発達障害の診断と知能検査
今回も発達障害あるあるなんですが、まずこの話からしていきたいんですけど
ぜひ聞いてほしいんですが
発達障害の疑いがあったら病院に行きますよね。 疑いがあるから知能検査するんだけど
ちゃんと臨床診療師さんがいるところでは
という条件付きではあるんですけど、知能検査。 子供であればASD、大人であればASD、起きるわけでして
一応ね 理論上はですよ
あくまでも知能の 状態を見る
もちろんこれが問題で人間関係 問題になっているだけで、理論上はね
脳内物質の問題であったり
心に原因を見たり、心の偏りであったり
知能以外に原因があると考えるわけですよ、基本的に
で、あと情動行動とか行動が規則的だとか
コミュニケーションに関しては言語能力 これ関わりはあるだろうけど
人の目を見れないとかそういうのもそうだし だからね
アタッチ障害ってものを語るときに
一部ではないですよ、もちろん
知能の全体を見るわけですから でもその
ある部分が
偏りがあったら その他も全部偏りがあるだろうっていう
コツなんですね でもこの部分ってね、今言ったけども
これはあの どの程度の広さなのかはその時によって違うわけであって
例えば何だろうな 逆もあるじゃないですか、人間関係が
支障がある っていう人は
こだわりも強いだろうっていう そういう
そうやってね アタッチ障害って
この人アタッチ障害だろうと 人に判断されたり自分に判断したり
なんでかっていうと 全て病院で測れるわけじゃないからですからね
ある程度診断時に 人の目を見ているかどうかぐらいは分かるかもしれないけど
そんなものはいくらでもごまかせるし 上道・下道が多いかどうかなんて
まあまあそれは聞いたところでは
隠れてやってるかもしれないし まあとにかく診断時にはそこら辺は分かりませんよ
知能検査では測れない知能もあるなんて言われてますけど まあそれは置いといてでもまあ一応ねそういうことでもありますし
知能検査では偏りがなくても その他の部分で偏りはあるかもしれないし
あと運動の能力とか 全部見るわけにはいきませんよね
一般化の問題点
どの程度マクロな視点 どの程度ミクロな視点で見るかによっても偏りはあると言っていいのか だから知能検査でもそうなんですが
言語性IQと近く 動作性IQの偏りは
ないかもしれないけれども
もっと細かく見ていくと偏りはあるとか その逆もしっかりで
でそこでですよ だから
健常者でもね
考えてみてください あの
何かしら苦手な部分はあると思うんですよ でも一つあったら
他の部分でも偏りはあるかどうかなんて分かんないですよね
さっきの話戻りますけど じゃあ
知能検査をやったから それで脳の中の
どの程度見れてるかなんて分かんないし ほんの一部なのかもしれない
どうしたら同じことなんですよ結局 一部分見てそれで全体
がおかしいって言うわけですから 要はそういうことですからね診断陣もやってることって
そういうことなんですよ だから
こだわりが強くても 人間関係は問題ないかもしれないし
でも柔度の発達障害かもしれないし そこは疑問なんですよクラキュラね
なんかその部分的に 発達障害の何か特性があれば
もう全部が全部語りがあるだろうと考えてしまうわけだけど
だからこそ発達障害はこういう特性があって こういう特性があるって言えるわけですよ
そうするしかないのも分かるんだけど どうでしょうかねおかしいと思いません
疑問に思いませんかね 知能検査をしたって知能の偏りがあるって分かるだけで
それで発達障害がどうかな なんて全然分かんないと思うんですよ
それで人間関係が苦手かこだわりが強くなんて そこからは見て取れないと思うんですけどね
それはまあしょうないとしても診断時に
あの発達障害あるあるというかな発達障害の
他の人の状態とか聞いても 自分が当てはまるかどうかなんて
発達障害という診断が降りた以降でもね 全く分かんないってわけですつまりこれは
そういうことなんですよ 発達障害だとなれば
ああいろんなとこ偏りがあるんだなって考えるのは安易だと思うんですよね
まとめて話すとどういうことかっていうと
一般化してしまってるわけですね一部分の偏りを 一般化して考えてしまってる
だから発達障害について語られる時 こういう人はみんなこうだよねみたいに言うんだけど
別にステレオタイプで見てはいけないとか
ステレオタイプがどうかの見方なんかどうかの話ではなくて
一般化してしまうんですね発達障害ってものについて語る時
普通ではないことなんですよねこんな
だからスポーツ選手だったら陽気な人が陽気だろうっていう前提で語るだけなもんですよ
まあそうせざるを得ないんですけどねでもね それではしたっけ