00:30
はい、というわけで、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
こんばんは、柿内正午です。
奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
お願いします。
はい、ということで、
はい。
お散歩会ですが、
お散歩、はい。
お家に帰るよ。
っていうね、ところですけど、
はい。
久々だね、このなんか、日曜の夜に。
うん。
ギリギリに録音するっていう。
ギリギリはね、最近結構あった。
あ、ギリギリは結構あったか。
あの、てっぺん回ってたのは、
あ、ギリギリっていうか、ギリギリアウトのやつね。
うん、まあ何回かあったけど、
お家だったから、歩きながら、
歩きながら、
ギリギリ間に合う時間に撮ってんのは、久々でしたね。
久々だね、そうだね。
はい、ということで、
はい。
今日はね、下北沢トリウッドで、
はい。
ギーナイツ。
はい、無修正版を。
無修正版をね、見てきまして。
はい。
大変よろしかったですね。
うん。
いやなんか、そのここね、
あの、そもそもあなたがあんまり、
うん。
映画に親しんでこなかった。
うん。
じゃない?
まあ、いわゆる名作映画と呼ばれてるものを、
ほぼ見てない人生ですわ。
ですわね。
で、まあそもそもあとそれで、そもそも映画ちょっと苦手というかさ、
うん。
そのなんていうの、3時間ある演劇の配信は、
うん。
2回でも3回でも見れるけど、
うん。
2時間の映画はちょっと見れへんみたいな、
うん。
90分で収まる?収まらない?じゃいいやみたいなね。
そうそうそう。
とこあったじゃないですか。
うん。
みたいなところもあって、なんか奥さんと一緒に映画見ると、
うん。
なんかその、なんか単純にその慣れも含めて、
うん。
映画に対するね、
うん。
需要帯の違いを、
まだちょっとシナプスが少ないからね。
そうそうそう。
ちょっと突きつけられて、僕がすごい漠然とするみたいな体験が、
うん。
ちょっと多い、
多い、
このわからんちんがと。
そうそうそう。
なんかやっぱりその、その瞬間、映画について語ってる瞬間はさ、
うん。
それこそさ、なんか好きな人のことよりもさ、
うん。
好きな作品のことの方優先するところあるじゃないですか、僕。
うん、そうだね。
あの、今ちょっと思い出したんですけどね、
はい。
大学の頃に付き合ってた彼女と、
うん。
なんかレオンを見たんだよ。
うん。
リュックベッソンの。
はい。
03:00
で、その時ツタヤにレオンのディレクターズカットマンしかなかったわけ。
はい。
で、それを見て、
うん。
まあ、もう一緒に見てね。
うん。
で、もう彼女めっちゃこう感動してさ、
うん。
もうボロボロ泣いてたわけですよ。
うん。
で、僕はそのディレクターズカットマンが許せなくて、
うんうんうん。
というのもリュックベッソンの性癖をね、
うん。
全面に押し出した結果、
うん。
まあ、そもそも長くてかったるいし、
うん。
あの、ナタリー・ポートマンと、
うん。
ジャン・レノの、
うん。
あの、なんか何、40、50のおっさんとさ、
うん。
10代のさ、
うん。
あの、女の子のさ、
2代系の少女のね。
なんか、普通にこうなんかロリコン恋愛小説になっちゃってるわけですよ。
うん。
はい。
露骨にね。
はい。
エロ同人感みたいな話になってて、
うん。
クソ気持ち悪くて。
うん。
ふふふ。
見終わった後に、
なんか僕が見たのは多分、
うん。
もともと劇場公開版か、あるいは、
さらにそこからテレビサイズにカットされてる版だったんだよ。
はいはいはい。
僕のレオンの体験っていうの。
はい。
で、それがだからめちゃくちゃハードボイルドに、
うん。
そのストイックに、
うん。
女の子の、
うん。
ことを救いながらも、
うん。
まあちょっとこう教育が足りてない、
うん。
ジャン・レノが不器用ながらも、
うん。
被護者として振る舞うっていう話になってたわけですよ。
うんうんうん。
みたいなのがあったから、
そのマセガキが、
ナタレコさんがマセガキなのはあったんだけど、
うん。
そこに露骨に性愛の、
うん。
乗せてる、
うん。
キモさが、
まあなかったんだよ、僕が見たバージョンは。
はいはいはいはい。
だからこそ好きだったんだけど、
はい。
それがね、
うん。
出ちゃってるぞ。
めっちゃ出ちゃってて、
うん。
本人出ちゃってるぞっていうね。
で、見終わったときにクソキモって思って、
うんうんうん。
で、言ったの。
クソキモだわ、これって。
うんうん。
で、僕がなんか、
思ってたのと違うね。
映画しか撮らないけど、
レオンだけは例外だと思ってたけど、
うん。
やっぱりこいつやっぱクソじゃんって思って、
うんうんうん。
クソだねって、
うん。
言い放ったわけ。
言い放っちゃったから。
その貫禄に無誠意というね、
はいはいはい。
彼女に向かって。
はい。
めっちゃ喧嘩になってた。
うん。
で、なんか結構割とその、
何?
まだその、
うゆうゆしい恋愛の頃ですから、
はい。
僕もだからそういうこう、
好きな子は立てるというかさ、
うんうんうん。
なんて、
だからその、
よくある恋愛信念のあるあるのさ、
初回、初級編としてさ、
とにかく相手の話を聞こうとかさ、
はい。
相手を立てようみたいなのあるじゃないですか。
うん。
それを間に受けてた。
はい。
あーはい。
ぐらいの時期だったわけ。
うんうんうん。
なんだけどそこは譲れなくて。
譲れなかったね。
マジこのレオンはキモいよっていう話を、
うん。
めっちゃして、
うん。
すごいなんでこっちはこんなにさ、
いいって言ってるのにさ、
何それ?みたいになって、
うん。
すっごい、
すっごい空気になったっていうことが、
あったんですけど、
いい話だったね。
うん。
だからなんか、
その頃の僕はなんか本当にさ、
うんうんうん。
高校まで彼女もできずにさ、
うんうんうん。
なんか悶々と過ごしてさ、
うんうんうん。
大学では頑張ろうみたいなのもあったからさ、
うんうんうん。
とにかく何よりも、
うんうんうん。
彼女を作るみたいなことがね、
うんうんうん。
その、
プライオリティとして一番だと思い込んでた時期だったわけ。
うんうんうん。
それでもレオンのディレクターとカット盤の肝さえ許せなかったというか、
06:00
うんうんうん。
目の前のこの人よりも、
映画へのね、
そう。
この人よりも、
興味のほうがね、
自分の映画に対しての、
心理観のほうがね、
のほうがね、
大事だった。
大事だったっていう、
譲れなかった。
っていう話をね、
うん。
今ふと思い出したけど、
この感動してる彼女の前でレオンをこき下ろしたことで、
振られたとしても、
しょうがないぐらい、
許せなかったね。
しょうがないぐらいだった。
許せなかった。
いいね。
そう。
一言だから言うけど、
いいね。
やっぱり作品っていうのは、
批評っていうのはよく嫌われるものなわけじゃないですか。
はいはい。
やっぱりクソだなって、
自分が思った、
許せない作品については許せないって、
そこは言わないといけないなって、
うんうんうん。
いう、
なんかそういうこうスピリットを、
うんうんうん。
僕はね、
うん。
そういう時期ですら保ってたんだなっていう、
うんうんうん。
割と今となっては誇らしいエピソードとして。
今となってはそうだね。
当時はすごいその後クソほどへこんだけど、
うん。
へこんでめっちゃ平山にしたけど、
結局。
したけど、
うんうん。
でも特にそこに関しては全然撤回しないっていう。
うんうんうん。
