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第5805回 特別回 意味のあとに残ったもの
2026-06-02 53:24

第5805回 特別回 意味のあとに残ったもの

この番組は、観察密度が異常に高い人間の思考ログです。 普通の人が言語化しない違和感や、小さなズレだけが静かに拾われていきます。結論もオチも教訓もなく、意味づけや整理も行われません。 ただ、処理されない思考がそのまま流れていきます。 語りは雑談のように軽く、ところどころに哲学的な視点が混ざる、ゆるい「雑談 × 哲学」の構造で進んでいきます。 語り手は日本に暮らしながら、日本の内側の空気に同調せず、 どこか外側から世界を見ているような距離感を保っています。肯定でも否定でもなく、ただ観察だけが続きます。 宗教を離れた経験がありながら、怒りや回復の物語には向かわず、 救いを探すこともない。ただ通り抜けて今にいる。 その静かな距離感が、語りのトーンとして滲んでいます。発達特性と宗教離脱という背景を持ちながら、 どのコミュニティにも属さず、どのラベルにも依存せず、 説明することなく、ただ背景として薄く残るだけになっています。弱さの語りにも回復の物語にも向かわず、 起きたことを起きたまま置いていく。 その乾いたトーンが、この番組の雰囲気をつくっています。 外側から見ると何も起きていないように見えますが、内部では小さな違和感が積み重なり、独特のズレが静かに可視化されていきます。 どの物語にも価値観にも組み込まれないまま、 長い時間をかけて、世界の揺らぎだけを記録し続ける番組です。

感想

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00:00
時は静かに 流れ続けていた
その途中で スマホの充電が97%で止まっていた
それは 記録されることもないはずの小さな揺らぎだった
けれど この番組は
そういう揺らぎだけを集めている
ここを撮ってます 今日気づいたことから話していきたいんですが
ここでは 結構セキュララに語っているんで
だいぶ偏っているように 聞こえるかもしれないんですよね
で 難しいなぁと思ったのが
だいぶ自分も極端な性格してるんで もしこれが良いとか悪いとか 価値判断で言ってるんだというふうに聞こえられてたらですね
そういう印象を与えているので だいぶ偏屈というか偏っているんですよね
基本的に自分は好き嫌いしかないんですよね ここで語ってることっていうのは
自分は好き嫌いがめちゃくちゃ激しいんですよ
ちょっともうすぐ次の話いきますが
今日テレビ見てて気づきました
どうしてもですね
もう一度見返したい時があるんですよ 巻き戻したりたまにするんですけど
絶対2回目うまくいかないんですよ なんでか分かりました
人間って何か見る時に 感情動きますよね
でも2回目見たら 慣れてしまったら動かないんですよ
2回目しっかり見れてはいるんですよ
でもつまらなくなってしまうということはですよ
ということはしっかり見れてるしっかり聞けてるから自分は満足するわけじゃなくて
今何か見て面白いと思ったな感動したな
ということを認識して
意識自体は
面白いと思ったり心が動くんですね
分かりますかね 見たらそのまま
楽しければ楽しい そんなふうに単純に
03:01
思ってますよね そういうふうな心の動き方をするんだと人間は
でもそうではなくて
自分が何か見て感動してたら ああ良かったなってなる
逆にしっかり見れてたとしても
全く何とも心が動いてなくて慣れてしまって心が動いてなかったら
自分の場合2回目見たときですね 2回目3回目見たとき
1回目よりしっかり見れてるはずなんだけども慣れてしまって心が動かないと
それを意識して 意識っていうのはその再認識なんで認知の認知なんですね
だから 心が動いてないだからつまらないんだって認識しちゃうんですよ
1回目よりちゃんと見れてるのに
だから自分がこの身体が楽しいと感じてるなってことを意識は
感知してるだけなんですよ 観測者でしかないんですね 意識ってのは
他の動物ってのはこの意識の部分がだいぶ人間より弱いんですよね
だから自分は今これやってて楽しいなとかいうことはないんですよ
とにかく命を保つので精一杯なんですね
だから食事中なんかも美味しいとか思ってないだろうし
