00:00
時は静かに 流れ続けていた
その途中で スマホの充電が97%で止まっていた
それは 記録されることもないはずの小さな揺らぎだった
けれど この番組はそういう揺らぎだけを集めている
現在は夜です。まずですね、音楽の歌詞の話をさせてほしいんですけど
ただ肝心の一番話したいことを忘れたんですけど、思い出してる話します。まずですね
ネガティブなものも
散りばめられている曲のほうが癒されるという人は多いらしい
多いと思うんですよ。ちょっとまず自分が推測してみたのはですね
単に人生楽しいとか明るくいきましょうだけじゃなくて
まあ人間がこうやって弱い部分もあるけれど
でもこうやって考えてると、じゃあその後なんだって話ですよね。 弱い部分もあるけれども
やはりちょっと自分にはその後が、もう続きが想像できないんですよね
まあそれは置いといて
なぜこれは救いになるのかがさっぱり自分には理解できないんですよ
前回話した通りですね 明るい曲が救いになるわけでもなく
ネガティブな部分もある明るい曲が救いになるわけでもなく 自分が思うには
世の中で巷で溢れてる曲とはちょっとずれてる曲が
これが本物だと思えて救いになるのかなと思っていたんですよ
だから10年後は全くまた違う歌詞が救いになるのかもしれないし
ポジティブな曲って距離を感じるんでしょうね
不安とか矛盾とかそういうものを抱えた方が接続しやすいみたいだけど
でもですよ、そんなもう50年以上前から
日本でもそんなポップ数の分野でポジティブなものだけじゃなくて
ネガティブさを含む曲なんてのは
03:05
ありふれてるわけじゃないですか
だとしたら
仮に接続しやすかったとしても
なぜ救いになるのかなと思うんですけど
ただ日本人独特の感覚もあって
ワビサビとかですね
明るいのと暗いのとの揺れのある曲
これクラシックでもですね
割と最近なんですよ
近現代になってドビュッシーという人がそういう手法を取り入れて
それまでは何百年もそんなものがなくてですね
日本人でそういうものが好きなんだけど
実はそれ自体もちょっと理解できないんですよね
完全にただ日本人を否定してるだけなんですけど
今回これに関しては
なんか浅さを感じちゃうんですよね
AでもないBでもない
そのどっちつかずな状態を美徳とするんだけど
ほとんどの場合そうじゃなくて
ワビサビとかじゃなくて中途半端っていうだけっていう場合
特に音楽では多いと思うんですよね
単にインパクトがないだけっていうものが多いと思うし
今自分はこうやってポッドキャストを撮ってて
一番危惧してるのはですね
この番組は
意味なんて持たなくていいんだよとかいうことじゃないんですね
番組名についても考えてるときも
そこは非常に悩ませました
意味なんて無理に持たなくていいんだよというのがメンタルヘルスなんですよ
今話してるネガティブな曲っていうのも
苦しくてもいいです
それでもいいんじゃないかとか
苦しさを否定しなかったり
無理に解決しなくていいよとか
別にその考えを否定するつもりないけど
これも救い以前に単なるメンタルヘルスでしかないですよね
その場しのぎというか
ちょっとした現実逃避にしかならないですよ
これって多分
そんなのに引っかかってしまうんですね
別にいいけど
あとはですね
やっぱり今日も歌番組見てて
本当に若い人から
上の世代もそうだろうけど
06:00
みんな偉いなと思って
すごい歌詞をしっかり見てるんですね
ある人はもう歌詞先行で
歌詞をまず見て
それでいい曲かどうか判断するとか
すごい歌詞をしっかり読み込んでみんな
音楽というより文学として見てるんじゃないかな
なんて思うんですけど
クラシック音楽
だから200年ぐらい前の
ドイツとかフランスもイタリアもあるんですけど
一応というか
今演奏されるものは主にドイツの伝統音楽なんですけど
歌詞なんてないんですよね
やっぱり
今の現代の音楽もやっぱりカラオケで
歌いやすいものが人気出るみたいだし
やっぱり歌えるからっていう意味合いなんですよね
建前的には他の理由もあるんだろうけど
でも随分そっちに肘を置きすぎちゃってるし
あと歌詞書いてる人もですね
そんな簡単に分かられてたまるかって思いもありますよね
そんな簡単に帰結できるような
結論としてこうだと出るようなものでもないだろうし
いろんな解釈できるようなもんだろうし文学だから
だとすれば単純に救いになるとか
こういう人もいるんだ救いになるって
受け取られるのもそれはそれで嫌だろうし
