事実の歪みと感情
今日は、人は事実が見えていないという話をしていきたいんですけど、以前ね、エピソードで話したことがあるんだけど、人間は理性と感情が別のところで働いていて、
ドラマを見ているときは、もちろん頭では、つまり理性では、これはただのフィクションだとわかっていても、でも、アクションドラマを見ていたらね、ヒヤヒヤするし、スリルを味わえるし、という話をしたんだけど、
実際に現実を生きている大抵の世の中の人は、事実をかなりこういうと同じように歪んで捉えて、全く現実が見えていないというふうに倉木は思うんですね。
例えばね、今結婚している人と結婚相手、奥さん旦那さん、まあ自分にとってソウルメートだとか、こんなに自分に適した人は世界にどこでもいないとか、世界一特別な人だとかいうふうに思っているけど、でも本気でそう思っていたらやばいでしょ。
頭ではね、たまたまアルバイトで出会った人だとか、出会い系のアプリで出会った人だけだとか、学生時代たまたまあの学校行ったから出会ったとか、頭ではわかっているわけでしょ。
この感じドラマ見てるときと我に書いたときと似てませんかね。次にね、応援してたスポーツチームが優勝しましたと。で、それ自分にね、メリットがあると思いたいけども、でも頭ではメリットなんてないのはわかってる。でもなんかあるような気がしてしまう。
これはやっぱり人間の感情の部分ですよね。今の話でいうと。あと、頭では別にこのチームと自分になんら関係性ないけども、でも感情の部分では、やっぱり自分の応援してるおかげで勝ってくれてるような気がする。でも一人が応援したところでね、なんら影響ないってのは頭ではわかってますよね。
でも応援してる間はもう途大な影響を与えてると勘違いしてしまってる。こんな風に人間って生きてたら大きく勘違いしながら自分に都合よく物事を捉えて生きてると思うんですよ。
これドラマを見てる人がね、ドラマを見てるだけなのに本気で本当に目の前でそれが繰り広げられてると思ってるしまってるっていうことならなんら変わんないし、ドラマならまだいいよそれでも。楽しめる分に、楽しめる範囲で使ってなっていうのは。
でもドラマだってね、本気でそういうことが起きてると、ノンフィクションだと思ってたらそれはまずいでしょ。それと同じで、ある程度ならね、現実、まあそういう風に捉えてもいいけども。本気でそう思ってんだらちょっと危ないですよね。
ああでもクラキの経験から言うとね、やっぱり宗教に入ってしまうと、まあそれが宗教なんだけど、まあ教祖の言ってることは絶対正しいと思うし。ただね、アメリカ人なんか9割がキリスト教だって言うけど、まあ熱狂的な信者以外は、まあ本当は神様なんていないだろうって頭でわかってるし。
自分の気休めっていうのにしか思ってない。まあそれで教会に行くって人も多いだろうし。まあそれぐらいでいいと思うんですよね。
でもクラキの場合宗教にしてだから、小さい頃からそういう洗脳を受けてると、まあ教祖が言うことが絶対だし、他の人の言うことは、社会の人の言うことは間違いだと思ってるし。
まあ最後にクラキがね、まあ事実を歪んで捉えてしまってるのではないかと言うのは、少し恐れがある。可能性としてあることとしてね。まあ洋館のせいで宗教に入れられて、こんな目に遭ってる、引きこもりになってしまったと思ってるけども。まあそれは単なるクラキが作ったフィクションであり、実際はそうでないかもしれないしね。
まあ発達障害だし、どうせ引きこもりになってたのはまあ頭でもわかるし。でもその逆もいるんですよね。発達障害のせいだとそう思い込みたいけれども、やっぱりなんだかんだ宗教のせいなんじゃないかっていう。これ複雑なんですよだから。
それではしたっけ。