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第5787回 世界に参加せず、ただ観測する
2026-05-24 50:02

第5787回 世界に参加せず、ただ観測する

この番組は、観察密度が異常に高い人間の思考ログです。 普通の人が言語化しない違和感や、小さなズレだけが静かに拾われていきます。結論もオチも教訓もなく、意味づけや整理も行われません。 ただ、処理されない思考がそのまま流れていきます。 語りは雑談のように軽く、ところどころに哲学的な視点が混ざる、ゆるい「雑談 × 哲学」の構造で進んでいきます。 語り手は日本に暮らしながら、日本の内側の空気に同調せず、 どこか外側から世界を見ているような距離感を保っています。肯定でも否定でもなく、ただ観察だけが続きます。 宗教を離れた経験がありながら、怒りや回復の物語には向かわず、 救いを探すこともない。ただ通り抜けて今にいる。 その静かな距離感が、語りのトーンとして滲んでいます。発達特性と宗教離脱という背景を持ちながら、 どのコミュニティにも属さず、どのラベルにも依存せず、 説明することなく、ただ背景として薄く残るだけになっています。弱さの語りにも回復の物語にも向かわず、 起きたことを起きたまま置いていく。 その乾いたトーンが、この番組の雰囲気をつくっています。 外側から見ると何も起きていないように見えますが、内部では小さな違和感が積み重なり、独特のズレが静かに可視化されていきます。 どの物語にも価値観にも組み込まれないまま、 長い時間をかけて、世界の揺らぎだけを記録し続ける番組です。

感想

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00:00
時は静かに 流れ続けていた
その途中で スマホの充電が97%で止まっていた
それは 記録されることもないはずの小さな揺らぎだった
けれど、この番組は、そういう揺らぎだけを集めている
現在、飛行を撮っています。今日はどうと話していきたいと思います。まずですね、 北海道で
ジンギスカンフェスティバルってあるのが分かって それで親にと話してます。で、ジンギスカンって
いろんな種類あるんだねって話したんですね。 スーパーにもいろんな種類売ってるのかいって言ったら
いろいろあるって親は言うんですね。
でも、我が家のは いつも同じだったねって、同じ種類だったねって自分が言ったんですよ。
親がいろんな部位あるって言ってきたんですね。
でも、うちのは合わさったのだって言ってきたんですね。
合わさったのだって言ってきたんですよ。
親がですね。で、自分が
親がですね。
自分がその後に
いろんな種類のが合わさってたのかいって聞いたら
それは違うって言うんですよ。
全然、種類はカタロス
種類っていうか、同じカタロスの部位だって言うんですよ。
親がそうやって言ってきました。
よくわかんないからじゃあ、今までいろんなの
買ってきてたけど自分がその違いに気づいてなかっただけなのか
あるいは
安いやつはほとんどがカタロスだけなのか
って聞いたんですよ。
自分がそうやって聞いたんですね。
そしたら親が
安いの買ってきてたって最初言ったわと思ったら次に、いろんなの買ってきてたよって言い出して
安いやつの中で
カタロス以外もあったのかって聞いたら
いや、ラム肉だって言い出したんですよ。
いや、ラムかマトンかってそれ部位の話じゃないですからね。
今のはざっくり流れですけど
これだけで10分以上話してて
しかもですね、もうこれややこしいんで
ちょうど1階にスマホがあったんで
もうメモしてたんですよ。もうめんどくさいから
話の流れだけバーってメモしちゃって
で、親に今どういう話してたかも聞いて
思い出せないんで
03:02
こんななんか
ことありますかね普通
おかしな話に10分以上使って
で、ポッドキャストで話すために
また10分親と何話してたか話して
だからそれメモしてるのもポッドキャストで話すのも全部バレてるんですよ。
あとですね、動画のことで親に聞いてて
お気に入りに
マインのデジャブ感ありましたね
今日もいくつも聞いてた話と違って
動画10個ぐらいはあって
でもおかしいなってもっと多いはずなんだと
で、自分は聞きました
これ、まさかこれ全部かい
これ、これじゃ足りないよって聞いたら
なんか全然
理解できてないんですねこんな簡単なことなんでね
