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2025-02-03 1:53:59

第240回 睾丸、陰謀、九〇年代、アーキタイプ

『ダンダダン』、『ヤギの睾丸を移植した男』、『トランス』。作品を起点としつつ、作品を離れて触発されたおしゃべりを開始するためのエチュード。


お便り募集中です。 → ⁠https://docs.google.com/forms/d/12A81-fePRm0VGV-A0DpbzlfYcOUv95qsIbCjI8yAqP8/viewform?edit_requested=true

サマリー

このエピソードでは、ダンダダンという漫画を通じて、作品分析や批評の重要性について話し合われています。また、ブリンクリーという詐欺師の物語を通じて、1920年代の医療の非合理性も探求されています。プリンクリーという医者とそのライバルフィッシュベインの対立を通じて、疑似医療やメディア戦略の問題が描かれています。プリンクリーがヤギの抗がんを移植する治療法を広め、その過程でメディアを巧みに利用した様子が語られています。 第240回では、ジョン・R・ブリンクリーによる医療詐欺の暴露とその政治的影響について語られています。また、90年代のポピュリズムや陰謀論の関連性も考察されています。このエピソードでは、90年代の日本における精神病の社会的イメージとその変遷について考察されます。特に、1993年における演劇を通じて、精神病の描写がどのように受け取られていたか、そしてその文化的背景が語られています。 このエピソードでは、90年代の文化やメディアの影響を受けた個人のアイデンティティや妄想について議論が行われます。また、信仰宗教や自己探求をテーマに、テレビや雑誌の影響も取り上げられます。このエピソードでは、90年代の流行とともに現れたさまざまな妄想やアーキタイプについて考察されます。特に空飛ぶ円盤やアブダクションの目撃報告が社会にどのように根付いたのか、そしてそれが人々の思考に与える影響について論じられています。 このエピソードでは、90年代の文化や陰謀論がテーマとなっており、特に睾丸というキーワードを通じて、様々な考察が展開されています。また、怪異や妖怪に対する新たな視点も提供され、視聴者に深い洞察を与えています。このエピソードでは、個人の直感や信念について議論が展開され、占いや霊的な体験が紹介されています。また、陰謀論の簡素化と情報消費の影響についても考察され、複雑な物語やナラティブの重要性が強調されています。 このエピソードでは、睾丸や陰謀、90年代の文化について深く掘り下げられています。ゲストとの対話を通じて、当時の社会背景やさまざまなトピックが織り交ぜられた内容となっています。

おしゃべりの盛り上がり方
はいこんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私柿内正午と奥さんです。どうぞよろしくお願いします。
今日はね、どうやったらおしゃべりが盛り上がるのか問題について引き続き考えたいと思っています。
というのもね、あなたは昨日お芝居を見てきたわけですよ。
僕はその芝居を見ていないと。でもこの録音のないところで、明日その話ができるかもみたいなことを言いつつ、まぁちょっとこんな感じの芝居だったよ
っていうのはあなたが教えてくれてさ、僕はそれに対して まあ見てないからなんとも言えないけどしか結局言えなかった
わけだよね。結局多分それをそのままやっても盛り上がりようがなさそう ということが一個分かっている中なんですけど
これ結構面白い問題だと思って、僕たちは基本的に一緒にお芝居を見に行ってそれについて感想を言い合う
っていうことは盛り上がれる これはあんまり好きじゃない言葉で言うならば共通の作品に対しての考察をお互い披露し合う
みたいな盛り上がり方にもまあちょっと親和性が高いものだと思うわけね
僕は いわゆる批評と呼ばれている文芸ジャンルが結構好きなんですよ
批評とか評論とか呼ばれているもの あるいはそもそも哲学思想みたいなものに興味を持っているのも割とそういう
ところがあると
いうのがあって僕はプルーストを読む生活の頃にプルーストを読み出した理由の一つにジルドゥルーズっていう思想家の
プルーストとシーニュっていう本を読みたくてそれだけ読んでも面白くないかも というかちゃんと読みたいかもって思って
プルーストを読んだんだよ これ結構変な話でプルーストよりもっと短いものについて論じてる
ジルドゥルーズの本にいくらでもあるわけだけどそれについては一切元ネタを読もうとしてこなかったの
これなんかどういうことなんだろうなってちょっと思ったりもするんだけど まあそういうところがあったろうね
で僕が批評好きな理由って 批評の方が面白いことが多いから
僕にとって本体の作品より それはどういうことかっていうと作品そのものがまず第一にあるっていうことは認めた上で
作品そのものよりもその作品をより深く読めたりとか面白がれるっていうことの方に興味がある
僕は最初から作者よりも読者の側に 演じてよりも観客の側の
いわゆるこれもあまり好きな言葉ではないがクリエイティビティみたいなものに結構 関心がある
こんなに面白いものとしてこれが見れてしまうのか 読めてしまうのかみたいなところに興味があるしそれに触発された
別の何か思考みたいなものが生まれてくるその思考内容にこそ関心があるみたいな ところが自分の傾向としてはある
なと思っているわけ だから僕が主に批評読むとき
その作品論じられている作品そのものを必ずしも 読んでいる必要はない
みたいなのは非常に思うわけですよ ってなるとやっぱり見てないから何とも言えないけどみたいなこととは別に
見てないお芝居の話で盛り上がること自体はできるのではないかとね ぼんやりというさ
ダンダダンの分析
仮説がある それを今日を検証できたらなというふうに思っています
なるほどありがとうございます
昨日私がしたかったのはそういう話だったんだよ本来はね でもだからその私が話したかったのは芝居を見た結果触発された
芝居からもう離れた後の話なんだけどその なぜそこが気になるに至ったかを説明するのにその芝居を見たということが外せないから
その芝居の説明をせざるを得ないみたいな感じで なんか真面目にその芝居を主体
主題としてその芝居の説明をするっていうおしゃべり 説明おしゃべりというか説明
だったらもうちょっと真面目に やれるやれまあすごい苦手だけど細かすぎて
やると思うんだけども私はもうその先の話がしたの芝居自体はまあ こういうノリだよねみたいな話だから
でもなんかそこでその本が書かれた時の時代背景とか そのテーマの取り扱われ方がその時代においてどういう意味を持ったのかとかそういう
話がしたくて水を抜けたんだけどまぁちょっとうまくいかなかった 本来それがなぜうまくいかなくて今日はそれをうまくいかせようと思ってるの
でね結構考えたんだよそれは昨日寝る前に 何かどうしたらいいんだろうっていうの
でね僕はの書評とかさあたまに書かせていただくじゃないですかで書評家の仕事 っていうのは要するにあらすじの紹介なんだっていうさ
まあ一つ高あの曲論があるわけでうまくようやくできる っていうことがまずそのに対してどう評価を下すかっていうものの手前側にあるんだよみたいな
ことをさあ結構ベテランの方々いう理由で僕はようやく読むのすごい退屈だから いらんねえそんな
それはあなたが読んでいる作品かどうかに関わらずか変わらず ぶっちゃけどうでもいいなって思ってるところがあって
たんだけどなんか実はねようやくって大事なんだろうなっていう気もするの そのようやくて大事なんだろうなっていうのはどういうことかっていうとまさに
今あなたが話していたような内容で要するに詳細に内容をあらすじを全部 通して語ろうとするとその途端に
そのボケちゃう その自分がそれに触発されて話したい内容がボケてしまうということが起きる
これを どう
すればいいのか っていうところがさ結構
問題 だと思うんだよ
なんかそこでどのぐらい自分がその作品に対して言いたいこといろいろあるけれども一番 話したい今日議題にしたい内容どこでそれに対してこういうようなテーマでお話を
しますみたいなことをどういう形で 提示するのが一番うまくいくのかみたいなね
ことを僕もよくわかってないんだけどいろいろちょっと試しながらこれじゃないみたいなのを 持っていけたらなって思う
まずじゃあ 僕が今話したいことを
やってみるよ それをでどうなるか試してみよう
まず えっとどっちから行こうかな
えっと 2人とも見てる奴がいなダンダダンで行こう
ダンダダンの話でアニメ版で僕が今話したいことを 話せ話せるように話してみるよ
でここで主眼はダンダダンがどういう作品なのかっていうことはある程度どうでも いいということつまりダンダダンを見ているながら僕が考えたことを
お話すためにどこまで情報を圧縮すればいいのかっていうのを試してみようと思う から始めるね
ダンダダンっていうのはジャンププラスの漫画で オカルトのいろいろな要素を掛け合わせたバトル漫画なんだけど
すごいこう重要なポイントというか簡単に言うと主人公のオカルンって男の子の 金玉を取り戻すっていう物語なの
であの ちょっと細かいところを省くけれどもやっぱりね僕がこのダンダダンにおいて大事だと思うのは
金玉なんだよ
金玉を取られることで妖怪に取られちゃうの金玉 その取られた金玉に妖力が宿るの
でその妖力を巡ってみんなその金玉を奪い合うのね ここで重要なのはなぜわざわざ金玉なのかっていうところだと思うんで僕は
なんかその基本的に古今東西常に何か高岩っていうものに対して その呪術的な
パワーみたいなものをなんかみんなが原始するみたいなものって結構いろいろあって なんかそこの
高岩に宿るパワーに対する創造力みたいなものに対してのなんか最新型の こうものとしてなんかこの少年漫画ってねポップなエンターテイメントの中で使われるっていうのが
結構面白いなって思うんだよね
なるほど
上手な感想文だ
このぐらいでいいと思う どうですかわかるだなぁ
これで僕はとりあえず今のは高岩について話したいっていう ワンイシューで例えば絞ってね
まあこれ問題は問題は高岩の話でそんなに人と盛り上がれないだろうっていうのは置い といてでも僕はその話で1回やってみたいと思いますみたいなところ提示で言うと
なんかこのぐらいの周辺情報としてそれは何の作品でそこにおいて何が何に注目して いてどういう
こうアクターなのかみたいなところが提示できれば正直これでだんだなんてどういう話 なのかわかる人はゼロだと思う
知らない人だけど僕がだんだんを読んで話したくなったことに対しては結構クリアだと 思うんだよね
すごいこの人はこれからけどヤギの高岩を移植した男についてをお勧めしてくれるんだろうな そうなるわけじゃないわけだねじゃあそういうことでヤギの高岩の話する
ブリンクリーの物語
じゃあこの話を1回しとく最近僕が読んだ 本でね国書館高岩から出ているヤギの高岩を移植した男っていう
本があってちょっと今その初始情報を出すんだけど やたら面白くてねヤギの高岩を移植した男アメリカで最も危険な詐欺師
ブリンクリーの天才人生っていうタイトルでポープブロックさんっていう人が書いている 本でね
現代は普通に詐欺師って読むんですけど まあこの本はねめちゃくちゃリアルオズの魔法使いだよね
