00:26
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私、柿内正午と、奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
お久しぶりの奥さん登場で、どうでしたか?
新しいジングルはかっこよかですよね。
かっこよかですね。
聞いてないんだけどね、このタイミングでね。
うん、聞いてない。
でも、新しくGOGOさんにジングルを作ってもらって、
初の奥さん感なので、ごく幸だなっていうところですが。
その感想を聞こうと思ってたんだ。
ん?ジングルの?
GOGOさんのテーマ曲、いかがでしたか?
おしゃれー。
おしゃれー。
こんなおしゃれなジングルで、
ダラダラ喋っているだけでいいのだろうかという気持ちにならないことはないが、
喋っているときは特にジングルのこととか考えてないから。
そうだね、別に流れてないからね。
多分、合わせたやつを聞いたときに、
うわー、楽さってなるだろうなって思いながら、
いつも通り喋るしかできない。
そうなんだよね。
あと、やっぱりジングルアップで被せるときに、
今のやつ、カットアウトギミックにブッて切れるからさ、
最初の30秒のやつが。
だから、前のフヨンフヨンフヨンに対してだと、
途中でこの、こんにちはプレイティックラジオですを入れ込めた。
入れ込みやすかったんだけど、
カットアウトだととりあえず音楽流し切ってからだなみたいな形になったりするから、
ちょびっとだけ冒頭の始まり方に、
これまで使ってなかった気を使うようになるっていう、
効果がすでにある感じがありますね。
途中からめんどくさくなってあんまり気にしなくなる気もするけど。
っていうところでね。
なんか、なんだろう。
録音で喋ると楽しそうなこと。
録音始める前にあらかた喋っちゃったから、
特にもうどうしようかなっていうところなんですが、
なんかそう、珍しくゲスト回が3連続。
いや、まああれデカメロンがあったから。
03:03
デカメロンは別というか。
でも私の当番回数の減り方としては別に。
確かにね。
ちょっと戻ってきたらまたゲストが。
そうだね。5回連続でお休みで1回戻ってきて3回ゲストが。
回が入ってたからね。
そうか。だいぶ休んでた。
休んでたというか。
休んでたというか。
そもそもレギュラーじゃないから。
そうだね。ゲスト回が。
あなたがゲストである日がちょっと。
そっとされてた。
そうだね。っていうところなんだね。
でもなんかそのね、
青木さんとのデカメロンもそうだし、
GOGOさんの回だったり、りょうたさんの回も含めて、
何一つ打ち合わせしないんだけど、
だからGOGOさんの回はかなり、
何話してたんだっけっていう風になるという意味ではかなりあるんだけど、
りょうたさんはゾンビの話しようっていうのははっきり決まってたから、
ある程度まとまるけども、
基本的にこう、
めっちゃゲストの人が来るときには、
なんかこれについて一応話しましょうみたいなのが、
ある程度あった上で喋るじゃない?
だけど、
奥さん回はさ、
毎回何喋ろうねって言いながら、
ポチって始まるから。
先週的に考えるのめんどくさくなって、
回ったら何喋るんだろうみたいな感じでスタートする。
なんかね、その考えなしで普段喋ってる話の方が、
なんだったら録音としてはきっと聞きやすいまとまりを持ってるぐらいの
喋り方をするじゃない?
なんかそれこそ最近こんな本読んでるんだよとかさ、
そういう話をフォトキャストですりゃいいのに、
そういう話をひとしきりした後に録音でもするかって、
ポチってしちゃうから、
すごいなって改めて思った。
自分の雑さがすごいなってこと?
てかなんだろうね、
そうするとちゃんとそういうのを準備してまとめて、
わかりやすく喋れる人たちがすごいなって思った。
だって台本作ってる人のほうが多いのかな?
どうなんでしょうね。
せめてテーマ設定とか時間とかは決めてるわけじゃない?
だってオムラ寺も三村夫婦砲弾はさ、
ちゃんとマスクさんのジングルが要所に挟まってさ、
近況報告と頼りの紹介コーナーと、
一応ちょっとあるじゃん。
06:02
あれってタイムキープしてやってる?
いや多分やってない。それはやってないんじゃない?
なんとなくざっくりこれについて話そうねみたいなことやってるんだと思うんだけど。
じゃあコーナーのジングル作ればいいの?
でもそうか、そうかもね。
でも別にコーナー作ったとしても、
それの通りに喋るかって。
不定集そのコーナーどよよーみたいな。
それいいね。
どよよーみたいなね。
そういうのがあるといいんじゃないかと思いつつ、
特にそこまではしないというか、
かっこいいジングル作ってもらったから。
これ以上このポッドキャストにかける予算はない。
そういうところではありますね。
ありますね。
そうね。
まずちょっとその、
デカメロの感想はこの前の回でちょっと話してもらったから、
なんかあります?ゾンビ回とかに対して感想だったり。
タクの早口、すごい。
なんかめっちゃアドレナリン出とるってなるね。
そうだね。
なんかさ、自分がする側でさ、
あなたがさ、こう、
ボヘェって聞いてるみたいなのはあるけど、
あなたがそれをやってるの、
しかもなんかその話が合う人とね、
やってるのを、
なんか青木さんともそういうスピードの早いおしゃべりではあるけど、
ちょっと違うじゃない。
うん、なるほど。
だからちょっと新鮮というか。
なるほどね。
あれさ、ちょっとさ、
僕としてはね、
リョーターさんとめちゃくちゃ夢中になってしゃべっちゃったせいで、
聞きやすいかどうかよく分かんないんだけど、
どうだった?
えっとね、でも私はなんだかんだ言って、
あなたから見た映画の話聞いてるじゃん。
だから多分あれの話なんだなとか分かるから、
言語として認識できるけど、
なんかちょっと聞き取りに失敗したらマジで、
今何の映画の話してるんだろうってなると思うけど、
まあ大体オブ・ザ・デッドだから。
まあ大体ね。
あ、でもまあそっか。
いやなんかね、自分で聞いてると、
自分が結構聞いてる割とカルチャー寄りのポッドキャストに
一番近くなったなって。
リョーターさんとの話がね。
だからやっぱりワンテーマでがっつり喋るだと、
そのテーマに興味ある人は割と聞けるし、
それこそあんまり興味ない人も
なんとなくオブ・ザ・デッドなんだなってことも分かるっていうところで言うとさ、
ある意味、一番組に一貫性があるというのはあるじゃん。
09:04
そこすごいワンテーマで喋るっていうことの強みだなっていうのをすごく感じて。
なんかポッドキャストっぽいって。
それは結構発見だった。
1年以上やっていながら初めてポッドキャストっぽさを得られた気がする。
私とやってたら一生気づけなかったね。
でもね、リョーターさんとのゾンビ会はゾンビ会で、
そういうポッドキャストっぽいぞっていう手応えだったり、
単純にめっちゃ楽しいぞっていうことだったり、
ゾンビについて一回じゃ足りねえっていうことで、
あと5回ぐらいやろうっていうお話になってますので。
あと5回ぐらい聞きたいって言われたからって言うだけなんだよね。
すごくない?
