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作曲家は皆発達障害?変人作曲家紹介 後編、がテーマです。
今日もよろしくお願いします、倉木 凪です。
前回はモーツァルトの見た目・性格ということで紹介したんですけども、
発達障害の人で聴覚過敏という人が結構多くて、自分もかなりそれが重度なんだけども、
モーツァルトもね、だいぶ音に対しては敏感だったようで、
自分が不快に感じたとこではもういられないし、
あと転換って言ってね、知的障害の人なんかがね、
音なんかに反応して、例えば電話の音にびっくりして倒れたりしまったり、
そういうことがよくモーツァルトはあったみたいで、
ドラマでもそういった場面は描かれてましたね。
モーツァルトの場合は、特に何かあるわけじゃないんだけど急に倒れたり、
発達障害を疑われている異人の一人ではありますね。
でもね、ベートベンとか、あと5chなんか見てて、
一番発達障害の可能性があるって言われてるのは、
ブルックナっていう作曲家。
この人もね、すごい変わっててね、
曲の作り方に対するこだわりもすごい強いし、
普段の行動もね、普通じゃないし、
ベートベンなんかもね、発達障害の可能性はあるんだけども、
朝コーヒー豆を自分で決めたね、
毎日同じ個数のコーヒー豆を使ってコーヒーを入れるようなんですよ。
まあそういうのは脅迫性障害っていう人もいるかもしれないけども、
まあ自分は発達障害だと思うんだけどもね。
まあでもね、作曲家は発達障害の可能性がある人って、
クラシック作曲家で、バッハだったり、
さっき言ったブルックナとか、ブラウスとか、
シューベルトだったり、ショパンであったり、
ワーグナなんかも、自分は話聞いてる限りADHDの可能性が高いんじゃないかと。
ほんとね、ジャイアンみたいな性格なんだよな、あの人って。
まあいろんな作曲家の方勉強してるとね、
モーツァルトは特に変わってるんだけど、
まあほんと作曲家は異常な程、異常な偏りというかね、
性格にある人多いですね。
ブユーデンもみんな持ってるし、すごいの。
まあそういう時代的なこともあるのかもしれないけどね。
そういう変わったところが目立ちやすいし、
そういうものが残ってしまうというかね。
それにしてもね、ほんとに作曲家に関しては、
発達障害の人多いんじゃないかなって思いますね。
もちろん芸術家はね、人と違う作品を生み出さなきゃいけないわけであって、
それ完成がね、完成だったり知能だったりが、
人と違って当然なんだけど、
しかも歴史に残るような作品を作るということはね、
それだけ何かが飛び抜けていれば、
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それだけその分偏りがあるのは当然だとは思ってたけど、
それにしても音楽家に関してはね、
ちょっと変わってる人多いですね。
でもね、バッハだとかね、
モーツァルト・ベートベンが有名っていうことではあるんだけども、
クラシックについて勉強する場所にいるほどね、
いかにベートベンがもう飛び抜けて偉大なのかというのは分からないんですけど、
まあ構成に影響を与えているという意味ではもうダントツでしょうね。
ベートベンなんかは音楽理論にはそこまで精通してない。
だから割と大雑把というかね、
その細かいところで優れているというよりは、
もう誰にも分かりやすい形で、
それまでの後極とは全く違うものを生み出したと言われてるんですけど、
自分なんかを考えてるんだけども、
ベートベンなんか聞いてたら非常に面白いですよ。
後極なんかもね。
第1番から第4番ぐらいまでは、
それまでの古典派の流れがすごく感じられるんだけども、
第5番あたりからね、
徐々にロマン派に移っていくわけですよ。
歴史イコールベートベンみたいなところありますからね。
ロマン派の歴史イコールベートベンの歴史というかね。
それまでの後極が1曲作るごとに、
他の作曲家にも影響を与えるし、
音楽界がもう一気に進化していくっていうね。
だからそれまでの後極とは全然違う曲の作りなんですよね。
