政治学の基礎と国家の理解
これまで皆さんは政治学の基本的な概念について学んできました。
まず、権力という概念をしっかりと確認し、その上で権力というものを正当化するという操作を行うと、人々をより強く統制することができるということも学びました。
そして、正当化された権力としてですね、最も強力な主体として国家というものがあると、こうした理解にたどり着いたわけでありますけれども、
こうした理解というものを踏まえて政治学という学問をさらに突き詰めて学んでいくためには、やはりこの国家というものをもう少し深く理解していくという作業が必要になるかと思います。
それはなぜかと言いますと、政治学という学問はまず国内の仕組みを探求する比較政治学という分野と、国家と国家の関係について研究を行う国際政治学というこの2つの学問に枝分かれしていくわけですね。
なので、政治学という学問を学ぶ上で、まず最初のステップとして国家というものをしっかりと理解していくと、それを自分の知識としてしっかりと定着させるという作業が大事になってくるわけですけれども、
その上で国内の政治と国際政治というもの、この2つの側面に分かれて学習を進めるということが古くからよく行われている王道的な学習方法ということになるわけですね。
ですから、この国家というものをしっかりと理解するということは大変重要なことになるわけですけれども、以前皆さんが勉強した国家の定義を少し確認し、そこから国家というものがいかにして物理的な強制力というものを使って組織として成り立っているのかということを税金と関連づけながら学習します。
その上で最後に今回は社会契約という考え方についてお話ししておしまいにしようかというふうに思っております。
まず、今まで勉強してきたことを簡単に振り返るところから始めたいんですけれども、マックス・ウェーバーという学者がいるということを以前お話ししました。
このマックス・ウェーバーという人は国家を定義する際に、ある一定の領域において物理的な強制力というものを独占する、しかも正当化された形で独占している、そうした共同体集団のことを国家と呼ぶのだと、このように述べたわけですね。
この定義は大変驚かれた方もいらっしゃるかもしれないですけれども、よく考えてみれば、私たちが普通には持っていないような武器とか兵器とかそうしたものを国家は独占しているというのは、これは紛れもない事実なわけですね。
また、世界にはそうした物理的な強制力を独占できておらず、非常に国内の治安が乱れている、そういう国家も存在するということもお話ししました。
ですから、国家というものが成り立つために、この物理的な強制力というものを集約的に持っているということは、これは非常に重要な特徴であり、それができていないと国家として破綻してしまう。
人々はそうした破綻した国家で暮らすと、非常に厳しくて貧しい暮らしというものに耐えなければならない、そういうことも以前お話ししたわけですね。
ここで一人の政治学者のことを紹介したいと思うんですけれども、チャールズ・ティリーという政治学者がおります。
このティリーという政治学者は、大変政治学の分野ではよく知られている研究者でありまして、それはなぜかというと、この国家の本質というものは、犯罪組織のマフィアと大差ないんだと、こういうことを主張したことで知られているためですね。
これどういうことなのかということを申しますと、チャールズ・ティリーは次のように述べております。
マフィアのような犯罪組織と国家との違いは程度の問題であり、本質的な違いではない。
なぜこのように述べているのかというと、ティリーによれば、税金という形で国家は人々から富を抽出しているわけですね。
私たちは、税金というものを支払わないという、今の政治に不満があるから、もう税金を払えませんということはできないわけですね。
税金というのは、納税というものは、日本の憲法にも納税の義務というものは定められているわけですけれども、
それを払わないという選択肢は基本的に国民には存在しないわけですね。
それを逃れてしまうと、脱税という形で、税務署から怖い電話が来るということになるんですけれども、
国家というものは、その税金を徴収すると、その引き換えに国民に対して安全を提供している。
これがその国家の基本的な仕組みであるというふうにティリーは説明しているわけですね。
ここでウェーバーが述べていた、物理的な強制力、物理的な暴力というものを国家が独占しているということの理由というものが、