自分がちゃんと噛み砕いて
理解してもらえるように話しました
一回もし
全部なんだとしたら全部で何十本にもなるよ
でもここにあるのは10個の動画でしょ
どういうことなんだよ
全部あるのかい
これ
個別の動画をお気に入りに入ってるんでしょ
だとしたら
足りないのはわかるかいって自分が聞きました
前と全く同じですね
それは
まだわからないんだって言い出してたんですよ
いや、こんなの一目瞭然ですから
自分も聞きました
これ
そこにあるのは全部で見る限り10本ぐらいだけど
どういうことだいってこっちも理解できないからですね
聞きました
話は別に
必ず建設的な話にならないんですよ
話が全然合ってないんですね
こっちも小学生の頃に噛み砕いて話してるんですけど
あっちはあっちなりに何か言いたいことがあるんだろうけど
そもそもこっちの話を理解しようとしてくれないから全然通じないんですよ
小学生にも分かるように説明してるんですけど
そうですね
まず相手の話を理解して
相手の疑問点を分かった上で
それについて答えてほしいですね
勝手に自分の世界観があって
その中で全部完結しようとしてしまうんですよ
この人
結局分かったのが
一つ一つの中に何本も入ってるようなので
最初言ってること全然違いますね
では次の話ですが
ちょっと急に哲学的な話になるんですけど
人間って直前のことを振り返って
06:00
改善するんですね
直前のことを振り返らないと絶対改善できないんですよ
目の前のことばっかり考えてると
つまり改善するときって
目の前にあることに集中できてないんですね
ただ自分は学生時代
直前のことを振り返るなんてことはなかったんですね
やっぱり直前のことをいちいち振り返るって
相当神経質にならないと難しいです
目の前のことに追われて普通そのことできないですね
前も話した通り
何かにせきたてられてるような感じ
自分のバイペースで生きていられない感じでしたね
それが
そのせいで無神経だったんですけど
今は神経質すぎるし
ちょうどよくはならないですね
ですよ
世間の人って
話ずれるんですけど
みんな人間ってバランスよくなると思ってる人
多すぎますよね
そうでない人絶対いますからね
あと日本人独特ですよね
ちょうどよくやるのが正しい文化ですから
話戻りますけど
学生時代は細かいところを改善しようっていう
合理性もなかったんですよ
全部根性でひたすらがむしゃらにやってる感じでした
学生だからいいのかもしれないけど
でも今よりはるかに変化があるんです
矛盾してますよね
直前のことを反省したり改善したりしないから
振り返ったりしないから
変化は起きないって言いません
でも学生時代はものすごく大きな変化があるわけです
学生時代では目の前にあることに
集中してるかというと
別の側面から見ると
未来 過去のことばかり考えてる
今言ってるその神経質になったら
直前のことを振り返りはしないけど
振り返るわけですけど
学生時代はそういうことはないんだけど
未来のことを思い患ったり
過去に囚われたりするわけですね
年取ってそんなことは
どんどんなくなってくるわけです
ある意味では学生時代の方が
変化してないんじゃないかと
今まで何回もそう思ったことありますね
目の前のことにがむしゃらになってれば
変化が起きるようにならないから
変化するっていう思考回路が働かないですから
人間が変化するときって
意識が働くつまり思考回路が働く
考えが及ぶわけです
それが全くないってことは
変化しようがないわけです
観世に従って行動するしかないわけです
だって無意識に何か行動が変化したら
それは生物として非常に問題でありますからね
09:01
命にかかりますから
勝手に自分の意識が働かないってことで
変化したら恐ろしいですからね
例えば道路で歩いてて
気付いたら横道に逸れてたとか
絶対ありえないじゃないですか
お酒飲んでる話は別ですけど
学生時代はルーティンとかルールとか
細かいことはなかったです
目の前のことに集中してると
自ら改善したり変化することはないんですけど
環境とか状況の変化にしないによって
自分の行動が変化してるってことに
気付かないんですね
無神経だから
とにかく目の前のことに集中してるだけで
自分がどういう行動習慣があるとか
全く常に変化してるから
分かんないわけですよ
だからイチローなんか言ってますね
ルーティンがあるからちょっとした
体調の変化でも気付けるって言ってますけど
