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第5904回 何者にもなれない自分がただ過ごした時間
2026-07-26 1:08:32

第5904回 何者にもなれない自分がただ過ごした時間

この番組では、最初に日常の話から入ることもありますが、そこから話題が次々と移り変わっていきます日常のささいな出来事をきっかけに、人間の認識、意識、存在、そして意味づけの仕組みを観察する思考実況ポッドキャストです。

哲学や心理学を教える番組でも、人生の答えや救いを与える番組でもありません。

「何を知っているのか」

「それは本当にそうなのか」

「確信はどこから生まれるのか」

人はなぜ何かを信じるのか。

なぜ物語を作り、意味を見出し、自分や世界を理解しようとするのか。

私たちが見ている世界、自分という存在、記憶、感情、快感、思い込み、そして後から作られる物語を静かに掘り下げます。

信じることで成り立っていた世界から離れたとき、人は何を見るのか。

意味や物語が最初から存在するのではなく、人間がそれらを作り出していることに気づいた後の世界を観察します。

人生に意味はあるのか、どう生きるべきなのかという答えを探すのではありません。

意味や目的が揺らいだあと、それでも人間はどのように日常を維持し、考え、動き続けるのかを記録します。

結論よりも、考えている途中の揺れ。

完成された思想よりも、変化していく認識の記録。

自己啓発ではなく、答えを急がず問い続ける。

虚無を終点ではなく前提として、人間という存在の仕組みを見つめる哲学的独白番組です。

感想

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00:05
これから、倉木さんのラジオ収録始まります。
意識というのは、行動の後付けということと関係あるのかわからないですが、
食事で自分に味わわせるみたいな客観的で、味わおうとするのではなく、
とりあえず味を感じればいいという風にすると逆に味わえるんですよね。
他人が味わってるみたいな感覚にすると逆に、
それこそ味だけ感じて終わりそうだけど、しっかり味わえるんですよ、不思議なもので。
では、親と話してた時ですね、ある二人の動画、
見たかい?って言ってきたんですね。
AさんとBさんのしか見てないって言ったら、それ以外であるって言うんですよ。
親がですね。で、最後親がですね、
AさんとBさんのこの番組以外のがあると思ったって言ってきたんですね。
おかしくないですか。AさんとBさんの、
以外の人の二人組の、
地方のケータリングの動画なんですけど、それ、
道の中行ってきたのに、
おかしいねおかしいねって親は言ってるんですよ。で、最終的に、
AさんとBさんの以外のだったって言うんですよ。
AさんとBさんの番組なんだけど、
他の番組なんだけど出てるのはAさんとBさんだって言い出すんですよ。
じゃあなんで最初AさんとBさん以外だと、
言ってたのに全くツイート回ってないですよね。
この説明は自分はしました。したら親はですね、
今度はAさんとBさんの以外だって言い出したんですよ。また話、言ってること変わるんですよ。
で、だからここまでの話、おかしいの分かるかい。で、また今度は、
違うこと言ってるんだよって言ったらですね、また逆のこと言ってきて、
でですね、
これどういうことかいと。
明らかにおかしいですよ。あんた最初こう説明しちゃったのに、こうだよって説明して、
どう考えたっておかしいじゃないですよって言ったら、
あとはもう無責任なんですよ、この人。
もうよくわからないで済まそうとするんですよ。だから、いやよくわからない
んじゃないでしょうと、今ちゃんと説明したんですよ、どういう話がどうおかしいのか。
説明してるのは5分前のことなんだから、忘れるわけないし、
03:03
よくわからない話じゃないよって一番言いました。
でもですね、言い訳しだすんですよ。
いや、いろんなこと考えてるからわからなくなったとか、そういう問題じゃないでしょって一番言うんですよ。
で、こうでしょって説明したら、あ、それなら分かるよって。
いやいや、今までも同じように説明してたのになんで急に分かるって言い出して。
そしたらなんと、AさんとBさんの以外の人も出てる番組だと思ったらしくて。
だから自分は言いました。
いや、2つともこのAさんとBさんの番組だよって言ったよって言いました。
あとですね、本当に引っ越してきた人に親子喧嘩聞かれたくないんですけど、まだ開けてるからですね。
で、もっとひどいこと昨日あってですね。
動画探してと言ったらYouTubeは見てないんですね。
YouTubeでない方の見てたんですよ。
で、今までにしたら親が言ってきたのが今まで動画探すとき、他のとこで探してと言ってたと言うんですよ。
で、そんなはずないし、記憶もないしそうするわけがないんですね。