まあまあまあ、
相手がどう思ったかはね、
別の話だからね。
そうそう。
でもそこさ、
そこやっぱり今となって未熟だったなっていうかさ、
うん。
別にその、
自分にとってクソ、
許せない映画でもさ、
うん。
なんか好きな人いるわけじゃん。
うん。
っていうところをちゃんとこうね、
うん。
認める、
うん。
別にそこの性愛部分が刺さったかどうかっていうのはさ、
そうそう。
別だから。
別の話でさ、
そうそうそう。
自分の中でさ、
うん。
こう、
引き算してた、
そうそうそうそう。
見てた結果、
なんか見えてるものが一緒だったかもしれないしね。
そうそうそうそう。
から、
ちょっと何とも言えないんですけど、
はい。
まあちょっとそこでね、
そういうことがあったなっていうのとか、
はい。
まあちょっと脱線しましたけど、
はい。
まあ要するにだからなんか映画見るときに、
うんうん。
すごいこう、
うん。
一番多分あなたとのディスコミュニケーション感じる。
うんうん。
なんかマジで見てるものが違うっていう、
はい。
ぐらいの、
うん。
疎外感が。
しかも私の場合は、
あの、
良いか悪いか微妙だけど、
関連に結びなくほど、
そうそうそうそう。
あの前の目でさ、
で、
まず映画っていう、
芸術の形態に馴染んでないっていうのがあるから、
そうそうそうそう。
そうなんですよ。
あの、
うん。
いやだから、
あんまり引きずることもないし、
そうそうそう。
すっごい撃たれることもないっていう、
そうなんですね。
まだ需要体が育ってない感じがあるからね。
うん。
だからその温度感としては、
うん。
すごいあの、
工藤寛のドラマのさ、
マンハッタンラブストーリーあるじゃん。
はいはい。
マンハッタンラブストーリーにおける、
あの赤羽さんがコーヒーを飲むか飲まないか問題みたいなね、
うん。
シーンあるじゃないですか。
うんうん。
これもう分かる人しか分かんないけど。
いやまあなんか、
マンハッタンラブストーリーめっちゃ好きなハトなんだけど、
全然中身覚えてない。
えっとね、マンハッタンラブストーリーでは、
いやでもなんか分かる。
トキオの松岡マスターが、
うん。
主人公のマスターが、
ドキドキしてんだよね、出す度に。
すごい、そう、あの、
赤羽さんって、
キョンキョンがやってる、
赤羽さんっていう役の女の人がすごい好きで、
09:01
うん。
で、自分のその人生を懸けたね、
うん。
コーヒーを、
いっぱいよね。
毎回出して、
飲んでくれ。
何かが伝わるはずだから、
ずっと思ってるんだけど、
赤羽さんはずっと、
うん。
なんかミッチーとの恋愛の、
うん。
のろけ話とか、
うん。
何かしらに夢中になって、
うん。
一口もこうコーヒーを飲まないで、
うん。
出てっちゃう。
うん。
で、やっと飲んだって思ったら、
うん。
なんかうがい飲みだけして、
うん。
口の中さっぱりさせて帰ってくみたいな、
うん。
感じで全然コーヒーを楽しんでくれないみたいな、
うんうん。
あれに近いものを感じて。
うん。
映画って原体験というか、
うん。
もう本読むよりも先にあった、
うん。
ものだから、
うん。
その作品の需要の仕方っていうものが、
僕は映画って、
うん。
こう培ってるところが、
うん。
あるからね。
うんうん。
まじでそういう、
その一杯のコーヒーのことですよ。
うん。
で、これをね、
はい。
その、
あなたも美味しいねって言ってくれるといいな、
うん。
思って出すと、
うん。
そもそも飲んでくる。
うふふふ。
何か飲んで分かんないとか、
だったらまだ分かる。
何かまださ、
うん。
味の好みの違いだなっていう。
うんうん。
そもそもあんまり飲んでくれない。
うーん。
で、飲んだとしても何かすごいこう、
片手間に何か飲まれて、
あんまり味分かんなかったみたいな。
そんな、
完全そんなにだけ。
いやまあちょっと今、
ちょっと大げさに言ってるけど、
うん。
でも何かそのぐらいの、
うん。
あの温度感のね、
温度感の違い。
違い。
興味の、
興味の、
度合いの違いを感じてる、
そうそうそうそう。
っていう前提がまずある。
そうそうそうそう。
っていうのがあったんだけど、
うん。
一緒にコーヒー飲めた感じ。
うん。
え、割と、
そんな、
そんな、
何か、
そんな、
もうちょっと、
積極的に、
面白がってたよ。
あ、えっと、
ちょっと待って。
ごめんごめん。
今のはちょっと僕が話を分かりやすくするために
盛りすぎたんだけど、
うん。
えっとね、
あ、
あ、
あ、
あ、
あ、
あ、
あ、
あ、
あ、
あ、
あ、
あ、
僕のね、
えーとね、
前壇として、
はい。
この前、僕ら公演聖典でビックリボウスキを見たじゃないですか。
はい。
あれ、僕バーとフィンクのつもりで
はい。
公演教ääで一番面白いのはこれだからって。
はい。
間違えてサジエストしとったね。
見せた結果、
ビックリボウスキはぶっちゃけそこまでのやつだったという、
うん、
ところで、
盛大にこうね、
透かしちゃったわけやからね。
あなたがね、
僕がね、
各 hoc participate
勝手にね。
僕も別に面白く見たんだけど、なんかそのフォームランのつもりでなんか無駄なヒット打っちゃったなみたいな感じがあったわけですよ。
みたいなのがあったから、なんかちょっとうーんっていうのと、
あとやっぱりそのさ、あなたと一緒に盛り上がる映画ってさ、
まあだからなんていうの、ミニオンとかハイローはさ、
割とこう一緒に楽しめ、同じ水準で楽しめるじゃん。
ゴリゴリの娯楽映画ではなく、
ちょっと作家性が強めのものみたいなものを、
僕がそれこそ10代の頃に見てたような。
12:00
それで言うと、ちょっと一瞬脱線するよ。
この間本田レオが配信で言ってたのが、
衝撃状の好きなところはみんながみんな好き、よかったなって思うものじゃなくても、
出してあなたはどう好きでしたかどうでしたかって問いかけられるのが衝撃状だと思ってて、
だからもっとエンタメ前振りのやつはみんなこれ好きでしょって思って作ってるよって話をしてて、
だからミニオンとかハイローとかはもうそっちのエンタメ前振りで、
カレーライスみたいな。
みんな好きでしょっていうものだって、
みんなが好きなことの方が作家性よりも優先されている。
そうね、まさにそう。
だからウィクリブースキーとかはもうちょっと小…
修道部だね。
ん?あ、修道部。
だから衝撃状じゃないけどさ、
映画の中にもそういう濃淡があるじゃんっていうのも衝撃状。
演劇で言うなら衝撃状よりだねっていう。
そうね。
まさにそういうことだね。
工業規模とは別でね。
で、僕たちはそれこそ衝撃状を一緒に見るとさ、
同じようなところで面白がれる。
そこが共通地点としては共有し得るところだからね。
っていうのもあるからさ。
なんか僕もね、
あとそれこそあなたの小さいライブハウスのバンドとかを一緒に見に行ったりもしてたから、
そのノリで、
規模で言ったら映画の場合ももちろんかなりでかいんだけど、
作品の方向性の話よね。
3つほどでもないんだけど、
いやだから商業的な規模とは関係ないよ。
そうだね。
作品のプライオリティをどこに置いてるかの話だから。
そうだね。
そういうものを一緒に見るときに、
思ったより響かないことが多い。
っていうのが結構僕の中で、
なんでだろうなって思ってたわけですよ。
でも最近だと僕は友達とね、
さだこVSかやこを見て、
やっぱりあれを対決したことだなって思ったりもしてるわけだけど、
それはまたちょっと別だけどね。
ホラーで怖いものの特有不特有もあるから別だけど、
なんかちょっとこう、あるっけ?
