00:04
こんにちは。
こんにちは。
いつもポイエティークRADIOですって言うじゃん。
え?こんにちはの後にポイエティークRADIOじゃなかったっけ?
こんにちはポイエティークRADIOですって言うじゃん。
あ、そうか。いや、こんにちはって言っても、こんにちはポイエティークRADIOです。
お相手は、私、柿内正午と、
奥さんです。
よろしくお願いします。
お願いします。
さっきまでの作戦会議で、
サクッと本題に入った方がいいっていうことになったから、
サクッと本題に入ろうと思うんですが、
でもやっぱりなんかさ、
いや、入った方がいいとは言ってないよ。
あ、僕がね、入った方がいいんじゃないかって思ったから、
その方がいいかなって。
でもやっぱりラジオの最初のオープニングトーク、好きなんだよね。
いやだからやれりゃいいやん。
そう、だから、でも、まあ、だから、
着地、ちゃんと着地すればいいよ。
わかった、じゃあちゃんと着地させるわ。
えっとね、やっぱりその、なんか、先にこうダラダラって始まって、
途中でこうタイトルコールが入って、
ジングルが入って始まるぞみたいな、
あのラジオの構成が好きだから、
最初にそういうオープニングトークをしたいなっていつも思って、
喋り出すんだけど、
いつも、いやなんか最初に打ち合わせで話そうって言ったら
内容が違うやんみたいな空気になっていて、
なんでって言って、僕もそれはわかってるんだけど、
でもなんか喋り、関係ないところから始めたくて、
だけど綺麗に始めたい話に落ちないから、
困っちゃうっていうのがあるなって思ってて、
でもなんかやっぱりだからね、あれはさ、関係なくて良くて、
関係ないこと喋った後に、
なんかその、タイトルコールがあって、
ジングルがあるから、
本題に入れるとか、コーナーに入れるってことなんだなって思ったから、
そもそもこの冒頭に、
ジングル入るスタイルの時点でオープニングトークはいらないんじゃないかっていうのが、
一個の結論だったんだけど、
まぁ結局こうやって喋っちゃうっていう。
あと、急に来年の目標言っていい?
えぇ!?
おぉー。
えっとね、来年の目標はね、
ジングルかっこいいやつを作ってもらおうかなって。
やっぱりラジオっぽい。
なんか今適当にさ、僕がガレージバンドでフヨフヨフヨンってさせてるだけだからさ、
なんかフヨンってしてんじゃん。
なんかあえてなくて、もうちょっとちゃんと、
ジングルだぞみたいなやつを作ってもらおうと。
いうのが一つの目標だから。
まぁウキロでも嘘だけど。
でも発注したいなって思うからね。
今日聞いてる方で、もしジングル作るの得意だよって方がいたら、
お便りください。
うん。
今日はこんなもんでいいかな。
いつもより今度。
うん、かなりね。
いや、いいんだよ。のびのびやってね。
まぁ今日は、
クイーンズギャンビットと、
ロシアオヘイセンキという二つの作品について、
思う存分語ろうぞの回。
語ろうぞ。
ということにしようと思っています。
03:00
めちゃくちゃネタバレを気にせずに喋るつもりなので、
ロシアオヘイセンキおよびクイーンズギャンビットをまだ見ていない人は、
必ずどこかの人生で必要になる作品なので、
ここで聞くのをやめてください。
いや、あの二つを見ないのは、
人生の損失。
あんまりね、そういうさ、食べ物の好き嫌いとかでもさ、
え?それ食べれないの?それ人生損してるよとかいうさ、
それに対して、は?うっせえとしか思えない。
思わないけどね。
から、あんまり言いたくない。
あんまり言いたくないけど、
クイーンズギャンビットはそこまで言う気はない。
ロシアオヘイセンキは見たほうがいい。
そうだね。
見たほうがいい。
かな。
映画館で見たほうがいい。
そうだね。
これを配信する頃に、まだやってるかどうか知らないけど。
ちょっと微妙。
もしまだお近くの劇場でやっていたら、
急いで。
急いで。
映画館で見たほうがいい。絶対。
ということで、どっちの話から行きますか。
えーと。
これ別に、このロシアオヘイセンキとクイーンズギャンビット、
最近見てる両方めっちゃ良かったっていうだけで、
特にそこに関連性はないから。
関連性ないけどさ、
あるんだね。
この間ちょっと喋ったじゃないですか。
で、私がすごい大興奮じゃない。
で、なんかその、
ロシアオヘイセンキでシャオヘイとクイーンズギャンビットでベスが、
二人とも特に社会性がないところが、
私はすごいこう、
いいぞっていうかなんていうか、
大体好きな話でも、
まあ何かしらの社会的メッセージを追っているというか、
結果的に追っているみたいなさ、
ものが多い中さ、
で、やっぱりそういうところが出てくると私は、
いやまあそういうのかっこいいけど、
分かんねえなって、
一歩スッと引いちゃう感じがあるんだけど、
最初から最後まで無かった。
うん、そうだね。
すごい良かった。
