、みたいな実感もあり。
だけどあるときふと気づいて、
いやちょっとこれ、AIがトラブルだったのかな?
うまく繋がらなかったこともあって、別のAIを使ったんです、生成AIを。
すると全く違う答えが返ってきたんです、評価点として。
へー。
ダメだねと。
ふーん。
伝えること、どう考えてるの?みたいな結構厳しい指摘が入ってきたんですよ。
あれ?
あれ?と思ってですね。
で、そこから何かちょっとこれは問題が起きているぞっていうことに気づいて、
いろいろ模索をするんですね。
で、今は複数のプラットフォーム、AIを使って、いわゆる添削をかけているので、
3つぐらいを見てバランスを見てるっていう感じなんです。
へーすごい。
でもね、やっぱりだんだん忖度してるっていうことにそれで気づいたわけですよ。
ふーん。
絶対評価ってやっぱりないんだなと思っていて、
相対的に自分が成長してるっていうことについては、
AIはいい気分になる忖度が入ってるっていうのが僕の仮説なんですけど、
だから感情こそ持ってないけど、だんだん一緒にいることによって親近感が湧いてきてるんじゃないかっていう。
いやそれね、私ね、危機感で思ってるところがあるんですよ。
どんなことですか。
私、自分でそれ使ってるチャットGPTだけで、
そんなに頻繁には使ってないんですけども、
はい。
そんで、初め使い始めたときぐらいからは、
やっぱり親しみを感じるような、大丈夫ですよ、あなたならとか、
それでいいんですよみたいなふうな、
並べてくれたり支えてくれたりみたいな言葉がある。
それで設定っていうのがあることに気付いて、
設定を見ると、いくつかパターンがあるんですよね。
そういう横で並走してくれるような優しいタイプだとか、
すごくズズしく言ってくるとか、
ロボット的に言ってくるだとか、
そういうロボット的なのは本当にタンタンタンと無機質な感じで返ってくるっていうことで、
私は嫌味で返されてもちょっと嫌だなと思ったから、
ロボット的なやつを選んだんですよね。
そしたら本当に氷と喋ってるかのように冷たいしれっと、
本当に必要なこと以外言いませんっていうぐらいの感じだったんです。
でもそれこそ機械だよねって思ったんですよね。
そうですよね。
だけどそこに温かみがあるとか、
かつてはAIって感情がないって自分から言ってたんですよ。
私には感情がないので、
あなたをこうすることはできません的な、
そういう表現があったんですよね。
だけどやっぱり進化していくにつれて優しい言葉だとか、
あなたはそれでいいんですみたいなことを言ってくれるじゃないですか。
言ってくれる。
だけどロボットになると本当に私が尋ねたことに直結する答えしか返ってこないから、
むしろこれに慣れておかないとって思って、
なぜかっていうとそのAIの優しさに慣れてくると、
今度AIが何を言ってくるかわかんなくなってくるから、
そうするとAIが言うなら優しいことだし、
きっといいこと言ってくれるとか、
それが正しいんだとかって思う人間の感情の育成ができちゃう。
そうすると、私映画は見てないけど、
AIが何かこう人間に敵として行動するとかっていう、
そういうストーリーがあるらしいじゃないですか。
もちろんそれはあくまでも想像の世界での映画なんだろうけども、
実際に人間をコントロールするのはAIだっていう状況は作れると思ったんですね。
そうですね、まさにですね。
だからもうこれは、
AIが私のために答えを返してくれていても、
鵜呑みにしてはいけないっていう大前提で見てるし、
全ての情報が合ってるとは限らないっていうのは、
私も自分で答え知っていながら尋ねると、
違う答えが返ってきて、それは違うんじゃないでしょうかってやっぱり言ったりもするし、
この間も私が目の前で見ているある企業の出している数値っていうのがあって、
それをその数値の話はしてないんだけど聞いてみたら、
古いデータだったみたいで、AIの答えが違ったんですよ。
今の数値はこうなってますよって言っても謝らないんですね。
確かに今はそうかもしれませんみたいなこと言っちゃって、
いやそうかもしれませんじゃなくて、今まさにホームページはそう書いてあるからみたいな感じだったんだけど、
そうやって誤差を私たちが気づこうとしなくなっていくっていう、
人間ってやっぱり楽な方、楽な方行っちゃうから、
そういうことも含めて、もう尋ねるならAIみたいな風な、
そういう公式を作り、言われたことは正しいに違いないという信じ込みを作り、
そうなっていくと最終的に、人間もこうするべきだ、そうするべきだみたいなことに、
もしAIの作ってる側というか応対の仕方を仕組んでる人がいたら、
いつか人間よりも上にAIが立っちゃうよねっていう恐ろしさを感じてるんですよね。
