00:04
よろしくお願いします。
こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私、柿内正午と、本日は特別ゲストで、この方です。
友田とんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ということで、友田さんのプロフィールのご説明とかっていうのをから始めなくてもいいかなとは思っていて、
ざっくりと言うと、今回は友田さんが新しく出された、パリのガイドブックで東京の街を確保する2という、
大変面白い本を読んで、大変面白かったなと思ったので、
その本の話をしたいぞっていうところでお呼びしているっていうところなんですけど、
僕もいろいろ作家さんのイベントとかに出かけて行ったりするときに、一番がっかりするパターンって、
その作家さんのプロフィールだったり、読めばわかることを一生懸命その場で説明してくださるのはありがたいんだけど、
その話だけで冒頭30分終わっちゃって、聞きたい話というか盛り上がる前に終わっちゃったなみたいなのが、
一番しょんぼりするところなので、そういうのは各自調べてくれっていうところで乱暴にやりながら、
今日はお話ができたらなと思っています。よろしくお願いします。
はい、ありがとうございます。
もともとこのパリのガイドブックで東京の街を確保するのは、
僕は1が出たときに、確かいつ買いに行こうかなみたいな悩んでいたら、
友田さんにツイッターに早く本屋さんに走った方がいいですよみたいなことを言っていたんですよね。
あ、そうでしたね。
そして本屋さんに走ったらいいなって書いて読んで、
で、こう満を持しての第2巻という頃だったんですけど、
どこから聞いていこうかな、そのなんだろうな、
読んでて、この前の奥さんとやっていた文振りの話のときにもちょっと話してたんですけど、
すごい1巻の頃は、それこそ結構アハハと笑いながら読んでいて楽しいなと、
それこそ100年の孤独で代わりに読むの、次はこういう感じなんだっていうところで読んでたんですけど、
2巻になっていよいよ、ある意味深刻調じゃないですけど、
100年の孤独を代わりに読むの終盤の、
03:00
英子さんがまた出てくるあたりから先の、書いてる本人も暗中模索で苦しんでいくような、
恋出るオールがどんどん重たくなっていくみたいな感じが2巻は続いていく感じがして、
もちろんこう、なんだろう、アハハと笑える部分もありながらなんですけど、
いよいよ探求の旅が、冒険が始まっていくんだなっていうところをすごい感じるなと思っていて。
ありがとうございます。
そうなんですよね、1のただただおかしいっていう話が、
2以降も同じようなテイストで続くんじゃないかと思ってた人も結構いるんじゃないかって思ってて、
で、いまだにそう思ってる人が結構いるんじゃないかと思ってるんで、
結構今本屋さん、いろんなところに届き始めて、本屋さんが紹介してくださってるんだけれど、
多分読む前にまず本の感じとか、パラパラと見た写真とか文章ちょろちょろっと見て、
前と同じ感じ続いてるなって信じてる書店主さんもいらっしゃるって僕は思ってて、
でも今回もう全く違う感じにしたんですよね。
なんか書き始めてみたら、
高木奈美さんも先週ですかあれは。
先週ですね。
文振り号みたいな回の時に、
怖くなるって、確かどうなるのか怖いっておっしゃってて、
僕もこれ書きながらこれはどうなるんだろうっていう着地点っていうか行き先がわからないまま書き始めてっていうのだったんで、
ただもうとにかくには暗いなと思って笑えないんじゃないかと、
まあそんな笑えないことはないと思うんだけど、
なんかもうただ何も考えずにアハハっていう感じではない。
なんかでも逆にそこを今回はしっかり書きたいなと思ったので、なんですよね。
これやっぱりなんだろう、元からシリーズ化というか最初から1で出てるじゃないですか。
2からどんどん続いていくって思ってた時は、
こういうその展開って元々なんとなく最初から描いていったものなのか、
それともなんだろうな、アハハと笑える読み物として続けていくつもりが書いてるうちに、
06:02
なんだろう、こういうその怖さというか重たさみたいなものも含めて出てくるようになってきたのか。
書いてみてから、一番最初は本当に言葉だけがパッとあって、
始まりがどう始まるか最初全然わからなかったんだけど、
一つ目書いた時はフレンチトーストの話になったんで、
なんだろう、だから言葉だけが出てきた時は、
この2の状態と1のフレンチトーストをただ食べられない、ただおかしい話の中間ぐらいの感じだったと思うんですよ。
でも最初出てきたのはフレンチトーストだったから、
ずいぶん軽い話だなって自分でも思っていて、
でもなんかその後、キーワードで引っかかってくるものをずっと待ってると、
やっぱりもっと、なんだろう、ただナンセンスで喜んでるだけっていうのだとやっぱりちょっとお話として深まらないっていうか、
やっぱり深いところに行きたいっていうのがあるんですよね。
だからそれがただただおかしい話だけしてて深くなるんだったら全然それでもいいんだけど、
やっぱり深くなるのにはそれなりにちゃんとっていうか、
やっぱりちょっと重たいところっていうのが出てくるなっていうのがありますね。
なるほど。
僕も今回読んでて、なんだろうな、これはだからちょっと読み方としてはずるいかもしれないんですけど、
友田さんってご自分でレベル立ち上げて流通から何からっていうところもやられてるじゃないですか。
今日パリカツの話をした後にそういう誠実さみたいな話ができたらっていうところで元々依頼させていただいてたんですけど、
なんだろうな、友田さんが自分で本を作っていて、その作っている内容にその本を届けるためにやられてたような活動の方がひっくるめて、
本の内容にまでそれが反映されてきたのかなみたいなことを読んでいてすごい思っていて、
ちょっとかなり語弊のある言い方になっちゃうかもしれないんですけど、
友田敦っていう作家はある意味その社会活動家というか、
実はめちゃくちゃナンセンスって切り口からかなり社会派なことをやってる作家なのかもしれないなみたいなことをすごい身を読んでいると感じて、
09:01
多分それは自分でレベルを作って自分でその本を広めていってっていうところも含めてだと思うんですけど、
入り口というかきっかけはナンセンスだけれども、そこからやろうとしていることっていうのは実はかなり、
あまりこういう言い方はしたくないですけど、実用的というか実践的なことをやっているんだなっていうのをすごい思いました。
なんかそれは多分、柿内さんとかはずっと僕の活動を見てもらってるから、すごいよく理解して直接も話してるし、