あーそうだね本当にオズの魔法使いだね てかその大魔王オズの本
これはねめちゃくちゃ面白い本でこれはめちゃくちゃ面白い本でいろいろ伝えたいことがあるからこれから悪い例を見せます
悪い例を見せますというかほぼ全部喋っちゃうみたいなやつを 伝えたいことがたくさんある人をやってみようと思うよ
あのねまずそもそもブリンクリーっていう医者は1920年代ぐらいに大活躍した詐欺師なんですけれども
プルストと同じ時代でね1920年ってなるとね 要するに重要なのは第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期に
活躍しているというところがまず一つとても重要なんですよ でねこのねブリンクリーっていうのはアメリカの真ん中の方の
州で生まれてそこでこうさ 改良してやっていくわけなんだけど
あごめんこれ違う 真ん中の方の州で改良するんだけど生まれはまたちょっと別のとこなんだけどね
それでそこからこんな田舎出てってやるって言って身を立てるために出て行った後に 結局またあの真ん中の方の田舎の州で医者を始めるんだけど
まあなんかその辺の話も面白いんだけどまぁとりあえず置いといて でね
とにかくこの本 ダメだな結構無理やり下手に喋ろうとすると逆に難しいことが
わかってきたな えっと普通に喋るね普通に喋るとあのね
当時あのいろんな人がいたのスタイナッハっていう
お医者さんだったりあとえーっとねなんだっけなボロノフかな
ソ連の方というかロシアにもいたのそういう人たちが で人類にとって一番大事なことって
健康寿命が長いこと 極論言ってしまうプロ夫人になるべく近づくことじゃないですか
でねー 1920年代っていうのはすごいんだよ
なんかとにかく抗がんを移植すると元気になるんじゃないかっていうさ 宇宙
医学も真っ青な移植導元みたいなことがさ 行われていてここで面白いのがさ
そもそもさそのさなんか
不老不死でいつまでも元気イコールチンチンがいつまでも元気っていうさ この実にこうあの男しかいないような発想の世界の中で物事が動いているの
もまたちょっと興味深いところなんですけどとにかくまあその子 ヨーロッパ諸国においてその当時すごい色々試されてた
でそのロシアの ではサルの抗がんを移植すると子供の家から移植していくと超人類になれる
んじゃないかとか 結構誠資薬にずっと言われていてある程度信憑性もあるものとして扱われていた
そんな中であのブリンクリーっていう医者は医者つっても 医者じゃないんだけど
というのも あのアメリカのね当時の1920年代のアメリカの医療制度って
連邦共通の医療免許ってない 週ごとの許可制な
で なんかイタリアとかで
に生者の免許をもらってイタリアでこういう免許あるんでっていうとなんかそのまま じゃあいいよみたいになったりするみたいな感じでとにかく
共通の査定がないから結構ザルな でしかも医療加護っていう法的な罰則規定がないから
医療行為の中で何かやらかして患者に何かあったとしてもそれに対してのション損害賠償 みたいなのを特に医師は
責任を負わなくていいみたいなところもあってとにかくもうその医療の現場っていうのは 詐欺の不毛
無料者な何でもできちゃう そしてなんかどんなに他の分野では良識のある理性的な人でも自分の健康のことになると
プリンクリーのムーブメント
途端に罠にでも縋りたくなってしまうみたいなところもあってとにかくまあ どんどん最近元気がないなぁみたいな男たちがすごいこう
ブリンクリーのことに集まってきちゃうんだよ でヤギの肛関を自分の肛関の中に移植すると元気になるよみたいな
でなんか肌艶も良くなって 全部人生がときめきますよみたいな感じになって一大こう
ムーブメントを起こす固い中にもうみんなが殺到していってそこでどんどんどんどん 移植されていくんだけど移植の仕方が普通にちょっと穴開けて中に交換の欠片ピュッ
入れてすぐ閉じるみたいな感じだから あの
なんていうの炎症を起こしたりするの そもそもその拒絶反応とか以前にそもそもピッてあげてぴゅって言うてぴゅって
脱ぐだけだからもうすぐにそこから石してっちゃう っていうような感じでまぁそもそも
インチキどころか有害なの 立てなくなったりするみたいな感じでものすごい数の人たちがその犠牲になっていくんだけど
なんかすごいうまくいっちゃうんだよプリンクリーは うまくいっちゃうのはさっきみたいにアメリカの医療制度の問題だったり
そもそもその当時の 健康技術みたいなものに対してのうまくいかなさとか
リテラシーの低さとかいろいろあるんだけど一番大きいのはね 当時まだ
あの メディアがそんなにない
だから広告 っていう概念が一番初めにうまく使ったのがプリンクリー
それに対して医療の専門雑誌とかでこう あれは詐欺ですよ気をつけてくださいって言うんだけどそれにアクセスできる人って医療関係者しか
いないってなると普通の一般の人たちは普通に街にできた その
病院であれこれ宣伝されてでなんかそれこそなんかどんどん今の中沢広告とか同じ ようにあなた大丈夫ですか
あなたはそれでも本当に男ですかみたいなことで不安を植え付けられるとだんだん だんだんその気になってきちゃうみたいなことをずっとこう繰り返している
でしかもプリンクリーの恐ろしいところは
ラジオ局を持つんだよラジオ放送というのは始まった時期にそれこそまたそれこそ 規制が緩い時にあのラジオ局を作っちゃう
そのラジオ局から放送するのねで放送自体結構自分の子供の頃の話だったり カントリーメイジックだったりまあ普通のラジオだったりするんだけどあいまいまで
ずっとそういうなんかこう進出の話をする でああ
家で手術をすればもっとすごいのになぁみたいなことを言うことによってよりまたこう 人々が集まってくる
さらにそのヤギの抗が手術だけではなくてお便りで健康相談もする でなんかこうなんかいろいろ来るわけなんかちょっと腰が痛いんだけどどうかしらとか言って言うと
ああ腰が痛いっていうことはそもそも
なんか心臓が悪い可能性恐れがあります もしくは暴行の方まで何か炎症が起きている可能性があります
なのでこの処方6番と処方8番を
歯垣で ご注文くださいみたいなこと言って普通に薬を売りつけるとラジオリスナーに対してそれは
その相談して人に対してアウチもそうかもって思ってる人たちみんなが買うわけ それは普通に色水
ただ だからそれは無害ないや無害じゃないあのそもそも色水を注入するってこと自体が結果に
めちゃくちゃ負担をかけるから飲み 薬飲み薬でもそうあのそのそもそも消化できないからみたいなので普通に
食用色水じゃないんだ普通に色水 普通に色水を飲まない方がマシな色水をでも玄関で言うと普通に何か
二足三門のものを10ドルとかで売る それでもうめちゃくちゃガップガップ思う
そういうことをやっているとアメリカでの放送を禁じられる さすがに良くないよって言うのでこれもね10年くらいかかるんだけど
そうすると分かったって言ってメキシコの国境スレスレのところに100万ボルトの めちゃくちゃでかい鉄塔を建てる
その鉄塔からアメリカに向かって放送する この電波がその時世界最大の出力を持っていた
そのラジオ局で放送が始まると周りにいる人たちの腕毛が坂立 あの車のテールランプが勝手に点滅しだして
でこう人と電話している時に必ずそのブリンクリーの声が途中で割って入ってくる みたいなことをしながらもミキシコの国境近くの人からアメリカからその近くの
遠洋の海にいる人たちまで全員が全員なんかなんかの電波を受信すると気づいたら 金玉の話を聞かされるみたいな羽目になってるわけ
幽霊ラジオどこじゃないじゃん ヤバいんだよマジでっていうような感じでド派手な 電波砲とかない?
電波砲だからその整備される前なの そうっていうのもあってとにかくそうやってどんどんメディア戦略で人種の
昇博していく それに対してフィッシュヴェインっていう
あの医療団体アメリカの医療団体の 専門誌を作っている編集者がいるんだけどその人はもう
偽者バスター そういう風にどんどん間違った医療情報を拡大して甘酸っぱい死者まで出している
ブリンクリーを生涯の敵と定めて常にずっと あいつを潰すっていうことをずっと考え続けているフィッシュヴェインっていう人の活躍とが
並行して描かれていくノンフィクションなんだけど まあ面白くてね
フィッシュベインの反撃
非常に面白いんだよどうですかこの 何を話したかったのかよくわからない
面白いことだけわかった
面白いことだけわかったね これ聞かされてどう?面白い
じゃあこれでいいのかな おしゃべりとしてはいいんだよ
おしゃべりだったらねでぶっちゃけ今回最初あなたおしゃべりをうまくやるにはどうしたら いいかって多分言ってたじゃん
でもその後にその 見てない作品についての批評の話になったけど批評とおしゃべりって違うんだよそういえば
そういえばそうだもんそもそもなんか前提の時点でねじくれてたもん
そうだからおしゃべりとしては別に私は全然今まで満足した
批評としては別にその先に行く必要を感じなかったから批評性はない
なるほどでもちょっとえっと ちょっとそもそもちょっと最初の
講座の話から始めたのはまさにこの本の話をしたかったから一回こうしちゃったけど
あなたがそのどっちも知らなかったとしてねダンダンもブリンクリも知らなかったとして今の2つの話でどっちの方がなんかこの話だったら私もちょっと話し出せるかもって思った
話し出せるかもってのは私がしたい話だってことそれとも
あそうそうそうそうだからなんか要するにその僕はお手本にするのはどっちかってこと?
いやてか昨日あなたがその見たお芝居の話を僕としたかった時に僕からなんかそれの場合こうだよねみたいな話がさ出てくることをさ一個さ
なんだろう期待してるのさ話だったけどなんかあらすじの部分の詳細に踏み込みすぎたことによってなんか僕もなんかその芝居においてのあれはよくわからないけどみたいな
だからね要するに作品に向いちゃったわけじゃんそうじゃなくてその作品に触発されたあなたの考えに対して一緒に喋ろうようにしたかったところが作品に引っ張られちゃったみたいなところが一個問題なんだとしたらなんかどういう風にすればそうじゃないその相手からのねフィードバックを引き出せるんだろうかっていうさ
昨日の話を一旦するね 昨日はいつも一生懸命説明すぎて全部説明して満足しててか疲れてなんかその先に行けないから気をつけて喋りすぎないように気をつけた結果
情報の収集者選択を間違えてあなたにここはどういうことなのって言われてその説明を一生懸命してたらもう飽きちゃった
あなたかね
だからなんか別に普段通り最初から全部喋っちゃえばよかったのかもしれないけどでもだいたい
なんであれあなたには見てないからなんと見えないって言われちゃう
から
多分
作品について喋るのが向いてない
いやいや作品について喋るのだから2人とも見てないと無理じゃん
いやてかなんか
極論を言ってしまえばおしゃべりすることはおしゃべりでやればいいわけじゃんわざわざ演劇にしてるものをおしゃべりにするのがよくわかんないのね
だからなんか私は積極的にあなたをさ
誘うじゃん一応でも断られるとしょげるから
ひっそり積極的に誘うじゃんそれはこうなるのが嫌だからお前も見ろっていう話なのわけ
だからまぁそこのコストをサボってるわけですけど
いやでもなんかそれ結構面白いと思うんだよ
僕結構好きなんだよあなたにさ
迷走してるの?