で、親が勝手に自分の調べるときの何かの記憶とすり替えて、それにも関わらず自信持ってずっと親は言ってきました。
いつもYouTubeでなかったというですね。
仮にYouTube以外を今まで言ってたとしてもですね、今回は言ってないし、いつもなら他でなければ
他のところでなければYouTubeで見るし、
さんざん探してなければ、仮にYouTube以外の見ててと今まで言ってたとしても、今回は言ってないし、いつもなら他でなければYouTubeで
他のところでなければYouTubeで見るし、
だって動画どうであるかわからないからですね。
で、さんざん探してなければYouTube普通見るだろうし、ある程度知能ある人であれば
今までYouTube以外のところで探してと言ってないし、言ってないと言ってるのにわからないですね。
わかるはずなんですけどね。
ずっと否定してきたんですよ、うちの親は。
06:01
でもある時、最後間違ったごめんって言ってきたんですよ。
本当は納得言ってないだろ、適当に謝ってるだろって言ったら、何に間違ったと言ったのかわからないと言ってきたんですよ。
また適当に返事してるし謝るからそうなるんだろって自慢言いました。
何が間違ってると思ったのか聞いたらですね、親は話の流れで言ってるから思い出せないと言ってきたんですね。
いやいや思い出せないって言って、辻褄を合わせるために全くその記憶もないのに、思い出せないという記憶さえないのに話の流れで言ったとそういう言い訳だけはしてくるんですよ。
自分は言いました。言い訳つるのだけは得意だなと言いました。
話の流れなんて関係ないんですよね。直前だし、直前の話だし、他の話なんかしてないし、話の流れなんて関係ないんですよ。
だからやはりYouTube以外で見てと今まで言ってたと言うんですね。
YouTube以外で見てと言った?はっきりした記憶ないくせに自信持ってそうやって言うんですね。
今朝はですね、昨日説明したことを説明したら、へーそうなんだねって感心してますね。
あとですね、新曲聴いてて、いろいろ説明したんだけど、センターが誰誰っていうことは知ってるんですよ。
でもそれで一人で歌ってると思っちゃうんですね、なぜか。
で自分がセンターって言ったでしょって、センター誰誰だって言ったでしょって言ったら、いやそれはわかってるんだけどっていう。
これはちょっと笑っちゃう出来事で。
あとはですね、歌番組がですね、何日にあるって親が言ってて、いや違ったんだ、もっと後だったんだって言い出したんですよ。
まあよくあることで、いつも勘違いこの人はしてるんだよなと思って聞いてたら、昨日だって、いやその元々言ってたやつだったんですよ。
でおかしいなと思って、あああの時言ってただけのやつだ、結局そうだったのかと思って。
したらですね、まあなんか変な感じなんですよ。
まあ責められたくないのかわかんないけど。
なんか別の番組があるとか言い出したり、結局だから昨日の豆の糖質の話と同じで、適当に見てるんですよ。
だから結局番組違ったりするんですね。
では次、TikTokで広い調べ方して、自分がそれじゃ見つからないでしょって親に言ったんですね。
すごい広い調べ方しようとしてるから。
09:02
さっき調べようとしてたんだって言うんですよ。
ああ違いますね。
ああそう、さっき調べようとしてたって言ってたんですよね。
であるとわかったら、下手探すだろ普通って。
で言ったらですね、今探してるからって言うんですよ。会話になってないですよね。
探し始めたのは今であって、さっきはすぐに探そうとしてなかったんですよ。
で結局その談話探してたけど不要だったんですね。
あとですね次の話、部活何やってたかで判断されたくないけど、有名人の部活何やってたかでっていうレッテル貼ってしまうんですよね。
まあちょっと気になってしまうんですよね。
あとですね、刑事版。
某刑事版、乃木坂のことで見たいしでも無駄な時間だし見るべきでないし以前も諦めたんですけど、結局昨日見てましたね。
もう移動症みたいなもんなんですよ。
見始めちゃったんで。
でこういう時って経験から言うと、無理してやめていいことはないですね。かと言って続けてもいいことないんだけど。
もう時の流れに身を任せていつか、自分でも不思議といつか辞めれたりするんですよっていうのも。
何か依存症になっても不安な感情や禁断症状が辛すぎて、あと感情の揺れが辛すぎて何故か辞められるんですよ。
普通は禁断症状あったら続けてしまうと思うけど、想像力がありすぎてどうなるか想像つくから辞めれるんですね。
まあ何か異常なものが結果的に良い結果をもたらすということはありますね。
一回で父親が金なんてついてないついてないって言って潔癖症の自分に嫌味言ってるように、本人は分かってるのか分かってないのか嫌味言うんですよ昔から。
昨日も庭いじりできなくなったんですねある時から。
庭いじりする暇あるなら進路探せと言って、それから父親が木の水やりだけやって花は植えてないんですよ。
でも裏庭は野菜育てるためにしょうがないけど。