去年とか1が出た後もこの本をただ書いてるだけじゃなくて、書いたのを作って届けてとかいろんなこと全部やるっていうのをDIY的だって言ってくれたんです。
柿内さんもそういう言い方してくれたかもしれないけど、あるいはトーマスとエイツ的だっていう。
そうそう、みたいだって言ってもらってそれはすごい嬉しいんですけどとかもあって、
そうなんですね、それでなんか一見ただふざけてるだけのように見えるんだけど、
なんかそのナンセンスなことをやった方が、何ていうのかな、
なんか足を救われないっていうのかな、なんか具体的な社会問題に直接真面目に取り、それはそれでもちろん重要な仕事でいいんですけど、
僕なんかがそれにそういうふうに取り組んでしまうと、お勉強みたいになっちゃうんですよね。
こういう学校理論がありますって言ったら、制作して読んでしまうので、
そうすると、もちろんお勉強はよくて、僕も勉強は好きなんですけど、
そうじゃない、もっと違う可能性をちゃんと模索しようと思うと、
なんか一見ふざけてるように見える形でいろいろ試行錯誤する場がないと、
ちょっと窮屈だ、ある種危険な部分もあると思うんですけど、
とんでもなく間違ったことを言う可能性もあると思うから、そこは気をつけなきゃいけないんだけども、
なんかそういうのは感じますね。
だから、何だっけ、さっき最初に言ってもらったのは、
ナンセンスなように見えて、社会的な問題に取り組んでる、実践してるように見えるっていうのは、
できてるかどうかの自信はないんですけど、そうありたいとは思いますね。
これまでは、それこそトーマス・トウェイツ的だって僕が書いてた時に言ってたのは、
ナンセンスな問いを一個立ち上げた時に、それに対してとことん真面目に追求していく。
12:05
そのとことん真面目に追求していく様自体はものすごい大真面目なんだけれども、
最初の前提がすごく間違っているからこそ、自体としてはどんどん冗談地味でいくんだっていうようなことを一度書いたことがあるんですけど、
2を読んでるとむしろ冗談が過ぎていった結果、真面目に回帰してくるんだっていうのが見えて、
ある意味それは100年の孤独を代わりに読むのをドリフであったり、参照しながら100年の孤独を読むっていう態度にも、
実は今読み返すと通定してた部分なんだろうなというか、一見すると不真面目な、
それでもいい絵を買いましたとか、セリビドラマやコントを参照しながら、どんどん脱線しながら、
その本を読んでいくっていう作業は、その本に対して一見不誠実というか一見冗談が過ぎるように見えながらも、
実はかなり本に対して自分の生活感覚から、それこそお勉強させていただきますみたいな態度じゃなくて、
ちゃんと自分としての肌感覚として、いさとの本と向き合っていくやり方として、
すごいこう、何だろうな、真っ当なやり方だったんじゃないかみたいなことをだんだん思うようになってきて、
だから、もちろんおかしみだったりっていうのは大きな一つの要素としてあるんだけれども、
なんか、ただ冗談だっていうところからどんどん先に行こうとしているのが、2を読むとすごいわかってきて、
だからこそ余計にその、笑い自体も結構ちょっと怖さもあるものなんですけど、
なんかそこからこの3巻4巻と先を進むときに、一体どこに連れてられるんだろうみたいな、
怖さはすごい感じましたね。
しないさんが前回のポエティックラジオで、とは言っても、3の見通しが何かあるから2が出たんだろうとおっしゃっていて、
そうでもない。笑
そうでもないっていうか、なんていうのかな、これはだから、
僕がやっぱりこれも本を作るのを書くだけじゃなくて、全部の工程をやっているからだと思うんですけど、
原稿としてのこの第2巻の第7章って最後の章、準備対策ができたっていう章を書いたときは、
全くそのこの続きがよくわからない状態で、
でもこの中の私っていう人ですね、
これがノンフィクションなのかフィクションなのかいまいちわからないから、
15:03
この私っていう人が準備対策はできたんだよって言うんですけど、
それは別に僕は準備対策できたんだよと誰かに言ったわけではないから、
これはちょっとフィクションなんだけど、
でもなんかそのフィクションの中の私は準備対策はできたんだよって言ってくれたおかげで、
ちょっと僕も気が楽になって、
それをあと編集したり構成してもらったり、
こうやってレイアウトして印刷して出荷したりしていくうちに、
なんかちょっと3は見えてきましたね。
これは不思議な話で、書いてるだけだったら3は出てこないかもしれないんだけど、
3が準備ができたと言ってくれて、
それでそれをいろんな工程をずっと自分でやっていくうちに、
ある種作者じゃない仕事をいろいろしている間に、
3がひょっとしたらこことこことで、
やっぱり2の中にもうすでに書いてあるっていうか、
自分では書いてるんだけども、通り過ぎてたところにもう1回目が行って、
3はじゃあこっからかなっていうところがなんとなくわかってきたんで、
今、続きを書くことに関しては気分は割と楽観視してるんですけど。
そうなんですね。ちょっと安心というか、
安心して楽しみにしてきました。
全く続きがわからないですよね。
そうですね。
でもなんかそれこそ1も2もある意味共通なのかもなんですけど、
最初の冒頭って、割とここに書かれてる私っていうのが
友田さんの実態に近そうというか、
一緒にその1を作ったときの梱包作業から出荷していくというところから始まっていくんだけれども、
それこそだから、第3章のセブンイレブンあたりから、
ぐっとその1段階、練度が上がるというか、
文章や構成の練られ具合っていうのが1段上がっていく感じがすごいして、
こっから先の章の完成度の高さにものすごい舌を撒いたんですけど、
それこそ、穴を埋めていくっていうようなところに向かっていく間に、
集団的な検訪書であったりとか、認知の歪みの話であったりとか、
1の認知の歪みの話であったりとか、
何よりも本物であったり偶然というものの前に、
1回答えが出た気になっていけないよね、みたいなところであったりとかっていうところを、
すごいそこに向かってぐっと緊張が高まっていくような感じっていうのが、
18:04
すごい作られていっている感じがして、
それはある意味、いい意味での作為、
そういう意味ではなくて、
あったからこそ最後のものすごいフィクショナルな会話の文に入っていくところっていうところが、
何の違和感もなく、ある意味友田さんではない私として読めるようになった部分って結構あるだろうなと思っていて、
そうなってくると、
この本の読み方とか、
ジャンル分けの難しさというか、
最初の方はそれこそエッセイのようなつもりで読んでいたら、
だんだん小説地味できて、
かと思うともう1回またエッセイに戻ってきてみたいなところが、
行き来している感じっていうのがすごい感じられて、
