発達障害の理解
今回は発達障害あるあるの概念になっております。では、まず一つ目。
発達障害っていう概念って、まあ、育ちとかじゃないと。
環境でもないと。とにかく遺伝なんだっていう、そういう概念なわけですよね。
単にその、親のことを気遣って、こんな論理を立ててるわけでもないだろうし。
で、そうするとですよ。世間の感覚とちょっとずれるんですよ。ちょっとどころじゃないですね。世間は
まあ、なんだろうな。
努力で何とかなるっていうのと、遺伝で決まるっていうのと、そこの揺らぎってあると思うんですけど。
発達障害という概念は、もう人間の能力というのは、とか性格というのは、もうまれつき決まってくるんだって。
だからこそ、
うーんと、治るものではないんだっていう、そういった概念ですけど。
そういった考えがあるからこそ、クラゲはこういう考えがあるんですよ。
考えというかね、感覚的に。何か、インプットを
情報をしたとして、普通であれば多分これ
人から得た情報にもかかわらず
何か自分が頭が良くなったみたいに、誤解を生じてしまうけど、自分はね
すごい自分を忌ましめてますね。最近だとポッドキャスト聞いてるんだけど、いかにも自分が頭良くなったように感じてしまうけど
発達障害という概念に出会ってしまった以上、そこは強く忌ましめないといけないなって気になるんですよね。
これはあるあるだと思いますね。では次の話。
学生時代の価値観
ドラゴンボールなんですけどね。まあまあ誰でもその幼少期に出会ったアニメ漫画とか、ドラマでもいいけど、映画でもいいけど
あると思うんですけど
キャラクターの名前を覚えたり、クラキもドラゴンボールの大全集っての買ってしたら
最近わかったんですけどね、ちょっと
中身についてちょっとわかって、でもね全く記憶ないんですよ、その中身。
想定は覚えてるんですけど、中身の絵も覚えてるんだけど
ちなみにクラキは言語性の方が優位で、視覚的なもの
動画とか画像とか絵とか全部苦手なはずなんだけど、絵の方が記憶残ってる。これは子供だったからというのもあるかもしれない。
まあ当時でももう小学校1年ぐらいにはなってると思うんだけど、全然この図鑑みたいなもんなんだけど
内容を見た記憶さえないんですね。全く記憶ないんですよ。10冊ぐらいある本なんだけど全て記憶ないんですよ。
そんな変な子供でしたね。
でこれは私はあるあるだと思うんだけど、何か恐竜の図鑑とか読んでひたすら知識を覚えるのが得意
っていうふうに
誠しやかなように語られてるけど、それがあるあるであることが。でもですね人それぞれだと思うし
特にクラキは変わってたんじゃないかなと思いますね。 なぜか漫画もそうだけども
内容自体は覚えてないですよ。でもしっかり見てはいるんですよ。この大全集も
何回も見てた覚えはあるんですよ。 でもそれでキャラクターとかその技の名前覚えたりとかは一切なかったんですよね。
ある意味あるあるなんでしょうか。 半数ぐらいそうであってほしいけど。
でもほとんどは多分そうやってオタク的に何か覚えたりするんだろうな。では次の話。
あとは この話もしたかったんだけど
よく無になるって言いますよね。 よく休日は
最近聞いた話でいうと 午後はずっと休日は無になってるとか雨降ってる時外を見ながら無になるとか
全く理解できないんですよ。でもそういうことあんのかな。 無になるってね、クラキの場合瞑想してる時でさえ難しいし
何かに集中してる時でさえ 気づいたら考え事してしまってるわけで
特に例えばベッドに、床について 何もしてなかったりするともう
映画を見てるような感覚なんですよね。で無になるなんてのは絶対ありないんですよ
だからこそ飽きることはないんだけどってずっと座ってたり横になってたりして 車に乗ってる時とか
無になるってことはありえないですね。 常に映画を見てる状態
だからよく無になるって聞くけども