で、昨日父親が水やりしなくていいのか言ってたのか話したら、できないからって言ってたのか何かその時に嫌味を言ってるように聞こえたんですね。
あともう一つ理由があるんですよ。
親が話してるのを聞いて庭で呑気だし幸せそうで腹立ってるんですよね。
12:04
では次。
アプリでいい方法を見つかったタイミングで使わなくなって、でもまた使う時は来るって分かって。
そんなことしてる間にいい方法を見つかり、でこのアプリでまさに行かせたのに意味なかったんですよ。
うまくいかなくていい時にうまくいくんです。
髪隠しにまた会いましたね。目も消えたんですよ。で見つかったけど意味なかったんですね。
で結局変化するとこうやってうまくいかないんですよ。ちょっとでも変化するとうまくいかないんですね。
目の前のあることに集中してしまうからなのか。
じゃあ次。以前はですね。変化しなければうまくいくという信念になってそれが。
すがってないか不安でしたね。他にもいろいろありますという。
ただですねそうやって自覚できてる間は問題ないんですよ。そうやって悩んでる間は問題ないんですよ。
だから悩み事の対象って大抵悩んでる間は問題ないんですよね。
悩み事の対象って悩んでるということは問題ないんですよね。
悩み事の対象なのに矛盾するけど問題。悩みなくなった。つまり意識しなくなった時が問題なんですね。
あとですね。メモの仕方も元通りになってるなと思って。
もう何ヶ月か前ですね。だいぶその時はめんどくさいことしてたんだけど。
今はもうその時と同じようにしっかりメモしてて。変化はあるんだけどその時と。
でもめんどくさいのはめんどくさいことしてて。
また絶対あの時には戻りたくないと思ったけどまた戻ってしまってることに気づいてもう絶望しかけました。
最近絶望しかけまくってますね。
絶望はしてないですよ。でも絶望しそうなんですよね。
それ言ったらこの10年毎日絶望してるか。
将来についてはどうにもならないですね。
それで絶望しっぱなしです。
英語会2回連続で最後までできなくて。
昨日は親が窓開けててこういう余計な変化で自分もちょっとミスがあって本人は臨機応変と思ってるかもしれないけど。
そういう余計な変化って自分に悪影響ですね。
15:02
英語会何が問題かっていうとそうやって落語する癖がついてしまうんですね。
最後までやるってことは大事なんですよ。
普通ならこうするとこう俺はこうしないっていう気を照らってるだけで人と違うと優劣感持ってる人ってですね。
センスないのがわかりますよね。
単に人と逆という単純でセンスないことをわざわざ予定してどうするんだろうと思うけど。
筋トレしたって何の意味もないと思ってたんですね。
ストイックにできること他にもある?それで英語を始めたんですよ。
しかしメリットと思ってたことまだ消えてないはずだし。
でも英語で話しても人に聞いてもらえるけどその人とっていいかもしれないけど自分にメリットあるかなとか。
筋トレはなんとなくではあるけど自分の目になるイメージ。
だから以前と基準が根本から変わってしまったんですよね。何をメリットするか。
では次。
YouTube。夜中聞くのYouTubeでもいいかなと。
YouTube使ってもいいかなと思ったんだけど。暇つぶしに。
でも将来YouTube見れないんだよなと気づいて。
YouTube見れないなら乃木坂の動画見れないのかって考えたらあれ違うなと思って。
でもYouTube見る癖つけない方がいいんですね。絶対ズルズルいってしまうんですよね。
将来見れても今と同じようにはならない人なんですね。将来のことまで考えちゃうんですよ。
これ空想なんですけど。
中学生の時ですね。自分がお付き合いしてる。彼女で来たっていう変な噂が流れて。
クラスのバスケ部の女子。中学生の時から仲良い女子なんだけど。
嫌味いってきて。その時に。
いやお前も可愛いから。
俺なんかはたまたま彼女できたけど。
君こそすごい彼氏できるはずないなって言ったら。
多分顔をあからめて恥ずかしくなって逆に喜んでいたのかなとか。
とにかく嫌味いってくる奴に嫌味で返しても荒立ててしまうだけなんでね。
18:05
あとはすごい太った奴がいて。クラスに。
そいつも多分自分のこと嫌ってたというか。
あんまり具体的なことは覚えてないんですけど。
そういう連中の中にいたし。
彼女も多分コンプレックスがあって人にやつ当たりしたかったのかなとか今考えてました。
次。結局現実は残酷で。
違いますね。意味を過剰に摂取する。
宗教にいた時は。
で、進路探しでやりがいあるもの。
それで見つからなかったんですよ。
進路選びも絶対に意味があるかどうかで見てるんですね。
だから少しでも曖昧なもの、どうかわからないものを薄く見るけど将来のことなんて。
曖昧に決まってるものですよね。
で、その結果やりがいは見つからないし。
やりがいって最初から大きくあるものではなく続ける中で後から生まれることが多いですよね。
でもだとしたら進路どこでもいいとなってしまいますよね。