ちなみにですね
そうやって文化っていろいろ
その逆を言ったりそのまた逆を言ったりって
人と違うことをしたから生き物なんだろうけど
明るい曲が巷に溢れてたら今度は暗い曲にしようとか
人と違うことをしてる人とまた違うことをしようとか
結局みんなやってることって同じなんですけど
本物のアバンギャルドとかオルタナティブな人って
一体どういう人かっていうとそれはたぶん遺伝でしょうね
そういうふうにできてるんですよ
なぜ分かるかっていうと自分がそうだからです
こんなの意識してできることなんて1%ぐらいなんですよ
普通は気づいたら王道の道に戻ってしまうんですよ
09:06
やっぱり人間って孤独感があるとやっぱり不安になるんですよね
群れたい生き物なんですよ
あと忘れがちだけど歌ってる人が歌詞書いてるとは限らないし
あと作曲家じゃなくて作詞家の方が有名になる曲とかもあるんですよ
これもなんかよく分からないんですけど
あとやっぱり自分はすごい浅いと思うし
ネガティブな部分があれば信用できるってすごい浅いと思うし
だからですね
でもその暗さの中に美しさとかがある曲が破壊引っ張るのではなくて救いになるらしいんですけど
自分はですね以前思ったことがあるんですよ
どことどんどこまで突き落とす曲の方が信用できるなと思ったことあります
あとはもうハルララなどこまでもバカみたいに明るい曲の方がかえって
さっき言ったようになんか信頼できるかなって
多少は信頼できるかなと思いました
では次の話ですが
感情って分配されるのかなってちょっと今日考えてます
例えば人間
体二つあるわけじゃないから
同時にできることにも限界があってだから
24時間って限られてくるって感覚はありますよね
じゃあ感情もその分配されてしまうのか
例えば趣味を二つ持ったら時間を割く
って意味では分配せざるを得ないけど
じゃあ感情ってのは100100にならないのか
5050になってしまうのか
っていうことですよね
でも時間を割くわけですよ
いずれにもってことは結果的に
どうしてもしょうがないんですかね感情も
まあこれも一番おかしなことだと思うんですけど
12:01
現実的に時間に制約を受けてしまう
これで似たことがちょうど今思い出して
不思議とこれに通じることがあると思うんですけど
明らかにAとBという方法があって
明らかにAという方法が
Eに決まってるとなっても
じゃあ現実的にBにはBの方がいいっていう場合ってあるんですよね
それはもうこの世界の物理的な構造から言って
確かにAの方がいいんだけど
Aの方が一見合理的なんだけど
どう考えても合理的なんだけど
実際この世界でそれを実際やろうとしたら
Bの方が正しいんだみたいになることってあると思うんですよ
ちょっと英語の発音のことで考えててですね
自分のこれは空想なんだけど
明らかにこっちの方がこっちの発音でいいんだけど
ただ相手に聞こえさせるっていう分からせるためには
逆にこっちの方が
AでなくてBという方法の方が
楽になってしまう
相手に分からせる聞こえさせるということ
その条件が加わった以上
逆にAの方が負担になってしまうみたいな
そういう不思議なことって起こり得るんですよね
で何でしたっけ
話戻りますけど
感情
快感か不快感でも違うでしょうね
楽しみは分配せざるを得ない
不快な感情
例えば痛覚
体のどっか痛くて
別の場所痛くなったら
元の場所痛くならないかっていうと
そんなことないんですよね
あと何か辛いことが起きて
別の辛いことが起きたら
前の辛いことを忘れちゃうなんてことないですよね
辛さは2倍になりますよね
不快な感情ってどこまでも続くし
どこまでも増えていくし
しょうないんですよ
じゃないと
この死は残ることができなかったわけですから
そうやって人類は生存してきたからしょうないですよね
いくら嘆いたって
では次の話ですが
宗教の教祖はちょっと置いといて
この人たちは相手にするだけ無駄だから置いといて
15:02
庶民というか大衆に関してですね
やっぱりどっかに
真実真理があると思ってません
自分からしてみたら宗教辞めてから
もしかしたら宗教やってるときもそうだったかもしれない
これが本物だとか
宗教やってるときからですね
これが本物だとかこれが真理だとか
って感覚やっぱりなかったですね
だからそういうものを追い求めてる
世の中の人が不思議でしょうないんですよ
不思議でしょうないというか自分の中では
こういうものが真理であり