うん。
なんかすれ違いさ。
はい。
たくさんが分かってくれないと。
分かってくれないっていうか、そもそもなんか、
なんか違うんだなっていうのがあったりして、
すごいだからもやもやしてたんだけど、
ブギーナイツは2人とも同じくらいの温度感で楽しめたばかりか、
ブギーナイツに関しては僕は割と現体験に近い分、
言葉が出ないんだよね。
なんかもうめっちゃひんやっていうことしか言えないところを、
あなたがすごいこういろいろね、
このシーンがこのシーンにつながっててとかさ、
15:02
ここの表情のアップの意味があったんだなみたいな話をしてるのを聞いて、
めっちゃ面白かったわけ。
はい。
すごいって。
だからなんか僕以上にちゃんと言語化して映画を楽しんでる。
だからあなたにとって初めての経験だよね。
で、すごいそれが嬉しくてさ、やったって思って、
ブギーナイツはよかったなって。
素晴らしい。
私にでも刺さる。
で、これでさっき話してたのは、
あなたはそもそも映画が苦手とか、
映画の楽しみ方がよくわかんないとかいうふうに思ってたけど、
そもそも自分の好みの映画にあまり触れてなかったのかもって話をしてたじゃん。
あれいい話だなと思って。
ブギーナイツを見た時もさ、
割と最初の方のあなたの感想はさ、
廃炉みたいって言ったじゃん。
一意見ある?
そうだね。
それが、僕すごいなるほどなって思ったんですけど、
ちょっとお話してもらってもいいですか。
なんかちょっとね、廃炉みたいって言ったら、
何言ってんのこいつって言われるかもって、
ちょっとビビってたけど、
要は廃炉の特質すべき点って、
めっちゃ人間がいっぱい映ってるんだけど、
誰を見たらいいかわかる。
そのままこいつの見せ場が終わって、
次こいつですっていうのが、
シームレスにどんどん繋がっていくのが気持ちいいっていう、
大乱闘で喧嘩のシーンが。
やっぱ花だと思うんだけど、
ウェギンナイツもやっぱそういう感じで、
長回しでたくさん人がいて、
パーティーのシーンがあって、
でなんか、こういう感じの人なんだっていうのが、
重々繋ぎで行われていくっていうのが、
まあ何個かあるよね。
一番最初もそうだし、
パーティーのシーンもそうだし、
カウントダウンのところもそうだし、
その視線誘導が気持ちよくはまるっていう、
楽しさがハイローで感じたことがある喜びだなって思って、
なんか今は他の映画で、
言語化未満で乗れなかったのって、
カット割りのノリが合わなかったのかもなっていうのを、
それで逆にね、
認識したっていうか、
この道めっちゃうるさいかも。
この道うるさいかも。
一本何個か入ってみると、
どう行けるかわからなくなる。
18:01
まあね、そんなに急いでないから、
適当に遠回りしながら行く。
でもそれすごいいい話だなって思ったの。
何がいい話だなって思ったかっていうと、
僕が割とハイローのことをちょっとバカにしてるんですよ。
されのめしたシネフィル・ボウヤーとして、
僕がね、エグザエルのMVの延長みたいなやつを、
映画として認めるのはいかがかって、
ちょっと思ってたところがあるわけなの。
だけどあなたがブギネットを見たときに、
ハイローみたいって言ったときに、
逆に僕はハイロー映画じゃんって思ったの。
ここで大事なのは、
ハイローシリーズ全てが映画なわけじゃないってことで、
レッドレインとかザ・ワーストクロスがクソ映画ですよ。
映画じゃないですよ。
っていうのを含めてすごい腑に落ちたわけですよ。
その話をちょろっとするなら、
レッドレインもザ・ワーストクロスも、
全部文字に書いてある。
全部言葉にしてる。
まずこれがクソ映画。
逆に言うと、ザ・ムービーの素晴らしいところが、
まじで拳がキャラ造形なんだよ。
だからその喧嘩の仕方。
喧嘩スタイルがキャラクターと直結してるよね。
喧嘩スタイルだけで、
このキャラクターこういう人なんだっていうのがわかるようになってる。
絵で見せてるわけだよね。
だってそれ映画じゃないですか。
しかもそれが一画面に一要素だけ入ってるんだってことで、
複数の要素が入った上で、
今はこの人を見てくださいと。
とはいえ他にも、
よく見たらいろいろやってますよっていう、
一個の円の中に入った情報のリッチさみたいな。
その二つを僕は映画と思ってるんだなっていう気がして。
僕は結構多くの映画をブギーナイトの基点に、
基準点として見るところがありますから、
そういう観点からいくと、
ファイアンドローンのザ・ムービーとかは、
めっちゃ映画だったなっていう気がして。
だってもうレッドレインとかさ、
ザ・ワーストクロースの世界でブギーナイトとかさ、
ズボン下ろした瞬間に、
うわー大きいって言っちゃうでしょ。
そうだね。
みんな言わないんだよね。
あれいいじゃん。
オーバーではなく、はっ!ってなってるっていうのがあってのも最後、
出てくるっていうのが大事だからね。
やっぱりあそこで露骨にさ、
わーみたいな感じにさ、
しないほうがいいわけだもんね。
っていう、なんかそれだよっていう気がね、
していてね。
っていうこともちょっと今途中だったね。
うんうん。
もう大丈夫?
