1. ポイエティークRADIO
  2. 第百二十回 傑作『怪談散華』..

傑作『実話奇彩 怪談散華』(竹書房怪談文庫)について、著者の三名を招いて存分に語るスペシャルな二時間。傾聴、商売、文体、編集──、「怖い話」に留まることのない様々な角度から味わえる本書の魅力がすこしでも伝わればいいな。本読む楽しさを知っている読書好きはもちろん、自分の方法を模索している実作者も必聴の内容です。本編中「怖い話の話」はしてますが「怖い話」はしていませんので苦手な方もご安心ください。

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はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私、柿内正午と、本日は特別ゲストで、この方たちです。
青森県弘前市在住、怪談作家、高田公太です。
2019年から怪談の語り収集執筆を始めました。卯ちりと申します。よろしくお願いします。
怪談作家としては、まだ駆け出し、ぺいぺい中のぺいぺい、卯崎須美です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。やったー!ということで、ポイエティークRADIO史上、たぶん一番のビッグネームをお呼びしている方たちになりますが、
普段、僕の本当に友達とかが、あとは普段、基本的に奥さんが一緒に相手してくれてやっているラジオなので、
俺も柿内さんの友達だよ。
あー、そうですね。そういう意味だと。
友達だよ。
友達としかではないですけど。
ビッグ友達、ビッグフレンド。
ありがとうございます。
と言っていただけると。
ということで、普段ポイエティークラジオを聞いてくださっている方からすると、突然ではあるんですが、
今回は、実話怪談本、実話記載怪談三芸という本がですね、先月かな、9月に竹正坊さんから出ておりまして、
この本を書かれているお子さん方をゲストに迎えて、こんな楽しい本が、面白い本があるぞということを、
ちょっとささやかながらね、世に通っていくということを目的としてやっていきたいと思っております。
素晴らしいコンセプトですね。
僕は、たぶんこのポッドキャストでも何度か、実話怪談というのがあって、
それはすごい面白い世界なんだみたいなことを、好き勝手語っている回自体はあるんですが、
それだけでがっちりと特集を組んでみたいなのは、なかなかやってこなかった部分もあるので、
ちょっと今回はその底の、これまで全く怪談みたいなところに触れてこなかったような人にこそ、
聞いてもらいたい回としてやっていきたいなというふうに思います。
大事なことですよ。怪談本なんてね、怪談好きか、
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なんとなくインスタントに読み捨てできる軽い本を読みたいなっていう時に読むものだと。
もともと読書家のみなさん、怪談本は買わない人が多いですよ、基本的に。
私、本読むの好きなんですっていう人が、みんながみんな怪談、実話怪談というジャンルを知ってるかというと、
なんですかそれっていう話になりまちですよ。
そうですね。僕もなんていうのかな、それこそいろいろと映画だったり本だったり好きでいろいろと読んでいて、
その中で本が好きな人たちに受け入れてもらえて、そこで少しいろんなお友達ができてきてるっていうところで、
こういうポッドキャストだったりもやってるんですけど、ある時期にすごいゾンビ映画にドハマりをして、
ゾンビ映画の特集をポッドキャストで組んだり、それを本にして出したりっていうところで、
これもまたみんなに喜んでもらえるだろうっていうのでワクワクしながら作ってたんですけど、
見事に本を読むクラスターにゾンビが刺さらなくてですね。
不思議だ。不思議ですね。そんなことが起きるんだ。
全然違うんだなーみたいなことを思ってたっていうちょっと苦い思い出があるんですけど、
ゾンビと比べると怪談は本が好き、読書好きな方々に本当にわかりやすく真っ直ぐ刺さっていく要素っていうのがものすごいたくさんあるジャンルだと。
いうふうに確信しているので、こういう本としての魅力みたいなところをガッツリお話ししていけたらなと思うんですが、
ちょっとまずすごい簡単に、そもそも実は怪談ってなんぞやみたいなところを、
これをちゃんと真面目に聞いてくださっている人がいるかどうか、一人でもいるかどうかわかんないですけど、
おさらいというかちょっとしておこうかなというふうに思います。どうしようかな。
これ僕から簡単に僕なりに話しちゃっていいですか。
話しちゃってみてください。
間違って終わったら高田さんがぶった切る。
果たしてそうかなーって。果たしてそうかなーって。
ここで論争が始まって作が終わっちゃうかもしれない。
まず僕が実は怪談っていう言葉を知ったのは本当に朝川さんにいろいろと教えてもらってからなので、
もうそれまでまるきりさらだったことを思い出しながら話をすると、
なんかそれまで怪談っていうのは純粋にもうなんていうのかな、怖いだけの話というか、
それこそテレビでやってる本当にあった怖い話みたいな、
あれはだからそれこそ本当にあった話の再現VTR的な形でやってきて、
怖い顔をしたお化けみたいなのがわーって出てきて驚かしてきたりとか、
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そういうとこで怖い思いをするっていうようなもので、
とにかく恐怖を与えるものみたいな娯楽として怪談っていうのはあるんだろうなっていうぐらいの薄い理解だったんですけど、
そこにその実話っていう言葉がついている実話怪談っていうジャンルが、
それこそ文芸であったり語りのジャンルにあるらしいということで、
いろいろと読んでいくとやっぱりこれすごいなんだろうな、ただ怖いだけっていう、
もちろん怖いっていうのが一つの大きな要素ではあるんですけど、
怖い以外にもすごいいろんな要素があるものだなっていうのをすごい感じて、
実話っていうぐらいだからまず本当にあった話なんですよね。
それを書くときにまず怪談の書く人たち、怪談の作家さんっていうのは、
実際に何か不思議な体験をした人にお話を聞きに行くと、
お話を聞かせてもらったものを改めて作家側が語り直したりとか書き直したりして、
一つの作品にしていくっていうプロセスが取られるジャンルなんだっていう、
ところに僕は非常に面白さを感じてですね、
これまず何が面白いかって僕のここから個人の感想ですけど、
単純に何かこういう怖い出来事がありましたっていう、
それだけのジャンルというよりも、まず何よりも、
こんなにもいろんな人がいて、こんなにもいろんな人がいろんな形で世界っていうのを認識して、
いるんだっていうものを収集している人として、
実は怪談の作家さんたちっているんだなっていうところに一番グッときたんですよね。
例えば僕はそんなに幽霊とかあんまり信じている方ではないんですけど、
だからこそそういう不思議な世界ってあるかないかっていうところで判断して楽しむものっていうだけの楽しみ方ではなくて、
あるないを一旦自分の信念を保留した上で、でも確かにそういう不思議な体験をしたと確信している
一個人がこの世界に存在するんだっていうところを、まず何より第一において、
その人が見た世界、その人から見える世界のあり方っていうのを書き手や語り手っていうものが改めて作品として出していくという、
この営みに、すごいこう何ていうのかな、主義主張のためのツールとして作品を作るとかそういうことではなくて、
誰かが見た世界をそのまま書いていくっていうところに肘を置いたジャンルなんだっていうような理解をして、
これは相当に面白いことをやっているなというところで、
とても楽しみな作品を作っていくっていうのは、
これは相当に面白いことをやっているなというところで、
ずぶずぶとこのジャンルにハマり始めているっていうのが、
今のこの僕なりの実話階段の理解と、今の僕がなぜ実話階段にハマっているのかっていうところの
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簡単な前提の共有になります。
なるほどね。
まあ、おおむねいいんじゃないでしょうかね。
大丈夫でしたか?
今説明した中には、紙に書かれていること以外のところも踏まえた上で興味を持っているという話ですよね。
そうですね。
紙に書かれた部分だけでフェアに見るならば、
いろんなものを深いところまで考えないで楽しもうぜっていうんだったら、
実話階段とは言ってるけど、本当にお化けがいるのっていう人ってたくさんいるわけですよ。
そういう方にアピールする力として、一言で言うならば、
奇想が込められたショートショートと思って読んでもいいんですよ、別に。
そうですね。
本当、奇想小説で、それがショートショートとしてたくさん書かれていると、
ただそれだけで読んで楽しんでくれても構わないと思います。
取材したとか他人のとかいう、竹内さんが言ってましたけど、
それは多分ね、だいぶロマンチックな、
だいぶ深いところまで楽しんでる楽しみ方だと思うんですけど、
実際、かなり文庫本ですから。
読み捨てられても構わないような文庫本ですので、
もうちょっとライトに楽しもうって言うんだったら、
本当に奇妙なことがたくさん書かれている、ショートショートシューですよ、
という言葉に変えても私はいいですね。
なるほど、なるほど。そうなんですよね。
僕もそれこそ、以前、円盤に乗る場っていう、
共同のアトリエで、朝香さんと坂田さんとイベントをさせていただいて、
そこでは実話会談っていうものの、実話とは何かみたいなところを、
主にがっつり掘り下げていくっていうことを、
以前させていただいたんですけど、
その場でやっぱり僕が一番グッときたのは、
とはいえたかが売文というか、
俗っぽいセンセーショナルな話を、
面白お菓子を書いて売っていくって職業でもあるんだっていうことを、
坂田さんが名言されているところで、
ここはでもやっぱり僕がさらにそこで、
またちょっとロマンティックな解釈をしてしまいました。
やってしまうんですけど、
やっぱり何が一番グッとくるかって、
人の話をきちんと聞くとか、
相手の言っていることをひとまずはまずは真に受けてみるであるとか、
今でいうとそれこそケアの領域でよく言われるような話を、
全然道徳的ではなく、ものすごいある意味、
俗悪な形でというか、
金のためにやっていると。
これが僕はむしろすごい良いことというか、
良いことっていうか、
そこにすごい可能性を感じるというか、
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会談ってある意味すごいパーソナルな出来事を踏み込んで人に聞きに行って、
それをわざわざ自分がまた代弁することで金を稼ぐっていう意味になるじゃないですか。
すごい暴力的でもあるんだけど、
それを聞いてくれたら、
体験者からするとその話を聞いてくれたっていう体験って、
それだけで結構、
軽温な体験というか、ありがたい体験になり得るはずで、
そこの事前事業としてやっているわけではなくて、
利己的な振る舞いとして他人にづけづけと踏み込んでいくっていうこと自体が、
ある意味すごい当事者間でおいんいんの関係になり得るんだっていう点で、
なかなかそういう人の話をちゃんと聞きましょうとか、
相手の立場に立っての話をしていきましょうみたいなお話をするときに、
なかなか言いづらいやり取りな感じもあって、
そこを会談っていう一つのフィルターを通すと、
お互いに利己的なんだけれども、お互いにきちんと何か利を得ているっていうような、
関係性ができていく可能性もある現場だなと。
だから、全部が全部それで理想化できるというよりは結構だから、
単純に本当に乱暴な関係になり得るという危なさも一つの面白みではあるので、
全部が全部そういう利ができるものではないっていうのは大前提なんですけど、
だからこそ何か面白いなっていう感覚がありますね。
続悪、売文と続悪という面で言うと、
実は会談の属性ってやっぱりすごくあって、
言われる実は会談がすごく好きですという、
ジャンキーと言われるような気持ちですね。
人たちがどういう話を喜ぶかっていうと、