いや違う違うそうじゃなくてあなたにあなたが見てないものとか読んでないものの話さ
あーはいはいはい
だってあなたが上手だもん
それ何なんだろうっていう
なんかゼロからしゃべるの上手って言うよねちょっと
今の僕のブリンクリーの本能はちょっと下手だったと思う
そう?
わかんない
わかんない
まとまりがなかったと思う
あったかなぁ
わかんない面白かったよ
僕めっちゃあなたの話をすごくまとまりがないとか面白くないとは思わないわけ
だけど何が違うんだろうなって思って
でもなんか
作品の話
あーだから多分さっき
あえてやろうとしてできなかった
あなたの下手しゃべりは
その
視点
視点というかポジションが
しゃべり手のポジションがどんどん変わっちゃう
最初真面目に
本に書かれてることをしゃべろうとしてるのに
気持ちとか
盛り上がりポイント
ここ盛り上がりポイント
みたいな余計な
気持ちが入っちゃう
あらすじ紹介だと
思ってたら
なんか
応援上映だったとか
押し語りだったみたいな
感じで
どの態度で聞けばいいの?
ってなっちゃうっていうのを
目指したんだと思うんだけど
なんか
そんなにコラボしなかった
なるほどね
まぁ難しいな
なるほど、そういうことか
でもなんか
えっとね、じゃあね
どうしようかな
もう一回
お衣食した男の話していい?
うん
あの
僕が話したかったこと
話す
ヤギの抗がんを移植した男って
いうのは
抗がん治療ね
勃起不全みたいなものに対しての
医療として
ヤギってすごいな性欲が
そのヤギの抗がんを
移植して
元気にしますっていう
医療作業を働いた
男の一代記なんですけど
そもそも
ピカレスクロマンとして
もうライバルのフィッシュベイン
っていう医者がいて
そいつとの対決が
偽者をだったり
嘘医療を見破っては
どんどんとっちめて
裁判とか
メディアでボコボコに
雑誌でボコボコにしていくってやつと
雑誌メディアに対して
新しくできたラジオっていうものを使って
どんどんどんどんポピュリズム
ポピュリストとしても
のし上がっていくプリンクリっていう
本当に生涯に渡る
正義と真実の探求
戦いが描かれていくんだけど
プリンクリのラジオの話が
めちゃくちゃ面白くて
途中から
キリスト教原理主義に近づいていく
とにかくキリストの話を始める
うっすら
私がそのキリストに
現代のキリストですみたいなことを言い出す
要するにフィッシュベインっていう
うるせーことばかり言ってる
正論野郎が
俺の医療は間違ってるみたいなことをずっと言ってる
私はそれによって医療免許も剥奪されかけている
もうなんか
ラジオ局まで取り上げられちゃうかもしれない
なんかしょうがないんだよ
愚かなパリ災人っていうのは
そうやって
正しいもの本当の意味での正しいものを
その当時の正しさだけで
断罪して貼り付けにしてしまうんだ
みたいなことを話す
要するに俺だけは真実を知っている
ブリンクリの医療詐欺暴露
そしてそれを支持する
あなたたちも真実を知っている
だけど今の権力の座にいる
あいつらはそれを認めようとはしない
なぜならそれを見つめてしまうと
あいつらの既得権益っていうものが
なくなってしまうから
実際このブリンクリって人が
医療免許剥奪されそうになった
タイミングで
支持戦に出る
つまり選挙に
打って出るんだけど
この選挙がすごくて
選挙カー初めて作ったのブリンクリだから
トラックにレコード乗せて
そこに自分の演説の吹き込んだやつをずっと
話しておくとか
とにかく州の中を飛行機で
飛び回ってどこにでも会いに行く
有権者の方々に一人一人に
ちゃんと顔を見て挨拶をして
また飛行機で自分のラジオ局に戻っていって
とにかく地元にいる間は
ずっとラジオ局で
自分の話をずっとし続ける
みたいなことをしていて
とにかくそういって
どうやったら
人心を掌握して自分たちの
核の共同体を作っていけるかみたいなところに対して
医療詐欺的なものだけでなく
そもそも現代の
トランプ政権につながるような
ポピュリズムの
すべての方法論を
何か作ってしまった人間としてのブリンクリ
めちゃくちゃ恐ろしい
善権の命を持っている
人間で
これはまた面白いエピソードがあって
具体的なエピソードなのでちょっと油断なんですけど
ブリンクリは
立候補したタイミングが
知事選の投票用紙に
自分の名前が印刷されるのには
間に合わなかったんです
他の候補の名前は書いてあるんだけど
ブリンクリは立候補はできるけど
そこの投票用紙に丸付ければいいだけじゃなくなっちゃった
っていう段階で
立候補してきたはずなのに
圧倒的に他の追贈を許さないほど
めちゃくちゃ人気を獲得していくの
誰もやったことのない選挙活動で
みんなを
巻き込んでいくこと
そうしたら今の現知事が恐れて
これもしかして
こんな嘘つき野郎が
受かるわけないと思って
油断してたけど
これマジでいくかもしれないと思って
慌てて
選挙用紙にちゃんと
ブリンクリの綴りを
しっかりと書かなかった場合
無効票にします
ジョン・R・ブリンクリ
っていうのをちゃんと
きちんと正しい綴りで書かなかった場合
それは無効です
ルールを勝手に作る
明らかに合衆国憲法違反
ここの時点で
おかしいことが起きてる
ブリンクリはそこでそれに抗議をあげたりせず
ラジオで毎晩
言うの
今の
衆の権力者たちは
我々
無学な農民たちの味方を
のための政治
を阻害しようとしている
なぜならこのまま彼らは
造勢を続けるだろう
我々
普段からずっと汗水垂らして働いていることで
学校にも行けなかったし
正規の教育も受けられなかったし
スペルだったりもなかなかおぼつかない
我々のような人たちのために政治をする気が全くないから
こんなところで負けてはいけない
こんな不当な
比率のやり方に負けてはいけない
いいですかみなさん
今から紙とペンを用意して綴りを練習しましょう
私の名前は今から言いますね
J.R.B
みたいな感じでずっと
延々と
アジテーションとともにスペルを練習し続ける
ということをし始める
この一点だけに関して言えば
アメリカにおいて
ヒーローはブリンクリー
明らかに
不当な選挙のハードルの上げ方に対して
識字率という
明らかに階級的な不当な
不健康に対して
どう抗っていって正しい選挙をするか
その一点に関してだけは
ブリンクリーが正しい
間違ってるんだけど
何か一つ
正しい
リベラル側の人間が
あまりにも
正しくない人たちの声が
大きくなっているときに
慌ててそれをどう抑圧しようかというところで
動いたときにそこで下手を打ってしまうと
その一点だけ
正当性を与えてしまう
その正当性を与えてしまったことによって
他のことに関しては
全部陰謀論
片付けられたはずのもの
それ自体はそのまま
絶対に正当性を持つはずはないんだけど
一点において
あいつらが不正なことをしたと思われた途端に
全部ひっくり返っちゃう
鬼の首が転がり込んできた
みたいなことになってしまう
という事態が
90年代のポピュリズム
そのまま
今のアメリカで起きていることと
そのままなわけだよね
結構これはね
恐ろしい話だし
怖い話だし面白いなって思うわけですよ
要するにフィッシュウェイン
っていう人も
偽医者バスターとして
めちゃくちゃ功績を残しているんだけど
結構嫌われているの仲間のうちで
容赦なさすぎて
なんか正しすぎない?
というのもやっぱり健康を
求めている人間にとって
いやそんなのインチキだよ
バカじゃないの?
って言われるより
治りますよ
抗がんを入れましょう
って言われた方が希望なんだよ
だって欲しいのは希望なんだもん
人にとって
これは医療だけじゃなくて政治の世界でもそうなわけ
とにかく今なんかうまくいってない
って時に大丈夫ですあなたもうまくいきます
って言われるのと
うまくいくわけないじゃん嘘だよ
バカじゃないの?って言われるのと
どっちが人は動くか
っていう話なんだよ
これはだからね非常にね
すごいよね
実際のところ食い物にしているのは
甘い言葉とさやくがなわけでは
のはずなのに
それでもやっぱり
正しく
知的で嫌味なやつは
なんか
ずさんで
甘い声で
しかもラジオでいい音楽とか
かけながら
語りかけてくる人との方を
好きになってしまう
結構これは非常になんかね
根深い話だな
と思ってね
医療に対して
うすうす騙されていると分かっていながらも
なぜかついていってしまう人たち
人々の期待と受け入れ
っていう話だけでも結構面白いんだけど
ブリンクリーが選挙戦に出る
ってエピソードが入ることによって
非常にそもそも今のこの
自治的な情勢に対しての
二重図紙にして
読んでしまう部分もありつつ
そもそもなんか
人が
なんかついていってしまうときに
何を
求めているんだ
何か求めているものを
もらえそうっていう
期待の部分だけさえあれば
実利の部分よりもそっちの方がでかかったりすることが
あるんだよなみたいなことをね
結構こう考えさせられたりして
そこがすごいね
おもろいんですよ
なんかその
自分たちが
特段困ってないときと健康なとき
っていうのは
そんなの騙されるわけないじゃん
って思ったりするんだけど
やっぱりね
騙されるんじゃないか
って気持ちになってくるよね
こういうのを読んでいるとね
僕は今
オカルトや陰謀論についても
結構いろいろ好んでさ
読んでいるからよりそう思うんだけど
なんかねやっぱり嘘つきって
強いなって思う
強いなって思う
だよ
っていう話をね
したかったんです
どっちにしてもあなたが黙っちゃったね
やっぱりエピソードが強すぎるとさ
厳しくない?
