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2025-05-01 11:59

ジブンのワガママに向き合おう😉

#非常識
#自分を大切に
#断る勇気

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いかがお過ごしですか?ポッシビリティです。 常識の良いとこ悪いとこ
本題の前にお知らせです。この番組は昨日より今日、今日より明日をちょっとだけ良くする、そんな情報をシェアを行っております。
今日は取り留めもない話。 常識もこびりついております。皆さんもそうじゃないでしょうか。
いろんな常識に取り、絡め取られ、
もう何なら常識という牢獄、常識という鎖、常識という猿ぐつはもうだいぶ大変なことになっている。
それぐらい常識って、その時に人を不自由にさせる。
一方で社会で生きていくためには、その常識というものがあることによって、他人様とうまくやっていけるということで、必須なんでしょうね。
必須、無難なアイテム? 無難アイテムって言い換えておきましょうか。
非常識な人でもね、ちゃんと社会生活を送っている人はいるから、必須じゃないんだろうね。
でも、この常識っていう道具をどの程度使うかっていうのは人それぞれで、常識っていう名前こそみんな一緒だけど、その常識っていう中身は人それぞれ、いろんな常識があって、
誰一人として、たぶんこうね、じゃあ俺の常識どーんみたいな、あなたの常識はどーんみたいな、並べたとてね、完全一致することなんてありえないと思っています。
基本的には。で、まあ何の話かっていうと、この常識っていう道具の良いところっていうのは、平たく言うと社会でね、無難にやっていくために、
うまく使えば、そのうまく社会生活を送れるよということにしときましょうか。
で、この対極に常識があることによって、弊害もあると思ってるんですよね。
で、今日僕がその常識の弊害としてこれかなと、一つあるとするなら、これはちょっと僕の中ではなかなか常識の弊害だなと思っているものの一つがこちら、自分の声を聞けなくなるっていうことです。
最近ちょっと僕はブログだかノートだかに忘れましたけど、そんなことをね、なんか書いたような気もするんですが、たぶんね、自分の声っていうものに対して少し敏感になりつつあるんだと思うんですよ。
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で、長らくね、たぶん常識っていうもののおかげで、自分の声っていうものを聞かないようにしたり、否定したりとかね、無視したりとか、そういうことでもって、自分の思いよりも、
肯定的に身についた常識でもって人と接していると思うんですよね。
で、これっていうのは、さも自分の思考でしっかりと対応しているというか、自分の思考でもって意思決定しているって思ってるんですけど、
実はその差し障りのない常識っていうその中に含まれている模範的な回答、差し障りない行動とか、そういうものを自分以外の他人様に対して発信してるんだろうなって思うんですよ。
たぶん社会の一般的な平均標準みたいなことを考えれば、常識という範疇でもって判断して行動することが人間関係をね、まあまあ率なくこなすということだと思うんですけど、
この常識と本当に自分がもうその望んでいるものとのギャップが少ない場合はそんなにね、たぶん苦しむこともないと思うんですよ。ここめちゃくちゃ大事だと思うんですよね。
自分の心の声、本当に心から思うことを感じることと、その社会常識と言われるものの一致率、シンクロ率、フィットしてる感みたいなのが高ければ高いほど、たぶんその人は今求められている社会常識みたいなものを普通に使っていくことで、
自分の本来思っているものにも近いっていうのはすごく自然だと思うし、生きていてもね、とても自分を生かしているというか、自分らしく生きていけてるんじゃないかと思うんですよね。
ただなかなかね、おそらく多くの人はその一般社会常識っていうものは大切だし、それは日々重要なこととして使っていかなきゃいけないのもわかってるし、事実それを活用して生きていってると思うんですけど、本当に心の奥底で思っているものとの乖離ですよね、ギャップですよね。これが大きければ大きいほど、人はたぶん苦しむんじゃないかなって思うんですよ。
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僕なんかは苦しむというほどではないけども、本当の自分の思いと社会常識っていうものが乖離、ずれ感を起こしているものも多分あると思ってるんですよ。