自分は全く行動が変化しても気付いてないんですよ
それがどっとして自分が
教育性障害になってからは
ルーティンを守るようになりましたね
次の話ですが
自分は料理家でもないし
人とずれたことをしすぎても
いけないなと思って
食事に関してですね
豆腐なんですけど
豆腐で何にも漬けないで
前はですよ
塩入れて茹でたりしたけど
本当に何にも漬けないで
レンジでチンするだけで
その方が美味しいし飽きないんですよ
天ぷらも何にも漬けないんですよ
大根おろしとか
つゆに漬けて
生姜とか
全然そっちの方が美味しいんですよ
確かに味覚はちょっとは
人とは違うとは思ったものの
ということは有識者とか専門家
の言うことを一切信用しないといけないですよね
誰も信用しちゃダメですよね
自分の感性とか
人とずれてるから
誰が何と言おうと
自分なりのやり方でやったほうがいいって
分かっちゃった以上
誰の言うことも信じれないじゃないですか
また信じれないもの増えてしまいましたね
次の話ですが
仕事を見つからなかったということで
何かできる仕事を10年以上探したけど
見つからなくて絶望することもあれば
20歳の頃にこれで正解だったなと思うこともあるんですよ
12:00
理由
そう思った理由を忘れたんですね
でも理由ってどうでもいいなって思ったんですよ
頭の中のことじゃないですか
事実とは違いますよね
頭の中で考えてることですから
ぐるぐると
だからどうでもいい
でもですよ
それがエネルギーになったりするんですね
自分がどういう理由で行動してるって
そういう理屈が大事だったりするんですよ
これも一浪の話なんですけど
一つ一つの行動に理由を持ってるのが
話聞いてたら一目瞭然なんですよ
自分でおそらく言ってるし
それって意味あるのかなと思ったこともあるんですよ
結局後付けの理由もあるんじゃないかと思ったんですけど
やっぱりどういう理由で行動するのかとか
いうことが長い目で見たら非常に
大事になってるんだなと思いました
それとちょっと矛盾するかもしれないですけど
結局はですね
意識ってのは後付けの理由を作ってることにしか過ぎないんですよ
だから物語を作ってるで
物語ってのは
人間の頭って過去と未来と現在
バラバラじゃないんですよ
結びつけて物語を作るんですよ
希少転結なんかのもそうですけど
つまり記憶ですからね
未来とか過去って
記憶を想像にしてあと目の前のことをちょっと使って
因果関係とか物語を作るわけですよね
因果関係で人って物事を見ますから
例えばこのまま歩いていけば3秒後にはここにいるとか
相手に物を当たそうとすれば相手は取ろうとするとか
わかりますよね
なんですけど
それが行われるのって行動の前だと思うじゃないですか
物語を作るのって行動の前だと思いますよね
行動する前に
今の因果関係の話からすると怖いじゃないですか
だって
怖いといったところで伝わんないと思うんですけど
例えば今
赤信号だから車を止める
っていう風に考えてると思ってますよね
赤信号だと
ブレーキ踏まなきゃ
って思って
赤信号を見てブレーキ踏もうと思って
踏んでっていう思考回路の流れだと思うじゃないですか
でも実際は
15:01
そうだと人間は思ってますよ
思ってるけどそうだと思ってるだけで
実際は違うんですよね
ブレーキを踏もうと思う前に
ブレーキを踏むかどうかっていう
2択があり
ザク流とその2択で決定するわけですよね
でもその決定するのって意識じゃないんですよ
無意識なんですよ
不思議ですよね
でもそうなんですよ
うちらが誤解してるだけで
赤信号止まったから意識的に止まろうと思って止まってるんじゃないんですよ
無意識的に止まるべきだと思って
ブレーキを押して
でブレーキを押した後に
自分は今
ブレーキを押そうと思って
ブレーキを押したんだという物語を
勝手に作ってるんですよ
つまり会社に立たれるとですね
社長が来る前に社員でみんなで
話し合ってでもう決めてしまって
だから社長が来る頃にはもう決まっちゃってるんですね
決定してしまってるんですよ
普通決定権は社長にあると思ってるじゃないですか
でも人間って違うんですよ
社長が来た頃にはもう
社員は誰もいないかもしれないし
そんなひどい話ないですよね
いやひどいんじゃなくて人間が誤解してるんですよ
そういうものだろうと
社長が体を動かしてるんだろうと
人間ってすごい物語を作ってるんだなと思いました
例えば希望を持つとか
