00:06
はい、おはようございます。バスへの精神科リブラでございます。
今日も、そこはかとなく、
かきず、違う違う、
今日も、つれずれなるままに、日暮らし、
スマホに向かいて、心に移りゆく、
良しな仕事を、ただ、そこはかとなく、
か、たり、つづれば、
あ、苦しいこそものぐるを引けるで、やって終わりましょう。
ギヨン少女の金の声、
金の音と書いてますけど、金の声って読むんじゃなかったっけ?
はい、どうでもいいですよね。
えーっと、今日もやって参りましょう。
昨日のね、
配信で、皆さんがそんなに興味を持たないであろう、
送局性障害と、相次ぎょうの話をしましたけど、
違いの話をしたけど、
ちょっと、なんていうかな、
とりとめのない話になってしまいましたね。
で、結局、最後にね、やっぱね、
大事なことを言うのを忘れたっていうか、
時間になっちゃって、やっぱ、
大事なことっていうか、論詞がはっきりしなかったね。
ちょっとだから、追加で昨日の話をしますとね、
送局性障害、歴史を話したね、昨日はね、
メランコリーという概念があって、
送鬱病という概念に、最終的には、
19世紀の末から20世紀にまとまって、
それから、単極の鬱病というものが出てきて、
単極の鬱病と送鬱病、その時の送鬱病というものには、
循環するというね、気分が何ヶ月かごとに
上がったり下がったりするというね、
そういう概念に分かれて、で、今はさらに、
送鬱病というものが、いや、それ違うんじゃないか、
というようなことになって、送局性障害としてグワッと広くなってね、
相当数も変わったでしょう、というようなことですね。
で、何が問題かというか、何が大事かというと、
大事かというかね、
面白いのはですね、
これね、結局ね、
送鬱病という病気があるかないかってね、
あるのかないのかね、つまりその循環する病気というのが
あるのかないのかね、あると思っている先生もいたり、
そんなものはないと思っている人がいたり、
送局性障害と送鬱病は一緒だと、
送鬱病なんていう独立した状態がないと思っている先生がいたり、
いや、送鬱病と送局性障害は全然違うと、
3日ごとに急に3日で気分が上がったり下がったりするやつは
送鬱病じゃないと、
それとは別に送鬱病というものがあるという風に思う先生がいたり、
いやいや、それはそう見えるだけで、
これは一緒のものだと思う人がいたり、
例えば、そんなように、
僕なんかは全部発達障害じゃないかと思ったりとか、
とか、
発達障害がベースにあって、
最後症状の現れ方が統合症症みたいになったり、
03:00
鬱病になったり、送局性障害になったりするんじゃないかとか、
僕はちょっと思っていますけど、
僕は送鬱病だけ別の病気じゃないかなと思ったりしていますけど、
統合症症とか鬱病とかは、
全部発達障害のある種の変化というかな、
負担がかかった時の現れようで、
中には、例えばね、
統合症症みたいな骨の弱さだとすると、
統合症症とか鬱病とかは骨折ということで、
骨折れ方によってね、
ひびが入っただけでも骨折ですからね、皆さんご存知?
