はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私柿内正午と奥さんです。どうぞよろしくお願いします。
さあ、この猫のね、トイレの砂を蹴っている音は、入るんでしょうか?どうなんでしょうか?
さすがに入らないんじゃない?
一応このマイクは、この端子口というかさ、内側だけという想定なんだけど、
実は前方に入っているんじゃないか説もさ、あるからさ、
まあちょっとそのあたりはね、おいおいって感じですけれども、
先週ちょっとまた場所を変えて撮ってみたら、音がすごい大きさがまちまちでね、
ソファーに深く腰掛けたり、前のめりになったりすると、めっちゃ音量がまちまちになるっていうところで、深く反省をしたので、
大変申し訳ありませんでした。
今回はまた場所を変えて、懲りず場所を変えて、どんな感じか知らんというところで、やっていこうというふうに思っておりますが、
やっぱりこの最初のこの道具を新しくしていくとね、振り回されるね、というので、
まあそれが楽しくてやってるんですが、僕はね、あなたは望まずに振り回されているから、たまったもんじゃないっていう感じかもしれませんけれど、
しばしお付き合い、しばし打ち寄せていただければと思います。
打ち寄せられてる。
というところでございますが、
今日何の話をしましょうね。
あるうち最近世の中で気になっていること。
大きく出たね。
社会派ポッドキャストとしてさ。
なってることね。
社会派の流すたるね。
初めて言ったけどね、社会派ポッドキャスターって。
今さ、あなたが何かある?って言うまでの間にさ、1.5秒ぐらい間があったじゃん。
今日はあのね、振りむじっていうね、面白いポッドキャストをやっている小杖羽塚さんという劇作家の方にお会いしたんですよ。
振りむじは、お名前が毎回字表記で、
ミオソワールさんか、マオソワールさんか、いつも迷うんだよな。
間違えちゃいけないから調べるけど、
とりあえず振りむじっていうね、ポッドキャストがあるんですよ。
マオソワールさんですね。
マオソワールさんと小杖羽塚さんの2人が、30代の2人が広くカルチャーについておしゃべりする番組ですというので、
これについてね、話をしてて。
3年ぶりぐらいに復活したんだよ最近。
嬉しくてね、また聞けるんだってなってて。
前回はね、なぜ西野七瀬は白石前に勝ち、西野塚沙は当時を綾に勝ったのかを表を用いて比較します。
っていう回で、
乃木坂の2人と、一部100%のヒロインとを比較しながら、
なぜその最終的に勝つのはこっちなのかっていうのをね、書いて、
西野塚沙という最後に勝つ女の生き方、2人が考える彼女の一番重要な点とは?っていうところで、後編に続いてて、
後編がもう1週間ぐらい待ってるんだけど、まだ来なくて、
今日もずっと羽塚さんにあれはまだですか、後編は。
まだなんですか、後編はって言い続けてるんだけど、
とにかくね、すごいしっかりしてるの、音とか編集とか。
編集作業してるから、もうちょっとかかるよみたいな話をね、されたんだけど、
編集してるの偉いっすねーって言ったら、
でもなんか、もっとちゃんと編集してる人に聞かせると、
なんか間とかもっと詰めた方が良くないですかって言われたって言うんだよ。
だからなんかそのさ、音の大きさとか音のバランスだけじゃなくてさ、
さっきみたいにそのさ、空いてしまった間をね、詰めるんだって。
ちゃんとやる人は。っていうのを聞いて、よくわかんないなって思った。
っていう話を今日はしようと思うよ。
あの、フリムジの話をずっと続けるけどね、
フリムジはそのマオソワールさんっていう方がね、
妊娠・出産を経て、まあその3年ぐらいは休みしてて、
今子育てがちょっと落ち着いてきたからっていうのでまた再開しているんだけど、
3年ぶりの収録会を聞くとすごく良くて、
その前の回まで結構そのさ、わきあいあいと喋りしてるんだけど、
その後3年間は多分本当に喋ってないの。
で、まあズームで多分録音してるんだけど、
あの、3年ぶりに喋ってますっていうのをそのまま録音してる。
だからこの3年間どうでした?っていう話をしてるんだけど、
なんかね、お二人ともすごいもじもじしてる。
で、なんかそのちょっとだから会話がね、途切れる瞬間があったりして、
そこがすごくいいの。
なんかああ、3年だなあっていう感じがして、
そのなんか、あの、もじもじ具合が良いっていうポッドキャストになってて、
これをね、間を詰めちゃうとね、
まあ多少伝わると思うし、
別にその多少で十分だという意見も分かりはするんだけど、
やっぱりなんか、
ああ、結構今、沈黙長かったなあみたいなところがね、
こう続いていることによっての、
なんか有弁さみたいなのあるじゃないですか。
僕はやっぱりそういうのが好きなのかもなあっていう風に思って、
で、なんかそこは編集、
音は聴きやすいか聴きやすくないか、
それは単純にその聴きやすさっていうのは、
本当にただ単純に情報としてとかじゃなくて、
音がただ聴きやすいかどうかっていうところはちょっと気にするようになったけど、
まあとかは多分一生詰めないんだろうなあっていう風に思って、
だから編集と一口に言ってもさ、
ハサミを入れるタイプの編集と音をちゃんと整えるさ、
編集とまあこうさああってさ、
ポッドキャストの編集って多分編集と言いつつさ、
いろんなことをやってるわけだよね。
なんだけど、とりあえず音を良くするっていうところを、
なるべく頑張ってみるっていうので十分かなあみたいなことを改めて思ったっていうね、
話をしたよ。
で、これはさ、
またとりあえずもう今日僕がしゃべるから、
一旦聞いててほしいんだけど、
言わずともそんな感じになる気がするけど、
あのね、なんだろうね、
こう最近ね、あれこれそのポッドキャスト聞いているとかもあるしさ、
そのシラスっていうあずまひろきのやっているさ、
動画配信サービスでさ、
この前あの、
三宅カホさんが出ているね、
この今批評っていうのがどのような形であり得るのかみたいなイベントをね、
見たんですよ。
で、僕が割と好きで面白いものを書くなって思っている、
森脇東正さんっていう方と、
もう一人松田さんっていうね、
最近批評の歩き方っていう本の編集をした方との三人で、
で、同い年ぐらいというか、
なんならみんな多分年下ぐらいかな、
の三方が批評についていろいろ語るっていう番組があって、
その内容自体もまあ、
面白かったんだけど、
そこ以外にね、
そもそも喋りができるかどうかみたいなね、
ところでの違いが多く、
すごいはっきり出るなというふうに思ったんですよ。
とにかく喋りが聞きやすいと、
なんかしっかりして見える。
で、喋りがしっかりしてないと、
しっかりして見えないんだよ。
で、内容云々のジャッジの前に、
そもそもこの場でお客さんに向けて話してますよというか、
聞いてもらう話だよこれは、
っていうことをちゃんとアピールできているかどうかっていう、
その一点でかなり、
なんていうんだろうな、
もう決まっちゃう。
内容、コンテンツの前にパッケージで、
もう説得力っていうのは8割方決まってるんだみたいなさ、
ところにすごいフームってなったんだよね。
で、なんか、
そのポテキャストもさ、
もうちょっと多分、
僕が上手に喋るとかさ、
それこそ間を詰めるとかさ、
あなたがきちんと合図中を、
吐き吐き打ってくれるとかさ、
喋りづらいね、黙られてるとかさ、
なんかそういうところでさ、
一個一個さ、
聞きやすくする余地がさ、
いくらでもあるわけじゃない?