どこ進んだって後からやりがい見つかるんだから。
これを前提にするとやりたい仕事見つけるのっておかしな話でどこ進んでもいいわけだから。
幻想でなく事実は何なのか。
見つめる作業をしてきたんですねこの10年間。
しかし幻想を見るのは不正解。事実を見るのは正解としてきてないから。
事実を見るのは正解でも不正解でもないわけだし。
なぜなら正解なんてないから正解という概念を捨てようとして
するその作業を正解としてるんですよね。
幻想を捨てるのが正しいと考えた瞬間その考え自体が新しい正解になってしまう。
正解を捨てようとする行為が正解化してしまってるんですね。
次、工夫して改善してというように頭で考えて習慣変えれないんですね。
自然にやってきた方法でしかできないんですね。
例えばスマホを少し離してたほうが目にいいかなとか
そういうこと理屈ではわかってるんだけどその習慣って変えれないんですよ。
頭でこうしようと思っても体は今までの方法に戻るんですね。
21:00
現実主義っていうのはあるけれども、現実主義はあるままに捉えて
そうだけど、うちらが事実と思っていることは
素直に見てるつもりでも全て脳として意識が捉えてるだけという意味ではどうなんだろうと思うんです。
完全なありのままってないと思うんですよ。
現実をそのまま見るっていうのが理想だけどそんなことできなくて
人間は脳が処理した結果を見てるだけなんですね。
だから現実主義っていうのは脳が作った現実をできるだけ壊さず扱う態度でしかないんですね。
次、考えややり方変えたら何か問題は減るけど他の問題が増えるんですね。
何故かというと視点が変わるからなんですよ。
過去を捨てようと思ったらその時上手くいかなくても捉えないし
例えば自分のバイポッドギャストで上手くいかなくても別に残るわけじゃないし
過去のものを使うとすれば失敗が一生使うことになるし
考え方変えると別の問題が出ますよね。視点が変わることで見える機嫌が変わるからですよね。
過去を使う生き方、失敗が致命的に見えるんだけども
諦められるタイミングで他のもののデメリットに気づくんですよね。
何故かこのタイミングで。
諦めが入るときは期待値が下がってるんですよね。
他のものに移行しようとするんだけど
期待が下がってた分周囲の欠点がよく見えることがある。
その結果、逆に
その結果じゃなくて逆に執着してる間は
難しいのでちょっと次行きますね。
欠落を感じるとき人は埋めようとしますよね。
自分はですね、なるべく
それは避けてるんですよ。
希望を持ってしまうからですね。
欠落を埋めるのはとても快感を伴うし
埋めてる実感があるし
24:00
自分にとっては生きる意味なんてないから
欠落埋めるのって割と充実してるからこそダメなんですよね。
充実しすぎて意味を感じすぎるんですよね。
まあでも
欠落埋めるのって人間の心理だから
まあ結局何らかの仏で埋めてしまってるんでしょうね。
自然なんですよ、欠落を埋めるのって。
ただその生きる姿勢としては持っていて
欠落を埋めることに喜びを感じない。
次、以前は改善できる方法
っていうものに魅力があったが今はうさんくささしかないですね。
いろんな方法論、今は全く魅力に感じないです。
改善って商品っぽく見えるんですね。
改善が役に立ったっていう実感ないし
今まで通りやってた方がいいし
そういううまくいく方法論が自分に合わないんですね。
今着替えてたらですね、腹出てるのが少しだけど絶量な気がして
いやーパスタとかも食べてないし、ご飯も食べてない
おにぎりも食べなくなったし、昼は豆腐だし
炭水化物一切取らない、うどんも食べない
炭水化物までも主食は取らないし
食べる量も前より減ってると思うし
だからこそよくわからないんですよね。
親に聞いてみたんだけどどうしてか
でもですね、もちろん答えは出ないし
あとはこれでご飯の量を減らされても困るし
でもこの場合太ってるにみて最近
腹筋しなくなったせいか
細いのは細いんですよね。
それで化け学の先生がですね
硬いんだけど腹が出てきたって言って
すごい筋肉質なんだけど
その先生と同じで年齢なんでしょうね。
あとですね、着替えるときにいつも
床には触れてないからいいと思ったんだけど
スリッパには足触れてるからそれで
足の裏、他の物にも触れるから
以前はそれ大丈夫だと思ってたんですけど
なぜ以前はこのこと問題と思わなかったのか
安心してたのかと思うことがあるんですけど
27:00
何か気づいたというより
単に感情の問題だと思うんですね。
引きこもりになったのはちょっとしたことだ
が理由だとは思いたくないんです。
あまりそう思わないし
仕組みだと思ってるんですね。
遅かれ早かれこうなっていったと
でも人生ちょっとした一瞬が一瞬が
作っていくとも思うんですよね。
こうなるものだったんだと思いたいんですよね。
でも本当にそんな考え方
自分らしくないんじゃないかと思うし
ちょっと感情的だったらそうやって
自分の考えって崩れますよね。
意味がないのに意味持たないと
