1. ポイエティークRADIO
  2. 第九十一回 向き合ってはいけ..
2022-03-28 1:02:27

第九十一回 向き合ってはいけないこともある。

向かい合ったり隣り合ったりしながら雑談の難しさや奥深さを雑談する回です。

00:30
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私柿内正午と奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
なんか久しぶりに今さ、挨拶するときちょっと緊張しちゃった。
うん、なんか緊張しちゃった。
なんかすごい格好つけちゃった。なんだろう。
なんか前回寝転びながら録音したからかな。
でしたね。
久々に縦になってるから。なんかすごい緊張しちゃった。
声を出すってのは怖いことなんじゃないかって思っちゃった。
それはフリじゃなくてマジのやつ?
うん、ちょっとマジで。
ああ、びっくりって思って。ちょうどいいじゃんって思ってね。
今日はね、気づいちゃったんだけれども、
なんか僕たちはあまり向き合ってこなかったなって。
うん。
いう風に思ってね。
うん。
いい意味でね。
うん。
あのね、録音するときぐらいなんだよ。
うん。
このお互いにね、こうテーブルを挟んでお互いにこう差し向かい。
ご飯食べてるとき?
ご飯食べてるとき。
いや、あの、外で。
外で食べるときはさ、またちょっと違くなる。
ご飯の話しかしないしね。
てかご飯見てる。ご飯見てるじゃん。
うん。
だから録音するときぐらいなんだよ。この感じ。
まあ確かに。しゃべるために向き合ってるよね。
そうそうそう。っていうのがね。
これ面白いなって思ってさ。
さっきね、あのさ、昼食べてるときにさ、
なんとなくこの向かい、普段横並びだけど向かい合って食べてさ、
おしゃべりを始めたじゃん。
そこで喋ってた内容も含めてさ、
全体的になんかこれ録音でやってるみたいって気持ちになったんだよ。
うん。
なんでだろうって思ったの。
うんうん。
そしたら向かい合ってるからじゃないかって思ったんだよ。
で、実はご飯食べてるときもさ、ご飯の話しかしないんだよね。
うん。
その、なんかちょっと込み入った話とかさ、
ちょっとなんか、あのー、
頭使う話ってさ、帰り道さ、
一緒に横並びで歩いてるときにするんだよ。
そうだね。
っていうのもあって、
なんか対面って人と喋るのに向いてないのではって。
っていうのがね、今日の僕のこう、議題ですよ。
おお。
うん。
あのね、なんていうのかな。
私…
どうぞ。
一緒に暮らしだしたときに思ったよ。
うん。
03:00
なんかそれは、
まあ、こういう物理的な向き合いもそうだけど、
その、平等生活における課題に対して、
向き合って、あの、私とあなたが向き合っちゃダメじゃん。
ああ、そうだね。
同じサイドから課題に、
二人で同じ方向、その課題方向に向かって、
向き合わなきゃいけないのであって、
人間と人間が向き合うことは、
だいたいネガティブなことしか起きないから、
だからその今までの、
あのー、
今ってことね。
その過去の交際相手と行っていたことっていうのは、
その、
人格と人格を向き合わせるようなことをしていて、
だから課題を挟んで、
相手の人格に言及するみたいなことが、
発生してたけど、
あの、共同生活においてそれは、
本当に不毛。
そうなんだよね。何分?これ。
4分。
あ、嘘。2分。
2分?あなた眉カッパあんの?
何?
じゃあ撮ってきて。
じゃあ撮ってきて戻ってきたら横座ろうか?
そうだね。ってわけでね、もうね、
向かい合っちゃいけないんだっていうね、話で。
あと今もこれさ、お茶入れながら喋ってるじゃない?
これも結構大事でさ、
そのなんていうの、
どうしても結論を出さなきゃいけないことに関しては、
なんかもうスラッグでやりとりするのが、
実は一番良かったんだっていうのはさ。
すんげー曇ってる。
すんげー曇ってるね。あるわけじゃん。
うん。
なんだけど、
あれもなんか一つのさ、もうその、
対面にならないための一つ。
スカッシュだよね。
そう、スカッシュだよ。
直線の壁に向かってこう打ってくる。
スラッグという壁を。
そうそうそう、みたいなことじゃない。
だから、何なんだろうね。
今もさ、そのさ、
お茶入れながら喋ったりとかさ、
要するに相手にさ、話をさ、
真正面から受け取らない工夫をよくするじゃない、僕ら。
だから僕ら真面目な話をする時ほど、
片方なんかさ、ずっとツイッター見ながら喋ってたりとかさ、
もうほぼうとうとしてる時に聞いてたりとかさ、
そういうことをするじゃない。
あれ一個の工夫だなって。
あー、うん。
顔を見て喋らない。
あ、そうそうそうそう。
基本的には私は、
あの目線がちゃんと来てないで喋るの嫌いなんですけど、
聞き取りの問題とかもあって、
でも真剣な話をこう、こう、なんていうの。
マジでね。
マジで。
やるとね。
やると、なんかだいたいよくない。
そうなんだ。
イライラしかしない。
そうなんだよ。
相撲はとっちゃいけない。
06:00
うん、そうなんだよ。
みたいなね。
みたいなね。
感じがしてね。
でもそれ全体的に言えることだなっていうかさ、
真面目な話真面目にするのって一番ダメというか大変じゃん。
あ、だから真面目な話を真面目にしてくれるか、
してくれているかどうかを、
なんかその話の内容以外から読み取ろうとしちゃうんだよね。
あー、うんうん。はいはいはい。
その言語や意外を使ってやろうとすると、
っていうのがあるから顔は見ない。
そうね、今顔見てもいいんだけど。
あ、でもなんか面白いというか、
今思うと、一緒に住むってなった時に、
私実家から父がね、老人時代から使った茶舞台を、
丸い昔ながらの茶舞台を持って行ったんだけど、
あれは一つ良かったのかもしれないね。
あ、そうだね。四角いテーブルじゃなくて丸いね。
そうそうそう。
そうだね。でもそういうことなんじゃないかって思うんだよね。
なんかもうすでにその風景自体がないけどさ、
例えばね、夕飯食べる席でテレビがついててさ、
みんなテレビ見てるみたいなのに対してさ、
僕らが子供の頃は批判が多いというかさ、
ちゃんとそれを食べなさいみたいなのがあるわけじゃん。
うちもそこはテレビ見ない家だったけど、
なんかそれは一個必要な干渉剤でもあり得るんだよなっていうね、
ちょっと思ったっていう感じですね。
だからね、いつだって向き合えばいいわけじゃないなって思ったよっていうのと、
向き合うとポッドキャストっぽくなるんだなっていうのを同時に。
じゃあ今までのポッドキャストの8割くらいはポッドキャストっぽくないってこと?