5回喋れる算段があるわけじゃなくて、
喋ったら喋れるんだろうって言うだけで言ってたよね。
ツイッターであと全6回で聞きたいみたいな。
ただその6回にどういう根拠があるかもわからないけど、
言われたから。
気持ちでしょ?
ワイブスだけでしょ?
言われたからもうそれでいくっていう。
でもね、リョーターさんとあと5回やりましょうみたいなところでやり取りしてた時に、
6作となるとロメロのゾンビ作品の本数と一緒ですねっていう。
ナイトオブザリーデッドからきて、
放題で言うとゾンビ、資料の餌食、
その後の順番、たぶんランドオブザデッド、
ダイアリーオブザデッド、
ランドオブザデッドなんだけど、
この6作品にカコつけてね。
ってなってくるとやっぱり次は放題だとゾンビだけど、
ドーンオブザデッドが現代だから、
やっぱりドーンオブザザズランなのか、
なんかそういうタイトルになるんだろうなっていう気持ちで。
最初にオブザデッド使っちゃったから。
最初にオブザデッド使っちゃったなって思いながら、
ちょっとだからそういう形でやっていけるんじゃないかと。
なるほど。
いうところで、実は根拠は後からいくらでもついてくるっていうね。
話で。
いや楽しいなっていう気持ちもありつつ、
やっぱり奥さんとやる良さっていうのはさ、
話が合う人ばかりじゃないというか、
なんていうの、
趣味思考が一緒じゃなくても別の部分で。
周波数は合ってるけど、
思考性が全然違うみたいな。
それってTwitterとかPodcastも含めてインターネットの世界で、
割とやりにくいおしゃべりだと思うんですよ。
本来というか性質上。
やっぱり一時期はクラスターとかフィルターバブルみたいな言葉が言われてますけども、
そういうようなところで。
12:00
やっぱりこの人たちがおしゃべりするよみたいなのって、
やっぱり何かしら固まってくるわけじゃん。
やっぱりTwitterで最近見て面白かった。
面白そうだなって思ったところもさ。
やっぱり昨日タイムラインで本コアがめっちゃ盛り上がってるっていうさ、
その本コアの人たちでのおしゃべりとかさ。
あとは僕らでいうとそれこそFGOの人事捜索をする人たちだったりとかさ。
やっぱりそういう中でも、
好きなものが同じ人たちの会話ね。
その好きなものについてのディープな会話っていう意味だとたくさんできる。
最近はそんなに、ちゃんと聞けてないけど、
負けヒロイン研究会の人たちの話とかもさ。
そのニッチな世界についてのお話はできなくはない。
けどそこで全然違う雑談みたいなのが結構ない。
ないわけじゃないけど。
しかもそこで難しい。
趣味が合う人たちの中での方がたぶん話が合うんだよ。
一回読書会に参加した時に面白かったのは、
読書会も楽しかったんだけど、
やっぱりその後に二次会でさ、
居酒屋とかでお話しする時っていうのはさ、
読書会でテーマになってる本から離れての話になるわけじゃん。
やっぱりそこではなんとなく似通った一つの軸があるから、
全然違う話をしてても、
ある程度空中文化しないギリギリのところで、
集合して喋れるみたいなところがあって、
それが結構楽しかったんだよね。
実は読書会の醍醐味ってそっちなんじゃねえかっていう気がしてて。
アフターのために同人誌出すみたいな話だよね。
本当にそういう話。
でもアフターの面白さって、
実はそういう同行の詩っていう同行部分にあるわけじゃなくて、
同行よすがになんか全然違う人が喋るっていうところが、
結構おもろいんじゃないかなみたいな。
なんかさ、難しいところがあってさ、
同じものを好きだけど、
全然方向性が違う人っているじゃないですか。
同単拒否みたいな話?
いや違う。
あの、なんていうの。
あーすごい。どうしよう。
え、なんだろう。
あーだから、このキャラとこのキャラが好きなんだよねって言って、
せーのって言った時に逆カップだったみたいな時に、
あーなるほどね。解釈違いってやつ。
はーお前みたいになるわけじゃないですか。
で、それはさ、まだわかりやすくてさ、
同じAかけるBなんだけど、
なんかその精神的な力関係が逆だったりとか、
ある出来事に対しての解釈が違う、
しかも決定的に違うみたいな時に、
なんかその全然違うものが好きな人と
15:05
相入れない時とはまたちょっと質の違う断絶を感じるから、
だからそのキャラクター解釈が違う。
だからそのキャラクター解釈とかカップリング解釈によって絶好するっていう。
でもそれは確かにある。
起きるのはなんかその近い、
なんか近い存在だと思って、
同じものが好きだからわかり合えると思ってたのに、
こんなにもわかり合えないみたいなものが逆に浮き彫りになりやすい。
それはそうかもしれない。
だからなんていうの、
頭の良い人がさ、
頭の良い人っていう発言が頭悪いけどさ、
聞きましょう。
頭の良さそうな本を読む人って頭の良い人と頭の悪い人がいるじゃん。
そうね。
その本に対して言うことのレベルの違いみたいなものを見る時さ、
頭が良くてそういう本を読んでる人はもうすごい悲しい気持ちになるんじゃないかなって思うんですよ。
なるほど。
こんなに面白い本を前にして、
そんな何かうわつらだけしか読めないやつと同じ本を読んでいるみたいなさ、
気持ちになるんだろうなって思って。
なるほどね。
だからそういうタイプの絶望。
はいはいはい。
その浅さで好きって言えないみたいなさ、
気持ちをお互いに持つんだろうなみたいな。
なるほどね。
それはちょっと最近わかるな。
読める程度の違いっていうのはやっぱりなんか明らかに上下があるけど、
キャラ解釈って別にどっちが上なわけじゃないじゃん。
でさ、そこでさ、キャラ解釈に優劣はないっていうのが、
それに関して大枠合意した上でね、
面白いというか僕が恐ろしいなって思うのはやっぱりこのFGOっていうね、
フェイトシリーズ全般に対しての英霊システムっていうキャラ造形だったり、