でもなんか、そこがんばるのがやりたいことなんだっけみたいな、
のもすごいわかるというか、
シェラスのイベントを見ていて、
やっぱり話すのが上手かったり、
そこをちゃんとこっちに向かって話してくれてるんだなっていうのがわかる、
っていうことがすごい力を持つということを痛感しつつ、
でもここで上手く喋れてない人たちの話を聞くのも、
なんか割と好きなんよなっていうのも思ってね。
リアルのイベントの配信っていうのは編集ができないわけだから、
上手く喋れてないところ、言い淀んでるところっていうのをさ、
つままずいんそのままさ、流されるわけだけど、
やっぱり僕はその方がいいなというか、
言い淀みの部分をピックしてしまって、
縦板に水のように編集されているポッドキャスト、
確かに聞きやすいし、面白いなって思うんだけど、
あんまり特に残んないんだよね。
やっぱり言い淀んでるところとか、
そもそも話しているその雰囲気みたいなところに、
なんかこう面白さを感じているんだなっていうふうに思って、
だけどそれはだからコンテンツではないんだよね。
コンテンツとパッケージというか、
中に届けたい、伝えたいものが何かあって、
それを上手に伝えるためにパッケージの側の部分というのを、
どういう風に工夫したらいいだろうかみたいな、
そういうクオリティの追求の仕方が一個あるとして、
そういう発想じゃないところでやってるのよなみたいなのを、
すごい改めて思ったんだけど、
それを結構、何ていうのかな、
時が経つにつれ上手く証明するやり方がよくわからなくなってきたような感じがするんだよね。
てか待って詰めりゃいいの?
詰めたほうがいいんすか?
今日の話だとそういうことだったよ。
なんかさ、それさ、
演劇とは言わないけどさ、
落語ってずっと同じ速さで喋ってたら絶対つまんなくない?
緩急ってもんがあるやろっていう。
それはそうだね。
で、そこの演出というか、
ばーって喋ってるんだけど、
特に聞いてほしいところの間を残すみたいな、
演出まで考えて編集をしているのであればそれは有効だと思うけど、
間を詰めろっていうのはあまりにも安直じゃない?って思う。
あーなんか、
そうだね。それは非常にまっとうな指摘だと思うんだが。
今もらった情報だけだと、
間は詰めるっていうことしかない。
そしてそれがいいことなの?っていうのが特に納得感ないから、
それは別に僕はやらないってなるでしょって思う。
あの、そうだね。
なんか多分、
そうだな。
難しいな。
いやでも、話したいところはそこじゃないんでしょ?
聞きやすいことを聞きやすく喋ってくれてる人のことだけ聞いてていいのかしらっていう、
歩み寄ってあげたくなる方の意見を聞く派。
いや、というか歩み寄ってやりたくもなんないわけだよね。話を聞きたくならないから、
基本的に話が下手な人。
話が下手な人なわけでもないしね。
なんか難しいんだよ、そこは。
でも、その即レススキルに差があるっていう。
そうだね。
あとだから、端的に言うと校長先生のお話みたいなやつってさ、聞けないじゃん。
あれなぜ聞けないかというと、校長先生の話が下手だからじゃん。話し方が。
内容が面白い校長先生がいるかどうかっていうのを一旦さておきだよ。
なんか調子よくしゃべるととりあえず聞くじゃん。
なんかみたいなことだよ。
なんか、それだよね。あんまり伝わってない気がするな。伝わってる?
いや、すごい普通のことを言ってるよね。
いや、すごい普通のことを言ってる。
聞きやすいっていうのは聞きやすいってことだよね。
そう、聞きやすいっていうのは聞きやすいってことなんだよ。
聞きにくいっていうのは聞きにくいってことだよね。
あ、そうそうそうそう。
聞きやすい方が聞きやすいから、分かってもらえるし聞いてもらえるっていう話だよね。
うーん、まあそうかな。
いや、それが結構すごいなって思うんだよ。すごくいいくない?