ひびが入ったのも骨折です。
そういうような鬱病があったりとか、
中には統合症症と言われるような、もうちょっとうまく元に戻らないような、
もうくっつかないような折れ方をした骨折もあってね、
それはちょっと、くっつかない骨折とくっつく骨折は、
少し違って考えてもいいかもしれないので、
統合症症とかね、症状が違うというよりも、
経過が違うというふうに僕は考えてますけどね、
というような考え方があったりとか、
精神科の診断というのがすごくまちまちなんですよね。
一応、大まかな、
全体的なメインの考え方というのがあって、
メインの考え方は今は、
僧侶性障害というふうに一つにまとめて、
1型と2型に分けて、
僧鬱病という病気は、
特別、僧侶性障害とは別の概念というのは、
あまり採用しない先生が、
メインかなと思いますけど、
僕からするとそれ全部間違ってるというかね、
分かってないねというふうに思うし、
鬱病だから一生懸命、僧侶性障害が増えて、
どんどん薬がこれでとか言ってるのを聞くと、
薬が効かないと言ってるわけじゃないんだけど、
薬が効く場面もあると思うので、
いいかなと思うんですけど、
そういうことじゃないよねと、本質的には。
本質的にはその人の特性と、持っている特性と、
社会の構造、その人が生きている場所が合っていないというのが、
メインの問題なんでしょというふうに、
多くの場合に思いますけどね。
そういうことを考えると面倒くせいから、
患者さんも生き方を少し工夫しろとか言われるのが面倒くせいから、
薬が効くとか効かないとかに逃げ込んで、
医者にとっても患者にとっても薬が効くとか効かないとかって話が楽だもんだから、
人は楽に逃げるんですよね。
水は低い方に流れるんですよ。
なのでね、
ついついそういうふうに楽なところに、
医者も患者も逃げているというふうに僕には見えている。
そういうふうなところで、
うまくいかなかった薬だけ飲まされたんだけど、
飲まされたというか本人も喜んで飲んだし、
患者さんは低きに流れますわね。
薬を飲んでおけば良くなるという嘘に、
自分もかけたくなるわけよ。フィクションにね。
医者がそうやって言っているわけだからね。患者さんのせいじゃないよね。
ということで、医者と患者と共同で嘘をついて流れて、
うまく流れて、なんとなしそれで、
06:02
僕ら悪くないですわね。
悪い神様が悪い、かわいそうですな、
我々といったようなことで、うまくまとまっていればいいんだが、
うまくいかない医者と患者もいるよね。
うまくいかないね。
そのフィクションがうまくいかなかった人を転院したくなったりするので、
セカンドオピニオンだとか言ったりすることもありますけど、
精神科に正確な意味でのセカンドオピニオンもありませんが、
そういったことでさ、
うまくいかなくて来る人がいますよ。
そういう人を僕は見ましたけどね。
よそでうまくいかなかったというのはね。
よそだと、うつ病だったかな、今のときは送局性障害かな、
だから病名が流行りでつくんだよ。
今のときは送局性障害ってつきますけど、
そんなの僕全然送局性障害だと思わないので、
送局性障害っていうことになってるけどね。
そこでうまくいかなかった。
逆にそこでうまくいってない、その診断で治療もうまくいってないので、
いやそれは発達障害ですよっていう話は、
入りやすいは入りやすいんだよね。
前がうまくいってないからね。
今回はそういう話が割と入りましたし、
納得して喜んで、
ああそうかって喜んで帰っていかれたような
雰囲気はあったんだけど、
どうかな、自閉症スペクトラムの人は
話がなかなかつながりませんからね。
例えばドラマで言うとさ、
診察がドラマだとすると、
2週間やら1ヶ月に1回ごとにいらっしゃるわけですけど、
ドラマだとすると2週間前に
ある種の登場人物が何か刑事に打たれて死んだみたいな話があったらさ、
2週間後のドラマではさ、
その人は死んだ程で始まらないといけないじゃないですか。
出てきちゃダメで死んだんだから。
