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今まで聞いてきたおかしな発言 10選。浅はかな話、矛盾した話、抽象度ズレまくっている話。がテーマ。
自閉症スペクトラムの自分は、人がおかしなことを言っていると、思考停止してしまう。
普通、気づかない、あるいは気にならない人は、そっとしたおかしな発言に気づいてしまう。
そして、一人で悩んでしまう。今のは一体何だったんだ。
今回は、人生で出会った最高におかしな発言を公開。
では、いきなりその1。
関数を勉強しているから、こうやって頭の中でイメージして考えられるんです。
分離関数を勉強しているから、こうやって忙しい日がいつまで続くとも限らない。
必ずいつか変化があるとわかるんです。
最初はあまり気にしないで聞いてしまいますが、よくよく考えてみると、
この人は、関数ではX軸とY軸があって、横線のがX軸、縦線のがY軸ですよね。
例えば、X軸を値段。
右に行くほど高い。左に行くほど安い。
縦、Y軸を便利さ。上に行くほどより便利。
これで位置付けられる。そういう風に考えられる。
右上の方が高くて便利。左下の方が安くて不便。
でもね、これ関数勉強しなくてもわかるじゃないですか。
そういう風な考え方ってできるじゃないですか。
その人はね、あ、ちなみに別に数学の先生じゃないんだけども、
その人はね、関数を中学・高校と勉強したことによって、
することによって、こういったことを頭の中ですぐイメージできると。
でもね、関数を勉強しなくていいどころかね、
その前にまず関数を勉強して、
X軸・Y軸って、頭にそれだけわかればいいんですよ。
だから中1レベルでいいんですよ、本当に。
だしね、最初そう思ってたんだけども、
いや違うなと、そもそも縦線と横線だけ頭にイメージできて、
あんなグラフよく見るじゃないですか。
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だから誰でもそんな、頭の中に縦線と横線イメージして、
あ、これは右上の方だなとか、上の方だなとか、
イメージすぐできるわけですよ。
なぜその先生は数学、勉強したことによって、
これができるんだと考えてしまったのか。
しかもバカが言ってるならね、いいんだけども、
東大の法学部出てる人が言ってるんですよ、それ。
で、これ分離なんとか、自分も数三枚取ってるんだけども、
ゆとりのせいかな。
ちょっと分離なんとかってよくわかんないんだけど、
大学の数学なのかな、分離曲線だか分離関数だか。
でもね、なんとなくわかったんだけど、聞いてたら。
その関数は連続はしないと、あるところで途切れると。
だからどんなに忙しい人も、どんどん忙しくなってても、
あるところでその忙しさがなくなるっていうところが、
どこかで訪れると。
でもね、それ別にそんなレベルの高い数学勉強しなくても、
そんなに忙しいのなんて、
まあ諸行無常とか言うしね、
諸行無常ってもっと抽象的な意味なんだけども、
まあそういう使われ方もするし、
あと流行りしたりとかね、あるわけだし、
芸能人もそうですよね。
どんなに人気出てもやっぱりある程度何年か経ったら、
世間も飽きるんでしょうね。
あんまりテレビに出ない時期があってまた出るようになったり。
まあ経験的にわかりますよね、そんな。
ずーっと。
あと人の人生を考えてもそうじゃないですか。
どんな上り坂で、もう7時8時で越えても、
ずーっと上り坂で登り続けてみたいな人っていないのは、
なんとなくわかりますよね。
それはその人は数学を勉強しないと、
したことによって自分はそれがわかるんだって言うんですよ。
いやすごいですよね。
ちなみに今、この数学の先生が言ってることが、
数学を一切勉強しなくてもわかるってことに気づいたのは、
何を勉強したからなのかななんて考えてしまったけども、
まあそれは冗談として。
いやその2。
人に○○をするんじゃないと発言した人の、
その発言自体が○○。
例えば学校でね、
誰誰がかわいそうでしょ、そんなこと言うんじゃないみたいなこと言ってる人が、
人に対してひどいことをしてるっていうね。
それを言ってる、注意してる相手がかわいそうだっていうね。
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他にも、誰誰をそんなにもっと優しくしろと、そんなこと言ったらかわいそうだろう。
いやいやあなたが人に優しくしてないでしょうっていうね。
そういう人は自分を置き去りにして、とか気づかないんでしょうね。
少しでも羞恥心があれば、
いや自分が今やってることは恥ずかしいってわかるはずなんですけどもね。
自分はとてもできないですよね、そんなこと。
まあそれぐらいできれば人生はお気楽なもんですよね。
自分はねこれはっきり覚えてないんだけども、
過去に何回かそういうのはありますね。
中学生時代かな。
なんか一人の女子が頭で思い浮かぶんだけども。