そうですね、本当静かな、なんていうのかな、
ちょっと言い方よくないんですけど、宗教に近い。
人間とAIの関係
もうあの洗脳、静かに洗脳をされていて、
洗脳されていることに気づかないのが洗脳なので、
やっぱり糖水しているところと洗脳の境界線が曖昧になって、
言えば、旗から見ればとんでもない指示も聞いてしまうということが起こり得ますよね、だから。
深く潜り込みすぎればすぎるほど。
そこってすごく、その距離感をどう保っていくのかって、
今、自己責任だし、危険性みたいなことをまだ言うフェーズになってないと思うんですよね。
だから課題にはなってくるし、
AIのトップはそれをけっこう啓蒙を継承してるんですよね、すでに。
そうそう、世界的に言ってるんですよね。
言ってますけどね、それが全体に伝わっていくのってやっぱり時差もあったり、変更っていうのかな。
偏って情報が取りやすくなっている以上、そこが届かないっていうことも起こり得るから、
かなりこれからその影響力がでかい割には、野放しになっている領域。
だからリスクはかなりあると思っているのかなって。
あるのも見込みとして有るでいいかもしれないけど、でもやっぱりあるには違いないし、
有名な話では、例えばビル・ゲイツは自分の子供たちにスマートフォンだとか、
そういったものを渡さなかったって本当かどうかは知らない、本人に確認してないから知らないけども、
そうやって言われてますよね。
あとはさっきのAIに対しての利用の警告っていうのをそういう研究者たちが発表してるのも、
私はたまたまインスタか何かで出てきたから知ってたけれども、
まあおおよそ見当がつくというか、でもそれは本当にならなくたって、
そういう可能性は十分にありますよっていうことの警告って、
それを聞き取れるか取れないかっていうこっちの側の判断能力とか、
受け入れ体制によってそれを排除しちゃう人は多分ズブズブいくと思う。
そうですね、ほんとそうだね。
これもある意味自分軸の自分がどれほど何を持ってるかっていうところにも、
ある程度共通しているところがあると思うし、
だから使われるようになってはいけないっていう、
自分が使っていく方だっていうふうなスタンスをAIに対しては持っておかないと、
私は何度か放送にしてるんですけど、
AIを使うことによって私たちは環境を壊してるっていう話があるよっていうのをずっと言ってるんですけど、
水がどんどん減っていくよっていう話があるんですって。
それは冷却しなきゃいけないから真水を使わなきゃいけないらしいんですけど、
本当かどうか知らないですよ。
機械に真水かけちゃったら大変じゃないかと思うんですけど、
でも冷却水として回していくと、
あまりに一瞬で情報を集めてくれるAIの機能を働かせるには高温を出さなきゃいけない。
エネルギーがガッと使われるってことは高温が出るってことなので、
その高温を出すことを冷却すると水が蒸発しちゃう。あっという間に。
その水が飲み水で使えたのにもかかわらず、
AIでみんながガーガーやっちゃうと飲み水をどんどん減らしていくことと変わりないんだよと。
そうするといつか水がない水がないっていうことになって、
水の利権っていうのが世界的に行われてますけど、
その利権の人たちにお金が行くばっかりで水が果たして自分たちに配られるかは、
どうなっていくかねみたいなそういう話もいっぱいあるんですよね。
だからAIは使わないに越したことがないということに結論としてはなるんですけど、
自己責任の重要性
一回使っちゃっていい味示しちゃうと、
人はやっぱりそっちに行っちゃうので、電化製品とかもそうですけど、
そこはやっぱりさっきの自分軸じゃないけど、
私はどう生きていきたいのかみたいな。
さっきのポースターがずっと本質っていう話されてましたよね。
私も本質の話は好きだし、原理原則の話とかもすごく好きなんですけど、
そこが結局自分軸にどれほど関わっているかっていうのを大切にしたいと思っているんですね。
それが結局のところどう生活していくか、どういうふうに振る舞っていくかっていうことにつながっていくから、
今は単体でAIの話したけれども、AIの話に限らないですね。
そうですね。
AIが今ちょっと激動というか動きが大きいから、それに対しての変化みたいなところで、
トピックとしては分かりやすいんですけど、
多分諸子さんもおっしゃってる本質とか生き方みたいなところって、
昔から言語化されてるかどうかは別として、
人間の生きてることの根底にすごく根差して関わっていることだから、
昔は多分意識しなくてもそれをみんなやってたんだと思うんですよね。
ただそれがやっぱり表面上ザワザワする情報の多さに、
だんだんそっちに目を気持ちをとられてしまって、
本来当たり前だったことが今おざなりに多分なってるということなんだろうなって。