さっきとの違いあんま分かんなかったよ
僕もちょっとエピソードが強すぎて
エピソードを話したいという欲望に
抗えなかったことがあった
なんか序盤の
一瞬でさまって
フォーカスするみたいな
ところは
手法を感じたけど
エピソードに負けた
負けたわ
負けたな
今のは負けました
ブリンクリに負けた
やっぱりエピソードが強いとさ
エピソードが圧倒しちゃうんだよね
さまりよりも
そこがピカレスクロマンの
いいピカレスクロマンの
魅力疑いをね
魅力だよね
でも別にいいのか
面白い話は別に
面白い話でそのまま全部しちゃえばいいのか
面白かったなら
それでいいと思う
あなたの場合面白くなかったわけじゃないのか
面白くなかったっていうか
もう私がだいぶ擦れてる
あなたが昨日見たのは
広上障子のトランスっていう
92年の作品
93年の作品の再演だったんだよね
あれはホンダレオ企画
ミックスアップっていうのが
ホンダレオと
いつみさん
若手の2.5次元に
主に出ている俳優と
最後の銀ちゃんなのかな
塚さんが
直接演出をしたっていうのが
いつみさんと演出
衝撃状的な文脈のある
人との
コラボでの企画で
なぜか広上障子の
作品の再演をしている
そのトランスっていう
芝居は僕は見ていないし
劇局も知らないんだけれども
あなたは昨日それを見て
いろいろ考えていたんだよ
いろいろ考えるほどの話じゃなくね
ってなったんだよね
なるほどね
立ち位置的に
2回目なんだよね
8年前に1回やってて
逆に8年前に
よくやったなっていう感じの
作品ではあるんだけど
すごい体力
体力がいるの
いわゆる衝撃状の体力だから
どちらかというとホンダレオの能力的な演出
よくやらせたなという
そっちの方が
ナイスチャレンジとして見てみたかった
気持ちはある
多分
どうだったんだろう
だからなんだろう
別に私たちは
真面目に
自分がいた界隈の
演劇を勉強して
私は少なくとも勉強してないから
なんかたまたま見た
比流伝とかしか知らないわけ
洪平とか
第三部隊とか
けど
なんかみんな
その芸をやってたんだ
っていう感じがするわけ
去年は朝日のような
夕日を連れてをやって
それはあなたも一緒に見たけど
朝日はまだ
ちょっと好きだったけど
あれはあれで
なんか
今やる本か
っていう気持ちはある
やっぱり初演の映像の方が
初演というか
あれどっち見たんだっけ
あれキノクニア
初演っていうのは厳密に言うとオオクマ行動だから
キノクニア行動
にはいってはいるんだけど
3種類ぐらいある
どのバージョンだったんだっけ
あれは最初のバージョン
最初のバージョンだよね
1991年
もっと前
87年バージョン
ミュージカル病が出てくるのは
それなので
初演バージョンというか
最初の頃の初期バージョンの劇曲は
面白いんだけど
それ以降のバージョンアップを
演劇と精神病の描写
重ねていくごとに面白くなくなっていく
っていうのはちょっとあったよね
これごめん余談
去年
さらに新しいのやってて
2024年版は
見てないんですけど
別に朝日の話はいいんですよ
トランス
要は
演出が見慣れてんのよね
あの
時代が勝っているわけだよね
時代が勝っているわけだよね
演出が見慣れちゃってて
題材が
多分当時の気分が
色濃い場合
なんか
多分
あの企画自体が
ホンダレオンのファンの人たちを
想定顧客にしていて
それって何かっていうと
天后しか演劇を見たことがない人が
大半っていう
そうじゃない人もいるかもしれないし
コンボエから
入ってきた人たちもいるかもしれないけど
その
天后だけじゃないんだよ
ってことを知ってほしいっていうのが
多分めちゃめちゃ大きいよね
だからすごい事前に
怖いかもしれない
正直
傷つくかもしれないけど
そういうお芝居もあるってことを
知ってほしいってのを
すっごい言うわけね
それはある種の啓蒙活動として
誠実だなとは思うんだけど
言うて
言うてさほどよ
みたいな気持ちになっちゃう
言うて狼少子だろっていうね
別にねみたいな
そして
別に
今時に
アレンジしてやってるわけじゃないから
別に
使う時にアレンジが許されてるか
権利によるから
でなんか
すごく
時代性が強い
そのワードとして
っていうわけではないの
朝日の
2本目みたいに
あれはもうさ
ちょっともう古すぎるじゃん
出てくる話が
具体的な話が入っちゃってるから
そういうのはないんだけど
でもなんか
その
精神病の話なので
精神病に対する
一般イメージが
全然違う
だよなって93年
30年前ですかね
30年前
でだから30年前の
精神病
診療内科ですらない
精神科
精神病の
イメージって
なんだったんだろうねって話を
したかったのもともと
そこにたどり着くまでに
めげちゃった
だから
芝居の話はもう正直
なんか
見たことある感じ
一生懸命
やってたし一生懸命やるしかない
90年代の社会的背景
タイプのやつ
だからそうだよね
今のが
一番良くない
昨日の失敗を経て成長したのかもしれない
今のは明らかにさ
僕のだんだん口岸にだけフォーカス
語りと同じ
語り方ができたよね
そうそうそう
だからなんか面白い
なって思う
あのー
基本的に昨日もちょっと話したんだけど
93年
初演の
芝居においての精神病っていうものの
使われ方で
言うとさ基本的に日本における
今のような
精神
診療内科
診療内科
的なものの
あのー
イメージっていうのが確立していくのは
95年以降なんだよね明らかに
っていう話を
して要するに阪神淡路大震災
以降
仲石沢とか
河合駿とかとにかくそういう方たちが
その
トラウマみたいなね
話とかも含め
すごく
マスメディアにおいて発言をしだす
っていう時期に当たる
はずなんだよ
確かにそれ以前の現実
っていうのはどんなものだったのかっていうのが
結構イメージ湧きづらい
よねーみたいなのはすごいある
でこれはでもあんまり
よくわかってないから
ちゃんと年表とか見ながら
見ていかないとあんまり
わかんないねでもそれ調べるのすごく
面白そうっていう
話なんだよね
だから結局確かに
そもそも今あなたが
話したいことは受け取れた上でも
そのポエティックラジオで話すには
まぁ
わかんないよね自由研究の
テーマかな
面白いテーマだと思うみたいなところもあれで
終わってしまうところは一個
あるはある
っていうところではあるけど
面白そうなテーマではあるよね
私たちってさ
思春期の頃にはもうさ
宇宙は心の風みたいな
スローガンというかキャッチコピーをさ
一生懸命懸念されていたじゃん
で最初から
そうだから
なんでそれを一生懸命言ってるか
についてあんまり
考えたことなかったんだよね
でそれこそ阪神
PTSD
のような
その
誰でも
なってしまうんだっていう
一言じゃないというか
それこそキツネ付き
雑誌披露だ
みたいな
のじゃなくて
なんかそのトリムに当たったら
誰でもなりうる
っていうさ
前提の
固定概念を知らないで
なんかその
宇宙は心の風
だから誰でもかかるって意味なんだよね
あれは
簡単に治るって意味じゃなくて
でどっちかっていうと
その風とか言ってると
簡単に治ると思われるからやめろ
みたいな解釈の方
がなんか身近な
世代
だからそもそも言い出した
方向性がわかってなかった
っていう
のがあるな
って思ったことで
93年阪神も
そうだし
その前でバブルがはじけ
切ってるから
実際にはもうちょい前に
はじけてるんだけどさ
日本経済に
跳ね返ってくるのにタイムラグがあるからさ
たぶん
91年
2年のあたりで
患者がすごい増えてさ
精神的に
撒いてる人が増えてるんだよね
そうだね
かつ阪神もあってっていう
ので
なんかその
一般に
認知される
タイミングだったんだろうな
90年にバブルが
文化的変遷と感覚の乖離
崩壊してるけどそっから
どのタイミングで体感として
なってるかっていうのは
業界にもよるんだよね
これ本当に面白い話だと思う
93年の
芝居そのものを
見てないからそれについては語れないけど
そこであなたが
なんか
はいはいって思った部分とか
これってなんでこうなっちゃうのみたいなところ
っていうのが
どうさ
どのように実感から遠いかっていうとさ
主に我々としては90年代初頭
生まれとして
そこしか知らないんだよね状況として
だけど当時今の我々
ぐらいの年代の人たちにとってみると
劇堂の時代なわけだよね
そもそもまず年号が変わる
やっぱり
これも一つまず実感が分からない
ポイントその1
昭和天皇っていうものの存在感を
全く実感が持てない
つまり最初から平成の時点で
天皇っていう存在自体
かなり薄いから
明確に薄いものとして振る舞う天皇である
でもその得意性を全く
把握できていない
要するに結構天皇ってものすごく
民主主義の象徴的な
民主的な人の振る舞いとして
なんとなく認識しちゃうじゃん我々の場合
昭和天皇って明らかにそうではないわけだよね
明らかに戦争の責任主体だし
っていうようなところも含めて
なんかね
多分そこの考え方が全然
違うみたいなのが
まずある
その後95年に至る
前の段階
そのバブル経済
っていうものの崩壊以降の
その
体感
どんどん悪くなっていく体感みたいなもの
っていうのも
想像がつかない
想像がつかないんだよ
なんか朝日は
もうちょっと
狭い範囲の話だった
と思うの
なんていうんだ
えっと
女性が内面化した
男尊女卑の話
だと思っているから
ベースは
それとやっぱり
あの時から
精神って
なんなんだろうみたいな
のと演劇的な手法
実は相性がいいんじゃないかっていう
のは多分
ずっと作風としてあるのかな
っていう気はしてて
多分トランスはもうちょっと
大学卒業してるし
特に
もっと社会の方向へ行って
作ってるんだよね多分
鮮度が良く足が速い
話だと
思うんだよね結構再演してるけど
いろんな人で
高橋先生がやってたんだよね
そうなんだ
だから
93年ってさ
平成6年
5年
そんでぐらいでしょ
そんでぐらいだね
昭和天皇が亡くなる時ってさ
大変だったわけじゃん
ずっとテレビでさ
陽台が流れてるみたいな
そもそもその頃のテレビって
物体感もまたね
全然違うわけじゃん
ちなみに90年ぐらいの
そういうことだ
とりあえず90年ぐらいのピークに
出版件数ってそっから下がってんの
我々が生まれた頃からずっと
出版って右肩下がるんだけど
その頃まではピークだったはず
90年代ちょっと
ぐらいまでの間
そのあたりのメディア状況も
すごいありそう
今の話してて
一個なるほどってなったのは
主人公が雑誌記者なの
でも無記名記事しかやらせてもらえない
書くことは決まってるから
思ってもないこと書き続けてたら
おかしくなっちゃったみたいな感じ
入りなんだけど
決定的におかしくなるシーンが
テレビ見てるときなんだよね
なるほどね
なんかそのテレビの音は日替わりらしいんだけど
しんちゃんだったり
私が見た回はポケモンだったんだけど
だから
テレビ見てておかしく
93年ポケモンやってる?