でもね具体的に思い出せないんだよな。
でも何人かにそんなこと言われたような経験あるんですよね。
小学生の時もあったかな。
なんかずいぶん正義感を振りかざされて、
でも圧倒的に自分よりもその人の方が人に対してひどいことをしてるっていうね。
他にも同じことをしてる人がいるのに、
一人だけ名指しでなんか自分が過問にされたか、
なんか言いやすかったのか、
自分に対してだけなんか嫌悪感があったのか。
あとね、信仰宗教で若い人の集まりで、
あるミーティングの時にある人に揺れまれてね、
でこの宗教に一人知的障害の子がいたんだけどもね、
今睨んできた人は福祉の関係してて、
絶対にその知的障害の子にみんな優しくしてって言うはずなんですよ。
優しくしてあげてって。
でもその人自身は発達障害の自分に対してを睨んでるっていうね。
こんな矛盾した話ないですよね。
人に対しては多分そうやって言うんだけども、
無意識にも自分がそうやって発達障害の人に対してそうやってやってしまってる。
で自分が発達障害っていうことをその人に言ってるかどうかはね、
その人が認識できてるかどうかは関係ないんですよ。
だってそうじゃないですか、知的障害のその人のことをね、
知的障害だと認識しなかったら、認識してようがどうだろうが、
優しくしてあげてってその人が言うはずなんですよ。
同じことですよね。
発達障害だっての可能性があるっていうね、
誰だって。
その言葉は頭から抜け落ちちゃって、
そうやって睨んでるっていう結果になってるわけですよね。
その3、記録より記憶に残るプレーを。
これスポーツ選手、スポーツのことでよく言いますよね。
解説してる人とかが。
今回の記録には残ったのはなかったんだけど、
記録には残りましたねとか。
でもね、そういうプレーをしてほしいとかね。
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でもね、実際スポーツ選手がね、
これは自分は記録に残るようなプレーをしようとか、
そんなこと考える好きなんてないですよね。
とにかく一瞬一瞬、一球一球に集中する以外にないですよね。
そんなこと考えながら、
あるいはね、試合後でも試合終了後でも、
1年これから目標を立てようとかいう時でも、
今年は記録を求めるよりも記憶にも残るようななんて、
そんなね、抽象的って言うと本とも違うんだよね。
抽象的なんだけども、それは別にいいんだけども、
そんなこと目標にする人いないと思うんですよ。
もっと技術的なことを目標にすると思うんですよ。
なんでかというと、何ら変化は起きないからですよ。
記憶に残るようなプレーを心がけようとしたところで、
実際具体的に何かそれでバッティング、
こうじゃなくてこういう風にしようとかなんないんですよね。
なんでかというと、記録に残るようなプレーっていうのは、
記憶に残るだろうし、
あと記録を追い求めないで記憶に残るようなって、
具体的にそれはどういうプレーなのかって考えたって、
どのスポーツにしたってそんなのなかなか思いつかないだろうし、
スポーツ選手自身がね。
今言ったように記録を追い求めてれば、
ことによって記憶に残るような記憶が出てくるわけだし、
もっと言うと別に記録を追い求めてようが追い求めてなかろうが、
気持ちの問題で目の前の球をね、
しっかりそれに対してプレーができてればするっていうことしかやるようがないというか、
逆に記憶に残るようなプレーをしてる人っていうのは、
自然ともう記録に残るような成績も残してるだろうし。
あと大体記録、言いたいだけですよね多分。
語呂が良くて。
あとなんか記録を追い求めるっていうよりも、
世間の人のね、心に残る方が見たいな、
なんかそっちの方がイメージというか聞いた雰囲気がいいというかね。
それでただ言ってるだけな気がしますけどね。
そういったことを解説してる人自身が、
そんなのただの理想論にすぎないってわかってるんじゃないですか。
理想論にすらなってないっていうね。
全く意味がないっていう。
まとめると、スポーツ選手で、
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人によっての違いとかね、
その人同じ一人、特定の一人についても、
この時期は記録ばかり追い求めると思ってたけども、
人に記憶に残るようなプレーに変わったとか、
そんなことは誰もないんですよ。
スポーツ選手は、プレー中は記録も記憶も、
どちらも追い求めてないってことですね、要するに。
ただただボールを追いかけてる。
ただただ走ってる。
そういうことなんですよ。
そんな考えによって左右されるような練習量じゃ足りないわけですよね。
反射的にね、こういう風なプレーをするっていう、
そういうルーティンがいくつも蓄えがあるから、
いいプレーができるんですよ。
5秒前に言ってたことと、言ってたことと矛盾する。
自分がね、信仰宗教に入っていたんですけども、