希望を持つっていうのは
未来に対する物語ですよね
あとは逆に目的意識を持つっていうのは
行動の物語
行動は行動でしかないのに
これをすれば
これをするのはこのためだとか
こうなれるとかいう勝手な物語
フィクションを作ってるんですよ
事実じゃないんですよ
だから希望もそうですよね
目の前にあるかのように思ってるけど
あるのは頭の中であり
そんなものないわけですよ
だから人間って目の前の
目を逸らしてばかりいるけど
それによって救われてるんですよ
この後も話しますけど
人間って物語によって救われるんだけど
自分は物語によって壊されてきたんで
物語を書かなくなったら
18:01
自分は救われたんですね
あとは自暴自棄になるってのもそうなんですよ
自暴自棄になるってのも
絶望の先に自暴自棄ってあるんですけど
それなんかも物語に書いてあったんですよ
絶望自体はそうですから物語ですから
その先に光を見てますからね
自暴自棄になるのもそうなんですよ
甘いですよね自暴自棄ってね
人間が本当に究極的に
とんそくまで降ってたら
自暴自棄になったら余裕ないって想像付きますよね
自分は、この10年
自暴自棄になってもいいはずだけど
宗教辞典で自暴自棄になっていい。
いやーダッたことないですね
でも宗教辞典辞めた人って何とか離脱しちゃって
別のスイングに走るか、あと自暴自棄になるか
あとは怒るか
あと別のスピリチュアルに走るか
いずれかなんですよ
全部物語書いてますから
あの意味を求めてますから
あとは変化をするってことも意味
物語を求めてますね
意味を求めてます
変化するってことは
その先に何かがあると思ってますから
あとは飽きて
飽きることによって
何か変化するってのもあるんだけど
まあでもそれは無意識だから関係ないでしょ
あるいはまあ意味を求めてるでしょ
何か変化したら何か新たなものが
待ってると思ってるから
まあそのことでですね
まあ宗教
じゃあ次宗教のというか
まあバグ名について考えてて
まあやっぱり最近はですね
あまり宗教ってことを持ち出さない方が
結局はいいのかなと思ったんですけど
でもやっぱりそこに行き着くんですよね
自分はこれによって
今2人でここで立っていられるのも
宗教のおかげかもしれない
という気もして
以前からそれは分かってはいたんですよ
いや普通は行ったり来たりだったり
まあそのなんだろう
そういった物語を信じてしまってるか
あるいはあまりないと思うけど
観点に握るか
あんまりそういう人は見たことないですね
自分ほど握るな人は見たことないです
あと目に見えないものは信じない人とか
言ってる人は
あんまり目に見えないの定義がよくわかってないで
なんか適当に言ってる場合が多いと思いますね
なんか中途半端なリアリストというか
大体そういう人ってね
カッコつけてるだけですね
自分はですね
やっぱりなんだかんだ宗教時代
20年間意味を極限まで求めてきたんですよ
21:02
その求め抜いた20年の果てに
意味を一切必要とない生きるための骨格みたいなものでできたんだと思います
でですね
その先にあったものがですね
まず
この虚無によって人生に意味がないっていうことを
気づいたというか
人生の意味ってのは幻想でしかないって気づくわけですね
幻想を幻想だと気づいたときに
これによって救われたし
でもですね
自分でですね
音楽も
オルタナンティブなものが好きだったり
反逆精神っていうとあれだけど
反骨精神みたいなものは
とても共感できていて
対抗心みたいなものはあったと思います
人生に意味がないからこそ
結構多いと思うんですよ
人生に意味がないから
じゃあ生きる意味なんてないじゃないかと
なんで生きなきゃいけないんだっていう人
いると思うんですよ人生に意味がないなら
でも自分は
まず一つ言えるのが生きてることに意味がないんだ
じゃあ生きてていいだろうっていうことなんですね
うん
生きてる意味がないなら
なんだろう
全てに意味がないのであれば
別に何も変化を起こす必要ないんだから
つまり生きて地面をマットすれば
いいんじゃないかと思うんですよ
だし後はこれに新たに気づいたのが
一ミリも転びを見せずに
存在し続けてやるっていう
反骨心みたいな人生が意味がないからこそ
完璧に生きてやるっていう
反骨心かもしくはですね
これ非常に難しい話なんですけど
まあ確かに人生に意味がないんだら
こうやって生きてるのも馬鹿らしくなってきますよ
それでも生きるのであればですよ