最初から最後までそうする、
そうする君が好きみたいな気持ちで見てた。
分かる。
だからあれだよね、何だろう、
今回何でこれをやろうかっていう時にさ、
そもそも何かいろんな作品を見て、
いろいろいいねって言うんだけど、
奥さんと一緒にこの作品について語り合おうって言うと、
いや私作品の感想を言えないからって、
断られ続けてきたじゃない。
うん。
で、僕は割とそこでベラベラ喋りたがっちゃうけど、
クイーンズギャンビットとロシアオヘイ戦記に関しては、
逆に僕はあまり語れる言葉を持ってないなって、
言うのに昨日気づいたじゃない。
そう思ったより喋んないって思った。
で、何で喋んないかっていうと、
何か割と両方変な作品だから。
で、その変な作品ってのはどういうことかっていうと、
06:01
そのなんか構造的に、
何かその起承転結的な意味とか、
メッセージ性とか、
何かそういうこう何かこう、
因数分解しながら見ていくような、
これはこういう作品でこういう意図があってみたいなことを語ろうとしていくと、
何かよく分かんなくなっていくっていうか、
別に何も言ってねえなってなる。
で、ある意味それは、
その奥さんがさっき言ってたような、
ポジティブな意味での社会性の欠如みたいなことなんじゃないかっていうのが、
こう、
何か仮説として昨日出てきてね。
何か、なるほどって思ってた。
もう一回ちゃんと話すと、
クイズ・ギャンビットに関すると、
クイズ・ギャンビットっていうのは、
ベスっていう、
リラ・ジョイっていう女優さんがやってるんだけど、
目当たら顔が良いですね。
もうすごい良い顔をとってる作品なんだけど、
それはちょっと置いとこう。
それで、その依存症で、
薬だったりお酒系だったりの依存症であったりとか、
孤児であったりとかっていう、
何かよくある意味物語にありがちな属性が付与されていたりとか、
あとチェスっていうめちゃくちゃ男性社会の中に、
女性が実力だけで乗せ上がっていくみたいな話であるとか、
もろもろすごいそういう、
一個一個のキーワードからめちゃくちゃ語りやすそうな話でありながら、
正直、
何の要素がなくても良かったなっていうか、
別にその、
孤児が居場所を見つけていく話でもないし、
性格さえあれば、
ジェンダーギャップに埋められるっていう話でもないし、
依存症を克服するためには周りのサポートが必要とか、
そういう話でもないし、
要するに今っぽいアジェンダがありそうでない。
かつ、
チェスの話なんだけど、
あんまりチェスの、
どういう攻防がされているかはあんまりよくわかんない。
やってる人の表情がドヤ顔か悲しそうかで、
勝ってる方負けてる方がわかるぐらい。
顔ゲーなんだよね。
だからチェスの番上で何が起こっているかって、
ぶっちゃけ見てもよくわかんない。
とか、
なんか、
全体を通してね、
よくある、
こっちがなり親しんでる物語のフォーマットでお約束が、
実はことごとく外されてる。
実は全然見やすくないはずなんだよ。
すごい見やすくないはずなのに、
めちゃくちゃ見やすいし、
ぐいぐい引き込まれるし、
めちゃくちゃ最後までチバキ肉踊る感じの展開に、
ハラハラワクワクするっていう、
実は結構変な作品だなって。
なんかその、
すごいさ、
3話4話あたりでさ、
すごい私はハラハラしたんだけど、
そのハラハラっていうのは、
ありがちな話に、
09:01
ベスが回収されてしまったらめっちゃ嫌っていう、
ハラハラで、
だからこのまんま依存症復復物語にされたら、
なんかベスをそんなつまんない、
存在にするなみたいな気持ちになるし、
なんていうの、
チバキ肉踊りとか、
そこにジェンダーは、
関係ないというか、
ある意味その、
もう顔の武器じゃん。
絶対動じない、
やれるもんならやってみなさいよみたいな顔の武器じゃん。
そこにジェンダーは関係ないというか、
ある意味その、
顔の武器じゃん。
やってみなさいよみたいな顔も含めてさ、
圧をかけていく武器の、
っていう取り方してるじゃない。
だからもうなんかつまんない、
既存の文脈に回収されるのは絶対嫌だなと思って、
それにハラハラして、
見ていて、
そして回収されないけれども、
王道展開で終わるというところに、
胸熱って。
それこそめちゃくちゃありがちなさ、
最終的にアメリカvsソ連という話になっていく、
いきそうだけどもならないわけじゃん。
周りはふんわりそういう感じを押し付けてくるけど、
本人はそんなことはどうでもいいっていう。
面白い勝負がしてみたいなね。
さっきのあなたの話を聞いて思ったのはね、
灰狼なんじゃね?って思った。
かっこいいというだけで要素を取り上げてて、
特に文脈に対する強いリスペクトがあるわけでもないし、
踏襲するわけでもないし、
それにアンチテーゼを唱えていくわけでもなく、
ただかっこいいから踏襲するみたいな、
雑食すぎてどこの文脈にも乗れない感じ。