やってないと思うよ
そもそも
時代設定関係ないから
あと別に93年設定
たぶんやってない
そこはちゃんと
93年でやったほうが面白いんじゃない
どうなんだろうね
ついていけないもんこっちがぶっちゃけ
まあいいや
まあてかだったらきっちり
93年でやったほうがよかったのかもしんないね
とは思う
なんか
あんま面白くねえなって思うのが
半分は
もうそういうのに慣れちゃってる
そういうショッキングな芝居に
ある程度耐性があるっていうのもあるけど
半分は
もうこの脚本の
時代性を
理解できない
事実としても
理解できないし
それを
勉強したところで体感としては
まあわからんっていうのがあるから
なんか
半分は
自分の
アンテナの
残念さ
ミスマッチ
というか
それをつまんなかった
っていうのはさ
悔しいじゃん
たぶんそれ結構面白いと思うんだよな
いろいろ調べながら
90年代の文化とメディアの影響
喋ってるから
ちなみに
昨日ポケモンだったのは
出演している前半姉さんが
ポケモンに出てるからです
なるほどね
おかしくなっちゃうってどうなるかって
別人格がはっきり
形を持っちゃうのね
で、私は南朝の
正当な天皇である
って言い始めちゃう
のが
きっかけとして別に
テレビ見てたらおかしくなっちゃったって思ってたけど
テレビが明らかに天皇の
トリガーなんだよね
その時期
5年前とかだけど
テレビでずっと天皇の
話がされている
されているっていうか
ずっと上に
テロップみたいな
速報みたいな流れてるやつでしょ
そうだね
テレビがトリガーって
雑誌記者
っていう雑が上がらなくて
もう自分が
何になりたかったか分かんなくなっちゃって
天皇になっちゃった
っていうところは
雑誌とテレビ
考えてなかったけど
そういうことかって
今ありました
面白いな
非常に面白いな
昨日あなたが話してたので
もう1個話したいテーマとして
自分のこと見つめすぎるとおかしくなっちゃう
みたいな話を
そういうフェーズは
今自分は過ぎているけど
それが時代状況的に
どういうことだったんだろう
とにかく
共通しているのは
というところが
我々が物心をつける前の
人格形成期に起きていたこと
っていうものを今ぐらいの分別を
持って眺めていくとどんな時代だったのか
みたいなところを改めて
考えてみたい時期に入っている
っていうのは1個あるかな
っていう風に思うんだけど
今ね
自己探求と信仰宗教
ざっと
調べてみて分かったこととして
宮崎務事件が
1989年
法務審理協の成立が
87年
法務審理協が出た
第39回衆議院議員総選挙が
1990年
さらに今は95年だけど
90年の選挙戦の
暫廃から過激化していく
っていう
話じゃない
だからそもそもそういう気なくささみたいなものの
こう
なんていうのかな
当時でいうところのオタク的感性の
危機感みたいなものの
情勢のされ方
みたいなものは
1個かなり大きいだろうなっていう感じが
する
よね
メディアや何か書いたり
なんだったりっていうところの
自己探求みたいなものに対しての
危険なイメージっていうのは
明らかにそういったものが背景に
一つ
あるかもねみたいなことは
言えそう
っていうのが
今ちょっと見て思ったこと
ちなみに信仰宗教の話に出てきます
そうそうそう
これ面白いんだよね
90年代においてさ
信仰宗教みたいなのが
バンバが出てくるっていうのは
一体どういうことだったんだろうみたいなのも
結構面白いのとさ
あとやっぱりギリギリ我々世代ぐらいまでは
インド行くわけじゃん
自分を探そうと思うと
インドに行く問題とかもさ
結構ここに関わってくると思うんだよ
そもそもインドに行くっていうもののさ
根源はどこにあったんだろう
っていうね
そこはもうちょっと50年代60年代ぐらいまで
遡っていく
必要があるような気もするけれども
だからそのね
なんか自分を探すとおかしくなる
妄想と共通意識の変化
感じの
様子のおかしい
自分探し
ってあれ何だったんだ
っていうさ
でもねもっとね
それこそね19世紀のね
エレナブラバツキ
はインド行くわけです
マハトマを探しに
その一番の根拠としては
仏教とかもあるんだけど
とにかくヨーロッパにおいて
なんか東の方に
なんか神秘がある
っていうのは常々さ
言われ続けているわけだよね
もう黄金のジパン軍もそうだしさ
アガルタもそうだしさ
とにかくそういうような
東方に関しての
なんか
オリエンタリズム
みたいなものが輸入されている
感はもしかしたらあるのかもしれないな
とかはあるから結構
インドに自分を探しに
インドに自分を探しに行くこと問題は
結構根深そうな気もするんだけど
なんかここら辺も
調べると面白そうだよなみたいな
かなり脱線しちゃうけど
そういう話を
あなたとしたくて
昨日
大分手前でくじけたわけ
その
自分を探しちゃう人たちについて
今あなたは熱いわけじゃん
熱い
だからそういうのが
聞きたくて
作中でね
作中で
本当の自分が天皇
っていうパターン結構多いんだけど
最近はあんまり聞かなかったんだけどね
っていう
シーンがあって
確かに多そう
てか
なんでっていうの
ヨーロッパというかキリスト教圏内だと
自分がキリストだと思っちゃう
みたいな話はさ
あるわけだからね
それは日本だと天皇になるっていうのは
よくわかるじゃん
よくわかるじゃんと言いながら
平成天皇しか知らないとあんまわかんないんだよね
正直によくわかるじゃんって
言われてもよくわかりはしないなって
思った
でも
平成天皇以前
だと
そうなるわけじゃん
だってみんなが知ってる有名人
って意味じゃん
まあそうだね
普通に言うとそうだね
だから
なんだっけ
これだせんね
科学未来館で
気象のクイズみたいなのがあって
ヒントが
こういう異常気象現象があります
ヒント
みんなが知ってる有名な男の子の名前
って言って
エルニーの
キリストの子
みんなが知ってる
一番有名な男の子は
キリストなんだ
っていうことに
そのヒントで
確かに
言ったんだよね
日本版だったら天皇だったんだよな
って
それは非常に面白いよね
だからそれこそさ
万世一継でさ
最初から覚えさせられてた
時期があるわけじゃない
うちの祖母とかは
もうその世代だったし
家計図がさ
家に飾らなきゃいけない
みたいなさ
みんな
それこそ識字率が低い
地域でもみんなが知ってる
わけだよね
逆に他に知らないから
知ってるとしたら
直の知り合いだから
なれる
知ってる人が天皇しかいなかったから
昔はよくいた
っていうのはすごい
そうでしょうね
面白いよね
要するに
共通のイメージ
の寄りしろ
がさ
あることによってさ
できる
ものなわけじゃん
そういう
自分を
何かと錯誤してしまう
妄想の原型っていう
見えないはずのものが見えてしまうとか
ありえないはずの成り変わりが
成立してしまうっていう時には
何かしらその妄想のアーキタイプ
っていうものが必要でさ
それは初めにどうビジュアライズ
されるかっていうところ
がさ
あるわけだけれども
今の我々にそこのリアリティがない
誰にでも
共有されうる
イメージみたいなものに
あまりに乏しいっていうのは
ちょっと前までの
90年代ぐらいが
最後なんだけどぐらいの
イメージ
に対しての
ピンとこなさみたいな
ものとかなり
ある気がするんだよな
テレビ
影響が
薄くなった
ことで
ビジョンの共有
ビジョンが
共有されている
という漠然とした
共通意識という存在そのもの
よくわからなくなった
って感じ
そうなんだよ
漠然とした
ビジョンの共有って
すごい僕は面白い
と思うんですよ
キツネ好きとかさ
キツネ好きと
魔女裁判が僕の中で
結構ずっと興味のある
ところなんだけど
集団ヒステリーみたいな
言い方で例えば今だったら
片付けられるようなことって
そう単純じゃないと思う
誰もがそれをキツネだとか
魔女だとかいうことを
こう確信する
わけだよね
そこにあるのはさ
個人の妄想とかじゃなく
なっていくわけだよ要するにその妄想
っていうのがきちんと強度のある妄想
になるためにはみんなで見ないと
いけないはずなんだよ
見えないはずのものだったり
知るはずもないようなもの
なぜか不特定多数の
みんなが見ちゃう
っていう状況
ってめっちゃ面白いなって思う
僕まさに今
円盤の話をしたくてね
ケネサーアイノルド事件
っていうのが
空飛ぶ円盤の始まりなんですけど
1947年が
世界におけるUFOの目撃情報の
初めてのところ
1947年っていうのは
冷戦体制が
実質的に始まった年になるわけ
だからケネサーアイノルドが
在住しているアメリカにおいて
何か未確認の飛行物体
っていうのはまさに
ソ連からの偵察機であったり
爆撃機であったりする可能性が
非常に高い
核攻撃に対する不安がものすごいある中で
何か空に飛んでいるような
見えたっていうので
非常にそれを危惧して
ケネサーアイノルドっていう
人は通報するわけ
それでその警察官に向かって
こういうようなものを見たっていう話をするんだけど
そこで話しているのは
その飛び方が
カップソーサーが飛ぶような
飛び方をしていたと
これはちょっと僕らには分かりにくいんだけど
水切り遊びみたいになっちゃう
あれのカップソーサーで遊ぶみたいなことを
向こうの文化ではあるみたいな
要するに石切り遊びで
ぴょんぴょん飛ぶ
ああいう見たことのない飛び方をしている
光る物体を見た
あれはもしかしたらソ連からの
何かかもしれないから
ちょっと気になったんだ
っていう話し方をしている
要するに
空飛ぶ円盤とは一言も言っていない
まるでカップソーサーが
空飛ぶ円盤の目撃情報
水面を切って飛んでいくようだった
って言っている
はずなのに翌日の新聞の報道では
フライングソーサーと書かれてしまった
ここまでは
まあ笑い話
なんだけど面白いのが
この後続々と
空飛ぶ円盤を見た
っていう目撃情報が爆発的に
増えていくんだよね
これはまさに
想像のアーキタイプとしての
空飛ぶ円盤っていう像が
提示された途端に
みんなそれを見るようになってしまう
面白いよねこれはね
妖怪とかと一緒だよね
口裂け女みたいな
そうそうそうそう
一人が見たってしかも言ってないんだよ今回は
見たって言ってないのに
見たって見たらしいよ
みたいな不完全な情報を
元になんか私も見た
っていう人たちがどんどん増えていって
余ってさえ
アブダクションとか起きていくわけだよねそこから
90年代のアーキタイプ
空飛ぶ円盤に乗ってしまう人まで
出てくるっていう
これはね非常に面白いよね
あれアブダクション自体は
内臓を抜かれること?
