00:02
ポイエティーク
こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私、柿内正午と奥さんです。どうぞよろしくお願いします。
今日はね、昼間からね、サイゼリアで合流しちゃろって言って、出かけて行って、ボトルワインを頼んで、たくさんの三千円分ぐらいの料理をね、
さまざまな味覚の世界をお楽しみしてあげくにね、
めっちゃ具合悪い。
頭痛くなっちゃうっていう。
食べ過ぎた。
油っこいもの食べ過ぎて、ワインまで飲んでね。もともとワインがそんなにね、
合わないからね。
合わないっていう発見もね、随分前になされているんだけれども、
そういうのもあってね、ちょっと大変な目にあって、今ちょっと軽く髪をとって、多少マシになったかなと。
ちょっと人間に戻ってきた。
ちょっと人間に戻ってきたぐらいのね、感じですけれども、
皆さんご機嫌いかがでしょうかと。
寒い日も続きますが。
続きますがという感じですね。
今日も30分目指すぐらいで喋って、きっと40分とかになっちゃうみたいな感じでいこうと思うんですけど。
ちょっとね、前回の話のときに、
なんかいろいろと、終わった後とかも含めて、
反省会ってほどじゃないけどね。
なんていうのかな。
あれ?もう先週って緊急事態宣言出てたの?
出てたんじゃないですか。
別に宣言でようが、出て緊急事態って言われても知ってますみたいな話をしたんだ。
何でもいいんだけど、
とにかくこの去年の3月ぐらいから先の、
感じの中で気づいたこととして、
すごいね、
ある意味、なるべく全方位に向けて正解を出し続けるみたいなことが、
無理だなってことを認めざるを得なくなってきてるなっていうのをね、
03:05
例えば先週だと、この状況になって食費が倍増したみたいな話とかのときに、
あんまり回数が増えた自覚もないからっていうのがあるんだけど、
僕は割とそうなんだっけみたいな感じで、
確かにって納得をするというか、
現実的な、具体的な数字で突きつけられたわけですけれども、
それも含めてね、
自分の状況に関しては、
自分の状況に関しては、
自分の状況に関しては、
自分の状況に関しては、
自分の状況に関しては、
それも含めて、
例えば僕が日記書くじゃないですか。
日記書くときに本に何を書かないかとめどが、
割と自分なりにあるわけね。
TorontoDrom practicing
これは書かないまません。
ラジオで喋るときっていうのは、
奥さんと一緒にやるということか、
それを僕が慌ててコントロールしようとすると だいたいハリエーションが起きるっていうのが
なんかだからこのずっとこういろいろ喋ってる その内なる社会というものがあるのかないのか問題みたいなのも含めて
結構あるなと思っていて なんかなんか先週の
お話を聞いたときに 何か思い出したことがあったのかなって思ったんですけど
なんかその 何か思い出したことがあったのかなって思ったんですけど
今なんかめっちゃ外出て食べてますみたいなのって ありなんだろうかみたいなところで
なんかブレーキをかけたんだろうなっていう気が ちょっとしていて
でも 何て言うの
食べるじゃん いやてか何て言うの そのこう
実際のところ 外に食べに行くこと自体が100%正しいと言えない
というか まあ何て言うの そこにそのリスクを犯していない行動ではないみたいなところに関しては
その通りだろうなと思うんだけど とはいえ別にそれを間違ってると思いながらやってるわけでもないわけじゃない
そういうのもあると思うんだけど でも
とはいえ別にそれを間違ってると思いながらやってるわけでもないわけじゃない
みたいなところで すごいね今これ誰に向かって気遣ってんだっけみたいなところがね
どこの社会 そうみたいなところがね改めてね
なんか僕もわからなくなったなって思って
それは何て言うの これまでもよくわかんないんだよね
06:03
ある意味ね でもなんかその
文章で書くときっていうのはさ
書くよりも読んでるわけじゃない 悲しくね
何て言うの 自分の書きたいことを書いているわけじゃなくてさ
自分の書きたいことってないじゃん 自分の読みたいものを書いているわけじゃない
こういう話するとだいたいしゃらくせいさ
ライター講座みたいなさ それこそノートとかで200いいねぐらいつきそうなさ
クソ記事みたいな 今日悪口ひどいけど
みたいな感じじゃんみたいなところがあるんだけど
そんなしゃらくさい話じゃなくてさ 単純に自炊するじゃないですか
例えばね 自炊するときって自分の作りたいものを作るんじゃなくて
自分の食べたいものを作るんじゃん そうだね ってことだと思うの
一緒だと思って 今こういう味の気分だなって時に
買うより作る方が早ければそうするみたいな
文章もそうだと思っていて僕はね 自分のその時読みたい文章のモードで書くっていうのが
1個なんか書き方としてあるなみたいな思っていて
そうなってくるとその時のある結局それはだから
読み物体としての僕を想定するわけだから その時の僕のコンテクストっていうものが
気持ちよくハマったりちょっとずらしていったりするところに快感があるわけじゃん
それまで僕が 例えば最近だと
ニュースサイトとかねツイッターを見ながら そろそろウレタンマスクダメっぽいなみたいなことを
ぼんやりと思い出して じゃあなんかやっぱり不織布マスクにするべきかな