それこそあなたがやってるトーケンランブとかも含めてだと思うんだけど、
要するにそういう実際の史実の人物を、史実上の人物だったり、
非実際はあまり問わずに下敷きにして作っていくキャラクターっていう。
そのキャラクターの是非みたいなところはぶっちゃけ割とどうでもいいなって思ってるんだけど、
になってくると明らかに解釈のある意味ちょっとずつレイヤーが出来上がっちゃうと思うんだよね。
なんていうのかな。やっぱり元々が二次創作的なキャラなわけじゃん。
例えばFGOにおける英霊っていうのは、
史実上の人物に残されている伝承だったり伝説を元にキャラクターにしていくっていうところで、
18:01
すでに一回解釈が入ってるじゃん。
その一回解釈が入ってくるものに対して、
もう一つ二次創作としての解釈を、キャラクターとしての解釈を入れようとした時に、
ある意味最初に下敷きになっている史実部分がガン無視されることがある。
それは結構僕としてはもやるんだよ。
一番、これはちょっと後で深入りすると長くなる人だからちょっと滝にするけど、
僕はFGOのネロちゃまって、ネロクラウディウスってキャラクターが好きで、
もはやローマの統治者であるっていう部分が関係なくなって、
ただの可愛い女の子になっちゃう二次創作が多すぎて、
僕は別にもう今となっては割とこう、
全部全て受け入れますみたいな。
ネロちゃまが二次創作されていること自体に割と喜びを感じたらしまうんだけど、
どこかでもやっぱりもやるんだよ。
肯定としてのネロちゃまがいい。
そうそうそうそう。
ネロクラウディウスがアイドルになるところまでは割と分かるの。
アイドルとヒーローと統治者論っていうのは割と近いところにあるという僕は気持ちでいるが、
そこまではギリギリ共有できるんだけど、
何の脈絡もなくただ私服でアイスクリームとか食べてるみたいなところになってくると、
ちょっと分かんないんだよね。
みたいなところの、そこでやっぱりそもそもただ顔が好きとかさ、
こういう性格になったらどうなんだろうみたいなのだと、
ちょっとネロちゃまに関してはすごい燃えるっていうのがあるんだけど、
でも躍動コンビ現代パロが好きなの。
はい。
躍動コンビ現代パロって言ってもいいや、
分かる人だけ分かればいいです。
あまりにも原作は元人、
FGO自体二次創作みたいなもんじゃんっていうのを置いといて、
原作であまりにも悲惨というかもうそうでしか入れないみたいな、
イフの余地がないキャラクターっていうのは原パロするしかないんだよね。
原パロはなぜいいかっていうと、
躍動コンビ原パロだからいいわけで、
例えばあれがオベロン現代パロだったり、
アルトリア現代パロだと多分僕は許容できないんだよ。
ここにやっぱり何が違がるかって言うと、
あの3人の関係性っていうものに何かしらのイフを与えたいっていう欲望から、
時代軸をスライドしていくわけじゃん。
でもそこはもうなんか別のさ、
ゲーム上のその3人の関係性っていう新しいところを阻止にしているから、
ぶっちゃけその3人がそれぞれに抱えている点でバラバラの背景っていうものを、
どこまで考慮しなきゃいけないかってなると、
ちょっと薄れる感じがあるの。
だから多分、
ネロちゃんは現代パロはわりと許せないんだけど、
多分ローマサバ現代パロは許せるみたいな、
21:01
多分そういうところがあるんだなっていうふうに思って。
やっぱりだからね、
どこまでの文脈を踏まえ、
二次創作っていうのはやっぱりその、
ある既存の文脈だったり蓄積っていうものを、
それこそだから密量して、
好きに加工していくっていう作業じゃない。
その密量する、その元にあるの。
なんやねん。
っていうのがやっぱり僕は気になっちゃって、
それがゲームの中にあるオリジナルの文脈からやっていくんだったら、
多分役のコンビになるし、
そうじゃなくて、
もうちゃんとローマの皇帝っていうバックグラウンドを
ちゃんと大事にしてほしいっていうふうになると、
ネロちゃんが二次創作限り派みたいになっていくんだろうなって。
現パロしかしようがないみたいなやつは、
鬼滅がすごいそうだなって思ってて、
誰が生き残れるかわからなすぎて、
そういうことね。
それでも別に生きていようが死んでいようが、
あまりにも戦いが可烈すぎて、
推しに平和で幸せになってほしいって思ったら、
もうあの原作の環境自体がダメだから、
現パロするしかなくなっちゃうっていうのは、
これはしょうがないんだなって思って。
現パロっていうのは要するにあれだよね。
時代物とかに対する一種の末法思想なわけだよね。
ってこと?
末法思想っていうのは基本的に今の世の中はもう最悪だ。
終わっちまう?
終わっちまうから、この世界じゃないところで、
要するに元祖異世界転生者って末法思想なわけじゃん。
なるほどね。
だからやっぱりその時代的に貴賓だったりさ、
政治の腐敗だったりでさ、
もうこんな世の中クソじゃねえかってなった時に、
もうさっさとその次の極楽浄土でもなんでもいいんだけど、
何かしらのその次の世界。
次の優雅に入ろうっていうね。
っていうのがやっぱり盛り上がってくるわけじゃない?
やっぱりなんかそんなことなんじゃない?
そういうことなのかな?
それは実は現実からの逃避っていう意味だけじゃなくて、
普通にその重たいしんどい作品からの逃避のためにも、
そこじゃない世界を作ってあげないといけないっていう。
現パロもだから一つの異世界転生者なんだな。
まあそれはね、
その中で記憶持ち記憶なしみたいな派生が生まれてくるけど、
やっぱりバトル系の一時創作がバトル系だと、
なんていうのかな?
それをさ現パロじゃなくてやっちゃってるのが
エミヤさん家のご飯じゃん。
あれは現パロでしょ?
だって現在社会で、
そもそも現代の話なんだっけ?
サーバントなんだよ。
サーバントなのになぜか聖杯戦争をせずに仲良くご飯を食べてるっていう話なの?