あーそうだねそれはキャトルミュートレーション
キャトルミュートレーション
キャトルミュートレーション
キャトルミュートレーション
キャトルミュートレーション
内臓を抜かれるやつ
内臓を抜かれるのはそっちか
キャトルミュートレーション
アブダクションを連れていかれる
アブダクションを連れていかれる
返されるやつ
面白いよね
全然そのUFOに連れ去られるみたいなこと
自体もさ
それだけで聞くとさ
なんで円盤そのものが存在しないんだから
って言ってバカにするかもしれないけど
これもまたさ
例えばね
神隠しとかさ
天狗にさらわれるとかさ
あったわけですよ
これ多分西洋においてもなんかあるわけでしょ
妖精に連れていかれちゃうとかさ
独り狼の話
とにかくそういってなんかわかんないけど
意識を失っている間に
何かされたかもみたいな
のっていうのは常々あるわけ
あと神隠しになってたものが
UFOになっているだけで
とにかく
人はそういうような状態に陥ることがある
それを陥った時に
それを事後的にどう解釈するか
っていうそのビジュアライズが
時代によって違う
っていうのが面白い
わけだよ
やっぱりその
円盤とかさ
天狗とかさ
共通の想像力がいかにしてインストールされるか
っていうところに非常に興味があって
今はそれ結構むずいんじゃないか
って思うんだよ
やっぱりそのが過労死で
共通の妄想のアーキタイプっていうものが
無意識のうちにでもすり込まれている
時期として
その説得力が
非常に強かった時期として
90年代が義理に残っているんじゃないか
っていうことをちょっと僕は思いつつ
さらに言うとそこで起こる
精神病的なものだったり
その狂気みたいなものに対して
イメージっていうものが
その頃はまだ素人が
無責任にドラマ化できる時代であった
っていうのも結構
大きいと思っていて
そこから徐々にそういった病理
みたいなものが専門化され
細分化されて対処可能な
症例にまで
なっていく
個別具体的なものになっていくにつれて
強烈な何か一個にまとめて
精神病の見方の変化
しまう
妄想の親分じゃないけど
そういう何か原イメージ
みたいなものに対しての
回路が
結構弱まっていくことと
パラレルな
状況なんじゃないかな
みたいなことをちょっと考えたり
はするよね
作中でね
精神科医がね
なんでお前はずっと分析してるんだって
なんでそんな平気そうに
ずっと分析して
いられるんだって詰められるシーンが
あるのでもちろん
それが私の仕事だからよって
ぶち切れるんだけど
なんかその
だからさっきも
話したけどそこら辺の
繊維
経緯というか
変遷知らないからあれだけど
なんか
面白い意味この漫画見てると
パラノイアってめっちゃ出てくるんだよね
そうだね
多分
一個
流行り言葉じゃないけど
まさかピンチョンだから
使いたがる
時代的なキーワードだったんだね
っていう
感じはするし
だから
いつ
精神病といえば
閉鎖病とではなく
なったんだろう
のとか
人の精神は分析可能であるっていう
ていうか
そういうことにしないといけない
そういうことにした方がいいって
思い始めたのはいつからなんだろう
みたいな
だから髪
キツネつきとかはさ
分からないから
閉じ込めとくしかないっていうさ
分かろうと
しない方がいい
というか触らぬかめにたたりなし
というか
感じだったわけじゃん
それって多分すごい
古い話で
そこから今の
別に
心理もないかいったことあるぐらいで
人生終わるわけじゃないし
みたいなところまでの
どの段階で
なんか
世の認識が変わったんだろう
ないし
心理もないかというものの
開業者数が増えたんだろう
みたいなところ
そうだね
そもそも通うところじゃなくて
閉じ込められるところだったわけじゃん
そうだね
だからキュアって何年なんだろうね
あのさ奥さんの精神病
小学生
小学生がさ
なんか
どれぐらい
なんか
資料になるんだろうっていう
キュアは97年ですね
それも面白い話ですね
それこそさ
ちょっとさ
でも結構最近だよね
その
なんかものすごい
あの
みんな知ってるからみんな知ってるみたいなやつ
いやでも僕が本読み出した時に
本読む人たちにおいて
一つ信頼できるレベルを上げるってなると
やっぱりシリーズ系を開く
医学書院のシリーズ系を開くが結構そこでヒットに上がってくる
もんだった気がする
でなんかそれ結構
なんだろう
象徴的な気がする
要するにそれまで人文書っていうと精神分析
それまでっていうのは
僕の中で20年30年ブランクがあるんだけど
僕が読んでた60年代70年代
80年代ぐらいの
その人文書っていうのは
やっぱりなんかその
フロイト・ラカン精神分析みたいな
実にその観念的な
言ってしまえば文学的な
話に
特に日本の場合は授与されていて
臨床的なものじゃなかった
ようなものが
なんか多かったんだよね
そういうような話っていうのをする中で
例外的に仲良さとかがいたかもしれないけど
みたいな感じで
そこが観念的な話じゃなくて
すごい実地的なものとして
の語り口で
その人文地として
どう作っていくかみたいなところが
始めたのって結構
最近って言ったらもう10年ぐらい経ってるかもしれないけど
ぐらいの感じがするんだよね
昨日も
話してたけど
うちの父は
心理学専攻で
本当は人間のことをやりたかったけど
当時多分学部生だと
マウス実験しかさせてもらえなかったんだよね
これを読んで
心理学やろうと思ったんだって
言って教えてもらったのが
えっと
もうひたすら逃亡失調症の
人に寄り添って
付き添って
スキッチというか
記録を取ってくれるのがあって
また忘れた
それが67年だったのかな
はいはいはい
出てるのが
だから別にあるはあった
いやそうあるはあった
あるはあったと思うんだけど
それがその人文書的な扱いは
受けなかったと思う
っていう意味
そこがブリッジしてきたのは
ここ20年じゃないってこと
そうそうそうそう
ことを言いたかった
なるほど
でも結論として
あんま好きな芝居じゃなかったんだよ
なんでかっていうと
ここまで話したように
具体的なイメージがあると
人はそこに引き寄せられちゃうから
こういう
これを劇場に閉じ込めて
見せるのって責任じゃない
って思うの
ほう
要は
3人芝居なんだけど
全員信用できない語り手で
全員自分の妄想
かもしれない
っていう感じで
最後ザッピングみたいな感じで
全員の妄想が
切り替わってくるのね
自分を見つめすぎると
よくないよみたいな話をした後に
そういう
今まで信頼できる語り手だと思っていた
精神科医の先生が
自分が精神科医である
ということ
自分自体が妄想であり
そのペルソランを
本当の自分とすることで
現実から逃げていって
現実は
この先生がこんな感じです
みたいな
最後の方とか
2人の
2人似たような
妄想状態に取り憑かれた人が
お互いをケアすることで
自分が
今の状態を維持している
みたいな
説明になってくる
だけど
なんか
恥悪い
思っちゃう
いや別にそれぐらいは
おかしいよね
気分によるなって思う
妻は帽子と間違えた男が
15年だね
見てるときに
我輩が妻であるってやっぱり
怖くないって思った
主婦だ
やっぱ怖いよってなっちゃった
あれはそういう
読み解き方をするのであればそれは怖いよね
あれはさ
我輩であることを
受け入れ始めるじゃん
家族が
それが怖いわけ
主婦戻ってきたとき
未知
ちゃんとラブラブできるよみたいな
居場所ある?
っていうので
だからもう
陛下から戻らなくなっちゃうから
陛下で
生きててくれればいいの?
なってくんだよ
それをしたら
元人格は
居場所が本当にいなくなっちゃう
じゃんみたいな
ので
怖って
気持ちになって
90年代の文化と陰謀
もうちょっと見れない
結局最後まで見てないじゃん
リアルタイムで見てたとき
結構面白かったんだけど
今見るとすごい
早く戻ってきてほしい
早く2人で
ミュージカルしようよって
それは分かる
話がしたかったんだ
できた?
興味関心は
伝えられたっぽい
でもどうだろうね
結構良かったんじゃない?
トランスの話はできないけど
トランスを巡って
考えたことに
周りで
喋れたような気がするよ
最終的には
具体的なイメージを
持つとみんなそこに
置かれてっちゃう
ってさ
単純に怖いじゃん
ずっと前に終わった話としてなら
笑えるのかもしれないけど
でもそれでもさ
やっぱり怪異っていうのはさ
思い出されるとさ
出現するからさ
知らない方が
良くないですかって思っちゃうんだよね
それは間違いないと思います
でも擬人化することによって
対峙できるみたいなパターンもあるじゃん
妖怪はいいよね
妖怪は知恵だよ
風は擬人化して
倒すことができる
病原菌みたいなものが
直接わからなかった時期にでも
それを擬人化して
妖怪のような形を与えることによって
人々は予防することができていく
みたいな話もあったりするわけだから
何かしら見えないものを可視化するということ
妖怪が必ずしも悪とは限らないというか
対処できるような対象として
見ている
扱える間は結構いいんだけど
そこと自己同一化
していってしまうと
一気に話が怖くなっていくよ
っていうところですね
引きずり下ろすような
対象に引きずり下ろすような
形を与える
イメージ化はいいんだけど
なんかその
引き寄せられるというかさ
ちょっとした不安だったのが
具体的な脅威に
掻き上げされるような
イメージ付け
めっちゃやだ
そうだね
めっちゃやだ
今日最後のぼやけた写真ぐらいやだ
やだね
でもそうなんだよな
いやでもそう面白いよね
面白いなそれは
面白いと思います
だから最近あなたがそういう話で
キャッキャッキャしてるから
なんかこの人
趣味悪いなって思って
いやでも
僕はただ世界の真実が
知りたいだけだから
世界の真実が知りたい人たちのことを
知りたいだけじゃない
いやそうだよ
今のはさすがに冗談だけど
世界の真実を
知りたいっていう
こと自体は非常に健全な
というかまあよくある
人間の
こう欲望じゃないですか
ないよそんなん
それは今の流行りでしょ
この世界の成り立ちを知りたいとか
なんかいろいろさ
そういうもの自体はあるんだよ
人に
なぜなぜが拡大していくやつだよね
そうそうそうそう
そんなものはないのは前提だよ
そうじゃなくてやっぱり
それでも見つけちゃう人がいるんだよ
人が何か真実を
見つけてしまうとき
そこで何が起こっているのかに
僕は興味があります
面白くないんだって
面白がれる距離感で
起こってれば面白がれるけどね
基本的にねこれね
科学的なものの発展とかさ
何かしらその研究におけるさ
有利化的なさ
瞬間とさ
何も変わらないんだよ
つまりこことここがこう繋がるのか
っていう面白さっていうのがさ
基本的にその本読んでるときの
楽しみでもありさ
知的探求のさあらゆる楽しみでもありさ
もっと簡単にさエンタメにおけるさ
伏線回収の快楽であるわけですよ
でも
実際そこで関係がないはずの
二者が繋がって
一見関係がない二者が繋がっていく
というところに非常に何か
こう
気分が良くなる
カタルシスというかね
そうっていうこれが
何か繋ぎ間違い
でもそれが起きてしまう
でもその繋ぎ間違いなのか
繋ぎ間違いじゃないのかっていうのを
果たして個人はどれだけ
判断できるんだ
みたいなのは
面白いんだよ
何が言いたいかやっぱりねバカだから
騙されるんだっていうのは違うんだよね
物を考えるから騙されるんだよ人は
ヤギの
口岸を自分の口岸に
入れたらそりゃヤギはすごい元気
なんだから自分は元気になるに決まってる
っていうのはある意味知的な
操作によって
導き出される推論なわけだよね
だからすごいなんか
知的な活動なの
ヤギの口岸の移植
手術を信じるっていうこと自体は
あとは
そもそも政府は実際に選挙の
不正を行っている
だって綴りなんか間違ってたって
分かればそれで有効な票になるはず
なのにそれをわざわざ無効票にする
っていうこと自体はやっぱりなんか
間違ってるんじゃないかっていうこれ自体も
非常に真っ当な感性
で物を考えている
っていうところ
はその通り
でもそのブリンクリーって偽者が
やってることは許されざる諸行である
っていうその一点も間違いなく
揺るぎない事実なんだけど
