負けに対する考え方
今回も、あえて漠然と負けという表現をしましたが、それに類似することでもいいですし、話していきたいと思うんですが、
負けは負けだと認めることも大事だろうし、少なくとも、上っ面でもね、
上っ面でもね、自分は負けましたという態度を示せないと、世の中はうまく渡っていけないですよね。
負けてもホンホンとしている人は嫌われるでしょうね。
ただ、倉木の個人的な考え方としては、負けても別にそこまで落ち込む必要もなくて、
でもそれを態度に表してしまったら、いかがなのかと思うんだけど。
まあでも虚勢を張る気持ちもわかるんですけど。
倉木の学生時代はね、負けたら恥ずかしいというか、
その後は何くそ根性で、頑張るのはいいんだけど、ただ、そもそも必要以上に悔しがっていましたが、
親友相手に対してね、今考えてみると情けないわけですよ。
若手の言い足りでしょうないんだけど。
ただ、もうちょっと話していきたいのが、勝ち負けて判断するってね、倉木は好きだし、
まあこの今の日本で競争を避けられたり、
あとね、倉木の周りのやつら見てると、
自分より一回りも二回りも上の世代の人はまだね、違っただろうけど、
とにかくね、なんていうんだろう、日本人みんなそうかもしれないけど、
で、なんか変にムキになったりするとそれをバカにして、
だから勉強なんかもね、ひたすら人に負けずに、何くそ根性でやってるようなのっていなくて、
裏ではね、どうな感じなのかわかんないけど、
一応表面上学校では、人と比較するよりもみんなで仲良くすることを大事にしてる感じ。
まあその癖なんか学校祭ではみんなムキになって、他のチームに勝とうとするけど、
無駄にムキになってたけど、
でもそんなものが終われば、あまり勝ち負けにとらわれない。
だから逆にもっと勝ち負けってものを普段から意識していたほうがいいと思うけど、
まあこれで、クラキも世界に出たことがないんでわかんないけど、
世界に出たらまたね、変わるのかな。
でもあからさまにね、勝ち負けを意識しているところ、表面脱と、
省かるものになるだろうし。
ある程度いいんですよ、勝ち負けの意識って。いいと思うんですよね。
ただあまりそれにとらわれるのは、
今言ったようにこの日本社会ではうまく渡り歩いていけないし、
あまり効率的な生き方ではないと思うし。
なぜそう思うかっていうと、勝ち負けなんて実際は存在しないからですね。
人間が勝ち負けだと。
楽しんでる分にはいいんだけどそれでね。
人間がそうやって捉えてるだけであって、
だって思いましたよ、親友と比べてたけども、
ある部分では勝ったり負けたりしてるかもしれないけど、
ある部分では逆に勝ってたり、ある部分ではその分負けてたり。
比較してもあまり意味がないんですよ。
ゲームとかスポーツとかそういうので勝ち負けはあってもいいかもしれないけど、
あまり捉えられないことが大事。
今回のテーマである負けることは恥ずかしいことなのか。
全くそうは思いませんね。
それでは明日会見。