そういう話なんだ。なるほどね。
24:00
だから現パロじゃないんだけど、
原作塾でありえないパロディをしているっていう意味で、
エミヤさん家のご飯は意味がわからない。
意味がわからない。
そうなんだよね。
僕がフェイトシリーズに対して、
今はやっと慣れてきたけど、
一番モヤモヤするところって、
やっぱりそういう、
ある意味オタクからしたら切層の無さだったり、
一貫性の無さみたいなところに対して、
何かしら潔癖さというか、
コンテクスト大事にしてみたいな気持ちになっちゃう
っていうところなんだろうなって思って。
でも割と平行世界であったり可能世界のごったに
っていう風に一度飲み込んでしまえば
まあいいかってなるんだけど。
だから割とね、
モヤモヤするけど、
元が割とノベルゲームだっていうところは、
結構すごい大きいんだろうなって思うんだよね。
分岐ありきというか可能世界ありきの発想になるからこそ、
作品全体としても、
作品群の塊としても割と可能世界を許容し得るっていう
発想なんだろうなって思って。
それで言うとさ、
これなんだっけ、
ツイッターで何か見て忘れちゃった。
それこそなんだろう。
ルート分岐的な話でさ、
トゥルーエンドに行ける時間軸だけが幸せになっても、
結局他の分岐でバットエンドになった場合、
なんかあんまり救われた気がしないみたいなさ、
派閥が、
特に最近の若い創作者の間でちょっと出てきてる感じがするみたいな
ツイートを見て面白いなって思ったんだけど、
まだ何が面白いと思ったのかあんまり分かんない。
分かんない。
でもやっぱり、
あれだ、たぶんね、
ありえたかもしれない。
異風世界で幸せになっても、
もしも意味ないから異風世界に転生するみたいな話。
だからやっぱり原パロでどれだけ躍動コンビが仲良くしてたとしても、
現実ではないけど、実際の作品世界においては、
割と重ためしんどめの世界観がずっとあるってなると、
その重ための世界観の中にいる3人に異風の世界を提示したとしても、
結局それは、
その実際の3人の救いにはならないじゃないかみたいな感覚っていうのが、
僕はたぶんあるんだろうなって思って。
27:00
そこでその異風の方の幸せを、
一つの幸せとできるかどうかみたいなところで、
割とそういうノベルゲーム的な分岐ものとか、
そういうフェイト的なものの、
作品群のいろんなものがあるみたいなところの乱立に対して、
どこまで受け入れられるかみたいなところが、
結構変わってくるのかしらってちょっと思わなかったりしたんだよね。
想定で言うと、
別に鬼滅を好きなわけじゃないんだけど、
そういうことがよく分かっている人なのかもしれないなって思うのは、
すごいしょうもないガクパロウが入ってくるじゃない。
あれは原作中に、
夏末のおまけとかで入ってるんだけど、
完結してだいぶ経ってるからいいと思うんだけど、
最終的に鬼滅、現代転生なんだよね。
あ、そうなんだ。
結末。
戦い終わりました。
で、いきなり飛んで時間が、
みんなの生まれ変わりの話になるの。
なるほど。
それって結局、途中で死んじゃった仲間もいて、
で、なんだろうね、
とはいえみんなそれなりに生きていかなきゃいけないけど、
でも結局戦いの中で25歳が寿命に定まっちゃった人たちがいるから、
絶対みんな短命で死んじゃうっていうことが分かってて、
そこの余生を描くわけじゃなくて、
いきなり3世代後くらいになって、
対称時間軸だと、
幸せになれなかった2人が幸せになってるみたいなのを、
異世界転生した後まで原作者が描いちゃうっていう。
なるほどね。
ので、の1話やって終わりなんですよ。
なるほどね。
今初めて鬼滅に興味が湧いてきた。
それは今のニーズをめっちゃ理解した上でやったのかもしれない。
なんかもう読んだときは、はぁ?ってなったんだけど、
なんかこれ悪質なコラじゃないよねみたいなぐらいの気持ちになったんだけど。
それはすごい分かって理解してやってる。
異世界転生が流行ってるからやってるとかいうタイプじゃないと思うんだけど。
なんで今これが流行ってるんだろうっていうのがやっぱりずっともやもやしてたんだけど、
その最初から話を聞くと、僕は好きじゃないけど、
30:03
確かに今の気分みたいなものを反映しているのかもしれない。
のかもしれないなーって思った。
でもやっぱり来世に行きたいじゃなくて、今世で最高になりたくない。
でもさ、あなたはエクステラ全霊と終わったじゃないですか。
やっぱりさ、死の間際じゃないと聞けない推しの一言っていうのを回収したいっていうさ、
オタクのエゴに推しが振り回されてる様を見るのはどんな気分?
でもね、分かったの。僕ね、フェイトをね、そういう意味であんまり好きじゃないの。
フェイトの好きじゃないさの理由がね、エクステラをやってようやく分かったんだけど、
そもそもその死の間際じゃないと言えない言葉なんかねえからっていう気でいるから。
アルテラのありがとうは。
いやでもなんていうの、そもそもその、なんか人間感が嫌い。
消えかけのロウソクが一番大きく燃えるみたいな感じ。
なんか追い込めば追い込めほど美味しい汁が出るみたいな感じが、
多分そもそもあんまり好きじゃねえんだなって。
やってることとしては結局なんだろうな、
バトルロワイヤルとかカイジとかの極限状況下にある人たちのシミュレーションと同じ悪しみさを持ってるじゃない。
悪しみであること自体が悪いとかじゃなくて、
なんか僕はあんまりそれ好きじゃないんだよなっていうのが多分一番のモヤモヤとしてあって、
だからね多分ね、初期のフェイトが嫌いなんだよ。
それはそういうことなんだなって思った。
FGOも結構モヤモヤするな、それで。
やっぱり最終的にみんな金粉巻き散らして死んじゃうのが不服なのが、
やっぱりそういう金粉巻き散らす前からちゃんといいこと言っとけよみたいな気持ちになっちゃうっていうのがね、
やっぱりなんかこう、割とモヤつくと思う。
あーなんかね、それはね、わかる。
わかるっていうか、多分私はもともとはもう悪しみなのが好きなわけ。
でももうこの数年で無理になっちゃった。
なんかその、なんだろうね、それこそなんかフェイトゼロとか悪しみの極みみたいな感じだけど、
あれは夏キノコじゃなくてウロブチだけど、
それこそウロブチとかそういう悪しみさを欠かせたらめっちゃ上手いっていう人じゃん。
あれが楽しめた時期にそれなりに接種しててよかったなって思う。
33:04
ちょっとこの先はきついかなって思うけど、
だからなんか、A3はさ、めっちゃ平和でさ、なんか家庭環境悪い設定の雑さがすごかったりするけど、
なんかこう、その、疑似家族を作って仲良しこよしをしている話だから言ってしまえば、
よつばとなんだよ。
それぞれに、実家は折り合い悪いけど、
この仲間がいるから平気もあるし、実家とも普通に仲が良くてっていう子もいるし、
なんかその、別に人が死なないし、
でなんかもうとにかく全部都合よくハピエンになるわけ。
劇場が燃やされようが、なんか捏造動画を流出されて延長しようが、
必ずなんかハピエンになるから、
なんかこうもう、ジェットコースターと一緒なんだよね。
どうなっちゃおうが絶対大丈夫みたいな感じだから、
なんかそれはさ、なんかもう、
フェイトみたいなさ、なんか予想の2段上を行く悲惨さをいきなりぶっ込んでくるみたいなのとは違う、
全然違うタイプの娯楽で、