大丈夫だけど、
だからその、
一画目の中で一要素じゃないっていうので言うと、
21:02
やっぱりなんか、
映画が苦手かもっていうのは、
何と比較して苦手かっていうと、
演劇なんですよ、私にとっては。
私の演劇の解像度って、
別にそんなに色々見てるわけじゃないけど、
ずっとシェイクスペアを見てて、
ある劇団のシェイクスペアを、
10年近く毎年見てて、
だからなんかシェイクスペアって悲劇で、
悲劇って何かっていうと、
作中人物にとってはとても、
もうこの世の終わりのような悲劇が、
同時多発して、
それを客席から全部見えるということによって、
もう一周回ってバカバカしくなって、
悲劇になるっていうのが悲劇だから。
そうだね。
だからそれぞれの悲劇、
一要素しかなかったらそれは悲劇にしかなくて、
複数の悲劇が重なり合わさることによって、
完成するのが悲劇だから、
一要素しかなかったら悲劇なんですよ。
そうなんだね。
複数要素あることが悲劇の最低上限だから、
なんかそこで真剣に、
千和喧嘩してる最中で、
これしょうもないボタンの掛け違いがあるよ、
みたいなところに面白さがあるから、
っていうのがあって、
だから演劇もそうなんだけど、
二人でシリアスな話をしてるシーンが続くと、
秒で飽きちゃうんだよね。
一要素しかないんだね。
お前らの語り合いはもう分かったから、
何を喋るのかもだいたい分かるから、
もう終わらず次行こうってなっちゃう。
分かる。
そうなんだね。
だからやっぱりそれで言うとさ、
トール・トーマス・アンダーソンの作品ってのは非常に
戦劇的な、軍装劇が得意な監督だから、
二人のシーンも結構服装的なんだよね。
それまでの文脈を引き付けるから。
例えばマギーとローラーガールのシーンとかは、
言ってしまえばさすがに役を決めてる、
二人ではしゃいでるだけのシーンなんだけど、
それまでの文脈を踏まえると、
マギーはお互いに疑似家族的な、
共依存関係を求めているし、
そういう大切なものに対しての繋がり方を、
ドラッグしかマギーはそもそも持ってないっていうのも含めて、
やってることだけ見るとバカバカしくてしょうもないんだけど、
結構だから悲しいシーンになってる。
あのシーンはかすがりとしてダークがいるんだけど、
ダークはそこにいないっていう。
で、繋がれなかったドラッグっていう手法で、
24:03
もう一回娘を作ろうとしてるっていうところの、
それじゃダメなんだよっていうシーンだからね。
ダークはダークで薬で身を持ち潰してるっていう。
あれは非常にね、そういう上手な。
普通に映ってるものだけで構成されてるわけじゃないシーンだよね。
だからね。
あとそもそも終盤のみんなどん詰まってるシーンとかさ、
すごいカット割りでそれぞれやるわけじゃん。
みんながどう持ち崩していくのかを平行して描いていくじゃん。
みたいなのが結構ね。
演劇だったらそれこそ紙芯で、
舞台の設定を分けてそれぞれでやりとりが進んでるのと、
似たような効果を及ぼすからね。
最近、エーステ初見の人と春たんを見たんですけど、
紙手でつづるくんがこういう友達がいたんだよって話をしてて、
下手で見ずのが、つづるくんは僕にとってこういう人だったんですって話をして、
同じ曲をね。
もう1本やっぱり向こうで行ったほうがいいんじゃない?
同じ曲を一緒にいないけど歌って、2人で加護階層に入るのを見て、
すごい演劇ならではですねっていう話をしてて、
演劇だったらそういうやり方があるし、
映画だったらカットって、
別に尺の使い方じゃん。
細かくしておけば別に慣れないし、
それぞれの話を覚えたまま見れるし、
結構尺は長いけど、
なんかね、不思議だよね。体感とさ、
全然一致しないじゃん。
全然一致しないよ。だってプギネス2時間半だからね。
だから多分それの成功体験なんだよね。
90分。だからつまんなくても見れるのが90分。
乗れなくても自分が見れるのが90分だから、
90分かどうかが1個の基準だし、
逆に演劇は使用している演出家であれば3時間でも、
病だから3時間あっても見れる。
ポチってするし、
ポチってしていたら挫折することもあるけど、
これは小分けにしてみようみたいなのもあるけど、
だからそこの映画のつらい2時間の経験と、
つらくない3時間の演劇の経験の数の差。
でもそういうことだよね。
なるほどね。
っていう単純な学習。
学習ね。
27:00
いやーそっか、面白いな。
いやだから、別にそれはすごく素朴な話でさ、
軍装劇だったら映画もOKとかっていうわけじゃないじゃん、また。
だからそこが、そういう単純な話じゃないんだけど、
やっぱり複数の観点があるみたいなので、
演劇の方があなたにとっては伝わりやすいんだよね。
舞台上でそれぞれに別々のことが同時に進行しているみたいなことがやりやすい。
そういうシーンに象徴されるけど、
要するに一つの画面が、
他の観点からすると全然別様に解釈し得るみたいなことが、
その一つの板の上で表現されていくと。
それが一望できるみたいなところに、
多分あなたはすごく見方の大切さを持っていて、
それによるとあなたにとって映画っていうのは、
一個ずつ、画面分割とかあるけど、
基本的には一個のカメラが、一個の画角で映したものしか一遍には見れない。
だから全体性が一望しにくいジャンルなわけだよね。
カメラが映っているものしか観客は見せてもらえない。
だからあなたが好きな引き劇的なものを、
すごい作りにくいというか、
作れるイメージがあまりまだあなたの中にない。
成功体験がないっていう感じ。
そういう感じなんだなって。
言ってしまえば、僕がしくったなって思ったビックリ防止機もさ、
見方によってはめちゃくちゃ引き劇というか、
公園境でそういうのばっかり撮ってるから、
ほとんどカメラを主要人物にしか据えられないけど、
どう考えてもこいつ間違ってるっていう、
分かる映画を撮ってるから、
多分、あなたが好みのものだろうなっていう見立て自体は間違ってないと思うけど、
やっぱりカメラというものは一個ずつしかない。
っていうことに対しての割り切り方というか、
見方の素地が全然違うというかね。
あなたにとってはマジで一個しかないって思う気持ちが強いんだろうなっていうのを、
今日さっきブギーナイツの感想をね、感想戦をやりながら感じていました。
主役、圧倒的主役にカメラがべったりくっついてるみたいなのが、
多分苦手なんだと思う。
だからブギーナイツも多分見る人によっては主役違うじゃん。
あ、そうだね。
最終的にジャック主役じゃんって私は思って見てたけど、
多分ラブが主役じゃんっていう人もいるし、
そういう余地がね、残ってるのが好きだなっていう感じですかね。
30:03
誰を中心にして見るかっていうのの余地が残されている。
それこそね、電撃もそうだもんね。
タイトルロールになっている人を必ず押すわけじゃないというかね。
そうだね。
マクベスだからといってマクベスを押すわけじゃないみたいな。
自分にとってこの人を中心に見るみたいなのが決まっていくみたいな。
だからなんかハムレット何回も見てるけど、
やっぱりどうしてもハムレットかオフィリアかホレーシオに
堅入りしてみちゃうなっていうのがあって、
で、なんか多分新川卿のやつでハムレットを見たときに初めて、
なんだっけ、お父さん、お父さんっていうか新しいお父さん、おじさん。
名前出てこないけど分かるよ。
吉田幸太郎がやってて、初めてそのときに、
うるせえなこと言って。
なんか、この人はこの人で悲劇なんだなって思って、
だからハムレットは特にそうだけど、
もう登場人物の分だけ見方があって、
でもなんか、別に全部できなくてもよくて、
その年とかそのときの自分の気分によって引き付けられる立場があって、
何回噛めば噛むほど、
お前も大変だなという気持ちになるっていうのが面白さだから。
あまりにも要素が多すぎるから、
やっぱり秘書を置くところをどう変えるかっていうのが、
みんなやり尽くしてるから、
シェイクスピアって、そこがうちの見せ所みたいな感じになってるけど。
でもそれすごいよく分かる。
後藤太郎が水かぶってんのを見て初めて。
どういうふうに思ったんだって思った。
でもそうなんだよね。面白いね。
僕1回目見たとき、武器のやつ1回目見たときはジャックの話だって。
それこそ、ビデオと映画の話だっていうところで言うと、
映画の男はジャックだからジャックの話だって思ってたんだけど、
33:00
今回はダークな話として見たなっていう感じがあって。
それも結構新鮮だな。
そういう見る側のコンディションによって全然感じ方が違うっていうのは、
1個豊かさのあれよね。
これどうしたらいいんだ?