しゃべりでそれを言い始めると結構辛いものがあるよねって思って。
リアルタイム系だから。
そうそうそうそう、本当にそうなんだよ。
私って言うと、仕事上ドキュメントのチェックっていうのがすごい膨大に発生するわけ。
で、正直お客さんとしゃべるとかはもうある程度しょうがない。
なんかちょっと準備したもので足りなくて、わーってなりながら、とりあえず乗り切るっていうのが一番大事だから。
あとそのなんか浮かさなこと言わないとか。
そこでなんかうまくいかないのは、まあちょっと経験だよねみたいなの。
やり方だしわかるみたいな感じだけど、ドキュメントがガタガタなのは普通に人にコストを押し付けてるし、どうなのって。
それは努力してくださいっていう感じなのね。
で、それはさ、作業時間がさ、もう与えられていてさ、でまあまあ三つ盛りとか四日とかあるけど、
でもなんかその、本当に見直した?みたいなものをさ、お出しされるとさ、まあいい気はしないよねっていうところでさ、
その話すもの、即時的なものじゃない。即時的なものとそうじゃないもの。
で、なんかそこ、その、どっちも受け取る、受け手のね、ことをね、考えてくれるに越したことないけど、即時的なものに常にそれを求めるのはなんか本質的なのかっていう。
えっとね、いやでもそう、あの、そういう話がしたくてね。
というのも、僕らはだからドキュメントちゃんとしろよって思う。思いがちじゃん?
私は明らかに、あの、体裁整えてもらわないと何にも読めない。
ま、てかだから要するにね、何が一体かというとね、それはテキスト派だから言えることなんだよね。
つまり文章を書く、文章を読み書きするっていう能力は人よりある。
けど、人と対面でおしゃべりするっていうスキルが著しく低いってことだと思うの。
言ってしまえばさ。
はっきり言うな。
だからメールの方が電話よりいいってさ、素朴に思うわけじゃん?
だからすぐに電話してくるようなおじさんとかにふざけんなって思うわけだよ。
だけどおじさんたちからすると逆なんだよね、たぶんその人たちは。
その人たちにとってはその能力としてさ、しゃべってその場で何とかするっていうことの方が
読んだり書いたりするより楽だし早いんだよね。
楽だし早いし正確なんだよ。
そう、そうなんだよね。
結構そこの差がまずあるという話がまず前提にありつつ、文章に関しては僕も基本的に自分が書いたものを読めてない人が多すぎるなというか
自分で書いたものをちゃんと読んだ、そこからだよ。書くっていうのは読むってことだよっていうのはずっと言い続けているわけ。
だから僕が書けないっていう時って僕が自分で書いたものを読めない時なんだよね。
だからとりあえずなんか読めるようにならないとなーみたいなことを思うんだけど、それは素朴にわかるの、それで。
だけどここで言ってることって実は何か書いてある内容がどんなに立派でもそれがちゃんと文法とか整ってないと
あとその体裁がね、ドキュメントの中でバラバラだともう全然人に伝わんないよ。
こんな下手くそな書き方じゃ、そもそも読む気しないよって言ってることなわけだよ。
でもこれって結局ね、喋るのが下手な人の話を聞く時に、なんか面白いこと考えてるのかもしれないけど
喋り方が全然聞く気にならないわって言ってることとほぼ同じことなわけだよ。
やってることが違くてもね。
っていうことを改めて思ったの。
というのもね、批評のイベントっていうのは批評家の人たちが喋ってるわけだよ。
批評家の人って何?
文字書く人?
そうなの。文字をね、人よりも注意深く読んで、人よりも注意深く書く人のことを言うの。
で、多分だから文章としてめちゃくちゃね、この人はこんなにすごい、なんかこう
あれこれ、深いところまで考えとるなーみたいな、深いところまで考えてるって言い方自体がいろいろ間違ってるんだけど
とにかくこんなに読める、こんなに精緻に読めて、こんなに精緻に書けるっていうのはすごいなーみたいなことを思うようなさ、人だったりするわけだよ。
だけど話してると全然容量得ないの。
全然喋れ、届けるという意識が全然ないなというか。
ここでさ、さらに一個厄介なことにさ、批評の文章ってちょっと難しいじゃん。
だから、喋ること、お喋りすること、話して聞くことの方が得意な人からするとさ、話下手だし文章も何書いてあるか、他のもっと簡単に書いてある文章でさえ難しく感じるのに
より難しいからもうこいつ何も伝える気ないじゃんみたいな。
もう書く気、もうなんか何もなんか受け取る気になりませんみたいなところですごいシャッターが降りちゃう。
その気持ちも十分わかる。
わかるような気もするけど、あまりに過酷じゃないかというかね。
書くことの方に特化している、どちらかというとそっちに特化している我々のような人間からすると、
喋るという、話して聞くっていうところのね、スキルに同じだけのその厳密さというかスキルを求められるってのは過酷じゃないかっていう気持ちにもなりつつ、
なんか今、なんだろうね、どっちもさ日常動作なわけだよ。日常的にさ、必要なスキルなわけだよ。読み書きもさ、話し聞くのも。
その両方がね、あまりパフォーマンスとしての質みたいなものが特にきちんと形式を整えるみたいなところへの要求度が
不当に上がっているというか、べらぼうに上がっている感をね、すごい感じるんですよ。
これは世の中の変化なのか、僕がポッドキャストをたくさん聞いているからなのか、
ハンゼンとしないところではあるんだが、すごい最近そういうのを感じてね、改めて。
あなたが思うってことなの?
ん?
あなたがお客さんとして、受け手として、もっとちゃんと喋れよって思うの?
いや僕は別に思わない。
じゃあ誰が思うの?
えっと、なんていうのかな。お客さん全般がそういう風なものを求めていると、
多くの書き手や話し手が、素朴にそれを内面化している感が強まっている。
それは想定されるダサい読者みたいなのとは別なの?