順番は逆なんですけど
生きる意味がないのに生きなきゃいけないのであれば
生きる意味がなんだろうってなんて
まあでもそういう場合も
生きるっていうことをルールにするしかないですよね
自分はそういう運が良くなったんですけど
生きる意味がないのに
生きる意味がないと分かっていながら
生きる意味がないと悟った人は
非常に悩ましいけど非常に賢い人だと思います
まあそれで
自分はですね20年もかかりましたからね
それでも生きて
24:01
生きるのであれば
生きるのは馬鹿馬鹿し
生きる意味がないのになんで生きるんだ
っていう思いに飲み込まれてはいけないし
それじゃ崩壊してしまうし
生活の一つ一つに集中できないんですよ
なんで生きてるんだなんて考えてたら
非常に順番としてはおかしいですよね
生きる意味があるから
生きる意味がないけども
生きるのであれば
そんなこと考えていてはいけないって
ちょっと順番がおかしいんですけど
そもそも生きる意味がないのに
生きてる時点で矛盾があるんですけど
でも人生の意味を探したり希望を持ったり
意欲的になるのも
いけないんですよ
あまり今まで言ってこなかったんですけど
意欲的になるってことが自分にとって一番ダメなんですね
これ実はうつ病の人にとっても同じだと思うんですよ
うつ病の人って絶望してるのかな
絶望とかそういう概念とは別の
医学的なことだと思ってるんですけど
結果的に絶望したりすると思うんですけど
その時に逆に意欲的になったりしたら
もっとひどくなりますからね
だから
失望してる人、絶望してる人
は意欲的になっちゃダメなんですよ
その反動がありますからね
ちなみに
絶望してる人に
人生って素晴らしいんだよとか言う人
いうことほど説得力のないことあるし
それで救われる人がいるんだとしたら
それほど危ないことないですよね
だって人生こんな素晴らしいんだよ
生きてたらこんないいことあるんだよ
意味があるんだよって言ったら
それでただの幻想ですから
その話してる人の頭の中にあるだけであって
それを見せてるだけですから
イリュージョンというか
イリュージョンですよね
イリュージョンみたいなものですからそんなの
あとですね
絶望的な時に楽しみを持つ
これもダメだと思いますね
相当な金があってもあんまり
例えばいいものを食べに行くとか
そんなこと続けれないでしょだって
ダメだと思いますね
そんなことしちゃ
まあでもそうやって
現実逃避しようとして
何か悪いものに依存していったり
裏社会に関わったりっていう人も
多いんでしょうね
ちなみに希望を持つことだけでさえ
ダメですからね
27:00
生きてたら何かいいことはあるんじゃないか
っていう希望を持つことでさえ
その場所のうちの解決にしか
ならないですから
まあでも
絶望してる人に
この世界の虚無を見ようとか
事実を見ようといったところで
それは難しいかもしれないですね
だから自分はですね
この後も話しますけど
宗教に20年いたから
そういう体制免疫ができたんですよ
まあとはいっても自分は宗教辞めて
生きる意味というのが
物語が崩壊して
しまった人っていうのは
体制できると思うんですけど
自分はそんな
もっともっとですね
生きる意味なんかなくても
生きれる人間だったのか
そういうふうにそもそも生きてきたのか
宗教なんか拒絶
反射的に拒絶してて
自分の中では熱心なつもりでしたけど
そういうことだったのか
いずれかななんですよね多分
それで
でも20年
意味っていうものを見てきたからこそ
体制ができたんでしょうね
生きる意味がないのに生きるって
矛盾ですよね
それでも壊れないで継続できてるっていうのは
虚無を見続けてきたことなのかもしれないです
最初は生きてるのは辛くなりますよ
未来に対する恐怖しかなかったし
人生何が辛いことを思ってるか分かんないし
いつ生き地獄を味わうか分かんない
しかして究極的に物語を捨てると
人と物を正しく見るとですね
別に自分の考えが正しいっていうつもりじゃなくて
物語を宗教としては宗教として行こうと
事実が見えてきますから
幻想ではなくて事実が見えてきますからね
すると別に
生きててもいいやってなってくるんですよ
それは自暴自棄とか
大丈夫上手くいくというのとは全く別物なんですよね
自分も絶望したのあたり壊れそうになったんですけど
これらの物語っていうのは幻想
これらの物語っていうのは希望とか
絶望とかそういうものは全部幻想であること