そこを歩道橋で渡っていけばっていう感じです。
なんかすごいリトルビルの話が出てくるじゃん。
リトルビルとジャックは対照的というか、
両方とも男らしさ的なアメリカンダッドのあり方の成功例と失敗例なわけじゃん。
ジャックは最後まで強い父親であれたけど、
ビルは強い父親であれなかったのに、ある意味男らしさに殺されていくっていう役なわけじゃん。
だからその二人が対比としてある中で、ダークがどうするかっていうと、
徹底的にガキのままでいるっていう道を選ぶっていうのは、ある意味不正の放棄なんだよね。
男らしさの領局にいるリトルビルとジャックが、
まずはじめにいる世界の中でダークが余ったれとして徹底することで、
領局のどっちにも行かないっていう。
ガキに居座る。
成長しようとして失敗して、メソメソ戻ってきて、
それを受け入れることで、非豪者サイドのいい場所を作り直せるっていう。
アンチビルドゥングスロマンなんだなっていう気持ちになってね。
どうしましょうか。
どうしましょう。
もう一駅歩いちゃうか。
一駅歩きますか。
一駅歩いたら多分策的にも丁度いいか。
そうしましょうか。
みたいなことを思って。
でも今となってはむしろ、
非豪者のジャックとマギーの目線で見る方がある意味正しいんだなっていうのは分かったんだけど、
36:04
多分当時の見方としては、
ガキのままでいることっていうものが、
わりと一個のオルタナティブだったんだろうなっていう気がしたんですよね。
今はもうそれ許されねえだろうっていうのはあるんですけど、
っていうのを思って、やっぱり最初に見るとジャックだよねっていうのが、
そうだよねってなった。
初見の人はねえってなった。
初見の人はねえってか、まず最初に見るならそうだよねっていう感じがしましたね。
映画の話だなっていう。
そうそうそう。
ビデオを切るとコロナスターですからね。
渡っといた方がいいのかな。
お店側だね。
みたいなところで大変、
赤になっちゃった。
心で結構満足したんですよ。
で、しょうもこれなくね、
ホラーの話をするならば、
やっと読み終わりましたね。
ライトハウスで買ったノエル・キャロルのホラーの読み終わりましたけど、
なんでホラー好きなんだろうなってことを考えたんです。
今言ってるホラーはホラー映画?
ひとまずホラー映画。
僕はなんでこんなにホラー映画が好きなんだろうなってことを考えたんです。
まず一つに大前提として、僕はわりと趣味悪い映画が好きっていうのはあるよ。
映像ぶちまけられるんですけど。
っていうのは素朴にある。
僕の映画の好きなところって基本的にだいたいブギンナイツに入ってるけど、
そこにプラスゾンビ映画があれば僕も映画撮たれると。
ぐらいの、そういうことなんですよ。
どういうことなんだって。
そんな感じなんですけど、
特に日本のホラー映画に関しては何が好きかっていうと、
画面がリッチなんで。
これはその金かけてるとかいう意味では到底ないんだけど、
特に日本のホラーっていうのはさ、
普通にこう日常の場面を映しててさ、
39:01
画面の隅を何かが横切るとか、
何もないはずのところに動きがあるみたいな怖さなわけじゃん。
だからダメ日本映画にありがちなさ。
一画面一要素っていうダメさをジャンルとして回避しやすい。
先にそっちの表現があるのか、
こっちがどこかで履修しちゃったのか分かんないけど、
見てる側としては絶対後ろに何か映るんだって思って画面を見るよね。
だからあなたは悲劇っていう言葉、キーワードを使って話してたけど、
僕からすると複数性みたいなことなんですよ。
僕が映画も演劇も含めて好きなところっていうのは。
その一画面にいくつも情報のレイヤーとか文脈のレイヤーがあるっていうことに豊かさを感じるから、
ホラーはどんな下手な監督が撮っても少なくとも二つある。
生きてる人間と死んでる人間の。
日常に非日常が入ってきちゃう。
起こっちゃいけないはずのことが起こったりする。
みたいなところがあるから、どんな下手な監督が撮っても、
僕が映画に求める映画の面白さのエッセンスは担保されてる。
だからB級と言われようがホラー映画だったら見れるのはそういうことで。
これが別のメロドラマとか人間ドラマだった場合はもう耐えられないわけですよ。
見るに耐えないはずなんだけど、ホラーが出れば見れちゃうのは、
二つ以上の何かが画面にあることが保証されているってことなんじゃねえのって思ったんですよ。
やっぱり泣き笑い的なのが好きというか、
絶対笑っちゃいけない状況なんだけど笑えちゃうとか、
なんかめちゃくちゃ爆笑してるはずなのにすごい切ないとか、
そういうのがいいわけじゃん。
映画限らず作品を授業するときの楽しさっていう気が。
これ本当にこの道で合ってるかな。
わかんない。
なんかどうだろうね。
42:02
とりあえずまっすぐ歩いてるけど。
とりあえずまっすぐ歩けばいいのかと思ってたけど。
どうなんでしょう。
まあいいのかな。
あっち?
結構難しいかも。
でも確かに。
さっきのはこうか。
そうだよね。
私一回歩いたことあるんだよ。
僕も一緒にあなたと歩いた気がするんだけど。
そこら辺でいいし。
そうすれば静かだしね。
どうしようもなくなったら録音やめてね。
真剣に迷子であることを認めるけど。
まだ認めない。
まだ認めない。
認めなければ迷子じゃないからね。
今のこの録音もさ、
映画の感想を言うっていうのと、
デタラメに歩いたままちゃんと家に帰れるのかっていうさ、
サスペンスとかさ、
アドベンチャーだよね。
同居してるわけじゃない?
そもそもこのうるさいからさ。
ラウドっていう。
そういう複合的な要素がね、
入ってると面白いみたいなのがあるじゃないですか。
面白いかなこれ。
ちょっと後で聞き返して不安だけど。
あとギリギリだから音声チェックできないもの出すけど。
どうだろうな。
無理かもしれない。
結構厳しいかもしれない。
ここら辺は使えないかも。
そうだね。
まあだけど、
今あんまり大したこと喋ってない。
街の騒音を聞きいただいてね。
今信号待ちしててね、大きな道路のね。
ちょっとだから。
止めたらいいんじゃないかって。
聞き苦しいところがあるかもしれない。
やっぱり今日はポール・トーマス・アンダーソンみたいだから、
長回しに関わらないことがあるから。
そうか。
無編集・ポッドキャストは長回しと言い張る。
そうだね。
それもありだよね。
ただのズボラなんだけど。
ただのズボラだね。
ただのズボラなんだけど、
長回しと言い張るっていう。
でもさ、なんかさ、
監視カメラに映っちゃったってそういうことじゃん。
あ、そうそうそういうことだよね。
そうだね。
ほとんどは何も起きてないんだけど、
なんか面白い一言が取れちゃったみたいな。
ああ、そうだね。
お花はいいよ。
そうだね。
あ、でもそれ面白かった。
この前、佐賀小柏さんと一緒に見た友達は、
マジで全方位のホラー無理ですって言ってる人だったんだけど、
だからすごいね、的確だったのコメントが。
何を一番怖がってたかって、
何も起きないシーンに怖がってた。
はい。
何も映ってないのが一番怖い。
45:01
あ、でもそれはわかる。
だから起きるまでずっとドキドキしてたけど。
そうそうそうそう。
なんか監視カメラモノのあなたが今言った話。
非常にだから。
はい。
よくわかる。
一番怖いんだよね。
いや、疲れちゃうんだよ。
うん。
来る?来る?いつ来る?
