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はい、というわけで始まりました。
本日はですね、ちょっと一昨日かな、会社であったですね、不思議な出来事があって、その話をしたいと思うんですけど。
それは僕がですね、ある契約関係の部署と打ち合わせをしていたんですね。
打ち合わせをしていて、ある案件に関してですね、契約内容の説明があったんですね。
その契約内容の説明を聞いたらですね、ちょっと期待していた、こういう形になるんじゃなかったかなという期待していたですね、契約の形ではなくですね、そんな形になったんだみたいな感じだったわけですね。
でですね、それを僕はですね、何でだろうと思って、どちらかというとですね、あんまり期待していたよりは良くない形になったので、
これをクリエイターの方にどう説明しようかなと思ってですね。
で、なんでこうなったんですかっていうようなですね、説明を求めたんですね。
そしたらですね、契約の部署の人がですね、こういう権利関係でこうでこうでこうだから、こうなりましたというふうに説明するんですね。
で、そういうことを聞きたいんじゃなくて、なんでこの形にしようということになったんですかって聞くんですけど、
ですからそれはこういう契約関係になっていて、こうなんでこうでこうだからですって説明するんですよ。
でもですね、そういうことじゃなくてって言ってですね、これをですね、もうそれはわかりましたと。
そういう契約関係ののはもうもちろんわかってますと。
だけど、なんでこの形に今回はこの形を選択したんですかっていうようなことを聞いたんですよね。
で、それはですね、同じ案件でですね、別な契約も済んだ時は違う形だったんですね。
その期待していた形だと。
でも今回のケースに限ってはなぜかその期待していた形ではない形を選んでるわけですね。
で、それについてのそれをどうして選んだのかっていう説明を求めてるんですけど、
その契約の後ろにある権利関係とかというようなですね、説明をずっとするだけでですね、
なぜあなたがそれを主体的にそれを選んだのかということをですね、
全然話しくないんですよね。
で、最初はですね、本当にちょっとすみません、それわかってるんでもう一回ちょっとそこいいですかって感じですね。
普通に聞いてたんですけど、豪幅ぐらいしてですね、さすがにちょっと面倒くさくというか、
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ちょっと我慢できなくなってきてですね。
だから、あなたの言っているこの人は権利を持っている持っていないみたいな話を
クリエイターの人に言って納得はされないじゃないですかみたいな。
し、だからなんでこういう形を選んだんだという、ちゃんと事情を話さないといけないと思うんですよと。
で、何か多分今の説明の中で飛ばしてると思うんですよね。
なんか、元の形のつまり期待していた形の契約であると、
なんか非常に煩雑だったりとか現実的じゃないとか、そういう事情があるんじゃないですかと。
あるんだったら、それをそのまま話した方が納得はされやすいと思うんですよと。
そのなんていうか、あなたにはこういう権利がないからみたいな話をしても、
もうないかもしれないですけど、なんでこんなことするんですかみたいな話になって全然納得はされやすいと思うんですよと。
もうないかもしれないですけど、なんでこんなことするんですかみたいな話になって全然納得はされやすいと思うんですよと。
何かそこの裏にある事情みたいな話をちゃんとしなきゃいけないと思うんですよ。
それはなんですか、多分その底を話してないから、今ずっと奥歯に物が挟まってるというか、
なんか階段を2,3段飛ばしてるような感じでですね、そこを聞いてるんだけど、
なんか全然答えてくれないって感じなんですよねって話をしたりですね。
もうおっしゃる通りで、元の期待、こういう形でやれればいいなって期待していた契約でやると、
いろんな事情が絡んで非常に煩雑でですね、いろんな処理とかですね、すごく現実的じゃないので、
今回こういう形になったんです、にしたんです、させてもらいたいなと思ってるんですみたいなことを言ったんですよね。
で、なるほどと、それを聞いてようやく納得しましたと、そういうことなんですねと。
それで僕は説明ができます、ちゃんとクリエイターの方にお話ができますって言ったんですよね。
でですね、ちょっとそんな感じで打ち合わせがわりとヒートアップしてたんで、打ち合わせ終わった後にですね、
今回の件はそれぞれ部署の文化が違う感じで面白かったですね。
僕らがちゃんとクリエイターの方と人と人として接して、
その時に別にこっちが弱みを見せた方がいい時は見せるしみたいな感じだけど、
そういう契約関連の部署の人はやっぱり弱みを見せられないとかあるんでしょうねみたいな話をしててですね。
今回の件だと確実に弱みというかこちらの事情をちゃんと話さないと納得されないケースだったんで、
そういうすれ違いがありましたねみたいな話をしたらですね、
嘘ついているとか何かを隠しているというわけでもないんですけど、そう思われたのかもしれないですねって部署の人も言ってたんですよね。
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で僕それを聞いて、いやそういうことでもないんだよなと思ったんですよね。
まあそれを言わなかったんですけど、もうめんどくさいというかね、これ以上話が長くてもしょうがないんで。
別に嘘をついているなお前っていうことを言ってたわけではないです。
で、隠している、まあ結果的には話していないことがあったって感じだったんですけど、
それをまずいことは隠そうと言って隠しているってわけでもなかったんですね。