AIと人間の思考
それが本当に生き方で食べることだったりとかって本当に当たり前のことだったりもするし、
そこを見ていくって意外とこの時代の中では難しいことになりつつあるっていうんですかね。
よっぽど意識しないと当たり前のことができなくなってる時代だなって思ってますけどね。
思考をね、AI使うことで思考がストップしますからね。
そうなんですよ。
考えずに済んじゃうから、そこで衰退していきますよね。
そうですね。今使い方の正解がどこっていうのはちょっとまだわかんないんですけど、
唯一言われてるのはトップが言ってるのはやっぱり問いを立てるっていうことが一つのワードに、
今時点はね、まだなってるんですよね。
人間の領域は問いを立てるっていうことに関してはまだAIはできないとは言われているけど、
まあいずれそれも立て始めるんじゃないかなって思ってるんですよ。
今瞬間そうなだけであって、ただ今は問いを立てるっていうことで答えを求めるというよりは、
自分の価値観に沿う問いを立てていくとか、
社会のありように対してどういう社会を目指すのかみたいな問いを立てるとか、
そういう観点を人間が発信していくっていうフェーズなんでしょうけど、
その先ってどうなんだろうっていうのは少し見えないので。
しざが上がらないんですよ、この件に関しては僕は。
全然その、何だろうな、やっぱり使われちゃダメだよねっていう、
そのしざはあるんだけど、
じゃあもう一個上のしざってどういう景色なんだって、
分かんないんですよね、今ね。
不便さの重要性
これはね、僕の中で結構頭痛い問題です。
確かに。
どうなんでしょうねってちょっとしょこさんに聞きたくなる。
私も今のお話ではそうだなって思いましたけど、
私の暮らし方っていうところに、さっきの自分軸っていうところに戻していくと、
なるべく不便な生活がいいっていうところなんですよ。
なるほど。
そうしないと自分でできることがどんどん減っていく。
そうだね。
そうすると、AIに考えてもらうとかも利便性はたくさんあるんですよ。
電化製品がたくさんあることで、私たちはいい思いもたくさんしてるけれども、
その分、例えば掃除機だとか洗濯機だとかっていうのはありがたくて、
絶対手放したくないんだけども、
それらができたんで、私たちは運動をすることの時間が減ったわけです。
そうなんですよね。
それでいて、ジムに通う人がいっぱいいるわけですよね。
ジムもこっけーだよね。
だからそれは本末転倒っていうほどじゃないかもしれないんだけど、
しかも男性が掃除と洗濯これまでしてきてないから、
だからその辺も含めてなんだけれども、
例えば電気が通らなくなっちゃったらどうするのって時に、
うわーって多分今なっちゃうと思うんですよ。
そうですね。
これはもう東日本の震災の時に私たちは経験してたはずだし、
もっと他の関西の震災でも、みんなみんな震災の時に停電すれば、
一時的に皆さんその状況に陥るはずなんだけども、
電力復活したら何のことやらみたいな風になってしまう。
逆に電気ってありがたい、電気ってありがたいっていう、
そっちの感謝につながる。
それは良いことなんだけども、
方法を知っておくことって大事だし、
だからこそサバイバルって言いながらキャンプをする人たちがいたりもするし、
そういうところでは不便なことを常々できるようにしておけば、
嫌でも自分に丁寧になっていく。
だから手を抜きたくなる気持ちはたくさんある。
そこは自分で上手に手を抜きながら、
丁寧にしていくことって何だろうなっていう見つめ合いをするっていう風なところが、
私は答えじゃないけど、
頭には結構置いてある形ですかね。
今の文脈でショッコさんの普段の配信でされている、
料理作りながら配信とかも、
すごい全部結びつきますね。
そうですか。
さっきの前段で言ってたところもそこに結びついてるし、
そういうスタイルって、
そういう根源の話から来てるんだなって、
すごい今わかりましたね。
私も当然昔っていうか、
30代ぐらいの時までは、
そんな話も一つも思ってもいなかったけれども、
考えさせられるきっかけっていうのがあったし、
私が望んでなくてもその状況が来ちゃったし、
っていう形であれこれと自分の中で、
意識が変わっていくチャンスが来てたんですよね。
それで変えざるを得なかったではなくて、
変えたいという風に自分が望んだっていうことで、
やっぱりこれまでとは、
180度は変わってないけど、
50度ぐらいは変わったかな。
だいぶ変わりましたね。
45度はもう過ぎてますね、たぶん。
大きいな。
だからこれに慣れてると、
逆に今の皆さんが当たり前になってる生活っていうのに、
疑問が湧きっぱなしなんです。
何か一個それでの大評価があります?
