こんな話聞いたことないでしょうか 発達障害の親は
割と似た特性があって 似た性格があって
発達障害である場合は似た特性があるとですね
まあそういう子 そういった似た特性の
子供は発達障害になる 可能性があるらしくてまぁ発達障害
でしかも似てる 子供は発達障害になるあるいは部分的にだけど何か欠落してる
そしてそれが似てる夫婦の子供は 発達障害になる可能性が高いということですね
ただ性の高い人と性の高い人が結婚したら逆に子供は 性が低くなったりっていうから
だからなんかずいぶんやけに頭がいい人 記憶力だけずいぶんあるよなっていう人の子供は
発達障害になったりっていう あるいは知的障害になってるっていう可能性も
今の話でいくとあるんじゃないかなと思うんだけど ちなみにうちの親は
すごい似てる なーってつくづく思いますね最近も
まあ 会話のやりとり変なところとか
性格的にもそうだし 手倉木という発達障害が生まれましたね
では次 歩き方がおかしかったり骨格が変わってたりして
異様な雰囲気をまとっている まあ自分はね違うと思ってるんですよ
ただわかんないですよねただ 昔話し方であったり
あの
何かビデオ見た時かな ビデオ撮っていて
まあビデオ撮った記憶なんてあんまりないんだけど 学芸会ぐらいしか
ただ自分を何か客観的に見る機会があって
こんなに自分で変わってるんだ と思った記憶はあるんですけど
でも今はそこらへんは普通に行動できてると
勘違いしちゃってるけど 周りにね
変わってみられてると思ったらゾッとしますよ だから小学生の時は周りから
言われてたけど 中高に上がりつれてみんなが大人になって
いちいち言うこともなくなって 自分はそんな変わっていないと
言う間違った見た認知になってしまう これって結構問題ですよねまだ周りが
言ってくれるうちにお花だったのかなと かといって直せる問題でもないんだけど
難しいところですよね自己肯定感は まあ中高生の時のまだあったと思うし
鏡見た時ですねやっぱり一番変わってる
道路にある車用のものだけど
鏡見て あ違うねあの
ガラスだ どっかの家のガラス
ガラス窓を見て自分が映ってやっぱり 走り方とか変わってるなぁとか
っていう意識がありましたねでは次 ここからは本題みたいなもんなんですけど
今回一番お伝えしたかったのが
これで学生さん悲惨な目に遭ってきたんだけど
なんでかね一番やる気がありそう そして真面目そうに見られたいんですよね
いや見られたいと 言う自覚はないんだけど
なんでそう思ってるかもわかんないんだけど ただそう思ってた
節はあって 不真面目と思われるのは嫌だったんですよ
そういうふうに分別されたくない ただ
自分に対する 認識ですよね
他と比較して 自分は真面目なはずである
だからそういうふうにする で
でも 例えば宗教のところだと全然
宗教のプロジェクト ボランティアなんだけどそれやってても全然
気の利くいいやつだというふうには見なされないし だから本当に羨ましかったですよそういう人は
気が利くししっかり使えるしっていう人は 仕事やつらどうなってたんだろうなと思いますね
部活自体は 何度かキャラクターでごまかせたんですよ
仏教としてはうまくいかなかったけど まとめれなかったし
これもそうですよ やる気はあるんですけどね なんとかしたいという思いはあるんですよ
学校祭なんかも 先輩に
嫌われたくないし うちの世もそうだけど
とにかく人に
好かれたい 特別扱いをしようし
いいように思われたいそういう思いが強いですから でもねそれに比例しないんですね
自分の能力が これはあるあるだと思います
なぜそう思うかというと
そこらへんしっかりしたい し自分でそう思っている
だけども 能力が伴わないって人が多いからですね
だからまぁ 道で倒れてる人がいて何とか助けたいって思いはしていちばんあるけども
どうしたらいいかわからないで遠くに暮れたりドギマギしてるような状態ですね 普段もね
特に学校祭の時なんか
全然やる気はあるんですよ やる気はあるかどうかは置いといて