別でしょ。だってさ、あなたがさ、経済ぐちゃぐちゃのドキュメントをさ、出されたときにさ、
もうちょっとさ、丁寧に経済整えてわかりやすく書いてくださいって言われたときにさ、
その人にさ、いやなんかこのぐらいの経済の乱れで読み取ってくれないようなダサい読者に向けて書いてないんで、
このドキュメントとか書かれたら張ったおすでしょ?
という話だよ。だなって思うんだよね。
なんかその、なんていうの?
でもどこまでが程度問題なんだろうって悩むよ。
いやまあそうそうそれはそうなんだけどね。
でもどこまでこっちが根気強く付き合ってみるかみたいなところのさ、
損切りのさ、タイミングがさ、なんか早くなっていると、
判断して作っている人が増えている感みたいなものをすごい感じるんだよね。
だからやっぱりなんか古い本読むとほっとするんだよね。
全然読者のこと考えてなくて。
なんかやっぱりちょっとその、なんていうの?
あまりに親切すぎるというか、あまりにパッケージが整いすぎていて、
なんかなんだろうな、僕そういうすごいハキハキ、なんか淀みがないのを嘘っぽく感じちゃう。
みたいな、てかなんかちょっと淀みなさすぎるの恥ずかしくない?みたいな気持ちになるんだよ、僕はね。
でなんかその感覚が、なんか実はあんまり今共有しにくいものになってきているのかしらみたいなところで、
ちょっとふとよくわからねえなーってなってきたっていう、こう、話?
TPO。
今だからコンテンツの話をしているよ。
だからさ、だからあなたのフィールドにどうにか持っていくとするとさ、
まあだから、天後俳優、若手俳優、舞台俳優のさ、インスタライブとかもさ、みんなおしゃべりが上手じゃん?
あんまり見ないから知らんけど。
いやでも、あなたが見てるやつは上手じゃん?
私の推しは、インスタライブ始めて、イン仮面で前髪整えてるやつをバカにしてる。
お前が呼びつけてるんだからちゃんと用意しとけよっていう。
それはそうなんだけどね。
で、ほんとそれって思う。
いやだ、難しいなって思うんだよ、そういうのさ。
インスタライブだとまたちょっと別なのかもしれないけど、
でもなんかそういう、何かしらさ、自分の本文じゃないしゃべりの場とかでもさ、みんなちゃんとしゃべるじゃん?
なんなんだろうな、あれはって思うんだよ。
なんか面白いなって思うのは、宮崎優の配信は内容は尻滅裂だけど、ホスピタリティはすごい。
ああ、そうね。
なんか最初にちゃんとさ、マイクの音量大丈夫とかさ、待ってる間ひたすらコメント拾ったりとかさ、
で、やることがさ、生の記事舐めるとかさ、
なんでそこの気遣いはできて、そこが全然できないんだろうなっていう。
いや、ちょっとどこまでうまくあなたにこの僕の今話している問題を伝わっているか難しいんだが。
今更なんですけど、これ、ここにいる人の話?いない人の話?
あと、いる人の話でもあると思うんだよ。
だからなんかその、容量を得ないっていうか、なんていうのかな。
あと、すごい悔しい。しゃべるの下手な奴らがやってるポッドキャストなんだね、これ。
しゃべるの下手な奴らがやってるポッドキャストでしょ、これは。
はっきり自分で言っちゃうんだって思って。恥ずかしい。
え、なんで?
え、なんでやってんの?
自分でしゃべるのうまくねって言ってやってるポッドキャストの方が恥ずかしくない?
それはそう言ってたら恥ずかしいよね。
なんかその、それは何だろうな、普通にその、あの、もともとだってさ、僕らはさ、そのたまたまカフェで隣り合った隣のカップルのおもんない話をやろうっていうのがさ、一つのコンセプトなわけじゃん?
そうだったね。
やっぱりそういうのテンション上がるんだよ。やっぱり生な感じがするから。
で、なんていうのかな、あの、最近だとツヤちゃんのさ、スピードバイブスパンチラインっていう本があったんだけど、
あれはまさにしゃべりが今ゲーム化していると、リズムゲームみたいになって、そのラップも漫才もどんどん早く、そしてなんかこう、バイブスを高め張ってパンチラインを繰り出すみたいな、そういう過酷なね、勝ち負けがつくゲームみたいになってて、
ある種のおしゃべりっていうものが、なんかその、なんでもない雑談みたいなものが、あんまりこう、許容できなくなってきているみたいなものがあるんじゃないかみたいな話。
で、だけどそのおしゃべりの中でなんか、もう少しそのおしゃべりのいいところみたいなものを取り戻すとしたら、自分たちもやっぱりそこに乗っていかなきゃいけないというか、やっぱりスピードバイブスパンチラインの中に乗っていけつつ、その中でいかにそれをこう、抜け出るようなしゃべりが可能かみたいなところを探っていかざるを得ないんだみたいなことをずっとしゃべっている。
本でさ、面白いんだけど、なんていうのかな、まださ、カフェの隣のカップルにはさ、弾んでないすべての話、あらゆる話がさ、まだこうあるわけじゃん。
どういうお話だったんだろう?
どうなんだろう?どうですか?
何が?
お話。
お話?
素朴におしゃべりってどうやったら上手になるんだろうなって思った。
おしゃべりはどうやったら上手になるか、トライアドエラーじゃないですか。
ここって、なんていうのかな。
いや、なんかね、内容面の話をしてないんだよ。
パッケージの話なの。
ビジネス本読めば?
ビジネス本に書いてあるの?
書いてあるでしょ。マジックナンバーとかさ。
何それ?
3とか3つのトピックがありますとかさ、最初に言うんだよ。
アジェンダの提示の時に3とか5とか気持ちいい数字を言うとけっていう。
なるほど。
だからその、プレゼン系のビジネス本にはそういう話がたくさんあると思うよ。
それこそパッケージとしてしゃべるっていうはずが。
そういう話だよね、だって今の文脈で言うと。
そういう話じゃない。
だからちょっと今ね、僕がね、まだね、うまくね、自分の中でのモヤモヤをつかみきれてないから、なんだけど。
なんかもうちょっと突っ込んでほしい。
どういうところの話?