灰狼に関しては割とハイコンテクストというか、
少年漫画の悪い部分も含めてかっこいい部分を
全部にこぼれぬいに詰めてるものだと思ってるから、
割と女性の描き方に関してはクソオブクソだなと思ってる。
灰狼に関しては面白い部分は面白いんだけど、
全部が全部面白いかというと結構僕は微妙だと思っていて、
そのダメな部分だけで作られてるのがレイプレイだと思ってるから、
だからもうダメなの。灰狼ダメなの。
灰狼がギリギリだなって思うのは、
村山ちゃん以外二次成長来てないから、
12:02
女の子との絡みを幼なじみ以上出てこないじゃん。
それはわかる。
というのはギリギリ気性がかかってるなって思う。
でもやっぱりそこは二次成長前だからといっても
あいつらだって普通におじさんたちじゃん。
だからダメだよそれは。
少年漫画における苗ぶさってそこだと思ってて、
お互い性器ついてなさそうというか、
それこそ乳首とかかかんない世界のわけじゃん。
乳首とかないからとかうんちとかしないからみたいな世界は嘘だから。
いつまでそれやってんのみたいな気持ちになっちゃう。
で、やっぱりクイーンズ・ギャンビットのいいところは、
とりあえずその知事化な男を
すごい雑に抱くところがすごい好きだなって。
アニア・テイラー・ジョイが終わった後に
一人でチェスの本とか開き煙草吹かしてる。
抱いてやったみたいな顔してるところがすごい僕は好きなんだけど。
だからやっぱりそれぐらいでいいというか、
そういうものとして扱ってほしい。
灰色も人殴るぐらいのカジュアルさで
セックスすればいいと思うんですけど。
でもそれを日本でやろうとすると結構だから、
今あの世界観でやろうとすると地獄じゃん。
そういうところがやっぱり僕の中で燃え尽くるところかなって思ってて。
この間奥さんと話しててハッとしたのは、
今日話めっちゃ飛ぶけど、チェンソーマンの話ね。
チェンソーマンとかファイアパンチとか藤本さつきの漫画の良さっていうのは、
エロを書く時にすごいそれを
大体全部レンジャーただのバカ。
バカなガキに対して
女性人が自分たちの武器として自分たちの意思のもとを
振りかざす暴力として自分の如体を使ってくるんだよね。
っていうところに良さがある。
だからラッキースケベ的な、地獄を煮詰めたようなものではなく、
スケベは自分から武器として使うもの。
女の子がコントロールしてるよね。
だからそこ大事だなみたいな。
小物で解決できないことはチュッパチャープスで解決できたりするわけじゃん。
みたいなことをやっぱりチェンソーマンしてると思ってて、
そこがすごいいいとこだなって思って、
そのいいところをクイーンズギャンプットは持ってる。
すごいだからそういう意味ではめちゃくちゃいい。
少年漫画的な展開に。
普通に一つも燃え尽かない形でセックスが出てくるっていうところが、
僕としてはかなり好印象だった。
高畑側の男たちは燃え尽いてたけどね。
15:03
何が変わると期待していたけれども、
マジで何も変わらないみたいな顔をしてしょんぼりしていく男の子たちがちょっと可哀想ではあった。
あれだからすごい典型的というか分かりやすいというかさ、
男の子の方が一晩の経験によって全部が変わるんじゃないかって内部に信じ続けてる感じっていうのが可愛いな。
男の子は初恋にこだわる的な。
みたいなのをさらりとバカじゃないのってやってるところがすごいいいよね。
とはいえ僕は抱かれた男たちのしょんぼりしちゃう感じも分からなくはないというか、可哀想だなって。
どんまいって思うところはあるけれど。
それによってチェス以外のパスが通るんじゃないかと思っていたらそんなことは全くありませんでしたっていう。
やっぱりそれがすごいいいところ。
なんかその体操の観念みたいなものが気持ち悪い感じでないというかさ。
なんか別に、だってそれは精神的に人肌欲しいときにさ、手近にいたら抱くでしょみたいな。
でも普通じゃんそれがみたいなところが普通に書かれてるところが僕はよかった。
じゃあちょっと飛ばすけどね。
飛ばそう。
それで言うとさ、シャオ兵にとってさ。
今ロシャオ兵選挙さらしに飛ばしたね。
シャオ兵にとってやっぱ風刺っていうのはさ、初めての家族なわけじゃん。
でも最終的にはさ、すごい辛いよ。めっちゃ辛いよ。なんで?風刺ってなるけど。
なるけど、そこで師匠の、あのときはまだ師匠じゃないけど、無限の教育の賜物として。
シャオ兵はさ、恩義とか愛着と、自分の中での善悪というものは別物としてさ、風刺をさ。
ぶん殴るじゃん。
こぶしで分からせられなかったけど。
だからなんかあそこでシャオ兵に必要以上に、てか思ったよりドライっていうかさ、シャオ兵が。
っていうのがなんだろう、えらいっていうか、いやなんか日本のアニメでもできるだろうかってちょっと思うよね。
日本のアニメであれやろうとしたらなんでだよ、琥珀さんになっちゃうかね。