興味はないから やる気はないかもしれないけどでも
自分で取り繕ってると思ってるし
何とか奮い立たせてやる気あるようにして 気の利くやつだと思われるようにして
でも 能力が伴わないから
結局先輩に嫌われてしまう やる気のない奴だと思われてしまう
だからやっぱりギャップですよねそこのね
やる気悪いそう だから期待させてしまう
そこなんですよ 期待する奴が悪いと思ったけど
まあ人間である以上しょうがないんだろうね かといって不真面目そうに
それの目立ち やったこともありますよそうやって 期待値を上げないようにって
それはそれで違うんですね やる気が
あるようにさっきも奮い立たせるとか表現したけど
そういうふうに身寄せようとするとすごい演技が大変で でいざという時に
ペースダウンしてしまう 逆の場合カシュー中だし
そこらへんのペース配分できないし 相手は期待してるわけでしょ
でここぞという時に全然 学校生の時とかどうにもならないから
本当に今振り返ってみても 周りはなんであんな風にできてるのかわかんない
でもね自分に対する 自分に言い訳をしてるというか
勉強できればいいんだと こんな学校生のこんな
道具作るのなんてできなくてもいいんじゃないかと 別に将来工作したり
工業関係に進むわけでもないしと思っていましたね でも実験とかも
ダメでしたね やる気はあることは見せたいんですよでもねもう
なんていうかな そこらへんの表現もうまくないですし
いろんなあった障害っていろんな問題が2つに絡み合うんですね 今言ったの
最後言ったの3つぐらい問題がやっぱり重なってますよ
次はですね これもあった障害あるある
内容でして
最近も話したと思うんですが
クラッキーはいろんな人に平等に 接しなきゃいけないっていうところから
だから何だろうな
もちろん正義とか徳とか 道徳とかなんていうのは
変わるのはわかってるんだけど これが絶対なんともならないのはわかってるんだけど
ただですね
まあ世間の人はいくら自分で正義だと思ってても あるいは社会の中でこれが正義だと
言われてるとはわかっててもまあうまくやってるなーって感じだけど クラッキーからしてみたらね
まあそれができないんですね あの
人に対して平等に接する まあこの認識が間違ってるかどうかを置いといて
うーん
クラッキーにとっては これは間違ってるだろうけどでもそれを忠実に
行動に移してるわけですねその
正義を
馬鹿な解釈かもしれないけど まあ人に対して誰に対しても同じように
接する クラッキーはね
こうされた方が嬉しいですけど例えば教師に どの生徒に対しても同じように接する
っていうのはすごいわかりやすくていいですけど まあ教師によってはね
割と仲いい生徒に対してはこうだとか あまり話さない人に対してはこうだとか
そういうのを差別と感じてしまう わけです
まあそれを置いといて
まあこうやってクラッキーは 自分が正しいと思っていること
忠実にやりたいし でも
だとしてもですよ まあこういう正義感が多少あってもですよ
ある程度変化はできると思うんですよでも これ
この考えがもう自分の中では
変わらないもの 変化しないものになってしまう
わけですね あまり固執すぎるのは良くないですよねでも
自分の正義だったり正しいと思っていることに反する行動は
取れない なかなかこの柔道さ伝わらないかもしれないけど
その結果誰に対しても平等に取る 接する
全く同じように接するってことを するかあるいは
まあ他の人と同じようにしようとして今度は失敗するか いずれかですね
で 特にですね誰に対しても同じように接してしまうっていうところなんかは
なんでしょうね臨機応変に こういう人に対してはこう接する
まあ倉木はそうされたくないし
そう
いうふうにしようと思ってもできないですね まあでも
本当の意味では平等さっていうのは 倉木は履き違えてるだけで違うと思ってて
最近理解してるけどもまあ無理でしょうね
誰に対しても同じように接してしまう これ発達障害あるあるですね