私はチャットGPってこと?
壁打ち用のやつ。
え、なんかそう、どういう場を想定してるの?
ポッドキャスト?
あ、そう、ポッドキャストとか、あとそのイベント?対談イベントみたいなやつ。
イベントしゃべれるパーソンのつもりで言ってんじゃないの?
あ、僕は?
今更自信ないの?
いや、僕は別にしゃべれるパーソンではないと思う。
あ、その、なんていうの?
なんか、まんさく好きてというか、ネタがなくて黙っちゃうことはないっていうだけ?
あ、というかね、わかった。しゃべるのは誰でもできるの。
結構。
で、どちらかというと聞き手側がむずいんだと思う。
で、僕は対談において、どちらかというと相手が話しやすいようにというか、相手の話を乗らせて、相手が乗りすぎてる時は僕も同じくらいしゃべるみたいな形で。
お互いしゃべりまくるみたいなことに関しては、そこそこやれる自信がある。
だけど、なんだろうね、相手がどうあれ安定してしゃべるみたいなことはできない。
で、そこのむずさを感じるんだよね。
安定しないんだよ。売れるの。
相手によるってこと?
まあでも、相手によるってこと。
相手でなんて言ったろうな、シラスのイベントの話をすると、しゃべれる三宅さんは自分がしゃべる長さが適正なの。
で、今の僕みたいに、あなたがいつまでも何もしゃべってくれなそうだからって不安になって、だらだらずっとしゃべって、どこまでしゃべり続けるかも自分でもわからなくなって、だらだらずっと延々と意味のない言葉をね、今のように引き伸ばしてしゃべり続けてしまうみたいな、この感じをいかに減らすかみたいなところにすごい長けてるわけ。
今僕が言ったのすごいさ、端的に言うとさ、なんか不安になっていつまでもだらだら喋り続けてしまう。
で、済む話なわけ。なんだけどそれをこう長くだらだら引き伸ばしてしゃべってしまうことに、なんか嫌だなって思うんだよ。
でね、それをなんでやってしまうかっていうと、僕がそこでパスッと切った時に、あなたは
うん。で、こう終わってしまうから。で、なんかそこであなたを信じきれないというか、そこで僕がもうここで一旦終わるってした時に、あなたが何かを返してくれるっていう自信がないからなわけだよね。
で、なんかそこででも、どうするのが正解なんだろうなって思うんだよ。
どうするのが正解なのか。カンペでも出す?
あなたがどういう話をしたいのかずっとわからない今日。だからなんか情報、材料を増やしてもらうためには、しゃべっててもらうしかない。
いや、そんなことないと思うの。
私が質問すればいいのに。
質問でもいいし、別に全然違う脱線とかをしてくれた方が多分本当はいいんだと思うんだよね。
なんか今日に関しては本当に打ち合わせゼロでやってるから、なんかどうなりたいのかわからなくて。
いや、僕は別に特に何かあるわけじゃないんだよ。
別に何かこう、質問したいんだったらもう端的にして終わってるんだけど、なんか特に今、自分が何を気にしてるんだろうっていう状態で話し出しちゃったから。
お前は何がわかんないのかわかんないみたいなやつ?
うん、そうそうそう。
でもなんかその知らずのやつで思うところがあったんだね。
いや、てか普通に何か喋るのって難しいなって思った。
うん、喋るのって難しいね。
うん。
喋ることの難しさについて話したいんだと思う。
難しいね。
だからあなたの喋るのってこういうところが難しいポイントとかを聞かせてほしいな。
私は同じことを何回も言っちゃう。
でもそれは別にいいんじゃないの?
何回も言って打ち合わせが切り上げられない。
ああ、それはダメだね。
そういう何回も言っちゃうんだろうね。
すごいさ、君はさ、よく喋るタイプの人見知りなんだよ。
ああ、うんうんうん。
特に自分が上で年下ばっかりの時に、どうにか気さくなおばちゃんだと思ってもらおうとして、
なんか、必要以上に砕けてしまう。
でもそれ、反応でやってるだけだから、全然冷たいやつだから私。
なんかね、会話の時だけ異様に喋り続けて、
あ、ごめん、私ばっかり喋ってる、なんか人もあるみたいな感じになっちゃうのを、
マジでどうにかした方がいいなと思ってる。
でもそれどうしたらいいんだろうね。
でももうやっぱりアジェンダ作っといて、喋るしかないんだと思う。
基本的にはね。
で、ちゃんと質疑応答の場を設けて、一問一答していく。
で、脱線しない。
補足があるなら補足として、短く言う。
ということしかないから、結局前準備じゃないっていう。
そうだね、でもやっぱりだからそこはそうだと思う。
会議とか仕事の間においてはそうだと思うし。
で、それ以外で会話しないからあんまり、あなた以外と。
今僕は基本的にそういう台本があった方がパッケージとしてはしっかりするし、
そういうものの方が届きやすいからやっぱり何かしら、最初から何かちゃんと準備をした上で喋るっていうことの大事さっていうものは、
すごい重々承知の上で、準備してないからこそ起こる脱線とか、なんか事故の方が聞いててワクワクするから、
その話し出す前には考えてもいなかったことや、話すのもいなかったことが気づいたら話しているっていう状態にこそ、
割と良さを感じるわけですよ。
だからこそ、そういうお喋りをしたいわけ。
なんか、昔の怪獣映画みたいな。
そうだね。
いつになったら始まるの?みたいな。
あ、そうだ、その相手は怪獣映画における怪獣だ、みたいな感じなの。
僕にとってその相手がね。
相手が出てきて、相手が僕がウニャウニャ言ってることを全部破壊し尽くしていくところに語る必要があると思ってるんだけど、
なんか、最近出てこない動画でこういうの。
なんか、尻尾だけとかね。