18:00
まあでも多分、だいぶさ、みんなさ、そういうさ、そこの、なんていうの、だるい攻防にさ、だって最終的には完全懲悪かなんでしょみたいなところにさ、
そこらへんこうどんどん早い展開になってると思うけど、でも今完全懲悪って言っちゃったけど、完全懲悪じゃないんだよ。
そうだね。
風刺が負けたから風刺じゃない側が正義になっただけで、風刺が悪い側が正義になっただけで、
風刺、愚か。悪いわけじゃなくて愚かだったというか、同じくらい頭のいい仲間を持てなかったことが悲しいよねっていう。
風刺の前には気のいい奴はいたけどね。気のいいだけの奴だったからね、みんな。
でも、そう、うーん、
確かにね、クインズ・ギャンビットとロシア和製戦機のこのマッサの中で無理矢理共通点を見つけるとしたら、確かに初めてにこだわらないみたいなのが結構あると思うんだけど、
うーん、そこの、ギリ人以上と自分の行動原理を混同しない。
ああ、そう、それはあるね。お世話にはなった。でもぶっ飛ばすっていうのが両方とも目標。
多分私にかけてる社会性ってそこで、
私は多分逆パターンで、ギリ人以上というにはそこまでの繋がりがないものも、自分が愛着を持ったら必要以上に世話をやってしまうみたいな方向になってしまう。
あと、まあ、逆にこう、全部さ、それ気分だから、お世話になってても、今ムカついたら裏切るみたいなことをしちゃうから、
そうだね。同じタイミングでお茶を飲んでたけど、
お世話になってても、今ムカついたら裏切る、みたいなことをしちゃうから。
確かに。
そうだね。
だから。
そうだね。
同じタイミングでお茶飲んでダメだな。
ダメだね。
ごめんね。
いや、そうだね。だから。
やっぱりだから、あんまりうまくまとめられないんだけど。
個人の目先のことというか、目の前にあるものに対して誠実でさえあれば、その他のことは割とどうでもいいっていうことが出てきたのはいいなって。
21:00
読むため、人のためとかよくないというかさ。
読むため、人のためって言った瞬間に、他の人たちというのはどんどん手段でしかなくなってくるわけじゃない。
逆に風神みたいに、全員いなくなったほうが良くねっていうほうが、逆に誠実というかさ。
みんなで幸せになりましょうとか言うから、本当に闇落ちしちゃうわけじゃん。
そうじゃなくて、もう愛入れないから、お前らが全員出てけっていう方向っていうのは実はさ、
確かに真っ当な感覚なんじゃないかっていうふうに思っていて。
それができないなら、自分が森になるってことですね。
そうそう、そういうことだなって思って。
今念頭にあるのは、僕たちが大嫌いのプロメアのことなんだけど、
プロメアがなんで無理だったのかっていうのをすごい考えること、
すごいナイーブに世のため人のためっていうのを掲げた主人公が、
マジで誰よりも独裁者に近いというか虐殺者に近いところにいるっていうところだなって思ってて。
あとその悪役側のありがちな設定とかも含めてさ、
みんながみんなでかい主語で語った結果、誰のことも幸せにできそうにないっていうところがまずダメっていうのもあるじゃない。
まずその大きなところでくくっていくとね。
だから、なんでプロメアがあんなに嫌いだったのかっていうのは、
多分そこなんだなっていうふうに思った。
でかい主語だけで何もなかったからね。
そうそうそうそう。
だからギャンビットやロサウル平戦記とかインズギャンビットは、
なんか一人の主語しかない。
で、なくていいんだってなるっていうところにやっぱり良さがあって。
僕はだからそのでかい主語の粗雑さに対してプロメアは起こっているんだと思ってたんだけど、
実はそうじゃなかったかもしれないなというか、
主語って別に一人でいいよねっていうところに、
なんか改めて思ったっていうのがでかいのかもしれない。
だからやっぱり桜ルートの笑みやしろが一番誠実だよねってことでしょ。
だから僕はヘブンズフィルが一番好きなのはそこだというか、
やっぱり他のルートの笑みやはプロメアの松山家にそんなにも変わらないから、
粗雑だし、
なんかそもそもいろんな人間性をバカにしてるよねっていうところでしかないから、
だから僕はあそこまで見てフェイトってみんないつも主語でかくなりがちって思って、
割と嫌いだったんだよね。
だから僕さんが見てるリノコで見ながらだいたい半分軽蔑したような目で見てたもんね。
だけどヘブンズフィルを見て、やっぱりヤンデレ可愛いなみたいな気持ちで、
最初はもうただそれだけの気持ちで桜ルートを追ってたら、
もう最後の最後まで見て、もうこれは素晴らしいって思って。
24:03
でもなんかやっぱり僕はヤンデレというか、
ヤンデレという属性でくくるのはあれだけど、
とりあえずそういう人たちが好きなのって、やっぱり視野が狭いから好きなんだよね。
自分とその人のことだけしか言えない。
だってさ、正義のヒーローになりたいとか言ってる奴の主語を自分にさせる引力がすごいよね。