そこに少しでも近づいて生きるという感覚が一切ないんですよね
ある程度C分別があるとなら
それぐらい果たしになる前に
もう分かるんじゃないのかななんて思ってしまうぐらい
本当はみんな分かってるんじゃないのと思ってしまうぐらい
当たり前なんですよ
これやっておけば絶対いいとかこれが絶対だとか
自分にとって当たり前すぎて考えたことないんですけど
ただですね世間の人はなんでそういうものがあると思ってしまうのかと考えたら
まずですね
考えるべきはですね
まず世間の人は生きる理由ですよね求めるわけですけど
もちろんそんなものはないんですけどそれ以前にですよ
あるかないかとは別に世間の人が求めてるのって
自分でも何を求めてるのかよく分からずに
求めてるだから目的を探すために
目的地に向かってるみたいな状態なんですね
目的地もよく分からずに
でもとりあえず出発するしかなくて
目的地に向かってると思い込んでるような状態とも言えますよね
あと哲学者が考えるほうとか宗教者が言うような
そんな高尚な意味合いで多分世間の人は生きる理由なんか求めてないですね
もっと都合のいいものを多分探してますよね
とにかくこれを信じていればなんとかなるとか
でもどっかで正解が書かれると思うんですよ
どっか正解を求めてるような感覚
18:03
以前より良くなってるとか成長したとか
もっとより良くできるとか
自分もそれはあるんですけどゲーム感覚っていうか
あくまでフィクションとしてより良くしていこうっていうのはあるけども
本気では思ってないんですよ
世の中の人は
ずいぶんまた距離多いと言い方になってしまうけど世の中の人はですね
どっかその正解を求めてながら
でも正解がないのも
分かってるのか分かってないのか分からないけれども
正解に向かっていながら都合よく
そんなことも忘れてまた別の
正解があるかのようにまた別の方向に行ってっていう
それを繰り返したり
だから急に正解というものを作ったかと思ったらそれをあえてなくしてしまったり
また新たな正解があると思ってそこにどっかまた別の方向に
目的地をという現象を作っていったり
そんな感じも見え切られるし
そもそも絶対なものなんてものはないっていうのは
現代人であれば知ってるべきであって
そんなこれが目的地になるみたいなものはないんですよ
急動心というよりは
自分の都合のいい生きる理由を作りたいっていう感覚に近いのかもしれないですね
あと
高尚な修行僧でさえそんなもの見つけた人一人もいないのに
こんな俗世間の人が見つけられるわけがないってなぜ気づかないのかなと思うんですけど
そもそも生きる理由
あったとしても人間の頭で理解できないし
なんで他の動物には生きる理由がないのに
人間だけあると特別視できるのかさっぱり理解できないし
では次の話です
普通ですね自己啓発とかさっき言ったメンタルヘルスもそうだろうけど
ニヒリリズムとかってですね
内部を浄化する方向に行くんですよ
執着を手放しましょうとか
でも自分はですね
基本的なスタンスとしては物語は発生してしまう
幻想を抱いてしまう自分を保とうとしてしまう
脳の仕組みだから消えないっていう感覚なんですね
21:01
ただそこに決定権を与えない
あとですねどうでもいいっていうのが虚無感だと思ってる人
ニヒリリズムだと思ってる人多いと思うんですよ
でも以前NHKでもそういう風に言ってて
どうも違和感を持ったんですよ
ニーチェのニヒリリズムってそうじゃないって自分はずっと思ってたんですよ
別にそんな難しい話じゃないんで安心してほしいんですけど
どうでもいいっていうのはニヒリリズムとは決定的に違うんですよ
明確な違いがあります
どうでもいいっていうのは投げやりだし無関心だし
思考を放棄してしまってる
自分のエネルギーが割きたくない状態なんですね
あと興味がないとか省エネをしてるとき
ニヒリリズムってのは世界は存在に絶対的にあったり客観的な意味もないっていう
価値なんて最初から存在しないっていう
多分自身を見てもそういう風に乗っていたはずなんですよね
あとどうでもいいっていう場合は
例えばカレーとラーメンどっちがいいって言って
どっちでもいいよっていう場合
無関心であまり興味ない感じ
あと学生時代いましたね
小学生の時もいましたよ
車に構えてるやつ
別に興味ないしどっちでもいいしみたいに
そういう場合でも使いますね
さっき言った無関心のよりはニヒリリに近いんだろうけど
ただこの人たちも実際は普通に価値判断してるんだろうし
