自己中心的な行動と利他主義
今回はですね、全く同じことをとってもそれが人によっては自己中だったり、人によってはすごく人のことを考えたりという違いがあるという話ですね。
例えばライフボード、ライフジャケットを着けて海に潜るか。
こんなものは遊びだし、別にいいかと考えて、ライフジャケット着けるのは単純に自分を守るため。
別にこれでいいんだけど、人間そういうもんですよ。人間ってそもそも利己的な生き物ですからね。
でも今回はそんな深い話まではしません。
正確に言うと違いですね。自分のために着けてるっていう人がほとんどだと思いますよね。
あるいは着けろと言われたから着けてるとか、みんなが着けてるから着けるとか、よくわからずとりあえず着けとくっていう人も多いでしょうね。
まあでも本能的なことですよ。自分を守れると思って着けないっていうのは不安だからやっぱり着けるっていう。なんかめんどくさいけど。
でも人によってはこのライフジャケットを別に着けなくてもいいんだけど、着けることによって人が溺れた時に助けることができる。
あるいは自分を助けることによって、そのために人が自分の命を落としてまで自分を助けるっていうことを想像できるすごい人たちもいるわけですよ。
次の例はどうでしょう。車でシートベルトどうする?
これによって何か不適合があって、例えばスマホで電話して、車の運転手だとかで事故を起こしたらもうほぼほぼ人を謝ってしまってるようなもんですよ。
罪も重いですよ。
もしシートベルトをして命を助ければ、その人の罪を軽くすることができるかもしれない。
ここまでの発想ができるすごいファンタジストな人もいるわけですよ。
一見同じ行動をとっていてもこのように、今のは極端な例だけど、真相で考えていることって実は違ったりするんですよ。
行動の真意
だから、今までの経験からこういう行動をする人はこういう性格だろうって簡単に押し明かれるものでもないんですね。
普段話している感じだと、人のことを考えていないようでも、実は先祖語ではとても人のことを考えているということだってあり得るということですね。
逆にですよ、すごい良い人に見えても、行動は常識的で、人のために何かやっているように見えても、自分のことだけ考えている人は全然いるわけですよ。
だってね、人間は裏の裏を描くことだけでできるわけじゃないですか。
こうやって人のためにやっている、これもね、ある意味下心だったり企みもすごいんだけど、ある意味すごい性格だなとは思うけど、
これをやることによって、逆にこうした方が人にはよく見えるから、帰ってくるものも大きいしってことで、すごい人のために何かやってるんだけど結局はその根端があったりするわけですね。
全然そういうことはありますよ。ただこの場合だとすごい高度なことで、相当いろんなことに気を張れる人じゃないとこんなことはできないだろうけど。
実際今までクラッキーも会ってきましたよ、頭良くてね。
まあでも実際はね、そこまでの根端があるかってなかなか後になってみないとわかんないもんですよ。
例えばですよ、部活の先輩が随分最近自分に当たりが強くなってきた。
なんでかなと思って考えてみると、ある男の子に告白しようか、相談したところからで、絶対お前には無理だと言ってくる。
意地悪にしか思えない。でも実際その先輩はね、他の人と付き合ってることがわかってたり、その女の子のこと嫌いだとわかってて、
自分が敵になって、その子が辛い思いをしないように、そうやってかばってた可能性だってあるわけですよ。
だから人の行動だけ見て、発言だけ見て、その人がどう思ってるかなんて、わからない場合もありますね。
まあでもさっきから話してる通り、頭が良かったり、裏をかいていたり、
悪く言えば素直じゃない。よく言えば、しっかり考えて生きてる人はそういう勘違いされやすいんだろうなと思いますけど。
なんかもったいないですよね、せっかく人のためにそうやってても。
いやすごいと思いますよ、そういう人って。
さっきのライフジャケットの話もそうだけど。
でも今回はここまでは話せないけど、一番根本的には、人間という生物は、やっぱりそれでも理工的な生き物であるということも一応研究上わかってるんですけど。
先入観と人間理解
今回一つ一つの行動の話でしたけど、実際その人の性格っていうのもね、案外行動だけじゃわからなかったりするんですね、その言動もそうだけど。
例えば、よくあるのがね、学校で勉強してないけど実際は家で勉強してる。
学校で怠けてるよだけど実際は違ってるとか。
学校では明るくしてるけど実際は片親で苦労してるとか。
実際は元気そうだけど実は病気持ちだとか。
それだけじゃなくてね。
倉木が実際聞いた話では、あるスポーツ選手が全然努力しないと天才方とよく言われてると。
天才なのは天才なんだろうし、練習したから別にそれで、練習別にしなくても天才なんだろうけど。
ある選手がね、実は世間にはそう見られてるけど裏では実際すごい練習してた。
こういう人2人知ってますね。
あ、3人知ってますね。
もう少しだから。
でもそう見えてしまうんですよ。
本人はそう見せてるとこもあるのかもしれないけど。
でも実は裏では全然違ったりするんですね。
人間の思い込みってだから恐ろしいものですよ。
でもやっぱりさっきのライフジャケットとかの件。
これは思い込みのレベルじゃないですよね。
もう言われないとわかんないですよね。
本人もわかってないだろうし。
何のためにそうしてるかなんて。
でもまあそう思い込まざるを得ないのが人間でもあるんですよね。
でもあまり決めつけるのもどうかと思うし。
まあでもしょうがないのかな。
人にすごい怒ってる人。
これがこうしたら怒りっぽいかどうかもわからない。
これはちょっと言い過ぎですかね。
ただその環境が操作してるだけかもしれないし。
そういう場合はね、実際ありますよ。
すごい支配的な人で。
でもその環境を変えれば全然違うとか。
今まで言いましたね、ある文化人で。
政治家だったけど辞めたら別に温厚な人だって。
だから今までの仮の姿だったってことですよね。
だからあの人はすごい人のこと考えて偉いなと思ってるような人でもわからないってことですよ。
逆にね、あの人はなんだから自分のことしか考えてないよなと思っても案外わかんないってことですよ。
まあでもこうやって考えて裏切られたらちょっと辛いですけどね。
難しいところですね。
だからね、人は先入観を持たない方がいいのか持った方がいいのか。
これは本当に難しいところですね。
ちなみに倉木は、
まあいちいちこの人はね、
実際はこういう人なんじゃないかっていちいち考えるのめんどくさいし、
でもそもそもこの人はこういう人だと決めつけなければいい話ですよね。
まあそれは習慣でなんとかなるわけだし。
まあそれで人を見る目が鈍くなるのも何かどうかと思いますけど。
いや案外今回の話結構難しい話でしたね。
そもそも何かを言いたかったわけじゃなくて、とりあえず話してみた感はあるんですよ。
まあとりあえずでもね、そういうことってあるんだよなってことはお伝えしたくて話しました。
それでは明日っけ。