このティリーの議論で明らかになるわけです。
つまり国家というのは公共サービスとして、国民に対して税金という対価と引き換えに、
その国民の生命や財産というものが侵害されないような状態というものを提供している。
そうすると国家の支配下に置かれている国民は、そこからメリットを感じるわけですね。
なのでそのメリットを感じたからこそ、税金を納めようかという気持ちが生じてくる。
マフィアという犯罪組織がなぜ成り立っているのかということを一度ここで考えてみると、
マフィアというのは大体特定の地域、自分たちの縄張りとしているお店とかに対して、
未かじめ料を支払うように要求するわけですね。
もちろんこれは今の日本の法律では、暴力団排除条例とかそうしたものに抵触するわけですけれども、
暴力団はそうした飲食店に未かじめ料を支払わせる。
その代わりに暴力団は他の暴力団から何か脅迫をされたり、たかりをされたりという、
そうしたことを防いでくれるという、そうした意味での安全を提供するという取引関係で成り立っているわけですね。
ですからこれはティリーに言わせれば、経済的な資源を受け取って、
その見返りとして軍事的あるいは物理的な強制力というものを使ったサービスを提供する。
これが国家の本質的な機能であるということがティリーの述べたかったところですね。
こうした物理的な強制力というものは、古代から現代にかけて様々な形で展開してきたわけですね。
古代の社会においては、あるいは中世の社会においては、非常に組織化されていないような軍事組織というものが社会のあちこちに存在していて、
日本でもそうでしたけれども、その武士団が台頭してくる中で、それまでの政治体制というものが動揺するということもありましたけれども、
ヨーロッパでも国王とか貴族とか領主が緩やかな主従関係で結びつく中で、下級の人間が上位の者に対して軍事的な貢献を行う。
その代わりに領地の保障というものを受けるという、こうした封建社会の仕組みというものの中では、
物理的な強制力をある一定の領域で独占するということが非常に難しい状況にあったといいます。
しかし、このテリーの議論でよく指摘されているのは、そうした軍事組織が非常に弱い曖昧な状態では、
しっかりとした国家の基盤というものを作ることができないということを述べていて、
ではそれがどうやったらできるのかというと、軍事技術というものが変化することによって、初めて国家というのは近代化の道を開くことができたということをテリーは述べております。
テリーは、彼はヨーロッパの政治史を中心に見ているんですけれども、
中世の封建社会においては、そうした軍事技術というものが非常に未熟な状態だったので、
その騎士とか戦士とかが個人の技量を使って戦うということが多かったものの、
次第に小銃とか大砲とかそういうものが使われるようになって、
より集団的な戦い方というものをやらないと、戦争に勝てないという時代になってきた。
そうしたことによって、軍隊というものをより組織化して官僚化させる、官僚体制として軍隊というものを今私たちがイメージするような形で作ることによって、
初めてある一定の領域の内部で物理的な強制力というものを独占できる状態というものが出てきたと。
ですからこれはティリーがマフィアと国家というものを比較していますけれども、
マフィアが使っている暴力というものは、非常に誰でも使えるような技術というものをベースにしているわけですね。
しかし現代の私たちの軍隊、私たちが見ているような軍隊というのは、非常に高度な専門性の高い技術をベースにして、
そうした物理的な強制力というものを使っているわけなので、
ですからそうした技術があったからこそ、国家というものを近代化するというようなことが可能になってきたと。
そうしたある一定の領域で物理的な強制力というものを独占できるようになったことによって、
初めて国民から安定的に税金を徴収するという、近代的な国家体制の在り方というものが出てきたんだと。
こうしたティリーの見方ですね。
国家とマフィアの関係
こうしたティリーの国家観というのは、政治学の世界では略奪国家観というふうにも呼ばれております。
国家というものを、その支配下においている国民から税金を絞り取る、
物理的な強制力を背景に税金を絞り取るような、そうした集団としてみなす見方ですね。
これが略奪国家観の特徴なんですけれども。