基本的には人が死ぬ話、行方不明の話、
精神がどうにかなってしまう話っていうのをすごく喜ぶんですよ。
名前は出さないですけれども、大先輩の作家さんなんかは、
何か人が死ぬ怖い話ないですかと聞いている人いるので、
そういうのを喜ぶジャンルでも、喜ぶというか、
エンターテイメントとして定義しちゃってるんだよっていうような、
割と危うさのあるようなジャンルでもあります。
そうですね。
僕が多分初めに入り口で入ってきているような中に、
それから高田さんの会談を読んでいたりってなってくると、
結構怖さよりも、
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泣ける感じとか、
会談を読んでて、
人間っていいなって気持ちになることあるんだみたいな、
そういう新鮮さもあって、
単純にものすごい老悪的に、
人間の負の面だけを見せていくみたいなジャンルとは限らないというか、
もちろんそういうものもあるけれども、
そういうものもあるんだなっていうところで、
思った以上に多彩なんですよね。
それがすごい面白いなというか、
ただ嫌な気持ちにさせられるだけじゃないんだっていうのが。
会談下げに至ってはね、
内里さん執筆文なんかね、
もうジェンダーフリーと言いますか、
AGBTと言われるようなところも、
だからそれを取り立てて書いてるわけでもなく、
そこがあったりとか、グローバルですよね。
アジアン会談とか。
やっぱり私は英会話のアプリを使って集めてるから、
必然的に海外のものが割合多くなったんですけど、
やっぱりそこでフィリピンの話2つ入れたんですけど、
1個は日本でも絶対これあるよねっていう話なんですよ。
学校の会談の。
これをフィリピンの人じゃなくて、
日本人の例えば佐藤さんの体験ですってやっても全然発表できる話。
っていう本当に違いのない会談と、
あともう1個は本当にその土地と文化が目指している、
本当に土地の冷静を感じさせるような妖精とか巨人がいるよっていう話の2種類。
ちょっと対極の話というところで、
ちょっと載せたんですよ。
なので、多様性というところで言うと本当にいろいろあるけど、
別にその多様性の中ですごく希少性の高いものとか、
すごくローカライズされているものとかっていうわけでもなくて、
我々と同じような会談というのは世界中にありますよっていう部分も、
結構そこはちょっと私はどうしてもいいかなと思ったんですよ。
そうなんですよね。僕その内里さんの作品で、
まず後半の土着文化に目指しているような
タマリンドの木の下でっていう作品に関しては、
ものすごい読書、自分の読書の文脈で言うと
ものすごいすんなり受け入れられるというか、
ものすごい大はしゃぎしやすい話だったんですよ。
そういうのも僕は割と文化人類学だとか、
民俗史みたいなものに結構興味があるので、
そういう自分とは違った文化圏の人から見たら、
世界ってのはどういうふうに見えているんだろうかみたいなところに、
もともと関心がある中で読んでいくと、
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そうか、会談っていうのを他の地域に拡張していくと、
こういうそれこそ本当にレビューストロースを読むときのような、
全然未知の世界の認知の仕方があるのか、
なんか全然未知の世界の認知の仕方があるんだっていう、
ワクワクがあるっていう楽しみがあるんですけど、
だからこそこのハミングっていうもう一つのお話に、
よりやられたというか、何だろう、
差異があるからこそありがたいものというか、
全然自分とは違う世界のものだから良いものだみたいな、
ちょっと自分の中にバイアスがどこかでかかってたっていうことに、
結構ガツンと食らわせられた一編でこれが。
何だろう、それこそ本当に日本の学校の会談として読めば、
全く何の違和感もなく読めてしまうようなエピソードなんだけれども、
これがある意味その海の向こうにあるっていう、
その一要素が入るだけで、
何だろう、そうだよねというか、
差異だけじゃないよねみたいな、
そこを感じられたので、ここはすごい良かったです。
やっぱ差異を喜ぶって言うのって、
問答を楽しむって感覚じゃん、問答感覚。
なんだけど、問答系を楽しむっていうのは本当にその、
何て言うかな、
ゲヘヘこういう世界あるんだ、ゲヘヘみたいな感じの問答感覚。
多分そこだけ切り取ると見逃すものがあるだろうなっていうのって、
今時代はもう多分問答感覚ってものがもう、
今あれなんだよね、コンプライアンスの問題的にも多分良くないんだよね、多分ね。
昔はそういうのをさ、
いや、海を越えるとこんなことしてる外人は、楽しみ方だった、問答感覚。
そうですね。
なんだけど、今は多分ね、
もういろんな人がいろんな世界観いろんな歴史ある中それやってるんだよっていう受け止め方を
まあするみたいなさ、感じなんだろうね、もう時代はね。
そうですね。
それで言うと僕はその実話会談読むときに一番個人的なキーワードとしているのは、
観世界っていう行くスキルっていう人が使っている概念で、
環境の観に世界って書く、それが一番こう思っていて、
ざっくり言うとその人間が認知している世界の在り方と
まだにのように視覚も聴覚もないような世界観というのは
全然違うものでしょっていうようなことをもともと書いている中で、
それぞれのその人物が認知している世界の在り方っていうのは、
その認知する期間だったり何か状況によって全然違う、別物になってますよねっていうような話。
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なので本当に一人に対して、一個体に対して一つの世界があるみたいなところの考え方なんですけど、
その人間が認知している世界の在り方というのは、
本当に一人に対して、一個体に対して一つの世界があるみたいなところの考え方なんですけど、
実は会談ってまさしく、それはある意味種というか、
人間とまだにみたいな中でもともとできている話なので、
僕の使い方はかなり拡張しちゃってはいるんですけど、
一人一人の見ている世界っていうのは、そもそも全くの別物であり得るというか、
僕が世界だと思って認知しているものと、
他の人が世界だと思って認知しているものは全然別のものであり得るんだなということを、
すごいカジュアルな形で提示しているジャンルだなというふうに思っていて、
そういう意味で言うと、今の高田さんのお話みたいな形で、
別にその海の向こうにいるから才のある他者で面白いわけではないと。
だからこのハミングのような体験をした日本の誰かがいたとしても、
フィリピンの誰かがいたとしても、別にそこは国籍によってその差異が際立っているわけではないと。
そもそも一向人というものの観世界というものは、それだけ異質なものなんだということが、
ある意味このハミングが逆説的に提示しているというか。
だからタマリンドとかの楽しみ方としてさ、
確かに異国情緒なんていうものはあるんだけど、
やっぱり俺もそれも幻想的な幻想小説の手触りだなと思っているんだよね、タマリンドとかね。
インドとかタイとかの本、数は少ないけど翻訳されているものとか読むと、
やっぱり価値観というか世界観がすごく、
こっちの角度で今読んでいるからかもしれないけど、その幻想的、美しいなと思うんだよね。
色味とか表現方法とかがすごく詩的だしさ、
日本人って詩的表現っていうのを少ししなすぎるんだけどさ、
海外文化って結構詩的表現って当たり前のようにするじゃん。
奥さんに愛ささやくにしてもさ、なんか君はかっかりなように濡れてるねとか言うわけじゃん。
日本人言わないよね。言ったら引いちゃうよね。
でも海外ではそれを言ったことによって喜んでくれるわけじゃん。
なんて素敵な言葉を舞いかけてくれるかしらってなるわけじゃん。
だからそこの部分どうするとかもいいなと思ったりとかさ。
何の話してるか全然忘れてたけどね、カスピ海の出身から。
今カスピ海にだいぶ引っ張られてるんですけど、そのまま脱線させていくと。
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でもやっぱり高田さんはそういう詩流含めてそういう表現を
俺はめちゃくちゃ素敵よ。
入れていきますよね。
あれはね、実話会談の文脈から言うと、あまり詩的な表現を入れるのは
取材してその言葉出なかっただろうっていう話だったりとかさ、
生主さんっていうのは遠ざかるよね。
詩って本来は詩こそが生々しいものだと思うんだけどね。
なんだけどちょっとあまりにも今の日本はポエム文化というか
詩的表現っていうものをちょっと離れすぎたね。
リアル志向になりすぎたね、日本は。
これが何でかっていうと、やっぱりリアリティとかリアルっていう言葉が
インターネットとか携帯電話が普及してから
リアルってなんだろうみたいな感じの話、議題が日本国中で起きちゃったっていう感じ。
で、風車してリアルってものがリアルがいいんだってことになっちゃったんだよね。
言葉がリアルであるとかリアリティがないとか嫌だとかいうものが
ちょっと逆風車して強くなりすぎちゃったんだよ。
それ以前は携帯電話の普及以前はそんなこと議題にも乗ってなかったんだよね。
リアルかどうかなんていうのは、リアルと比較するものがなかったから。
なのに携帯電話の普及にいって、ポケベルカラーでもいいんだけども
離れていても誰かがいるんだけどそれがすごくデジタルな付き合いになってる気がするみたいな
生身を感じないだからやっぱりリアルがいいんだって。
このリアルブームっていうのを僕は今まるで批判してるようですが
実話会談が一つのジャンルとして商業ベースにずっと乗れてる理由の一つに
このリアルブームっていうブーストがかかったからだと私は思うんですよ。
小説って作りもんでしょ?だから私は実話会談しか読まないのって人がいるんだから。
小説って嘘でしょって。
でも実話会談は本当だから読めますっていう人が結構いると思うんだ俺も。
結構いるところがかなりいると思うんだよ。
だからそこの実話会談っていうものも実は背後には携帯電話などの普及
ハードの普及によってブーストかかってる部分がある。
だからそれがなかったら多分、ちょっと難しいんだけど出版不況とかいろんなものがあって
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実話会談なんてものはもしかしたら売り物としてセールしない可能性があったところを
そのブーストかかったわけで今も取得してるんじゃないかなって私は思ってるんですよね。
20年くらい前にマーケット会議会とかに実話を元にした映画がすごい流行ったじゃないですか。
恋空とかそういうものですよね。
この辺りも成立ともリンクしてる部分っていうのはあるんだろうなっていうふうに。
ある。背景には確実にある。みんなが手を取るという理由の一つとして。
だから実話会談の実話って表紙にちゃんと載せましょうね。
昔のカストリーとかに載ってたような実力とかさ、そういうのって今で言うとこの実話っていうのはちょっと意味合いがまた違ってたと思うんだよ。
もっと大らかに捉えてたと思うんだよね。
今あんまり実は何とかって言葉に対して人々は大らかに捉えるってことをもう忘れてる気がするよ、俺は。
実はって言って、実はじゃなかったら、なんだ実はじゃないんだとはならない。多分怒るんだよ、みんな。
だからそこは結構ないだよね。厳しくなってるよね。実は警察というか。
カストリーの感覚ってトースポみたいな感覚で、また来て言ってらみたいな、そういうのがたまに含まれてる。
俺ね、この間ね、すごい恐ろしいツイートを見たんですよ。恐ろしいツイート。
誰の難易度も言いませんけど。
今起きたことを、何の装飾感覚を持っているかっていうのが、
言葉にした時点で装飾してるってことに何気づかねえんだろうなって。
体験ってか、起きたことを自分の体験で表現してる。
自分の体験で表現してる。
自分の体験で表現してる。
自分の体験で表現してる。
自分の体験で表現してる。
自分の体験で表現してる。
体験で表現してる。
何気づかねーんだろうなって。
体験ってか、起きたことを自分の表現で言葉にした時点。
起きたことは、そのままであるわけがないじゃない?