ちょっとカッコつけてるだけですからね
あとはどっちでもいいっていう場合は許可を表してる場合もあるんですね
どっちでもいいですよっていう
どっちも別に禁止してませんよっていうことで
使う場合もあるし
一見するとネウトラルな感じしますよね
どっちかに偏ってない
でも同等の価値しかないんだという
かなり強固な価値判断をしてるわけですよ
あとは普通AとBと比較しますよね
人間で比較するようにできてるんだけど
断固として等価値ですよと
それってそこまで強くこれは等価値なんだっていうのって結局
そうやって決めつけてるつまり価値判断
以上の何かを感じますよね
あとは自分はそんなにこだわってないんだ
小さな違いしか何も見えないんだっていう
24:04
社に構えた握り手って結構ありそうですね
そうやって格好つけてる人は多いかもしれないです
あとはやっぱり道徳心
ニーチェはこの道徳心を否定してるんですけど
偏ってないですよっていう
正義感の現れだったりもするんですよね
でもどっちでもいいって言ってる時点で価値判断してるんですよ
あとでは差別をしないってこと
AとBは
差異を気にしないっていうことは
これとはまた別なんですよね
全く同じように見るってこと
そんなこと不可能
そんな気もするし
こうやって俗世間の中で生まれて生きてたら
難しいとは思いますね
だってやっぱり価値観ってものがどうしても
自分に毎日押し寄せてくるわけですから
なだれのようにくるわけですからいろんな価値観が
常にそうやって価値観が毎日変化してて
とうとうに全く同じように見るって難しいですよね
ややもすると等価値なものなんだという
ジャッジにしかならないだろうし
さっきの話にも通ずるところなんですけど
何か不安があったり
もちろん絶望した時とかは
これが原因だとか
っていう風にそれを結論として行動するわけですけど
自分はなるべくそれは単なる一つの状態でしかないと思って
それを全く採用しないんですね
受け流すような状態
もちろん以前はそこに結論付けて着地していました
そういうのが楽ですから
どんな状況であろうとそれは絶望してる時であろうと
希望があろうと
その状態にやっぱり着地したいんですよね
これが原因だとか
こういうことなんだと
これはこういうことなんだと決めつけた方が
とにかく楽なんですよ
では次の話ですが
監督の暴力娘にふるった事件についてですね
いや娘さんはもうトランマだからですね
27:04
多分親のことも信用できないんですよ
拒絶反応もあるだろうし
これ反射的なことだからしょうがないですよ
条件反射的に拒絶してしまうし
そう考えると
父親としても辛いだろうし娘としても辛いだろうし
だから人生って取り返しつかないことがあるからこそ
生き地獄だなって改めて感じてました
あとですね季節の変わり目
窓を開けようと思って
隣の部屋窓を開けようとして
隣の部屋は自分の部屋じゃないんで
親に開けてもらうために話して
それもいつもややこしい話になるんで
でも今日開けることにして
でも結局よくあることなんですけど
やっぱり開けるのやめて
だから確認作業台無しになって
で前回話したように
お茶はもう朝出してもらってなかったんだけど
出すようにして
でも結局またちょっと予定が変わりそうになって
汗かかなくても汗かかないかもしれないとなり
またそれでも戸惑い
やっぱりこの時期はですね
非常にストレスですねそこら辺
非常に考えながらやってはいるんですけど
そういう思いもよらぬ変化があるわけですよ
まあそれも大体予想済みではあるんですけどね
では今日の夕食の話ですか
あれはユウリンチですね
ユウリンチなんだけどタルタルソースとかではなくて
なんか赤いの乗っかってたけど味は全くしなかったな
でいつも通り衣だけ食べて肉だけ食べて
失敗したなと思いながら
最後までそうやって食べてしまいました
あとはですね
糸こんにゃくにタラコ和えたやつ
あれはセイコーマットのですね
セイコーマットのこれ美味しいんですよ
うちで作ったのとは全く別な感じで割と甘いかな
揚げも入ってて
では次ですが
いや急に熱が出ることがあって
熱ってのは興味関心ですよね
それ以外ないですよね
熱が出ることなんてのは
少なくとも自分に関しては熱が出るといえば
興味があったりなんですけど
たまに爆発的に興味が出る
30:01
そんなことがあってですね
今日は湯遊びのライブ映像をちょっと見てたら
まず自分は意外性があるものに惹かれるし
意外性のあるものなんてそんなないんですけど