向き合ってきたというか
向き合ってきたし
見つめ続けてきた 行使してきた
逃げずにいた
それから
今にたどり着いたのかなと思います
希望とか意欲も物語ですけど
そうやって生き地獄だとか
恐怖に思っていることも物語なんでしょうね
もちろん不安ってのは頭の中にあるものだというのもあるし
そもそも
恐怖心という感情は愚か
30:03
そういう感情は
全ては幻想にすぎないですよね
そういった類の物っていうのは
それを恐怖心だとつらいと感じるだけであって
生き地獄と思っているだけですから
他の動物はそんなことを思いませんよね
よく言うじゃないですか
他の動物は目の前にあることに必死で生きているんだと
悩みすぎるんだみたいなこと言うんですけど
それは一理あると思いますね
これも面白いパラドックスなんですけど、物語を捨てたから絶望という物語も触れなくて済んだんですよ。
分かりますかね。物語を捨てたら普通絶望になるじゃないですか。生きる意味がないと思ったら絶望になるじゃないですか。
絶望自体が物語だから、物語を捨てたことによって絶望という物語にも触れなくて済んだんですよ。
あとはですね、世間の人は意味がない、意味があるからこそ頑張れますよね。
まあそれが普通だと思います。でも自分は意味がないからこそ、なぜか継続できるんですよ。
本当に変な特性だと思うんですけど、事実に集中しているからそれが自分の栄養みたいなことであり、
かっこつけた言い方をすると虚無を飼いならしているようなことなんですよね。
だから意味がなくなることが、物事ですよ。物事の意味がなくなることが何かを継続させるための条件になっているんですよ。
意味があると継続しないんですね。
あとは自分は意味がないから壊れないでいられるし、壊れないから虚無に沈まないっていうのもパラドックスですけど。
虚無に沈まないといっても、虚無の中にいるのか、虚無に寄りかかっていないのかそこら辺はちょっとわからないですけどね。
崩壊を防いだのは意味の崩壊だったわけです。
さっきの話に戻るんですけど、生きる覚悟みたいなものなんですかね、結局大事だったのは。
生きるとなったらもうあとは生きるっていう覚悟。
あとは余計なこと考えないっていう覚悟なんですかね、大事なのは。
あとはそんな虚無な思いが思いに沈まないように生活するってことですね。
そこはもう固くない。
意地を張ってても無理やりにでもいいから、そういう虚無に飲み込まれないようにやっていくしかないですよね。
病みを捨てたから壊れず虚無に至ってるって本当に矛盾してるけど、そういうことなんですよ。
33:00
ちょっと別の言い方ですけど、宗教で意味という毒を飲まされたから
意味という毒に耐えたからこそ虚無の中でも平常心でいられる、平熱でいられるんですよね。
意味っていうのは劇薬なわけですよ、自分にとって。
だから意味と虚無っていうのも表裏一体な感じがしますね。
さっきも虚無に助けられたって言ったミムでもそうだし、意味に救われる人もいるんだろうし。
でも自分にとっては意味っていうのは劇薬でしかなかったんですよ。
だからこそ虚無の中でも耐えられるわけですね。
意味を宗教に入れるとき、拒絶反応を起こしながらも求めてきたからこそ、意味というものを解体してこれたし、
意味というものはどういうものかわかったし、意味の恐ろしさも知ったし、
でも救いという出口を自ら塞いで、自暴自棄っていうのも逃げ道ですよね。
それも立って、虚無のセンターポジションにいますから、ど真ん中にいますから自分は。
そこに立ち続けてる。もう一度言いますが救いという出口を自ら塞ぎですよ。
しかも感情という起伏も自分にとってはノイズでしかないんですよね。
それも捨ててるでしょ。
前回も話しましたが、これも自分が生きれる骨格みたいなもので、
まず虚無だからこそ期待しすぎないし不安にもならないし、不安になりすぎないし、
死命感も捨てれる。
完璧主義にならずに済む。
完璧主義で壊れることがなくなるということです。
つまり崩壊しないで生活手順を守れるんですね。
生活手順がないと虚無の中は生きられないが、
虚無だからこそ生活手順できるという矛盾なんですよ。
さっき反逆という捉え方もできるかなと思ったんですよ。
人生に意味がないからこそ完璧なまで生きてやるというモチベーションもある。
泣きにしもあらずですね。
救済とか絶望とか一種の逃げですよね。
それを一切排除して立ち続けることが虚無という圧力ですよ。