いや雑念とか出ないのかなと思って。多分雑念はある程度出るけどもほとんど無に近い感覚なんでしょうね。
これは発達障害の人に理解してもらえるかなぁ どうなんだろう
あ、でも発達障害でASDで空想好きとかね ここにあらずなんだとか
ADHDでも そういうことからすると似てると思うんだけどなぁ
この感覚はあると思うんですけど 次の話ですけど
以前はですね
努力して
得たことだけを自分の なんかプライドというか
身になるというかそういう感覚
自己理解と成長の過程
そこだけ誇れると思ってたんですね ただ
不思議とある時から 別に占いなんかも信じないんだけど誕生日が有名人と一緒だったりすると
誇らしくなるし まあ応援したくなるなっていうのは誰でもあるかもしれないけど
哲学会でも語った通り誕生日が一緒っていうのは 自分というか他人を含む概念でもあるから
あのまあ間違いではないと思うんだけど 誕生日が一緒あるいは母校が一緒だから
魅力に そういった有名人を魅力に感じる応援したいと思う
別にこれは間違いではないと思うんですけど でも誕生日が一緒っていうのはねこれ難しいところで
以前の自分からしたら ちょっとまた故郷へ母校へとはまた違うから
これは哲学会で話すべきことだけど やっぱり誕生日が一緒でも何か共通点があると魅力に感じてしまうのは人間なんでしょうね
である時から誕生日が一緒な人は何か近しいものを感じる
もう一度言いますけど以前は努力で 自分が身につけたものだけが自分の中でのプライドだったんですよね
そういう人と何か共通点があれば このスポーツ選手とか
活躍すれば嬉しいですし 自分のプライドを保つ要因になったりするんですよね
っていう話わかってくれるかな? 当たり障がいの人 逆に当たり障がいの人以外にも
わかる人はわかると思うんですけど では次の話
ただですね今回話したいのはそれよりも 以前は努力振興がすごい強くて
当たり障がいという概念でやってからは そんなものの意味を感じなくなったんでこういう風になりましたね
でもプライドが高いのは 以前変わらないかもしれないし
プライドが高いとは自分では認めたくないけど プライドは
何に関しても最近哲学会で話したんで難しいところですね 人から見たらどう見えるかっていうのもあるし
プライドがないからこそ
強く持とうと意識するのかもしれない ちょっとわかんないですけど
あとこれもここで話すべきかわかんないけど 学生時代は学歴ではなく
学歴を
でももの人をかかるものさしとして重視してたというか っていうとちょっと聞こえ悪いと思うけど
資格とか読書量では一切判断しないんですね 逆に資格持ってるから
学歴はないけど 素晴らしいと自分で思い込んでる人とか
読書してるから頭がいいと思ってる人 最近もある芸人さん
多分学歴はないんだけど 文字文学読んでるから自分で頭がいいと思ってる
だけどまあそういう人はあまり好きじゃなかったですね そういったものはね
知識かどうかの判断材料としては一切
なかったですね自分の中に こういった変なこだわりあるのも私はあるあるだと思います
しかもずれてるんですよね感覚がね 普通だったら資格があったり
読書家は たとえ小説であろうと頭がいいと思うんだろうけど
あと高校生の時は文化人類学言語学 哲学心理学
理系もそうですね興味あったんだけど物理学数学
医学薬学 あと法
法律系の法学文系で言うとあとは法学ですね
なんかもういろんなことやりたくて まあADHDであるあるなんですよねこういうのは
でもADHDだからっていうよりはASDの好奇心が有り余っている状態
異常にねいろんなこと勉強したいって思い上がって だからこそ心霊悩むんですよ
一体何をやればいいんだと思って まあある時は自分の趣味でやればいいと思ったけど
文学部に行こうか医学系に行こうか法学部がいいのか
またまた理学部がいいのか って悩むことになるんですね
それでは明日っけ