普通こんなことしないだろうってことをしてるのがね、
音楽理論に精通してない自分にも分かるわけですよ。
大工なんてのは最後から合唱を入れちゃうぐらいだしね。
長いし、それまでの曲はだいたいほとんど20分ですね。
モーツァルトの後極曲なんかは。
オペラはもちろんもっと長いですよ。
競争曲にしろ、ピアノ競争曲にしろ、
ピアノ曲にしろ、
レクイエムなんかはね、
短くも長くも作れないんだけども。
宗教曲は長いのが、
でも3分ぐらいのね、
傑作の一つと言われている有名な曲があるんだけども、
晩年に書いたね。
それなんかは短いんだけども、
3分ぐらいの曲であるんだけども。
合唱曲なんかは長いですね。
ここら辺で他の変わった作曲家ということで、
まずワグナ。
非常に変わってますね。
ジャイアンをイメージしてもらえればいいんだけども。
ワンマン社長とかね。
そのレベルじゃないんですよ、本当に。
結構ね、
ユダヤ人に対するトラウマがあるみたいで、
ユダヤ人のことは徹底的に差別してるし、
そういう悪く書いた作品も多いし、
ソファンなんかも変わりものですね。
みんなこぞってベートベンすごいって言ってるのに、
ベートベンのことはすごいバカにしてたし、
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で、ピアノ曲しか作んないんですよね。
当時だからロマン派に移りつつあって、
時代はね、そういう流れで好曲を作ったり、
シューベルトなんかもそうだけども。
だけどピアノ曲なんですよね。
バカに作って。
しかも表題はなしでね。
徹底的に古典派の、そういった意味では、
作り方にこだわっていたと。
曲なんか聴いても独特だしね。
ただモーツァルトには影響を受けててね。
モーツァルトのピアノ曲には、
ピアノその他には、
よりロマン派の時代に合うような形にした、
っていう感じの曲ですね。
前回のエピソードで話したんですけど、
表題音楽か純正音楽か、
これの争いっていうのもあってね、
ブルックランなんかは純正音楽、
モーツァルトはもちろんそうだし、時代的に。
で、ワーグナーが表題音楽とは言われてるんだけども、
ワーグナーはね、確かに大工に影響を受けてるから、
確かにそういう意味ではね、そうなんだけども、
でも目指すところは純正音楽にあったとも言われてるしね、
なかなか単純に表題音楽とも決めつけるものではないし、
なんて言ったかな、
モーツァルトにかなり影響を受けてるね、
ドヴィッシュの頃の時代の人で、
なんとかしてるはずって言うんだけども、
サラテストラはこう語る気とかね、
今で言う映画音楽みたいな、
あの人なんかも完全に表題音楽だけでもね、
モーツァルトに影響を受けてるんだけども、
だからその、表題音楽かどうかっていうのは、
タイトルがね、曲名に意味があるような番号とかじゃなくて、
かどうかっていうのもそうなんだけども、
この曲はね、物語になってるんですね、だから、
ある場面場面を描いてる、だから第一楽章は、
登場人物がこういう風になって、
のを描いてるみたいな、
オペラではないんですよね、でもね、
あくまでも企画作でもあるんだけども、
オペラって言うと、
まあ半分劇みたいなもんでしょうと思うかもしれないけども、
やっぱりモーツァルトの曲にしろね、
ワーグナーにしろ、特にドイツ音楽、
ドイツのオペラはそうなんだろうけども、
やっぱり音楽なんですよね、一応総合芸術とは言われてるんだけども、
ミュージカルは、歌ってる人は、
ミュージカル俳優って言いますよね、
オペラはオペラ歌手なんで、
ミュージカルは演奏家がいないのなんてのは、
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まあそれは普通だろうし、
でもクラシックは必ず指揮者も演奏家もいるんだよね、
そこが音楽がまず、
しかもクラシック音楽に乗せて、
劇をやるっていうものなんですね、
ミュージカルは、クラシック音楽なんかも使うかもしれないけども、
大抵ポップスですね、
に乗せて歌うっていう、
あとはミュージカルはアメリカで生まれたもんですよね、