その人たちが生きて出てくるんだったらさ、
撃たれた胸のところに鉄板が入ってたんですよ、
それに当たって銃弾は
貫通してなかったんだよ、みたいな。
そういうことだったのか、だから生きてるんだね、
みたいなね。
死んだはずの人が生きてたらさ、
つなぎがいるじゃないですか。
実は、みたいな。
同じようなことが診察でもあって、
これはうつ病じゃなくて、
発達障害だってことを一回納得して、
薬はいらないよねってことで、
私もそう思うと言って帰ったのであれば、
次の時、薬を欲しがるのであれば、
しかし先生と、そう思ったんだけども、
やっぱないと眠れないし、薬が。
なので、この前やっぱいらないとは言いましたが、
とはいえ、やっぱ睡眠薬くらいはあった方がいいかな、
枕がいるでしょ、つなぎが。
なのに、自閉症スペクトラルの人たちは、
割と平然と、前回の、
09:00
私もいらないと思うんですよ、と言ったその手を、
まるでなかったかのように、
薬はどうしてないんですか、みたいなことを言ったりとか、
ちょっと待ってよ、みたいなね、そんな話じゃなかったじゃん、
そんなことがあるんでね、
初心で喜んで納得して帰られたとしても、
このまま物事がうまい方向に行けばいいのだが、
何か、
僕の、やっぱりさ、
少し魔法をかけてるみたいなところが若干あってね、
僕もちょっと言い回しをしたりするから、
僕の診察を受けた直後は、
前向きな気持ちになって、
お家にルンルンって帰るんだけど、
家に帰るとまた辛い現実とか思い出しちゃって、
診察ではいい気持ちだったけど、
やっぱダメだなぁ、やっぱ辛いなぁ、
みたいな気持ちになって、
診察の時の楽しい話とか、
前向きな話がなかったことみたいになっちゃう人があるんだよね、
だったら本来は次来た時に、
先生、あの時はああいう風に言って、
気持ち落ち着いたように前向きになったんですけど、
家に帰ったらやっぱり辛い気持ちになって、
嬉しいから辛いに行く時には、話を変える時には、
繋ぎがいるでしょ、繋ぎが。
ところが、全くなかったみたいに、
なんですけどが無しで、
またなんかただ悪いみたいな話が続いてて、
なんか話が進まない、なんてことはね、
非常によくあるんですよね、
何の話を言おうと思ったんだけど、
昨日の話の続きで、
そういう診断がめちゃくちゃになっているというところを、
言うのを忘れたというところから始めて、
でも、
発達障害の人が、
何の話をしようとしていたか忘れちゃったので、
別に繋げていきますけど、
結局、ちょっと完全に忘れた。
そういう風に来るでしょ、
やっぱね、
昔はね、
1980年代にね、
今はあんまり科学的に証明されていないから言わないんですけど、
人はね、
アドバイスというものはね、
10の言葉のうち3くらいまでしかね、
アドバイスって聞けないなんていう学説を言っている人がいて、
それは、はっきりした科学的根拠がないということであまり言わないんですが、
まあでもさ、感覚的には確かにおっしゃる通りだなと思うところがあってね、
10アドバイスをしてしまっても入らないと、
やっぱり否定的な話では入らない。
スカウトさんなんか、
1も入らないじゃん。
いや、僕は間違ってないんですよって必ず言いたい。
聞いているとき分かる?
12:00
聖史のPラインを聞いている人は分かりません?
自分の思っていることと違うことをちょっと言われたら、
ああ確かにそうですねって絶対スカウトさんは言わないよ。
いや違うんですよって言う必ず。
今度は、いや違うんですよ警察の人もしいたらね、
ちょっとカウントしてもらうと、いや違うんですよって必ず言う。
いや違うんですよって必ず言う。
絶対これ言う。いや違うんですよって口癖みたいになってる。
だからパーンと否定して自分の意見を言うっていうね。
絶対認めないよね。
若干僕の方が認めるところがあると思うんですが、
少し自信があるとかその辺が違うと思うんだよね。
あと年をね、あの人若いということでね。