今日は色々フックになることがあって
一体このボーカルの人は一体何なんだと
気になる点あって
調べたら別に特に興味は湧かなかったですけど
ただ今日何回もいくつか動画を見てしまいましたね
たまに熱が出ることがあるんですよ
あとですね
自分が将来入院したら
そんな人と関わらないだろうけど
それでもですね
自分のやってきたルーティンが
全て崩れてしまうような
そんな夢ではなくて
これ空想なんですけど
そんなことも過去にはあったし
ありえなくもないなと思って考えてました
そうなったらどうやって自分を保てばいいのか
分かんないですよね
あと今日また似てる顔の人いて
今調べてたんだけど分かんなかったんですけど
その人沖縄出身かなと思ったんですよね
したら間違ってたんですよ
なんで沖縄出身だと思ったのか
さっき分かりました
沖縄出身のある歌手に似てたんですよ
そっから沖縄ってことに直接結びついたんですね
あと英語の発音を勉強してるとですね
イントネーションのこととかも
に対して以前より敏感なのか
関西人の成長なのか
発声法なのか
やっぱり共通してるのはあるなって思って
したらうちの親が
北海道の人独特の
そういうのもあって
それに気づいてるらしくて
だからうちらが無意識に身につけてる
標準語とは違う何かあるんでしょうね
あとですね
今日もまたラジオを弾いてて
なぜかあるパーソナリティのラジオが
眠たくなって寝ちゃうんですけど
でも夜ポッドキャスト寝てしまうのは
聞き直せるからっていうのもあるけど
33:00
あんまり何ともないこともあって
優先順位なぜかバグってしまってるなと思いました
間違いなくその優先順位
間違ってるんですよ
少なくともどっちも
同じくらいちゃんと聞いた方がいいはずなのに
うーん
まあでも
そうやって昼間聞いてるラジオとか動画に
どうしてここまで意味を感じれるのか
と思うけど
ただ自分が問題視してるその意味を感じるってのと違って
長年続けてるとですね
あんまり虚無感に襲われなくなるんですよね
まあちょっとでもそれ自体はどうなのかな
本当はいいことでもないのかななんて
今ちょっとヒヤッとしましたけど
あとですね
高校時代の部活の先輩
先輩たち仲いいから
受験中も会ってたのかなとか
もちろん図書館に来てくれた時も
以前話しましたけどそのことも思い出したり
卒業後も会ってたのかなとかそんな空想
また昼食の時してしまいましたね
最近は昼食
夏バテでも食べる時ですよね苦しくて
だから早く終わってほしいってことばっかり考えたら全然
集中して食べれないんですよね
まあでもこればっかりはしょうがないんですよ
今日は夜中です
撮っております
なぜ自分はこんな心理とか
絶対ってものがないと
思いたいっていう
感じてるのかなと思って
なんでそこまでそう思いたいのか
考えてみたんですけど
別にどっちであっても別に自分にとって関係ないし
なくたって別に
そう主張してても
実際メリットがあるかっていうと
なくても別にメリットなんかないんですよね
なんでこんな主張してるかっていうと
単純にその考えを受け入れられたいっていうのと
あとはやっぱり宗教やってた経験からいって
そんなものないってわかるからこそ
それを単純にその思いを知ってほしいっていうことは
36:07
別に伝えるっていう言い方したらおこがましいんですけど
単純にその思いを主張したいっていう
そういう欲求なんだと思いますね
あとブッダもそういうことを言ってるとは別に思わなく
でもブッダの言ってることは大事にしてたんですけど
不思議なもので
ブッダの教えも絶対否定してるわけですよ
固定できるものってないっていうことですから
あと自分は虚無主義っていうのとも違って
何なのかっていうと
やっぱり以前からあっきりしてるのは
解釈した後に
これが結論だと
いいもの出さない
結論づけない
だからポッドキャストで話してることも
結論がないんですよね
結論というのはつまり
人間っていうのはこういうふうにできてるから
生活しててこういうふうにいきましょうとか
ですね
そういうものはないんですよね
そんなことは意識はしてないんですけど
ただ
結論づけるのも大事だけどかといって
結論づけて何の意味もあるとは思わないんですよ
そんな普遍的でないことを
あたかもそれが真相真理のように
いうことのバカバカしさだったら
ありゃしないと思ってるんで
すぐ反論がばれるような事象ってあんまり
主張したくないんですよ
かといって真相真理があるという