バーンッ!って音しました。とか書いてたんだけど、
バンっていう発音とうんって言葉でバンって でもバンって音したんですよこれ嘘じゃないですって言っても
いやバンって音なわけないんだからっていう ところのレベルでこっちは仕事してるわけじゃん
それを理解した上で文字にしてるわけじゃんか なんだけどあのやっぱその実はクレイジーな人はもうそう
でなおかつその層までもの考えられない人っていうのは 私は何もついてませんまあ今言った通りのことはいこれ見てつい体験してください
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みたいな感じで 何の装飾も編集もしてない階段ですとか
はっきり言ってね多分なんかそういう中誰かの何何かに対するアンチとして多分スイート したそうなんだけどその実は階段っていうのが装飾があるって言葉に中でいらっ
きてやってるんだけど結果装飾してるわけその人ね うん
っていうのを見てああやっぱなんて言ったら まあそのレベルまでフィットは考えないようなと思った
うんなるほど 規定になってある程度7年やって気づくことだなと思ったねそれは
まあそこそこに気づいたのムクつけてる俺の方が多分少数で俺がおかしいんだろう なるほど本当に実は階段のその
文字の方ですねそうこの本の方に関しては僕毎回読みながら思うのは すごい
要件が多い 文字の書き方をするようなって言う
ことを持っていて単純にそのフィクションとしての小説 以上に
気を使う部分が多いし多分下手な小説よりもリアリティっていうものに対しての あの
気の使い方がなんか一段抜けている なあというふうに思っていてそこが一番ここに普段本読んでいる
階段以外の本を読んでいる人のに刺さるポイントだろうなっていうのを すごいこう思っているんですよ
えっと例えばなんだろうな 浅川さんのその九段の白星って頭の方の作品
もう 3ページほどでこうさらっと書かれている話ではあるんだけれども
やってることとしてはかなり高度なことをやっている と思っていてあの
案内細かい話をしていくと読書界積みできますけどここから先もしあれだったら あのこれ聞いてくださっている方は読んでから聞いてくださいねその方が楽しいと
思うので えっと
九段の白星が始まっていくときに1行目2行目とまあその状況の設定というかこんな人の こういう話が始まりますよっていうところが入った後に鍵カッコでその
体験者の方のあの 会話の文が始まっていくんですよ
そこでそれぞれのその浅川さんが聞き取った証言者の証言そのもの的な 鍵カッコ内の
話っていうのは時勢としては浅川さんに話している時の時勢で語ってるんですけど そこに浅川さん自身が後から補足的に付け加えているっていう形のこの字の文の
ところっていうところで支えているのはその当時の状況の説明っていうところを大きく 説明を
していくっていうこのその 浅川さんがその場で証言として聞いているものとその証言者の方が語っている内容と
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っていうものが鍵カッコと字の文の形とで交互にやりとりが進んでいく っていうこの
何だろうな文書の組み立て方であったりとか 初めの始まり方としては数年前
あの何々さんはみたいな形で字の文の状況設定の 字の文から始まるんですけどこの普段の白勢っていうのはこの最後
浅川さんに対して この証言者の方が問いかけるところでもあるんですよね
もうこれ時勢がずれてるんです最初はこの人が話してくれた過去の話からですよ っていうところから始まっていくんだけど最後に戻っていくときに浅川さんが話を聞いて
いる現場にストーンと落ちてそこでこう 終わるっていうところでその時系列の処理の仕方からそのそもそもカメラを
どこに置いているか視点をどこの視点からその 情景を描いているかであるとかっていうところがたった3ページなのに
結構動いてるんですよね この何だろうな
処理のこうやってることの複雑さとか忙しさみたいなものって あとそのなんだろうな起きている内容の密度の作り方みたいなところで結構
なんだろう いい小説読む時の
ぐっとき方にかなり近いんですよね ありがとうございます
ブーブー言っ 平山文体っていうのは今言葉で出たので僕も説明しなきゃなと思って言ったんですが軽く説明
とまぁ実は階段作家の中でもレジェンドと 言われている
その中でも今の実は階段 っていうののまあ根本的な基礎の部分を作ったっていうのはまあ日の夢焼さんという
あの作家の方で今は実は階段からはちょっと足が遠のいて普通に小説なんか からですけれども
かけないさんがおっしゃって言った 字の分があってで私が取材している体験者の言葉っていうのを鍵かで抜いてそこに対する補足を
さらに地図の分で入れてっていうふうに な運動性で持って進ん
いうのを基本的には8まあそれは平山夢焼さんが発明したというふうにいます 異論はあるとは思いますがでえっと割と昨今の実は
アイラン本を読むとこの平山文体というものが多様されていますよ であえて私は平山文体は使わないですっていうようなもちろんいますで僕
極力使わない方向性で書いてはいるんですが 平山文体っていうものを使ってかですね
あのさっきかけないさんがまさにおっしゃって言ったような あの字の分があって会話があって証言があってでかと
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さらに過去かっていう 往復するっていうような運動性
すごく分に生まれるんですねだからを 躍動感みたいなものは出しやすい文体だなというふうに僕は思っていて
ここはちょっと 僕の場合はですけどあの
ショーの流れを 躍動的に見せたいなという時
そういうここぞっていう時に使う僕の中ではですけどあの わざかなっていうふうに思って
確かにこの9弾の博士に関しては僕もこの平山文体の使い方っていうのは割とカチッ とハマってうまくいったと思っている話ですねはい
僕はそれこそあの階段 ビギナーというか本当にここ最近の階段を読んで実際の平山
夢明さんの 階段をそんなにたくさん読めてないので平山文体というものの内実があんまり
わかってないかもしれないんですけどあの 今回この階段産業の中での浅川さんの作品の中でいくつかこういうその
あの 実際の
聞き取りの現場での話と過去との往復していくみたいな技法が使われている中で なんだろうな
この9弾の博士もそうですけどあの帯にもあるギリギリの あと最後の方のあの大阪和志のプレーンソング張りのあの鍵カッコだけでの連打で終わって
いくクライマックスの作り方とか この2編すごいなんていうのかな
恐怖が起きる現場が その
事象が起きたその時にない のがぐっときたんですよね
どちらも証言者の鍵カッコで終わるとか 浅川さんとのやりとりで終わっていくっていう時にゾッとしているのはその体験を語り
直して浅川さんと共有した時に浅川さんと一緒にゾッとしているっていう感じが 際立っていて僕はそこにすごいこうグッとくるというか
そう 運営っていうよりもそこでそのまあバッティいうのが成立するっていうのを書き
たかったうんそうですね 体験の方とのあのやりとりの中でその恐怖の場っていうものが
醸成されてしまってそれによって体験者の方の外観というのも変わってしまうし 僕自身の世界観っていうのにもすごく揺さぶられてしまうっていうのを
聞いた話かなっていうふうに 単純に話がねすごい強くて面白いなっていうふうに思ってはいた話だったんですけれども
ギリギリとかに関してはこういう場として階段 実は階段というふうにしてみようという意識はずっとありました
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そうだからなんか浅川さんを個人的に知ってるからっていうのもありそうな気がするんですけど すごいだからその何だろう
現場でその人と話しながらなんかいい場をいい時間を作ってたんだろうなぁ感を すごいこう
感じる作品が 多くてそれがすごいなんか
いいなーって思いながら見てたんですよね高田さんとかもあの居酒屋とかバーとか スナックとかで話集めることが多いと思うんですけど僕も
だかやバーとかが多くてですね そういうとこでいきなりこうポンって強い話出てきてそのやり取り
なんかその話すごいですねみたいなそういう空調整されて感覚ってやっぱり僕はすごい 大好きでだから感覚味わいたいから階段集めてる話取材してるっていう部分もかなり大きいの
かなというふうには それこそ書きないさんが言ってた他社の世界の一端というものに触れた瞬間ですよね
あの空気っていうのはすごく大事にしたいなというふうに思っています うん
そうだからすごいさあうちうちリーさんは森 平屋平山軍隊じゃないよね
そうなんです私逆にその平山夢秋路線の効果じゃなくて市民袋 ああそっか
なるほどねー だからどちらかというと本当にそのなんか短くて追ったつかないものっていう
うーん なんだ平山軍隊ってどっちかっていうとこう
エンタメとしてこうめちゃくちゃ新鉄というか うんねっ
一番面白く見せられる方を提示しながらとしてあるからもうその フォーマットに乗ってこう展開させると結構だ楽しめるというこうありがたい装置だと思うん
ですけど ピッグがわかりやすいよね
平山さんのあたり ピークがあってそこに持っていってる流れって感じだよね
最後こうこちら側に引き戻される感じっていうのは すごい良い構成してるんですけどなんかあれ良い意味で市民袋って構成ちょっとぶっ壊してる部分になって
逆に私その実は階段の文章好きだなって思うのはその投げっぱなしかなって ですね
あーでもそれはすごいうちりさんのものを読んでいる時に感じました さっきのその浅川さんの僕が好きだなと思うところがその
創言者との浅川さんとの掛け合いの中でのグルーヴ感というかなんかバンドセッション みたいなものにあるとするとうちりさんはなんか
なんだろう あの
尖った雑貨屋とか現代美術の展示っぽい なんか要素だけゴロンってこう置いてあって解釈が開かれているみたいなすごいこう
なんだろう めちゃくちゃかっこいい書き方をするなっていうふうに
あのおっしゃっていただいたようなものが私やっぱり好きなんですよ めちゃくちゃエンタメっていうか物語として完成されているものじゃなくて本当に現代美術とか
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雑貨の雑貨店みたいなものが好きなのでやっぱりそこに美意識が持ってかれちゃう いやでもすごいその配置の美意識みたいなものすごい感じますなんだろう
僕すごいその犬の死骸と白い三人組がめちゃくちゃ好きなんですけど 両方とも
あのなんていうのが強めに文脈を読んでいこうとするとあんまり関係のない 要素がそれぞれこう
一つ一つが同じぐらいの強度でゴロッと置いてあるっていう 構成になっているように読めて
あの一つのその流れで読んでいくと確かに何か一つの何かを読んだ気になるんだ けど
よくよく考えてみるとここの要素とここの要素に本当に因果関係があるかっていうところを あの
なんていうのかな 決める解釈を1個に固定する書き方を全然しないというか
a という出来事がありました b という出来事がありましたっていうのを 併置するときになんとなくその2つに何か関係があるんじゃないのかなって書き方をしていくって
いう階段を 書き方としてよくあるのかなっていうふうに感じてたんですけど
ただ本当に a と b を置くだけっていうような 書き方をされて
いて それがすごいこう読んでてめちゃくちゃかっこよかったんですよね
犬の死骸なんかは平山軍隊にすることもできるよね わかりやすく
本当に書きそのまま平山軍隊に書き換えることはできるんだけどそうした時にいろんな 描写が削り落とされる
だからどっちの形でも階段の文章としては多分
作れるんだけど
一丁一単だよね多分 平山軍隊に一単っていう言い方おかしいけど一丁一丁一丁って言っちゃおかしいけど
勝ったら全然違う書き方
そうですね 犬の死骸めちゃくちゃかっこよくてなんだろう
そのショッピングも センターの中に入っているそのレストランから