そうは言わないけど。
リビングで撮るとき以外はさ、漫才形式なわけじゃん。
横並びで真ん中にiPhoneが置いてあってっていう。
そしたらだいたいリビングじゃないところで撮るじゃん。
いやでも、むしろポッドキャストは横並びなのか。
ラジオっぽくなっちゃうと対決になっちゃう。
その通りなんだけどさ。
別に対決するときは横並びでも対決するけど。
09:02
じゃああんまり関係ないね。
ちょっと今綺麗にまとめをしすぎた気がするね。
でもなんか緊張する。
でもさっき対面で喋ってたときの方が喋れてた気がする。
でも喋れるのは対面かもね、確かに。
今横並びで喋ってるとさ、横並びの場合話が膨らまないでずっとうだうだしてる。
でも前にいると推進力があるというか。
やっぱりさ、リビングで喋ってるときの方がさ、攻撃力高くなりがちじゃん。
高くなりがち。
なんか頭が働く弊害みたいな。
でもそれはあるのかもしれない。
頭が働くけど別に俯瞰はできないから、なんかすごい平行線の議論に対してフラストレーションが溜まってなんか嫌悪になるだけなんだけど。
だからウィットに富んだ会話ができるっていう話じゃなくて。
確かにね。でもそれはあるかもしれない。
だからどっかに行こうとする力は向かい合ってた方が。
だからまあ本当にそういうことね。
なるほどね。
特にもうこれ以上進展しないかもね。
さっき何喋ってた?
なんかさっきもうちょっとなんかこう、これ喋れんじゃないかって思ったんだけど。
あ、でも壁打ちの限界みたいな話してた。
あーそう、さっき話してたのは。
5月にね、南森ましさんの主催で、セルトンの日常的実践のポイエティックの読書会が開催されるんだけれど。
その読書会のね、ディスコードでやるんだけど。
そのディスコード上にもう参加しますよって人たちが集まってて、なんか雑談形式ディスカッションみたいなのが先に始まってるみたいなのがあるんだけど。
なんかもうそこすごいね。
まあそのなんていうの、プレイヤーとしては僕と南森ましさんとなんかもう一人。
これは参加してるって言っていいのかよくわかんないから一応ぼかすけど。
なんかねすごい活発なんだよね。
日に何千日とやりとりがなされてるみたいなところがあって。
すごいなって。
なんかね久々に健全にね、インターネット上で人とコミュニケーションが成立してるみたいな気持ちになってさ。
面白いなって思ったんだけど。
自分でこうディスコードとかもやってたりするときにさ。
なんかどうにかなんないかなと思って色々ね試してみるんだけど。
どうにもなんないんだよ。
なんなんだろうって思ってたの。
なんだけど。
日常的実践のポエティックの読書会サーバーでは、日常的実践のポエティックの話をしてればいいから。
12:04
なんか応答がある。
その応答に結構ちゃんと熱額を持ってるというかさ。
ある程度の文字数書いてくれてて。
それに対してこっちもたくさん返してみたいな感じで。
たくさん返していいかなみたいな。
遠慮とかじゃなくて。
まぁスルーされたらスルーされてもいいやってとりあえずボーンって出して。
それに対してこう返ってくると、
おー嬉しいなみたいなことがあるみたいなさ。
なんか要するにね返事をしてくれる人が大事だっていうことなんだよ。
だから物事において返事をしてくれる人は超大事っていうことを改めて思ったね。
受け手が全てを決めるじゃないですか。
基本的にコミュニケーションって。
そうなの。
だからあの私の趣味の話で言うとやっぱり
無反応が怖いっていうのを言ってることで
なんかここちょっとよくわかんないとか言われた方がまだマシ。
やっぱりスルーが一番怖い。
だからその議論、活発な議論をしたいと思ったらテーマは絞られてれば絞られてるほうがいいし。
例えばさ、本の話とかさ、音楽の話とかでさ、やっぱりカテゴリーは作るじゃん。
けどさ、なんかこう、そのジャンルわかんねーわって言われたら、言われすらしないわけじゃん。
ああいう文字ベースのものってさ、スルーされるだけじゃないですか。
なんかね、スルーされてもいいもんねという強い心を持って初めてインターネットの海に漕ぎ出せという話もあるんですけど、
でもさ、なんかそれでいいんだったら別に虚空に向かって呟いてればいいじゃん。
そうそうそうそう。
それはなんかつまんないから。
だからその、万が一の出会いを期待してやっぱり発信する以上、何かリアクションが欲しいと思うのは別に人間の差がじゃないですか。
そうそうそうそう。そうなんですよ。
だからアクションはね、リアクションがあって初めて成立するっていうさ、当然の話、ちょっと別の話なんだけど、っていうのを思いますね。
コミュニケーションにおける役割の行使っていうのもさ、受け手がそういう、発信者が私はこういうキャラクターでいきますというのを受け手が認めてくれなければ、
ああ、マジでそれな。
ただ滑るわけじゃない。
15:01
マジでそれな。
だから本当にさ、それはさ、僕とかはすごいよくわかるんだけどさ、僕は明確に地元を出たっていうところでさ、キャラチェンジがしやすいわけですよね。
簡単に言うとね。
このチャンスをどうするかっていうことがあるよね。
やっぱりそこでさ、ずっと実家で暮らしていることに対しての危機感というかさ、
どこにあるかというと、別にそれを言われる言われないを置いといて、すごい、
いやお前そういうキャラちゃうやんって言われちゃうことに対しての抑制があるわけじゃないですか。
なんかすごいこうそういう、なんていうの、そういうのじゃなくて、今ここではこういうのでやりますよって言われたりに対してまず最初に承認してもらえるっていうのがすごい大事だなっていうね、思っているんですよ。
だから僕が書きない称号っていうさ、謎のペルソナをさ、作ってるのもさ、割れその機能を果たすなと思って。
高校デビューとか大学デビューとかいろいろあるじゃん。なんかだからそういうツイッターデビューというか、なんかリトルプレス制作者デビューというか、なんかそういうその、
だからそれまでのだからブーム役からすると、いやお前そういうキャラちゃうやんっていうところを自分に許せる一つの契機として名前を出てあげるっていうのはあるよね。
でもそのキャラクターというものをね、人生においてうまく使ってこれなかった人間なわけですよ、私はよくご存知かと思いますけど。
なんかね、それとその自分の呼ばれ方を未だにうまくなんだろう、これがしっくりくるみたいなのが見つけられないままこの30年以上生きてるっていうのは無関係じゃないなって思う。