すごいよね、そうすごい。
世界圏の悪いところはせっかく僕とあなたみたいな関係性に、
言ったのにも関わるわけでさ、それをイコールで世界に対峙するとかダメなわけじゃん。
やっぱりでもそうじゃなくて、何よりも何でもいいから、
もうその二人だけにっていう方向に吸引力を全振りするっていうところに、
やっぱり桜ルートの良さがあると。
ごめん、悪かった私が桜の話をしちゃって。
いやでもだからやっぱりフェイトのヘブングフィールが僕が好きだっていうところから、
このロシアフェイ選挙クイズギャンビットにドハマりするみたいなところの措置は整っていたんだなって思った。
別に負けたら世界の終わりだしね。
そうそう、あれすごい良かった。3話の終わりでね。
初めての敗北の時に世界の終わりが隠れなかったっていうのがすごい良い時があったね。
私ごめん、喋れてもまとめられない。
まあいいよ、まとまなくていいよ。
個人主義みたいな話はすぐに自己責任みたいな話に繋がって社会化されがちじゃない?
そこで選択を誤った時に個人主義としてその選択をしたのであれば個人の責任だからセフティネイトは働きません。
みたいになりがちじゃない?
そこに関しては問題にしようと思えば問題にできるのかもしれないけど、別にそういう話じゃないじゃんっていうのがね。
プレイズ・ギャンビットの良いところは、あの個人主義を貫くために必要なのは金。
ある意味、これまでのそこで個人主義みたいなものを批判するってなった時に、やっぱり金がないから問題になるんだよね。
そういう面倒くささって金さえあれば解決できるっていうところが。
それはある意味残酷なというか現状放題にしかならないんだけど、ある意味救いというか金さえあれば一つの救いにはなり得るよねっていう意味ではしょうがない。
27:14
だってあれは社会の話じゃないから。
そう、そうなんだよ。
社会の話じゃなくて、ベスがベスのまんまより良くなるだけの話だから。
ベスが勝てなかったらじゃあどうするのとかいう話は、ベスは勝つので関係ありません。
そうだ、今の話で今日話したいことが繋がった。
今日なぜかアーレンとの話をしたいと思ってたんですよ。
今アーレンとの話に繋がるから頑張って繋げますね。
ベスはパリでやらかすじゃん。
で負けんじゃん。
だけどあそこで負けた時に酒飲んでなくても負けたって言うんだよ。
あれすごい良いなって思って。
パリの大事な決勝戦の前にそれまでずっと我慢してたお酒を飲んじゃってベロベロになって寝坊して遅刻して逆に負けるっていうひどいやり方をするんだけど、
その後に結局酒のせいで負けたわけじゃなくて実力不足で妄想不散だったって言うわけじゃん。
あれがすごい良いなって思ってて。
どうやって繋げようか。
要するにチェスっていうのはアーレンとでいうと公の公の場なわけですよ。
アーレンとの人間の条件を今100ページくらいまで読んだんだけど、
100ページまで読んで堂々と語んない話なんだけど、
アーレンとの言ってることっていうのは要するに公私婚とはダメ絶対っていう哲学の人なわけ。
公私婚とはダメ絶対ってどういう意味かっていうと、
もともと公の場っていうのは服を着て装いきの言葉でしゃべるところであった。
私的なものっていうのはある意味必然の世界というか、
食べなきゃ死んじゃうとか寝なきゃ死んじゃうとかうんちしなきゃ死んじゃうとか、
そういうことをやる場所だったということを主に言っていて、
アーレンとの近代において労働っていうものがある意味ずっと家の中でやることだった。
生きていくためにするものとして労働っていうのがあったのに、
その労働っていうものがある意味公やけ的にやるものみたいな生活工夫が付与されちゃった瞬間に、
公私婚同の場として社会っていうものが出来上がってしまった。
それはどういうことかっていうと、
野愁し放題みたいなものなんだと。
社会って野愁し放題の腹っ端なんだっていうことをアーレンと言ってるわけ。
アーレンとはもともとギリシャのポリスであったような、
うんちはちゃんとトイレでして、話し合いはリビングでしましょうみたいな、
公と私の空間をちゃんと分けようっていうことをずっと主張している人だったわけ。
今の社会っていうのはどこでもうんち垂れ流しの、
社会っていうものはそういうものなんだ。
生物としての原理っていうものを公やけに、
みんな一目をはばからずやりちゃう場所としてあるんだと。
要するにツイッターみたいなことだったり、
30:01
本音主義みたいなことだけど、雑なこと言っていい場所みたいなところとしてそういうものを考えちゃう。
それはだから社会ってのが良くなくて、
そうじゃなくて公と私っていうふうに明確に空間を分けるべきだった。
そこを曖昧にしちゃいけなかった。
そこを曖昧にしたからこそそこに社会みたいな変なものができちゃったんだっていうのがアーレンとの交渉で。