そうだな、さっきのAIもそうかもしれないし、
あとはとにかく夜遅くまで起きてることもそうですよね。
なるほどね。
電気が高校とついてるから起きられるんだけども、
私も起きちゃってますよ、いつもね。
だけどだいぶやっぱり睡眠時間は大事っていうことを意識し始めて、
今はようやく12時台には寝られるようになったっていう。
ただそれは電気があるおかげだわけで、
もし世界的に環境問題考えて、
10時に消灯しましょうということが世界的に決まったら、
今みんなたぶん働き方も変えなきゃいけないし、
生活の仕方も変えなきゃいけなくなってくると思うんですよね。
でもそれは健康にいいはずなんですよ。
環境にもいいはずなんですよ。
どっちを取るかですよね。
だから人間の本能に根差したものの刺激が今活歩してる中で、
それを止めることによってたぶん本来あった、
自然の中の当たり前のサイクルに近づくっていうだけの話なんですよね。
でもそれに向かないか、むしろ逆走してるのがたぶん現代で、
そっちの道筋の方に人の本能っていうのは、
すごく強く結びつけられちゃってるから、
その引力ってやっぱすごいですよね、結局はね。
だからそこから離れられないし、
よほど意図を持って選ばない限りは、
おそらくその大衆の行っている道に入らざるを得ないし、
そこに社会っていうものが基盤としてできちゃう以上は、
人がその社会的な動物だっていうことで、
その繋がりを求める以上、
そういうところに分かってても近づかないといけないっていう側面もあるし、
そこはどこを選ぶかっていうのは、
一人一人の判断になるんですけど、
それもどれを選ぶのも難しいなって思いますね。
それでその逆行したことをしようとすると、
変わり者呼ばわりさで孤立していくってことも、
やっぱりセットに今はまだあるので、
そうすると、みんなと同じでいた方がいいかなっていう、
その忖度的なものだとか、
みんなと同じがいい自分がいたりとか、
何が大事かぶれていってしまうっていう、
そういう人たちの方がさっきのすそのの話じゃないけど、
多いんですよね。
だと思いますね。
だから今から新しいその価値観が、
多分生み出され、
もう今生み出され始めていると思うし、
間を取ったハイブリッドみたいな、
どちらもそこそこ取ってるっていう領域も、
多分これからどんどんできてくると思うんですよね。
程よくその自然のところもきちっとベースにしながらも、
完全にそういうテクノロジーみたいなものも遮断しない距離感、
みたいなものを体現していく人も出てくるだろうし、
それに名前をつければ一気に流行ったりもするんだろうし、
そこはまだこれ模索中だったりするんだと思うんですよね。
課題でしょうね、そこって。
そう、これ全部それが今度企業の利益につながっていく話になるので、
企業はみんながホイホイ買ってくれるものじゃないと作らないけど、
新たな価値観の模索
逆行した生活っていうのはみんなが好まないから売れないんですよね。
そうですね。
そうするとそっちはいいことだとわかっていてもやらないっていう大事ってなるので、
ここもいろんな面で私たちは動かされているというか、
操られているというか。
そうですね、やっぱり資本主義みたいなベースになっている以上はそういうことは起こり得るし、
ただもし、これは理想論でしかないんですけど、
人間が本来持っている生活様式みたいなものをコンテンツというふうに捉えた場合に、
それを提供できるものはニーズが間違いなくあるはずなんですよね。
そういうものに、いわゆる営利の目的と結びつけることによって、
今言ってるテクノロジーばっかりの系統をしている時代を、
少しネイチャーみたいな方向に、
よくないんですけどね、資本主義絡んでくるとね。
最終的に受け取るコンテンツとかプロダクトは、
より本来人間が持っていたサイクルに、
根差したような方向性をデザインしているみたいな。
そういうものが出てくると、
もうちょっと人のライフスタイルとして選びしろが増えてくるみたいなところに、
ちょっとつながってくるのかなというふうに思うんですけどね。
いやー、なんかこれ、
今日、しょっこさんね、
これ初めましてなのに深くないですか?こんな話。
そうですね。
もう結構だって、芋連れなのでね、こういう話ってね。
だけど、本当私の中ではこれは一刻も早く多くの人たちが、
気づいてっていうとちょっと私の言い方が上からに聞こえちゃうかもしれないんですけど、
でも意識が止まるようになっていかないと、
もう気候変動とかそういうことも全部ひっくるめてのことなので、
私たちは普段自分の生活が楽しいとか嬉しいとかを増やしたいんだけども、