あーそうだね、いやでもねそれはねすごいね、面白いよね。
なんか友達がいたサークルのね、これ1ミリも本名にもなんかその過去のエピソードにも引っかからないんだけどリサって呼んでくださいって突き通してリサって呼ばれてた子がいるらしいんだけど、いやかっこいいわ。
それが別になんか印象と合ってなくて滑ってるとしても、実際なんか滑ってんねって言われてたみたいだけど、でもそれとさ、それをやろうっていうさ、気合はさ、別というかさ、すげーなとは単純に思うじゃん。
18:02
でもその、じゃあこう呼ばれたい、こう呼ばれるようなキャラクターを自分で作っていこう、でちあげていこうみたいに思える方向性自体がないまま生きているので、
これなんだろう、まあ私は今一番呼ばれるのは奥さんだけど、まあてか奥さん以外って呼ぶ人がね、本当に中高の友達と親戚、まあでもそれ以外の人と喋らないからね。
でなんか、じゃあ別に本名のね、名前呼びにしっくりきてるかっていうと、もう全然ずっと特にしっくりきてないから、
まあ旧姓名字呼びが一番慣れてる、慣れてるってか違和感がない。
誰ってならない。
だけどなんかね、別にさ、そのハンドルネーム的なものを持っていたりもするけど、なんかそれもなんとなくでつけてるだけで、
なんかそう呼ばれたいと思うようなパルソナーを試行してるわけでもないし、あと特に切り替えられてないしね。
だからあらゆるアカウントがロムセンになってくるのはそういうことじゃん。
別のパルソナーでも発信をしていこうって思っても結局パルソナーの切り替えを習得できないままいるから、ずっとロムセンっていう変わらなさはね、
どこで学ぶんだろうと思う逆に。
こことここでは自分が違うスイッチの切り替えがあるみたいなのをさ、やっぱりその社会生活の中でどこかでみんな学んでるわけじゃん。
まあどこかで学んでるわけだよね。
私はきっとその学習機会はあったけど気づかなかったんだろうね。
なるほどね。
いや面白いよね。僕は極端にスイッチングがあるからね。
そう。結構ね、びっくりしてた。今もたまにあるとびっくりする。
でもあなたはスイッチングしなくなったりできなくなったわけじゃなくて、私がそのスイッチングを見ちゃうとなんかヒッてなるから、私を優先してくれるようになっただけじゃん。
21:09
そう。僕にとってスイッチングって意識的にするものじゃないから、今だからかなり。だから幼少期のトイレトレーニングダメの無理をしてるところはあると思う。
いやもうだいぶ身についたけどね。
いやだからね、面白いよね。
だからあなたからさ、私は例えばさ野球しない人じゃん。でもあなたは野球したいじゃん。具体的な野球じゃなくてね。その私がいない遊び。
そういうことね。
そう、で野球友達もいるわけじゃん。野球友達とは野球友達としかしない会話があるわけじゃない。でさ、私は仲間外れなわけじゃないじゃん。別に野球したくないんだもん私は。
そうだね、そうだね。
でもなんとなくさ、ちょっとつまんない気持ちになったりするわけじゃん。
だから私は私であなたが介在しない何かペルソナなりコミュニティっていうものを持ちたいなっていう気持ちはずっとあるけど、別にあなたがいるいない関係なくペルソナの切り替えができないから、もうずっとずーっと自分のままなんだよね。
だからそれは面白いよね。だから僕はペルソナの切り替えが一つのリフレッシュじゃないけどさ、その別の側面が出てくることによってその普段の僕のありように、空気の入れ替えがあるじゃないけど、なんかそういう気分転換がそれこそなされるみたいなところに結構救いがあるじゃないけど。
だからその時よりあなたとじゃないコミュニティに入ってそこで全然違うことを言って帰ってくるみたいなことができないと全部ぐじゅぐじゅになるみたいなところがね、あると。
で、あなたはどこに行ってもあなただから。
なんかすごいねって言われたもんね、結構その暮らしだしてぐらい。
いやすごいなって思う。
だから私の実家に行っても、どこ行っても、
あなたはあなただからね。
私変わらないから、私が言いそうなことしか言わないでしょ。
すごいなって思う。僕それはできないもんな。
いやでも、できた方がいいと思う。
できすぎるのもやっぱりそれはそれでさ、っていうところもあるわけじゃない。
24:08
だからあなたはあなた。
あなたのそのなんか別にその意識的にやってるわけでないにせよ潔さには結構なんか、
おおって思う。
言葉が介在しないところだったらもうこの場は流されようみたいな気持ちで、
なんかこう切り替えはできないけどオフにすることはできて。
なるほどね。
ジムでめっちゃ追い詰められるという時とかね。
そのなんか自分から逃げ方が、言語を介在するともうできない。
あとはそのなんか自発性とかさ、なんか普段話しかけない人に話しかけてみようとかそういうのが発生すると、
すごいどうしたら、もうこのどうしたらいいんだろうという自意識がさ、元の人格のままなので。
なるほどね。面白いね。そうか面白いね。
だからあなたはさ、ちょっとさ、こう社交性強めのペルソナに付け替えてる時はさ、
なんか普段関わらんそうな人に話しかけてみようとかするじゃん。
してさ、なんかそれなりに盛り上がってさ、なんか仲良くなって帰ってきたりするじゃん。
でなんか今度はこれの読書会をすることになったみたいなさ、あるからなんか、すげーって。
でもなんか面白いね。なんかさ、あなたさ、英語すごい苦手だったって言ってたじゃん。
今も苦手だね。
いやそう、それも近いもので。
テレね。
いやテレとかじゃなくて、新しい言語の取得っていうのはさ、要するにその新しい言葉の獲得というか、
まあなんていうんだから、出力する言語の切り替えなわけじゃん。
出力する言語の切り替えっていうのは、今までの話で言うとペルソナの切り替えと同じような意味なわけじゃない。
だから、あなたの中にその言語以前というかそのあるさ、あなたっていうものを出力する口が、
日本語しかない。
なんというかね、その出力する口がその内側に駆動しているものの方にかなりすでにもうべったりとくっついているから、そもそも切り替えようがないというか。
元と出力とはそんなに離れてないんだなっていう感じがする。
なんかなんていうのかな、僕が英語を勉強している時っていうのは、英語で考えたり英語で喋ったりする時の自分っていうのは、