その1階のこの競り出している部分の屋上が見えるみたいな描写のあり方とか 踏切の向こうにショッピングセンターの駐車場が開けていて
あそこに少しこう雪が残っていてみたいなところのこの 上空間の描写の
仕方がの開示の仕方が ものすごい最低限の手数で
ものすごい具体的な状況を喚起させるような書き方になっていて すごい
めちゃくちゃ映像的なんですよね なんだろうだから
単純にあの実話会談とは別の何か小説の短編集みたいなところにしれっと置かれてたとしても
45:06
なんか普通に読まれる 気がするなっていう
なんかその描写の練られ方がすごく高いなって思いました これはあれなんですよあの実体験に基づいている部分というか
自分の小学校の時に実際にあった犬の噂っていうのがあった話を起こしてるから やっぱりこの話だけ少し小説に寄せてるというか
映像表現的なそのもう私の原風景にある そのショッピングモールのシルエットっていうのは
そこは出さなきゃなと思って なるほどなるほど
でやっぱり体験としていまいちこう紐づかないエピソードなんだけど
いやでもこれはやっぱり何かおかしい体験だなっていう風にこう 書き始めた段階で気づいたのでこれ買ったと思っていうところである程度
こうそのざらつきは残してでもやっぱり自分の中で思う 記憶に残っているその階段の風景はちょっと残すのはありかな
っていうところでちょっと試行錯誤したなるほどなるほど 俺あのあれが好きなのよあの
匂いがさあの犬犬に触れて匂いついたって言ってさ で
コートの袖で脱ぐが匂いがそのまま記事に移ってしまい途方にくれたっていうところが 好きなんだよね
なんか あの
流れの中でその匂いが記事に移ったことってそんなに実は必要ではないじゃない まあそのに移るくらいしっかりそれは物理的に香りというものがあるんだってことの
描写にもなってんだけど まあそのに移ってやだなって
思ってる途方にくれてるって言うか面白いなんかなんか面白いよねその描写 あの寄せ方としては匂いがついたことによってじゃあ本当にあれは犬に舐められて
いるから あの匂いついたんだなっていう風に寄せてないで違うフォーディー向かって心の動きを
描写は途方にくれるっていう記事が臭くなって嫌だなって含まれている話にしてる ところが面白いなって
ちょっと見苦のとこだけど いやでもこれそっかなるほど
今お話聞いてやっぱ面白かったのがやっぱりなんていうのかな 自分の体験だと少しその小説に寄せていくみたいな
こう なんかバランスの取れ方というかなんていうか
やっぱり人から聞いた話をどこまでその小説的に 組み立て直すかみたいなところってやっぱりなんか自分とその子
話との間の距離の取り方で実際の距離と まあ書く時の距離の取り方みたいなところっていうのがちょっと関係してきたりする
部分もあるのかしらと いうのを感じて面白いですね
48:01
やっぱりあの人生で取材というかあの現場を訪れた人だとまたちょっと違うのかな と思います
そうねるぽかんでるよね現場行くと 完全にるぽかん
そうですねまあルポ市場主義になっていけないよね階段はルポルタージュ階段ていることは もちろんあっていい面白いしそれは一時暗黒していいんだけど
その実地市場主義になってしまうと 多分世の中の階段のスパーも3分の1くらいで減っちゃうから
うーんもっとこう 階段ってさ漂ってるものをこう掴んでる
もんだと思っている 実地した方が面白いものもあるからそれはそのそれちょっと行ってみたいなって実際行って
描写したりもするんだけどものによるよね なるほどあの話聞いたけどいやでもどこの誰がどうなったとかっていう具体的なものが
ないからこれも実は階段じゃないですよって言って切り捨てていったら うーんまあ本当にほとんどなくなるんじゃない
ほとんどうん だからそこで必要なのはその漂ってるものを掴んでしっかりその手触りを
寄せしていく これで小説的な動きだよね空想を書くのがもし小説だとするならば空想ではないけど掴んだ
曖昧もことしたものを整えていく作業 まあまあ小説を作る作業と一緒でしょ
うんそうですね やっぱりその素材の素材の扱い方としてその大きな大枠のところのプロットよりも実は
ディティールの方が大事なんだって言う ことをやっぱりすごいこのあのものすごいある意味
読解しやすい形で示しているのが実は階段 まあそのジャンルって言って言って言うよりも多分階段産業って本自体が本当にそういうこう
真面目に読めばかなり文章教室的な読みもできるものとしてあるなっていうのを感じて いてさっきのその宝さんがおっしゃってみたいな
あの コートの裾で手を拭ったら
匂いがそのまま残ってしまったみたいなところもそうですし だからそういうその子どこであこれは本当にあったんだっていうふうに
確信読み手に確信させるかってやっぱりそういう些細なディティールだったり 合理的に説明しようと思ったりなんだプロットの必然性から言うとあんまり必要がない
謎の動作だったり余剰の部分というところに 宿ると思っていて実は階段はページ数が少ない分その余剰がすごい見えやすい形
他の 饒舌に紛れないでそのままポツンと置かれてそこで光っていくっていうのが
すごいかなりこうぐっとくるポイントだなっていうふうに その
なんかガチガチに これ事実なんですよでガチガチに文字無制限に使って書くほどに多分嘘くさくなっていく
51:04
そうそうそうそうだから本当ですとかなんかそういうことではなくって本当にこの 相応
コートのそれを脱ぐ動作とか続くこの浅川さんの n 行列で言うとここで僕が一番 グッときたのは普段は水か緑茶ぐらいしか口にしないけど
年に次回決まって深夜に何かこう 甘い炭酸飲料が飲みたくなったから出かけていく
はいここなんですよ 何よりはそのお声ながらこれもっと簡単にしてもいいから
そうそうそうそうだからこれたぶんものを飲み物を買いに行ったぐらいで終わっても いい
よかもしれません うんこれがこの後起こる事象ももちろん面白いんですけど
この ディティールがあるとあこういう人がいる
なこのせいだから ここで我々がちゃんとそういう人から話を聞いているんですよって言うその
リアリティ なんか担保するための表現技法っていうことですよね
そうですねうん そのディティールっていうのは本筋には関係ないのかもしれないけれどもそこにあった
そのね俺も確かにこう年に数回きり世の中とかに行ったら飲みたくなるなってことって やっぱあるじゃないですかなんか
なんか実在の人間っていうのはこれは体験した話なんだっていうふうに読者側にすっと 入らせる
っていうよう 技法っていうのはあるの
そうですね いやだから本当にこういうこういうディティールに僕はもうものすごいニコニコ
しながら読んじゃうんですよね なんか小説読むときとかも基本的にあんまり
あの筋に興味がないんですよストーリーにあまり興味がなくて なんかすごい細かいディティールのところでめっちゃウケるのが好きみたいな
読み方をこうしちゃうんですけど なんかすごい実話会談そういう喜びに満ちていると
実話会談はさ 技巧に次ぐ技巧なんだよね
いや本当にそうですね あの本当に技巧でしか成り立たない
なんとなく書いたら実話会談にならないんだよね ほとんどの言葉に理由が
なぜその言葉を使ったかだいたい理由があるっていうかさ ぴょぴょぴょしゃに何の理由もなく
だからちょっと俺はそのやっぱ そういう技巧ばっかりになったなぁと思った時に
あのー 遊んだ日みたいな
何の理由もないことも書いてる だからその技巧を外すという技巧を使ってるって言ってるのかな
もう技巧にまみれてる自殺が技巧にまみれてるっていう印象を壊すために
ああいう 本当に小説的な遊んだ日なんかめちゃくちゃ小説に書いたと思うんだけど
54:05
技巧を凝らさないで思うままに楽しんで書く一話があることによって まあ読む人は油断できないよね自殺をね
こういうのもあんのかっていう 裏切りも必要だなと思ってああいう書き方してるんだよね
遊んだ日すごい 衝撃的でした読んでて
あれすごい評判 あの面白かったです遊んだ日とめまいがすごい
であのー 怪談別に怖くなくていいんだよなって人が初めての散らない花を喜んでるって感じだね
あーなるほどなるほど
怖くなきゃダメだっていう人にとってはあれは本当に読んでても時間の無駄だから 怖くないんだよなあれは
怖い意外のものを書いてるから時間の無駄なんだけど でも
まあね やっぱただちょっと少数の人が喜んでるって感じかな
そうか 遊んだ日の
何がすごいってもうこれなんだろう自分がやる小説なんですよね あの子供の
子供の目線で そのまま書かれていくという
とはいえそのただ子供の語彙で書くんではないっていうところに
凄みがあってなんていうのかな あの子供のを見ている世界を書こうとした時に子供の貧しい語彙で書くっていうのが
ある意味一つのこう 安易な選択としてあると思うんですけどそうではないんですよ
割ときちんと大人の語彙を 駆使しながら書いてるんだけどここに描かれている
世界っていうのは子供から見た世界 だな
こっちはこう読んでいるときに説得されるんですよね それが
すごい すごいなぁと
これはなぜかというとやっぱり聞き取り取材したものだからこうなるんだよね 大人から聞いた話を書いてるからってことなんだろうね
だから楽しい楽しいのリフレインがこう要素要素に入ってくるだけでそこのその 素朴なこう
あの単純な言葉のリフレインがポンと入ってくるだけで全然その 全体の印象変わってくるというか大人っぽさがだいぶ緩和されていくっていう
これもすごいなって思います
ねそう 改めて言うとそうだね
でもやっぱり高田さん僕やっぱり僕としてはやっぱり 散らない花を
取り上げ じゃるを得ないだろうっていうところは
もう1個あって散らない花は非常に いやそのもうなんか僕がそんなに何だろうたくさんは読んでないですけど高田さんの
57:06
こう あの書くものを読んでいる中でなんか1個
なんだろう どんな自分僕の中で高田さんがどんなものを書く人なのかっていうのを一番こう
ようやくしてこれを読めばだいたいわかるって いうとしたらこの文章だなっていうのが
知らない花 知らない花の感想ちりさんどうだったどうだった
読んで 読んでいやでもやっぱり私の中高田さんらしい階段ってこれなんですよね
うーん あのまあさっき遊んだ日はとてもまああの自由に書いてるっていうふうにおっしゃって
たんですよ でもあの知らない花と明日やっぱり高田さんがその階段実は階段の枠組みの中で
自由にやることもあの話なんですよね こういう話を書くからこそ高田さんっていう作家さんのそのイメージが階段の
イメージがすごいあの伸び伸びしているというか やっぱりこうエモエモの人だねっていう
なんかある意味一番こう 詩小説ではないんだけど小説的表現によっているっていう印象を持つのってばこのあたり
うーん でも本当に落ちたこと以外で9割以上埋めるっていうコンセプトで言うとやっぱりすごい
ですね高田さんはそう言っても
これもだから あの俺一番最後にかみんなから原稿もらって一番最後に書いてるから
だからみんなの影響が強いんだよね みんなみんあのうちりさんと明日あの浅川さんが帰ったもの
をフィードバックで自分なりに吐き出す多分たいというか書き方なんだよねこれ 2人の原稿がなかったらこういうふうに書いてないって
ん c この話を書くことはなかったと思うこれですごい些細な話だから うん起きてる事象はね
なんだけどあこれ 2人が公開店だったら俺こう書くなって思って書いてる
うんだからもうやっぱり本当それぞれが勝手に出した作品集じゃないって一冊は うん
つながり良くなんの当たり前なんだよ俺がすっ じゃあずつだけだから足りない部分のをもう
埋めたから自分がながら絶対つながり良くなるように変なものを書こうと思って帰っ てんだよねその自分でも取材者中でも取り上げたものね
だったとしたら あの浅川さんが全然怖くない話ばっかり書いてきたってし
まあうちにさんは怖い話が書いてきたとして 俺どっちかって言うと多分これも怖い話の本にするかな
1:00:00
もしこのページ数が変わらないなら なるほどこういう書き方しないんじゃないもっとなる
前話書くんじゃないとかいう バランスの取り方を最終的にはしてるから
うん面白い そうなんですねだからこう強調だとなんかミックステープ感が
そうそうだからだから強調面白い うん