オスが目住めてもこの子可愛いなとか思わないし
子孫残すのだけしか頭にないだろうし
っていうかそういう発想すらないみたいですね
いろいろ調べたことあるんですけど
ちょっと人間の感覚とは全く別なんですよ
さっき一番最初に話したことの続きなんですが
それでも自分はかなり気遣いながら話してるんだけど
今日は宇多田ヒカルが若い頃の動画見てたら
日本の曲がダサいって言ってるんですよ
この人の場合はちょっと
例えとしては悪かったけど
こうやって何の忖度もなく
セキュラに語れる人はちょっと羨ましいですね
何の条件も示さないで
ただ単純に日本の曲はダメだという
しかも別にそれに対して
世間からは何か物申す人はいるかもしれないけど
周りで何も言う人はいないだろうし
ちょっと今の例えは悪かったですけど
なんか悔しいですね
この前ちょうど自分も全く同じこと言ってたですね
でもすごい気遣いながら
これはこういう意味でやってってことを
丁寧に話したんですけど
宇多田ヒカルの場合一刀両断してましたね
博士太郎も
だから自分はですね
06:00
あとそれもそうだし
自分的にも満足度いないんですよ
何かを価値判断したところで
あんまり意味ないと思ってて
あなたはそう思うんですねとしか
思われないから
だから何か口喧嘩してる人見ると
全く意味ないなと思っちゃうんですよ
単に相手を罵倒して相手を否定して
でもそれは一人の意見でしかないから
そういう見方でしかない
だから本当に相手のこと嫌いだったら
それぐらいじゃ浅いような気がして
意味ないように感じるんですよ
よくそれで満足できるなと思っちゃうんですね
何か嫌いなものについて話すとき
単純に嫌いなだけなら嫌いだっていうし
本当に自分がちょっと理解できないものっていうのは
単にあなたはそう思うんですねと
捉えられるときじゃあまり意味がないんで
すごい考えるんですよ
ではこれは番組名について考えてて
気づいたことなんですが
宗教辞めた人とかあとはですね
人生に意味がないと考えてる哲学者って
何人かいるんですよ
あと虚無感に襲われたこと皆さんないですかね
こんなことやって何の意味があるんだとか
人生に何の意味があるんだと
ニーチェとか神とかそういう哲学者もですね
最初は人生に意味を感じてるんですよ
ニーチェは最初は宗教にいたし
あるはずだと
あったはずだと思ってる意味がなくなってしまって
さあどうするってもうパニックで格闘してる状態なんですね
そこで哲学が始まるんですよ
誰でもそうでしょうね哲学者でなくても
さあ宗教辞めましたじゃあどうするとなりますよね
大抵の人にとっては虚無っていうのは
たじめ向かう敵なんですよ
どう乗り越えるかって考えるんですよね
でまた物語を紡いでしまうんですよ物語を捨てて
だから空白を種かで埋めようとするんですね
でも自分にとっては世界に意味がないことは
別に天気と同じようなもんなんですよ
自分にとってはただの背景でしかないんですね
普通はだから新しい機械を探すんですけど自分は
例えば部屋の中が寒いとしますよね
で別にパニックにならないで
だったら何か厚木すればいいでしょうっていうスタンスなんですよ
意味がないからだから何ですかっていう感じだったんですね
宗教辞めた時
自分にとっては当たり前だったんですね
09:02
それまで宗教という嘘の物語を前面から喰らってましたけど
それからはどうやって自分がこの日常壊れないで
自分というものを動かし続けるかということしかなかったんですね
部屋に例えるとですね
多くの人はそもそも救いに逃げるか
自暴自棄になるかつまり絶望するかなんですけど
哲学者今言った兄ちゃんとかは
部屋にあるはずのものがなくてパニックっている状態
あるはずのものがないからやっぱり不自然ですよね
だからどうにかしようとするんですよ
自分の場合最初から部屋ごとなかったような感じなんですよ
ただこれもですねこの解釈が正しいかどうかは
ちょっとこの後また話しますが
絶望もしない希望も見つけてない分かるけど
そういった哲学者でさえどうしてもそうやって
新たな希望とか理想とか求めてしまったり
哲学者によっては絶望したり
だったら自分だってその哲学者のいずれかなんじゃないかなと思ったんですよ
でもですね必ずそのどれかに収まるっていうわけじゃないですよね
それは人間の生き方なんて千差万別だし
