人間の欲望とその達成
倉木凪です。
普通に人間って、自分が欲していたもの、望んでいたことを達成すると、あるいは得られると、手放しに喜べると思うんですよ。
倉木はそういう人を見て、おめでたい人だなと思うだけなんだけど、
でも、普通はそうですよね。
じゃあ、これはどうでしょう。
チョコレート好きな人がいて、会社の上司が、そんな好きなら俺が買ってあげるよって言って、
板チョコ40枚奢ってくれたと。
自分だったら、そんなふうに贅沢しようとは思わないけど、
人が買ってくれるとなれば、それならそれで、気軽に食べておくことができると。
でもじゃあこれね、手放しに喜べますかね。
望んでいた状況になったかもしれないけど。
でね、何が言いたかったかというと、自分の都合のいいように人間って、おのおととられる癖があって、
今の例だってそうでしょ。
やっぱり抑制が効くからなんだろうね、たぶんね。
30個もあったらそれはそれで違うと。
あるいは、別になかったらなかったで。
欲しいのは欲しいけど、別になかったらなかったで何ら問題ないって思うじゃないですか。
にもかかわらず、あったらあったで。
あの、奢ってもらえたらもらえたで。
最高に嬉しいと思うし。
じゃあ十分すぎるぐらい、ありすぎるとありすぎるで。
これはちょっとなって思うし。
都合よくできてると思うんですよね。
例えば、税理士の資格を受験して、
まあ何でもいいけど社会保険労務士でもいい、宅勤でも何でもいいけど、
パソコン技能限定でも何でもいいんだけど、
それを取れたとしましょう。
ああ、待ち焦がれていたこの資格、やっと取れて、
仕事ができるとなるかもしれないけど、落ちたら落ちたでね。
別に、だからなんだと。
今の生活のままでもまあまあ問題なしって、そう受け止めるじゃないですか。
まあこれも人間、都合よくできてると思うんですよ。
まあ暗きには世間の人たちみんな都合のいい奴らだとしか見えないんですね。
まあ今回はちょっと本音を言ってしまうと。
で最初に話したね、チョコレートのたとえとちょっとまたニュアンスが違って、
今回はその話をしたいんだけど、
まああまりにもたくさんなんか、
例えばカゴに大量にチョコレートを入れてもらって買ってもらえると、
おごってもらえると、
なんかこれは満たされすぎてて、
逆に不安になってくるとか、
まあ飽きてしまうんじゃないかとか、まあいろんな思いが出てくると思うんですよ。
矛盾してますよね人間ってね、だからね。
望んでいたもの、
必要以上にあろうが何ら問題ないはずじゃないですか。
だって賞味期限だな、
カロリーがどう残るんだな、
考える以前にね、
なんかこれはなって直感的にそう思うんでしょ。
ちょっとこれは満たされすぎだなと。
まあそんなね、満たされたくないんだな。
修行にでも旅に出て行ったらどうかと思うけど、
まあそんなことはしたくないんですよ逆に。
これに出したらちょっと気になるんだけど、
まあ食べ放題で好きなものをいくら食べても、
望むことのリスク
これは満たされすぎだとかそういうことは思わないんだろうねみんなね。
まあこれも都合のいい例ですよ。
食べ放題だったらみんなそうしてるからいいっていう。
でもチョコレートカゴにいっぱいはちょっとあれだなっていう。
でね、自分はまあさておき、
まあ自分の子供がいたとして、
お菓子欲しいって言ってね、
カゴいっぱいに済んであげたら、
それは子供のためにならないなってなんとなくわかるでしょ。
もうちょっとハングリーでいて欲しいとか。
まあそこまで考える以前になんかダメな気がしますよね。
まあ質家として単純にダメだとは思いますよねそれは。
だからね、量の問題じゃなくて、
人間ってなんか待ち望んでるもの、
欲してるもの、望んでるもの、
まあそこに目指して進むように大抵の人はできてるんだけど、
まあそれは当然だと思ってるけど、
それを手に入れてしまうのは暗く言うのは問題だと思ってて、
まあそんなこと言ったら受験生みんなに落ちろとしてるもんだけど、
受かるために勉強する、
そこを目指してやるっていうのはまあ当然なんだけど、
それを手に入れたときの失うものの方が暗きは多いと、
相当変わった独断なんだけどこれは。
なんかさっき言ったお菓子とかチョコレートの危うさと共通するものがあるような気がするんだよな。
それが受験みたいに望んでれば望んでるほど。
だって将来にものすごく希望が出るわけでしょ。
大学生活4年間楽しみ、将来はいい企業に勤めると。
勤めれると。
まあお菓子以上に問題があるような気がするんだけど。
あとさっきのね、例えば子供にお菓子1束あげたとしますよ。
さっき言ったようにハングリー選手が亡くなるし、
ありがたみなんてなくなるのは当たり前だし、
お菓子なんて欲するなんてことなくなるかもしれないね。
まあそれはいいようでいて問題があるんですよ。
やっぱりハングリー選手がないわけだから。
まあかなりニヒリシティックな子供になるかもしれないし。
別に食べたいもの食べなくていいやってなるわけでしょ、だって。
あれだけ望んでいたのにどうでもいいくなるわけですよ。
それを手に入れてしまうと。
だから食べ放題なんか言ってね。
好きなものワンサが食べると。
なんで罠に望んでいたのか、欲していたのか。
別に食べたら食べたで、別に。
だからどうなってる、どうなるってわけでもないしってなるじゃないですか。
まあ当分いいなってなるでしょ。
でも忘れた頃にまた食べたくなるのは、
それは単に記憶の問題だけであって、
同じことなんですよね。
次最後の話ですけど。
だからそれ望んでいるものに向かっている間が、
一番いい状態というか、だと思うんだよな。
だから目標設定が大事なのはね。
目標を達成できてしまうのを目標にしないほうがいいかもしれない。
一生追い続けているようなもののほうがいいかもしれないね。
だから受験でもうかることに目標を置くんじゃなくて、
もう一歩先のことに目標を置くとか、
そのほうがいいんだろうな、きっと。
なんだか今回は人生論とか、
なんかそんな感じのあまりクラッキーが好きじゃない話をしてしまったんだけど、
はいまたなけど、それでは明日っけ。