幼少期の辛い経験
倉木 凪です。
えー、トラウマの話、今までいくつもしてきたんですけど、
ちょっと今日思い出してたのが、初めての環境で、
で、しかも、もう皆さん仲いいんですねって感じで、
もう結束して、ちょっと倉木が入る隙はないなって感じの環境に入るのが、
いくら伝えようと思っても伝えきれないぐらいの感情でしたね。
例えば小学校の時の実験クラブ、小5が小6の時か、たぶん小5かな。
でもね、毎回でしたね。
これに関しては毎回もう行くのがしんどくてね。
しかも、慣れるかっていうと、毎回慣れないし、
その実験クラブで活動し始めて、10分経っても20分経っても、
辛さはずっと一定のまま、アウェー感っていうんですかね。
さすがに野球部の練習はね、こういう不快感っていうのはなかったですね。
さすがにね、別の不快感はあったけど。
ちなみにさっきの実験クラブ、同じ班に野球部のやついたんだけどね。
それでもダメでしたね。
あと水泳のね、なんかおじいちゃんが教えてくれる水泳教室が開催されることになり、
同級生と一緒に入ったんだけど、あまりにも辛くて一回で挫折しましたね。
こんなこともあれなんだけど。
泳ぐのもやだし、教えられるのもやだし、ついていけないのもやなんだけど。
でも、普通に当たり前のことを当たり前にできればいいんだけど、
もう焦りと恐怖と、ここもアウェー感でしたね。
アウェー感たっぷりで。
同級生いたんですけどね。
で、みんな初めてなんですよ、そこは安定な。
それまで開催されてたわけでもないし。
初めてその年、その時、生徒を募ってやり始めたわけですから。
でもダメでしたね。
学年もバラバラで別に大丈夫なはずなんだけど。
あとは給食の班なんかも、みんな状況は同じなんだけど。
もうその時点でね、もううわーって感じだし。
で、実際食べる時は辛いし、会食協賞で。
あと中学生の時は図書院とかね、それしか覚えてないですけど。
部活の顧問の先生で優しい先生なんだけど。
仲良い奴もいるんだけどやっぱりね、ものすごい疎外感でしたね。
まあでもまた、中学生の時にはもうさすがにあれだけど。
小さい頃、小学生の時はね。
まあ子供ならめざけに何度か。
普通ならね、最初うまくなじめなくても、そのうちじゃれあってってなるじゃないですか、クラキは。
最後までダメなんですよ。
中学生時代のトラウマ
宗教のね、札幌で、本部でね、子供たちの集いがあって。
今でも忘れないな、3階でみんな集まってて、自分が行って。
あとみんなで食事したり。
中に入っていけないんですよ、あと。
あれはソフトボールかな、の人たちでキャンプして。
あのね、最初から最後までダメでした。
途中みんなでキャンプで、テントでトランプしたりするのも全然ダメだったし。
別の階でですね、あれはバンガローっていうのかな、の中で。
トランプしたのは覚えてるけど。
いやーそれもダメだったな。
親の知り合いだね。
そういうキャンプ行ったり、お泊まり会とか。
それで言うと野球の1年に1回のお泊まり会も。
1回は外で、2回目は公民館で。
どっちもね、もう吐きそうなくらいの気持ちになってたし。
1回目の時はすぐ用心あって帰れたんでよかったけど。
もうあのままいたらどうなったんだろうっていうくらい。
もうはじけれそうでしたね、もう心が。
もうこの場所にはいられないっていう感じ。
で、公民館の時は、ずっともうなんていうのかね。
いやーあの感情はもう多分味わうことはないんだろうけど。
あとね、調理実習の時間とか。
これはもうね、さすがに今思い出そうと思ってもなかなか思い出せるもんじゃないんだけど。
やっぱりその時にならないとわかんない。
その場所でしかわかんない感情ってありますね。
でもね、もっとひどいのは何回かあったんだけどちょっと今思い出せないですね。
とにかく新しい環境で子どもたちがいて、その中に入っていかなきゃいけない。
こういう状況で辛い思いしたことが何回もあってね。
近所で焼肉するってなって、そこに入っていくとき。
あと、近所のやつと遊ぶことになって何人もで。
で、暗きだけ一人で帰ることになった時とか。
ラジオ体操なんかもそうですよね。
子ども会なんかもダメだった記憶がありますね。
クリスマスパーティーとかね。
すごい嫌な思い出ですね。
あと、書道教室。今考えてみると毎回。
1年ぐらい通ってたけど、1年、2年と。
ずっとそういう感じ。
ちょっと異常ですね、それもね。
普通慣れると思うんだけど。
それでは、明日っけ。