でもすごい気分は悪いですよ
そういった歴史の偉人哲学者でさえ踏み入ってない領域に
踏み入ってる可能性が1%でもあるのだとしたら
いやー奇妙でしかないし何にも嬉しくないですね
だってそんなことしたって何の日の弁をあげれないし
別に哲学者として後世に残るわけでもないし
何のただただ悔しいですよ
もしそんな生き方をできてるんだとしたら
何の日の弁を浴びれず終わるわけじゃないですか
かといってじゃあ救いには逃げなかったけど
そういった哲学者と同じように生きてる
あるいは哲学者に憧れて生きてるなんてことはないし
しかもこれらの哲学者の言うことをそのまま従えば
まあ新たな物語を作ってるまた新たなフィクションを生きることになってるわけですね
12:00
いずれでもないんですよ
でも疑問が出てきたんですよ
じゃあなぜ普通は絶望や希望に行って
哲学者に憧れてそういう言い方をしないのかという疑問が出てきましたね
ちなみにニーチェっていうのは意味を捨てた後に
自分で新しい価値を作るっていう考え方なんですよ
これが重すぎるらしいですね
普通はこれができないようです
じゃあ自分は何なんでしょうね
新しい価値を作らないどころか
自分は新しい価値は作ってないわけですよ
これ他の人と同じなんですよ
で他の人と違うのは
じゃああそこで救いとかに逃げることもなかったってことですよね
いやー奇妙ですね自分が奇妙です本当に
なぜこうやって生きてられるのか奇妙です本当に
普通はですねやっぱり救いがないと壊れるからなんですよ
救いに行くんですよ他の宗教探したりスピリチュアルに逃げたり
自分はですね
自分が壊れる引き金になるし
加熱してしまうエネルギーがもう爆発してしまう
だって救いって癒されるじゃないですか快感が出るじゃないですか
その反動があるじゃないですかそれが自分を壊すんですよ
感情の起伏さえ自分は捨ててますから
あと絶望するってことはまだ意味を信じてるんですね
自暴自棄になるのもね意味をまだあると思ってるんですよ
人生に意味をまだ感じちゃってるんですよ
理想がまだあるんですよ希望も
あと20年宗教やってた人が意味をなくなってまた新たな宗教とか
新たな意味とか作ることができるわけがないですよね
ニーチェと同じで
だからニーチェの方向は
ニーチェは新たな価値を作ると
自分は無理ですねそれは
ちょっと話ずれるんですけど
加熱といえば
一郎が普段わかんないけど試合中
ヒット打っても絶対に笑顔見せませんよね
あれもそういうことなんですよ
あれで感情を出してしまってやった打ったってやると
エネルギーが爆発してしまうんですよ
つまり感情が動いてしまう
自分にとってダメだと分かってるから抑制してるんですよ
それと同じことなんですよ
生活してて自分を自分で縛って守ってるんですね
そこに救いとか意味が少しでも希望とかが入られ込んだら
大変なことになるんですよ
これ一郎と同じことです
ここで一旦話ずれるんですが
15:01
最近ですね
以前に比べてあまり職に興味がなくなったのか
でもタイミング的にせっかくいろいろ調べることができるのに
前よりは少し興味が薄れてしまったのか
そうですね
最近あまり職人について調べることがなくなりましたね
なんかそれが悔しくてですね
運が悪いなと思ってタイミング的に悪いなと思ってですね
いるんですよ
熱しやすく冷めやすいのか
何年かも興味あったことが急にパタッとなくなるの
なんか末は恐ろしいですね
この性格自体が
あとですね
前宗教の集会で
すごいよくしてくれてた人が急に睨んできてて
あの時
ミーティングの後に近寄ってって
何か失礼なことしましたかって
直接聞けばよかったかなと思ってね
これは手洗ってるときかな
一瞬空想しましたね
そうです手洗ってたときですね
嫌なこと思い出しますね
まあでもやっぱり改めて考えてみても
やっぱり自分にプレッシャーかけすぎてたし
こうでなきゃならないとか
何かになろうとしてたんですね
何者かになろうとしてたわけです
で2昼になってからは
そういったプレッシャーは全部剥ぎ取られたわけですよ
でも普通はそこで
もうじゃあ人生どうでもいいやってなりますよね
それまでの価値観が全部削ぎ取られるわけだから
でも自暴自棄にはならなかったんですよ
これも変な話ですね
いやでも相当自分なりに工夫はしました
工夫って言ってもちょっとやそっとじゃないですよ