思ってはいないんですけど
では次の話ですが井上信子さんという歌手
歌手を今日ちょっと知って
で
プロフィール見てみたら
小学生の時から歌ってて
まあずいぶんやけに衝撃を受けてました
それでそこからだから
20年近く曲書いて
まだ若いんですけど
あとですね今日
39:00
トイレ降りて2階あがって
で親が外に出ようとしてるから
一人で電気消してなんか
ちゃんとすぐ寝たか監視されてるような感じもして
すぐ外に出るから
そんなことはもちろんないだろうし
でそこからベッド向かったせいで
いつもと違う経路を取ってしまいだから
それで色々不安になることもあり
それで10分近く考えてしまってたかもしれないです
はい現在朝です
ちょっと気づいたことあってまとまった話ではないんですけど
まとまった話なんかいつもしてないですけど
まず食事中ですねこの前話したのは
これ皿置くときの話なんですけど
頭の中に空白を作ることによって
次の行動にエネルギーをかけられるって前話しました
逆にいつも通りでいけば
そこまで意識はそんなにはしてない
仕事をしっかり意識することによって
その後の行動に影響が出るんですよ
その後の行動に今度は空白が出てきてしまうんですね
人間ってうまくできてると言えばできてるし
できてないと言えばできてないというか
つまり本来であれば失敗するところを
かなり注意することによって
本来失敗するはずのものを防ぐことってできるんだけど
できたとしてもその後の行動に悪い気が出てしまうってやっぱり思いましたね
あとですね最近暑い日が続いて
それをするとですね
しんどいのに体が慣れてるせいなのか
精神的にも慣れてるのか
昨日はだから夕方英語を書いとって
お腹もずっと番組名考えたり
それが苦にならないんですよね
だからもうそっちにしんどいのに慣れちゃってくるから
逆に何もしないと違和感があるっていう状態
そういう人っていると思うんですよ
何もしないと不安になってしまうみたいな
普段充実してるからたぶんぽっかり穴が空いた感じになってしまうんですよね
だからスポーツ選手とか引退した後どうなっちゃうんだろうと思うけど
あとですねちょっと考えてたんです
不安になる時とか
42:05
今度は精神的にちょっと辛い状況に置かれてる時はですね
暑かったり寒かったり肉体的にも辛い状況に置かれたら
辛さは倍増するし嫌なんですけど
ただですね
じゃあその肉体的な辛さから抜け出した後
ああ間違えました
肉体的な辛さがあるからこそ
その精神的な辛さ
例えば将来の不安とかそういうのは消えないにしても
この暑さからはいずれ抜け出せるっていう
そうですね
希望なんか持たないと言っときながら
まあちょっとした希望になってるんですよね
まあ希望っていうほどのことではないんですけど
では次の話ですが
人生に意味があるというのも物語だし
意味がないっていうのも結局物語
つまり生きてる間
人間が考えていること全て
科学も含め物語でしかないんだろうな
なんていう風に思うこともあるんですよ
じゃあ結局自分はどうやって生きていけばいいのか
物語に縋るわけでもいかないし
自分はそこでだから
意味があろうとなかろうと
それと自分の生活手順は
全く無関係だと捉えていますね
捉えてるって言うと違うか
その無関係なものとして行動してますね
では次の話ですが
仏陀はですね
またこれも違うんですよ仏陀はですね
価値判断に執着しないってことなんですね
つまり価値判断を人間はしてしまうけども
なるべくそこに留まらないようにしようっていう
自分は非常に共感できるんですよこの考え方
なぜかというとですね
良い悪いとか同じとか違うとか
どっちでもいいとかそれは全部脳が生成したものでしかないと思ってるからですね
仏陀は心をそんなことに振り回されてはいけないっていう考えで
素晴らしい考えだと思います
あとですね
自分は意味を感じてないのになぜここまで生きてきたのか
ちょっと考えてみました
人間って意味を感じないと
行動できないし
意味を求めてしまうし生きてることに
ただですね
45:00
意味を感じる以前に呼吸をしてるし心臓も動いてるし
つまり生きてる人間が後から意味を作ってる
っていう方が生物学的には正しいんですよ
意味があるから生きてるわけじゃない
意味があるからその後に生きるってことがついてくるってわけじゃないってことです
そもそも生きてるからこうやって意味を考えてしまうってことですよね
これはですね
全ての人類共通してですよ
