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2024-07-23 09:48

第289回 食事中 集中して食べるということを10年以上続けた結果、修行僧でもないのに色々と悟ってしまったという話

  1. 今日も腹痛で下痢の話と自己啓発ビジネス書を一切信じなくなって、自分なりに生きるようになった話。
  2. 恒例の食事中に瞑想もしていないのに悟ってしまったという話。
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食事中 集中して食べるということを10年以上続けた結果、修行僧でもないのに色々と悟ってしまったという話がテーマ。
今日も腹痛で下痢の話と、自己啓発ビジネス症で書かれていたことを一切信じなくなって自分なりに生きるようになった話と、
高齢の食事中に瞑想もしていないのに悟ってしまったという話が概要。
何度も話が来ていますが、62回下痢の後、6日間便秘、その後、血便が出て、その後、下痢をして、次の日ですね、また次の日も下痢をして、
血便の次の日が1日3回下痢して、次の日また下痢して、次の日また下痢して、1日おいて、また今日ね、腹痛で何時間も、
いつもは腹痛の後1時間か2時間でどんな遅くてもそれでも出るんだけど、3日前からの時も同じなんだけど、
今日もね、ギリギリ上に2階に行くっていうタイミング5時頃だから、やっと下痢をして、腹痛の治ったけども、
あとは言ってもね、また次にいつ出るか分からないしね、最近なんか深夜に出ることもあるし、
次の話題なんですけども、以前ね、高校時代はビジネス書とか自動啓発本とか読んで勉強するにしてもね、勉強するときなんかは、
いかに合理的にいかに正しい記憶法でって考えてたんだけどもね、いつからかね、今となってはそんなの全く気にしないでね、
っていう風になったのは今となっては当然なんだけども、でもこれいつからなのかなと思ったんだけども、思い出せないんですよ。
最近こういうこと多いですね。でもちゃんと考えてね、そういうのは今まで生きてきたつもりなんだけども、だから忘れてるだけだと思うんだけどもね。
いやだからね、そういうのってメモしたりとかいいですね。何か考え方が大きく変わった時って。どうしてそういった考え方になったのか。
たぶんイヒリズムになった時と時系列でいうと重なっていて、あと経験的にね、そういう効率を求めて何かをやると大変なことになると。
優柔不断な性格であったりね、ああいういろんな情報を得てね、そこから自分に合うようにっていう風にできないし、そもそもね、何か目標を立ててね、
ビジネス書ってそういうの書いてるじゃないですか。何か大きな目標を立てて、それに向かってスモールステップでみたいにね、計画を立ててみたいな。計画の立て方っていうのも相当たくさんありますよね。
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アプリでもね、そういうあるみたいなんですよ。いかに時間を効率的に使うかっていう。
まあフォトキャスター紹介してたんだけど、そういう話聞くとめんどくさいですね。自分なんかね、学生時代、勉強本の本読んでると、それ読んでる時間勉強したらどうだって言われてたんだけど、分かってねえなと思ったんだけどね。
今ではね、その話聞くと、そう言いたくなっちゃいますね。そのエネルギーを他の本に使えばどうなんだと。
まあそれをうまく使いこなせる人はいいけど、まあ自分はそういうのは無理だってある時分かったんですよね。
食事中なんだけどもね、こうやって振り返ってみると相当いろんなことに気づいたなと思うんだけども、同じ意識でいるとね、まず一つ目として、慣れが出てくるんだよね。
同じ意識というか、こういう味に集中しようと。慣れが出てくるんだよね。
それは例えば違う食べ物を食べたとしてもね。だからやっぱりその、これまさに修行師でもないのに悟ったことでね、別に悟りたくもないのに。
あの、諸行無常ということがこれでわかるわけですよ。やっぱり荒いものは変化してるっていうかね。
人間の脳のその認識する、一つの大切なものを認識することを一つとってもやっぱり変化してるわけですよ。
あとはその変化を変化してると認識できない場合がほとんどなんでしょうけどね。
この物理空間であるものは荒いものが変化してるわけですね。
もっと抽象的な意味でブッダは言ってるんだけども、まあそういうことなんですよね。
じゃあそうするじゃないですか。
食べるときに、最初はこういう風にしてたけども、こういう風に、次はこういう風にしようと慣れが出てくるんだよね。
そしたら、それをその日、そのね、例えば中食なら中食のその時にその食べ方をし始めたのだっていうわけじゃないわけですよね。
それを前の日もその前の日もその前の日も、まあというかこの場合はその前の朝食ってことですよね。