うん。
もうさっさと来てくれ。
わかるわかる。
疲れちゃうんだよね。
そうだね。
そう、だから。
そういうね。
あとやっぱりだらだらした長回しが僕好きなのも、
多分近いんだなって思うわけ。
だって映画に意味のないショットなんてそんなに入れないじゃん。
しかもそんなに何分もさ。
なのにだらだらただ練り歩いてるだけのシーンがずっと続くと、
いつ何が起こるんだ。
いつ何が起こるんだっていう気持ちになるのとかもね。
要するに実はホラーの手法っていうのは、
いろんなところにあるんだよね。
ノエル・キャラルのホラーの手続きの話に戻ると、
あれに何が言われてるかっていうと、
要するにホラーって何かっていうと、
映画の感情のバイブスにお客さんが乗せられたときに感じる恐怖みたいなものを、
映画のことをホラー映画だと定義してるわけですよ。
これ実は他の作品に関しても同じことが言えるというか、
何かしらの一つのこういう感情っていうバイブスを、
映画のいろんな方法論とかで作っていって、
それに波に乗るように上手く乗れた観客っていうのは、
その映画が意図したような感情の波を感じ取れる。
それが一つの映画の面白みなんだっていうことを言うとるわけですけど。
それがたぶんすごいなんですよ。
ホラーは方法と目的とが非常に近いところにあるから。
分かりやすいんだよね。
映画の喜びとか楽しさとか面白さのあり方が、
そのままカメラの置く場所になってるから。
みたいなところで僕はホラーが好きだったなって納得しました。
なんかこないだ撮ってないときにホラーの話をしてたじゃん。
なんか見れるホラーはあるじゃん。
見れるホラーを怖いと思ってない。
結局怖いという感情とともにそれでも面白いと思って見てるホラーが存在しないという仮説を今持っているよ。
48:03
それと言うと僕も前にこのことについて話してたけどあまり怖いと思ったことがないと思ってたの。
だけどホラーの哲学を読んでむしろこれから正しく怖がれるかもって思ったの。
例えば構造分析的な見方が好きだからさ。
このシーンをこのシーンとこうしててとかさ。
このシーンの後にこういうシーンが来ることでこういう感情が提起されるよねみたいな見方を僕は好むじゃない。
ホラーにこそ格好の適応できるんだよね。
だからここでこれうめえなっていう関心の仕方がイコール怖さなんだよなって思った。
面白さじゃなくて。
だからそれを僕は面白さだと思ってたの。
だけどもしかしたらそれを怖いって言っていいのかもって思った。
え?そうなの?
ちょっと説明が難しいな。
今日の爆竹の金持ちの感じですよ。
ちょっと待ってって。
ここの盛り上がりがやばいっていうあれに近いものをホラーに感じる。
ちょっと置いてかないで。
音楽聞く時のさ、声裏返っちゃったよ。
音楽聞く時のさ、テンションの上がり方っていうのはさ、そこまでのリズムの刻みからさ、
新しい展開に入っていく時のさ、あるわけじゃない?
揺らぎみたいなものも含めての絶妙な想像。
だからホラーにおける恐怖っていうのはまさにそのカタルス部分だったなって思った。
だからここでこういうような緊張感を蓄積した上で、
こう、ちょろっとね、怖い顔を出したりすると、
やばいっしょっていう。
全然うまく言えない。
怖くない?
あなた自身は怖くないんじゃないの?
いやだからそこが難しくてさ、その時点で僕は冷静な分析的な見方を出放せてないじゃん。
いやでもね、これはね、言葉の定義の問題でもあるし、
あなたと私の許容量の問題があるんだけど、
私は私で、ホラー、怖いということと過度なストレスを切り離せてないし、
あなたはその分析的な面白さとホラーを切り離せないし。
あ、だから、えっとね、ブギーナイツに引きつけていいですか?
51:00
はい。
ブギーナイツっていうのは要するにこれのスターの話なわけですよね。
だからホラーとエローも似てんじゃん。
だからエローの話にするね。
エローはさ、自分と関係なくてもエロいなって感じることがあるわけじゃん。
だからホラーも別に、これが本当にあったことなんだとか、
自分が今このお化けとか化け物に襲われる危険に晒されているんだって思わなくても、
エッチだなって気持ちにはさ。
あ、ちょっと間違えた。
今怖いなってさ。
あっちで当たるんだけど。
当たるけど、でもどうしよう、もうちょっと喋ろうかなと思って。
あー。
まあいいや。
っていうね、怖いなって思えるわけじゃん。
で、今だからエロ文脈で言うと、そういうことじゃん。
そういうことじゃんっていうのは、別に自分が何かエロいことをしているわけじゃなくても、
むしろそれはBLとかに分かりやすいけど、
自分は壁視点でも、その二人の関係性に対して、
うわ、エッチだって思ってエッチな気持ちになれるわけじゃん。
はいはいはい。
なんかホラー映画におけるホラーってそれだと思うわけ。
あー。
で、ここにおいて、この作者の受けの解釈とこの表情の描き方、
間近めがかってるっていう、その技術に対するリスペクトと、
こう、無茶エッチですっていう、その高ぶりとっていうのは同居するというか、
共存可能なものでしょう。
で、なんか僕はホラーに対してそれに近いものを感じるというか、
うわ、ここでこんなカット入れて、こんな不穏なところで、
こんなにこう、意味深な長回しを片透かしとして使った後に、
ここでこの音響効果でこんなカット差し込んだら、
それはもうビビり散らかしますわ。
どこまで?
ここ。
はい。
こっち?
はい。
結構一緒なんじゃないかって。
なるほど。
あっちもあっち行って、そうね。
こっちだとね、いきなり汗が入るとね、いろいろバレるからね。
っていう感じなんですけど。
どうですか?
なるほどね。
だから、それで言うと、私は、
ドエッジ文脈で言うと、
肌色面積が増えた瞬間に鼻血を吹いて倒れちゃうみたいな。
54:00
適正のなさ。
ってことだ。
アレンジだ!って言ってぶっ倒れちゃうっていう。
なるほど。わかりやすい。
噛み締められない。
なるほどね。
っていうね、ことなんじゃないのかなって思って。
で、見れるホラーもあるよって言ったのは、
結構クリーチャーもの。
大球地区とか好きだし、
救いがないものが好きなんですよ。
YouTubeのね。
YouTubeのクレーアニメで変容っていうシリーズを撮ってる人がいるんですけど、
それとかすごい好きで、
化け物に襲われて自分も化け物になっちゃう時の驚きと、
信じたくなさと、
苦痛と、
あと結構すぐ精神的な主導権を手放させられるから、
もう何も考えられなくなっちゃう悲鳴みたいなのが
割と好きっていうので、
それも人によってはめちゃめちゃホラーなんだよねっていう。
言われてみれば確かに、
見れる奴に対して自分がホラーだと思ってないだけで、
見れんだよなって。
だからなんか普通にそういうことなのかもね。
座っちゃう?
ちょっともう締めに入りますけど、
要するにあなたが好きなのっていうのは、
エロ文脈にあえて例えるなら快楽オチ的なことなわけですよね。
でもだからなんか、
これまた違うけど、
雑なホラー。
ただびっくりさせて、
ただ知るべき武者みたいな。
でなんか悪い、露悪的だぜみたいなホラー映画があるじゃないですか。
あなたはそういうのはどう?
あんまり見てないからな。
例えば?
例えば?
13日の金曜日は近いかな。
でもあれは結構あれだから。
なんかもうちょっとブシャブシャなやつ。
ピラニア3Dとか。
快楽天みたいなやつだ。
だからさ、まさにホントにホラーもめっちゃ雑な男性同人っぽいやつ。
だからあれだよね。
メギーナイツでいうとローラーガールが素人に手を出した結果さ、
57:00
もっとセクシーにしてくれ。
そんな雑にその子は使わないでくれって。
ああいうやつね。
そう、ああいうやつよ。
だからやっぱり素人臭いやつがあんまり面白くないのかもしれないね。
何て言うのかな。
例えが出そうなんだけど放送に載せていい例えがあんまり出なくてさ。
ちょっとね。
難しいよね。
簡単に言うとほんのちょっとでも一回その抵抗する主体っていうのがまずあってさ、変容とかの場合は。
だけどすぐに同化していっちゃう。
落ちていっちゃうっていう。
そこに面白さがあるじゃん。
何が言いたいかっていうと、
なんかその、なんだろうな。
ダメだ、適正なぼかし方が。
ピーン入れる?