僕が少し年を取ったということで、いろんなこと諦めますからね。
年とともにね。ということで若干違うと思いますけどね。
根っこのところがよく似ててですね。いや違うんですよって僕も思うんだよな。
認めたくないっていうね。
ということはありますよね。
最大で30%くらいしか100のうち聞けないんでね。
基本的にはあんまり否定的なことを言うとね、
耳に入らないんだよね。
ので、
例えばさっきのこれはうつ病じゃなくて発達障害みたいな話も、
発達障害というものがネガティブなイメージだと
これ耳に入らないんですよ実は。
なので実際は発達障害っていうのは、
結果として障害って言ってるだけだから、
はっきり言って障害じゃないんだよね。
現に例えば僕自身が発達障害の自閉症の特性を
持ってるわけですよ。
最初あんまりは思わなかったけど、結構いろんな人に言われるから
まあそうかなとか最近は思ってますけど。
で、何なの?って思うわけ。
僕が発達障害の特性があってで何?っていう。
でもおかげで僕は子供の頃から見てた
アニメとか番組とかの
オープニングの歌を細かに覚えていたりとかですね。
いいじゃん面白いじゃん。
ちょっと空気読まない発言をしたりね。
いいじゃんエキセントリックで尖りがあって面白いじゃん。
個性の時代だぞ。
俺は個性の時代が好きだぞ。
別に僕は発達障害じゃないんだよね。
障害じゃないというか。
まあ確かに発達障害の要素はいっぱい持ってるけど、
別に僕困ってないもん。
近所の先生に言われたんですよ。
ADHDの要素もひどいもんだからね。
ASDの自閉症の特性もあるとは思うんだけど
うちの母親なんかかなり自閉症だったから
今思えばね、あんな母親が自閉症の様子なのに
僕が自閉症じゃないとよく自分で思ったなと思いますけど
それよりもADHD傾向がね
うちの父親の親戚がみんなADHDみたいな人でね
強いんでね。
僕は別にディスオーダーじゃないから。
困ってねえから。
僕ADHDじゃないんですよって隣のね
隣の総合病院の先生とよく飲みに行ってて昔ね
少し先輩のね。よく言ったもんですよ。
15:02
いやいや先生違いますよと。
先生僕のことADHDみたいに言うけど僕違いますよと。
僕ディスオーダーじゃないですから困ってません。
なので僕はADHPですから。
もしれんなテンションもディフィシットしてるかもしれないけど
ADH僕はディスオーダーじゃなくて
ADHパーソナリティ。ADHPでございますと。
僕は困ってないのでございまーすと。
言ったらその隣の総合病院の
精神科部長の先生が
いやリブラ先生とリブラ君と
ディスオーダーっていうのはね
本人が困ってなくても周りの人が困ってれば
リブラ先生ディスオーダーなんだよと。
先生は困ってないかもしらんが周りのスタッフは
全員むちゃくちゃ困っておりますと。
なのであなたはADHDですと言われたことなんですけどね。
そんなバカだと思ったんだけどよく考えたら
朝毎日ちゃんと出勤してこない
精神科の部長困るよね。
まあその辺はADHDかもしれませんが
それはASDなのかディスオーダーかもしらんがですね。
僕としてはそんなに困ってないのは何かが障害だと。
これは特性じゃないかと。
僕はASPだと思うんですよ。
オーティズムスペクトラム
パーソナリティということでね。
ADHPアテンションディフィシスト
ハイパーアクティビティパーソナリティということで
文句あるかと思って生きてるわけですけど
僕なんかもそういう風に思ってるけどね。
ASDの人たとえば弁護士とかに多いし
大学教授にも多いよね。
ノーベル賞取ってる人なんか全員ASDの特性あるでしょ。
あんな興味関心狭く
あんだけやるの普通の人じゃねえんだよ。
普通の人があんなことできるわけがない。
一般の人は興味関心が集中しなくて
いろんなことに気がついてね。
だから一般の人って言うんだよ。
マリーマンとして生きて頑張ってお金をそれなりに稼いで死んでいくだけだ。
凡庸な人たち。中庸な人たち。
これが普通の人たち。