24時間の工夫ですからねこれ
24時間365日10年間の
工夫の集大成が今話してることですから全部
あとそうだ
歌田ヒカルがですね
やっぱり思ってた通りでした
R&Bとかヒップホップとか
ばかり聴いちゃったみたいなんですけど
でももちろん
ポップス寄りにはしてるだろうけど
世間の人は
多分うわっつらの部分だけ聴いて
なんとなく手触りだけで
いいと思ってるけど
歌田ヒカルのやりたいこと
いや自分もわかりませんけどもちろん
でも間違いないですよね
18:00
歌田ヒカルのやりたいこと
多分9割もわかってないんですよね世間の人
それって何て言うんだろう
過大評価って言うのとも違うし
歌田ヒカル自体は素晴らしいわけであって
巨大評価の一種になってしまうのかな
本来の価値をわからないで
素晴らしいと言ってるわけだから
とは言っても価値って結局は
世間の人が好きなものなのかもしれないし
芸術作品って言うんですけど
本来の価値は
わかられないけど
それがアーティストのジレンマなんでしょうかね
どのアーティストもそういうのを抱えてるんでしょうね
皮肉なもんですね
そうでもしないと稼げないし
だからアーティストはあんまり
商業的にあんまり大成功しないほうがいいんですよ
やりたいことできなくなるから
それだけ商業性に偏ってるってわけですからね
世間の人がわかるものを作ろうとすればするほど
芸術性は下がるだろうし
運役両方兼ね揃えてる人もいるかもしれないけど
後歌い聴かれ
本当はアメリカで最初売れ出そうとしてたみたいなんで
だからみんなそれぞれ色々抱えてるんだなと思います
自分をごまかすこともしてるだろうし
これでこの人生で良かったんだと思い込むのと
するなんて誰でもあるってことですね
別に自分に対しても他人に対しても
嘘をついてるわけじゃないかもしれないけど
先輩今日ライブ映像見てて
葛藤ありましたね
ライブ映像はなぜか歌番組と違って巻き戻ししちゃいけないっていう
自分なりのルールがあって
でも条件次第では巻き戻ししても良くて
だからややこしいんですよ
巻き戻ししたいけど
今回の場合やってしまってはどうかと
巻き戻しして今まで何回も嫌な思いしてきてるんで
なんか悪いことが起きたような気がしちゃうんですね
超ネガティブ選挙になるんですよ
あ、そういえば
広島球場主役旅行の時
近くで見れたんだって言ったらですね
動画では高専球場だったんですけど
こんな感じでって言ったのに
それが広島球場だと思っちゃったんですよ
本当に話聞いてくれないですね
ひどいもんで
まあ流したけど
21:02
自分のストレス解消法は変ですね
眠くなってですね
千葉ロッテの応援
ビジター球場での応援を見てたんですよ
自分はなんて言うんだろうな
オタク的な趣味もなければ
大衆と同じ趣味もなければ
なんかずれてるんですよね
あとは障がいの人が持つような
パソコンとかの趣味とも違うし
そういえばそれでついでに話しちゃうと
ストイックすぎてですね
しかも通覚が弱いのか
ストイックすぎるのか
もう集中しちゃって
誰も大使みたいに気づかないんですよ
誰も大使ってご存知ですかね
瞑想してたら
足が腐ってしまった人なんだけど
自分もですねそれで
ストイックすぎて
育てていたいんですけど
ずっと育ってたら
パンツにまで血がついてたことがあって
あれは忘れましたね
あとなんで死に分かれることを言えば
広島と京都なのか全く理解できないんですよ
かねてからの疑問でですね
今調べてみたら
平和学習と歴史が勉強できる
じゃあ
じゃあなんで
歴史と平和ってなければいけないんだ
人間が学ぶことなんて山ほどありますよ
なぜどの学校も共通してるんだと
ありますよね
しかも
日本の学校全てがそういう
決められてるなら分かるけど
そういうわけでもないみたいだし
全く理解できないですよね
いや
平和
なんで急にそこで
切れ言を出してくるのか
修学旅行だけで
普段の授業でそんな平和なんて強調しないのに
なぜ理系に対しても
歴史の勉強をさせるのか
理科学研究所とかでいいわけじゃないですか
ソニー行くは無理か
どっかの企業を見学するとか
ちょっと話ずれるけど
自分は行きたいのは
仮想場とか
どんな仕組みなのかなとか気になりますね
仮想場とか
小学校のとき
ゴミ処理場が楽しかったんですよ
あと
警察署の中とか
警務署はダメか
治安の悪いとこちょっと一周してみるとか