だからちょっと言い方あれだけど本当を なんていうか
まあ俺という素材 やっぱりんちょだから俺がプロデュースしている感じになったんだろうね
二人という楽器が鳴ってるのを俺が調整しているような感じ
なのかもしれないよね
そうか 散らない花はすごいだから
僕はこの前多分高田さんに直接言ったのは 高田さんはその階段界隈のトラさんみたいな人なんだと思いましたみたいなことを
言ってたんですけどその後この散らない花を今回読み返してて思ったのは いやむしろ山田陽次だなって
思い直しているところがあって どちらにせよあのすごい高田さんの書き方って
あの 体験者の内面にめっちゃ踏み込んでいくというか
もう相手のモノローグを表意方で書いていくっていうような 形が結構特徴的だなというふうに思っていてそれはだからすごいそのあのある意味
と言い方があれですけど距離感バグっている トラさんみたいな人情型のおじさんが肩を組むぐらいの勢いでわかるよみたいな形で書いて
いるっていうような見方をもともとしてたんですよ だからそういう非常に厚い
なんだなぁって読み方をしてたんですけど 今一度この散らない花を読み返していると
実はちょっと冷酷な部分というか その昼分にハサミを入れることに対してのためらいの無さみたいなものを感じて
これはトラさんではなくトラさんの映画を編集している 山田陽次のスタンスのほうが近いのかもなっていうふうに思って
すごいその話されている内容の人情味だったりウェットな部分と対照的なぐらい めちゃくちゃドライに
ばっさり省略していくんですよね その
入院の後のあの電話がかかってくるまでのところとかの段落を1行開けた後の 場面の転換とかっていうところが毎回毎回すごいこう
切れ味がするの良いんですよ すごいこう全部カットインでこう入っていくっていうような書き方で
いやフランス映画みたいな いやー本当にそう
フランス映画?フランス映画だったな俺は
1:03:02
でもすごいそれは感じますね そこのなんか奇妙な同居の仕方が
魅力かもなというか すごいその人の心により人情にこう熱く寄り添ってくれてる感じを全編に感じるし
読みながらそういうこうなんか自分は明日からもうなんか頑張ろうとまでは言わないにせよ なんだろうそのなんか悪くないかもなこの世界って思わせられるようなものを書いてい
ながらもその書き口は割と鋭いっていうか そこのその
なんかバランス感覚とか やっぱり非常にこう
山田陽次的な鉄拳 これだからそのパンって切るようなことしないで本当
なんていうかなもっと大衆小説量に書いていくならあの人みたいなポッポヤみたいになるんだよね
簡単に言うと これ本当にしっかり書いたらポッポヤになるんだよ
うんなんだけどポッポヤは実は階段じゃないから うん
やっぱその辺のバランス学がこういう切り方になるんじゃないかな 多分
覚えにしたほうがもっと泣けるのかもしれないけどそれはいつも泣かせて書いてるわけじゃないんだよね 面白いでしょと思って書いてるだけだからうん
しあとやっぱり船が乗ったよねこれはすごい書いてて うん
あのそのスナックで取材してたその女の人が確かにあのリハ2だったんですごい 全体見てるなーって感じだったんだよね
で あのもちろんこんなこれが文章にしたような口調じゃなく話してるんだけど
もうちょっと聞いてみたいなノリなのよ 実際俺聞いててこれ階段になるのかなみたいな
なんか思い出話って言いえん聞かせられてるだけででなんだろうでそれ小話はどこで なんですかっていう
やりとりもちょっとしてんのよ それ本当に小話になるんですかみたいな
んやりとりもしてるって言うの全部こう 1回トリートメントしてこういう印象に落ち込んでるって感じ
印象とし怖い話その実際に起きた事象そのものよりも 印象としてでかいがその場で取材した時の感じとその人の人となり
なんか素敵な人だなぁと思ったんですごい それがすごいこう印象でかいから憑依しやすいんだろうね
なるほどなるほど 人に興味があるからね俺階段に興味あるかって言われてまぁ階段もちろん興味あるけど
話してる人にすごい一番興味あるからね
1:06:00
うん あーでもそれ面白いですね
なんかその今の話さっきのえっと
九段の白星だったりギリギリの時に朝日さんと話してた内容ともなんかこう リンクしつつな部分があるなぁと思うんですけど
だからそのなんだろう僕はさっき朝日さんの あの書いているものを見るとその場でのそのグループがめっちゃ楽しかっただろうなぁみたいな
ところを感じてそれがいいなって思ってますみたいなことを言ったんですけど 高田さんの文章も同じようにそのなんだろうその場でいい時間があったんだろうなっていうのを感じは
するんですけどそれの表現の仕方が全然 違うというかなんだろう朝日さんはさっき言ったみたいにその
証言する方と朝日さん聞き手の朝日さんとの間での いい感じの何かがそこで発生したよっていうものをそのままなるべくパッケージするような書き方
っていうのが今回のその今言った2編では特徴的かなと思うんですけど 知らない花に関しては
すごいもう あの
高田 p が強いんですよね やっぱりだからプロデュース感があるというか人が好きと言いつつもその人その人と
高田さんとの間での何かいいセッションをしましたっていう話にはせずに 相手が君いいねみたいな
君いい 素材だからそれをこう
こっちで素敵に加工するよっていうスタンスなんですよ だからそれがすごいなんかその高田さんの今回のこの本の書き方としてもその
打ちりさんと朝日さんの作品の間をつなぐようにして自分の作品配置していって みたいなさっきの話も含めて
すごいやっぱりその子 あの体験者の話の書き
上げ方みたいなところも含めてそういう高プロデューサー シーツ
というかまずはそのいいと思った人を あの素材として扱うっていうことにすごい個特徴が
あるのかもなぁみたいなことを思いましたね 本当にそうだと思うよだから
文章にしたことによって相当この人のこと美化してるよね 実物よりもきっと美しく書かれているんだけどそれは大にしてある
なんか本当にそういうその前言われたことあるなんか あのあなたから聞いたら試行しましたよ
ブーブー言ってもやっぱりその時の方 忘れちゃったけどその時のオラオラ
心象とかの描写もするわけじゃそうですねそのそれがやっぱ あのすごい生かされっていう
なんか息子思う気持ちそこまでじゃないよくらい俺 いいかしてたらしね
1:09:06
すごい息子思いな母親として書いてしまったらしいんだよ でもそうすることによって会議が際立つからそこは全然強調して何が悪いことと思う
恥ずかしい 結構良い思いになってる
なるほどなぁ 僕たの高田さんの中で一番の衝撃的だった一番最初の第1の衝撃があれ
は何に入ってたんだ 青森の
やつかなあの 状況してつらかった
話が 女の人
あそうでそうなんかあの青森から状況してきてつらくて なんかベッドに横たわって立ち上がれなかったんだけどみっ足見えるやつか
あそうかなああ多分足だ安心がこうあって あれがすごい衝撃的でそのなんだろうもうだんだんだんだんこう記憶を失って衰弱していって
もうなんかこうよなんかもう世の中つまんないなみたいな生きてるのつまんないんだ みたいになっていく様子をものすごいその内面をモノローグで書いていくっていう
ことをこうされていてこんなに 踏み込むんだというか
あのそれぞれその1対1の関係性がある中でその人が話を聞いたものを作品したてあげる っていう時にその人の心臓っていうものにこんなに突っ込んで書くみたいなことができて
しまうんだってところで なんかちょっと怖いなこの人ぐらいに思ったんですよ
なんか今のそこでなんでそんなことができちゃうんだろうって時の仮説として トラさんみたいな人なんじゃないかっていうと思ってたんですけど
なんかやっぱり今日のお話だと聞いててもどちらかというとなんか あのそれぞれの人のことを1回素材として扱って作品のための素材として
見るっていう1個逆にちょっと突き放して 見るような態度があるからこそ
ああいったものが書けるんだなぁっていう 風にちょっと今勝手に腑に落ち
ん なんかさっきのほらあの
装飾のない階段じゃないけどバーンって音だって本当は本当にバーンだとはないんです なんだけど
結局そこの問題があるから うっと
その人とじゃあその俺がある あのある種ブーストその人の人格ってものにブーストかけて
文字にしてるって言う ことがあるややってるわけなんだけどじゃあそうじゃない状態って言ったのって話にならない
そうちょうどよく完全にその人を言葉で表現することなんかできないよ できないし
1:12:00
そうしたことによってその エピソードが面白くなるかならないかっていうところがあるじゃん
うんあの いや僕ちょっと全然つまんない形になってますけどこれこの通りなんですよ
っていうものを書いたするじゃん俺がね あの
ちょっと漏れないんであのこのまま書いたんですよ 読者が読んで全然面白くねーなと思ってくっ誰が得するの楽しや
うーん それは趣味でやれよって話なんだよね
少しそうしたいならじゃなくて面白くしなきゃ だからうんで面白くするためのそのブーストのかけ方のほど良い
完全に嘘ではない いや何かって言ってやっぱちょっと
辛かったんですっていうのを辛かったの上にとても辛かったです とてもをつけるとか
これくらいといいじゃん辛かったんですと言葉にはひょっとしたらとても腹んでる 可能性があるから
うんその人が辛かったんですって言ったとしてね 腹んでるものを引っ張り出している
引っ張り出すと過剰に見えるって言ったっけ って感じです
過剰になっていくんだよでも俺はその過剰 腹んでるものっていうのはあくまで俺が腹んでると睨んでる
本当は腹んでないかもしれないけど俺は腹んでるものを見出したっけ その腹んでる部分はいくらでも言葉にできるから
それをしていくと山田余次なんじゃないの
だからその 何を
腹んでるかを あの掴む時には感受性俺も自分で自分でやっぱり泣いちゃうすぐ泣くから感じ
たかと思うんだけど あの腹んでないその俺が感受した感覚ってものは間違ってるかもしれない
俺の中に1回入れた時に俺の歴史と多分 どっかでシンクロしているものを感受していると思うんだけど
そんな過ごしなかったのにっていうものを俺はキャッチして泣いている可能性があるんだよ
だからでもそんな俺が実は階段としてやる やってるとまあこうなるってことだよね
すごく憑依しちゃうし憑依したその形が あの実物とは全く違ってないくても
あのもう俺は受け止めちゃって受けちゃったから それを文章にするときはもうそうなるっていうことだよね
でもそっか今の話かなりなんだろう すごい根本的なところで重要だなと思ったのが
実は階段のそのさっき言ったような本当にあったことだからなるべくそこにこう なんだろう無媒介にどうにかその言葉も含めて
あの変えさずにありのままのことを表現していきたいみたいに欲望があるとして そもそも
1:15:04
証言者の 証言そのものじゃないわけじゃないですか実は階段
書き手だったり語り手に1回フィルターが通ってるって時点でもう1個 媒介してるんですよねだからあの
その体験者のそのまま見た世界がそのまま出てくるっていうものではなくて その体験者が見た世界を
もう一人別の世界を持った人が 1回こう
受け取った上でそこの中でなるべくそのままの形で出そうっていうような えっと形になってるから
なんかそろそろな生音じゃないんですよねアンプアンプが通るというか 体験したその時間だけが生音で
体験者が言語化した時点でもうアンプ通ってるからね その人のボキャブラリーもわかんないしどれくらいそういう表現力あるかもわかんないわけだから
体験ってものを言語化した時点でそれはもう生の体験ではないわけ だからそこもひっくり返って実はってうちらは読んでるけど本当に厳密に言うならば
実はの ずっとはの間に凄いヘタタリがあるんだよね
でなおかつそれを俺みたいなのがひょいひょい出てきて受け取った時にさらにヘタタリ が生まれるわけ
でもヘタタリが生まれつつもなんかこう エッセンスがあるわけじゃん
どっかルールのようなものは何かっていうと実は怪談の場合は怪談 怪体験というルールがあるから
そこでちょっとなんか共有できてる気がしちゃってるだけで 実際共有できてないんじゃない?