今じゃなかったらA3はほんと退屈だったと思うけど、
なんかフェイトもやりながらだとちょうどいいっていうかそのぬるま湯感が。
なるほどね。
なんかこういうぬるま湯なものを楽しめる人間になると思わなかったなって。
でもなんかやっぱそれは現状なんだかんだで僕らがぬるま湯に、
適状況に入れてるからなのかもしれないしね。
なんかそのフィクションにおける悲惨さとか老悪的な感じってものがさ、
必要な時もやっぱりあるわけじゃない。
やっぱりそのある意味俗悪さみたいなものの方がやっぱりなんだろう、
大げさに言えば救いになりうることもあるし、
単純に普通にそういうものが面白かったり楽しかったりすることもあるわけだから。
なんかねやっぱりその辺り、なんか面白いよね。
なんかそのさ、例えば本で言うとさ、
本を読んでる方が好きでテレビが嫌いな人とかにとってはさ、
ワイドショーは悪だけどさ、ドストエフスキーはいいわけじゃん。
でもドストエフスキーなんてもうめちゃくちゃただのワイドショー的な話というかさ、
ぶっちゃけそこにある俗悪さだけで言ったらあんまり変わんない気がすんだよね。
まあそれは単純にフィクションか、
実在の人物に対しての面白おかしい消費感みたいなところでの線引きだったり、
いろいろあるから全部が全部一緒じゃんとは言わないけど、
でも割とそもそも、例えば小説における面白みの割と大きい部分を、
36:08
そもそもそういうワイドショー的な好奇心というかさ、
やっぱりそういう俗悪なものに対しての関心みたいなところに本来は置かれているはずで、
だけどなんとなく本だと何か交渉な趣味な感じがするから、
あんまりそういうところを言語化せずに済んじゃったりするところが結構大きい感じがあって、
なんかね、結構そこを毎回難しいなと思うよね。
それこそ例えばフェイトだったり、
ゲームの俗悪さを俗悪なものとして、だから本を読んだ方が偉そうみたいなさ、
なんか上げ下げの、どっちか片方下げて上げる文化さ、なんとなくあるじゃない。
だいぶなくなってきたと思うけど本に感じては。
割とそこにあんまり期限ないんだよなっていう。
だってそれで言うなら歌舞伎とかも俗っぽいの極みみたいな。
歌舞伎なんてソープオペラだからね。
いっぱいあるじゃない。
なんか顔がいいだけで仕事できない主人が知り合いの奥さんを殺しちゃったとかさ。
そうそうそう、そういうのばっかりじゃん。
そういうのばっかりじゃん。
だから実はそういう、そもそも人が関心を持つようなものって、
割とそりゃ俗っぽいでしょうよっていう。
だって俗性に生きてる人間なんだしっていうところは割とあるよね。
ちょっと話がだいぶずれた気がするけどね。
そういう好奇心を現実の人間に向けないためにやるっていう言い方も一個の論法としてあるわけじゃない?
そういう既成に対して反論するときに。
それはあるんじゃないですか?
なければ何こしたことないのかもよくわかんないしね。
そもそも俗悪だからダメだって言って、
ある意味自分の中でそれに対しての罪悪感を持ったりとか何か蓋をすることって、
あんまりいろいろ有効じゃなさそうだなっていう。
そもそも自分の中でこういう考えは良くないで制限をかけること自体が、
それこそ差別をないこととするみたいなのと似たような処置で根本解決にはならないから。
思っちゃうこととか考えちゃうことは考えちゃってるじゃん。
39:03
それをないものにすることってなってくると、
それこそ極端な話、ブレインボーシングじゃないけど。
面白いんだよ、個人個人の尊厳であったりとか自由っていうものを大事にした方がいいっていう人たちが、
やっぱりそのにとっての理想の世界って実はみんなが自分たちのような価値観を持っている世界になっちゃうっていうところに、
すごい大きく矛盾があるんだよね。
だからそういうポリコレ某じゃないけどさ、
それは考えちゃう上でどうするかを制度設計していくと。
でもそれで言うとポリコレ某的な言い方が幼稚な理由は、
そもそも思想の自由みたいなものと、
それをどの程度交付するかというか、どの程度表明するかっていうところとっていうのは全然違った話だよねっていう話でさ、
基本的に制度の話のはずなんだよ。
その制度の話で済ませればいいものを、そんなもの自体がダメなんだっていうところまでいくと過剰な当選になっちゃうっていうところで、
規制の話って基本的に制度の話だから。
思想の規制の話をしてもしょうがない。
内部に勝手に話をでかくしないでほしいんだよね。
単純にそれこそだからコンビニにエロ本を置くなよとかさ、
子供向けファンシーショップの前にエロ本を免賃すんなよっていう話じゃない?
そもそもアンドマンだらけの店舗は、そもそもがアウトだったけど、みたいなところとかも含めて、
別にやっちゃいけないとか考えちゃいけないとかっていう話以前に、
どこでもやっていいことって何もないよねっていう話なわけじゃない?
それは単純にちゃんと制度設計しましょうっていう話で、
実は制度設計の根本にあるのって、
割とみんな違うを前提にしてやれる唯一の方法なんだと思うんだよね。
そこでみんな同じように心がけましょうってなっちゃう方が、
規制がない中で、ただ単純にそういうもんでしょっていうような、
みんな同じように考えてねっていうやり方の方が、
よりグロテスクな思想統制じゃねっていう風にやっぱり僕は思ってしまうんだよね。
そうだね。
特に何の異論もないですけど。
すごい普通のことだけ言ってる。
42:00
普通のこと言ってる。
っていう感じですよ。
なんかそれ、特に近くはないけど、
選挙が、てかもう選挙、あれ?期日前はもうできるんですか?
もうできるよ。
なんかそのさ、女性議員を増やそうという話とさ、
政治への女性の発言権を強めようっていうのはさ、
全く関係ないっていう話を言ってる人を見て、
それーってなった。
最近そのTwitterのタイムラインで盛り上がってるところで言うと、
哲学館に入ってきた女子生徒が、
そのまんま哲学の道を志す人が、
ほぼ学部生の段階で脱落していくみたいな話があって、
なぜならそもそも標準人がみんな男性だからっていう話なんだけど、
そこで、だから自分、その女性の哲学講師が、
あえてその女性の哲学者の功績であったりとか、
それこそフェミニズム、ジェンダー系の哲学について、
発信することでいるよっていうのをアピールしてるんだけど、
そもそもそれ自体がおかしな話で、
普通に女性哲学者ゴリゴリハードコアな、
それこそフェゲル哲学を講義したって本来いいわけじゃん。
そのはずなのに、なんか知らないけど、
女性は女性の話をするみたいなところで、
まずやらないとそもそも誰もそんな話をしてくれないっていうようなところに
一番の制度的な歪みがあるよねみたいな話が最近ちょっと流れてきてて、
本来違う話なわけじゃない。
だからおっさん側がもう少しそういう哲学のテーマを取り上げていって、
その分の別の哲学者の枠を別に性別関係なく誰がやってもいいわけだ。
だから本来はみたいなところが分けて考えないと変になるよねっていう。
単純にそこでまた属性によっての配分になってくると、
45:03
結局その属性の共感しかならないよねみたいな話になってくるのかしらねって感じがある。
だいぶあなたの話とずれた。
選挙になるたびに気持ちがすさむんだけどさ、
今回のすさみポイントというかさ、今回の暴論言っていい?