それでいうならば、ベスの依存症っていうのは私の領域でずっと起きていて、
チェスのバンジョーっていつまで絶対に公やけなんだよ。
そこでちょっとお行儀の悪いさ。
貧乏ゆすりとかするけどね。
貧乏ゆすりとか下打ちとかめっちゃ早く刺すとかするけれども、
でもギリギリ許されているタイプのアレで住んでいる。
そこのお行儀の良さについては僕はよく知らないけども。
チェスのバンジョーってのはあくまで絶対に公やけの場で、
そこでリッチというものだったり才能というものが全て物を言う世界である。
それとは別にトイレの世界として、
ドラッグやお酒の世界があるというところが割とはっきりと区分されていて、
社会がなかったっていう奥さんの指摘もすごいだからはっきりしてるんだけど、
ある意味だからアーレンと大喜び世界だったんじゃないかっていう。
チェスという公やけの場所と依存症であったりなんだったりっていう私の場所っていうのが、
ここがはっきりと分離されていたからこそ、
あの話には社会が出てこなかったんじゃないかっていうところで、
実は人間の条件で、冒頭100ページで論じられている、
公的空間と指摘空間というものがどんどんどんどん教会がなくなっていってしまって、
近代以降は社会というものが出てきてしまった。
それによっていろんな不幸が起きているっていう話に対する一つのアンサーとしてあったんじゃないかと。
今、公やけの空間って人から見られたり聞かれたりするってことが前提としてあって、
なんだけど全部をパブリックに開けばいいかってそういうわけじゃないと。
それこそうんちしてるところを隠した方がいいじゃんみたいなところが、
今全部一緒になっちゃってる社会なわけ。
だからさっきの奥さんが言ってたような、
もし依存症の話とチェスの話を一緒にしちゃってたら、
それは要するにトイレトレーニングの話になっちゃうわけですよ。
社会だから。就人監視のもとではトイレの話になっちゃうわけ。
そうじゃなくて就人監視のチェスの話だけしてたところに、
フィンズギャンビットの良さっていうのはあったんじゃないかと思って。
だから奥さんが社会的な何かを帯びている作品に対して決定になる理由ってそこなんじゃないかなっていうか、
いや、今はチェス版じゃんと。チェス版の上にうんちはしないじゃんっていうことが、
多分奥さんの中で直感的に感じていた今なのではないかっていうふうに思って。
確かにそれはそうだなって思うわけ。
だからお仕事漫画とかで恋愛持ち込むとイラッとくるとかも多分似てて、
それはこうしこんどう許さないみたいな、ある意味それは偏狂な感じもするんだけど、
33:04
実はそうじゃなくて、そもそもファブリックな空間でしていこうとしたいけないこととかって当たり前にあるじゃん。
全部なんでもかんでも公にやっていいってわけじゃないよねっていうことを、
もう一回そもそもか?みたいなところから言うべきなんじゃない?みたいなことを改めてペンジキャンビットを見て思ったというか。
それは多分ロシア語編選挙の風刺に対してのというか、
みんな殺すって思っていてもいいかもいいけど、
それは自分の森の中で言っていればいいじゃんと。
でもそれをわざわざ島の中で言うのだったらいいんだけど、
街に出てきて、ここはもともと俺の森だからみんな殺すみたいなことを言うと、
それはちょっとってなっちゃうと。
でもここでちょっとここで燃えあつくじゃん。
もともとだと風刺の森じゃんって気持ちもあるじゃん。
みたいなところで多分ここで初めて正しい意味での社会問題というか課題化っていうのができるんじゃないかっていう風に思うんだよね。
何でもかんでも全部トイレトレーニングの場所にしていいかって言うとそうじゃないんじゃないかっていうところが多分僕の思うロシア語編選挙、
そしてクイーンズギャンビットに対して思う好ましさの根本にあるところだなって思うし、
さらにひいて言うと僕が囚人監視の人とおしゃべりしたり日記垂れ流したりすることが好きな理由なのかもしれないなって思って。
いや嘘だな。
普通にこの夫婦のおしゃべりや日記を垂れ流すのはむしろ幸と死の境目を曖昧にしている試みなのでは?って反論されたら何て答えるかわからないけど違いだとは言えるな。
なんで違うかは今すぐ言えないけど。
あ、でもだから僕日記でトイレしてる機はあんまりないもんね。
そうね。
そこかな。
いや、ちゃんと加工してる。
そうそうそうそう。だから。
これダメくらいにはなってるかな。
公衆トイレくらい。みんなで使えるように綺麗にはしてる。
でもここら辺だからね、もうちょっとね、ちゃんと深掘りしとくと面白い。
家庭内でどんなクソ親父でも仕事ができればいいじゃんみたいなこと言ってたの、アレンと。
わかんない。まだ今のところそういう話をやってる。そういうエンデバー参加みたいなことじゃない。
いやなんていうの、なんか不倫をしたからとかいう話と、いやそういう本人の話ではなくて、