今のを聞くと3ヶ月くらい経って、
すごい感じられて、
今のを聞くと3巻はどちらかというとフィクションの方に近づいていくのかなと思いつつ、
でもどうなんだろうなっていうところで、すごい一読者としてワクワクして、
作者としての私と、
編集者としての私、
編集者は僕なのかもしれないですけど、
編集者としてはちゃんと3だけをパッと手に取った人にもリーダブルにしてくださいって言うわけですよね。
作者は続きものとして行きたい方向に行こうとするから、
その辺をどう2人で調整するかみたいな、
もちろん2人って言っても1人ですけど、
自分の関係の人とやりとりはあるかなって、
やっぱりちゃんとこれが本になって、
ある程度の部数は、
いろんな人にやっぱりちゃんと楽しく読んでもらえるようにっていうのを、
やっぱり自分にかなり課しているので、
ちょっとそこら辺は、その辺がでも面白いところではありますけどね、
好きなように書くだけっていうのとはまたちょっと違っていると、
でも今言ってもらったフィクションみたいになってきているっていうのは、
100年の孤独を代わりに読むのもやっぱり最後の方、
ちょっとフィクションが、
陰陽じゃない部分の私っていうのが、
ちょっと現実の私とはちょっと違う私が入ってきて、
そういうのは好きなんでしょうね。
それは多分僕がすごい、
最近ちょっと思緒区っていう言葉を学んで、
思緒区、
思緒区している、
リスペクトしているわけですけど、
後藤明成とか、
あるいは、
21:00
これは思緒区っていうのとはちょっと違うんだけど、
すごいなと思う、
小島信夫とか、
あるいは、
穂坂和志とか、
そういう人たちっていうのは、
小説なのかちょっとエッセイなのか、
よく分からないみたいなのもありますよね。
だから、
そういうふうに分類されるんだったら、
やっぱりそういうところへの憧れみたいな、
あとはやっぱり小説、
何とかして小説を書きたいっていう気持ちがあるから、
エッセイから小説に向かっていくっていうところですかね。
いきなり小説を書く人はもちろん、
小説家でいきなり、
書かれる方ももちろんいらっしゃると思うんだけど、
いろいろやった結果、結局、
現実からちょっとずつずれていくことで、
フィクションにどうかしたら、
もしかしたらたどり着けるんじゃないかみたいな、
思いはあって、だから、
東京の中にパリをある種探すっていうことと、
エッセイの中にフィクションを探すみたいな、
どうやったらそこに見出せるかみたいなことと、
いくつかのことが、
同時にもしかしたら、
僕が取り組んでいることになるのかもしれないなという気はしています。
面白いですね。
今の話を聞いて思ったのは、
僕も小島信夫がすごい好きなんですけど、
小島信夫のすごさって、
再現不可能というか、
小島信夫にしかできないじゃないですか、
どういうつもりでこの文章を書いたんだろうっていうことが、
多分本人すら分かってなさそうな感じっていうのは、
小島信夫の文章のすごさだとすると、
どこまで、だからこの人どこまでそのまま書いちゃって、
どこからちょっと嘘ついたりとか計算したりしてるんだろうかっていうのが、
全く読めないっていうところに、
面白さがあるとすると、
なんかある意味その友田さんが今、
このパリのガイドブックで東京の街を確保するで、
やっている試みって、
ある意味その、
ある程度誰でも小島信夫になれる、
試みでもあるのかなと思って。
面白いですね。
最初に経緯のように振ってきたナンセンスなキーワードに、
一生懸命格闘してみれば、
シラフのままでもというか、
真っ当な人間でも小島信夫をめいた、
事態に陥っていけるというか、
どこまでが本気で書いてて、
どこから先がよくわかんない像に入っちゃってるのか、
みたいなところに、
入っていく、
一つの方法論として、
あり得るのかもな、みたいなことをふと思いました。
それは面白いですね。
24:00
だから、なんだろう、
三柴さんが、
一陣の時に、
練習問題って言ってくれてたのかな。
テキスト自身が練習問題なんだ、
って言ってくれて、
何かちょっと何かが起こる、
みたいなこともあるのかなと思うんですけど、
今言ってもらった、
シラフでも小島信夫になれるような、
方法論っていうか、
方法が一個提示されている。
例えば、小説っていうか、
テキストがそうだと思うんですけど、
脳をバグらせたいわけですよね、みんな。
別に薬物を投与してないのに、
気になるような、
脳に何か作用を予防したいと、
なんとなくみんな思っているわけじゃないですか。
そういう意味では、
小島信夫みたいになるような、
バグらせ方をしている、
ということなのかもしれないですね。
小島信夫の魅力とかだけ、
喋っているだけでも1時間かかりそう。
いや、かかっちゃいますね。
僕、今回、
常に誤答明星が、
いるので、
うっかりすると、
ただのモノマネになっちゃうから、
そうはならないように、
でも時折誤答明星が、
出てくるところがあるんですけど、
小島信夫は今回、
意識的に小島信夫の、
モノマネで書いたところがあって、
なるほど。
時和書房、
シズステーションビル店の今週売れた本を紹介するホワイトボードで、
文庫本、罪と罰を読まないとともに、
パリのガイドブックへ東京の街をカップする位置が取り上げられていた。
そこには山内真理子、パリに行ったことないのを、
著者には進めると書かれていた。
その著者が私である。
すぐに私はそれを買い求めた。
その著者が私であるっていう本はいらないんですけど、
これは、わざわざ、
その著者が私であるって入れて、
ちょっと小島信夫っぽいと思ってやったんですけど。
ちょっとわかります。
ここ、
この説多分、
僕今日、ちょっと奥さんは一緒に出れなかったんですけど、
読んでなかったんで、
パリカツを読み聞かせてたんですよ。
ずっと一巻からずっと音読して。
一番受けが良かったのがここでした。
この、その著者が私であるところが一番。
27:00
いや、笑ってました。
まだ誰にも突っ込まれてないから、
自分でこう言ってるからですけど、
このポエティックラジオを聞いた人だけがだから、
わかる。
何だっけな。
小島信夫の法要家族に、
ガンで入院してても、
嫁いくばくもない妻がいて、
それどうでこうで、
その妻の夫が私ですって言うんです。
そりゃそうだろうよと。
そういう、
そういう、
そういう、
それはすごい大好きなところで、
その真似として、
その著者が私だって言いました。
小島信夫の良さの話をすると、
あれだ、
きりがないけれども一個だけすると、
小島信夫ってすごいこう、
他の人のことを信頼しているとか、
そういう気持ちがすごいなと思っていて、
私は何もわかっていないけれども、
他の人たちはみんなわかってるんだろうみたいな態度で、
話を書くから、