すごい抽象的な広いふわっとした表現で言うと、僕はすごく自由を尊重するっていうところがあって、これは自分に対してもちろんだし、自分以外の誰かに対してもその人が自由であってほしいって思ってるんです。
その自由っていうのは各人が決めればいいんですよね。好き勝手することを自由っていう人もいれば、誰かに拘束されることをその人が自由だと感じるっていう、ちょっとややこしいんですけど、拘束されたい自由を尊重するみたいな、ちょっと言葉がややこしくなるんですけど、
何でもいい、その人が大切にしていることがその人にとって、ちゃんと普段思うようにできてればいいなって思ってるんですよね。
それは時に行きすぎるとその人に迷惑をかけたり、時にはもう刑罰として訴えられて裁かれるなんてことにもなるものまで幅広くあるわけですけど、
そういう特別ね、本当にあかんやつっていうのはともかくとして、そうではないものっていうのは人によっては勇気を持って自分らしさを表現することによって生き生きとしている人っていっぱいいると思うんですよ。
僕はそこには慣れてないな、いわゆる賢いといえば賢い、やりすぎない、自分のやりたいことあるんだけど常識の範疇以外以上には飛び越えていかないっていうね、そういう物分かりの良さみたいなことを示して生きてるんですけど、それも自分ですよね、もちろんね。
だけどずっとそういった社会の中で生きてきて、好き勝手やるっていう表現に色んな感覚を解釈をされる人それぞれの解釈があると思うんですけど、でもね、好き勝手やっていきたいなって思ったわけですよ。
でもね、長らくね、常識的なことをベースに生きてきた人が、急に自分の好き勝手で生きるって思ったとしてもね、急には変わんないんですよね。
習慣ですよね。慣れて慣れ親しんだその生き方っていうのがありますから急には変わらない。
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で、最近僕が意識しているのはやっぱり自分の声ですよね。これ面白そうだなやってみたいなって思ってもいやいや現実的じゃないでしょうってもうなかったことにする。
これを一回ちょっと待て待てなかったことにすんな待て待て待てと自分待て待てと。
できるかどうかはさておいて、できないって決めつけちゃうのはどうですかと。
一回その難しいけどできるかもしれないしできる方法から考えてみた方が可能性出てくるんじゃないですかって最近ちょっと思うんですよね。
なので今まで議論にも検討にも全然載せてこなかったことっていうのをこれやれたら楽しいなどうやったらできるだろうっていうふうにちゃんと一回ねテーブルの上に乗っけてみる。
自分の声をねしっかりと聞き取ってちゃんとそれをねなかったことにしないっていうねこれすごい第一なんじゃないかなって思ってます。
これは僕だけではなくてあの多分ねみんなそうなんじゃないかなって思うんですよ。
みんなが思う一人一人が思う自分はこうしたいっていうその自分こうしたいストーリーっていうのはね一人いれば一人のストーリーがあると思ってるし希望が必ずあると思っているのでこれをその思った通りのことをね。
思考行動っていうのにつなげていけたら人ってすごく今よりさらに幸せに生きていけるんじゃないかなって思うんですよね。
なのであの僕もねあのちょっと日頃の生活の中で出てくる希望まあちょっとわかりやすく例えるならば子供が最近見ないけどこれ欲しいなぁ欲しいなぁみたいなねあのダダこねるみたいな自分の声をしっかりとね忘れないように自分で消し去らないようにどっかに埋めてしまわないようにしっかりとね見える形に何なら忘れないようにちょっとメモでも残してね。
自分でこういうものを求めてるんだなぁっていうね自分が求めてるリストってそれをどうすればちょっとでもね叶えるとか100%叶わなくてもちょっと試してすぐできるじゃんとかもねあったりするかもしれない。
そんなことをねちょっとやっていくと面白いのかななんて思いました。
はいということでゴールデンウィークの少し余裕がある中でそんな思考をした私のつぶやきでございました。
はいということで今日はこれくらいで終わっていきたいと思います。
この後も皆さん素敵なお時間お過ごしください。
お相手はMossibilityでした。
では。
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