なんか、普通に日々の日常生活の映像が流れているところで終わることがある。
ドラマチックさがないんだよね。
そう、何見に行きたんだっけな、みたいになるところがあって、それがちょっとね、どうしたらいいんだろうって思うんだよ。
なるほどね。
そっか。
でもさ、一回無謀にも冒頭の話に戻しつくけどさ、
有料イベントだから歯切れが悪くなるんだけどさ、
批評とは何かみたいな話をしているときに、
とりあえずだから三宅さんの方が喋りがうまく分かりやすいっていうことは、
そのまま態度としてその場で言われていることと同じことが起きているんだよね。
要するに批評っていうのは別に分かりやすい必要ってあるんだっけというか、
分かる人にだけ分かればいいものだったんじゃないか。
最初から数が少なくてよかったんじゃないか。
そこに動員みたいなものを一つ目的にして、
これまで本を読んでいなかった人に本を読んでもらいたいとか、
間口を広げるためにやってるんだっていう人に対して、
そういうものなんだっけ、そもそもみたいなことを言うのってさ、
あまり部外良くないわけだよね。
なぜならそういう態度だから読まれてないんでしょっていう話になっちゃうからどうしたって。
そもそも現実的にちゃんとやっていくためにはもっと読まれなきゃいけないんだから、
まずお客さんの方向きねえ。
今の喋り方から全然分かりやすくないよ。
分かりやすいってこと自体がちょっと違うんだっていうことを言いたいのかもしれないけど、
まずそこまで至ってないから。
本当に誰もそこに興味ないから。
まず興味を持ってもらうってところからやらなきゃいけないんだから、
まず聞こうかなって気持ちになるような喋り方や書き方をしないと、
誰も相手にしてくれないよっていうことを言ってるわけだよね。
三宅さんはさ。言ってはいないけど。
みたいなそういうスタンスなわけだよ。
僕の今日の冒頭の話は、
どちらかというと批評というものに興味がある側として、
喋りのコンテンツとパッケージの話を始めたわけだけど、
そもそもあなたはコンテンツとパッケージの話に興味がないわけじゃん?
だからやっぱりそれだと盛り上がらないんだよ。
やっぱり盛り上げるためにはコンテンツとパッケージの話が
なんで考えるところなのかっていうところから、
あなたに興味を持ってもらうところから始めないといけないんだよね。
っていうことに思い立ったよ。
やっぱり聞いてもらいやすい喋り方をしないと、
帰ってこないんだ。
そう。だって今は帰ってくるじゃん。
だってあなたの問題意識がどこにあるかずっとわからないから。
今わかった?
なんとなく。
そういうことなんよ。
自分のバンド名もろくに言ってないのに、
NCでお前らとか行ってくるやつの曲なんか聞きたくないみたいなこと。
どっち向いて喋るかみたいなこと?
てか喋るのって難しいんだよな。
面白いことというかさ、
新しいことを話そうと思ったときはさ、
もう前提部分の話すっ飛ばすじゃん。
すっ飛ばしたくなるね。
なるじゃん。
だけどそこですっ飛ばしちゃうと、
もうそこでその前提の部分を共有してない人たちはさ、
興味持てない。
とかがりがないわけだよね。
だけど前提の話だけしてると2時間のイベント終わっちゃうんだよ。
みたいなときに、
僕は基本的にトークのイベントとか行くときに、
前提の共有だけで終わっちゃうと怒る。
その後の話を聞きたかった。
っていう気持ちになるんだけど、
なんかもうそういう人はどうすればいいんだろうと思って。
だからこれは本読み始めてからずっと思ってることなの。
入門書たくさんある。
初心者のための本たくさんある。
上級者の本たくさんある。
たくさんあるっていうか充実してる。
中級者の本がない。
何も知らないわけじゃない。
その次のことが知りたい。
上級者に向けてのステップを模索したい。
そのための読学するある程度のモチベーションもある。
だけどなんかちょっと、
ここの段差のつまづきみたいなものへのジャンプの仕方がよくわからない。
っていう時に、
そこをね、一緒に飛んでくれるちょうどいいものがない。
っていうのを非常に感じていて。
なんかね、そこってどこにあるんだろう。
アカデミーが独占している。
いやーでもそれはさ、そこでもないような気がするんだよな。
なんかないんじゃないか?そんなの。
でもじゃあ上級者の人たちはさ、どうしてそれが読めるの?っていう。
いや、そうなの。
でも中級者って、なんだろう。
一番ムラが多い。
でもこの間の話と一緒じゃない?
30個すると人生の話になっちゃうのはさ、乱数がめっちゃ多いからさ。
あーそうそうそう、そういうことそういうこと。
本当にそういうこと。
ここはわかってるけどここがわかんないの。
が、もう10人問いろ。
そう、そういう話だよ。
そういう話をしたいの。
それ、もっと聞かせて。
いや、だからアカデミーが独占しているって冗談で言ったけど、
別に100冗談ってわけじゃなくて、
そういうのって学部生レベルで言ったらさ、
ゼミで先生がアドバイスしてくれるみたいな。
これ読みなよみたいな。
とか、ゼミでさ、臨読みたいなので、
教え合っていくみたいなさ、ことによってさ、
そこが多分中級の過程なわけじゃない?
で、それって要は、なんていうの。
カスタマイズされた学習なわけだよね。
書籍化しづらいわけよね。
そうだね。
てか、個別指導じゃん。
そうそうそう。
で、パイがめっちゃ少ないんだよね、たぶん。
てか、あと普通に経済効率悪いしね。
そうそうそう。
ってなると、本で独学でやっていこうっていう人のために、
それを用意してくれる媒体は本じゃない。
みたいな。
うん?