たぶん小島信夫にとっては、妻にとっての夫が私だっていうことも、
わざわざ書かないと、
わかんなかったんじゃないかなぐらいの、
気にさせられるようなところがあって、
それこそだから。
笑わせようと思って書いてるわけじゃないですかね。
書いてる小島信夫と、
小島信夫の小説の中に出てくる、
やっぱり私もちょっと。
うん、ちょっと違いそうですもんね。
そうなんですけど、だと思っていて、
おそらくさっきの方法論みたいなところにつなげると、
代わりに読むであるとか、
パリのガイドブックや東京の街を確保するであるとかっていう、
その問いを前にしたときに、
わけがわからなくならない人間がいないわけじゃないですか。
わからないっていう状態に立った上で、
そこからでも歩き出さないといけないってなったときに、
人は小島信夫になるんだなっていうふうに。
笑って思って。
それこそ田村さんがツイッターでも書かれてるような、
思考停止は良くないというか、
思考停止に甘んじてはいけないっていう態度って、
要するに常にわからない状態に身を置くっていうような、
話じゃないですか。
それがすごいしんどいことというか、
難しいこと、しかめ面でやらなきゃいけないことのように、
それだけ聞くとどうしても思っちゃうんですけど、
実はそうでもないというか、
もっとおかしなものでもあり得るよねというか、
わからなさっていうのは、
30:00
なんでこんなにフレンチトーストが食べれないんだろうであるとか、
なんで東京にエッセルトはないんだろうみたいなことを、
考え続けることで十分なはずだよねっていうのが、
それで十分なはずだし、
そこで考え続けるみたいなことを、
まず実践してみることから、
いろいろ始まっていくんじゃないかっていう、
ところなのかなみたいなことを、
今話しながら思っていて、
そう思うとやっぱり、
実はガイドブックなのかもしれないですね。
はりかつは。
ガイドブックではありませんって、
帯には書いてあるんだけど。
ガイドブックではない。
確かにそう。
何かのガイドブックではあるのかもしれないですね。
それが何であるかっていうことが、
いまいちまだよくわからない。
だってね、
あるじゃないですか、
天気になった本みたいなことを、
いろんな人が言うじゃないですか。
この施設を読んだ瞬間に、
急に後どうすればいいかがわかりました、
みたいなことを言っているじゃないですか。
それってその本が、
ある種のガイドになったっていうことですよね、
そういう意味ではこれ自身が何かのガイド。
しかも、
積極的に誰かの何かのガイドには
なろうとしている可能性があるってことですよね。
さっき柿根さんが言ったみたいに、
これを読むと小島信夫みたいに、
この本ができるみたいな、
そんな気になるっていうのは、
そうかもしれないですね。
面白いですね。
何でしょうね、でもね。
もうでもね、ただただ、
2話を書けば書くほど暗くなるんじゃないかと思って、
それだけがどうしようかなって。
だから最後はよかったですね。
このまま暗いまま終わるんじゃないかと思ってたんだけど、
なんか、
最後はちょっとやっぱり、
また繰り返しになっちゃうんだけど、
後藤明星に救われたようなところがある。
後藤明星が、
最後。
後藤明星ってちっとも暗くないじゃないですか、小説が。
そうですね。
後藤明星はあまり暗くないんだけど。
33:01
なんかね、
割とバックグラウンドは重たいものがあるはずなのに、
全くそういう重たいさを感じさせないんですよね。
なんかそれこそ、
一の歩き出さないであったりとか、今回の読めないもそうなんですけど、
そういうなんか、割と否定形から入って、
重たくなりきったところで、
もうなんかここまで来たら、
次に、
次のフェーズにするしかないっていう、
明るさというか、
一種の方向転換した明るさはありますよね。
もうだって、読めない、
あ、違う、歩き出さない、読めないときて、
もうないはもうないんですよね。
次はもうないじゃない、ないはもうダメって。
もうないはやめてくださいっていう、
編集者からの声が。
次はないはない。
なるほど。楽しみ。
なんかね、普通に実は、サブタイトルはもうなんとなく、
こないぶんフリーで準備してる頃に、
もう分かってしまったので、
なんかサブタイトルはもうあるんですよ。
だから、それにあわそって。
なるほど。
で、もう書き方も変えようと思ってて、
今回これは割と小構成とかを、
割と綿密に決めてから書いて、
5年くらい前、
5月に主に書いた。
結構それは、
結構割としんどくて、
なかなか書けなかったんだけど、
今度からは、
3ヶ月に1回1章を書くっていう、
なるほど。
連作、連作短編みたいな、
雑誌に、
文言に対して、
連作短編を書いてるぐらいのつもりで、
密に1本書いて、
4本分ぐらい集まると、
だいたいそれで80枚から100枚ぐらいになって、
1冊なるみたいな風に、
次の3話書こうと思ってるんで、
次の締め切りが12月で、
もうすぐですね。
でもそれは面白いですね。
カチッと構成が、
かっこよくハマって決まってるなっていう感じが、
すごいしてたので、
確かにその次が連作的な形でやってくるのが、
面白そうです。
ありがとうございます。
楽しみです。
やっぱりもう、張り方の話だけで、
36:02
普通に1時間いきそうなんですけど。
でも、張り方の話してるんだから、
自分の話してるんだから、
グラデーションだから。
最初、このトークをやりませんか、
って言ってもらった時に、
僕は結構この本を出す前後で、
怒ってるわけではないんですけど、
いろいろ思っていることを、
連追とかしてたので、
出版についても、
フェアにっていうか、
例えば誰かを、
搾取する形で本は作りたくないとか、
いくつか、
声を大きくして言うようなことではないんだけど、
逆に言えば、
そういうものもありますよっていうことは、
思っていて、
そうならないようにっていうのは、
思っているんですけど。
何でしょうね。
何だろうな。
この話を書き直しさんから、
何でしたっけ、
言ってもらってたのは、
公平、違うな。
公正、
誠実さっていうような話を、
してもらってて、
まず最初に、
そんな話を僕はする資格が、
そもそもあるんだろうかってところが、
まずあるんですよ。
そもそも、
完璧に誠実な人間なんてものは、
どうせ存在しなくて、
誰かしらやましいところは、
常にありますよねっていうところから、
私は誠実ですっていう人は、
かなり怪しいので、
全く信用ならない。
だから、自分もかなり信用ならないし、
メールのその、
言ってもらったのは、
ということになってますみたいなことを書き方はしないよっていう。
ずるいからしないっていうのも、
でも、それもその人は無自覚なのかもしれないし、
