まあそれは置いといてとりあえず。
とりあえずそんな難しいこと考えないとして、
大事だと思うんだけどこれ。
じゃあ実際どうなんだと、カップラーメンは自炊なのか。
これ考えるだけ無駄だと思ってて、
哲学としてカップラーメンはどうなんだと、自炊と言っていいのかと考えるのってすごい無駄だと思ってて、
哲学に無駄なことってあるのかと思うかもしれないですけど、
これなぜかというと、カップラーメンが自炊だという人、自炊でないという人、
それぞれもうそれ以上何も言いようないですよね。
なぜかというと、自炊ってそこまで抽象的な概念じゃないからですよ。
自炊自体がまさにさっき言ったように、定義がもうちょっと曖昧すぎるし、
時代によってそんな変わるもんだし、
つまり自炊だという人からしてみたら、自炊だと思わない人、
そうなんですねと思うだけだし、その逆もしかりで、
そうなんですねと思うだけだと思うんですよ。
とは言っててもしょうないんで考察してきますが、
家族に振る舞う場合は自炊ではないですね。
実家でご飯作っても自炊ではない、手伝っても自炊ではない、
旦那さんが作っても自炊とは言わないし、
自炊とは言わないし、旦那さんが自分のために作っても自炊とは言わない。
同棲してて、どっちか作って自炊とは言わないし、
料理にも自炊とは言わないだろうし、
一人暮らしっていうのが条件ですよね。
一人暮らししてて、
友人に振る舞うこともあるだろうけど基本的に自分で食べる。
少なくとも一つ言えるのは、
これだけははっきり言えるのは、
人に自炊してるか聞いた場合ですよ、
カップラーメン作ってるだけなのに、
一切日常で料理、
いわゆる世間の人が思うような、
ある程度炒めたりなんだり、
してないのに自炊してると言われたら、
この嘘つき目があって思うでしょうね、
後で家に行ったりばれたりして。
これが俺の自炊なんだと、
カップラーメンも俺にとっては自炊なんだと、
ココア作るのも自炊なんだと言ったら、
このヘリクト野郎って言われるだろうね、きっと。
だからそれはちょっと答え方を考えた方がいいと思うし、
ただですが、今の場合はそうなんだけど、
ここまでは日常の常識的な考え方、
ここを疑うのが哲学ですからね。
自分で自炊だと思う分には別にいいような気もするんですよね。
なぜかというと自炊に定義が曖昧だから。
でも単なる言葉のあやで、
なんか、
立てつけたように、
自炊だと言ったところで、
じゃあ何を思い込んでるんだって話だし、
自炊の定義がそもそも相当レベルの低いものだとしたら、
自分は自炊が低いって、自炊ができると
そう思い込んだところで、
別に自信持てないし、
だとすると、
独り終わりになっていては意味がないってことだし、
だとすると独り終わりになっていては意味がない概念なんだろうな、きっと。
人に伝えるときに自分は自炊してました。
だからカップラーメンはちょっと無理があるかもしれないけど、
それに近いもの。
で、どこまでは自炊だと歩きって言っていいものか。
確かにこれが自炊なんだと言えるような
自炊偏差値50みたいなそんなもの
ありそうだけどないですよね。
ある意味やっぱりその人が自炊だと言えば自炊なわけです。
ただカップラーメンがやってるだけで自炊だという人は
ちょっと常識がない人と見なされてしまうでしょうね。
冷凍食品、レンジでチンするだけでも
同じだろうしレトルト食品も
で、炒飯作りました、カレー作りました。
でもやっぱり人それぞれ連れがあると思うんですよ。
クラゲにとってはカレー、ルーで作るのと
カレー粉使うのとじゃ結構違うんで
ルー入れるだけで野菜切らなかったらね
それはどうなんだとかいう話になるし。
ただ里のご飯にそれでバーってかけるだけだったら
それもどうかと思うし。
間違いなくそういう先入観は入ってきてしまいますよね。
だから料理ってもの自体。
結構漠然とだから理解してる。
そこでしょうね、この議題について何か言うことあるとしたら。
例えばコーンスープなんてのはすごい手込んだりするような気がするけど
別にコーンスープ入れて
で、そういう、売ってますしね、牛乳売ってるように紙の入れ物のやつで
粉末状のでもいいし、それ溶かして
で、コーンスープできちゃうわけですから。
逆にそれは自炊と言っていいのかと思うし。