食事に対する考え方の変化
倉木凪です。
倉木はあるスポーツ選手の影響で、何か継続しないと意味がない。もちろん何か大切にすることもないって思ったんですけど。
最近ね、中核は丸くなってきたのか、そういう考えも多分なくなってきたんですけど、でもね、やっぱり根底にはその考えがあるんですね。
でね、これ驚いたのは、食事もね、食事なんかね、別に好きなもの食べればいいわけでしょ。それで何か続けたからってね、ダイエットしてるわけでもないし。
逆に何か続けるよりもバランス良く食べるようなね、変化に富んでるぐらいの方が食事の場合いいような気もするし。
食事の時間はね、ルーティン通りにした方がいいと思うけど。
なのに何かね、最近食事の変化いろいろあるんですけど、もうこれを食べないって分かった時点、食べないだろうって分かった時点で、何か意味を感じられなくなるんですよ。
そこから何かを得ようっていう意識がね、無意識に多分あるんだろうね。
別に得られるのは栄養だけであって、別にこれ料理で味変わったところで取れる栄養素は多分あんまり変わんないし、そこに何が意味を感じてるのか全く分かんないんだけど。
だから動物的な感覚とは真逆ですよね。
もうちょっと本能的に生きていいと思うんですけど。
このエピソードね、最近話した、5年後やってないことは今やっても何ら意味があるんだってやつの続きなんですけど。
それから聞いてもらえればと思うんですけど。
これは倉木の理解力が足りないんですよ。
どうしてもね、倉木は大学を選ぶときも、大学でやったことを一生やらないといけないと思い込んでたんですよ。
だからこそね、高校でやってることも大学で使えるかもしれないけど、教科によってはそんなこともないですよ。
まあもう受験で使わない教科は完全にやる気なかったし、受験で使う教科だってね、すごい吟味してましたね。
まじ、理研肉にしろ文研肉にしろ。
理科社会は特にね。
英語はね、ちょっと漠然としてるというか、たぶん論文読んだりするのに使うだろうし。
理科社会だね、やっぱり。
科目選択はね、悩んでましたね。
勉強する意味も感じないというかね、そんなこと言ってられないし、そんなこと言わないし。
なるべく高校で勉強したことを使える学科に行こうってね、なんか変なこと考えてましたね。
数学科だとこうかなとか、法学部だとこうだなとか、経済学部だと数学も使うのかとか。
心理学科も数学も使うみたいだなとかね。
なるべく潰し学校がいいって考える性格で。
だから大学もそうですよ、将来その知識を使えるようなもの。
専門家ですよね、医療系とかね、医学学部とか、法学部とか。
中小童の高い学問はあまり考えてませんでしたね。
歴史学科とか、宇宙についてとか。
だから学者になりたいと思っちゃったけど、挫折しましたね。
学生家庭に属く問題ってあるんですよ。
博士家庭に行った人がなかなか学者になれないっていう問題が今あるんですね。
今どうなってるかわかんないけど。
東大生の相当優秀な人の中でも海外に留学行って、帰ってきてそれでも学者になれないっていう人もいるって聞いて、諦めましたね。
医学部医学科なんかいいじゃないですか。大学で勉強したことね。
そのまま仕事で使えるわけだから。
でもクラケは精神科員になろうって思った時もあって。
でもそれじゃ全然知識使えないなって悩んでましたね。
でもクラケの考えからしたらね、やっぱりどの道進もうとね。
大学で習ったことはそのまま仕事で使わなくても無理だから。その一部でしょ多分。
旅行も行ってたけど、何だって四国。
で、取るために勉強したりしてもね。
結局実務となったらまた全然別なんですよね。
そうなったらクラケは多分脱絶してたと思いますよ。今まで一生懸命勉強してたのは何だったんだろうなって思ってね。
まあでも、高校にしろ大学にしろ、将来使わない知識あるいは能力をね、使わされ
やっぱり日本人ってそんなこと、おかしなことしろって気づかないからバカだなぁなんて言いたいんだけど、これに関してはアメリカ人もね。
前回話したように、大学ではまず割と抽象度の高い学問をやるんですよ。
そこから専門家に進むんだけど、それなんか意味ないと思うからね。
でもアメリカの大学生ってほんとひしこえて勉強するわけですよ。
寝る間申しんで。だからこれ世界共通しておかしな現象だと思うね。
アフィリエートやってるときもね、トリンダーアフリートなんかやってるときは、
あと乃木坂について書いてるときとかも、今ね、書いてる情報っていうのは意味があるけど、
5年も経てば、例えば芸能人について書いてたとして、書いたブログある、記事があるとしてね、
芸能人のことなんて誰もわかんないかもしれない。
あるいは別にトリンダーアフリートではなくても、
アフィリエートってね、例えば格安セミについてやったとしても、やっぱりそのときどきのことやるからね。
今、UQモバイルではこういうキャンペーンしてるとかそういう記事書くわけです。
でも、2、3ヶ月も経てばそんな記事、消耗品と同じですよ。意味がなくなってしまい。
だからね、倉強はね、なるべく普遍的なことを書こうとして逆にそれで失敗するんだけど、
なんかね、1年後、意味のないもの、そんな情報を知ってても意味がないっていうようなことを書いたり、
そういう知識を得たりっていうのは、すごいね、意味嫌うわけですよ、倉強は。
フォトキャストもね、そこら辺意識はありますね。
だから芸能人について話さないのも同じですよ。
5年後に聞いた人が、そんな人わからないとなれば、同じあれですよね。意味ないですよね。
だから倉強もね、無謀なこと考えてるから、このフォトキャスト50年後も聞いてほしいなんて考えちゃって。
いや別に無謀だとは思ってないけど。
だとしたらね、年齢的に全然恋と、その頃はもうおじいちゃんだからね、全然合ってないだろうなと思って。
それじゃあどうするってね、また余計なこと考えちゃうんですよ。
それではしたっけ?