無神経なのかもしれないんだけど、
僕自身も多分、
自分では無自覚なところでは、
随分無神経だろうと思ってるから、
自分も叩いたら、
誇りが出ると思うんですけど、
少なくとも自覚してることに関しては、
39:01
ちゃんとやりたいっていうのと、
あとはあれですよね、
ちゃんとすいませんっていうところは、
思ってるんですけど、
でもなんか、
この話はでも難しいですね。
難しいんです。
でも何だろう、
友田さんと何でこの話がしたいと思ったかっていうと、
それこそ書かれてる作品も含めて、
すごい誠実だと思ってるんですよ。
友田さんのその誠実さの、
信用できるところって、
叩いたら誇りが出ますよっていうところが、
自分も周りで見てる人たちも、
みんなが分かるような形で示してるところだと思っていて、
なんていうのかな、
それこそやっぱり前提から間違ってるよっていうのが、
例えば作品だとあるわけじゃないですか、
代わりになんか読めないよとか、
読めないのが江戸ブックじゃ東京の街歩けないよっていうところから始めるんだけれども、
そこで誠実であるっていうことが、
あり得るよねっていう、
その間違った問いに対して誠実に取り組むってことは全然できちゃうよねっていうところで、
なんていうのかな、
結論として、
最初の前提の問いが間違っていればもちろん結果も間違っちゃうんだけれども、
その自分で決めたというか、
自分で見つけた問いに対して、
誠実に取り組むっていう態度それ自体は、
やっぱり誠実なわけじゃないですか。
そういうところで、
友田さん自身も何かを、
一つの正しさっていうものを代弁するような形で、
何かを断罪するために誠実であろうとしてるわけじゃなくて、
友田さんがある種、言葉は悪いですけど、
勝手に決めた、
ちゃんと利益出していこうとか、
ちゃんとある程度の物は売っていこうみたいな、
決めたルールに対して、
誠実にきちんきちん取り組んでいく態度っていうのは、
たぶんやってることとして、
作品の内容としては、
ナンセンスとされてるようなものが、
ルールになっていて、
逆に、
本を売っていくってことに関しては、
他の人から見ても、
そうナンセンスでないようなところに、
ルールが設定されているから、
見え方が違うだけで、
実は、
やり方としてはそんなに変わらないんじゃないのかな、
みたいなことを、
たぶん僕は感じていて、
一人の人間がやってることなので、
確かにそうですね、
ナンセンスな問いを考えてる頭と、
出版の実務的なことをやってることとは、
あまり頭の使い方は、
一人の人間がやることなので、
あまり変わりはないですね。
42:02
変わりがあるとしたら、
サラリーマンとしての友達は、
ちょっと違います。
ある意味、
テキストではあまりこれは書けないから、
音だから大丈夫だけど、
やっぱり、
サラリーマンとしての友達は、
必ずしも、
そういうふうに行動することが、
許されない場合があります。
ナンセンスな問いを考えるにしても、
実務にしても、
少なくともこれは、
全部の責任を自分自身で負って、
その代わり、
得られたものも失うものも、
全部自分が被る前提でやれることだから、
そこに関しては同じ原理で動けるだけれども、
やっぱり組織に入ったりとかすると、
そういうふうにはできなくて、
ある意味、そこがたぶん、
強烈なフラストレーション。
そうですね、なるほど。
面白いですね。
それこそ、僕も普段はサラリーマンなので、
小野田さんが、あれどこでだったのかな、
Reading Lightingでのイベントだったかな、
普段のお仕事、
新労働と、
今こういった本を出すようなことっていうところ、
どのように両立してますか、
みたいな質疑応答があったときに、
極東急ってやっぱりできないから、
やっぱり本作りが楽しくなってくると、
本業というか、
新労働の方がおろしおかになっちゃいますよね、
みたいなことを、
さらっとおっしゃっていて、
僕はそれにすごい励まされたというか、
そうだよね、みたいな、
そっちの仕事まで含めて、
そこに関しても、
僕は嘘をつかないようにしてるんですよね。
最近だから、
僕も嘘をつかないようにするために、
嘘はつかないっていう風にしてるんですよ。
正しい答えは言ってないかもしれないけど、
嘘にはならないように答えるようにっていうのがあって、
少なくとも両立の話を聞かれた場合は、
両立はできてませんって答えるようにしてるんです。
それがやっぱり誠実さなんだと思うんですよね。
僕もそれこそ、
勤務時間中に書くメールとかって、
だいたい、
たぶん8割方、
何々ということになってますって書いてるんですよね。
自分がやらかしたことで。
例えば友田さんが、
なるべくそのメールには、
自分に対して責任を引き受けるような文章を書きたいから、
なってます、みたいなことを書きたくない、
みたいなことを書かれてるのを見たときに、
僕はそこに、
自分のサラリーマンやってるときのメールのことを思い出して、
両親の過剰に苛まれることってないんですよ。
でも、
そこでそういうことをやってることに対する、
フラストレーションっていうのはやっぱり、
あるんだろうなと思っていて、
そこではなってますって書いちゃうからこそ、
書かざるを得ないような状況だからこそ、
45:02
なるべく自分が、
自分として、
本を作ったり売ったり、
みたいなことをやっていくときには、
なってますは確かに、
言いたくないよな、みたいなところで、
うなずける、
みたいなところがあるのかな、
と思っていて、
どこに出しても、
どの面を出しても恥ずかしくない、
みたいなことって、
ありえないと思うので、
どういう場面で、
どういうふうに自分を振る舞いたいか、
っていうところが、
かっちりとルールになってるからこそ、
その誠実な振る舞いって可能になっていくんだよな、
みたいなことを、
今お話しして思いましたね。
そうか、だから、
今、柿内さんもおっしゃったし、
今僕も、
勤め人としての、
それが必ずしも通せない場合があるとか、
僕も多分、
会社ではこうなってますんで、
っていうときが、
もちろんあって、
確かにそこはあまり良心の過酌は、
ないんですよね。
なんでかなって考えたときに、
なってた方が、
いい場所もあって、
そうですね。
それはなんでかっていうと、
なってるんだったら仕方ない、
って言える、
なんていうのかな、
相手も、
なってるんだったら、
仕方ないですね、
って言った方が、
うまくいく場所ってあるじゃないですか、
例えば、組織と組織だと、
個人が、
何かやってるのよくて、
組織と組織が、
まるで人格があるように振る舞ってて、
一方がこうなってるんで、
なってるんだったら仕方がない、
って言って折れて、
じゃあそうしましょうって、
押しまいってできる場合もあるから、
