倉木の発達障害の考察
倉木凪です。
今日ラジオドラマ聞いて、マジでね、ポッドキャストなんだけど
したらねー 同級生から
いやー普通、普通なんだけどね普通に話してるけどねって言われて いやでもコミュニケーションに問題があるんだと
まあ発達障害なのかパーソナリティ障害なのかわかんないけど まあ修辞校はねそうやって言うんだけど
いやーそれ聞いてね、倉木もねー またちょっといろいろ振り返ってましたね
自分はやっぱりね発達障害の人たちとも違うという思いがあるんですよ
いろんな点でね
ベースの結果だったり、鉄道なんか好きじゃなかったり、パソコンなんかも好きじゃないし
得意でもないし 結構他の発達障害の人と違う点があって
いやー自分って普通なんじゃないか
いやでもどう、普通だったらここまで 人間関係困ってないだろう、ここまでドラマ出来てないだろう
いや今まで集団の中でね、集団組織の中でうまくいったことがあるのかと
自分に問いかけてみるとまあ全くないんですよね
その時に他の発達障害の人と比べても相当重度なことに気づくんですよ
今まで何度ね発達障害であってもやっぱり 人間なんだよなと
人の心を見守ってんだよなと まあその点倉木はやばいなって何度思ったことがある
別に自分でね 普通であって欲しいわけでもないし
普通でない方がいいわけでもないし だってそんなもんの遺伝ね
決まっちゃうっていうのが発達障害な
っていう概念だからね それをどっちがいいとか言ったってしょうがないわけだから
身長がね変わらないのと同じことですよこれは 何言ったってそんな無駄だからそんなの
だから受け入れてるとか受け入れないとかじゃなくて 無駄なんですよそれって
言ってもね 今言ったようにね
結局自分は普通なの普通じゃないのって いやー本当に悩んできたね
発達障害というかね本当に苦しめられてきたね 発達障害なんていう概念がなければね自分の
自分の辞書に発達障害なんて言葉ありませんとでも言えたらね こんなことに悩まずに済むんですよ
まああとは 努力すれば
なんとかなるっていう風な考えになるだろうからね 発達障害という概念なくなったら
発達障害という概念があるから 結局普通なの普通じゃないのってね
決めつけてしまわなきゃいけないわけですよ 自分で努力してなんとかなることじゃないから
結局そのラジオドラマの主人公は
普通じゃない 普通じゃないと自分で思い込んで
で 自分の可能性をね
なくしてしまったわけですよ 本当はもっといろいろ
人を助けることもできたかもしれないけど 人のために何かできることもあったかもしれないし
もっと人と変われたかもしれないけど 普通じゃないと思い込んでそれはできなかった
くらきもそれは自分はあるだろうね
でもね じゃあ
診断の難しさ
自分のもっと可能性はもっとあるって考えてるってことでは 理論上
どうなる どういうことかというと 自分は思っている実は普通なのだから
もっとできることはあるっていうことですよね
いやいやそれは違いますよね自分の認識より普通か 実際は普通なのかどうかは
それはわかんないでしょ だから単にそうやって
軽く言うこともできないし
そういえば前ね 木こもりとか不登校の人の
何だろうねあれ 何だろうねっていうかあの札幌にね
支援する団体があるんだけど
そういう人たちが活動してるグループがあるんだけど そこの人に洋子が電話したら
電話してその時にねすごい仕事をね 欲してると仕事したいと思ってると
そしたらまあそんな木こもり珍しいですよって言ってるみたいな やっぱりね
何だろうねだから言ってしまえば 健常者と比べても普通じゃないんだけど
そういう木こもりとか発達障害の人と比べてもやっぱり普通じゃないんですよ
なかなか難しい問題になってきましたね でもね
多分発達障害の診断を受けた時も先生も 割と普通に反省出ると思ったと思うんですだから高安性発達障害という診断面
だったしね この経度か柔度とかってもすごい難しいところだよね
これ言葉の問題の話になってくるんだけど 経度イコール
健常者と発達障害の間
っていうことを同意だとするのであれば とてもそれは違うしね
でも割と 普通に話せてるように
見えてしまう場合もあると思うんですよ 今日のラジオを聞いてもねなんか
そういう風に 気づかされましたね
本人ではいや普通じゃないと思っててもね周りには普通に見えてるわけですよ 一番前だけ見てる人にとってはね
まあでも本人がいや自分は 相対的に見ると全然普通じゃないんだってわかってるんだけど
この経度か柔度かってだからね難しい問題なんですよね まあ柔度に見られたいって言うのもおかしな発想かもしれないけど
単純に経度だと思われるのはね 非常に腹立たしいしね
だから診断受けたときはそっかーと思ったね 経度じゃないんだけどなぁと思ったね
ウェイスの結果とか自身が一応スペルアタマシスの 見てもいやーそう思ったのかやっぱり話してる様子から見てそう思ったのかなぁと思いましたね
なんでね経度って見られるのが嫌かって言うと いや経度
と捉えるのが嫌なのかって言うと だったら
それだったら健常者ってことでいいでしょと その中途半端な状況ならって思っちゃうんですよ
あった障害だってなるから 諦めついてねあー仕事もできないんだなぁってなるけど
いやーちょっとまぁ 際どいあたりだったらなんとかなりそうだってなっちゃうでしょ
例えば自分の好きな人がいてね いやーちょっとあなたとは付き合いませんって言われるってのとね
うーん いやーっていう感じで悩んでるのだと
善者の方が絶対いいでしょ諦めつくでしょ ということなんですよ
これうつ病についても同じですよ 毎日ね普通に
普通にっていうかまぁとりあえずここでは普通にって言っとくけど普通に生活してるから 経度に見えるかもしれないけど
クラキとしては全然そんなもんないんですよ それではしたっけ