なんとなく最後にですね、いろいろ聞いて、こういう事情があったんじゃないですかって聞いて、
まあまあまあそうなんですね、そうですねっつって認めた時の雰囲気というか空気感がですね、
隠していたまずいことを暴かれて話したとかじゃなくて、
この場で話すのにそぐわないというか、
なんか本当はこの場で話すような話じゃないんだよなみたいな、
そぐわない話をちょっと聞かれたからしょうがなく言ってるって感じだったんですよね。
なんだろう、なんか何でしょうね、なんか裁判官がギャグ言うとか、
なんか多分そんなような感じだと思うんですけど、ぐらいですね、
この場の話し合いとしてはそぐわない、なんか、
そぐわないと思うんですけど、
まあそのこと言ってないですけどそぐわないと思うんだけど、
あ、まあそうなんですよってすごく非常に煩雑で現実的じゃない意味があって、
っていうような感じだったんですよね。
でですね、このすれ違いは何だったんだろうと思ったんですよね。
同じ日本語を話していると思えないぐらいですね、
全然ディスコミュニケーションがすさまじかったんですよね。
で、このすれ違いは何だったんだろうと思ったんですよね。
同じ日本語を話していると思えないぐらいですね、
全然ディスコミュニケーションがすさまじかったんですよね。
でですね、何だろう、なんか例えて言うとですね、
例えばある仲良かった友達がいて、
その友達が最近ちょっと冷たいと、距離を置かれているような気がすると言ってですね、
その友達に、前は仲良くしてたのに何で今は話しかけてくれないのっていう風に聞いたらですね、
そしたら相手が、僕たちは家族ではないですし、
もともと何の契約関係もありませんよねって言うと、
いやいやそうじゃなくて、何で前は仲良くしてたのに今は話しかけてくれないの、
いやもともと何の契約関係もなかったじゃないですか、
いやいやそうじゃなくてみたいな、これぐらいのすれ違いだったんですよね。
でですね、やっぱりさっきも話したようなですね、
部署の背景があると思うんですよね。
契約というものと向き合っているのと、クリエイターと向き合っているっていう、
だからその部分が誰と向き合っているのかっていうところで、
思考が違うんだろうなという風に思いましたと。
あとですね、こういうケースがすごくあって、
例えばクレーム処理みたいなときですね、クレームが何か入りました。
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一応ですね、そのクレームを入れてきている人と、
それを受け取った僕という1対1の関係においてはですね、
よし、こういう風に謝れば絶対大丈夫だろうという直感が働くというか、
単純に話していて、あ、こういう人なんだ、こういう人がこういう人か、
よし、こういう人がこういう風に怒っていて、こういう人が不満なんだから、
ちょっと僕としてはこういう風に接してあげようとして、
そういう風に接しましたってなったら、大体解決するんですよね。
なんですけど、クレームの種類によっては、
契約関連部署に事前に相談を入れなきゃいけないケースがあるんですよね。
で、こういうクレームが来ましたって言って、
でもこれ権利関係上どうでしょうかっていうのが来てしたら、
例えばですけど、うちはそんなに悪くない、
ここのところにちょっと過失みたいなものはあり得るんだけど、
ここ全体としてはこのように過失がないので、
ここは認めずに、ここはこのような謝り方をしてください。
ザクザク言うと、私たちは悪くないんですけど、
気分を害されたら謝りますみたいな、
そんなような指示をされると。
それをそのまま対応して、
逆に火に油で大騒動になるみたいなことってあるんですよね。
僕はないんですけど、本当にそういうことがあったり横で見てたりとかして、
最初に普通に、単純に人間と人間として謝っておけばいいのに、
ってなるわけですけど。
で、こういうケースがいっぱいあったんですけど、
あるクリエイターの人と契約関連部署の人が直接話をしてくれたんですけど、
このケースについて、
あるクリエイターの人と契約関連部署の人が直接話す機会が1回あったんですよね。
いろいろ契約関連の人が説明してるんですけど、
その打ち合わせが終わったら、
耳が滑ると言ってることはわかるんだけど、
なんでこの人はどういうつもりで言ってるのかが全然わかんないから、
耳が滑ると。顔が見えない。
ノッペラ王みたいでしたみたいなことを言ってたんですよね。
ここも同じようなすれ違いが起こってるんですよね。
このすれ違いって何なんだろうと思ってたんですよね。
最初は法律ルールと生身の人間のすれ違いなのかなとか、
隙を見せるとか隙を見せないってことのすれ違いなのかなとか。
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あとはさっきの顔が見えないって言ってましたけど、
顔をちゃんと見せる。私はこういう風に感じてるんですよっていうのを見せるというスタンスと、
そういうものは関係ない。
自分の気持ちとか自分の考えっていうのは関係がない。
こういう風になってるんです、法律はみたいな。
そういう対比とも言えるわけですけど、
何を大事にしてるか、どこに立脚してるかでこんなに同じ日本語を使ってても話してすれ違うんだと思ってたんですけど、
そんなことを思いながらその夜に読んだ理不尽な進化という本を読んで、
その中で紹介されてた科学哲学の思想詩の部分で、
説明と理解、方法と体験という話があって、
ここを読んでもこれだって理解したんですよね。
この説明と理解、方法と体験のすれ違いだったんだということが自分の中で理解できたんですけど、
というわけで本日は以上となります。
続きはまた明日話そうと思います。よろしくお願いします。