今、文章変だったけど。
もう一回整理をしていっていただくと。
本で独学でやっていきたい中級生は、
たぶん手段を変えないといけない。
そうなんですよね。
で、そこの可能性として、
しゃべりがあるんじゃないかって思ったところがあるの。
なんだけど、しゃべりも結局初級向きと上級向きしかなかった。
みたいになっちゃうと、
なっちゃったように見えたのね。
批評のイベントにおいて。
やっぱりこれは僕話したと分かったけど、
中級者がどこにいるのかっていうのが、
一個もやりポイントだったなっていうのは思いましたね。
分かんないけど 月曜日に出しとくとウィークデーのどっかで聞けるじゃん
なんか週末に聞くもんではないと思うんだよ そうだね
わざわざさ ウィークデーの合間にそれこそお皿洗いとかちょっと列に並ぶときとかにちょっとずつでも
ちょっとずつ聞こうって なんかちょっとずつ聞いてもしょうがねえな 最初の1時間地獄の時間がずっと続くからな毎回な
よくわかんないな 間を詰めるといいって言う人に言わせたら最初の1時間カットされるじゃん
しかも前編ないんじゃねえか
まあそんな感じなんだけどね
でもなんかそのなんだろうなやっぱりその盛り上がらないのも大事だと思う 盛り上がらない
ことの方が多いじゃん 世の中
盛り上げすぎちゃいけないと思うんだよね なんか全部盛り上がってるって思うのは不幸だと思う
なんか全部盛り上がってるもんだと思ってると盛り上がってないとき なんか盛り上がらなかったなあっていうマイナスのイメージがついちゃうけど普通なの盛り上がんないのが
だから普通にうまくいってないっていう状態のものが なぜか
世に出てる方が面白いと思うんだよ いいと思ういい世の中だと思うのその方が
っていうのは常々思っているからそれはいいんだけど それでもなおねそれは別になんかで大したことないものでいいと思っているっていう
気持ちと同時にとはいえ 3週4週連続で
大したことなかったなぁって自分たちで思うというか自分たちの側も面白く なんかあんまり面白くないかもって思う
楽しくないっていう状態はやっぱりちょっと辛いんだなって言ってんの そうそうだ僕らは楽しかった
でも別に裸見たで大したことないだろうなみたいな状態がやっぱり理想で なんか
楽しくないか って思いながらもやもやとやってる状態はやっぱり面白くない
僕らもっていうところが 最近の悩みだったん
かもしれない だから今なんかそのダラダラ喋る昇進者の段階を超えて
で別に上級者を目指したいわけでもなくとりあえず中級者
ありでありたいみたいなところでやっぱり中級者の悩み ミッドレベルクライスに
落ちているっていう話なんじゃないかしら どうだろうどうですか
おしゃべりの場合は 初級とか中級とかではなく三月が終わったからやっぱり倦怠期なし
倦怠期なの? これは熟練していくほか抜ける道はないのでも そうか
どうしたらいいんだろうね だからでもだとしたらさどうすればいいの?やっぱり腕を磨くしかないの
でも多分この場合の熟練はもう片肘張らずに出たとこ勝負でも安定して
ぼちぼちのクオリティーみたいなことでしょ そうなのどうやったらできるんだろう
ポエティクラジオやってる人2人私たちだからさ 私たちが至る以外分からないんじゃないですか
いやそうなんだよでも結構これさ難しくて 逆に分かった
今日この話をし始めた理由 本当に?
あのねポエティクラジオが僕が好きなポエティクラジオの状態じゃない感じがまずするなーっていうのが一つあるとしてね
なんか跳ねねぇなというかさ やった後もやった感じがしないなっていうのはさお互いさちょっと多分あるじゃん
その中でどうしたらいいんだろうって思った時に例えばそのちゃんと編集をして 怠い間を詰めるとかね
その 音源としてのクオリティを上げる
とか台本をちゃんと作ったレジュメを作っておいてそれに沿って話すことでその
質を上げるみたいなねことができるんだったら楽だったなって 思ったの
ポエティクラジオのそもそも求めているものがそういうことじゃないから なんかその情報の密度とかね
あと話がどんだけ整理されているかとか聞いてどんな学びがあるかとか なんかそういうところを何が提供したいわけじゃない
っていう 中で安定してじゃあ僕らが思う良さみたいな
クオリティと言うとなんか違う気がするそのクオリティとパッケージだったりパッケージ だったりコンテンツ内容だったり形式の話のどちらかが充実していれば
それで面白いんだっていう話でやってない 内容もなければ
形式もない型もない 型もダルダルだし中身もないだけどなんかいいっていうものをやりたいんだっていう
ふうに常々思っているとき何をすればその担保できるんだその求めて良さがあって いうところがかなりムズイでそれを考える時に1個だからまず音が小さいのはとりあえず
良くないなっていうところでまずそこはまず考えられた それはまあ1個だからパッケージの話ではある
その後コンテンツの話もパッケージの話もそれ以上はない なんその間を詰めるとかそういうような話だったり
その台本作ってそれぞれに進行するみたいなところに
ないわけではやりたいことがでやりたいことはとにかく楽しくおしゃべりをするって いうことが目的の時
安定して楽しいおしゃべりをするって何なんだ
っていうところでだから答えがないのでそのいろいろなポッキャストを聞いたりとか そのコンテンツのを摂取したりとかする中でコンテンツとしてのクオリティを上げる
方法はいくらでもわかるやるかやれる やるかやらないかとかやれるかやりたいかとかそういうのは全部度外視してどうやったら
聞きやすいポッキャストどうやったらより聞かれそうなポッキャストどうやったら その情報がたっぷり詰まってたりとか
聞いてよかったなって思えるものになるかみたいなことはある程度予測ができるけど そういうものがやりたいわけじゃない
マジでただ自己満足がしたいだけ 咲きたい
