幸せを追求する理由
はい、こんにちは。今回なんですけれども、タイトルにもある通り、幸せになろうとすればするだけ不幸になる理由というテーマでお話しさせていただこうと思うんですが、
というのは誰でも幸せになりたいっていう願望ってあるじゃないですか、例えば今不幸だっていう感じてる人、そういう人は幸せになりたいって思うわけですよね。
あるいは今そこそこ幸せだって思ってる人でも、もっと幸せになりたいって思う人いるわけですよね。
誰でもね、周りの人と自分を見比べて自分より幸せそうな人がいれば、あの人みたいに幸せになりたい、あの人みたいにお金持ちになりたい、贅沢な暮らしがしたいって思うわけだし、
最近だとね、SNSみんなやるしみんな見てるわけなので、他人のインスタグラムとかFacebookとかTikTokとか見て、この人こんな素晴らしいキラキラした暮らししてる私もこの人みたいに幸せになりたいって、誰でも幸せになりたいっていう願望はあるわけですよ。
だけど、幸せを求めすぎると逆に不幸になるんですよ、っていうことをお話しさせていただきたいんですけど、というのはみんながみんなね、幸せを求めると不幸になるわけじゃないんだけど、求めすぎる場合とか、ものすごい幸せになりたいとか、誰よりも幸せになりたいってね、
幸せを求める気持ちが強すぎると逆に不幸になるっていうことです。逆に、そこそこの幸せでいいわっていう人の方が幸せになれるんですよ、この原理をですね、学んでいただきたいんですけど、これはね、わかってる人はわかってると思うんですけど、意外にわかってなくて、幸せになりたいって気持ちが強すぎて逆に不幸になってる人、世の中にいます。
特に現代の世の中は、SNS、インターネットが発達してね、他人と自分を比較するっていう機会が昔と比べてもう何十倍にも増えてるので、昔と比べて不幸になってるっていう人が多いと思うわけですよ。
例えば、僕ね、美容外科医として働いてて、それなりの収入があるわけですよ。なので僕がこういう話すると、一定数の人はコメント欄で、お前は金持ってるから幸せなんだろうって偉そうなこと言うなって、私たちの気持ちはわからないだろうっておっしゃると思うんですよね。
僕はですね、稼いだお金、実際に自分に使うのって1割未満なんですよ。僕は周りの美容外科医とかクリニックの院長とかに比べると、そんなに贅沢してない方なんですよね、その美容外科医業界。
僕よりももっと贅沢で華やかな暮らし、キラキラした暮らしをしてる人っていっぱいいるんだけど、僕はそういう人たちを見て全然羨ましいとも思わないし、この人たちみたいにキラキラした幸せそうな生活したいとは思わないんですよ。フェラーリ乗り回したりとかロレックスとかブランド品味にまとってっていうのに別に憧れないんですよね。
だけど、それを目指してる人っていっぱいいて、自分もそうなりたい、ああなりたいって思って不幸になっている人がいるわけであって、僕は稼いだお金ですね、実際9割以上を運用に回して膨らましたお金を寄付したりとか、事前事業に寄付したりとか、あるいは運用する前に寄付したりとかしてるわけであって、
僕自身はそんなに自分のためにものすごいお金使ってるわけじゃないんですよ。自分の工場のためとか、あと経験のためとかにはお金を使ってるんで、お金使ってる方だと思うんですけれど、使おうと思えばもっと使えるんだけど、全部使わなくて寄付してて、
僕の周りの人たちはそれなりの仏欲金欲があって、贅沢な暮らししてる人いるとは思うんですけれど、僕の周りの人はね。僕個人はそれなりの質素な暮らしをしてるんですよ。それでもそんなことないだろう、贅沢三昧してるだろうって言うかもわかんないんだけれど、
贅沢しようと思えばもっと贅沢できるんだけれど、実際に稼いだお金の自分のために使うのは本当に1割未満なわけであって、もっといい服着て、もっといい車乗ってとかね、やろうと思えばできるんだけど、やってないですよっていうことなんです。すいません、そういうことなんですけれど。