生活できないという矛盾を
自分の考えが崩れますよね。
意味を信じ込むことで解消してるんですね。
皆さんそうだと思います。
自分はもう多分そうなのかなと思います。
こんだけ握ると言っておきながらですね
これは人間のかなり基本的な矛盾なんですよ。
意味が絶対に信じてなくても
生活するためには意味が必要だし
だから意味を信じてないとしてもですね
仮の意味を持ち続けるんですよ。
ということなんですよ自分は。
意味を持っているのは
まあまあこの話どうでもよくて
意味をなんとか信じ込もうと
してしまってるのかなと思ったんですね。
でも自分はそれはないか。
意味を信じることはないですね。
もう盲信しているような状態ですから。
世間がその
これは生存技術
意味は持たないと生活できないという
矛盾を抱えながら生きるのが生存技術なんですね。
次、滅多く変化ななんてものが
自分にも周りにもなかったら
改善や選択は不要
つまり価値は不要だが
所業無常、変化しているのに
逆にそれに反抗していると崩れますからね。
変化がなければ選ぶ必要も
改善する必要も
価値判断も薄くなるわけです。
だからシーラー関数みたいな状態です。
でも現実には変化があるから
逆らい続けると無理が出るですね。
だから価値判断は変化があるから必要なんですよ。
次、修行僧は体調の変化などあって
変化しないですよね。
修行は無常で
30:01
変化しているのに反抗していると崩れるはずだけど
修行僧は変化しないんですよね。
体調が変わったり
気分が変わったりする
そうした変化に逆らいすぎると
修行僧のものが崩れるわけですよね。
気分
気分
気分で変わらないことは
なるべく競立でいることが大事だろうし
そういうときこそ競立は大事だろうし
だから単純に
現実的に考えると一定以上の
体調の変化で
柚子を聞かせればいいっていう話なのか
お坊さんたち的には
無理に
変化にさせる必要があるわけですよね。
そうしたからのはいけないとすれば
そういうことですよね。
それって当たり前なんじゃないのかと思うけど
そうせざるを得ないんじゃないのかと思うけど
飛行機での音が
最近
気にしてるから
ひっきりなしに聞こえるんですよね。
以前からもちろん
そうだったんだろうけど
自分は聴覚過敏なんで
鬱になった原因
そういう音で悪影響を及ぼされて
そのストレスで
鬱になったんじゃないかっていう
仮説も立てれますよね。
一つの要因には
なっているかもしれないですね。
定義の問題でなく
その言葉を使うことが
その言葉を使うこと自体が
間違っているということって
多いと思います。
一つは定義がずれている場合
一つはその言葉を使う場面
定義自体が不適切な場合
例えば同じ言葉でも
人によって
意味が違う
人によって意味が違うなら
それは定義の問題だし
定義はあっているけど
意味はあっていても
使い方の問題が生じるんだろうけど
定義自体の問題で問題があるのは
宇宙人って定義が
人によって違いすぎている問題
神様もそうですね。
神と絶対
神と絶対っていうことか
絶対
まあまあ扱っても問題ないか
では次
世の中の多くの人は
矛盾だらけの自分を
一貫した人格として
見せるために
無理やり物語を作り
改善や成長という言葉で
コーティングしているんですね。
人は本来かなり矛盾しているんですけど
自分はこういう人間だと
物語で整えるんですよ
改善や成長という言葉
33:03
もうその物語は
社会的に受け入れられる形に
してますよね
宗教も本来かなり矛盾しているけど
そのままでは不安定に見えるので
物語で整えているわけですね
矛盾なさそうにするわけですよ
それはまあ教祖が作り上げたものだし
宗教は
矛盾だらけですよ
それを
まあ信者にばれちゃいけないから
矛盾がないように
見せかけるからこそ
どっかで矛盾生じるんですよね
矛盾なくそうとして
意味帯形を微調整するほど
そして矛盾なくそうとするほど
矛盾
矛盾が露呈するというか
はっきりして
という気分になるんですよね
大衆が抱く憧れ
幻想を
体現しているように見せかけている
ものに
人気出るのではと思いました
例えば個性を出したいという
ありえないくらい高い理想
これを
歌手なんか見ていると
叶えてくれている気がする
宗教は完全という
幻想を言っとき教祖が演じてくれて
あたかもあると思わせてくれる
ということですね
今日親と話していて
前の人が
60代くらいなんだけど
何故か30代くらいの
人2人と
あと1人おじいちゃんと言ってましたね
が車を転いてきたと
親が言ったんですよ
これが真相か分からないんですけど
実は
自分は意味がない
仲良さそうかいって言ったっていうんですね
でも自分はそんな記憶なくて
カップルかいって言ったんですよ
これどっちでもいいんだけど
したらその時は
見て分かるわけないでしょ
って言ったんですね
そしたら
自分の中では男女2人に見えたんですよ
でも
それは思い込みで
女性2人だったみたいで
36:02
じゃあおかしいでしょとさっき