その他の信仰宗教ってどうなんだろう。
やっぱり本をどれくらいのペースで出すんですかね。
月刊誌みたいのがあって、そこにも数ページ書いて、連載っていうかみたいに。
まあだから小説家みたいなもんですよね。
雑誌に書いて、それが溜まったら単行本を出すっていうね、小説を発表すると。
本として発表するとですね、一つの作品として。
で、それと同じように毎月出しておいて、何年かに1回本として、
まあ2500円とか結構高かったな。
まあでもね、世間の人にも買ってもらうために、
そんな高くは設定できないんだろうけども。
とはいえ2000円超えてるんでね、そんな分厚い本でもなかったけども。
でね、その本ね、小学生ながらに矛盾したのばっかり書いてるなと思ったんですよ。
というのもね、5秒後って言ったけども、
本のね、右のページで書いてることと左のページで書いてることが矛盾してたりするんですよ。
わかりますか。
1ページも間に挟むことなく、すぐ次のページで前のページと矛盾したことを書いて、
いやそれで平気なんですね。
あまりね、ロジカルな思考回路じゃない人っていうのは、まあいますよ。
いやその程度の話じゃないっていうか、まあそういう人なんだろうなと思うんだけども。
そうやってね、宗教の教祖として、
たくさんの人にね、一応会員数1万人以上はいたんで、
その人たちに伝えるね、人としていかがなのかと思いますね。
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まあ宗教なんでね、
まあそこまでロジカルにやってられないというか、
矛盾が出てきてしまうのはしょうがないけども、
それとも話が違うんだよな。
説明の仕方がもうひどいっていうね。
教え自体に矛盾があるのはしょうがないにしても、
その教えを説明するときに矛盾した言葉だらけだっていう、
あとね、講義なんか聞いててもね、
何々心というのは、心ね、
何々心が生まれる理由は、
魂が、魂はこうでこうで、こうです。
えーってつまずきそうになりますね。
普通だったらね、何々心っていうのが生まれる理由は、
魂がこういう風になって、こうこうこう、こうだからですと。
ですよね。
まあそういう説明、
まあだからワーキングメモリーが弱いのかまでは、
そんなことで済まされる問題じゃない。
ないですよね。
ちょっと説明の仕方がひどすぎますよ。
ちゃんと台本も書いてるのに。
自分はね、まあそもそもその、
あまりロジカルな説明の仕方じゃない人に、
まあちょっと苦手なのかもしれないですね。
まあそうでないかもしれないし、
そんなね、完璧に、
論理的に話してくれる人じゃないといけないな、
ってことはないと思うんだけどもな、
ちょっと苦手なのかもしれないですね。
あと妖感もね、
妖感はちょっと状況意識してるというか、
さっき言ってたことと違うだろうって、
こうしたらね、
まあ忘れてたりするんですよね。
え、そんなこと言ったっけと。
とかね、とんでもない言い訳をしてきたり。
その言い訳をしたのにもかかわらず、
じゃあ改めて聞いてみると、
あれさっきそのこと言ってたっけって、
じゃあ今の言い訳は、
じゃあ今の発言の記憶がないのに、
どうして生まれたんだみたいなね。
ちょっとこれはレベレッジっていうんですか、
まあそんな感じですよね。
歯がゆえ気持ちにすらならないっていう。
ただただ驚かされるっていうね。
あとまあテレビを見てる人多いですね。
いやいや5秒前言ってることと矛盾してるけど、
今人格変わったんですかみたいな。
記憶がなくなったんですかみたいなね。
ただでさえ矛盾した発言を聞くとね、
立ち止まってしまうんですよ。
言い悪いとかじゃなくてね、立ち止まってしまうんですよ。
ん、今何が起きたっていう。
パニックになるんですよね。
この人は、ん、今何が起きたんだ。
この人に何が起きたんだっていう。
その6、挑戦することで脳が鍛えられるんです。
いや脳科学っていうのはね、
自分はもう擬似科学だともう確信した瞬間ですね。
この発言をした人はね、他にも結構矛盾したこと言ってる。
この人自身はそんな嫌いじゃないんですけどもね。
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いやあ、なかなか、まあ脳科学自体がまあ、
そういうもんなんだろうけど、
本当にね、もう矛盾だらけというかね。
素人からしてみても、
それはちょっとおかしいだろうというのがわかってしまう。
何か挑戦することによって、
ちょっと具体的には忘れたけども、
まあ脳のその変化に対応するための
まあ場所があってということなんだろうけども。
そこを、そういうのを司る部分がね。
で、そこが働くことによって脳は活性化するみたいな話だったんだけども。
でもね、人間ってその、慣れるわけですよね。
だからね、車運転して最初はもう、
毎日もう生きた心地しなくてね、怖くて。
って言ってもね、
学生時代自転車乗ってた時と同じようにもう、