その不倫しただの、なんだのっていうのはそれは市の領域で、公の領域で、
仕事に対する不義理をしていないのであれば、それは責任問題として全然別の話なんだから、
それを政治家であるとかそういう公の職務に対してその市の責任を問うなっていう話をしてたのか、アレンとか。
36:04
多分してそうではあるというか、アレンとが今話してる。
僕が今読んでるところまでという公と市っていうのは本来全然別物としてというか、
むしろ市的領域っていうのが満足していった時に初めて親家の場に出てこれるからみたいな話も含めて。
アレンとが言ってることを援養していくらでもそれは言えそうだ。
アレンと自体がそう言ってるかわかんないけど、
たぶん授業で先生が要するにこういうことって言うのかな。
言ってそうだよね。
マジそれなって思う。
マジそれなって思う。
だからやっぱり、この話は、まあいいか。
この前ルチャリブロの大木さんが、名古屋のカルチャーセンターで講義してるらしいんだけど、
そこでね、白井さと氏の武器としての資本論をいい本だよって紹介したら、
受講者アンケートでゆうみんに暴言を吐いた白井なんていうひどい男の本を紹介するなって書かれたっていう風に書いてて、
いい本だったら紹介しますけどねってその場で書いてたんだけど、
あれだからすごい象徴的だなというか、それこそそういうことというか、
ベスが依存症だろうがチェスが強ければいいっていうのと同じ態度というかさ。
白井さん自体がどんな人かというかさ、
友達になりたい人かどうかと、白井さんが書いた本が面白かったかどうかは違う話だし、
本に書いてあることの48%が到底肯定できないことであったとしても、
残りの2%にほんまマジそれなってことが書いてあったり、
マジかそんな考え方があったのかって驚きがあったとしたら、
その2%を否定する根拠は何一つないというか、
その2%は純粋にその2%の良さとしてあるじゃんっていうことっていう態度っていうのは、
やっぱりこうなんていうのかな、普通にあるべきというかじゃん。
いやてかそれができないとめちゃめちゃ世界は狭くなると思うし、
私その思想系はさまた若干難しいなという気持ちはあるんだけど、
チンピラン世界だからね。
芸術においてはさ、私は圧倒的に作家と作品を分けて考えたい人間で、
てかなるべくその詩の部分を知りたくないんだよね。
だから、なんか推しのツイッターとかめっちゃ扱いに困る。
そうね。ツイッターとかね。
そう。やらなきゃいけない。作品だけ出していればそれなんだけど。
39:02
だから難しいよね。ツイッターとかをそこまで作品のイントとして考えるのか、
なんかみたいなところは人によってちゃんと。
だからそれこそさ、腹パッちゃう。
だから人によってはちゃんとカラーにしている人もいればさ。
そうそう、ちゃんとアラポッテカにする人もいるからね。
アラポッテカにするのは別のアカウントにする人もいるわけじゃない?
だからなんかそれが、でももともとそういうのって混濁している部分っていうのは大きいけど、
なんかよく見えるようになっちゃったっていうかさ。
人によっては違うんだよね。だからそもそもさ、
この公の場でうんちうんち言ってること自体がダメなんじゃないかっていうさ、
人は多分少なからずというか、むしろ多数派なんじゃないかって今ふと思って不安になってきたんだけど。
とかね。そういうことも含めてね。
人によってはもうそこから先はダメですよっていうのがあるからね。
そうだね。
まあでも、なんだっけ。なんだっけ。
こうしこんどはダメ絶対。
そうそう、こうしこんどはダメ絶対で、
人の仕事っていうのは何かの物にするという物性化なわけだから、
その物だけを判断すれば良くて。
菅氏顔が昔インタビューで言ってたんだけど、
音楽が好きな理由は、音楽っていうのは作った人がどんなクズ野郎だとしても、
良い曲書けば良いからって言ってて、
すごい好きなんだけど、でもなんかそういうことじゃんっていう気がして。
だから謎なくだから生きづらいなみたいなのがあるとするならば、
僕も奥さんも共通して言えることは、
たぶん嫌われるタイプというか、
可愛げ補正を狙えないタイプの人間。
全部、全科目で平均点取れないとか、
ある科目では多少良い点取れるかもしれないけど、
なんかそれこそ、
社会性とか赤点だから。
2点とかじゃん、みたいなところもあるじゃん。
みたいなところで平気でうんちとか言っちゃうとかね。
そこで、1個でも赤点があったら進学できないみたいな、
息苦しさに近いものを感じているのかなと思って。
そうじゃなくて、特有科目で見てほしいな、
そんな気持ちがあるのかなって思った時に、
そういう人たちに響く作品として、
特にフィンギアミュートとか、あるんちゃうかなって思った。
うん。
綺麗にまとめようとして。
可愛げとか無い進展で、
こう、
なんて言うの?