そもそもそれが英語側に人格が乗っ取られる感じがするから。
言うよね。
そうそう、それは自分の出力の仕方をそもそも変えるじゃない。
27:01
だから、2.5次元舞台版と漫画版と映画版ぐらいの違いが自分の中にあるわけ。
面白そう。
で、これが英語みたいな分かりやすい形じゃなくてもあるんだよ。
社交的な語彙の僕。
ジョッキーカップのテシマを始めた。
そうそうそうそう。
ジョッキーとマグカップみたいなの。
初期の荒北とみたいなことがこうさ、切り替えが多分あって。
僕はだから気分転換になる。
そもそも違う、一個の自分にずっとこうべったりくっついてると疲れちゃうから、
切り替えて別の質量から自分を出してみると、なんかいつもと違う感じになれる。
でもそれで言うとね、
なんかこんだけ大学時代に4つぐらいプログラミング言語の入門やってて、
これでどれもそこそこ入門は余裕で走り切るみたいな。
これができてなんで英語ほんと無理なんだろうって思ってたんだけど、
でもプログラミングの勉強をするときに私、課題がないとできないの。
自分でこういうの作ってみようって言って作ってっていうのがよくある。
一番近道だけど、それを考えられなくて何も作りたくないわって。
だからプログラマーやってて、
自分の私生活でもそれを演用してエンハンスするみたいな趣味プログラマーいるじゃん。
できないっていうか、それこそプロレスと読む生活の感想を英語させないでいいようにとか依頼されたらできるけど、
自分から出したいもの作りたいものっていうのがないから、
プログラミング言語はできるけど、英語はそもそも喋りたいこと。
喋りたくなかったらさ、モチベーションなんかないじゃん。
喋りたいとか読みたいとかね。
っていうのはね、ずっとついて回ってるなって思う。
大学時代に美術やってたけど、高校美術部だったけど、
別に自分から表現したいものとかないから、ずっと模写やってたし、
美術も演出からこういうのをやってって、やってって言われたことに対してちょっとひねるとか、
もうちょっとこういう風にしたいとかでアイデア出しを持っていくことはあったけど、
基本的にはもう言われたことと予算の調整が8割みたいな感じだった。
30:09
だから割とその同期はさ、そのままデザイン事務所行ってる子とかもいるし、
だから結構自分のやりたいことがあって、
それと合う主催とマッチングしてみたいなやってたけど、
私はそういうのが全くなかった。
自分がないみたいな言い方を、シンプルな言い方をするならそういうことだと思うけど、
でもその割には割と癖があるじゃん。
なんだ?
面白いね。
なんだろうね。
別に言いたいことなんてある人そんなにいないんじゃない?
じゃあよくそんな喋るわね。
僕が喋るのは単純にさ、
それこそあなたは依頼とかさ、課題があってやるみたいなこと言ってたじゃん。
それって言うと僕本読んでるけどさ、
本って要するにその課題がたくさん蓄積していくんだよね。
はいはいはい。
自分の中に。
だから最初にそもそも本読んでる自分の能動的なあれじゃんっていうのはあるかもしれないし、
それを最初に手に取ったらなんでとかはあるかもしれないけど、
あんまりその辺的に多分なんとなくというか、
手文字無沙汰だから文字とか読むから始まってるはずなんだけど、
なんか読むとさ、なんか課題というか、
もうちょっと分かりたいこととかね。
そうそうそう。
もっとこういうふうに積み上げていけんじゃねみたいなところが、
いろんな方向に出来上がっていくから、
実は僕もだからなんていうの、
自分らしさじゃないけど、
だからその自分の内側から枠をやむにやまれる何かっていうよりは、
単純にそのこう、
インプットしてるものの中からなんか出てくるものがあるみたいな話なんじゃないかと。
でもそれで言うとインプットの圧倒的な少なさあるよね。
いやでもだからあなたそれこそ2.5次元系の話はさ、
他方面からするわけじゃん。
俳優カットでもするし、演出カットでもするし、
それこそいろんな角度からいろんな話を出来るわけじゃん。
だからそれこそなんかもう単純に、
欲しいみたいな話も出来れば、
なんかこの舞台はこういう文脈があってっていう話も出来れば、
みたいなところで言うとさ、
もうそこである意味、スイッチングがある意味あるんだよね。
だからなんかそういうこと、
なんかそういうのもあるのかもって。
そういうのもあるかもね。
だから内面が豊かというよりは、
単純にこう積み残しの課題の抑え。
積み残しの課題の抑えなあ。
33:03
でも確かにそういう意味だと本はね、便利よね。
あ、そうそうそうそう。
なんていうか。
その話題のさ一家制っていう意味だとさ、
そうじゃないじゃん。
もう100年以上前から積み上げられるものであったしさ。
そうそう。
なんか、
ね、なんだろう。
あらゆる話題に対して先行研究が、
先行研究があるみたいなところもあって。
なんかやっぱ舞台、
シェイクスペアとかチェイフォフとかならないとさ、
なんか積み上げ、
そもそもその再現性がないことが芸術性のうちにあるみたいなもの。
まあだから、
それもさ多分今揺らいでるけど。
そうね。
うん。
なんか、そうね。
でも本当にこの、
何?
この2年?
うん。
だもんね、天皇舞台やたら見てるの。
そうだね。
映像でばっかり見てるからね。
そう。
うん。
いやだって、その前上がってたんだもん私は。
そうだね。チケットも取れないしね。
チケットも取れないし。
だからね、本当生で行ったのになって、
ヨーペダが最後ぐらいの感じだったのに。
なんか戻ってきちゃったけど、
結局別に配信でばっかり見てるし。
いやだから面白いよねって。
うん。
うんうん。
本当にね、でもさ、
その内面の豊かさとかさ、ぶっちゃけないじゃん。
ないないない。
みんな虚無で。
みんな虚無じゃん。
うんうん。
なんかでもその中でさ、なるべく優しい虚無でいたいとかさ、
なるべく理智的な虚無でいたいとかっていう方向性があってさ、
その方向性に従って何かを摂取した結果さ、
こう積み残しがあって、
それをゲーってしてるわけじゃん。
そうそうそう。
いやでもなんか、あなたと話してるとたまに絶望的な気持ちになるよね。
その僕がいろいろとさ、
読んである程度積み上げてきた仮説をさ、
披露するじゃん。
例えば10冊ぐらい読んだ後の仮説を披露するとさ、
その1冊も読んであなたはさ、
その僕の動作をさ、
にちょっとさした動作で返してくる。
あ、そっちの絶望?