咲きたいはまあそういう抗議の意味で咲きたいだね 満開カンパニーの咲きたいはちゃんとお客さんことを考えている咲きたいだから
いいよ 前のさあツイッターでさあ増井と近毛さんのオタクがさあ
なんか その咲きたい
その咲きたいと言っている以上自己実現しなきゃいけないけど事故から一番遠い二人 だからまず事故を見つけてもらわないと咲かせらんないみたいなこと言ってて
咲きたいって自己実現だったの?って 芝居が上手くなりたいってことだと思ってたんだけど
咲きたいって舞台上で輝くことだと思ってたから そこに衝撃を受けて
え?そうなの? それはちょっとそうなのかって
今思い出したけど私たち今私が言った咲きたいは自己実現というか自己満足
そうそう 自己満足っていうのは悪い意味で留守している自己満足じゃなくて私が満足したい
本当に文字通りで 本当につまり咲きたいなんだよね
今ちょっとこういう名詞が全部出てこないから諦めるか
ちゃんと稽古でやったら 稽古しないんだけど私たちも 稽古としての私たちの私生活
なんかよく雰囲気のいい私生活を
ポイエティックラジオっていう舞台上でも 淀みなく発揮する
そうそうそうそう やっぱりポイエティックラジオっていうのがさ
私たちってやっぱり仲良しだねって
そうそうそう だからやっぱりその手段ではないわけだよね
一見手段なんだけど私たち仲良しだよねっていうことを確認する手段としてポイエティックラジオがある面はあるかもしれないけど
それは他の手段もいくらでもあるし 他の手段の方がまだ合理的なの
わざわざこれをやる必要がないの
じゃあなんでこれやってるかっていうとやっぱりただ単純におしゃべりっていうものが自己目的化している
自己協力的なものである
やっぱり花が咲くのはただ咲きたいから咲くんだよ
咲きたいから咲くってことが大事なんだよ
何のために咲くかとか咲くためにどうとかじゃなくて咲きたいから咲く
咲くということそれ自体を協力するために咲くんだっていう
やっぱりそういうものとしてのおしゃべりっていうものを
せめて毎週一回は設けたいよねっていうところで
このポイエティックラジオの時間を設けているとしてね
なんかそれが今だんだんそれ自体が目的になる
ただそのおしゃべりっていうものを自己目的化するための手段としてポイエティックラジオ
手段というよりもそのきっかけとしてセッティングされている場所としてあったはずのもの自体が
それをやること自体が目的になってしまった結果
なんか喋ることが手段になってしまっているというか
ポイエティックラジオっていうものをやるため
配信する何かを作るためだけの手段としてなんかただ喋って
なんか面白くないけど喋って楽しくないけど喋ってみたいになっちゃってるけど
そうじゃなくてそもそも楽しく喋るっていうことが
まず第一だったんじゃないかみたいなところを見失っていたんだな
ちょっとわかるようになってくるよね
安全圏がね
あとやっぱりテレビ出なくなったら終わりみたいな風潮もだいぶ終わっているけどその風潮自体が
コンスタントにライブに来てくれる人さえいればさ
別にやっていけるんだったらわざわざそれを広くまさに届ける必要ないみたいな話と似ててさ
別にだから別に僕らが楽しく喋るっていうことだけを目標にするんだったら
もう配信しなくてよくないみたいなことになっていくわけだよね
配信するにしてももう友達だけにそれをデータデック埋まるとかでいいんじゃないっていう話にだんだんなっていくのも
それをそれでわかる気もするなっていうのもありつつ
幸いなことにというかこれは絶対にそんなにたくさん聞かれるものではないから
別にねいいんですけどっていう感じはするんだよね
ただの連想で話すけど
私の推しはほぼ全てのイベントレポ金なんですよ
ツイッターとかに書いちゃダメなの
でやっぱりここでこの空気感で喋ってるから成立している
僕とあなたたちで成立している話が文字にされたら伝わりきらないで誤解されちゃうから
なんかここだけにしようねっていうのを毎回最初に絶対言うのね
でなんかマジでしっかりしてるなって思うんだけど
なんかその不分立というのはあるじゃん
この場この文脈だから共有し得るもの
でやっぱりそこを担保するのに課金っていうのが一番わかりやすい線引きなんだよね
それもそれでなんか結構もやるとこではあるけどね
さっきあなたがさ公演かイベントとか行ってさ
なんか読めばわかるようなことを言われるとさムカつく
怒るって言ってたけど
なんかすごいわかりやすいのは天語俳優のニコ生配信ってさ
ここも15分無料であと有料っていうのが多いわけ
でそのね人によるけどとりあえず私の推しは有料になった瞬間めっちゃ声大きくなるんで
サービスしてるけど
でそこから先はもう大体みんな舞台見てる前提でしゃべる
それすげえ羨ましいんだよ
すごいわかりやすく課金になるするとこの話が聞けるよ
お手紙読むのも有料パートでしか読めませんみたいな
無料パートではなんか軽いやつしか読まないとか
あともう宣伝するだけとか
でだからそこから先は本当にその回こっきりの舞台の後だったら舞台の振り返りとか
しないで推しのボクシングの話してた時もあるけど
なんかそう
それって良いんだよねみたいなだからもう有料になったらフルスロットルぶっつけるみたいな
ネタバレとかないし
もうめちゃめちゃ細かいここの縦はこういうところがみたいな話をするっていう
そうだね
それのために課金してるからそれがいいっすっていう感じで
わかるわそうなんだよ
私たちにそういう要素はないんだけど
だから別に課金しようとかって話では全然ないんですけど
でもだからそれは悩まない
読書感想文を送った人しかイベントに来れませんとかの方がいい
お金はお金でどうせ会場の維持費とかかかるから
それはそれで払うけど払ってもいいけど
なんかそれだけじゃなくてそもそも読んだ人しか来れない
みたいな仕組みを作ってほしいなんなら
なんならもうこっちはそういう前提で聞きに行きますんで
示すみたいなことをしたいですね