高級住宅街に行くとか
そっちのほうが修学旅行行くないですか
24:00
レストランの厨房見るとか
茶道をちょっとやってみるとか
だって京都行って歴史勉強する時だって
なんか小難しい話聞かされて
それしか覚えてないですよ
あと綺麗事だって分かりました
実際は
そういうとこには
綺麗ってくれるホテルがあったり
これ大事ですよね
新幹線で行きやすかったり
そういう条件が揃ってるっていう理由で
そんなのは花から分かってるようなことですね
あともう
昔からそうやってるからっていう
そういう
なんていうんだそういうの
よく考えてないんですよきっとだから
そうするべきだろうっていう
あと平和学習ってことで
理由にしやすいんでしょうね
あと教師もノウハウもあるし
あとツアー
旅行会社も
組みやすいしそのほうが
なんか
世の中の
悪い部分が全部集約されてるような気がしますね
この決め方
別に京都と広島に問題はないんだけど
では飲食の話ですが
今日は昨日の残りですね
おんやこ丼の上の部分と
あとなんか
あれは柑橘系の
柚子胡椒
柚子の味しました
あとキャベツと
なんか初めての感じでした
豚肉入ってるからか
美味しかったですね
キュウリと
キュウリは
家で漬けたのが美味しいですよ
あとやっぱり最近もですね
なんでこんなに健康に気使ってるかなと思って
パスタを
食べなくなったのは
なんとなくの流れなんですけど
それもちょっと忘れてしまったし
別にパスタくらい食べていいような気もするし
ご飯は食べないようにしてますけど
でも最後辞める頃には
結構大量に食べるようにしてたんで
結構家分も多いし
健康に悪いからと思って辞めたんですけど
ちょっと健康に気遣いすぎて
自分はストイックにできてるかなって考えてるけど
超ストイックすぎますね
昼なんか豆腐だけだし
何してるんだろうって気持ちになりますよ
あとですね
昼間夜寝てる時
体かきすぎたのか
座っててちょうど痛くてですね
痛いし痒いし
寝てからも痒いし
またかいてしまうし
27:00
寝てる時は結構辛いんですよ全身
現在夜撮ってます
配信の仕方で不安になってしまい
また調べてしまいましたね色々
これは初めてなのか
一度調べ始めたら大変なことになると思って
でも自分のやり方があまりにも独特なんで
もっと効率的にできないかとか調べてました
あとですね
急がままあれってこういうことかと思いました
寝てる時体かいてしまい
手洗いに降りたんですけど
先にトイレ行っちゃって
今日も両手洗わなきゃいけないんだけど
トイレ行って
いやーだめでしたね
両手塞がってるようなもんですから
結構こういうことあります
せっかちすぎて
そうなんですよだから
だからこそ
いつものルーティン
思われるようにしてるんですよ
こういうところがあるんで
たまにこういうせっかちなとこ出てきますね
大抵余計時間かかるんですよ
それで確認作業が自分の場合時間かかるんで
そんなこんなで一回寝たらですね
まあたぶん将来
この家にいること懐かしむんだろうなと思ったら
もう切なくなってきてですね
こんなこと考えることが普通ない
あまりないと思うんですけど
現在のことを言います
過去にあった過ちによって
どうもがいてもその後
それが引きずって人生をおかしくしてしまう
つらいですよね
まあでも
まあその与えられた状況でやっていくしかないと
受け入れるしかないんだろうけど
でもですよ
例えば軽道児になって
でその過去の問題によって
せっかく頑張っていい作品に出て
でもその過去の過ちになって
せっかくいいところで台無しになってしまう
それでもなんとかもがいて頑張って
したらまた新たな問題ができてしまい
ダメになってしまう
もしこんなことがあったらつらいですよね
いや実際に
あるアイドルの
メンバーで
まあそういう状況に立たされてるみたいな
30:01
なんですけど
人生って生き地獄だなと思いました改めて
こんな人生を
これが人生なんだと悟ってしまってるのに
こうやって生活してるのが何とももどかしいです
では先ほど話してたことの続きなんですけど
もしたまに例えるとですよ
もし人生の意味を感じなくなったら
別の飾り付けをするんですよね
新しい家具を棚に並べ始めるんですよ
人生を良くされるためにとか
前向きな物語とか
17年間自分はそれはしなかったですね