いやうんうん
すごいぶっちゃけると
なるほど面白い
あの漢字下も書いてるっていう言い方をしてましたけど
柳田邦夫があの塔の物語を書いた
結局岩手県の塔の出身も佐々木貴然から聞いた話を柳田が文章にしてるわけで
その塔の物語の前書き諸言の中で柳田は佐々木貴然から聞いた話を聞き取るままに書いたりとか
聞き取るままに書いたりっていう言い方をしてないんですよ
どう書いてるの?
感じ取るままに書いたりって書いてる
まさにそれまさに俺が言ったことを上手に話してるのは感じ取るままに書いてるんだよ
そこがやっぱり実話会談なんだろうなっていうのが
だから本当はねそこまでみんな踏まえた上で読んでくれたらどんだけ健全かと思うんだよね
いわゆるビリーバーという皆さんがいましたよね
怖いんですよビリーバー
1:18:03
今言った感覚とは全く違う読み方をするわけ
さっき言ったような文章に書かれているものは回答権そのままであるという
いうスタートから読んじゃう
そうすると今度何を言い出すかっていうと
自分の思う回答形とずれてる時に嘘くさいって言い出すんだよねそれをね
嘘くさいものはもうないだろっていうよりさ
感じ取るままに書いたりのものをさ聞いたものをさ
そこに嘘も本当もない嘘も本当もなくて何があるかというと面白いものがある
だから面白い読み物としての実話会談だという
語るとしたら面白いエピソードを語ってるっていう感覚で十分なんだよね俺は本当は
なんだけどまあそこでそのいわゆるビリーバーの皆さんを切っちゃった時に
実は会談っていうフィールドはなくなるんだよ売れなくなっちゃうから
大事なお客さんだからその人もね
だからそこはまあ
あれなんだけどやっぱりちょっと難しいよね扱いが
結局その話がこれはすごい本当にあったことなんだろうなって感じるとかあるいはちょっと
これなんか嘘くさいのは持ってんじゃないのとかって感じるので
結局その人の感じたるままでしかない
そうそうそう感じたるままに対感じたるままにの戦いが始まったんだよね
別にそれって話を何人が嘘くさいと思って何人が本当っぽいと思ったかっていう統計を取ってあげてもないから
やっぱり感じたるままに書いたものを感じたるままに読者の方が読んでくれて
でまあこれはなんか嘘くさいなっていう意見はやっぱりあってしかるべきだと僕は思います
実はあの冠についている時点で
たださっき坂田さんが言ったようにそれが嘘とか本当かっていうその尺度だけで
多分エンターテイメントとしての実話会談っていうのは今よりもちょっとつまんなくなっちゃうのかなっていうようには思います
まあ嘘くさいなって思わせてしまった時ちょっと多分こっちの技巧が足りなかったかもしれないしね
まあなんか相性かなって思うんですね
なんかこの作家は本当っぽいけどこの作家は嘘っぽいって実はその人の何か下位に対するスタンスとか趣味もあるので
で私どっちかって言うとその実話会談を書くってまあ翻訳に近いのかなぐらいの感覚なのかな
まあ翻訳まあ結構翻訳も原理主義者って多いと思うんですけど
原文を本当にそのまま綺麗に訳してるのが本当の翻訳だから
やっぱりそこでちょっとこうなんか関西弁を入れるとか
こうなんか日本にしかない単語で代用するのが違うみたいなって言う人も多いと思うんですけど
1:21:03
結構それに近いかなって思います
翻訳対張訳みたいな感じの戦いってことですか?
そうですね
まあ翻訳と張訳の中間くらいが一番面白いけどね翻訳はね
本当にガチガチの翻訳された本の読みにくいことと言ったらたまんないよね
ああでもそうか翻訳はすごいいいですねすごいしっくりきますね
やっぱりだからそのこそその人自身が使ってる語彙がそのままぴったり他の人にも当てはまるかどうかわからないみたいなところで
どう言い換えてあげたりどう膨らましてあげると
その本人が感じたりその書き手が感じた感覚みたいなものを表現できるかっていうときに
やっている作業って確かにめちゃくちゃ翻訳に近しいものが起こっているんだなっていうのが
そうね
あのそのまんだからそういうこと張訳よりにもしていかなきゃいけないという気があるわけでさ
翻訳していく中でこのまんま文章にしたらちょっと誰もついてこないぞみたいなさ
その隙間を何か埋める何か自分の言葉を入れなきゃいけなかったりする意味でも翻訳なんだろうね
やっぱ読者がいるわけだから何に自分で記録している翻訳じゃないわけじゃん
自分のだけの資料じゃなくて読者がいるから読者向けのものを書こうっていう話だよね
なるほど
なんか今回の怪談3ではちょっと僕ね手元に1冊もなくて
Kindleで見てるんですけど
うちりさんのやつがやっぱり1冊だからめちゃくちゃ効いてるんだよね
うーん
逆に言うと朝霞さんの後半の怒涛パートっていうのが結構入れ子構造みたいなっていうのがやっぱり面白いなと思って読み返すと
なんか箱の中にもう一個箱があるみたいな
でなんかその辺の構成にガンって振ったのってやっぱりさっき言ってた山田陽次監督みたいにフィルムに挟み入れる
高田さんのセリフだから入れ子構造をあえて作ったっていうのはやっぱりすごい編集として際立ってるなって思う
実際その後半の朝霞さんの怒涛のパートのバリエーションってすごい濃いんですよね
なんか12層のクレーンを全部揃ってるよみたいな感じの出し方なので
なんかその辺もちょっと2倍なんか1冊っていうのを2冊読んでるみたいな
なんかそういうちょっと不思議な編集だなっていうのは
普通こうしないよね
絶対しないよね
てかよくやったしこれに誰も言おうとこないぞ本になったわ本当に
1:24:01
強調でこんな風になってる階段もないからね
あの牧場帰った瞬間に大丈夫かなこれって思いましたからね
すごい攻めてるよね
でもこれでいいこれしかないと思ってやったからね
これしかないなって思った
本当になんだろう
僕がその本読みの文脈から入ってきてるのであれですけど
その怪談本の読んだ時一番こうびっくりしたのは
目字にしか書いてないんですよね書き手の名前が
それぞれのところに書いてないから
読む時にこれ誰が書いたんだろうっていうのを知りたかったら
また目字に戻っていかなきゃいけないっていう
これがちょっと不親切に感じてたというか
やっぱりどうしても書き手と結びついたところで
読んでみたいみたいな感覚がすごい強かったんですけど
今回の怪談三芸は目字見なくても読んでると
書き手の多分これはこの人が書いてるっていうのが
分かるぐらいに分かるような強度を持っているものが多くて
それがそのなんていうのかな
実は怪談においてどれほど良いことなのか分からないまま喋ってるので
もしかしたら失礼なことを言ってるかもしれないんですけど
それぞれの書き手の個性がきちんとつぶだっているし
だからこそ後半の怒涛の浅川パートの多彩さが
なんていうのかな
その書き手の技巧だったり世界観みたいなものを提示する場として
機能している感じがあって
僕はすごいグッと気ながら読んでましたね
浅川さんはね
俺編集で何回も読むことになったんだけど
やっぱ円溜め力が強いね
でその円溜めの中で一話一話の書き方をちょいちょいアプローチを変えて
円溜め怪談のバリエーションってものをかなり見せたなっていう感じ
ありがたいです
でもそんなに円溜め小説とか読むタイプでもないんですけど
なんか気づいたらそっきよりの書き方をする人間になってましたね
すごいサービス精神がむちゃくちゃ旺盛だなって
それはあるかもしれないですね
何より楽しんでほしいなっていうのはするので
大きく読者を突き放してないというか
1:27:01
この話の面白いポイントはここですよっていうのははっきりわかる感じだね
内里さんはさっき言ったように本当に現代美術のような方だと思うんで
ここですよここここっていうところは相手そういうふうにはポイントの当て方してない感じで
俺その中間にぐらいだね
その間くらいなんですねやり方としては
だからやっぱバランスいい形ってなんだろうね
だから本当にその普段怪談読まないような人が
本当に文体ってみんなとりあえず言うけどこういうことだったんだっていうような読み方であったりとか
編集ってそもそも何やってるのみたいなときに
配列の仕方っていうものがどれだけ効果的に効いてくるものなのかっていうところも読めてきたりします
それこそ内里さんの怪談だったりするとむしろその一点の中での配列のあり方みたいなところで
その編集的なセンスみたいなものもできたりしているので
なんかすごい何だろうな
得るものが多い一冊になっていると思うんですよね
だからこれを聞いている人の中にどういう人がいるのかあんまり僕もわかってないですけど
なんか自分でも何かものを書いてみたいとか
なんかそういう実作に対して何かこうやっている人も多いと思っているので
そういう人こそ読むとめちゃくちゃ学びどころ盗みどころが
ふんだんにある一冊に
大傑作だと思うんだけどねこの一冊は本当に
めちゃくちゃいい本だと思います
めちゃくちゃいい本だと思うよ
実は怪談本で三人強調のアンソロ値でちょいちょいありますけど
ここまで書き手の個性がすごい反映されているにも関わらず
一冊読んだ時に一冊の本読んだなっていう満足感がある本っていうのは
手前メソッドだけどあんまりないと思う
ないと思うんだよね
俺もすごくよくできた
本当に自分でこういう一冊だったら怪談本っていいよなって強調
こういう一冊だったらいいよねっていう
一つの形だと思うんだよね
なんかこう怪談本ってさどうしても一冊こうあるとしたらさ
一冊の中にいろんな話がたくさんこうなんていうか
ポータル感っていうよりも怪談集って感じ
強調であれ単調であれ怪談集って感じなんだけど
怪談集に関しては怪談集って言葉の枠よりも
1:30:00
もうちょっとこう強めに使いたいよね
実際怪談集だから間違いないんだけど
ただの怪談たくさん入ってますじゃないよっていう
本当に耳がたこくらい俺は言ってるのは
そういう一冊として読んでほしい
怪談集じゃなくて頭からケツまで全部一つつらなりの何かがある
一冊と思って読んでほしいっていうのは言ってて
そんな風なものはないんだよ
怪談実は怪談でそれぞれが明々に取材したものを集めて
こういう形にできてるっていう本はないんだよ
日本の歴史の中にないんだよこれは多分
あったら持ってきてくれって感じではないから
絶対ないんだよ
だからそこだよね
本当に通読でき頭から後ろまで通読しての満足度っていうのは
すごい随一だなっていうのは