じゃあ自分がカップルかいって聞いた時に
いや女性2人だったよって
何で言ってくれなかったのかって聞いたんですね
でこの時に
いやそれなら相当だね
仲良さそうかどうかってさっき聞いてたよって
この時に言ってくれればよかったんですよね
いやでその後
おかしな説明がし始めるんですよ
うちの親がですね
第一段階で
まず
1人降りてきた時に聞いてこなかったかいって言うんですよ
でもそれでもおかしいよって
1人だとしたら
おかしいですよね
例えば仲良かったかいって聞いてたとしてもですよ
仲良さそうだったかいって聞いてたとしても
1人だったら
いや1人だよってなるはずじゃないですか
1人だったら
いやその時にやっと
いやカップルかいなんて聞いてないって言うんですね
世の中の多くの人は矛盾だらけの自分を
一貫した人格として見せるために
間違えました
無意識に弱い立場に当てる
そしてその人も当たるという
連鎖的取り感じるんですね
まあどこかでその再生さを
止める人がいればいいものですけど
人間の性質上それは変わらないんですよね
まあ傷つけられた経験があるから 許すよりもまず
先にもう同じことをさせない が来てますね
防衛として自然ですよね 嫌われないことだけ考えている
39:05
本音言えないし表面的だしでも 覚悟を持っていらんない生き方なら誰も問い合いがく言えないし本人にとっても
それでいいのではないかと それ以外の生き方できない
そうするしかないという人とか 人と仲良くできないという人も
いるだろうし 嫌われないことが最善だと考えて
嫌われないことが最善だと考えて メリットばっかり見えてる
他の生き方 見えてないなら考えどころだけど特に意味はない
だからこの生き方なんだという スタンスならいいのではないかと思うんですね
それも一つの生き方なのではないかと思うんですよ あくまでもこれはたとえ
たとえどの生き方でも許されるし全く 否定されるべきでない自由があると思うんですよ
単に公平な見方っていうだけかもしれないし 嫌われないことを優先する生き方って
本音を抑えたり表面的に言われてるけど それを自覚した上で選んでるのであれば
それは一つのスタンスだと思うんですよ 問題はその生き方しか見えなくなってるかどうか
だから自由に選んでるのか 固定されてるのかということですよね
そっか固定の対局っていうのはやっぱり 自由なんですよね
では次 人の中から選択する場合
意味が必要だからそうしないで サイコロ振るようにしてる人多すぎだと思うんですよ
例えば注意する場合 ある手段の中で全員かもしくはその中でもっとも注意すべき人を注意すべきなのになぜか
強く当たっても大丈夫そうだし言い換えしてこなさそうな 自分がいつも
標的になってたんですね 選ぶべきか相手を選んでないんですよね反撃が少ないそうな相手を見向くんですよ
怒りってそういうもんなんですね 本来注意や指摘って必要に応じて行われる武器じゃないですか
だからこの人に注意するっていう意味が必要だと思うんですよ だけど
そうじゃないんですよねたまたまその人か 適当に選んでるかあるいは
安全そうな相手に偏るとか これをリスク回避と言われたら非常にもどかしいんですか
では次給料もらって カメラ映らないと
ゲノジーがもし給料もらってるんだけどカメラに映らないと できれば楽したいと思うはずなんですよ
で給料なしだと逆に
意味のあるものにしたくて一生懸命やると思うんですね 逆転現象があると思うんですよ
42:00
これ前農科学で社長が言ってました お小遣いあげると逆にやる気落ちるんだって
でも農科学でよく言われてますよね報酬があると 動物ってのはやる気があると
給料もらっちゃうとこれは仕事だって感覚が生まれる っていうことは
そうか
仕事の何が問題かって
じゃあこの理屈からいくとお金がもらえることが問題ってなっちゃうから
じゃあお金もらえない生活仕事の方がいいのかっていうと それはそっちの方が絶対苦痛だし
でも人間の頭ってバカなんですかね 仕事としてやってる
と負担に感じるでも 給料もらえないと
仕事だって感覚がなくなる いやそれはちょっとおかしいと思いますよね
だって仕事にも関わらずお金がない っていう感覚になるはずだけど
でもその結果 何かを残したいとなる
義務感があると重くなるけど 自由になると価値を見出しやすくなるってことですよね
だからお小遣いもらえる報酬があると思うと義務感になって
だからボランティアのモチベーションなんかもそういうところにあるんでしょうね
逆に活用を見出しやすくなるんですよね
ボランティアの最初の動機のせいではないと思いますね
これに愛発的な動機の方がやる気は出るんですね
ランナーの時 アウトになってながってるホームラン
打った時 もっとたくさん人帰ってきたみたいに当たられば
こういうのって過去の一つの事象のみ抜き出して考えるのが
普通はそんなこと無理なんですよね
人は結果を見た後で過去の一点だけを抜き出して
もしあれが違えばと考えがちですよね