チェスの時、チェスの話だけしかしない方がいいんじゃない?
ああ、そうね。
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可愛げの無いやつとかっていうのはチェスと関係ない話だから。
だから下辞典で負け犬だからね。
負け犬仕草だよね。
それが無いっていうのが気持ちいいと思う。
そうね。
なんかそういう世界って存在するじゃん。
その可愛げが、
あるいは無い進展が、
人生を決める世界。
私はかなり早い段階でドロップアウトしてからそれを。
中学からもドロップアウトしてね。
もうね、
親の先見の目でね。
それは素晴らしいことだよね。
そこでね、さっさと私立に行けた環境があったっていうのはすごい良いことだね。
それはもうなんか運が良かったし、
感謝しかないんですけど。
ごみみたいに中学まで、
孤立まで行っちゃうと、
歪んですから。
しなくていい頃というか。
社会的動物になっちゃうから。
今すごい歪なね。
歪な社会。
社会というものね。
自然が成長を遂げてしまうから。
だからそういうのが、
そういうのが得意で、
むしろそれがないとめっちゃ不安っていう人は、
なんかあんまり面白くないのかもしれないけど、
でもその、
多分そういう人向けの作品の方が多いというかさ、
あるいはもうそういう、
なんていうの、
繊細なところとは全く関係のない面白さのある作品とかの方が多い中で、
めっちゃそこに寄り添ってくれるというか。
今ごめん。
何?
もう一個思いついちゃったから話していい?
じゃあ責任を取って自分でまとめて。
あのさ、シンゴジラさ、すごい好きだったじゃん。
でもシンゴジラってある意味チェスの世界だけの話だったんだよね。
だから僕らが見たかったのは、
孔子混同のだるい職場恋愛みたいなのが見たくなかったから、
めちゃくちゃ徹底的にチェスの話だけして、
リッチと性格だけがあればそれでよかったっていうところに、
日本なりのファンタジーを感じて、
やっぱりこういう世界いいよねって思ってワクワクしたっていうのがあるんだけど、
シンゴジラにとってモヤモヤするのは、
なんか仕事できないとダメなのかなって。
逆に言うと、性格しかないのかなみたいなところで、
逆に公の世界しか描かれてなかったところに、
一つのなんとなく僕の中で100%面白がれなかった理由があるなって思ってて、
クエンズギャンビットさえめちゃくちゃ面白がれた一番の理由は、
両方あったってところだなって思った。
だからアーレンと別にトイレがダメとは言ってないの。
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うんちすんなとは言ってないの。
でも信じるからね。
そうそう。
人にはもちろんうんちができるくらがりってのも必要だということは言ってるわけ。
それがなかったらマジみんな出るもんも出なくなるっていうことを言ってるわけ。
アーレンとに怒られそう。
なんだけど、でもそれはちゃんと見えないところですよね。
で、公の場ですることってのは、
例えばチェスだよみたいなことだから、
ベスがちゃんと飲んだくれるチェスの場所ってのを分けてたところに、
やっぱりすごい僕は良さって思う。
お前もうアルコール依存症だろって言われてたときはブッチしたからね。
そうそうそうそう。
そこがやっぱり良いと。
それだとクレーンズキャンベットで良かったのは、
会場でサバコを吸うときにここ禁煙ですよって言われるじゃん、ちゃんと。
あれがさ、従来のというか、
ありがちな少年漫画展開でさ、
普通にさ、うるせえって言ってサバコ吸ったりさ、
酒飲んだりしながらチェス刺すみたいなさ、
ことがさ、ありえちゃうじゃない。
それがあった瞬間に僕はダメだったんだと思って。
ちゃんとそこでサバコ吸っちゃいけないところでサバコは吸っちゃダメとか、
いうところも含めてちゃんとそのこうね、
プライベートでファブリックが分けられてて、
っていうところに、
クレーンズキャンベット、アレンとの感想が聞きたい。
アレンとの感想が聞きたいか。
と思ったね。
なるほど。
キレイにまとまったし。
キレイにまとまったか。
というところで、
トイレに行ってお会いしよう。
では、お会いしましょう。
お会いしましょう。