解釈が浅すぎてひーって思う。
まあそういうようなパターンもあるよね。
あんまりそれはない。
だってあなたの解釈の浅い深いはあんまりなくて、
単純にあなたと共通のコンテクストと
共通のその語の定義ができてないっていうことはあるけど、
例えば分かりやすいところで哲学的に言うと、
36:00
あなたの解釈の浅い深いはあんまりなくて、
単純にあなたと共通のコンテクストと
例えば分かりやすいところで哲学的に言う他者とさ、
一般的に言う他者って別の意味じゃん。
単なるものなのか他の人なのかっていうところで
すれ違いが起きるとか、
そういうことがたまにあるかもしれないけど、
だからそのぐらいでさ、
むしろなんか僕がわーわー言ってることに対して、
すごいもっと端的にこういうことでしょってまとめた上で、
もう1個乗っけてくるみたいなことをさ、
してくるわけじゃない?
だからなんていうの、
それをつまり本を読むことによる蓄積にっていうのは、
あんまり関係ないんだなっていう。
それこそだからそれと、
それを僕が何か咀嚼したものを奥さんにインプットしてしまえば、
もうそこの時点でそのインプットに関しては
等価になるんだよなっていう。
それはまあちょっと言い過ぎだと思うけど、
でもなんかその大学に行く意味ってさ、
専攻研究をめちゃめちゃ網羅した先生のさ、
話をさ、
1時間半ちょっと聞けるっていうところにあるわけじゃない?
例えば。
その、
俺たちはラブクラフトを読んでなくても
ナスキノコは全部読んでるみたいな話だったりさ、
だからそれはあなたが10冊読んで発行したぬかどこから
ひょいって出来上がったぬかつけ出してるだけだから、
それはなんかまあ、
それはなんかまあ、
あなたがむしろよくまとまってるっていう話だとは思うんだけど、
でもさ、なんか最近それ少ないよね。
なんか前はもっとこうトリプルAを、
いやだからそれはどっちかというと、
どっちかというと僕がねぬかどことしてね、
今ね、あんまりね、
だいぶもう酸化してるんだと思う。
そうなのか。
だってあんまり問いがないんだもん。
あー、もう分かっちゃった?
いや分かってもいいのなんだよね。
理解っちゃった?
いやだからもうなんか停滞してる、自分の中に。
なんか多分ちょっと次のフェーズに行っちゃってる。
入門のさ、ちょい先に行って、
今苦しい時期というか成長局際になっちゃってる。
今ちょっと真面目に勉強しないと、
次に行けない時期に来てるなって思うの。
自分でも。
この3年くらい、
あんまり私がそういうこう、
バンって。
だからちょっと地味になってきたんだよね。
読書がね。
だからそういうそのこう、
ディティールを詰めていくレベルになっちゃった。
格論に入ってきた感じがあるっていうのは、
だからちょっと盛り上がりに欠けるんだよなって。
やっぱりさ、入門って楽しいじゃん。
その入門のワクワク感じゃなくて、
なんかこの先行こうとするとしんどーいみたいな。
そこは行きたくねーなーって。
だから今もう全然関係ないことやるほうがいいんだよね。
全然違うものに入門したい。
あなたは今何の文化性なの?
いやでもそれもね、
ちょっとね、よくわかんなくなってきた。
っていうところがあるんだよね。
39:00
てかね、なんかちょっとね、
よくわかんなくなってきたんだよね。
あなたは何読みなの?
だからね、なんていうのかな。
ポストモダン好きなの?
ポストモダン、広く人文好きだね。
あ、で、なんかね、
その人文学好きだなっていうところからさ、
例えば60年代とかになってくるとさ、
演劇的なものとさ、文学的なものとさ、
哲学思想っていうものとさ、
運動かつ政治運動みたいなものと、
密接に邪魔でになっている闇だめみたいな状態の時期があるわけじゃないですか。
要するにそのこう、
当然みんななんかそういうこう、
なんか読んでるみたいな世界がさ、
本当にあったかどうか知らないけどさ、
あるわけじゃない。
やっぱりそこに対して憧れが強いんだと思うんだよね、自分としては。
だからなんか純粋に理論だけを追求したいわけでもないし、
どっちかというとそれをもとに、
なんか演劇とかなんか別の形でそれをこう、
やってみせるみたいなところの方に関心があると思っていたんだよ。
あ、だからやっぱりリアル兄弟バーサスミシマをやりたいみたいな。
あ、そうそうそうそう。
あ、てかまあ普通に何か単純に言うと、
それこそ寺山の実践とかっていうのはさ、
演劇活動だからっていうよりは、
そこに対してだからいろんなコンテストがあるわけじゃん。
文学的な方から評価する軸もあれば、
それこそ東北っていうものに対しての軸もあればいいねんところで、
なんかそういうその、
なんかいろんな文脈を集約するものとしてやりたい、読みたいし、
みたいなところがあったんだけど、
特にこの2年はね、そこがよくわかんなくなっちゃったんだよね。
なんていうのかな、
元々僕が会社員ってわざわざあいつと言ってるのも含めて、
実はその役に立つか立たないかがその話じゃなくて、
そもそも一つの位置表現として、
なんかその生活スタイルっていうものを練り上げていくみたいなことが、
一個それこそこうその野外劇的なノリで自分の生活をやっていくみたいな、
明確な意識があって、
だからある意味そのどうやって日々のビジネス的な文脈の中に変な人文書を差し込んでみるかとか、
逆にめちゃくちゃこうビジネス寄りの文脈で無理やり人文書を読んでみるかとか、
そういうところに楽しみを得ていたわけですよ。
なんかそれがよくわかんなくなっちゃったんだよね。
よくわかんなくなっちゃったっていうのは多分ね、
ビジネスがあんまり面白くなくなってきちゃったんだと思う。
ビジネス的な文脈で物語るのが。
それは単純にね、
最初の緊急事態宣言あたりで、
具体的ななりわいが、
普通に単純にこういろんな人のお店が閉まっちゃうとか、
そういうこととしてなりわいが停滞したタイミングで株価が上がったんだよ。
あそこでもうなんか金融とかしかないんだって思っちゃった。
42:03
結構そこでもすでにその、
具体的な日々の実践に人文字をインストールする云々とかっていうよりも、
単純に空想のマネーゲームとしてしか市場は動いてない、
だなっていうのがはっきりしちゃったタイミングで、
もうなんか、くだんねってなっちゃった。
でもそこどうでもいいわみたいな。
だからもう会社員として、
何かちょっと変な会社員になろうっていうモチベーションがそこでちょっと、
そがれちゃったというか苗れちゃったんだよね。
で、そういうタイミングでプルストを読む生活が出て、
で、穂坂さんとお話をしたんだよ。
これ多分やっぱり大きくて、
穂坂さんと話した時に、
やっぱりね、ちょっとね文学なんじゃないかって思ったんだよ。
俺はこれからは文学なんじゃないかってちょっと思ったんだよ。
それは未だに特にそれはなんか実践してるわけじゃないんだけども、
なんかやっぱりそこで話してる時に、
なんか自分がやってたのはだからある意味ちょっとそのこう、
チャラいビジネスだったり、
どちらかというと、
実学の方向で話をしている半端ものっていう自己認識だったんだけど、
なんかね穂坂さんと話すのすごい楽しかったみたいなとことかあった時に、
僕そんなにそもそも実学というか役に立つこと好きじゃねえんだよなっていうか、
まあれいかちゃんは紙見てやってる時点でそうなんだけど、
だから自覚しちゃったの。
めっちゃ文学的な寄りの感性だったじゃん、もともとっていうことに。
気づいちゃった瞬間にね、
なんかもうよくわかんなくなっちゃった。
気づいてなかったの?