なんだ、もう空気のようになってしまうわけですよ。
今の例え何で出したかというとね、
自転車に乗る前、乗らないでバスで行った時と、
自転車で行ってた時で、っていう人が、ある人がいたとしてね、
そんなに意識に変化って与えないと思うんですよ。
今の話からするとね、
その車ってのは乗ってたら最初ビクビクしてたのが、
まあいずれ、そうやって今の例えどのようにね、
自転車と同じようにそんなに大きなことではなくなるというか、
んなわけですよね。
あと、食べ物を食べてて最初すごい甘いって感じてても、
その甘みに対して慣れてきてしまうと、
自分なんて風味さえ感じなくなっちゃうからな。
特にチーズなんかそうですね、
一口目、二口目、三口目あたりでもう一切、
他のものを食べて味変しないと味が感じなくなるっていうね。
人間の脳ってそういう風にできてるって、
素人でさえわかりますけどもね。
そんな単純な話ではないんだけど、
ただね、これもわかると思うんですよ。
慣れないでわりと刺激が多い生活をしてたら、
刺激が多い生活をするってことに慣れるわけですよ。
毎日ね、まんねり化した生活をするんじゃなくて、
例えば学校に行くのにいつも違う道を歩くと、
それまで毎日同じ道を歩いてたのに。
確かに初めて見る道路なわけだからね。
より脳には刺激がありますよね、さっき言った。
変化に対応しなきゃいけない部分がより働くわけであって、
でもね、毎日違う場所を歩くっていうことになれるわけですよ。
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だからほぼ無意識にね、
毎日違う場所を歩いてるようになるわけですよ。
っていうことは、変化に対応する、
まあ今こうやって話して、そんな場所あるのかなと思うけども、
まあとりあえずそれを使わせただる部分があるのかどうかを置いといてね、
慣れてくるわけじゃないですか。
で、変化が別に変化じゃなくなるわけですよ。
すごい小さな変化になるわけですよ。
最初は大きな変化だったのか。
だとしたら脳がそういう、それに対応する機能がね、
働けば脳が活性化する、脳が、知能が、
その人は知能が伸びるって言ってるんですよ。
そんなことがなくなると。
そんなことぐらいはわかんないのかなと思うんですけどね。
だからその脳科学者に感銘を受けて、
毎日もっと刺激的な生活をしようと思ってても、
どんどん慣れてくるんですよ。
でね、限界があるんですよね。
より刺激的な生活ってやっても限界があるんですよ。
だってね、ハイカーっていう人たちがいるんだけども、
より高いところにね、スリルあるスポーツをしたり、
バンジージャンプなんかもそうなのかな。
ちょっと違うかな。
そういうスリルあることをやったって、
ジェットコースターもね、よりスリルのあるもの。
ジェットコースター好きな人はどうするのかな。
富士急行って、それで飽きたらず外国行ったりするのかな。
バンジージャンプの場合は、
より高いところより高いところでやっても、
限度があるじゃないですか。
それと同じですよね。
刺激的な生活をしてたって限度がありますよ。
で、どんどんそれに慣れてくと。
結局3ヶ月前と今後では、
その刺激の量なんて同じくなっちゃってるわけですね。
あとはもうどの程度刺激を求めるかっていうのは、
遺伝で決まってるっていうのもあるし、
ちょっと今の話とずれるんですけども、
確かにね、刺激に慣れてしまうから、
どんな刺激を求めても、
刺激の量は同じになってしまうとは言ったけども、
ADHDの人なんてのはね、
そういうスリルのあることを好むとか言うけども、
じゃあ刺激が同じだからADHDの人も、
慣れが来てしまうからって言ってたら、
その人たちはね、一生そうやって刺激を求めかないと、
とても平常心ではいられないね。
じゃあどうするんだっていう話になってしまうんですよね。
とはいえ同じスリルのあるね、
例えばバンジージャンプをしていても、
そういうことを普段からしていてもね、
いずれそれに慣れてしまうと。
だから気休め程度に刺激を増やすってことはできるんですよね。
今言った脳科学者が言ったようにね、
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毎日を刺激的に言うのは不可能だとしても。
あとね、知能なんて、
もう14歳過ぎたら伸びないし、
14歳まで伸べるって言ってもね、身長の同じで、
どの程度伸べるかどういう風な伸び方をするかっていうのは、
遺伝で決まってきてるわけですよ。
それぐらいその人は分かんないのかなと思うんだけども、
大人になってからも身長、牛乳たくさん飲んでれば、
伸び続けますよって言ってるのは問題なんですよ。
たとえそれが10歳だろうが、成長期だろうが、
牛乳を飲んだら身長その分だけ伸びるって、
その考え自体が間違ってるし、
遺伝でそのまま決まってきてしまうし、
その7からは後編、後編で。