自分のちょっとおかしいところは
普通意味がないってなったら絶望に行くかそれでも生きようっていう物語に向かうんですよ
自分はその両方疑ってますね
ちょっと何でか忘れたんですけど
こういうふうに考えてると最終的にですね
無意識のうちにミニマリストになるんですよ
生活していくために本当に必要最低限のことだけに
しかもそれにエネルギーを全てかけるような生活になっていくんですね
長年かけて
だからミニマリストっていうことを番組名にしようとしたぐらい
自然と削れていくんですよ
不要なものが
なぜキリストが定神が残るかっていうと不思議なんですよね
確かに寝る食べるとか歯を磨くとかは
人生の意味なんか感じなくても続くけど
それ以外のこともやってるわけですよ
例えばホットキャストを撮るとか
別に生きていくために必要でないこともやってるわけですよね
しかも自堕落に続けてることでもないんですよ生活の一つ一つ
でも前お伝えした通りこれをしたら崩壊に向かっていく
崩壊ってのはやっぱり生物である以上
体調を崩すとか
もう動けなくなるとか
そういう方向に向かわないような手順なんでしょうね
結果的なことでいうと
普通なら寝たきりになったり
自分も必要最低限だから
自堕落というよりはストイックなんですよ
なんとなく自堕落に歯を磨くとか
それ一つとってもそうなる可能性はあるんですけどそうじゃない
何を言いたいかというと歯を磨きさえすれば
それは必要最低限の行動にはなってますよね生きていくために
でも崩れやすさとは何か
ということで試作選択した結果起立
とか今の手順ですね
48:01
ストイックな手順になってたんでしょうねやっぱり
あとそうやって生物として崩れない
ある程度の正常な状態を保つっていうのが自分にとって
多少は意味を感じれたんですよね
だから崩れないか崩れるかっていうことが基準になってたわけです
本当に何だろう
本当に必要最低限のことにしか意味を感じれなくなったってことです
これやってもやらなくてもいいっていうようなことには
あまり意味を感じれなくなったってことですね
これだけは生きていくために
必要と言わざるを得ないだろうっていうものを
探っていった結果なんでしょうね
次の自分の疑問がですね
これは常にあるんですけど
じゃあなぜ救いに走ったり
逆に絶望に行かなかったのか
他の人も分かっていると思うんですよ
そんな物語でしかないと
でもそうすると終わらないわけじゃないですか
自分もそうすると終わらないはずなのに
なぜその方向に行かなかったか
正確に言うとその方に行けなかったか
っていうとですね
だからこれは本当はもうただの物語なんじゃないかっていう
そこで普通であれば
幻想でも別にいいじゃないかってなると
そこに非常に執着するこの執着心
と言ってしまえば
シンプルで綺麗なもんだけど
あとはそれと宗教
長年いたっていうことですよね
20年いて
これは絶対的な世界ですから
その構図が崩れて
新しい物語を作ることに
すごい警戒心を持ってたんですよね
とはいっても他の宗教信者でも
必ず宗教やってたからこそ救いに行くはずなんですけど
絶望しかけて
でもそれでも生きようと思ったことが
もしかしたらあったかもしれないし
基本的になんですよ
なぜかというと
それでも生きようってするときって希望を持ってるからですね
やっぱり希望の裏返しは絶望だってことが分かってるから
今ここで希望を持ってはいけないなって分かってるんですよ
これはもう
こういう生き方が素晴らしいからとか
誰のためでもないし
自分のためでもないし
とにかく
そうなったんですね
それしか崩れる
崩れるのを防ぐ方法がなかったんですよ
でも基本的に切な的じゃないんでしょうね
この切な的かどうかって判断は難しいんですけど
別に切な的なのが悪いとか全く思ってないんだけど
51:03
今とりあえず救われようって普通しますよね
反射的に
そういうことなんだと思います
切な的でないっていうのは
でも壊れないとは言ったけど
別に呼吸もできて食事も取れられれば
それ以外のこと何もやらなくてもいいはずじゃないですかね
本当は
別に規律正しく生きなくても
手順通り生きなくても
生きてれば自暴自棄になったって
人生どうでもいいってなったって
生きれてればそれでいいはずですよね
そこが自分の凶器なとこですね
あとですね
まあ教学性障害と言ってしまえば単純な話なんですが
今日もありました
うちの親が朝お茶を出すのを忘れて
いろいろ確認作業があるんですよ