あ、そうそう。気づかない。
だから多分無自覚に、
コテコテ文学側の感性なんだけども、
なぜか自己認識として、
ちょっとビジネス志向みたいなところに寄せていこうと頑張ってたから、
なんか元気があったんだけど。
もともとがさ、もうそっちじゃない。
思考として。
だからこそ大学では実学寄りをやらないと、
一生やらないからやろうとしたし、
いっぺんサラリーマンやっとかないとやばいから、
とりあえず就活はしようみたいなところがあったじゃない。
そこまで予防線を張っておきながら、
特に気づいてなかった。
気づいてなかったんだよ。
てかなんだかんだ上手くやれちゃったなっていうのもあったからね。
今見失ってるの、高校生を。
だから僕が志向でかく喋るのもさ、
あれは実はさ、
単純に実学的な世界をあえて文学的にさ、
誇張表現として読み解いていく遊びなわけじゃん。
そもそも社会的な興味がなくなってきたなって。
そんなところにいなくていいんだよ。
45:00
てかなんだろう。
これ単純に山の尺なんだと思うんだよね。
みんなあらゆる国の社会的文学の中で読もうとするじゃん。
なんかこの描写はこういうイシューを
なんか表しているんだみたいなさ。
なんかどうでもよくなっちゃった。
そういうのが。
飽きたんだね。
いや飽きたっていうかね、
てかなんか先にそれやってた。
時代を追いついちゃった。
てかね、みんながやってなかったくらいだったんだよそういうの。
だからなんかどうでもいい、
それこそだからこの前のゾンビ映画とかもそうなんだけど、
あれは感謝だから誰もまだやってないと思ってるからやってるんだけど、
なんかそのポップカルチャーみたいなところに
あえて社会的な文脈だったり
その人文知の文脈をあえてそこに強めに読んで
こう、これがこういうことなんだっていうことをやってたんだけど、
で、それ新鮮だったの。
なんかまだ。
ちょっと前までは。
なるほど。
だけどもうなんか今もうみんなそうだし、
例えばNetflixオリジナルものとかはさ、
もう明らかにそういう文脈で読まれることを
意識して作っちゃってるじゃん。
そうだね。
なんかそうなってくるとね、
もうなんかみんなやれることになる。
それやる人なくなってきたなって。
まあだから、
その最近の流行りでいうこう
流行ってる作品かどうかが
考察班がワークかどうかみたいなところがね。
そう。
でもなんか、
それこそ私がいた学部ってそういうことする学部だったじゃん。
そうね。
で、その中で私はさ、
ゴリゴリの私学行ってるから、
そりゃあそれであんまり無職だったんだけど、
でもやっぱその、
周りでその同じ学部の
あなたがやってたようなね、
考察班的な文脈解釈とか、
まあだからなんていうの、
フロイトの文脈で何とかを読むみたいな、
そういうのをやって、
そういう授業がたくさんあったんだけど。
だから、
なんかその当時は、
それのね、
こう、福留園を吸ってるだけで
おもろーって。
そうそうそうそう。
だし、なんか結構格好だけだったら
簡単に真似できるんだよね。
そうそうそうそう。
それがやっぱり一層ともさ、
魅力なわけじゃん。
そう、楽しい。
なんか一回新しいオモチャを見つけたなってな。
いや、そうなんだよ。
だから本当にね、
そのね、
フロイト的読解って言うとあれだけど、
その精神分析的にさ、
テキストを読むみたいなことはさ、
今もう、
あまりにもみんなやりすぎちゃう。
いやなんかもう、
みんなやってる遊びになっちゃったから。
そう、だからそれもやっぱり一つの反動。
それが穂沢和志さんがやってるようなこととかっていうのは、
要するにその精神分析の裏読み裏読みっていう、
作者の無意識すらも解体して、
全てを白紙に晒すことができるんだっていう、
それが精緻な読み方なんだみたいな、
48:01
当時の、
分析的な読みのブームに対して、
バカじゃないの?っていうか、
なんていうの、その、
だから本当にただ目の前で猫はゴロゴロしてるんだっていうことは、
そこの猫に無意識をだったり、
精神分析をかけてもしょうがないでしょって、
猫はゴロゴロしてるんだよっていうことを、
ちゃんと書くっていうことをした人だと思っていて、
なんかね、そのね、
本当に文字通りに受け取るしかないけどさ、
そういうものの見方で、
物を楽しめなくなってきてる気がしてね、
その世の習性がね。
だからそれに対して、いや、
やだって。
だから最近僕、役像映画とかさ、
暴力映画めっちゃ見るじゃん。
あれは何でかっていうと、
圧倒的暴力っていうのは、
ゾンビもそうなんだよ。
圧倒的暴力だったり、
圧倒的な身体破壊っていうのは、
意味ない。
ないね。
圧倒的に暴力だぞ。
だからそれ見ると結構だから、
もうほっとするというか、
もうそこで、
もう受け取る以上のイメージがない。
もうそこで停止するから。
暴力っていうのはすべてを停止させるから。
そうだね。
はー、暴力だった。
あー、でもだから、
そういうことだよ、たぶん。
私がその、
非言語コミュニケーションでしか
自分から逃げられないというのは。
だからやっぱり言葉を停止させる必要がある。
そうそうそうそう。
そうなんだよ。
それは、分かるかもしれない。
いやなんかね、
破壊しかない。
じゃん。
昨日も、
ね、
暴力見たいって言って、
暴力映画見てたけど。
そう、見てた。
ファイオね。
ファイオ。
悪魔に育てられた少年。
最初どうしようかと思うぐらい、
面白いかどうか分からなかったけど。
ムービーでしたけど。
これどう面白がればいいんだろうって、
すっごいモヤモヤしながら見てたんだけど、
最初の1時間。
いやなんか、
これはお父さん達を好きになっていいの?