それを過酷ですけどね。
それに対する自分のある意味勝つ形、勝利の形なのかもしれないです。
では次の話ですが、これはトラウマの話です。
36:04
宗教で年上の人なんだけど、自分が下向いてたらミーティング中に
お前話聞いてるのかって言ってきたんですよ。
でもですね、これ町内会に例えてみたらですよ。
年上のお兄さんがお前の話聞いてるかっていうことを言ってきたら
あんたにそんなこと言われる筋はないと思いますよね。
自分の空想の中でですね。
あんたは何様のつもりなんだって言ってればよかったなと思ってね。
そんなこと言われる筋はないですもんだってね。
あとですね、父親に対する複雑な思いがあるんですけど
まずやっぱりトラウマのことを知ってもらって
でも長い間考えてきて
もっと何とかこんな離縁しないで
会わずに住むようにならなかったか
あるいはもっと小さい頃会話できたんじゃないかとか
ものあるとでもですね
やはり最近も考えてたんですけど
これもトラウマなんですよ
自分が何言ってもですね
一切受け付けないって感じなんですよ
人の意見なんて聞かないって感じなんですよ
だからこそうちの両親がそんな感じなんで
うちの母親が一瞬も話せ隙を与えてくれないとか言ってきたから
いやーお前も同じことしてきただろうって思うんですよ
非常に悔しいですね
あとはダブルツのやつ
たびたび出てきますが
この10年何回も出てきますが
そいつが話が噛み合わないとか言ってきたから
いや自分の言ってほしいこと返答が返ってこなかった
思わぬ返答が返ってきたからってそんなこと言うのは
情けないってこと言ってやればよかったなとか
あといろいろ考えてますけど
無意識に考えてるんで忘れちゃうんですけど
いや本当にひどいやつだったなって
何だったんだろうと思いますね本当にあいつは
あとですね
女の子なんですけど
本屋さんで会って
宗教の関係で親がいてですね本屋に
別れも言わずバーって行っちゃって
あれも失礼なことしたし
その後メールは送ったんですけど
そういうことを考えたり
あとクラスのやつやっぱりあいつ
ある意味いいやつだけど変なやつだったなとか
39:07
親戚のいとこがですね
まあうちらによく見せようとしたのか
本音も言いつつでもなんか演技もして
まあちょっと詳しくは言わないですけど
なんでうちらに
よく見せようとして演技してたのかなとか
あと小学生の時の野球部のやつが
まあいわゆるいじめっ子じゃないけど
まあ気強い奴らででもあいつらも
なんかいろいろ
まあトラウマもあったみたいだし
その二人がタッグを組んで
攻めてきたのかなとか
あと高校教師ですね
自分が前を向かないから黒板叩いたり
前を向けて行ってきたり自分は
まあそれも反逆ですよ
あの時先生はどう思ったのかなと思って
まあそのまま授業を進めましたけど
そんなこと考えてましたね
いろいろ撮ってます
以前ですね
YouTubeで見るものなくなって
最初はアイドルの番組でその後は
YouTubeいろいろ見てて
でまあ多少はいい時間だったし
まあとにかく暇つぶし
できないしとにかく毎日将来のことで不安で不安で
でその暇つぶしの時間でさえ
奪われたわけですよね
生きてるのが辛いけど
まあとりあえず動画だけは
見たいの見ようってことで
救いだとは思ってないけど
そういった時間さえ奪われてですね
暇つぶしさえできなくなって
でまあその後ちょっとどうしたか覚えてないんですよね
ブログやるまではまだ期間あるし
でいろいろ考えたんですけど
筋トレも一つあれかなと思って
まあ一つ言えるのはですね
楽しさを求めるのをやめたわけですよ
まあそんなことと
人間も動物ですから
楽しさじゃなくて
それ以外のものを求めるってできるのかと思うけど
そういう思考回路に切り替えたんですね
あとは単純に充実させたかったんでしょうね
生きてる感触が欲しかった
だから筋トレもそうだしブログ時代もそうだし
別に見たい動画なんて見る必要がなかったわけですよ
以前はですね
なるべく人と変わらないとか
まあなるべくですけど
人間人と変わらなきゃ生きていけないんでね
42:03
話し合ってたって欲しいし
やっぱり寂しいし
まあでもそれがもっと
あとは変化しないってことをモットーにしてたんですよ
人生に意味は感じてないけど
変化しないことにだけは守ろうって
それがだから自分の生き延びさせた
生きるための大事なものだったんですね
あとはですね
不快な感情を避けないってことですね