それをその前者の
選挙の不正によって免罪されるかのように
錯覚してしまうような
推論のバグっていうのが
人間は引き起こしてしまう
これは普通に推論のバグなんだけれども
果たしてこのような推論のバグを
全く無しに
過ごせる人間というものが
存在するのだろうかっていうとそうではなさそうな
気がするこの辺りをきちんと
冷静にふわけしていかないと
結構危ないぞというか
あっという間になんでこんなことになってるんだろう
これは93年における
お芝居がこういう風になっているのはなんでなんだろう
つまり90年代ってどういう時代だったんだろう
っていう好奇心と
ほぼ一緒なわけやっぱり歴史を学ぶってことは
その90年代に何が起こっていたか
っていうところから大きなトピックを
いくつか悉的に
取り出していってこれとこれとこれとこれと
がこういう風に繋がるからこそ
芝居におけるこういうアウトプットになったんだ
ってことを言う時それは半分陰謀論的な
創造力に足を突っ込んでいるんだけど
でもそれは別面でいくと
非常に研究者のやっているような
研究と同じようなことでもある
ここの差は
実はものすごい薄い
この薄さを
ちゃんとどう保っていくのか
っていうのをきちんと考えないまま
こっちはダメ
こっちはいいっていう形で
そこで思考停止をしている限り
絶対どこかのタイミングでこの薄膜は
破けてしまうから
そこはね
ちゃんと見分けをつける
見分けをつけるために
両方学んでおく
必要があると思うんです
基本的にバカな人間そんなに存在しないから
どんなに愚かしく
見えていたとしてもそこには一定の合理性や
理性的な判断がある
しかしその理性的判断というものは
どこかしらで何か間違うことが
あるじゃあそこの正しい
理性の行使の仕方と正しくない理性の
行使の仕方もしくは打倒性の
高い判断というものと
打倒性が低い判断というのをどう
見分ければいいのかみたいなところを
どのように
勉強すればいいのかしらみたいな
関心から僕は最近関東を読んでいるわけですけれども
そうだね
だからね陰謀論と関東もそのまま密接に繋がってるんだよ
僕の中で
だから僕は関東を捨てて
陰謀論ばっかり勉強しだしたらマジでやばいと
そうだね
そうだね
っていうところですね
怪異と妖怪の視点
関東の話もそろそろしたい
なんか月に1回ぐらい
今の僕の
関東の勉強進捗報告をしたいところが
発表会
次回ぐらいはちょっと関東の話をしようかな
司令舎の夢を読んだしな
っていうところで
ありますけれども
どうですか
あなたは転がり落ちないことを祈ってる
ちょっと自信はないな
どこかのタイミングで僕は
やばいかもしれない
昨日の芝居やって同時に
大切な人が狂ってしまったとき
どうするの
っていう話をしてるから
はいはいはい
なんか
どうするんだろう
ってなっちゃって
どうする
何が
だってそれこそさ
エアゲの講願みたいな話になるわけじゃん
標準医療民間療法みたいな
その話じゃん
そうだよ
我々も漢方を飲んでるからね
そうだよもう針を受け取って漢方を飲んでるから
そうだよ
僕どちらかというとそういう意味だと
あなたの方が心配だよ
僕は針とかを
あなたの方が受けに行ってるからね
だからそこは適量スピル
っていう
ことにしてる
針とか漢方とかっていうより
美容系の方が
危なっかしい
それはそうでしょうね
ざっくり一般論として
女性の方がそういうものにずっとさらされてるんだよね
それはそうだ
だって脱毛とさ
講願移植あんま変わんないじゃん
あんま変わんない
だからそれこそ
なんかチューブの話だから
人と共有しづらいから
バレにくいというか
ふっかけやすい
コラーゲン注入したりね
そうそうそう
私は
美容医療
美容医療には
手を出さないことにしてるけど
そこまで興味もないし
でも
結局
美容医療の影響
これくらい出して
この程度なんだみたいなのを
若いうちに
若い時に可能な
程度の板手で
やっとかないと
なんかすがっちゃうから
うん
なんか
適量スピットみたいな
そうだね
ってか新しい化粧品買うの
適量スピルみたいなもんだからね
まあそうだね
あんま似合うといいなみたいな
そうだよね
まあそれでも実証はできる
スピットさ
この成分がいいらしいからいい
っていうのってさ
ぶっちゃけ
あんま変わらないわけじゃない
まったく変わらないと思うんですよ
直感と占いの影響
その成分の有効性を本当に理解できていて
それが自分に合うか
誰も実証
できないから人体実験するわけじゃん
卵1日1個しか食べちゃダメとかもさ
そうだね
変わっていくようになっていくわけじゃん
肥治器とかさ
肥治器は鉄分豊富とかさ
そういうのはさ変わっていくわけで
だからすごいっていう話
だからね
何を信じるかっていう話になってしまうかもしれないけど
だから奥さんはたまに
適量スピット
言ってるかもしれないけど
とりあえず占いは来んなって言われたから
もう行かないし
すごいよね
占いは来んなって言われるっていうね
占いしね
占いし
あなたはどうせ言うこと聞かなそうだから
言うこと聞かないから来なくていいよって
あなたは自分で決められる人なんでしょ
って言われたんだよね
自分で
なんかその人は霊師やる人で
お知り合い者だよ
そう
別にみんな人間は
少し神様の子だから
ぶっちゃけ占い師より
霊感強いお客さんもいるし
あなた多分直感強いから
こんなところ来るより
自分でなんかこれ違うなって思ったら
それ合ってるから
あなたの直感霊能者並みってこと?
やっぱみこ
みこのおすすめ好き
あなた契約好きでしょ
こんなところにお金使ってる場所
言われました
いいな
じゃあもう答えですって
素晴らしいね
素晴らしいと思う
なるほどね
僕はこの前りょうたさんと
一緒に中華街で
笑ったらぼんやり生きてるって言われた
からムカついて
これからは覚醒していかないとって思って
今世界の真実について色々調べてる
わかんない
私が一番おかしくなっちゃうとしたら
あなたのそういう冗談を
冗談かどうかわかんなくなっちゃった時かもしれない
それ孤独だね
怖くない?
それ冗談だよ
僕はこうやってずっと
世界の真実って言うのは
急に言い出した時に
あなたが毎回
寂しそうな顔になった
なんかちょっとやだよね
危ないよ
面白いと思う
知的好奇心の
旺盛な人だったんですけど
ちょっと
行くとこまで行っちゃったかもしれない
ここでちょっと
じゃあせっかくだから
でかい予断話して
あなたにあきらめられておくけど
その前に一個言っていい?
今さあ
私が通ってるさあ
ハリの先生さあ
マジそういう感じの人なんだよ
ガチだってこと?
いわゆるビリーバーですか?
いやっていうかなんか
ちょっと怪しい民間療法
害にはならない
でも本当に効くみたいなやつを
全部自分に試して
なんかちょっと意味あるっぽい
って思ったらお客さんにも言っちゃう
それはいい話だよ
でも別に
そんなにこう
ほからかな感じじゃないから
すごい早口で謎の
理屈を説明されながら
電極とかも出される
僕は絶対それを受けに行きたいんだよな
レイキーとかやってるよ
めっちゃ楽しみ
行きたい
でも見れるもんなら見てみたいと思う
編成意識にはやっぱり興味はあるよね
面白いじゃん
面白いのがさあ
うちの父親もそういうのが好きなんだよね
っていうので
そこ?っていう
感じですよね
自分のね
うちの母親と
嫌いなところを
自分の父親と
パートナーは
一番嫌いなところが似てる
っていうのが
うちの母方の持論
まさに
って感じですね
別にそこは嫌いじゃないよ
嫌いじゃないけど
私がホラー嫌だって言ってるのに
夜中にリビングで電気もつけないで
怖い映画見てるのはやめてほしい
あなたには
やらないでほしい
あなたが出かけてる間にホラー見てるから
このタイミングであなたが帰ってきたら
すごい困るだろうなって思ったりはする
うん
そういうことで
いやあ
そうか
思い出した
自分に
都合がいい
コンテンツばっかり摂取している
陰謀論と情報消費
つまんない陰謀論に
取り込まれてしまう
確率ってのが上がると思うんですよ
世の中に
流通する作品って
基本的にちゃんと複雑
じゃないといけないと思う
インスタントに
消費ができる
コンテンツや情報っていうものが
世にはびこるっていうのは
そのまま
足腰の弱い陰謀論に
座を
空け渡す
人情を
整えているとしか思えない
何者かが
雑な陰謀論を
みんなが信じやすくなるように
すごい単純化された
物語ばっかりを消費させる
そういうのしかもう
うまく解釈できなくなっているような
人間たちを作るっていう
各メディアが潔拓した陰謀なんじゃないか
って思ってる
ところが結構本気であって
結構本気であるっていうのは
陰謀があるとは思ってないんだけど
普通にそういう状況があるよな
って思って
霊的最前線に立てっていう
国書館講座から出ている
オカルトアンダーグラウンド全史っていう
副題がついている
非常に面白い対談を読んでるんだけど
やっぱりあれを読んでると
昔のオカルティストは知的だよ
複雑な
相関図だったり
複雑な因果関係っていうものを
いかに
一つの体系にまとめ上げるかっていう
その思考のジャンプに向けて
非常に苦心している感じがある
そこの
ダイナミズムがやっぱり面白い
っていうところがあって
気に入らないから気に入らないとか
言ってないんだよね
ちゃんと一貫性が
あったりするし逆にそこに入ってくる
その一貫性を保とうとしている
理屈の中になぜか入り込んでしまう
矛盾に逆説的に
宿ってしまうリアリティとかの凄みがある
みたいなところがあって
やっぱりね
要するに
インフォーロンだったり
オカルティズムみたいなものっていうのは
物語の重要性とナラティブ
物語なんだよね
訳わからんこの世界に
何か一つの体系だった物語
っていうのをどう
作れるか
今日の見たお芝居とか読んだ本の話
っていうのも一旦それをさらに
分かりやすく圧縮してコンパクトに
自分はこういう物語として読んだ
ナラティブを作るっていうことが
まずあらすじを語ることだったり
人と喋って共有するときに
必要とされるもの
パッケージにする語り口のナラティブ
いかに作るかっていうところの足腰を
鍛えるっていう意味ではやっぱりね
素朴にね悪い奴がいてこう
みたいな話じゃない
もう少しなんかこう
うねりのある
グルーヴのある物語っていうのを
作り出していって
それをちゃんと面白がるっていうね
力をつけておかないと
やっぱりなかなか
厳しいっすわっていう気持ちにね
なるんだよ
だからなんか一つの
この主張のための物語
とかじゃなくってやっぱりなんか
分かんないけどなんかすごい
っていう変なものをどう
こう
構築していけるかっていうところに
やっぱりかかっていると思うので
そういうものをね
これからもね
探究していきたいですね
と思いますよ
だからね僕らはね
話はあんまり深追いしないけれども
一緒に見たさ
お芝居はさ小林健太郎と
鈴木ひろきのさ
鎌見志満学芸員
鎌見志満とダビンチノとかな
あれは非常に面白くなかったんだけど
あれの面白くなさっていうのはつまり
あまりにもその
ナラティブが素朴すぎる
単純すぎるからだと思って
やっぱり舞台で見るときは僕は
複雑なものを見たい
なんで複雑なものを見たいかっていうと
単純化するのは
こっちのやることなんだよね
どんな複雑なものを見てもそれは一旦
単純化しないことには咀嚼できない
何か複雑なものを見たときに
自分はどのようにそれを語り直すのか
っていうところに
単純化
物語にするっていうことの作用
っていうのがあるんだけど
最初からね
プレーンなものを見てもさ
この歳の卵ボールだけ出されても
みたいな気持ちになるわけですよ
っていうようなことを
最近考えました
あの人数で
群像劇じゃないのは
どうかと思う
普通になんか
下手だよね
というかもう装置でしかない
人間が多すぎる
そうそうそうそう
この人にはこういう気持ちがあるんだろうな
みたいなのがない
これだったら鈴木ひろきに
ぽつねんやらせればよかったんじゃないかって思ってしまう
ぽつねんっていうのは一人芝居
いう感じでございました
最後に悪口言って終わった
最後に悪口を言って終わります
最近足腰があるなと思った作品は?
