では本題ですが 人とか蝿の違い
ってことですねちょっとこれだけだと
テーマが大きすぎる感じがするけど
まずはですね 人ではなく蚊とかハエは殺していい
これについて考えていきたいんですけど なぜそうなのか
以前人間のエゴだとは漠然と言いましたけど
どういうことかっていうと 人間にとって利益のあるものというか
害を与えないものというかそういったものは
殺してはいけない
でも蚊とかハエみたいに人間に何の利益もない ものは殺してもいい
でもですね 蜘蛛なんかも気持ち悪くて殺していると思うんだけど あれなんかは
他の虫を食べてくれるとか そういうメリットもあるわけですよね
そもそも この生物は人間にとって
意味ある意味ないって勝手な人間の基準の判断でしかないし
今一応生物学的にもなんて言うんだろう お互いを支え合ってるというか例えば
太陽の光 こんなものは大事だという意識はあまり持てないけども
これがないと酸素っていうものがそもそも 発生しないから
植物が光合成できないわけですからね だから
全てのものは回り回って まあ必要というかなんて言うんだろうな
まあ少なくとも不必要とか 決めつけることはできないと思うんですよね
不必要だとか 単なる害があるだけのものだとかで決めつけることはできないと思うんですよ
まあそういう意味ではエゴだと思うんだけど エゴって言うより知能の低さに感じてしまうんだけど
知能よりもそういった感情の方が先立ってしまうんでしょうね 都合が悪い時
あと通覚があるかどうか これ何となくわかると思うんですよ
通覚が多分ないだろうから魚釣ってもかわいそうじゃないとか
でも通覚あるらしいですね魚もね あと牛に通覚なんかどうせないだろうから食べていいとか
殺して食べていいとかそういうのも人間のエゴが決めてるだけ
人間の勝手な判断で決めてるだけです
勝手な判断というかよくわからない基準というか あとはですね恐れがあるか
まあ蛇に対する本能的な恐れだったり
よくわからないもの 害虫とか
よくわからないものといっても生物学的に研究が進んでよくわかったからじゃあ
害虫は害虫だろうし 迷惑な生き物は迷惑な生き物でしかないから
まあやることは変わんないんだろうけど
あと神聖なもの すぐ思いつくわけじゃないけど
でもありますよね神聖なもの これも国によっても違うわけですけど
何か宗教関係のものこれは殺してはいけない
だからあれどうなんだ
神聖っていう意味じゃないだろうけど牛を食べてはいけないとか
でもこれもね都市伝説の意境でないけども
結局一応そういうことにしてるけども
宗教的な意味があるとされてるけども
その民族の維持のためにあまり食べられてしまうと困るからみたいな
そういう理由がもとだったなんていう話もありますけど
多分そうでしょうね
これなんかだから興味深いっていうか考え深いですよね
結局そういうことなんですよ
結局自分たちに都合がいいものを生かして
すべての生物の上に立つと考えてること自体が英語ですよねだからね
あと自分たちの管理下におけるもの
特に自分たちで操れるものはあまり恐怖心ってものじゃないですし
使いやすいんで
例えばペットとかこういうのは殺してダメってなるんですよ
でも自分たちではどうにもならないものは殺していいってなるんですよね
あと多数に生きられてるもの犬猫とか
それはもう相関の対象として見なきゃいけないですよね
この多数の人が何にいいですかわかんないから
あと動物愛護団体これもね結構考えるべきことはあると思ってて
何を守ろうとするかこれも結局は根本は今言ったような話で
英語は混じってきてると思うんですよね
あとどんなに多くの人がこれは殺してはいけないと思うが
その動物によって被害がそんなにすごいある場合
北海道だとクマなんかそうなんだけど
クマなんかねクマのプーさんの時はキャラクターになったり
動物園でもとても可愛がられる存在だけど
それだけ害があるとなれば駆逐の対象となるわけですよね
そこでその団体によって保護しなきゃいけないってなったら
どっちを取るかですね人の命を取るのか
どっちかっていうことになっちゃうから
だから難しい問題だと思うんですよ