ダメなの?
でも好きになる余地ないんだけど、
どうすればいいの?とか思いながらさ、
どこにどう肩入れしてみればいいんだろう、
みたいな。
視点の力点の引き方が全く分かんなくて、
最初の1時間すごい、
ダメな映画の典型みたいなさ、
座りの悪さだったから、
もうなんか見ながら
しまった、すべったって思ってたの。
せっかく奥さんと一緒に見るんだったら、
見たことある面白い悪人展とか見ればよかったって思って、
すごいこう、
ああ、しまった、すべったかもって思って見てたんだけど、
その座りの悪さが、
まさか後半めっちゃ生きてくるとかっていうところだよね。
割と僕は相当満足した。
あれは。
そうだね。
暴力。
でも圧倒的暴力とさ、
圧倒的顔の良さってさ、
似たような思考停止があるよね。
できるできる。
そう。
ね。
だからなんかひたすら、
こう、健康な肉体が乱舞してるのとか見るのって、
同じ効果があるんだよね。
そうそうそう。
だから僕がなんかさ、
こうさ、
疲れちゃった時にゾンビ映画だったり、
とりあえず内臓かおっぱいが出るものをさ、
51:01
見たがるのもさ、
一緒だよねって。
多分一緒なんだよね。
思って。
そう。
BTSのMV見たりとか。
MV見たりとか。
可愛い男の子たちを見るって。
うん。
ああそうそう。
いやだから最近面白いなって思う。
なんか、
なんていうの、
これまでの僕の選択肢には内臓かおっぱいしかなかったわけ。
うんうん。
だからある意味ではその1個、
なんていうの、
可愛い女の子か汚い存物しか選択肢としてなかったので、
癒されるためのものとして。
最近こういう可愛い男の子が入ってきた。
今の顔、
今完全に王様の顔してる。
可愛い男の子が入ってきたんだよね。
すごいだからね、
もう2.5次元俳優の子たちとかさ、
可愛いなって。
あんなに可愛くてさ、
あんま歳変わんないんだよな。
そう、でも可愛いなと思ってね。
びっくりしちゃうよね。
いやでもさ、なんか、
この歳になって、
そんなに歳の変わらない、
めっちゃ身綺麗にしている男の子たちを見て、
言って、
芸歴10年とかあるのを見ると、
すごい、こう、
若い頃から偉い。
若い頃からの下積みがあって、
今されてるんだなって思う。
すごい偉いわーって。
すごい偉いわーってなるよね。
なってね。
で、仕事も辛いとか言っちゃいけない。
そうそうそうそう。
言っちゃいけないというか、
言うなら、
それなりにキャラクター付けを
頑張ってやらなきゃいけないみたいなさ。
そうなんだ。
人気商売じゃないですか。
だからね。
ねー。
そうなんだよ。
すごい。
だからもう本当に、
最近そういうのいいんだよな。
でもそれの気持ちはね、
結構ずっとある。
あのー、VK好きだと、
みんな17歳とかで一回デビューして、
で、3年くらいで、
ちょい売れぐらいで解散して、
2個目のバンドを本格的に売れさそう、
みたいな感じでさ、
やったりしてるから。
だから宮城とかも17歳とかでデビューしててさ、
なんか若い頃から働いて、
それだけで偉いな、
みたいな気持ちになっちゃうけ。
そうなんだ。
なんかその、
今イケてるかどうかとかは別で、
ついに高卒で、
そんだけ働いてるのすごい、
みたいな。
そうなんだね。
気持ちになったり。
ね、
あとはなんかダッサラして、
VKバンドに賭けてる、
みたいなこともさ、
ラルクとかはそういう感じだから、
なんかその、
人生の選択よって。
ね、
なるよね。
そうなんだよ。
普通に、
労働者としてのレスペクトを禁じれない。
わかる。
わかる。
そうなんだよ。
だって労働の何が一番しんどいってさ、
あなたは違うかもしれないけどさ、
とにかく人に愛想よくしなきゃいけないとこじゃん。
うん。
常に愛想よくしてるわけでしょ。
うん。
すごいよね。
うん。
ね。
うん。
というね、
うん。
まぁ形で。
だってだいたいロックミュージシャンなんてさ、
一見愛想悪くてさ、
54:00
ちょっとさ、
深掘りしたらめっちゃかわいい人じゃんっていう、
二段構えまで見せておかなきゃいけない。
そう、行かなきゃいけないの大変だよ。
本当にさ。
うん。
え、なんか実はめっちゃ可愛げのある人じゃんっていう、
隙を残しとかなきゃいけないみたいな。
そうだよ。
今だとそれこそヒップホップとかだとさ、
あー。
より大変だよ。
なんかおでこにピンクダイヤモンド埋め込んじゃったりさ。
うん。
うん。
なんか、もう常にお屋敷を工事してて、
ずーっと自分の家が完成しないとかさ。
うん。
うん。
人生かけて面白いやんなきゃいけないんだよね。
そうそうそうそう。
ね。
ね。
感じがして。
はい。
いますけども。
はい。
そうなんだよ。
だからなんかもうね、
どうしたらいいんでしょうかっていう感じで。
どうしたらいいんでしょうか。
うん。
でもまあ、考察班が鬱陶しいんだったら、
そういうこう圧倒的な身体表現に、
あ、そうそうそう。
こう、
これがもう黙るしかないっていう。
そうそうそう。
圧倒的光みたいな。
そうそう。
ところに行くべきだなって思ったね。
うん。
だからそれをさ、浴びてさ、
なんか、
なんだろう、
初めてこう、
言語がほとばしてるさ、
存在にあったりさ、
コンテンツにあったりした時さ、
初めて喋ればいいじゃん。
そうそうそうそう。
そうなんだ。
いやでもやっぱりだから、
僕の本当の好みは、
うん。
これについて一体何喋ればいいんだろうっていうぐらい、
そもそも語彙が乏しくなってしまう何かに出会った時に、
それでもあえて饒舌に振る舞おうとするっていう無茶が、
僕は楽しんだなっていうのを思ってて、
雑な歌デッドでやったこともだいぶそれに近いと思うの。
うんうんうん。
なんかもう最初から、
さあ喋ってくださいっていうような作品に対して喋るのが、
まあ読みが用意されてる、
もうなんか、
もの弱的にはちょっと腹立つっていうか。
うん。
というか別に、
別に他の人がやればいいじゃん。
だったら最初から喋ってくださいみたいな気持ちになっちゃう。
あ、うん。