さっきの制度の話と関わるんだけどね、一番の根本解決はね、
異性者の試験というものを著しく制限する制度設計にするのがいいんじゃないかっていう。
試験ってどの字の試験?
イベントライトを著しく制限するっていう制度設計にした方が国家はうまく回っていくんじゃないのっていう暴論。
やっぱり今ね、割と誰しもが人間だよっていう優しさが出てくるじゃん。
でもそれに対して、そもそもパンケーキが好きとかせめたが好きとかでさ、
選挙中にピーピー言ってんじゃねえよって話なんだよ。
お前が何を好きであろうと関係ねえから、政治をやってねってなる場合、
そもそも政治家にある間は全員独占領とかにいるみたいなところにぶち込んで、
基本的にそこで財産の自由な活動すらも許されないで、
1日決められたことだけしかできないみたいな形で、
プライベートをほぼなくすぐらいに制限して政治運用させるみたいな風にすると、
そもそも全然モチベーションの持ち方が変わってくると思うんだよね。
っていう大暴論を最近ぶち上げたくて仕方がない。
ツイッターで書くと残っちゃうからここで言うの?
ここで言っても怒るんだけどね。
そもそも選挙制度で選ばれた代理人たちが大きな顔をして、
多くの人たちのプライベートなあり方まで含めて干渉してくるっていうあり方自体が、
48:04
そもそも全く民主主義として機能してないじゃん。
民主主義においてそもそも必要なのは、
リーダー権を委託した人たちに対して、
著しく好き勝手させないようにガチガチに固めるっていう、
そっちの制度こそが必要であって、
そもそもリーダーを選ぶ側のこちらですからね、みたいな。
選ばせていただいたぐらいの気持ちでお前らをやれよっていうところが、
なんか歪むじゃん。
そこを偉そうな顔させないためにもね、
カチッと決めるみたいなのが、
一番ヘルシーに運用が回っていくんじゃないかっていう。
それぐらいの製品でないと先生という分に値しないっていうことかな。
そうそう。製品がいいわけじゃないんだよ。
むしろそこは余裕があったり暇がないと。
貴族の努力じゃないけど、不労所得がたくさんある人が
お金のためじゃなくやることだったんじゃないのっていう。
そうなんだけど、そこで重要なのはお金のためじゃないからやれるっていうところだけで、
金持ちがやらなきゃいけないことじゃないというか、
やっぱりそこは条件を合わせろっていうだけなんだよ。
やっぱり刑務所に入ると変わらないわけじゃん。
所得に関係なしに、明日も食えないかもしれないって
人もある程度毎日食えるようになるって意味だと、
底上げだしさみたいなところで言うと、やっぱりそこは条件を揃えて、
明日のご飯は心配しなくていいから、
日々の執務にだけ集中すればいい環境自体は
ちゃんとフラットに整えてあげて、
そのことは自由はさせないみたいな。
やっぱり政治が刑務所に近いような環境にあって
質問するべきなのではないかっていうのが僕の最近思ってること。
その話もう終わりでいいかな。
いいよ。
代わりの話題があるわけじゃないんだけど。
やっぱり選挙が近いと気持ちがすさむっていうお話でしたね。
何の話してたんだっけ。何の話でこの話になっちゃったんだ。
なんぽしそうな話。
女性の権利拡充と女性議員を増やすことは関係なくなるっていう話をしてた。
そういうことなんだよ。
そもそもさ、おかしな話だよね。
権利拡充も何もさ、そもそも不当に侵害されてるだけだから。
51:02
不当に凸引きがあること自体がそもそも権利侵害であってさ。
今の手持ちを増やそうって話じゃなくて、今手持ちから不当に削られてるものをちゃんと返せよって。
卓服してるものを返せっていうだけの話だから。
権利拡充っていう言い方をするとすごいさ。
取り分が減るじゃんみたいな言い方をされるけど、お前が取ってんだよっていう。
そこすごい嫌々みたいな話になるんだよね。
どうせ取られちゃうから最初から諦めてるみたいなことが織り込まれて生きている。
なるほどね。
だから別に最初から欲しがりませんから戦ってこないでほしいみたいな。
まあそうね。
別に戻ってきた分まで活用できるサイズ感で生きてないみたいなさ。
それはそれであるだろうな。
でもそれもそれで別の話なんだよね。
だって別にいらないのなら使わなきゃいいじゃんっていうだけの話でさ。
使うか使わないかの選択権はこっちにあるべきだよね。
別に権利っていうのは冷蔵庫の中の食材と違うんだからさ。
たくさんあっても置いといても腐るわけでもないんだから置いときゃいいじゃんねっていう話で終わりなの気がするんだけどね。
何分くらい喋ったかな。
結構喋ってた。
なんか今日まだ30分くらいのつもりでいた。
それだかとしては30分くらいだけどね。
いやいやそんなことないでしょ。だってたくさん喋ったよ今日は。
鬼滅の話から政治の話まで。
政治の話か。ヨタ話だろう。
でもね結構そこ重要なところでさ。
政治の話といえば立派に何かちゃんと党ごとの特色とかある政治家の思想みたいなところをちゃんと語られて初めて政治の話になるみたいな風潮は割と僕そうだと思うんで。
ヨタ話的にこういう世の中の方が普通にいいよねっていう話って既に十分政治的なわけじゃないですか。
で割とそのヨタ話の集積でしか何もそのこう。
そのヨタ話の集積じゃ見に行って。別に実はさ。
誰も割とその真面目に政治のことばかり考えてる人なんてそんなにいないんだから。
そんなにいなくていいんだよ。そんなにいない人たちにまでヨタ話的ないい加減さで何か選べちゃうっていうところに一つまあ。
なんつーの。
良さはあるわけでさ。でそこで何かこうあんまりシャチホコばってしまいすぎると何かそれはそれで変なことになるし。
54:07
まあとはいえだから適当にやろうっていうのも違うんだけど。
でもなんかやっぱり真剣にヨタ話をする真面目にヨタ話をするっていうことが割と大事なんだよねっていうことはちょっとこう言いたいですね。
うーん。まあ。うーん。うーん。
え?