一読者としても感じているので
これを一冊ノンストップでガーって読み続けて
1時間とか2時間とかで読み終えたら
多分一曲のめっちゃ長いコードで聞いたみたいな感じの気分になると思います
前書きと後書きもすごいいい感じで書いたんだけど
俺の天才エピソードに言わせてもらうと
この前書きなんて20分くらいで書いてるよね
何も考えずにキーボードの周りに向かって20分くらい書いてる
後書きも多分1時間もかかってないよね
だから天才だよね
めっちゃ考えたみたいにめっちゃ考えたんだろうなって思われるけどそんなに
雰囲気は掴んでたから
素晴らしい表紙
この表紙の通りのイメージを頭の中に浮かべてたんだ俺は
この表紙いいですよね
安心して家に置きやすい
いいよねアイテム感あるよね
本当に怪談本の本好きとしての困りどころとしては
怖い顔とかがデカデカとプリントされてるものが多くて
家に置きたくない
あとそもそもこの本に似合う棚が見当たらないっていう問題が
大いにあると思うんですけど
怪談三人行はそういう意味では
わりとどんな本棚にも馴染みやすいデザインで
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そこも含めて
この表紙だったら
この表紙だったら
江戸川乱法とかの棚に置いてもいいよね
そうですね
いけるよね
いけると思います
これだからすごい表紙のイメージで
前書き書いてる時に頭の中でこういうのを思い描いてたから
表紙来た時びっくりしたよねこのまんまだと思って
デザイナーがちゃんと前書きを読んだ後に
作ってるっていう進行になってるのが素晴らしいよね
普通そうならない
デザイナーは読んでないで
デザイン先行になってる
これ明らかに前書き読んだ後に書いてる
本当にコンセプトアルバム感が強い
みんなで作ってる
表紙が書いてる人含めみんなで作ってるような感じ
なるほど
すごいな
すごくよくない?
この本を手にするとあなたの目の前に一本の大木が出てくる
すごくない?
すごいよこれ
気持ちのいいぐらいの自画自賛タイムが
その大木には無数の枝が生え
それらの枝先には形も
象って書いて形にしてるのもいいよね
形も色も大小も違ったつぼみがついている
ページをめくるとつぼみが開くなって
これもう最高だよ
こんな前書き読んだ後本読む読書体験たるやだよね
ワクワクしちゃうじゃん
なんか本読むってことが
すごく素敵なことに思えるよね
この花は何と禍々しいのだな
階段ファンはこの言葉に食っちゃられますよ
こういうの好きなんだよな
日本人の言葉をポイティックに書くと
こうなるってことだよね
あなたの短足になびき花は散る
こういう本と本ってものと自分ってものの
関係をここで書いてるんだよ
花は散るって読み終わると終わるわけじゃん
そのページがエピソードが
それをもって花は散るって言ってるんだよね
そうして読み進めるごとに
国際色の花びらに埋もれていくっていうのは
読み終わったものが人の胸に残っていく
記憶に残っていく
あるいは記憶に残らずとも足元にある
読んだあなたっていうのはそこにいるんだよ
っていうことを表現してる
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天才じゃない俺
雰囲気だけで書いてないから
全部理由があるから
で 本の中に書いてある
ということをお話しさせていただけると
どっちもそれが
商業的なそういう判断というか
階段本の前書きであることを踏まえて
本書に修正された階段はすべて
著者が経験者から聞き取り取材していた
エピソードを文章化した実話階段である
ってことでちゃんと社会性もポップをしてる
こういう説明文を入れてるわけ俺は うんどうよ
で身のけもよだつおづましい話からって もうこれちょっとねいかにもな言葉じゃ
身のけも立つようなおづましい話って もう県外化した言葉でしょでもそういうの
が 立ち読みしてちょっと顔かなって人は
わかりやすいわけじゃん だからそういうあのよくある言い回しで
わざと書いてる ここはそんな独特なこと書かなくて
いいところって判断から 世界の深淵に触れたような不可思議さを持つ
話まで取るとそろえ っていうところもあれだね
まあこうただ怖いだけだとちょっとなっていう人も 世界の深淵に触れたような不可思議って言うと
なんか手に取りたくなるじゃん ああそういうのもあるんだって思う言葉でしょ
で奇妙な彩りを持った一冊に仕上げたって 言葉を書くことで実は記載の記載だそういう
ブーブー言っ 文章にしてるわけ
ぜひあげて言ったことないですけどっていう 人のためにねこれ立ち読みしたらわかると
でさて花を開こうか買おうって気にさせる じゃこんなこと言われたらもう買うよって
なるじゃん そして散らそうだじゃあ読みようとなるじゃん
あなたはそれが好きなのですからって言って ああ
ブーブー言うとからスタートしてるって
じゃあこれもだからすごい本当にあの雑誌の 関東芸に
みたいな本当にこの これから始まるあの一冊のトンマナをだったり自分読み手の
モードをこう 整えていくという機能が凄すごいか
なされそう 本当にそう読み手のモードを整えて欲しかったの
でまぁそんなこと書いてじゃあどんなこと 書いてるのかなぁと思ったらあの貯金っていう
すごい クロテスクな
反省から始まるって言うな なんか雰囲気で書いていってんじゃなくてこれ
ちゃんと怖い本だったんだ よし買うぞって思わせるんだよね
うーん 読みする人の気持ち考えてここで一読み
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ふわっとした話だったらさなんか大風呂式 広げたわけにふわっとした話のあれだって
やだなって言ってしまわないといけないじゃん ああそうか立読みで
つかむためにもこの関東園からの1話目が1ページに収まる短いものみたいなところ も
そうそうそうそうそう 立読みの人が本当に怖いの開いた時にこれ
7、8ページあったりするとさ多分読まないよね 特に本読むの苦手だと思った人がたまたま開いた時にさ
これ2ページくらい終わっててなおかつこういう ちゃんと怖い話だったら
ああこれだったら私も読めるかもってなるじゃん っていう判断から貯金にして
で次に九段の白星になってるんだよね これはなんで次が九段の白星かっていうと
九段が有名だからだよね うんであの
九段に関するものが載ってるなら私買うわ っていう怪談ファンもいるだろうっていう
判断もあったので 自分もこれすごい良い話がした
九段の白星良かったです それであれですねやっぱ貯金が1話目なのが見事なのはその
桜の種っていう表現が出てくるじゃないですか すごいその怪談記載のこの表紙から
前書からで花だったりその色彩豊かみたいなところを 一つこうなんとなく感じさせながら
ここの6ページ目のここでその桜の種っていう 表現が入ってくることで
一層その決定づけられるんですね 彩りなんだこの
実は記載っていうこの言葉が言うように奇妙な彩りっていうところのあの 映像的なカラーリング
がたりげなくここで 決められるんですよ貯金を読んだ時
なんか極彩色の世界なんだっていうモードに読み手が自然になっているっていう ここ
すげーなって思います これなんか俺は真面目だからなんとなく桜の種って書いたんじゃなくてちゃんと
桜の種のかさぶたって書いた後 果たしてそんなかさぶたあんのかなって
画像検索めっちゃかけてあるあるってやっとこまでちゃんと判断してから なるほど
なんか自分だけで桜の種のかさぶたって言葉がいいなと思っていけんじゃねーと思ったら 桜の種のイメージが頭の中にあったから
あれ大きさどんなもんだろうとかさ 実際どんな色だっけとか質感どんだけってのがわかんなくなって
ちょっと実はに着地しにくいかもと思ってちゃんとグーグルで検索して 実際検索するとね桜の種のようなかさぶたが耳のとこにできてるっていう
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イメージも全然実は幻想的なようでもリアルに ちゃんと着地できてるものだねなのよ
うん だから
本当に真面目なところだよね うーん本当にこの
なんだろう書きっぱなしのようにある意味その あの
実話会社の場合馬さが鼻についても嘘くさいわけじゃないですか だからそこを感じ取らせないレベルで
あの文章は書かれているんだけれども実はそこにものすごいこう 高密度な計算や
うん配慮がなされているんだっていうのを 本当にねこう
なんだろうただ読み飛ばすだけだともったいない と思うので
本当にね本を読むのが お好きな
人に 届いてほしいと勝手ながら
安アパートの会人たちっていうのはあれだよ メイフィルの会人たちのオマージュだよ
まあそう いい
だから冗談で情状だってが好きな人も立ってほしいなと思うし うん
あとなんだろうね
まあ流れで言うなり安アパートの会人たちでまぁアパートの話書いてるけどその後 にここに決めたっていうのに入ってるっていうのも流れ流れだよね
でここに決めた先住者っていうところに入ってるって前半の方に物件物を言ってる のは自己物件ブームだから
うーん今自己物件ブームなんですか まあ自己物件ブームっていうのはもう勝負そろそろ終わってるんだけど
まず分野として あの物件戻って言うのを引きはやっぱり強いんです
だから物件物って言うのを最初の方に読んだ 置いた方がこれも立ち寄りした人まだこの辺も立ち寄りしてるかもしれないじゃ
なるほどなるほどキャッチーだからキャッチーなものを前に置いてる
いやー面白いな
面白いね ちゃんと理由があるん
この目眩の後にファの日が来るっていうのもこれも あれなんだよな
これもね
おゆりだったかな
まあでもファの日もギリギリ物件物なんですよねここまでは ああそうかそうだねそうだねあの日もなんかこう
なんか自分なりに多分行ったんだと思う ファの日はねでも物件物にしてはやっぱ強いよねその
このキャッチしてる側の力 そうそうそう
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なんかそのある要素とある要素ってこう いや
のカワーバランスとかも考えてもグラデーションっていうか 能力者の話なのか物件の話なのかみたいなところのグラデーションも計算中に入って
いるんだよね オレンジの髪っていうのがポンって入るのはこれはもう完全に1回流れ変えたいから