そういうのがいい場合もあって、
だから、
僕があのときに、
なってるって言いたくないとか、
持ってるはずなのに、
なってるっていうのは、
限られると思って、
それはずるいよね、
って思ったんです。
そうなんですよね。
だから、うん。
そうなんですよね。
面白いな。
本当に、
今はその代わりに読む人で出されてる本が、
この友田さんのパリカツで、
次が、
次なんですか、
友田さんの、
次だと思います。
原稿は揃ってるんで、
ちゃんと本に仕上げるっていうのがあって、
次は和歌書文庫さんの、
文庫が、
出てる。
うん。
出てから楽しみですね。
なんかそれこそ、
代わりに読む人イコール友田とんっていう図式から、
ちょっとはみ出てくわけじゃないですか。
48:01
ある意味、
全然適切じゃないですけど、
世界にちょっと一歩近づくわけじゃないですか。
代わりに読む人っていう。
確かに。
個人からちょっとずれるところ。
うん。
別人格っていうか。
そうですよね。
なんかでも、
いやこれ、
なんでなのかな。
僕もなんで自分が出版を始めたのか。
ちょっと、
本は書きたいし、
本は出したいんだけど、
人の本まで出すっていう。
うん。
理由はもちろんあるんですけど、
でもなんか、
まあ、
他で出ない本を出したいんですよね。
うん。
例えば、
他で出ない本の最たる例が、
自分の本であったという。
うん。
これもだから、
ある種のちょっとした怒りみたいなところはあって、
うん。
出ないんだろうっていう疑問はあるんですよね。
うんうんうん。
なるほど。
他からどんどんどうぞどうぞって言われてたら、
自分で出版社をやってないと思う。
それはもちろん、
だからって言って別にこう、
自分が出すことに対する不満があるわけではもちろんない。
うん。
自分で出す面白い部分があって出してるんですけど、
うん。
でもどうぞどうぞって声がかかってたら、
出してないと思いますと。
で、
僕はいつも考えるのはなんか、
自分だけではないって大体考える。
で、
自分の本が出てないってことは、
他にも出てない人がいろいろいるってやろうって考えて、
うん。
じゃあ、
ぜひ読まれた方がいいのに出てない人を見つけてきて、
ちゃんと出そうっていうふうには思ってるんです。
で、それが
例えば若書文化さん。
うん。なるほど。
うん。
すごいですね。
なんていうのかな。
うーん。
田村さんのやられてることって、
なんていうのかな。
うーん。
すごいもしかしたら失礼な言い方になっちゃうかもしれないんですけど、
あの、
よくその、
Twitterとかで感想を見てたりすると、
誰も思いつかないようなというか、
独創性みたいなところが
切り取られることが
結構あるのかなみたいな
ふうに思ってるんですけど、
なんか割とその、
読んでいて思うところだったり、
今お話聞いてて
なんだろうな感じるところって、
どちらかというとその、
同じような人って
結構たくさんいるんじゃないか
っていうところに、
すごいこう、
なんだろう、信頼を置いてるというか、
自分が
面白いと思うものだったら、
あと1000人くらい面白いと思ってくれる人
いるだろうというか、
似たような人はそんぐらいはいるだろう
みたいな、たぶんその
51:01
感覚が
強くあるのかなみたいなことを
今聞いてて思いました。
なんだろう。
だからこう、
オリジナリティなんて別に
誰であれ大したことないですからね。
小島信夫ぐらいですからね。
その訳わからない人
っていうのは。
あんのぐらいまでならないと。
大体において面白さというか、
世に何か届けられる人って
ある程度その
共通項というか、
普通の部分があるからこそ
届くんだろうなっていうのを
すごいこう、僕は思っていて。
そんなに
独創的っていうことは
ないですね。
そこにそんな。
でも確かに
誰かに割となんかこう
独創的とか他にないって言ってもらって
それはすごくもう
嬉しいっていうか
喜ぶべきことだし
ありがたいことではあるんですけど。
でも別に書いてることが
これは別に
書けるんじゃないですかっていう
ふうには思いますね。
ただその
なんだろうね。
だから僕の力っていうことではなくて
生身の人間書いてる
っていうことは
あるんだろうと思っていて
生身の人間って
そこに人がいるから
そこで目に入ってくるものを書くわけじゃないですか。
それは全く
同じ経験をする人は存在しない
わけだから
自ずと違うことを書いているっていう
ただそれだけだろう
と思うんですよ。だからね。
アメリカにいる人は
オギクマのタイトルにはいかないので
オギクマのタイトルに
あった時の事件は起きない
わけだから
生身の人間がそこでうろうろしてるから
何か起きてるわけで
そういう意味では
あったこと書いてるだけ
ですと言ったら
まあそうだと思うんです。
でも
なんか生身の
人間が書いてるってことを
忘れないのって
意外と難しい
のかもしれないな
って思いました。
結構それこそ
なんていうのかな
でかい主語で語る
ようなことというか
それこそツイッターとかも含めてですけど
例えば世間であったりとか
実際に対して
何か行き通りが
覚えるような時って
なかなか
相手側にも
生身の人間
であったりとか
それこそということになってますっていう
迷路を打たざるを得ない状況みたいな
ところにいる人たちっていう
ものをあんまり想像できないままに
54:01
強い言葉を発したくなっちゃう
瞬間って
僕にもあるなみたいなことを
思っていて
なんかさっきのせいじさんの話に
戻れるかわからないですけど
やっぱり
どうあれ
生身の人間がいるだろうっていう
感覚っていうのは
結構
すごい当たり前のことなんですけど
忘れないでいるのって
難しいのかもしれないなって思いました
だからこそ
そこでちゃんと生身で
いるじゃんって
いうところから
始めて
始めることができている
友達さんの在り方みたいな
ところに見ていて
信頼できるなっていう
感じがあるのかなって
思いました
なるほどありがとうございます
そうですね
いろんな時に
言うんですけど
数学を
やってたことが関係してるんじゃないかって
いつも思って
抽象的に抽象的な
話をするんじゃなくて
具体的に抽象の
話をするとか抽象的に
具体の話をする
必ずする生き気を
すごいするんですよね
抽象的な話になったまんまずっと
やってもそれはなんかよく
わからないし
逆にとこの
パリの話は
もうとにかく具体的なことしか書いてないのに
なんか抽象的なことを
言ってるような
気がする時があると思うんですけど
そうですね
そういうことなのかな
なるほど
なるほど
僕はそれこそ
高校の1年ぐらいで
数学
耳切りをつけちゃって
その後ずっと
土文系で
その後の
学びを積み上げてきちゃったんで
今すごい