未来への希望とかそういう物語は描いてなかった
なんだけど
こうやって
毎日の
生活はしっかりしている
意味を100%否定してるんだけど
目の前のことに対するエネルギーを100%
使えてるんですね
普通
希望が全くない人は
不可能なはずなんです
普通意味がなくなってしまうと動けなくなるんですよ
あと
理屈をこねるかしかできないんですね
非常にこれももどかしいのが
例えば不完全性定理っていう数学の定理で
絶対ってものがないって証明されてるにも関わらず
よくわからない理屈をこねる人が多いんですね
そうやって自分をごまかしてるんですよ
それが人間の自然な
思考回路なんですね
それが悪いとは思わないけどそれを見た自分は
当然嫌な気分にはなりますね
自分はそこで戦ってるわけだから
自分との戦いですけど
だからがっかりしたりやけくそになったりしないで
熱がないつまり平熱のまま生活してるってことですね
普通絶望したら意欲的になったり
熱をもって行動するようになる人もいるんですよ
絶望の反動で
でもそうしたらまた反動で絶望に向かいますから
哲学者がやってるっていうのは
哲学者を批判するつもりは全くないんだけど
33:05
本来あるはずの意味がなくなり
それに立ち向かおうとしたり
絶望したりっていうことなんですけど
自分にとっては
生物でしかないんだなって分かって人間も
何もパニックにはならなかったです
自分が崩壊しないための工夫
巨大な重力ですよね虚無っていうのは
それに対しての防衛だったんですよね
自分が普段やってることは
なぜその工夫が哲学者がやらないことだったのかというと
普通の人は生活に意味とか楽しさという飾りを付けて
安心しようとするんですよ
でも20年やってた宗教で一度破綻した経験があるんで
そんな飾り並べたところで
自分の崩壊を止められないことを
骨の髄からも味わっている
知っていたわけです
だからさっき言った棚ですね
部屋から棚を取ったような状態なんですよ
意味を置く場所を消し去ったんですね
さっきもとからないって言ったけど
それはちょっと表現として間違ってると思うんですね
意味の棚を宗教を止めた頃から
取り始めたってことですね少しずつ
哲学者ってのは意味の棚を置いて
新たな自分で作ったものを置きましょうっていう考えなんですよ
あとは棚に何もないことを嘆いたり
絶望
世間の人が思っている絶望とはまた違うんだけど
世間の人が思っている絶望というのは
希望の裏返しですから
哲学者で絶望している人もいたわけです
でも意味の棚をなくした後ですね
意味という棚をなくした後残るのは
剥き出しの現実虚無なわけです
そこで油断してどうでもいいと一瞬で立ち止まったら
二度と動けなくなるんですよ
36:01
だから自分の動かすための工夫として
全く狂いがない手順ですね
ルーティン・ルールを自分に課したんです
そうやって自分は宗教やってたけど
意味なんて幻想だと気づいたんですけど
ニーチェも同じではないかと思いました
そもそも棚というものが存在しないというと
生まれつきみたいな言い方だけど
生まれつき違うという
特別な人間であるかのような言い方だけど
自分もニーチェも世の中の人みんな
宗教とか価値観をどっぷり信じて
ニーチェも自分も
神っていないんだ全ては幻想だと気づいたんです
でも意味というものが存在しない場所に今は立っているわけですね
宗教という嘘に気づいた後に
選んだ工夫がですね
そしてその設定ぶりが
とても冷徹だったんですよね
冷徹すぎた
ニーチェは空いた棚に自分が作った飾りを並べますから
人間にはどうしても生きる意味とか目的は必要だと考えたんですね
自分もそうは思います
人間というのは
動物というのは
人間は
過去とか未来とかを持って物語を描くようにできてるんですね
因果関係が必要だとも言われるし
目の前のことも人生も
生きる
意味とか目的意識が必要なんですよね
それは分かっております自分も
ニーチェは長寿について強く生きようとか
物語を
並べたわけですよね
で崩壊を止めようとした
自分が崩壊を止めようとしたのは
ニーチェと同じように
加熱しないということですね
新しい物語を並べたところで
そういう嘘の飾りでは
自分の崩壊を止められないと思ったんですよ
かといっては
ニーチェの場合は
嘘の飾りとは言えないけど
39:00
ただ棚に何かを並べてる時点で
それは新しい意味を作ってるわけだし