当たらればって分かりやすく考えがちだけど 現実の複雑さはかなり削ってるんですよね
論理的に相手に分かれせようとする人って少なすぎないかと思うんですよ
45:06
小難しい言葉使って 自分でも伝えたいことと言葉があまり一致してるか
一致してないか
細部まで見てないから論理性が短視してるんだと思いますね
本当に論理で伝えようと思ってないんですよ
論理っぽく見える言葉で納得させようとしてる
でも誤魔化しですよね
論理っぽく見せてるので 特に文化人たくさん思い浮かべますね
過去にいました
自分の言いたいことと使ってる言葉がずれてることも多いんですよ
だから言葉と意図の点検が足りなさすぎますよね
長くいる人が奢るとか称賛されてるのがある程度尊敬されるのはわかるけど
固い評判だと思いますね 時代遅れだし古いし老いてるし
一線からとっくに退いてるということも一応考えるべきじゃないか
目を背けているんじゃないかと思うんですね
では次 観察者にとってその一生ものの錯覚
今の考え方は観察者と人間関係
夢 この先もずっと変わらないと信じてしまうとですね
実際そんなことないですよね
ちょっとこれ難しいんで分かりやすく言うと
小学生なんか自分は一生ゲームが好きなんだ 一生趣味をにしていたいと思ってたとしてですよ
でも大人になれば音楽が好きになるかもしれないし
だから人はずっと同じだと思い込むと
自分の今までの困難の過程をなくし続けることになるんですね
昔の自分もなかったことにしてしまうってことはあるんですね
人は本当は変化し続ける存在なのにこれは一生変わらない
信じ続けようとすると
自分もそう思いたいわけですよね
ここで話すことは一生
この自分の特性だったり考え方 気づき
48:06
一生変わらないと話してる時点ではやっぱり思ってますね
だからメモするわけだし
でも過去のメモってほとんど役に立たないんですよ
不思議なもので
一生変わらないと信じ続けようとすると
過去の自分が積み重ねてきた変化成長を打ち消すことになるんですね
成長なんて幻想だし別にそんなものはいいんですけど捨てても
過去の功績なんかもスポーツ選手であれば
捨てたいと思ってる人も多いし
でも別に変化しないと思ってるわけじゃないだろうし
変わる未来の自分も否定することになるし
自分が過去の気づきとかメモが無駄だと感じるのは
過去の自分が積み重ねてきたものを無駄だと感じてしまってるからなんですよね
だって変化し続けること自体に意味があるとも言えるかもしれないですね
人は向上するという幻想を抱いている
人は規律をまんねりと呼ぶだろうと思います
日常の小さな向上は認めるけど
それは自分も認めますね
自分も意味を持たないけど改善はしてるんですね
自分は成長物語を全く信じないですね
日常の小さな改善はあるかもしれないけど
それは人間は遺伝で決まってくると思ってるし
変化は変化でしかないと思ってるし
それが誠実ですよね
自分で言うのもあれだけど
過去を全部間違えとしてしまうとですね
もちろん判断基準
これまでのものですね
信じてきたことはさっさと崩れてほしいけど
何かを選んだ理由
全部が崩れるんですよね
だから過去って完全否定はあまりしたくないしできないですね
51:02
今は自分で過去の積み重ねで生きてるので
過去を全否定すると
自分の土台がなくなるあるいは不安定になるんですよ
だから土台は残しつつ上書きしていくような形なんですよね
発達以外は興味狭いがおかしいだろうと思うんですよ
偏ってるのが定義なんだから
発達以外は興味が狭いというのは単純化しすぎだと思うんですね
本質は能力・関心の分布が偏ってることなんですよ
狭さではなくて偏りなんですね
今不快なことを時間に経てば変わる?
変われば考えも変わる?
だから自分は結論出さないで待ってるんですね
時間が経てばなんとかなる場合もあると思ってて
感情によって考えが変わると思ってるからですね
あまり早急にそういう時は結論を出さないようにしてるけど
結論出してるのってなかなか自分では気づかないんですよ
結論出してしまってる時これは結論だと意識しづらいですね
ダサかっこいいのの中で混乱起きてそれがなぜか快感になるんですね
音楽の話なんですけど
のの中で混乱起きてそれがなぜか快感になる
これが来るならどうせこの後こう来るかという
いや違うという
いい意味での裏切り
笑わせようとしてるけどめっちゃ質がいいみたいな
これって予測裏切られる快感なんですよね
こう来るだろうと思ってたものが外れたり
ダサさとかっこよさが混ざってると脳は少し混乱するんですよ
その混乱がむしろ心地いいんですよね
自分はそういう生活は秩序ある生活にこだわってる
でも音楽はシンプルで秩序あるものとカオスなもの
どちらも好きなんですね
整えすぎたものより少しずれたものに快感があるということもあるんですよ
で、次、もがいてる時間
幸せだとしてたどり着くときはそれが終わる
しかしたどり着かないようにしようとするともがけない
つまり今話したことを全部意識した時点でダメなんですよね