いやそれ最初の話に戻るけどさ。
うん。
多分一番うわーってなっちゃうのさ。
毎年くらいでめっちゃ話のヨタクラフスターの人が選挙とか行ったことないから行かないって言ったらうわーってなっちゃうんだろうなって。
そうそうそう。そうなんだよね。
思って。だから別になんか私の知り合いで選挙行かないみたいな人いないから。
うん。
なんかそのさ、でもその私の友達ってさ、まあ言ってしまえば大学生までのさ、このガチャで引いた近い家庭環境じゃないけどさ、近い、なんていうの、なんだろう。
まあ割と近出的な世界にあなたはいるよね。中高一巻から大学までちょっと。
そうそうそう。だからなんか少なくともあそこの入学費が払えるくらいの家っていうのはさ、まあそれはわかってるわけじゃん。
だいぶニッチな世界だよね。
だから私にとってはさ、そういう、でオタクの友達作れないからさ、すぐロムセイになっちゃうからさ、だからそのコンテンツ投稿をする友達ってほぼいない。
だからたまたまその学生生活の中で趣味があった子だけがそういう会話をする相手だけど、まああんまりねえなあかもしれないし。
だからどっちかというとその周波数が合うだけの趣味の違う人たちが友達だから私にとっては、なんかそう、なんかあんまりそういう決定的な断絶を感じることないけど、
ねえコンテンツ、そのなんだろう、でも本もね、あなたが読むタイプの本の人たちはかなり同質性高そうだけどね。
いやって思ってたんだけどあんまりそうでもないんだよね。
それが面白かった。この前南森町さんのさ、働くことの人類学の読書会をやって、そこですごいね、あれ、だから働くことの話になるわけじゃん。
だからやっぱりその自分たちの労働環境だったり、そのお金にまつわる価値観だったりっていうところの話にどうしてもなってくるってなると、
割とやっぱりね、全然違うんだよね、それぞれに。
結構センシティブだね。
センシティブな話になっちゃうよね。
57:01
それはあなたのさ、この間のごまさんとのさ、会社員の哲学の話をしてるときとか、私ともちょっとしたけど、
このホワイトカラーめみたいな気持ちになるのに。
ブルシットジョーブのジョージ・サミみたいな気持ちになるのに近い、お互いにうわって思われるところだよね。
でもやっぱりだからね、そこで難しいんだよね。
言語化しないことにはその衝突点もさ、可視化されないわけじゃない。
投票もさ、実はそもそも選挙勝ち負けで考えること自体結構間違ってて、
なんか声を上げる、いるよっていうことなわけじゃん。
だからそもそも政治ってお前らのもんじゃなくて俺たちのもんだからなって。
で、見てるぞって民衆ウォッチング言うだぞっていうさ、機械なわけじゃん。
で、なんか割とそれって、やっぱりそこで黙っておこうとかさ、
よくわからないからとか言ったことないから黙っておこうとか、いなくなるんだよね、そこでね。
で、やっぱりそこでいなくならせないためには、
全然違うじゃんっていうのをまず自覚させるっていうか、
自覚できるような何かがあるといいよねっていう。
全然違うじゃんっていうのは?
考えてることが。
自分が投票するしないで何も変わらないじゃん、では実はない理由っていうのは
単純にその一票でどっちが勝ち、CUが決するからっていうわけではなくて、
違う人がいますよっていう存在感を示すことにこそあるわけじゃん。
やっぱりだから不良っていうのは授業に来ないことがメッセージになるのは、
そもそも席が用意されてるからじゃん。
選挙って実は席が用意されてるように見えて、用意されてないから。
出血しない限り、抗議にならないんだよ。
だから教室においては学校に来ないっていうことが一つの意義の唱え方としてあったかもしれないけど、
選挙においてはちゃんと出た上で授業聞かないで寝るとか、
出た上で机ひっくり返すとか、出た上で彫刻刀で自分の名前彫っちゃうとか、
そういうことをしない限り、そもそも不登校としても扱われない制度であるっていうところがやっぱり選挙の違いだから。
だから実は分かんないやっていうのも含めて、行って何かしらやんないと、
1:00:09
透明人間になっちゃうから。
ないっていうところに本来はAがあるんですよっていう話を毎回思う。
別に多分投票で世界を変えられないと思ってるけど私は。
でもオルデンっていうことをしないで何にも良くならないっていうのは、それはお前何にもしてないからって。
だから世界が良くならないのは間違いないかもしれないけど、
世界のありようっていうのをなるべく現実に近い形で可視化させるためにはなるべく多くの人が選挙に行った方がいいっていう単に素朴に話だけで、
今の制度設計がずれてるのとか単純に想定されている範囲っていうのが著しく狭かったりずれてたりするから起こる歪みなわけじゃん。
自分の生活との乖離っていうところで言うと。
そもそもその政治行政というもののターゲット顧客って言い方をすると非常に危ういけれども、その中に当たって入ってないんだっていうお話ですよね。
びっくりするよね。たまにそういう人って言うと。
うん、びっくりする。
何においていいか分からないというか。
でもそこで黙るのって選挙行かないのと一緒なわけじゃん。
そこが難しくて、働くことも含めて、何か言われた時にそこで声を上げないのもやっぱり違う。
何なら投票に行く行かないよりもそういう時に行った方がいいよってちゃんと言えることの方が実はかなり政治活動じゃん。
でもやっぱりそこでそういう話ができるようになるためには、よた話をちゃんとしておいて、失敗して恥かいて怒られて、もうちょっとマシになっていくっていうのが割と必要なんだよね。
っていう気がするんですよ。
僕最近ずっと言ってるんだけど、僕はもっと怒られた方がいい。もっと怒られたいなって思って。
でもそれはすごいわがままでもあるから、やっぱりそれに対しては怒らざるを得ないぐらいに僕がどんどんおしゃべりをして、どんどん墓穴を自分で掘っていかないとないんだろうなって思って。
1:03:03
なるほどね。ぶつかりギャグをね。
別にそれは漏派的に何か挑発したいとかそういうことじゃなくて、むしろそうじゃない部分で自分としてポロって言ったことがどれだけの暴力性や特権性をはらんでいるかっていうことを一個一個点検するためには、やっぱり言わないとダメなんだよね。
やっぱりそこで声を上げないで済まされるというか、当然のこととして黙ってられることが一番の怖さだなって思うから。
すごい怖いし、自分が結局何かしらの反動に加担してるんじゃないかみたいなのは常にあり得るから。
私は結構コンプレックスだよ。割と自分が特権的じゃない。それは別に私の意思でというよりはガチャの都合で。
ガチャですらないからね。弾こうとすら思ってないからね。
だからそもそも自分の意思があんまり関係なく、本当に単純に偶然というだけでこんなにそれぞれ違っちゃってるっていうことに対して、
イラ立つのは、実はその弾く気もなかったガチャで、SSR弾けた側もそうじゃなかった側も本来等しいはずじゃん。そこの行き通りって。
そこでやっぱりSSRだから黙ってろよってなってしまうこと自体にも何かやっぱり違和感があるし。