最近足腰があるなと思った作品ですか?
ノットインサービスの
緑色のストッキングですね
緑色のストッキングがめちゃくちゃ面白かったね
小上障子より安倍広報の方が好きだな
安倍広報めちゃくちゃ
あれだって時代を全然
しかもあれはよかったのは
そもそも安倍広報の著作権的な問題もあるんだろうけど
時代設定をちゃんとさ
明確にさ
当時の時代設定のままやっていたわけじゃない
そこがやっぱりね
非常によろしいですねって思いました
めちゃくちゃよかった
これもう見れないんだけども
見れないな
でも今年中にアレンジ版というか
ノットインサービスはみんな見たほうがいい
見たほうがいいです
それはぜひ行ってください
あとは
あなたが見てないやつでいうと
ジョン・ブーアーマン監督の脱出
これ自体は霊的最前線に盾を読んでいる
言及されていた映画なんですけど
これは超面白かったです
これは
あらすじを
なかなかうまく言えない
こういう話みたいな
感じでなかなか言えない
言うとするならば
映画や見解の共有
例えばひとコアみたいなことになっちゃうんだけど
面白さの本質そこにないから
これはもう見るしかない
見てる間中何を見ているのかわからなかった
これは非常に面白かった
1972年の映画なんですけれども
脱出
おすすめですね
これはね
え?何だったの?
っていう気持ちになりたい人には
強くおすすめします
これをどう消化すればいいんだろうか
ということだけで
多分もう1年ぐらい考えていられる映画だと思います
はい
もう2時間近いんで
今日は実りのある2時間だったんじゃないですか
せっかくダダコネってお便りもらったけど
来週
お便りとフィードバック
そうだお便りを読もうと思って
準備してたのに手元に
他のなんか
90年代のいろんな事件について調べてたら
すっかりあれしちゃった
お便りありがとうございます
読んでおります
ちょっと
次回かな
次回読みます
今日はね
力を借りなくても
2人で立てたから
立てない時に助けて
簡単なやつだけ読んどく
簡単なやつだけ読んどこう
お便り
多分エピソードのところに
載せたのリンクを
それでみんな行きやすくなったんじゃないかな
番組の詳細欄にしか載っけてなくてさ
やっぱりそもそもなんかやる気なくすんじゃないか
って
みんながスポーツファイルで
聞いてるわけじゃん
別に他にもあるんだけど
あるんだけどっていう感じ
なんだと思うんですよ
だからね
あれなんですけれども
8タソさんからねお便りいただいてます
前回の放送に対してね
猫の砂の音が入っていないか心配していましたが
その話をしてる間
シャリッと音が聞こえていたので多分入っていると思います
猫の挙動の音は癒されるので
そのままで大丈夫ですという形で
お便りいただいてます
こういうのもね我々音質にちょっとずつ
過敏になろうとしているところですから
大事なところでございますが
フィードバックありがとうございました
良いところですね
8タソさんからもう一個
チャットGPTの会話で
リアルタイムでね
あなたがチャットGPTの読み上げというか
してっていうのも面白いんじゃないか
っていうのもあったんで
やろうかなという風に思っております
っていうところと
このままいけば読んじゃう?
あとはハセマリさんからね
まだハセマリさんから
メサイアプロジェクトのDVDを借りたい
っていう話を
そのままちょっとまだ
いろいろね
流れちゃってるから
僕らはまだまだ借りる気満々ですよ
ということを言いつつ
ハセマリさんいつもありがとうございます
かけまえさん奥さんこんにちは
ハセマリです
最近はパソコンの画面ばかり見ている仕事が忙しく
疲れ目で老眼の影響もあり
物理的に目が痛くて
あまり本が読めていません
かけまえさんのあまり読めない日々は
読めないって言っているのにめちゃくちゃ読んでいてびっくりします
そんな中でも耳からの刺激と
癒しが得られるポッドキャストは
ありがたい存在です
そしてやはり一番好きなのはポリエテイクラジオです
これからも楽しみにしています
ではではということでもうありがとうございます
ありがとうございます
ありがたいです本当にありがとうございます
早くメサイアプロジェクト会をやらねばという気持ちになりますが
そもそも
歴史と人類の愚かさ
目もね
大変よね
でも私もちょっと目が悪くなってきた気がして
なんかでも
芝居を見るのに
目はなるべく
大事にしたい
大事にしたいっていう気持ちがありつつ
とはいえ
まあはっきり見えなくても
なんとなくわかるじゃん
次の問題は
トイレが近くなったらどうしようなんだよ
3時間の芝居通しで見れなくなったら
結構落ち込むなって思ってるから
いやそう
暴行止めはね
長い映画
長い芝居見れるうちに見なきゃ
本当にそうですよ
暴行は
牛の暴行を委嘱するとして
隔膜は
どの動物がいいんだろうね
なんで動物から撮るの
それも面白いんだよ
ブリンクリの方に出てくるんですけど
なんで
これはまたね
進化のみで話してるんです
つながってくるわけ
要するに人間が進化の
万物の霊長
なんだとすると
人間より優れた動物なんかいないだろうと
わざわざヤギとか猿とか
劣等な動物から
何か口岩を持ってくるのって
ちゃんちゃらおかしい
そうじゃなくて
屈強な若い男の口岩をよこせ
っていう人が出てくるんだよ
やば
確かに考えちゃったんだ
それは当然考える
当然考えるんですよ
当然考えるんだけど
考えた結果よりやばい話になってくる
ヤギの方が平和だったかもしれない
いや面白いんだよ
強烈なエピソードも色々
ぜひ読んでほしいですね
オススメ
今年出た本
まだ1月だしね
はい
というわけでね
レーシップと
最近レーシップじゃない本出たよね
ヤギの口岩
ヤギの口岩よりは
角度が高いかもしれない
ダメだね
僕コツゲスばっかり聞いてる
こういうこと言うとまたあまり読めてないと
読めてるって感じが
痛くなってる
しょぼしょぼするとかだったら
痛くなってきちゃうと
本当に読めないからね
なかなか難しいなと思います
最近すごいこまめに
それさせるのしてる
いいのかもわかんないけど
なんか最近さ
突然さハンドクリームちゃんと塗る
したらささくれが
なかなかだいぶ減ったもん
やっぱりやるときくんだ
やるときくんだね
目薬もさしたら目がよくなるかも
なるほど
じゃあコンプリーティブラジで今後も
そういう健康情報を募集しております
悩みの場合は
色水の処方をして
我々に
ブースで売る
我々が
我々に処方してもらう
積極的に騙されにいく
スタイル
それもいいかもしれない
あまり
ダメだよそういうこと
薬事法使いしちゃったって
大変なことになるから
ということで
健康で元気になれたというか
個人の感想です
明らかに間違っていますが
何百人死んでるの
何百人死んでるんだろう
あまり正確なデータはないんだけど
病院から
病院から予報になって出てきた
死体の数は分かると
病院から四つ四つ出ていった
あげく家で死んだ人たちの数は
正確には集計できないから
実際のところどのぐらいの人が
犠牲になっているかは
マジで怖い話ですよ
こういう話を
過去の人間って愚かだなぁ
終わらせられないのが
現実世界の
やばい話だよね
ブリンクリーは結局のところ
知事選に出て
妨害とかはあったにせよ
知事にはなれなかったんだけど
今さ
プロレスおじさんが
そのまま2期目の
2期目2が
2回目の当選を果たしちゃってさ
いるわけじゃん
なんか普通に笑えねえよなって
今の方はひどいのでは
でも本当に
オカルト氏だったり陰謀論の
重要視ってものを学ぶことの一つの功能は
特別人類が愚かなわけではないってことがよく
言うところかな
逆もだよね
今特別その歴史を踏まえて
人類が進歩しているわけじゃない
そういう言い方もできる
やっぱりあまりにもさ
ひどい状況を見ているとさ
もうおしまいだ
どんどん悪くなっているんじゃないか
っていうさ
愚かさが高止まっているんじゃないか
みたいなところでさ
思っちゃうところがありますけども
そうでもなかった
ずっとバカだわ
っていうことがわかる
バカだけど
まだ滅亡してない
っていうようなところがわかる
ずっと同じこと言ってるんだよね
っていうような気持ちになって
でも本当に100年スパンで
同じことしか繰り返せないのかよ
お前らっていう気持ちにもなりますけど
今の愚かさだけに
目を向けていると疲れてしまうので
100年くらい前の愚かさを
一度見てみると
100年後めっちゃこのぐらい
面白いノンフィクションが書かれるのかな
っていう
気持ちにはなれるんじゃないでしょうか
そうだね
ということで
終わりましょうか
ホイエテックラジオの相手は
わたくしかけない少女と奥さんでした
どうもありがとうございました
01:53:59

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