うんうんうん
これ面白い いやそうですねここのそうですねここの内井さんの
話が 3つ4つ
連続するところで1回こう 転調する感じはありますよね
で転調して真ん中に高田さんのさっきも話に出てた 知らない花が入って
ここでまた なんてですかねちょっと
なんだろうなぁ ここ終わったらちょっとトイレってくださいねみたいな感じになってからの私ゾーンが
グッと始まって
そうそうだから本当に一つ一つのあの話として読んだ時の面白さもさることながら 本当に流れで読む時の気持ちよさが
あるので いやなんかそのさっきから僕のやっぱり好きな犬の死骸に行く前が病院さん
こんぼーさんっていう〇〇さんシリーズで来るじゃないですか すごいここで一旦ガードを下げられるんですよなんか
なんかある意味これはあの作為的なんだけど えっと読み手としては言ってしまうなんかちょっとこう安直なこう
連想ゲームでなんかちょっと短めの話が続いてきたなみたいなところでちょっとこう 気楽な気持ちになった状態で
ふわっとこう犬の死骸に入っていくと俺なんか 全然知らねえ世界に連れてかれたぞっていうこのこの流れ
いいよね かなりいいですよね いいよね
犬の死骸はあえて後ろの方に持っていかないのよ いかないっていうことをしたかったんだけどどこに置こうかなって時にやっぱ
さあね 病院さんこんぼーさんの後にグンって入ると本当にやっぱ油断させた後
のが効くよねっていうこのなんかぬめりのある感じ いやそうなんですしかもこれでなんかあれなんかいきなりなんかちょっと
ポツンと寂しいところに連れて来られちゃったかもっていう 違和感を持った後に
ぬ行列が来るじゃないですかまたちょっとなくいうもらすな世界に戻されてある意味そこの 犬の死骸の気持ちの置きどころがどこにも
許されてないんですよね ここで揺さぶりたかったんだよ 読者の気持ちを掴んで揺さぶりたいパートなのよ
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それによってすごいこの犬の死骸が より生えるというか際立つよね際立っていくのが
いいですよね なんか油断させたくないよねどうせこうなるんでしょうは必ず裏切って構成にしてる
から この本ってもうこれくらいのアクセルの透かし方でこういうことしていくだけなんでしょ
って思った瞬間閉じてもいいんだよね あと小話でんでしょポンって終わっちゃう感じじゃなくて
いやこの話の後何くんのって思ってほしいずっと ずっとそう思って最後に欲しいのよ
この話こんな話まで出てくるんだったらこの本と後何の話でいくのって思う ずっと思ってほしい
初めて読み渡しますから読む作業じゃなくてどんな話が乗っているのかな確認じゃなくて 言わないでいるページワクワクしてほしいと思っているのがずっとこう続いている
気持ちです 確認って言いましたけど僕は怪談本ってあの好きであればあるほど今回この作者は
どんな話を書いているのかなっていう確認要素がちょっと強くなっちゃうなって多分今 自分も実は階段をよく読むので
よく埋めてすごい思って今宝さんめっちゃいいこと言ったなと思いました でも俺も読むとほとんど確認だよ
やっぱそこほとんど確認になっちゃう ただ確認
いい思いを超えるものを作らなきゃなって うん思ってんだよねずっとずっとそう思ってるの確認だけで終わらせたくない
植物的なものがたくさん持っているそれを確認され ルーだけでこうなに実は階段ジャンプダグサイモノになってたまるかって気持ちが
俺はあるよ常に いやー
いいなぁ いいですよ
でまぁこれ あのさっきの散らない花の話ちょっともうちょっとしたいんだけど自分で書いたもん
なんですけど知らない花ってタイトル が実は先にあんだよね
知らない花っていうタイトルで何か作りたいなと思った時に あの話書こうってそのスナックの話になって何でかっていうと
前書き知らない花後書きって自分の中でこう 中書きってものがあるとしたら知らない花は俺の中で中書きなのよ
あの階段ってものはもう体験として終わっているものであって 目的は必ず過去のこと
でそれをまあ文章化したエピソード読むと それは散るっていう意見でいいと思う
なんだけどこの体験者は生きていっていまだにその亡くなった あの若かる子やと男の人のことを今でもここに
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だから私一人もんでいいのよみたいな感じのノリなのよ 実際その後一人もんの続いていくのかわかんないけど
俺にそう話してる その心って散ってないよねって思ったんだよね
その心は 過去のものではなくて
ずっと人の中で生きているもんだからまだそれはその木に 枝にその花だけはずっとあるぞと思ったんだよ
ある種唐突に急にその花は散らないって俺の言葉が入るじゃん その花散る気がないって言ってるわけそれはその女の人が
うんと そうねしかももっと深いこと言うと
女性 は結婚すべしとか女性は子供産むべしとかいうものに対するアンチテーズを込められてるんだよね
深いでしょ
これでその散らない花のタイトルとこの階段産芸って全体のタイトルと前書きのこの 書かれている内容をとって時系列でどの順番に決まったんですか
おおおおおお 前書きが最初
かな で
前書きを書いてみてまだその時点で多分俺一本も書いてないんだと思う 前書きから順番にこう書いていってきます
あーなるほど 前書きはもう
そうで先前だったらなんかページ数の勘定をしていきたかったので俺 順番に感情していかなきゃよくわかんない頭から感情していきたい方から頭から埋めて
いこうとねうんでこうやっていった気がする 後書きは一番最後で書いてる
じゃあ大体この順番で書いていって階段産芸っていうタイトルが決まったのは作品で揃ってから じゃあずっと前だよねそれも
それはもう我々書く前じゃなかった
タイトルが先に決まってその後に前書きが書かれてっていう順番 知らない花が書かれて後に書かれていく
あーなるほど面白いですね
確かにその順番だとこの知らない花っていうタイトルのものを真ん中らへんに置きたい っていう編集的な気持ちも出てきますもんね
全部知ってるって思われたら嫌だな 急に発動した時に知らない花ってタイトルいいなと思って
じゃあ何が知らない花なんだろうと思ったらまあ今も 生き続けているものだなと思った時にすごい
そういう発想がないとまず階段として文章にしなかったであろうこの話をピックアップ したとかね
だってガチャってどうだったらいたって言うんだけどもう わからんじゃんお客さんだったら無視になるわけよ
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その人の中ではすごくそのバックボーンがあるからパってみていうたったそれだけでも すごい思い
印象的なことなわけじゃんだから俺で話を聞かせてるわけ 全部説明してる
ドラーその気持ちは知ってないねっていうことだよね 終わってない話だな
その人っていう人の人はその体験とか思い出を持ってしか幸せ なのよ
ほんまらかなのよ そういう幸せの形っていうものを提示したいなと思ったけどね
なんかそこに悲壮感っていうのは正直俺は書きたくなくて 可哀想なエピソードだと思うんだけどその
彼彼氏が死んじゃってるわけだよ なんだけどそれはそこに生きてるっていうシアスもあるぞって言う
でその花は美しくまちってな知らずにそこにあるんだってことを かけあっていう感じですね
面白い いやー
ちょっとあと3時間ぐらい喋りたいんですけど ふっかりポイエティックラジオ史上最長の
作品になりそうなので なるよそれはなると思ったもん
やっぱ僕も今回は2時間ぐらいにはなるだろうというのは なるなるだろう
一旦ねそろそろこの辺で 姉妹にしておきたいと思うんですが
何かだいぶ呼びたくなったんじゃない聞いてる人がそうだ 本編読まずにねこんだけ話してたらえっとってどんなこと書いてあるんだろう
いや本当にあの一冊の怪談本に対してこれだけ喋ってまだ語り尽くせない何かが あるんだっていうだけでもね
あのかなりのことだと思う あのラジオを聞いてくれて皆さんの中には実は怪談本てこれまで手にも取ったことないよ
っていう人がたくさんいらっしゃると思うのでちょっとなんかなんだろうな ちょっと見てやっかな気持ちで軽く手に取っていただけるととても嬉しいですっていう
感じです
だってやっぱりその怖いもの苦手な方でも 表紙もそんなにこう驚々しくないし
まあその こういう話ももちろんたくさんあるんですけど本当にそれだけではない
もうかなりのいろんな豊かな読みどころがある本なので よっぽどものすごいもうそもそも声の絶対NGなんですっていう方に無理事するのはちょっと
ここですが そうではないちょっと苦手だなっていうぐらいの方は一度ちょっと手に取って試してみると
良いのではないかなと 思ってもあれば読めますので
ブーブー言っ 書きない
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書きない周りにアピールするねー どれ
まず編著者である僕がねー まあアメ
いいかのポストモダンルーレン好きで そもそも階段本
ブーバーし スティーブエリクソン
エリクソンをずっと一緒にして書いている あのさまよう日々が一番好きなもんですから
あれはさまよう日々を階段本として呼んでる男が 満を持して
出した階段3位ですからね これはもうエリクソンファンを読まなきゃバカでしょ
ブーブー言っ 今ので何に伝わったかは100にくらい買ってくるんじゃねー
いるといいな
ブーブー言っ あのエリックスカールの日本での方が人気あるらしいですから
あーそうだねー 売れないんだって
あーなんかそんな感じだよね わからねーじゃんあれあればかりされて世界おかしくなっちゃう
にまったく意味がわかんないんだから 新作になるほど意味わかんないんだよね
うーん
a はいというわけで
一度ここでお開きとさせていただこうと思います a プリエティックラジオ
お相手は私書き内緒こと本日はゲストでこの方たちでした ご挨拶お願いしますはい会議
アプリケーション作詞在所階段サッカー高田豪太と うちりです
と 浅瀬です
もうありがとうございましたありがとうございましたございました
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