もちろん人間の価値観なんてなくならないから
並べなくても並べても
価値観っていうのはあるのは分かってはいっても
スタンスとして姿勢としてはですね
新たな意味は作りたくないわけです自分は
だからニーチェは
矛盾してることをやってるようですけど
そこはちょっと自分はまだ
ニーチェの哲学は理解できてないんですね
どうあがこうが
意味は意味でしかないと思ってるんですけど
ニーチェ学とやって
棚に並べてるとは言っても
うちらが思ってるよりもっと
次元の高いことをやってるのかもしれないし
それは分かんないです
自分は意味という概念は
もう17年間で人生から削ぎ落としてきたんですよ
日々のルーティンだけで行動してる
だから自分オリジナルの物語を作らずに
でも虚無にもよってないしにひる
な哲学者に
従う
崇拝するっていうことに
意味を感じることも避けてきたんですよね
宗教を破った時に新しい議題を作ってしまったら
それは結局
宗教時代と同じ意味の嘘を自分で
再生産して
意味という嘘に騙されるだけだと思ったからです
でも絶望
世界は意味であって
なるのは虚無によってるだけなんです
絶望を燃料にしてるだけなんです
絶望ってエネルギーになるんですね
でもその先にあるのは自暴自棄ですから
それでは自分は生活できないんです
もし虚悪性障害になってなかったら自暴自棄になっていたかもしれないし
今みたいな生活はしてなかったかもしれない
それはそれで神経質になりすぎなくてよかったのかもしれないけど
哲学者の思想に従うことに意味を感じてしまえば
自分の生活現実っていうのは
他人によって他人の言葉で進められるようなものなんですね
ああいうのは逃げ道だと思います
42:04
だから物語に逃げるというのは
加熱するということを拒絶していることではなく
虚無に酔わないということは
麻痺の拒絶することなんですね
結局虚無に酔ってしまうというのは
感覚を麻痺させているだけなんです
あとは哲学者に従わないというのは
依存することも自分は避けていることです
結局すべての逃げ道を自ら塞いだんですよ
絶望する道も
出口を作らなかったんですね
自分は生まれつき感情がなくて
ロボットみたいで
それで意味というものを
作らなかったのかというとそうじゃないんですよね
何とか崩壊を防ぐために必死にもがいて
工夫のせいに
それで意味というものを創業として
たどり着いたわけですね
今の状態に
他のニヒル系の哲学者というのは
意味というものは作るんですよね
でもそれが
認知の場合は自分で作り出したオリジナルの意味だし
あと生きるということに肯定する哲学者もいて
自分は肯定もしてないんですよね
どっちかに寄っているわけではないんですよ
世界に意味がないと分かった後
それを前提にした後に
自分のオリジナルの意味を作る
という活動には戻らなかったですね
意味を作る運動に戻らなかったです
ちなみにこの自分の規律というのは
ルールというのはルーティンというのは
自分を磨くためでも成長するためでもないですね
あと哲学者というのは虚無とは何かって考えてきたわけですけど
さっき言ったように
そもそも
自分は棚自体を捨ててしまってますので
意味について考えたりはしないですね
意味がないという
虚無について考えることもないです
自分にとってはいくら
全ては幻想だとか
神はいないとか言ったところで
頭の中に意味を作り出している
棚を置いているということですね
時点で
宗教という救いに逃げている人も
そういった哲学者も
同じものだと思うんですよね
救いに逃げる人というのは
神とか教義とか
45:03
あらかじめ用意された飾りを置いて
哲学者は自分で作ったオリジナルの飾りを置くわけです
やっていることは同じことなんですよね
何かで埋めなければ生きていけないと思っているんです
あと絶望を燃料にしている人も同じですね
人生に意味がないからこそでも生きろという風に
生きるということを肯定するのも
あと救いに逃げるのも
意味がないという事実にがっかりしている
という同じエネルギーで動いているんですよね
そこをエネルギーにしてはいけないと思ったんです
正確に言うと
無意識にそれを確信していたわけです
それはもう20年間の宗教で
宗教というものを見続けた
内側から見続けたことによるものかなと思います
自分はこの棚を叩き壊したということなんですね
