挑戦の美化とリスク
今回は、挑戦するのが素晴らしいという風潮について、 ちょっと物申し返りになるんですが。
では早速ですが、どうですかね。 挑戦するという、いいイメージありますよね。
この言葉自体のあれですよね。 ただ今回は言葉のあるような問題ではなくて、
挑戦するということ。 ちょっと美化しすぎなんじゃないかっていうね。
倉木の理想としては、かなり中立的な意味合いで、もっと正確な姿勢を使ってほしいと思っていて。
挑戦することは、いいわけでもないし、悪いわけでもない。 それぐらいでいいと思うんですよ、この言葉。
だから本当に美化されすぎだと思うんですよ。 でも、うすうすね。
うすうすというか、そもそも第一で失敗することだってある。
その分多くなるだろうと。
子供ながらにみんな気づくと思うんですよ。 子供のうちに。
よくね、挑戦しなさいと学校の先生が言うけど。 だって自分挑戦したけど、この前も失敗した、その前も失敗してるしって。
だからこそね、子供にあんまり挑戦しなさい、挑戦しなさいって。 その性格によってはね。
そういう、挑戦するほどリスクがありますから。
特にそういう失敗が記憶に残りやすい子供なんかが、 そういう失敗経験が多くなって、
成功体験が多い子供はまた別だけど、 挑戦することはやめてしまうわけですよ。
継続の重要性
でもさっき言ったように、別に挑戦が素晴らしいと思わないまでも、 挑戦すべきところでできなくなるのはそれは問題だと思います。
ねえ、うん。
どうですか、挑戦。
した方がいいと思いますかね。 挑戦ってね、やっぱり聞こえはいいけど
今までにない行動を取る。 っていうのと、今までやってきたことをやる。
別にどっちが素晴らしいっていうわけでもないんですね。 だって継続は
力なりとかね。 スポーツ選手が続けることを大事にしてたって言えば、 それが素晴らしいっていうのがみんななるじゃないですか。
逆のことですからね、単純に。
挑戦することは今までやってきたことをやめることになるし。
でもそれよりももっと考えなきゃいけないのは、 挑戦するっていう言葉のニュアンスにはね、
リスクがあることは分かっていても
ちょっと大きなことをやるっていうニュアンスがあると思うんですよ。 単に変化をするとかじゃなくて
失敗したら大変なんだけど それでも成功するために
ここは清水の舞台から飛び出る気持ちでやろうって、そういうニュアンスがあると思うんだけど それってギャンブルで言うと
大きな賭けに出る。 それ以外の
なんでもないわけ。それ以上でもそれ以下でもないわけですね。 でギャンブルで
そもそもギャンブルやる人を称賛しますかね。 そうやって大きな賭けに出たり出る人。
これも最近、これもっていうかね。 ギャンブル以外で言ってもね
大きな賭けに出た経営者。うまくいけばね 会社の人も次も称賛するだろうし、失敗したら
なんてみんな本能してられずだというかもしれません。 挑戦すること自体、良いとか悪いとかね
言えたもんじゃないんですよ。 だから冒頭で話した通り
もっと中立的な見方をするべきだと思ってるんですね。 人にそんな挑戦することを
許容したり進めたりするようなものではないと思ってるんですよ。 何よりそれを美化して
っていうことで挑戦あまりしたくない人は すごい嫌な思いをするわけですね。
それを目にして。 時にはね人に許容されたり、時には
自分としては継続することを大事にしているのに
世間のその考え方に流されてしまう。 なんてこともあるでしょうね。
挑戦することをモットーにしている人はいいですよ。 継続することをモットーにしている人にしてみれば
とても追い目を感じるじゃないですか。 自分は挑戦できていないとか。
でもね継続することを大事にしている人は 今までやってきたことを大事にした方がいいわけじゃないですか。
だからあまり挑戦することが素晴らしいという言い訳じゃないと思うし ある農家学者なんかはね
挑戦の実際
挑戦することによって脳が鍛えられる。 なんてことも言ってましたが。
暗くはそうは思わないですね。 脳を鍛えれるという観点からすると確かに変化
が多い方が脳に刺激があっていいかもしれないけど 変化には慣れてしまいますから。
だからね、挑戦しても その生き方という点で見ると
挑戦することに慣れている人はね、なんかもう鈍感になっちゃって変化も変化で なくなっちゃって
気づいてみれば別に挑戦じゃなくなってしまってるわけですよ。 それを何か美化するのもおかしな話ですよ。
何よりそういうリスクを取ることを 怖がらないっていうことを別に美化される必要ないと思うんですよ。
単に無神経なだけだから。 単に
度胸があるだけだから。 まあ度胸があるって言い方すると聞こえはいいけどね。
無神経とは言わずとも
ある意味無神経なのかな。 怖がらないっていうことだから。
暗くはね、清水の舞台から飛び降りるような気持ちの時はもちろんあります。
これは挑戦だと思ってやってもね、 今までの生活と不連続な感じがして
なんか自分じゃないような感じがして、それやってるのは。 あまり挑戦だと思ってやったことはないですね。
覚悟を決めて何かやるってことはあるかもしれないけど。 新たな挑戦だと思って
今やってうまくいったことはないですし。
なんかいつも通りじゃなくなってしまうんですね。 そんな状態でうまくいくわけないし。
そういう意味じゃあんまり挑戦って好きじゃないし。 新たなことをするってのはありますよ、もちろん。
それは単に挑戦してるんだけど、日々ね。 挑戦だと自分で捉えてないのかもしれないけど。
挑戦した記憶もあまりないし、 挑戦してうまくいった記憶もあまりないですね。
自然とできてるのかもしれないし、 何なく割とできてることもあんのかもしれないけど。
まあでも、今はね食事、昼食は毎回変えてもらうようにしてるんで。
少しでもね味付け変えたり。 そういう意味じゃ今は挑戦してるから。
でもさっき言ったように、毎日それをやってたらそれはもう、 そういう自分の慣習になっているわけであって。
挑戦とはいえないかもしれないですね。 間違ってそういう習慣ですね、習慣。
になってしまってるわけですよ。 とはいえ若干挑戦してるなって気がするんですよ、他の音と比べて。
他はそんな音しないですからね、毎日そんな変えたり。 でもなんか素晴らしいことをしてるとはとても思う。
とても人には言えないですね。 なんもん自己満足だし。
わけやってこうしてるだけだし。 だから当然人に挑戦することを勧めたりもしませんし。
まあ学生時代、部活の動画を変えるとか。 あとね挑戦したらね
まあありました学生時代も率直に人に行ってみるとか。 ちょっとこう、いつもかけない人にかけてみるとか。
でもそんなことしてもね、すごいエネルギー取られるんですよね。 だからあんまりそういうことをしてもね、他のことを犠牲にするとなるだけだから。
あまり意味があるとは思いませんね。 ではそんなところで、それでは明日っけ。