っていう感じかなっていうところがあってね。
だから今は暴力ですよ。
今は暴力ですか。
暴力映画が見たいですね。
うん。
プロムガンプとかどうなの?それって。
プロムガンプは好きだよ。
いやでもあれはさ、暴力でありさ、
その、社会性がゴリゴリにあるじゃん。
うんうんうん。
でも明らかに監督のフェチとして、
人体の破壊っていうのがあまりにも表に出てる。
いやそうそう。
プロムガンプに関しては、
もう社会的一種、
アリバイでしかない。
確かにね。
やりたいことを明確に、
どこにできても至るかが明確だから。
そうだね。
うん。
だからなんでもかんでも今の現実だったり、
57:01
今の社会みたいなのに引き寄せて、
その文脈でしか作品を評価できないっていうのは、
めちゃくちゃ貧しいことですよっていうのがやっぱり一番。
だからそれはもう作る側もさ、
ずっと残るものにしたいわけじゃなくて、
今咲いて今散るからじゃん。
うん、そうなの。
そうなんだ。
だからなんか、
どんどん置かれる文脈によって、
そもそも持ってる意味は全然変わっちゃうけれども、
なんか絵が持ってる面白さは変わらないみたいなところが、
例えば映画だったらあるわけじゃないですか。
トラさんとかもね、
まさにそうだと思うけど、
当時見てた人たちの自由のされ方と、
今僕が見ているトラさんとは全然違うものなんだけれども、
まあなんか、
トラさんがサッカーッみたいな感じで目を細めて、
ニカッてしてるあの顔の威力っていうのは、
やっぱり変わらないわけじゃん。
でもそれはだから、
もうただ、ものそれだけ。
顔というそのもの、
それ自体の強さだけなんだよね。
だからそういうものの方が今がいいなって。
ああ、だからあれかもしれない。
あの、私と5メートルで笑っちゃうみたいなのも。
ああ、そうそうそうそう。
あれの威力は変わらないじゃん。
そうそうそうそう。
足長ーみたいな。
そうそうそうそう。
やっぱりその、そういうのがね。
うん。
今はそういうのが欲しいんじゃないかっていう。
うん、楽しくなるよね。
うん、楽しくなる。
うん。
うん。
っていう感じ。
うん。
いやまあね、難しいんだけどね。
笑いの話について言うとまだ難しいんだけどね。
うん、まあ笑いもいろいろね、
うん。
ありますからね。
いや、てかなんかこう、
ダンスのこう、
なんか、
こう、
ダンス。
うん。
笑いはさ、
うん。
ああ、うん。
っていう。
いやでもさ、それはさ、なんか、
いろいろ滝渡じゃないですか。
いや、分かる、分かるんだけど。
なんかもう子供でも笑うような、
ああ、そうそうそうそう。
のもあればさ、
こう、意味が分かってフフってなるやつもあってさ、
別にそれはいいじゃん。
いや分かるんだけどね。
分かるんだけどね。
あまりにもメインストリームにいる人たちがみんなガキにウケる話ばっかりでさ、
うん。
なんかこう、
乱竹のあるやつはどこにいるんだみたいな気持ちになっちゃうなっていう。
でも最近のお笑いってガチプレイじゃないの?知らんけど。
うん、そもそもね、お笑いに関してはあまりもうね、
いやなんか、
そもそも知らないからあまり喋れないんだけど。
喋れない。
いやでもなんかその、なんか知的とされてるよね。
たまにさ、
うん。
ちょっとワクワクしてみたりするとさ、
うん。
こんなもんなの?っていう。
ああ、そうなんだ。
なんかちょっとね、あったりするから。
そうか。
みんなラーメン屋さんのラーメンみたいなの?
うーん、
っていうか何つもあるよね。
なんか、結局それも子供にも分かるものじゃん。
うん。
その、なんていうのかな。
パズル的な意味でもさ、興奮ってさ。
うん。
文脈いらないじゃん。
1:00:00
うん。
みたいな。
その文脈っていうのは舞台より外の文脈?
そうそうそうそう。
ああ、うん。
だからその舞台よりその外の文脈を持ってきて、
笑い飛ばすみたいなやつ。
昔の爆笑なんだとか?
うん。今も割とやってるけどね。
うん。
とかね、ああいうの。
最近は見てないから。
うん。
あれが面白いかどうか置いといてさ。
うん。
でもあれは偉いなって思うんだよね。
うん。
いろいろやるなと。
いや、そうそう。でもああいうの。
うん。
てかなんていうんだろう。
簡単に言うとね、僕はね、客に教養を求めてくる人が好きなんだよ。
うん。
いや、だからね、それがね、
それを、
まずテレビでやるのが難しいわけじゃん。
やっぱりお客さんはバカにされたって思う。
てかバカにされたって思ったお客さんっていうのは攻撃力が高いから、
やっぱやることについてデメリットしかないわけじゃん。
うん。
いや、わかるよ。
多くの人をターゲットにしてると。
すごいわかるよ。
うん。
だからじゃあそういう教養を求めてくるような笑いはどこに行けば
そう。
接収できるのかっていうことですよね。
そうです。
そうなんだもんね。
でも落語だったらそういったっていうことでもないんだよね。
うん。
でもだからね、最近ですよね。
お笑い自体はみんなないんだけど、
お笑い文はよく読む。
うん。
だからそこは今、いまだにたく分、それこそ、
これどうすればいいの?
思ってるところに対して、
ちゃんと豊かな文脈だったり、
何か意味論みたいなものを
つけようとする人たちって今結構たくさんいるから、
ここにあるかもな、おもしろいのは。
うん。
僕自身が実際にそのネタを見たときに、
ここまでのおもしろい割り方ができるなっていう。
音声転がってる人のほうがおもしろい。
のほうがおもしろい。
吸うやつね。
そうそう。
っていう感じがありますよ。
なるほど。
たくさん喋ってね。
そうですね。
じゃあ今日はこんなところで。
まあちょうどいいくらい。
結局さ、どれくらいかってきて。
いいよ、1時間が。
いいか。
じゃあまあそんなところで。
そんなところで。
ポエティックラジオ、お相手は私、柿根翔太。
奥さんでした。
どうもありがとうございました。
01:02:27

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