芸能人が、歌の上手い芸能人が、
その舞台だけやるみたいなことはあるけど、
オペラの場合はそういうことはないんですよ、
必ず音題の性格が出てて、
だから声を使った演奏家ですよね、
だからね、
音楽と言える象徴、
劇なんだけども音楽と言っていいっていうその象徴としてね、
コンサートで、
オーケストラがいて、
演技っぽいこともするんだけど、
でも歌に集中してると、
何人か立ってて歌うと、
ピアノ競争曲なんかの、
バイオリン競争曲とか、
あれはピアノとかバイオリンが主人公なわけですね、
それを歌に変えたって思ってもらえれば、
イメージしやすいと思うんだけども、
オペラでね、
大事な話があって、
歌詞も同じだし、曲も同じだし、
だけど内容は全く違うってものをね、
やったりするんですよ、
それはモーツァルトもそうだし、ベルディもそうだし、
どんなものでもそうなんだけども、
新オペラだったっけな、
例えばですよ、
ある女性を救うために、
ざっくりと言うやつですよ、
救おうとして物語に出かけるんだけども、
鳥人間と出会って、
そういう冒険活劇っていうかね、
子供が見ても楽しめるようなアニメ化もされてるしね、
これがね、
フリーメイソンのシンボルとなるようなものだったり、
そのフリーメイソンの教えというかね、
を反映させてる場面があったり、
結構都市伝説でも扱われるものではあるんだけども、
これがね、
お医者さん、舞台は病院で、
お医者さんがたくさん出てきて、
途中で王様が出てくるんだけども、
それは院長になってたりして、
でも歌詞は変わんないんですよ、
そういうことがオペラではあるんですよ、
内容自体はさほどあれなんでしょうね、
だからね、
脚本家っていうのかな、
物語の作者は特にあまり重視されないんですよね、
あくまでもモーツァルトの作品であり、
ちなみにね、
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このマテギーっていろんな宗教が
途中途中で出てくるんですね、
でもめちゃくちゃになってるんで、
結局信者だったと言われてるんだけども、
結構ね、いろんな宗教を小バカにしてて、
だからあの人無神論者だったって言われてるんですよ、
じゃないとそんなめちゃくちゃなことしませんからね、
これ多神教だったらともかくね、
キリスト教って一神教なわけだから、
絶対そんなことしないんだろうけど、
小バカにしてるからね、
ああいうことをするわけですよ、
そういう人が当時は多かったみたいですね、
ベートでもそうだし、
だからあの人宗教徒なんか全然作ってないんですよね、
バッハはどうだったかな、
宗教徒が多いんだけども、
そこまで信仰心が強かったっていう話は一切聞いたことはないですね、
あくまでも仕事として作ってたというかね、
ベルディもそうですね、
これ面白いのがレクイエムで有名なモーツァルト、ベルディ、
あともう一人がね、
この二人がよくテレビなんかでも扱われる有名な二人だけども、
三人とも無神教だったっていうんですよ、
これ面白いですよね、
宗教局で有名な三人が無神教だっていう、
ベルディなんかも完全に無神教だって公言していたようで、
音楽関係ではないんだけども、
リオナルド・ダ・ヴィンチなんかは
二十歳障害としてよくあげられますね、
自分が行ったね、
二十歳障害の診断を受けた病院でも
ダ・ヴィンチの本があったし、
あとスポーツ選手だとイチローですね、
だからね、そのうちエピソードで話そうと思うんだけど、
自分はね、
イチロー-野球の才能イコール自分だと思ってるんですよ、
それくらいイチローに似てるんですよ、性格が、
非常に特性とか性格が似てますね、
他にもいろいろ二十歳障害の人の事前とか見てきたけども、
こんな似てる人はいませんね、
まあね、野球の才能が似ればよかったけれども、
どうでもいいとこだけ似ちゃってるんですよね、
別にその特性があったからイチローは
優れた野球選手になったわけじゃないんでね、
才能があったから優れた野球選手になったわけですから。
続きはその3で話したいと思います。