じゃあまず幸せって何かっていうお話からさせていただこうと思うんですけど、幸せっていうのは、これね、もうぶっちゃけ脳内で快楽物質がどれだけ出ていて、どれだけ感受してるかっていうのにもう尽きると思うんですよね。
例えばドーパミンとかセロトニンとかオキシトシンとか、そういった物質がどれだけ分泌されて感じてるかっていうので幸せって感じるんですよ。これはもう自分がね、実際に幸せって感じるわけですよ。
例えばお金がね、ドーンと入ってきた、ギャンブルでお金が入ってきたってなるとわーっと一時的に嬉しいじゃないですか。そういうときはドーパミンが分泌されて短期的な強い快楽を得て、あとは運動してるときとか日向ぼっこして気持ちいいって思うときなんかはセロトニンが分泌されてゆっくりした快楽を感じて幸せだって感じるわけだし、
あとはオキシトシン的な快楽っていうのは好きな人と一緒にいてね、あと動物と触れ合ったりとかして幸せだなって感じる、そういう快楽物質っていうものがあるわけですよ。幸せを感じる物質。
で、多くの人が幸せだって思ってるのってドーパミン的快楽が多いと思うんですよね。例えばお金がドーンと入ってきたとか、あるいは物欲を満たしたときお買い物してブランド物のバッグとか服とか買ったり車買ったり宝石買ったりとか、あとは豪華な家に住んでいい車乗って、あるいは高級なレストランとかお寿司屋さんで高いご飯食べたりとか、
あとギャンブルで買ってね快楽を得るとか、あとは性的な快楽とか異性に対する快楽、キャバクラとかホストクラブとか、あるいは風俗行ってとか、あるいは普通に好きな人と性行為して快楽を得てとか、あるいは薬物の快楽、アルコールを飲むことによってもドーパミン的な快楽を得ることができるし、
幸せの本質
あとは違法なんだけど、覚醒剤とかね、コカインとかヘロインとかね、そういったものでも快楽を得ることができるわけなんですけど、そういうドーパミン的快楽っていうのはですね、結局一時的に強い快楽を得たとしてもすぐその状態に慣れてしまうわけですよ。
贅沢三昧してていい暮らししてて、最初はお金持ちになって贅沢な暮らしができるようになって快楽を得て、わー楽しいってなると思うんだけど、そういうドーパミン的快楽ってすぐその状態に慣れてしまって、幸せじゃなくなっちゃうんですよね。
となると、もっと幸せになるためにはもっと贅沢な暮らしをしないといけないっていうことになってしまうので、もう青天井でキリがないんですよね。
で、そういうね、もっと幸せになりたい、もっと幸せになりたいってね、上の幸せを望む人って必ず他人と自分を比べる癖があるんですよ。
さっき話したインスタグラムとかね、フェイスブックとかですごい贅沢な暮らしをしてるって、大抵みんなね、自分のきらびやかなところをSNSで発信するんですよね。
で、実際にはそれ以外のところで、そんなにきらびやかな生活をしなくても、きらびやかなところだけ切り取ってアップロードするので、それを見て、この人はなんて幸せなんだって、それに対してなんて自分は不幸なんだって、もっとこの人みたいに幸せになりたいってね、羨ましいって思って、もっともっと幸せになりたいって、上の快楽を求めようとするんですよね。
となると、結局自分より幸せな人って世の中にいっぱいいるんで、その人たちに追いつくためには、もう結局ずっと不幸なんですよ。
だって、上には上がいるわけなので、上の幸せを望もうとしてもですね、結局追いつけなくてずっと不幸なままなんですよね。
なので結構世の中にすごいお金持ちで贅沢三昧してるんだけど、そんなに幸せじゃない人って結構たくさんいるんですよ。逆に金持ちですごいいい暮らししてるんだけど、この人不幸だよねって思う人結構いるんですよね。
あと逆にそんなにお金がなくて質素な暮らししてるんだけど、すごい幸せな人っているんですよね。その人はもうまさに脳内でどれだけ快楽物質を上手に分泌しているか、そのマインドを自分でコントロールできているかっていうのに関わってくるわけであって、
なのでお金がなくて質素な生活をしてても幸せを感じることができる人は、もうそこそこの幸せでいいんだって思っている人、お金持ちでも不幸な人はもっと幸せになりたい、もっと幸せになりたい、あの人みたいに言ってね、もうひたすら上の上の幸せを追い求めてる人、そういう人は不幸になっちゃうわけなんですよね。