なんかそのさ、よくわかんないけど、壁にはまっちゃうみたいなやつあるじゃん。
何が言いたいかっていうと、
抵抗する主体の抵抗の契機っていうのがないホラーっていうのもあるわけ。
無差別殺人的なもの。
だからそのピラニア3Dにおけるいきなり容赦なくぐしゃぐしゃになってっちゃうみたいな。
気づいたら首だけになってるみたいですね。
そうそう。
多分そういうのはあんまりなのかもって。
特にそこにホラーってないよね。
ないんだけどね。
だから、切られたことに気づいてない逃亡みたいな話でしょ。
そうそうそうそう。
あ、でもだからあなたが前言ってたのは、
対応策がないやつが嫌いって言ってたじゃん。
逃げようがないからみたいな。
うん。
だからJホラーでが嫌なのは、
見つかっちゃったら、
もうおしまいっていう。
因果応報じゃない。
何かに見つかってしまった、
超越的なものに見つかってしまったら、
もう何をしてもしなくても結末が変わらなくて、
でもその中で大体一生懸命抗おうとするところを
ドラマとして仕立てようとすると。
どうせ諦めるしかないのに、
そこで一生懸命抗っている人のことを好きになるようなことをされても、
悪趣味じゃん、それって。
だったら、アート・オブ・カラーズみたいに、
順応していく方が好きで。
だから絶対救いがない中で、
1:00:02
早々に諦めちゃいたいんですよ。
そこで望みがあるかもみたいなのをちらつかせながら、
結局ダメとか、
あと生き残っちゃうのも別に好きじゃないんだよね。
今すごい分かった。
今日あれだ。
使えるかどうか考えない。
R18になるかもしれない。
健全なポッドキャストにあるまじきこと言うけど、
日本人が大好きな寝とられ者ってジャンルがあるじゃないですか。
寝とられ者において、
最後まで嫌だって言いながら終わっちゃうムナクソエンドが一個あるじゃん。
多分あなたはそれが嫌いなんだよね。
ホラーの話の例えだと思って聞いてね。
嫌いなわけじゃん。
その撮っていく側の先輩の色に染まって、
黒髪清楚系だった子が黒ギャルになっていく系の展開は割と好きというか。
それホラーに置き換えて、
ホラーに置き換えて言えばいい。
そういうことなのかもしれないなって思った。
ネクロノミコンを予習しておいてよかったねみたいな。
だからカラーアウトブースペースが最後までみんな正気を保って、
嫌だって言いながらやられてったら、
多分ちょっと嫌いなわけじゃん。
だけどみんな最終的に景気良く。
ぶっちゃけ私はニコラスケージに全く興味がないから、
あの話、娘ちゃんがラビニアが可愛い。
この子だけは幸福度が下がらないで終わってくれるといいなっていう中で、
ベストな黒ギャル。
今普通に旧支配者の群馬に下るかどうかとかで話せばよかったのか。
よく考えた。
わざわざそんなエロ文脈を引っ張ってこなくて。
せっかくクツルフっていうのがあったんだから、
旧支配者を崇拝するか最後まで抵抗するかぐらいでよかった。
ニコラスケージは何なのかよく分からなかったんだよ。
ヤバいもんにヤバいもんがぶつかっちゃった結果、
ヤバかったっていう。
ニコラスケージにトマト渡しちゃいけないっていう。
ニコラスケージが旧支配者というネトリ主に対してどういう抵抗を示したのか、
もはやよく分からないというか、
乗っ取られ、別にニコラスケージの自我を保ったままさ。
でもクツルフは基本的に人間みんな緩和帖してるからね。
そうね。
それに自我を保って、ある程度自発的に明け渡したのがラベニアで、
無意識で電波から染められちゃってるのがニコラスケージだったから。
1:03:11
でもすごいよく分かるよね。
うん。
いやでもなんかちょっとダメだな、どうしても。
なんかさっきのよりいい例えが浮かばないもん、やっぱり。
じゃあまあいいんじゃないですか。
割となんか分かりやすかったと思う。
私は性卒業が悪い男の趣味に染まっていくの嫌いじゃないですよ。
そうせなら楽しくやっていこうぜって。
でもそういうことだよね。
だからすごいよく分かりました。
サダコVSカヤコは最高って話ですね。
サダコVSカヤコはね、最初のサダコサイドの二人の揺りで終わればよかったんだけど。
もうちょっと楽しいルーティーンだと仲良くなってくれたら盛り上がったかもしれない。
山本美月、お前なんかみんなのスパダリずらしてるけど、
だいたいお前のせいだからなっていうのはありますけど。
ありますけどね。
自分で丹念巻いてみんな全員の彼氏になっていくっていうのは一つの王道のパターンではありますから。
言っちゃいいんですけど。
それデートだから本当にね。
もうちょっと楽しいルーティーンだとの関係がね、あるとよかった。
でもしょうがないわ。
パーマのかかり具合すら制御できないぐらいのスケジュールで撮ってますから。
そうだね。
時間がなかった。
すごいラストシーンの悲鳴別撮りなんだろうなって思って。
そうだね。
いろんなバリエーションでとりあえず叫ばされてる感じがあるよね。
こんな感じかな。
ホラーもね、見たら見れんのかね。
まあちょっとだから、いろいろね。
別に見なくていいんだけど。
ホラーに限らずいろんな映画を見てみよう。
そしてその映画の好きなところっていうのを、
例えば今言ったような悲劇とかね、複数性みたいなところがあるような映画を
ちょっといろいろ見てみるのはいいんじゃないかなっていうのが僕は思ってる。
そしてその観点でチョイスすれば楽しんでもらえる気持ちになってますよ。
でもやっぱり解像度が上がるとA級からB級まで見れる、S級からB級まで見れるみたいなのあるじゃん。
1:06:03
だから別に私が見てる天国とかもみんながみんな面白いわけでは全然なくて、
ぶっちゃけB級だけどここは面白がれる。
だからやっぱり権威づけしやすいというか、カルチャー格づけ的なので言うと、
どうしてもB級的なところに置かれてしまうようなもの。
嫌な言葉ですけど大衆性の強いもの。
どちらかというとバカにされるジャンルなわけじゃないですか。
だけど別にそれがだからといって踊っているわけではないわけじゃない。
でも何をもってこの作品の良し悪しを決めるかというと、
外部観の気にづけでなくて自分の何かを根拠としてやるんだったら、
自分の中に好き嫌いがはっきりしてないと評価しようがないんだよねっていうことですか。
だからそれは大衆性の強いものを下に見るというのは、
自分の中の好みがはっきりしている人がはっきりしていない人をバカにしているから生まれる価値観じゃん。
だって大衆性があるってことは、深くはないけど広い人が面白がれるってことだから、
面白いは面白いはずなんだよ。
大衆性自体が価値判断に本来ならないっていう話よ。
同じ廃牢でも良い廃牢と悪い廃牢はあるっていう話でさ。
で、それは廃牢だからじゃなくて、
この作品は個別の作品ごとに好き嫌いをジャッジできるっていうことが大事なわけじゃないですか。
っていう話?
そうだね。
かな?