数学に対して
憧れがめちゃくちゃあるんですよ
だから
友田さんに数学の話も
数学の話というか
数学ってこういう風な
面白さがあるんだよみたいなことを
レクチャーしてもらう場を
別で設けたいなって今思いました
ぜひ友田さんの
数学会を
あはははは
でもね
僕も別にずっと
数学をやってきたっていう
人間ではなくて
僕も高校の1年生の時に
当時数学Aっていうのがあって
なんか
等比数列の和の公式とか
覚えられなくて
それで赤点を取って
高校の
後半は文系だったんですよ
57:01
大学の文系で
またその後
理系に戻って
数学をやったから
分かる人はさっさとやめちゃうんじゃないかな
数学がよくできる人は
あまり数学を
本当にものすごくできて
どんどんやる人はいるんだけど
結構
数学できる人ってみんな
数学
終わっちゃうんじゃないかな
それもまた
思考停止とかの話とも関係ないけど
分かんないってことの方が
分かんないけど
なんか面白そうってことの方が
圧倒的に
研究したり勉強したり
大事なんじゃないかな
程よい
本当に何にも手がかりもなく
ただもう
闇の中をっていうのは
難しいと思うんですけど
なんか難しいけど
ただやったら面白いな
面白そうだな
っていうのが
すごく重要な気がします
なるほど
確かにその
ちょっと分からない
ところからじゃないと
考え続けるのって難しい
みたいなのは
結構だからずっと
続いているところというか
基本的なところなのかもしれないですね
面白いな
なんかちょっとすみません
ついでであれなんですけど
この間終わった
英子さんの恋人という漫画があって
それの中でも
美大生のいろんな
こう
典型的な美大生
いろんな美大出身の人に出てくるんですけど
こう
ある人は
好き
なんかできるけど
好きじゃないっていう人がいるんですよ
なんでもそつなく
なんでもできちゃうけど別に好きじゃないって
そういう人は別に美術の仕事には
つかずに
なんだっけ
ハンズとか
東急ハンズとかで
ワゴンとか出して
なんかそういう特別な商品とかを
こう展示販売する
実演販売
実演販売員をやってる
江太郎っていうのがいて
英子さんっていう主人公の女性は
その
もちろんそれで食ってるからちゃんと
実力あるんだけどでも
なんにも苦労しなくてもそつなくできる
っていう人ではなくて
どっちかって言うともやもやしない
っていう人もいるんですよね
でもどっちの方がいいか
いい悪いではないと思うんですけど
でもなんか割とやっぱり
なんでもできちゃったっていうよりは
っていう人の方が
多いんじゃないかと
あとはとにかくできる人ですよね
1:00:01
数学に関しては
でもその人も
やっぱり難しさとか
面白さっていうのがある
できるからやってるって人はあんまり
応援したことがない
続けていくとか継続していくためにはむしろ
分かりすぎちゃいけないのかも
っていうのは面白いですね
なんか
満足できちゃう
みたいなのが
柿内さんももちろん文章書かれてるから
そういうとこあるんじゃないかと思うんですけど
その時その時の
やっぱりある種の
達成感とか満足っていうのは
文章を書けると
あるわけじゃないですか
でその一方で
なんかもっと
みたいなあるいは終わった後で
いやもっと
なんかもっと違うものが
あった方がいいみたいな
のとかあると思うんですよ
読書もそうだと
読んでるときはそれがもう一番面白くて
なんてすごいもの読んだんだって思ってるけど
時間が経つともっと
っていうのが出てくるじゃないですか
そうですね
そうだ僕はそれこそ
なんだろう今本の形で
出してるのも日記本
というか日々前に使ってた日記を
そのまま本にしちゃいましたけど
やっぱりなんかちょっと引け目があるというか
作品一つの
ひとまとまりになった作品として
本を書いたことはやっぱりないなっていう
気持ちがすごいこう
あるんですけど
でも多分僕は
自分にとって分かりきったことを書けない
というか
めんどくさくて書く気になれないんだなっていうのを
すごいこう痛感していて
毎日毎日わかんねえなとか
これってどういうことなんだろうなっていうのを
考えながら書き続けて
考えている様を
ドキュメントとして残していくことに関しては
面白みだったりは感じられるんだけれども
もうそこで
考え続けた
あと一通りの一旦ここに落とす
ところとして持っとこうって結論出しちゃうと
その結論に対しての
証明というか
ここの結論に至った経緯みたいなのを
前提から話し
一個一個積み立てていって
論理だって
ちゃんと整理して
それを一つのパッケージにしていくみたいなところに
どうしても
今日が乗らないというか
根気が続かない
今はちょっと困ったもんだな
と思いながら
それも
似てるのかもしれない
そうかもしれないですね
できちゃったら
あのほら
なんだっけな
なんか
似たようなのでありますよね
プラモデル
作るのは好きだけど
できちゃったら
どんどん
上げちゃう
編んでるのが好きだから
編むのはやるんだけど
1:03:01
できちゃったらどんどん上げちゃって
全然家には残ってませんみたいな
そういう意味じゃないですか
そういうことも近いと
完成とか
結果として
残ったものとかみたいなのは
あんまり
いうよりは
プロセスとかやってる
時間とか
やってる時の感覚とか
なんかそういう
だって
僕いつも思うんだけど
味おいしいって
味おいしいっていう事実では
生きていけないじゃないですか
また同じ味食べるじゃないですか
なんで同じ味を何回も
食べるんだろうってすごい疑問
疑問って
本当の疑問じゃないんだけど
なんでだろうな
っていう風にずっと
いつもおいしいもの食べると思うけど
それにも近い
そうですね
だから
こういう味がおいしいっていう結論が
あったからといって
その結論だけで
生きていけるわけではないというか
食べてる間にしか
おいしさってないわけだし
それを食べ続けてる間に
あれまたちょっと
味が変わったなとか
自分の好みが変わったなみたいなことが
全然あり得るわけだから
やっぱり日々
何かを食べ続けてないと
だよねみたいなところっていうのは
あとは普通に
出来上がったものとか
成果物って
やっぱり
自分の中には
強くあるんだろうなって思いますね
それこそだから
カレーが一番自分の中でおいしい
っていう感動が大きいからといって
毎日
あとは死ぬまでカレー食べてればいいか
っていうとそういうわけじゃないじゃん
みたいなところは
食べ物の比喩だとすごい
当たり前に聞こえるんですけど
考え事であったりとか
何か
カレーみたいなものを
ベースにすると
それこそ一回カレーがおいしいと思ったら
カレーだけでいいじゃんって
なっちゃいがちなのかもな
みたいなこと
思いますね
柿内さんの
日記を読んで
解説を
書かせていただいたわけですけど