こうした国家の在り方というものは、もちろん考えてみるとすごく恐ろしい存在なわけですね。
私たちとしては、あんまり安心できないという状態になってくるわけです。
もし国家の支配者が、支配されている民衆に対して、より厳しい税金を収めろというふうに強制してきたときに、
それに歯向かう術もないわけですし、非常に支配者の思惑によって私たちの生活というものが左右されやすくなってしまうと。
これを防ぐために、どういう仕組みを取ればいいのかということを考え始めたのが、
やはりこの17世紀のヨーロッパのすごく大きな転換点といいますか、すごく大きな意識の変化でありまして、
それまでの国家というのは、住民からいろいろと資源を徴収して、税金を徴収して、
軍事力や武力によって抑え込むということが当たり前で、それ以外の国家のあり方を考えるということは思いもよらなかったわけですけれども、
こうした考え方とは全く違った見方という、この要するに略奪国家観とは違った新しい国家観というものを打ち出したのが社会契約論という、こうした政治思想の新しい流れになります。
社会契約論について詳しくお話しすると、これはまた政治思想の歴史などを詳しく述べた方がいいんでしょうけれども、ただ皆さんに直接関わりのある観点から重要なポイントだけピックアップして述べると、
社会契約論というのは、それまでの国家論と何が違っていたのかというと、それまでの国家観というのは支配者の資産だったわけですね、国家というのは。つまり支配者が主体で、支配される側というのは支配者を支える装置といいますか、そうした集団であると。
しかし社会契約論の下ではこれが逆転します。支配される側の方が自分たちの身の安全を守るため、自分たちの生命や財産が侵害されない状態を作るための道具として国家を使うんだと。
ここが社会契約論の最も重要な発想の転換点であり、これが今の私たちの国家観の基礎になっている考え方ですね。近代国家の存在というものを正当化するための政治思想における論拠として新しく提起されたもので、
もともとはこのイギリスの政治思想家のホップズが提唱し、その後ロックやあるいはフランスのルソーなどが発展させていった考え方になるんですけれども、それ以来についてはまたちょっと別の機会に取り扱うことにしようと思います。
ただ、今回の話で一番抑えておいてもらいたかったポイントというのがあって、それはまず国家というのは本質的にやっていることはマフィアと大差ないんだという視点をしっかりと持っておくということですね。これは国家の定義から見ても非常に納得できる議論なわけです。
国家というのは物理的な強制力というものを独占的に持っているわけですから、私たちがそれに対して何か反抗するということはすごく大きなコストあるいはリスクを伴うわけですね。
そうしたコストやリスクを伴う中でも、私たちが国家というものを受け入れてきたのはなぜかというと、そうした国家という存在がないと私たちの生命や財産を保障してもらうと、安全を保ってもらうということは非常に難しいからです。
なので、私たちは長い歴史の中で国家というものが非常に略奪的、抑圧的なことをやったとしても、それに絶えしのんで、ないよりはましだなというふうに我慢してきたわけですけれども、しかし国家の体制というものが近代化していくというようなプロセスが進んできた中で、
私たちといいますか、支配される側の民衆の意識というものが少しずつ変わっていくということが起きたと。
ですからその略奪的、抑圧的な国家というものを支配される側の人々がコントロールするというそういうメカニズムを確立できないかという発想が出てきたわけですね。
この発想の元になっているのが社会契約説という政治思想の、社会契約論という政治思想の考え方で、ここからどういう政治体制、どういう政治制度を導入すれば、国家を私たちの生命や財産を保障する道具として使いこなすことができるのかという、こうした考え方が出てくるわけです。
ですから、国家というものが非常に暴力的な存在であるということをまず事実として受け入れた上で、それを私たちはどういうふうにすればコントロールできるのかという段階に、この考えを進めていく。
非常に重要な転換点となったということを、この社会契約論の学習の際にですね、やはりポイントとして抑えておいていただければなというふうに思います。
今回の内容は以上になります。
国家のコントロールの必要性
次回はですね、政治体制のことについて、もう少し深く掘り下げた議論というものをしてみたいと思います。