彼は前の日ぐらいかな。
してると今度はその慣れを作らないためにやっているっていう、それに慣れが出てくるわけですよ。
これ別にこじらせてるわけじゃなくてね。やっぱりそういう風に人間ってできてるわけですよね。
っていうことに気づいたり、あとはね、これ禅定とか瞑想してる人にも言えることなんだけども、
まあ集中するっていう点で同じことなんでね。
まあ宗教的な意味合いではいろいろ違うんだろうけども、生物学的にも同じことをしてるんでね、集中するっていう。
で、いかに集中するかっていうときに考えるときに、やっぱり集中しようっていう意識がね、大事なんだけども。
でもね、集中しようって考えてるときって、これ心理学でも言われてることだけども、やっぱり集中してないわけですよね。
これは勉強してたりしてもわかる人いると思いますね。
集中しなきゃ集中しなきゃって言ってる状態のときって大抵集中できてないですよね。
そういうことなんですよ。
本当に集中してるときってのは、よしまた集中しようとか、今は集中できてないとかね、客観的に自分を見たり、そんなことはできてないはずなんですよ。
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本当に集中してるのであれば。
でもね、集中しようっていう考えがないと、それまでと食事に集中できてない、それまでと変化しようないわけであって。
ってことは、食事中集中するということは、それだけ集中しようって考えてる時間、集中できないけども、その時間の犠牲があってやっと集中できるわけですね。
ある程度は集中する必要、最初のあまりにも集中できないところから、食事中集中できるようにするまでにはその犠牲が必要だけども、
ある程度集中できるようになったら、あとは集中しようと思うがどうだろうが、結局集中できてる総量というかね、全体で言うと同じことなんですよ。
禅教も瞑想も同じですよ。
自分の信仰宗教の中でもね、そういう瞑想したりっていう学びっていうかね、そういうのもあったんだけども、自分でもやっててもわかるんですよね。
いかにも極めてるような、より自分が進化してるような気になってるけども、こんなに人間が集中できるようなんて、限度あるだろうと。
集中しようってすることによってその後の時間は集中できるけども、集中しようって考えてる私は集中できないし、
かといって集中しようって考えなかったら、気づいたらなんか他のこと考えてるし。
常にそのジレンマにあるというかね、これはもうどうにもなんないわけですよ。
常に集中できてるっていう状態には絶対になんないわけですよ。
あとは瞑想と禅教の話でいくとね、
じゃあいつも30分やってますと。
いつも以上に最初15分集中したら、あとの15分はその分集中力が落ちてることになるんですよね。
マラソン選手でいうとね、いつも以上に最初の20キロ速く走ったと。
そしたら後の20キロ間違いなく、その前の日ですね。
その時の練習と比べてどういう変化があるかというと、残り20キロが間違いなく落ちるんですよ。
禅教を瞑想してて、じゃあ30分前の日より集中するってできるかっていうと、できるんですよ。
でもその禅教と瞑想してる、それが終わった後の時間にそれが響いてくるわけですよね。
じゃあ次にその日1日ちゃんと集中してよと、それもできるんですよ。
じゃあ今度は次の日に響いてくるわけですよ。
だからね、結局集中できる層量っていうのは変わんないわけですよ。
ということにも即時中気づきましたね。
瞑想も禅教も修行もしてるわけじゃないけど、
そういうことに修行層が気づくようなことに気づいてしまうっていうね。
まあ何の意味もないけども。
あとはね、少しでもね、なんか足が痒いなとか、なんかいつもと姿勢が違うなとか。
ただね、強悪性障害の自分はね、そっちに効いとられちゃうんですよね。
で、絶対それはダメなんですよ。
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ダメっていうかね、山添強悪性障害の症状なんですよね。
明らかに食事中の集中がそっちに奪われてるわけですよね。
そんな意識しなくてもわざわざ。
でもそれでね、ああ足気になるかもしれないけど、
で、いつも直すわけですよ。自分が納得いくように。
ちょっと足のかかと浮いてるなとか言うときは、ちゃんといつも通りの姿勢になるように。
でもそっちにやっぱりね、意識が行っちゃうんですよね。
ああ、直さなきゃ、直さなきゃって。
かといって直さないと、いつもは直してるのに直してないっていうのと、あと足の違和感で。
だから気にしないっていう癖をつけなきゃいけないわけですね。
それがね、難しいんですよね、自分にとっては。
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