こちらこそありがとうございます
あそこにも
書いたような気がするんですけど
考えを練ってるような
感じが
いろんなものを読んで
シンプルじゃないけれども
しなやかに
考えの
形みたいなのを練ってるような感じ
すごくしたので
練ったものが
あるんですよね
そうですね
ずっと練ってるぞっていうのは
1:06:02
あるというかむしろ
固めたくないから常に練り続ける
固めてないですよね
練ってるから
練ったものに
何かをぶつけていくと
それはそうだなとか
そうじゃないなとか
いろんなものが出てくるから
それをそのまま言語化
することはできないから
プロセスみたいなもののほうが
考えそのものに
近いっていうことなのかもしれない
そうかもしれない
質問って
どっちかっていうともっとシンプルに
何とかはいいとか
何とか悪いみたいな
そういうことじゃないわけですよね
もっと考え方みたいな
練ってる
印象を
受けますよね
なんでなのかわかんないんですけど
なんかすごい
一個に固めちゃうことに対して
過剰に
つまんなさを感じるんですよね
やっぱりシンプルなのっていうのは
あまり面白くない
っていうか
なんていうのかな
それこそ
数学ってどっちかっていうと
なるだけシンプルに言えたほうがいい
っていうところでもあるんですけど
でもなんか一方で
すごく一個の
シンプルな式が
いろんな見方をするといろんな
理論に出てきていろんなことが
言えるっていう
ある種の多様さみたいなのも
あるんですよね
だから
見かけ上
ちょっとうまくいけないんですけど
でも大抵のものは
だから本当に
ただシンプルで解釈の仕方も
一個みたいなものは
つまんないですよね
あまり
物事そういう風には普通はなってない
どっちかっていうと
シンプルすぎる
っていうのはあまり
僕もあまり好まない
ですけど
だからやっぱり
正解に対して
その多様なアプローチとか
プロセスがあり得るよみたいなのって
どうしてもその正解が
あるんだってなった瞬間に
最短経路をどうしても
探したくなっちゃうっていうのも
それも一つのゲームの
面白がり方だから
分かるなと思って
だからこそ
間違ったゴールを
設定して
それに向かっての間違え方っていうのは
どうやったって一位には決まっていかないんだから
その人なりに
間違っていくっていうことが
できるっていうのは
面白いところ
なのかもしれないなっていうのは
僕がそれこそ
百年の孤独を代わりに読むであったり
パリのガイドブックで
東京の街を確保するを読んでいて
なんでこんなにワクワクするんだろうって思う
ところの一つに
1:09:00
この本さえ読めば
あなたもパリのガイドブックで東京の街を確保できます
っていう本ではなくて
むしろ自分だったら
どのように歩き出せないだろうかとか
自分だったらどのように読み出せない
読めないままでいるだろうかっていうところに
ある意味
一人一人の本物さというか
僕にとっての
間違え方みたいなものが
開かれる感じがするっていうところが
あるんだな
みたいなこと
そうですね
これが絶対ですっていう
言い方は全く僕はしないから
何にしても
友田さんが
代わりに読むを出されて
しばらくしてから
次は何読むんですかって言われた時に
自分ではもう代わりには読まないけれども
ある意味
代わりに読むっていうのは
オープンソースみたいなものだから
皆さんぜひ代わりに読んでください
みたいなこと書かれて
完璧にセリフを覚えてますね
本当ですか
その通りよ
そっか
偶然
それを言われてた時に
あんまりその時はピンときてなかったんですけど
今話しててなんとなく
間違え方っていうのは
その人独自性が
現れる他ないんだから
確かに代わりに読むっていう方法自体は
オープンソースとして
広く開かれていても
全然大丈夫というか
むしろそれが開かれていることによって
その
生まれうる
新しい間違いみたいなものっていうのは
すごいたくさんあるんだろうなっていうのを
今その時の
友田さんが言ってたことに対して
ちょっと腑に落ちる感じがありました
でもあの質問
本当すごくよく聞かれた
必ず聞かれたので
ちょっと嫌だったんです
そうですね
つまんないと思って
100年の孤独を代わりに読んだ次に
なんか違うものを代わりに読むっていうのを
書き出すっていう
その
なんていうんだろうな
つまんないですよね
つまんないですよねって
同意を求めても
自分からそんな
いろいろやったらいいのに
そういう自分が
好きでなかったから
次は代わりに読みませんっていう
なのに
これも
なんか
言い訳するチャンスがあんまりないので
ちょっと言っておくと
代わりに読む人は
僕ではないんですよ
なるほど
みなさん代わりに読む人ですよ
っていう意味なんですよね
うんうん
みんな読んでるときってのは
誰かが誰かの代わりに読んでて
みんな読んでる時ってのは
誰かが誰かの代わりに読んでて
具体的に誰かの代わりにこれを読む
みたいなことはできないかもしれないけど
1:12:00
読んでるってことは
代わりに読んでるってことじゃないでしょうか
っていうぐらいのつもりで
言っていて
だから時々代わりに読む人
友田トンさんですって言ってもらうときがあるんだけど
それは
代わりに読む人って
わけわかんないですよね
ちょっとうまく説明はできないんです
でもちょっとそれは
納得しました
僕も
友田さんがそういうことをずっとおっしゃってたので
自分でレーベル立ち上げるときの名前が
代わりに読む人であることに対して
多少
そこは乗っかってくるんじゃないですけど
みたいなところがちょっとあったんですけど
なるほど
確かに
一つの鍵概念じゃないですけど
その
開かれた問いの一つとして
代わりに読む
その読書というのは
誰かの代わりに読むことなんではないか
みたいなところを
取っ掛かりにしているっていう考え方でいくと
すごいのがしっくりくる
ありがとうございます
ちょっと多分
想定よりお時間
オーバーしちゃったかな
すみません
いい言い方になりました
盛り上がってました
楽しいですね
また出たいです
ぜひぜひ出てください
次またこんな話してください
それこそあれですね
僕も古人を読む生活が
本番が出たら
勝手に
観光記念と
そして今度はパリカツと合同で
古人を読む生活の
話とかもできたら楽しみ
やりたい
楽しみです
あとそれこそあれなんですよね
パリカツを読んでてもそうなんですけど
お腹空いてくるんですよね
美味しそうなものが
フレンチトーストもそうだし
お酒のほうが
やっぱり今だとなかなかこうやって
気軽に家で
いたまま会えるのも
すごい楽しいって楽しいんですけど
ちょっとまた
美味しいものを囲んでも
おしゃべりができたら嬉しいです
では
今日のゲストは
友田敦さんでした
ありがとうございました