なので幸せな人っていうのは樽を知るっていう言葉があるんだけど、もうまさにその通りで現状に満足して現状に感謝してる人、こういう人たちが一番幸せなんですよね。
例えば体が健康だと、五体満足で運動もできる、お散歩もできる、旅行もできる、友達もそこそこいると、家族も仲良しでと、もちろん家族仲良しがいないとか友達がいないとかそういう人もいるんだけど、そういう人でも現状に満足して現状に感謝してると。
そもそも日本に生まれて日本に住んでるっていうこと自体で実は結構ね、世界的に見ると幸せなんですよね。ほとんどの人は衣食銃はだいたい揃ってるんですよ。中には揃ってない人もいると思うんだけど、だけど世界を見れば飢えている人、ご飯もない人、飢え死にする人、戦争とか内戦でね、いつ自分の身に危険が及ぶかわからないとか、あるいは治安が悪い、汚職があって警察もね、
マフィアと絡んでて、反社と絡んでて、ホームレスもたくさんいてて、ひどい環境で暮らしている人たちって世の中にいっぱいいるわけなんですけれど、実際日本に暮らしてみると、生ぬるい環境が当たり前になっちゃって、それに感謝することを忘れちゃって、逆に自分より幸せそうな周りの人を見て、自分は不幸だって感じてる人がいるんで、この恵まれた日本の環境にですね、まず感謝して、
それを満足するっていうことから始めた方がいいと思うんですよね。
なので、そこそこのものを食べて感謝。
努力と自己向上
例えば、吉野家の牛丼ってそんなに高くないじゃないですか、それでも高いなっていう人もいると思うんですけれど、もっと高いものに比べれば比較的安い、でも美味しいじゃないですか、吉野家の牛丼。
吉野家の牛丼美味しいなって、スキヤの牛丼美味しいなって、それに感謝して、平和の世の中に感謝してありがたいなって、太陽の下で運動できて感謝してって、犬と遊んで感謝してと、そこそこの幸せで満足する方が逆に過度な幸せを望むよりも幸せになれるっていうことなんですよね。
だけど、こればっかり重要視するとですね、全然努力しない、自分を向上しないっていうことにもなっちゃうと思うんですよね。
だって努力しなくてそこそこの生活でも満足しちゃったら、それ以上のことを望まないからってなっちゃうんで、なのでやっぱりある程度ですね、努力して自分自身を向上させるっていうことは必要だし、
仕事も頑張って出世したりとか給料が上がると嬉しいわけだしね、ある程度努力して勉強してスキルを身に付けて自分自身をレベルアップさせて生活の質が少しずつ上がっていくと、
その持続可能なレベルで生活の質が上がっていって努力してっていう、その範囲なりで幸せを感じて満足するっていうのが望ましいので、なので現状に満足してこれ以上努力しなくていいですよっていうわけではないんですよね。
やっぱり努力して自分自身をスキルアップさせていって、そのスキルアップしたことに対しても喜びを感じて幸せを感じてっていう感じ。なので自分の実力以上の幸せを望むのではなくて、自分の実力の範囲内で努力していって自分の軸を持ってその範囲内で幸せを感じるっていうバランスが大事なわけですよね。
だから必要以上に周りの人間と比較して不幸を感じるのは良くないですよっていうことなわけでございます。
という感じで、結局お金欲しいとか物が欲しいって物欲ばっかり満たそうとしても頭打ちになっちゃって持続しないわけですので、こういう脳の中で快楽物質を分泌させて快楽を得る幸せを感じるっていう脳の構造、整理を学べば
いかに自分が幸せになれるか不幸にならないかっていうことに活用できるんで、こういう脳の構造を知っておくのが良いかなと、脳科学的なことを知っておくと良いかなって思います。
というのが今回の私のお話でございます。
なので必要以上に幸せになりたいとか、もっと可愛い彼女と付き合いたいとか、あいつはすごい良い思いしてる、あいつはすげえ良い車乗ってるってね、もっと自分も幸せになろうとすると逆に不幸になりますよっていうお話でした。
ご視聴ありがとうございました。