そうね。
こんなもんかしらね。
はい、堂々上げていこうみたいな。
見た後に言ってたけど、
天国はさ、特にだけどさ、
役者のファンで見に行って、
面白い演劇とか面白くない演劇とかわからない状態で、
とにかくいっぱい推しが出てるから見に行くっていうので見に行って、
1:09:03
当たり外れがあるんだなっていうところまでは通るけど、
その面白さを決めるものが何なのか、
その事前情報から分かるかどうかってちょっと難しくて、
別に、ぶっちゃけ演出が地雷だったら誰を使おうが地雷なんですよ。
それを舞台上で役者が何とかしてるとしたら、
ある意味、一見好意だし、総合芸術として言うならば、
演劇はまだね、その階、その板の上は役者に委ねられてるから、
その役者が何とか、絶対これお客さんが持たれてるものじゃないって思って、
何とかしちゃったらマシになるかもしれないけど、
演劇だって絶対それがないわけじゃん。
そうだね。
だって編集だって監督がやるんだし。
まあまあ、そうか限らないけど。
それからレオンのディレクターのカット版とそうじゃないのはさ、
監督の性癖が出てる出てないを排球側なりなりがさ、
ジャッジできたから。
ディレクターのカット版が面白いとは限らないから。
だからその性的なものが払拭されたバージョンが世の中に存在するっていうさ、
それはそれで良かったねっていう、
それはある意味その、
芝居で言ったら役者が起点を突かせたみたいな話で、
脱線したけど、
だからなんかその、
映ってる、その、
映ってるものしか判断できないと、
面白さを語る、
うーん、何て言うの?私何て言ってたさっき。
何て言ってたっけ?
なんかなんかはずれと当たりがあるなーの中で、
それを左右するものが演出であるっていう言葉を持ってるかどうかで、
芝居の見方って全然違うように、
多分映画も、私は多分カット割で何となく好き嫌いがあって、
でも今までそういう観点で映画を見たことがなかったから、
だから今回その多分長回し好きだろうから、
それって言うならおすすめだよって言われた時にナイツを見に行った結果、
入ろうと好きな好きさが近かったっていう感想が出てくるわけじゃない?
長回しというかその、視線誘導っていうところで、
だから結局はその見方、視点を増やしていくと面白がれるものが多いし、
避けられる地雷が増えるっていうところで、
まあ、地雷は避けていきたいよね。
1:12:00
そうだね。
見たい地雷は特にないからね。
でもそうそう、だからそのシティライの言葉を、語彙を増やすっていうのはさ、
まさに自分にとって何がクリアされてればいいのかっていう話なわけじゃん?
例えば実はその素朴にラブストーリーが嫌いと思ってたけど、
単純にラブストーリー嫌いなわけじゃなくて、
例えばそのラブストーリーには一対一の関係しかなくて、
いつまで経ってもシーンが動かないから嫌いなんだとすると、
実は三角関係、四角関係の複雑なラブストーリーだったら、
運動のあるラブストーリーだったら割と見れちゃうかもしれない。
パターンラブストーリーみたいなね。
そうそう。だからまさにそれは本当に、
別に恋愛っていうもの自体に対して僕らはそんなにさ、
弱さを感じてないじゃん?その概念としての恋愛っていうのは。
でもそれをテーマにした作品に関しては、
別に面白がれるっていう。結構ここ重要だと思う。
だからここであなたがずっとこれまでピンときてないというか、
なんか僕の話が嫌悪になる、正反対な君と僕とかね。
嫌悪になるの?
えーとなんていうの。
あのーなんていうの。僕より。
自覚がない。
そっか。
嫌悪?
嫌悪ってかなんかさ。
正反対な君と僕に関してはいいねで一致してるよ。
そっかそっか。
ただラブコメというものに対して私がわからん。
てか学園ラブコメがわからんっていう話に、
どうしようもんなっちゃって。
そうそうそうそう。
でも私、木原敏恵好きだから、
ラブコメは読んでるはずなんだよ。
そうそうそう。
だからまさにそういう話。
だからそのラブコメっていう大枠で言うと、
なんか学園ラブコメっていう大枠だけで組んでいくと、
あなたはなんか嫌なものというか、
苦手なものとして扱うけれども、
個別具体的な作品で見ていくと、
ちゃんと楽しめるものもあるっていう話なわけだよ。
学校のものが嫌いなんじゃないかな。
学校のものは普通に嫌いなんだと思うんだけど、
それは僕も嫌いだしね。
でもそれがそれでさ、
確保にいれる要素なわけね実は。
そうだね。
学校はもう全て地雷でアウトなんですっていう見方も一つあるけど、
学校であったとしても面白がれるものもあるっていう、
面白がるっていうのもあるわけだ。
そうなってくると、
普通に要素として何が本当に嫌で、
何がなければ楽しくてとかさ、
何があれば楽しめるのかみたいなところが見えてくるみたいな。
のがあるよね。
ジャンル切りしないで、
要素切りというか要素押しができるというか。
そういう、
なんかやっぱり素朴に楽しめるものが増えるじゃん。
そうだね。
その方が。
っていうのが、
僕はいいなって思ってます。
おかしいよね。
カテゴライズさ、
なんか、
1:15:01
メニューだけどさ、
ディスコミュニケーション。
あ、そうそうそう。
ハズレするじゃん。
テンプレとかキャラ付けみたいなものってさ、
あんまり豊かさには寄与しないね。
なんか、
私、
高校生ぐらいからバンギャーだけどさ、
多分世の中が、
あんまりよくわかってない人が想像するVKでは全然ないんだよね。
好きなバンドが。
なんかVKからもはぶられてるようなバンドも仕方なく、
まぁCDならVKって言ってるから、
なんか、
開き直ってテクノとか言ったほうがいいのかなーみたいな気持ちでね。
でもテクノって言うかなーみたいな。
だから、なんかカテゴリーの問題はね、ずっとね、
いやそう、わかるよ。
疑問。
難しいよね。
だからやっぱりなんか、
最近そういうことマンガとかだと、
ジャンル横断的なものというかさ、
何なのこれっていうのがあるわけだ。
チンソーマンとかね。
ダンダダンとかね。
なんかそういうのがこう、
なんか、
出てきているのは、
いいよね。
と思います。
なんか、ついでに言うけどさ、
VKってさ、
ビジュアルショックであること以外何も言及してない名前なんだよね。
VK的な音楽って存在しないんですよ。
名前から言ったら。
ビジュアルに力を入れていれば、
それはすべてVKで、
音楽性に関しての縛りってないから、
私はサンモマスターもVKだと思ってるから、
見た目が。
それ言ったら大体のバンドVKだけどね。
見た目だから成り立っているバンドという意味で、
VKだと思ってるから。
ビジュアルって切り離さないといけない。
マネスキンとはまさにそれだよね。
だからさ、
何も言ってないんだよね、別に。
そうだね。
間違いない。
余談でした。
でもそういうことですよね。
ホラーとかもね、実はその程度のものなんだ。
そうなのかな。
ホラーはさ、生成される感情の名前を指してるじゃん。
まあね。
手段と感情じゃん。
ちょっと無理しました。
スラッシャーホラーだったら、
いっぱい殺して怖いっていう意味でしょ。
ホラーとメタルは違う。
細分化されているけれども、
メタルはメタルだろうっていうね。
そうですね。
こんなもんですかね。
大丈夫?
ダラダラ喋っちゃってよくないなって思って。
1:18:00
じゃあちょっと録音やめたからね。
ダラダラ喋ればいいですからね。
じゃあ一旦こんなところで。
はい。
プリエティックラジオ、
お相手は私が見なしたこと、
パクさんでした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。