本来ある形でないはずのことが起きると
その変化により
病気もしないことが起きる可能性があるから
いろいろ確認作業をするんですよ
この前の物理現象に対して
どうしてここまで執着するかというと
執着してるってことも
ちょっとあまり最近意識できてなかったけど
その虚無の中に座っていると
もう腐食されるからですね
だから目の前にあることに
本気になり
細部まで目を凝らしてみることによって
なぜか輪郭を保てているんでしょうね
こういう遺伝的にこういう性格だった
真面目ではないにしろ
そういうストイックにできてるっていう風に
DNAに組み込まれてるっていうのが
まず一つの理由だろうし
まずその理由を話しする前に
結局はその不快感を避けるって意味では
物語を信じていいよと言いなかろうと
結局それは
この動物である人間のこの脳が
やってる行いであり
そんな差分はないと
言えてしまうあたりが
なかなか通列に皮肉な感じがしますが
ああでも
じゃあその虚無感に襲われないために
とは言うものの
さっき言った物理的な事象に
目を凝らしている
ことでなぜ
精神は内側から腐食されるのを防げるのかというと
これは自分の感覚的なことなんですけど
そうすることによって
なぜ生きてるんだとか
意味がないとか
54:02
っていう方向に意識がやっぱり行かないんでしょうね
これは当たり前なんですけど
ちょっと今そういうことなんだなって
ちょっと気づいた瞬間がありましたね
なるほどと思っちゃって
じゃあ次いきますけど
自分を自棄になったって
別に生きていけるんですよ
ただ
感情に多分自分が乗っ取られますね
コントロールできなくなりますね
どうでもいいってなったら
相当つきますね
コントロールできないんですよ
あとですね
生活に規律をなくして
ルルティをなくしてしまうと
余計な思考でオーバーヒートしてしまうんですよ
いわゆる脅迫性障害ですね
以前そうだったからこそ
やっぱり
脅迫観念が出ないように
脅迫的に行動するっていう
なんとも言えない
パラドックスですけど
そんなことは知りません
そうなってしまうんだから
だからネタ気になってしまったり
自分を自棄になっている間は
いろんな侵入思考とか脳のバグで
次々と流れてくる状態
だからですねつまり
もうちょっと体調が悪かったり
でネタ切りになるのは多分問題ないんですよ
こうやって規律正しく生活できるにもかかわらず
それを自分の精神の揺れに乗っ取られて
そうしてしまうと
いろんな侵入思考とか出てきてしまう
だから分かりやすいのが
筋トレした後にボーッとしている状態って
サウナに入っている人が整うって言うけど
なんかそんな感じなんでしょうな
あまり問題じゃないんですよそういう時って
だから脅迫観念とか出てこないんですよ
筋トレした後ボーッとしてても
脅迫観念出てる時って緊張感がある時ですね
緊張感がある時
ボーッとしている時は大丈夫なんだよな
リラックスしている時とも
そういう動物としての本能なんですよね
後悔神経有意な時に
そういう侵入思考に乗っ取られそうになるんですね
自分の感情と思考って連動しているんですよ
自分の手順によってルーティンによって
そういった雑念がなくなるってことですね
雑念雑音に侵食されないってことですね
57:03
だからスポーツ選手でイチローなんかもですね
やっぱり不安な感じになりますよ
バットボックスに立ったらデッドボールを蹴るかもしれないし
ヒット打てないかもしれない
だからやって脅迫的にルーティンするんですよ
他の選手もそうですよ
ルーティンする選手多いですね
他の人はなぜそれなのに自暴自棄を選ぶかというと
これはだから多分
ビール タバコとかお酒なんか
依存症になって大変なのになぜやるんだみたいな問いに
繋がるんでしょうねこれ
自暴自棄ってのは絶望感がくるものですよね
そこに浸ることによって快楽があるんですよ
悲劇の主人公になれるから
あとこの世界ってなんでこんな風になってるんだとか
嘆いたりするのって
未練があるんですよ
この世界に救いとか意味があってほしいっていう思いがあるからなんですよ
そう考えると
もとかのもとかれのもとかれもとかのの
悪口言ってる人って
未練があるんですかね
話は戻ります
あとですね
絶望感に浸ってる人も
虚無を凝視してるんですよ
でもそれはなぜ意味がないんだとパニックってる状態
自分はですね
かっかりしたりもしないし怒ってもいないし
見てるそういう意味で凝視してるという
例えで