かといって、じゃあ何ができるの?それこそ困ってる人を助けられるほどの余裕が本当にあるんだっけみたいなところで結構微妙だなとか。
ということを考えていくと、じゃあ本当にまずどこでだったら偶然的な要素に対してある程度の角度までは一般化できるんだろうかみたいなところを考えていくっていうのは、
結局なんだかんだ自分の立場からしかできないから、なんかこう聞こえのいいお話だけ知ってると結局それなんかインテリの言語ゲームに過ぎないんじゃねーのみたいなところがやっぱり最近はね、もやつくところではあるんですよね。
私は世間知らずって言われるのがね、でも世間なんかそれこそロアじゃないけどさ、それはさなんかもうめっちゃ滝に渡るわけじゃないですか。
世間って言う時に、例えばね、例えばA3は世間知らずだけど、
例えばフェイトは世間なのかっていうと両方世間なわけじゃん本来は。
なんか結構そこが僕モヤモヤするところでさ、現実というのはこんなに辛くて厳しいもんだっていう言説はあるけど、現実はもうこういうマシなところがあるっていう言説と比べると2個目、後者の方がなんか分かってない風になっちゃうことに。
私も世間のうちのはずなのにさ、すごい疎外されるんだよね。
1:06:04
実はそこを疎外してしまうからこそ、なんか当たり前にみんないい感じの方が良くないっていうところになぜか決着できない感じがあるんじゃないかっていうのを結構すごい、僕もそれこそコンプレックスだから、
なんだかんだ言って余裕がある人の側であることがね。やっぱりそれに対して、
いや、なんかそれこそだからこう、下の方でこちょこちょ対立してないで、もっとでっかく夢描きましょうよみたいな気持ちにするのは、なんかこう、やっぱりそういう気持ちは持ってたいなっていう気がするんだよね。
みんな選挙には行こうね。
いや、マジで素朴にそういう話ですね。
結論として絶対間違ってないことはそれしか言えないんで。
そうなんだよ。だからちょっとこの選挙期間はこう言えていくらではアメリカンユートピアになります。
それ以外のこと言うと世間知らずがバレちゃうから。
あなたにとっての世間はこういうものなんだっていうさ、その世間というものの利用を証明するためにはやっぱり何かしら言わないと、なんか世間じゃない。
だって別に世間知らずって言ってくれる人は世間を教えてくれないじゃん。
そうそうそう。それ結局世間じゃなくてお前の生活だろってなるんだよね結局。
だからやっぱりそこでその一個その抽象化した世間っていうものを本当に誰かが持ってるかつって誰も持ってないんじゃないかっていうところが本来問題なはずで。
そうであるならばやっぱりその世間観っていうものを、なんか意外と世間いろいろあるわってするためにはやっぱりそれぞれの違いをワーワー言うことからしか始まらないんだっていう。
そうなんかさ、なんかもっと苦労した人とかにさ、世間知らずって言って逃げられるとさ、いやお前が私という世間を知らなかったんだからお互い様じゃんって思うんだけど。
思うんだけど別にさ、そんなことはしてくれないわけじゃない。
やっぱりでもそこで難しいのは、それはそれで絶対そうなんだけど、とはいえ今余裕がある側だったり何かしら強い立ちに立っちゃってる側が、なんかそれをその人に直接言えるかって言うとまた別問題なわけだ。
でもそれって単純にさ目の前の人には親切にした方がいいとかさ、目の前の人とは一応そのお行儀よく仲良くしたいとかっていうさ、別の話であってさ。
世間の話じゃないんだよね。っていうところはやっぱりなんかこう、そこで上手にどうやってわけでどうやって伝えていけるんだろうかっていうところで、多分みんな口くじけちゃうんだと思うんだけど、どうすればいいんだろうなっていう気がしております。
1:09:13
なんかそこで余裕のあるタイトルにすると、それは特権側だからみたいな、世間的なその人の中でのピラミッドコードを持ち出してくるわけじゃない。
でなんかやっぱりそれで言うとね、ちょっとこれ長くなってきちゃったし、ここからすごいネタバレをするから、ここで切る人は切ってください。
セックスエデュケーションの話をね、していい?ちょっとネタバレなんだけど。
セックスエデュケーションで、あれ名前忘れちゃったな。
まあいいや、その2人とも仲良しの女の子が出てくるんだけど、1人はトレーラーハウス住んで、1人はお屋敷に住んでるの。
それで修学旅行があるんだけど、修学旅行にはその母親もそれこそ役でやって捕まっちゃってるし、義理の弟預けてるお家の人にわざわざそんなお金を無心したくもないから修学旅行に行かないっていうわけで、
お友達がそのぐらいの金額だったら別に出してあげるよって言うんだけど、出してもらえねえよってそんなに大した額じゃないんだしみたいなこと言うわけ。
それは無理だよって言うんだけど、この友達はメイブのことが大好きだから一緒に修学旅行に行きたくて、こっそり払っちゃう。
こっそり払っちゃって一緒に行くんだけど、行く間はずっと弟を受け入れてくれた義理の里親の人が払ってくれたんだと思ってずっとむすっとしてるんだけど、あるとこでそれに気づいちゃって、2人がすごい大喧嘩をするシーンがあるのね。
そこでなんでそんなことをするんだろう。いいじゃん別に高くはお金でしょみたいなところで、すごい平行線を辿るんだけど、そこでねやっぱり何が良かったって、
メイブのあなたは特権的な立場にいるから私の苦労だったりどうせわからないでしょっていうところである意味行くんだけど、それに対して本気でお友達の方が怒るんだよね。
わからずやゴーストバーリーみたいな。なんでそんな頑固なの。私はただあなたと一緒にいたかっただけなもん。だってわかんないもん。だってずっと会ったからお金みたいなところで、すごいちゃんと怒るの本気で。
その2人じゃなかったらそれってめちゃくちゃ暴力的な働きにしかならないんだけど、わりとそこでちゃんとバーカバーカって言い返したお友達の振る舞いに僕は結構感動して。
だからそうなんだよね。ある意味それってその2人の問題じゃないんだもん。どっちかがお金を偏っていることって、お金を持ってる側の責任でもなければ持ってない側の責任でもなく、もっと大きいレイヤーでの話なわけじゃん。
1:12:06
だからその2人の関係性にあんまり関係ないはずでさ。その2人の関係性の中では普通に対等にわーわー言い合って喧嘩してもいいっていう一つの定義のされ方をしたなと思って。
なんかわりとね、向きになってわーわー言い返すみたいな。それはその関係性ありきだけどね。レイヤーが別のところにあるものに対しての断絶に対しての向き合い方というかどういう応答の仕方があるんだろうかというのが一つとして。
普通に大人げなく立てって言い返すっていうのが実は一つの流行談なのかもしれないなっていうような気がしたよっていう話を最後にしたからします。
ぜひセックスエデュケーションネットフリックス見れますか。シーズン3まで見ていただければと思います。
それでは。
それでは。ポイティックラジオ、お相手は私、関根翔太と。
奥さんでした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。