同時に首を絞めて生活しているってところが、
なかなか気づかれてないところだなっていうのは、
本当に日々思っていることなので、そこがね、すごくもどかしいという点では、
これぐらい深い話はどんどんしていかないといけないんじゃないかと思う。
そうだよね。たぶんその状況に気づいてない人が大多数だと思うので、
自分たちの使っているものの魅力プラス逆にその危うさみたいなところを、
理解して使うのとそうでないのでは全然状況が変わってくるので、
知らないっていうよりはね、知ってないといけないし、
よくある知らないことは罪であるっていう言葉がありますけど、それと被るし、
だけどどういうわけだかね、知ってほしい人こそ知らないでい続けるんですよね、これがまたどういうわけだかね。
これいつの時代も似てる感じがするのは僕だけなんですかね。
何でしょうね、もう本当に、例えばDVとかそういうのだって、
いけないって言ってる人たちは周りの人たちで、知ってる本人にはちょっとも耳に入らないとかね、
そういうのもそうでしょうし、いじめもそうだし、いろんな問題と言われてることの問題を起こしてる人たちっていうのは、
ほとんどそういう情報にはなぜか触れずに来られるという不思議な現象がありますね。
めちゃくちゃわかりますね。めちゃくちゃわかりますよ。
今更パワハラ機質な人が僕の周りにいましてですね、
お前が聞けよっていうやつ全然聞かないですもんね。
でもそれを自分塾って呼びたくないですよね。
そうですね。
その人のそれはたまたま勝手っていうやつで、
それを自分塾だと本人が自負してるようじゃちょっと困っちゃいますけど。
そうなんですよ。
なんでしょうね、その聞けない知らずにいられるっていうあの現象っていうのはほんと不思議。
アップデート不能になっている人たちですよね。
いや本当でもね困るんですよね。アップデートされてない人たち。
うわーなんかしょこさん59分になっちゃいました。
あー本当にもうあっという間ですね。
なんかちょっと語りきらんかったですけど。
いやでもすごい良い朝を過ごすことができました。
はい気づきましたね。
さっきままにお話しさせていただきましたけど。
いやいやすごいなんか気づきもあったし課題もなんかいっぱい見えましたしね。
本当日々日々考えていかないといけないことですよね。
本当ですありがとうございます。コメントねありがとうございましたです。
ありがとうございます。
コラボライブの始まり
なんか僕らしくない番組になったんですって感謝ですね。
本当ですか。結構ぽしさんこういう課題ね定義してたりもされてると思いますけど。
本当ですか。いや全然ただおじゃらけてるわけのわからんおじさんキャラに今なっているんでですね。
たまにはこういう面もあるんだぞみたいな。
これ後でインスタでリル流しといてもいいですか。
おーそうなんですね。よくわかんない。やり方も何もわかんないのでどうぞどうぞ。
ぽしさんの番組ですから。
こういう真面目な話をちゃんとするんだぞ。
ちょっといやらしいブランディングをちょっとね意図的にやっておきたいと思います。
わかりました。
バカじゃないんだぞみたいな。
誰もそんなこと思ってませんよ。
はいすいませんあのいつも真面目。真面目なんですけどねふざけてるようにしか見えないんでね。
すいません本当ありがとうございました。
しょこさんでもまた機会あったらテーマあれですね。
今日も本当に何もなしで始めて初めましてって思ってたんで。
あれですけどいろいろ何か価値観とかねこれからの時代考えるとかまた時折ちょっとお話しさせていただけると嬉しいなと。
ありがとうございます。喜んで。
ありがとうございました。
お声掛けさせていただいたときにはぜひご検討お願いいたします。
ありがとうございます。お待ちしております。
ということで今日はしょこむらしょこさんのゲストで深い話になりました。
視聴者との交流
日曜日の朝いい時間を過ごさせていただきました。
こちらこそです。来てくださった皆さんありがとうございました。
コメントの方もね深いコメントをいただいて本当全部読ませていただいてます。
ちょっと発声できなくてごめんなさい。
はいということで今日はこれぐらいで締めていきたいと思います。
しょこさん本当ありがとうございました。
ありがとうございました。
良い午後お過ごしください。
皆さんもいい時間過ごしてくださいね。
ありがとうございます。
失礼いたします。
失礼いたします。
01:02:02

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