普通ってそういうことでしょ。
ASD上等じゃないか。
こっちは専門職で狭くプロになる人間だと。
アマチュアが何を抜かすかと。
場合によって上手くいかない人は障害だと言うけど
健康だとか健常だとか
何が正常だとか言ってちゃんちゃらおかしいわと。
僕自身がそう思っているところがあって
何が障害だと別々に。
僕は僕でやっているんだと障害なんかない。
むしろみんなより僕の方がちょっと面白いじゃないかと。
何を言うかと。ある程度本気で思っているわけ。
本気で
ちょっとおかしなところがあるけど
それも面白いじゃん。
この僕のASD特性がなくなって
18:00
ADHD特性がなくなって普通の人になりたいかと言われたら
全然なりたくないので
僕は確かに妖怪人間みたいなことで
ASDとかADHDの特性があって発達障害人間かもしれませんけど
僕はね
一つも普通の人間になりたくない
暗い定めを
生きるわけじゃないんですよ。
特殊な世界で楽しいぜ
我々発達障害人間なのさ
やたら細かく清くする
ロボットのようなこの頭
いつまでも
普通の人になりたくない
特殊でよかった
変異のある認知で
生きてゆく
ADHD、ASD
学習障害
嬉しくないかも
分からないけど
発達障害
僕の違いは普通の人間になりたくない
別に普通になりたくない
早く人間になりたいとは思わない
僕自身がそう思っている
ノーベル賞からみんな発達障害って言われる人だよ
誰も困ってないだろ
普通のことをやろうとするから困っちゃうだけ
普通のことをやろうとしなさんな
あんなものは
凡庸のやつがやることだ
なんで我々が凡庸なことをしないといけないんだ
妖怪人間の方が数が少なくて楽しいんだよと
貴重価値があるんだよと
普通のことをやろうとすると
貴重だけど価値がないみたいになりますからね
ポジティブな名誉をして
仮に普通のことをやろうとするのであれば
周りの人に会わせてもらったり
障害者雇用を得たり
障害年金を取ってもらえる場合もあるし
障害者手帳を取る方法もあると思いますし
例えばね
札幌市 虎の巻
札幌市が出しているPDFが出てきますよ
これがよくできているんだ
なんで発達障害のことを
札幌市が詳しく研究しているのか知りませんけど
よくできたPDFが出てくるので
そういうのを見て勉強すると
どうしても普通の人と同じことを
したければ
参考にやっていただければ
なかなか
普通の人と同じことを
全くせずに済むわけじゃなくて
あまりにも朝行かないと
21:02
問題になるし
約束じゃんじゃん破れないし
多少は普通の人と同じことを
やっぱりしないといけないところもあるので
努力しないといけないところもあるので
どうしてもできないので
周りに説明しないといけないし
すいませんとかわいげを出さないといけないし
僕は周りの人に言うときは
僕バカなんですいませんって言ってますよ
心の中では思ってませんけどね
凡人ども俺に配慮しろって言ったら
ちょっと頭いかれてるでしょ
表面上は僕バカなんで
配慮してくださいすいませんお願いします
とお願いしてますよ
心の中ではプロで特別な人間だと思ってますけどね
そうは思ってないけどさ
ポジティブな情報として言うとね
実はそういうポジティブな先生の面があるかも分からないけど
自信がついちゃって
こういう失敗がありましたなみたいな
ちょっと明るくね
発達障害エピソードみたいなものが明るい感じで出てきて
そうだったのかみたいな
勉強して何か合わせてもらったほうがいいんだなみたいな
そうですよって
いつも飲んでる送局性障害の薬か知らんが
うつ病の薬か知らんがそれ効いてんのかよと
効いてると思うなら飲んでもいいけど
僕あんまり効いてると思って飲むのはお勧めしませんけどね
効いてないのに
結局薬を飲めば治るみたいなフィクションに逃げ込むでしょ
それやっちゃうと本当は社会で
自分で特性をよく勉強して知って
あるいは社会で生きていくのであれば
周りの人に説明したり手帳を取ったり
いろいろ行動を起こさないといけないわけだ