54:03
過程が楽しいのに達成すると終わってしまう
でも達成させると今度は熱が消える
だから過程を楽しむことは意識した瞬間に壊れてしまう
次、食事中味わおうとするのは快感を得ようとする行為
慣れてしまうとおかしいさっきまでとは違うとなってしまう
快感を求めるがもう慣れてしまっている
快感を追うのは恐ろしいですよね
だから味を求めていると思っているが
実は快感を追っているだから
あれ、何か足りないとなるわけです
そういえば今日は久しぶりに体調が悪くて定期発のせいなのか
するとですね、そんなときに
2つ3つ
朝の間も含めたらいくつもやっとのトラブルあり
あと聴きたい曲探したけどなかなか見つからなくて
無性になんか
苛立ってるしあと喉が渇くし
なんだか麻薬依存症の禁断症状みたいな状態ですねこれ
だから英語外も今日は撮れる気にならなくて
でもこうやってポッドキャスト撮ってますけど
味わっているようで実は感覚の強さを追ってしまっているんだけど
自分は味わおうとする行為自体が快感を得ようとする行為
そのものだと思うし
あるいは添加させてしまっているか
あるいは快感と味わうことは別なのであるとすれば
快感の追跡が目的になってしまっている
気づけば快感そのものを追うようになっている
だから何か足りないと感じるということですね
動画で見たことが混入してくる
57:01
これは変化に弱いんですね
動画の内容でいつもと違う何かあったら
食事中なんですけどフラッシュバック
食事中
現実のように錯覚してしまうんですね
映像刺激の影響が強いんですね
動画で見た場面が記憶に残って
突然蘇るんですね
それだけじゃないですよ自分の場合
動画の内容に影響されるから何かいつもと違うことがあると
確認作業しなきゃいけないかということに繋がるんですね
朝ご褒美食べなかった
もしご褒美ショートケーキ食べなかったら
食べてないはずの昼に食べれるわけですよね
そのまま昼に食べれるように
習慣化して変えたら次の日
本来なら食べれるはずのご褒美
朝食べれないという変なレースがあるんですよ
次いきますね
どちらにもならない
例えば打ち気かどうか
興味狭いか人に興味がものか
人が苦手かどうかみたいな
自分はどちらにもならないんですよ
もちろんそういうことはあると思います
二択では切れないことはあると思います
打ち気だけど社交的なこともあるとか
興味が狭いようで広いこともあるとか
分類が曖昧になるのは自然なんですけど
誰でもあるのは明らかですが
他の人よりこういうものが多いんですね
もしくはこういった曖昧さ
ある世間とはさらに違うんですよ
1:01:48
ことを言う場合って
曖昧さを消したいという場合がある
逆に極端さを否定する人って
次いきます
過去には過去の正解があった
だから否定する必要ない
しかし過去を肯定すると今やっていることを否定することになると思うんですね
もちろん過去を肯定するから
現代は否定することにはならない
でも理論上になりますよね
過去を肯定して
でも現在とコードは同じではないわけですよね
すると過去を肯定するってことは
もちろん分かります
過去には過去の正解があったから
その時にはその時の必要なことがあったから
ともいるしでも
現在を否定していることにもなると思うんですよね
1:03:03
過去を完全に肯定するってことは
だから過去も現在も
正解かどうか分からないっていうスタンスが
衝突しないのかな
だから
過去にも現在にも
それぞれの条件でその時の正解がある
っていうのが相対的な捉え方ですよね
自分は基本的にそういうスタンスです
ただですね
過去を正解だと
その時はその時の正解だと言ってしまうと
どうなのかというと
あとそれをやっている時って
これが本当の正解だと思ってしまうんですよね
過去の条件での正しさ
今の条件での正しさはあります
例えば雨なら傘さすのが正解
じゃあこういう場合はどうでしょうか
医者を目指して受験し落ちた後
本当は利用者になりたかった
これが転職だと気づきなった場合
同じように今を基準に考えると
転職でない医者を目指すのは
不正解だったとなりますよね
信念とはないものがあると信じることで
これをやっていれば必ずうまくいくと思えるもの
必ずうまくいくと思っているという点で
これもないものを信じている
感情を動かすもの
異様なほど普通でない動きするもの
信じている間 高揚感なくなるもの
固定させるもの 迷いなくすもの
他の人の意見を聞けなくさせるもの
申しにさせるもの 視野が狭くなるもの
特別させるもの 絶対を作らせるものだと思うんですね
1:07:11
あとちょっと思ったのが
人間万事さえおがまっていうことと
過去には過去の正解がある 今には今の正解があるって
衝突するんじゃないかと思ったんですけど
その時の選択は絶対に正しかったという意味で
使われるんですよ
その時の選択は
01:08:32

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