だから棚を埋めるものを探す必要はないんですよ
棚がないわけだから
残ったのは飾りじゃなくて
一日を壊さないための手順だったんですね
規律だったんです
でも哲学史とか常識からしたら
ニーチェと宗教の救いに依存している人と同じだと
規律しているのは暴論ですよね
おかしなことだと思います
ニーチェは素晴らしいですよ
宗教に頼らず自分の足で立てと叫び続けたわけですから
当時の時代これはすごいことだと思います
だからある芸能人が
自分はある哲学者のように進んでいると
でもそれは時代が落ちて進めたと言ってましたけど
そういうこともあるのかもしれないです
今の時代だからわかることはあるのかもしれない
そんなニーチェは素晴らしいんですけど
ニーチェというのは
自分の生き方からしたら
同じような罠にはまっているとしか思えないですね
ニーチェというのはですね
宗教に逃げる人を
神に寄りかかっていると
自分の価値を切り開けていった人なんですよね
でも自分からしてみたら
自分の活性化が
加熱させて
48:00
意味の嘘に依存しなければいけない
という構造自体は同じなんですよね
何かに付け加わさないと動けないということですから
熱量が必要ですから
この人たち
だから世界がただ無意味だっていう
できてないんですよね
結局それも宗教じゃないのかと思ってしまうんだけど
分かんないし、自分になって自分を信じるという宗教なのかもしれないし
あと
自分もこういう哲学者みたいに
救いに逃げず生きていくんだって
哲学者を崇拝する人は
新たな
崇拝するものを作って
つまり宗教にいた頃と変わらないですよね
結局そうやって哲学者を信じている時点で
いくら意味を捨てたといえど
物語を変えてしまっていると思いますね
信じるものを作っている時点ですね、そういうことなんです
だから自分という宗教で
自分という新しい宗教を立ち上げて
そこに救いを求めて逃げているのと同じように感じるんですね
だから物語にまた騙されているわけです
似ている哲学者なんですけど、ハイデガーという人いて
でもこの人はやっぱり政治とか
そういう人も多いんですよ
哲学者でなくても
そっちに行く人、逃げる人が多いんですね
絶望する人もいれば政治に行く人もいるし
意味がないということをつけられて政治に行ったんですね
で、カフカという人はですね
この人も以前調べたことがあって
とても文学の世界で似ているなと思ったんですよ
この人の文学の中でも主人公は
不条理に絶望したりしないで
とりあえず生活していこうという
ところが手順をこなす自分と似てますね
でもカフカはその不条理に耐えかねて
文学という美学に縛り付けられたようですね
で、カミュっていう哲学者は
51:03
無意味な現実に対して反抗するっていうことを言ってる人なんですね
ただですね、さっき言ったように自分だって物語を書いてるんですよ
他の哲学者とは違う
いやこれはでもまあ
違うか
でもこうやって話してる
どうしてもポッドギャスで話してる間は説明しなきゃいけないんで
他の哲学者とは違うってなったり
単なこと壊したんだっていう風になったり
ただ意味は作らないように生きていこうとしてるし
そういう自覚もあるんですよね
このルーティンで生きてるという自覚もある
これは人間であるからそういう定めなんですね
こうやって自分の人生を整理してること自体が物語に他ならないわけです
自分は今までこうやってやってきたって過去を振り返っているのも物語を書いてることです
自分は物語には逃げないんだという態度自体を物語化しなきゃいけない
自分は物語化しなければこの遠もない17年間を正気でいることはできなかったということですね
これだから脳の呪縛なんですよね
じゃあ自分は何なのか
どうしてここまで普通の人とも哲学者とも違うのかというと
自分が新しく作った価値を彼らは本当に信じてたということですね
それは猛進なのかもしれないし分からないけど
それが救いなような感じはするんですよドラマチックだし熱があるし
真逆なんですよ自分は
物語も書いてるけど
自分を守るための防衛のための嘘であるフィクションであることを忘れてはいないんですね
冷め切ってるんですよ
間に合わせのルールなんですね自分が壊れないための
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