行動を起こすのはめんどくせえから
薬飲んで効かないかなみたいな
効くわけないじゃんって逃げ込んでしまいがちになるから
効くか効かないかわからない薬は
あるいはしばらく飲んで効いてない薬はしばらくて2ヶ月とか
それは早々に諦めたほうがいいのに
今後効くかもしれないみたいなフィクションで飲むべきじゃないと思うんです
その効かない薬を半年とか
飲んでたら普通の人は
効かないなってやっぱり無理だなって気づいたりするんだけど
自閉症特性のある人って
時間が物語が連続しないさっきも言ったように前提を無視するし
積み重ならないから
ずっと効かない薬を平然と飲むことが結構できたりするわけ
これそのうちに効くんじゃないかなみたいな
ひどいと10年飲み続けますからね
そのうち効くんじゃないかなみたいな
なんなわけねえだろっていうね
普通だったら本人にしばらくしてわかるから
とりあえず出しとけなんてことになるわけだけど
自閉症特性の強い人にはとりあえず出しとけってのは
24:01
医者の怠慢だと思うんだよね
そこはちゃんと効かないよと言ってあげないといけないかな
と思っておりますね
今日の話は
どっちの方向に行くか分からなくなっちゃって
適当に行きましたけど
適当に行った途中からね
方向転換していきましたけど
今日の話は発達障害特性っていうのは
ネガティブに
発達障害だけじゃないんだけど
病名というのがネガティブな情報として伝えると
なかなか受け入れられない
全員ガス化学者になっちゃう
患者さんにもネガティブだという情報で
うつ病じゃなくて発達障害
スカンくるんだよね
ネガティブニュースを出すと
ポジティブニュースとして
おめでとうございます
うつ病じゃなくて発達障害でした
それを僕が本当に思ってないとダメだね
自分自身がADHD特性が強かったりとか
自分では気がつかなかったけども
徐々に分かってきたんだけど
今は全然不幸だと思ってないし
むしろそれがなければ
僕の面白さはないと思うので
普通の人だと面白くないと思うんですよ
僕は子供の時に変な人になりたいなと思ってて
それは自分が普通だと思ってたから
誤解だったようですけどね
同級生に会うと子供の頃からちょっとおかしいよね
そうなんだと思って
母親に昔聞いたら
小学校の2年生の3巻目の時に
僕だけ椅子を離れて
うろうろしていたので
なんでうちの子だけ座れないのかなと思った
そんなつもりはなかったんだけど
他の子の絵を見て回った覚えはあるんだけど
どういう絵を描いてるのかなと思って見ただけなんだけど
僕の意識ではキョロキョロって思ったつもりだったんだけど
死んだ母親が言うには
突然立ち上がって
教室の中をぐるぐる回り始めて
おもむろに座って絵を描き始めた
そんな子のクラスで一人だけだったので
すごく恥ずかしかったみたいな話をされて
全然気づかなかったですけどね
小さい頃から少しややこしい子だったんでしょうね
でもそんな大したことない普通の子だったよ
ずっと普通でしたけど
自分からは見えていたんですけどね
僕自身が本気で発達しようがいいと思うの
そんなに困るものじゃない
困って発達しようがないのかねさんもいるけどね
すごく厄介な
僕の手に負えなかったことが何例かあります
すごく謝って他所の病院に行ってもらったら
27:02
そういうこともないではないんだけど
ポジティブに捉えているので
患者さんもポジティブな情報は聞ける
ネガティブな情報はスカンクル
あんまりネガティブに伝えるのは良くないよね
だからイージさんが前に
後輩を叱るフィクションの手の配信と
後輩を褒めるという
フィクションの手の配信をされていたけど
やっぱり絶対褒めるべきだと思う
仕方って入ってこない
昔の人は入らない
少なくとも僕は入らない
少なくともスカンクルさんは入らない
一般の人も入らないと思う
褒めて情報を
物事にはポジティブとネガティブの両面あるから
褒めることが必ずできると思う
褒めなければ人の耳には入らないと思う
それでは今日も頑張ってやりましょう
さようなら