不快な感情を求めるぐらいの勢いでやりましたね
では次の話ですが
今番組名ですね
podcastも考えてて
実際にさっき言ったようなことをできてるのかと
救いは求めているんじゃないかと
希望も持っているんじゃないかと思いますけど
でも希望と救いはやっぱり
それでもね
モットーは以前より比べたらはるかに
薄くなってはいるとは思うんですけど
そういう疑念はありますね
じゃあ番組の話からですが
コチュジャンの味付けの鶏肉のと
キャベツも息がいいやつで
鶏肉もとても食感がよかったです
味付けもちょうどよくて
あとは白菜と
でも今日は番組のことを考えてて
あんまり集中できなかったですかね
食事中は
自分はダメなんですよ
生活の一つ一つに集中することを
大事にしてるんですね
あとは
マカロニサラダもおいしかったですね
今日は何かなあれは
マスタードは多分入ってないし
オリーブオイルか何か入ってるかな
塩コショウかな
あとですね
昨日夜は
フォトキャスト
徹夜で考えてたんですけど
番組名とか考えてたんですね
ただ
休憩で音楽とか聴いてしまって
だからそれは
成し遂げれたのかどうか
っていう疑念はあるし
あと
結局決めれなかったし
あと昼間
寝ないっていうルールにしてたんですけど
やっぱり寝ちゃってるし悔しいですね
あとですね
さっき言ったように
虚無に対する反逆としてですね
45:02
完璧なまでに生きてやると思って
だから
自堕落とか怠惰になるどころか
かなり
努力だとは思ってないけど
無理もしないけど
でも懸命に生きてはいるとは思うんですね
それだけ労力も必要だし
エネルギーも必要だし
ルーティンをこなすってことは
じゃあ必要以上に
もう
無機になって何かやってるかっていうと
最小限の駆動ではあるんですよね
必要最小限の駆動ではあるんですよ
さっき変化させないって言ったけど
感覚的なことなんですよ
やっぱり生活してたら
何をもって変化というかとか
あとは分かんなくなるし
あとは
それや効率化を分かって変化することもあるし
変化せざるを得ないときもあるし
そこで頑固になる必要もないし
これやっぱり感覚的なことだし
あとは
見て見ぬふりをしてることもあるのかなとも思うし
自分が変化しないと言えればもうそれは
いいんだし
私は自分を騙してるとこもあるのかなと思うんですけど
でも自分なりの
ルールみたいのあるんでしょうね
そこで変にこだわると完璧過ぎな自分が出てきて
しまうんですよね
そこで唯一救いとなるのが
虚無なんですよ
別に完璧になる必要ないと
そもそもこの世界は不完全なものなんだし
人間も不完全なものなんだし
だから完璧過ぎにならずに済んだんですよ
あとは発達障害だという認識ですよね
これは発達障害で完璧過ぎなんだという認識ですよね
でも正直変化しないことを今
モットーにしてるよりも
もう無意識にやってそれができるようになった感じですね
長い年月が積み重ねて
はっきり言ってこれは
心の奥底でモットーにしてるような感じで
普段はそんなに意識してないですね
かといって変化してもいいという風な
意識の仕方はしてないんですけど
何と言えばいいか難しいところですね
ヨドレル撮ってます
48:00
運が本当に悪いのか
どんなのか分かんないけど
運が悪かったなと思ってしまった話なんですけど
今日珍しく
体が渇いてしまう
板に手洗いに行く必要はなかったんですけど
珍しくトイレに行きたくて
親が宗教に行ってて
遅かったので降りれたんですね
まず最初に
思ったのが
今日は降りれたのに
その時に限って別に降りる必要はないから
トイレは行きたかったにしても
我慢できるから2階にいて
しかもそういう時に限って
トイレには行きたくて
カロンで帰ってない時ですね
そのタイミングでしたから
それもやっぱり運が悪いですね
今気づいたけど
あとですね
スノーマンのメンバーのことを調べてたら
なんでか感動
ずっとしてました
感動しっぱなしでしたね
ダンスで世界大会行ってたり
演技の能力もあるみたいだし
超ストイックみたいで
勉強もできたみたいだし
いろんな能力ある人はいますよ
でもこの人はなんか
不思議な魅力があるんですよね
だから調べたんですけど
発言もかっこよかったしな
考えが深いというか
モデルで
海外で事務所に入ってるみたいで
50:02

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