でもなんか ここまで来るとなんかマスクで気分上げたいみたいなのも
なくはないよなみたいなところで 今一度マスクについて考え直すみたいな
文脈があるとさ 例えば半年前だったらウレタンマスクって通気性発分だから
ウイルス通しそうだけどそれより何より息すんの楽でオッケーだなみたいなことを
多分平気でかけてたと思うんだよね それに対してなんかみんなが
みんながっていうか僕の観測範囲内でウレタンマスクがあまりよろしくないみたいなことを言われ出してくると
なんか別にそのウレタンマスクの話をわざわざ今ここで書く必要はないなみたいな形で
自分の観測範囲内にある議論の推移というか
その時々でなんかこれが一番イケてるとされてるみたいなものっていうのは
09:02
考え方であったりさ 言葉遣いっていうものの中にも
言葉遣いとか言葉遣いとか言葉遣いとか言葉遣いとか言葉遣いとか言葉遣いとか
いうものっていうのは考え方であったりさ あーのーー言葉遣いのっていうものの中にもあるわけじゃないっていう
なんかそれは なんか你要服の流行るとかの一緒
なんか今はテーパードが流行ってるとかさ なんか改めてワイドが流行りだしたガーそその
言論空間というものにもそういうトレンド周期っていうのがあると思ってのトレンドというのは
bei もうそうなんだけど実はそういう軽薄なものではないというか
ブームというのはさ オリジナルの人よりもやっぱりそれに乗っかっていった人たちがまず作っていくものだから
だから何かそれも含めて 自分もそのイケてる
トレンドになるべく乗っかっておくかみたいなところがたぶんもう一つあるんじゃないかなと
思うんですよね
そう言ってなんか 自分の文脈をどんどん更新していきながら
こう ああそっちに外していくとこういう景色が見えてくるのかとかさ
自分の文脈をどんどん更新していきながら
自分の文脈をどんどん更新していきながら
自分の文脈をどんどん更新していきながら
自分の文脈をどんどん更新していきながら
凄くアップタイトルが厳しくないんですよ
凄く社員的に高感覺帯で浮かんでいる メディアとして
大阪に起きても浮かんでいる人たちに
考えとるんじゃないかと思って
自分の意見が
なんとか自分のなかなかどんどん考えとる
なんとか考えていく
あるような方向性好了から
何て言うのかな 単純なイケてるイケてないというかトレンドを抑えてる抑えてないみたいなこと
以上の なんか
価値判断がそこにある 感じが
多分しちゃってて でも
今のこの状況の中で そういうトレンドを追っかけるのは
あんまり上手くないなみたいなことを
ようやく思い出したよっていうのが
僕の中での一番大事なことだと思うんですけど
そういうトレンドを追いかけるのが
僕の中での一番大事なことだと思うんですけど
ようやく思い出したよっていうのが
僕の中での一要の結論なんだけど
それはジャンルによるじゃないですか
もちろんジャンルによるね
ファッションみたいなさ 別にあなたが変とこな服を着てようが
12:03
確かに誰も傷つきませんっていう話とさ
人と生活に関わるようなものの話はさ
一緒にしちゃいけないわけじゃん
そこが難しいなと思って
もはや生存の話じゃない話が
なくない?みたいな感じがするんだよね
なんていうのかな
例えば前回の飲食店の話でいくとさ
確かに外でご飯を食べる
特に複数人で食べて
そこでおしゃべりをしたりするっていうこと自体には対するさ
そのリスクの大きさっていうものはだいぶ浸透してきているわけじゃない
だからそれはやめようねっていうのはさ
わかるんだけれども
夜ご飯を外で食べちゃいけませんっていうのはさ
決してイコールではないわけじゃない
なんだけれども何度なくその外でご飯を食べることに対してのさ
でもこれもあれなんだよね
先週と今週でだいぶまた変わってきているというか
イコールにはOKみたいな感じの
雰囲気を作ろうとする動きも感じるからまたはよくわからなかった
飲食じゃなくて外出たらだいたい一緒だから
最新の注意を払う
外出たかったら最新の注意払おうねっていう
単純にそういうことだね
文脈に流されすぎでは
喋ってて混乱してるよね
何喋ってるかわからなくなってきてるけど整理して
整理してこの人は混乱してます
一言それだけ
山だからね
そもそもだったらさ
嫌だ
山みたいなことを思ったなっていう
話だね
それ何も書けなくなっちゃうねってこと?
なんかだからあんまり
そこなんだろうな
なんだろうね
だってそもそも家族範囲内がめっちゃ狭いじゃん
それを広げ方もよくわからなくなってくるよね
別に新聞読んでもテレビ読んでも
15:00
見ても変わらないというか
げなりするだけだから広げようないよねっていう
でもあれなんだわかった
わかったわ今
マスクの話をしたがってる理由がわかった
衝撃的だったんだよねやっぱり
マスク問題っていうのはさ
何がっていうと
政治信条というものはね
基本的に政治信条じゃなくてもいいんだけど
思想の変更みたいなものはさぱっと見わからないわけじゃん
どっちの
どっちのなんだろうある意味さ
めちゃくちゃ右のヤバいおじさんもさめちゃくちゃ左のヤバいおじさんもさ
両方とも寝るシャツとか着てるわけじゃん
結構真面目な話だからわからないわけじゃん
で
例えば一個前のアメリカ大統領選とかもさ
何が衝撃だったかっていうと
トランプ支持者っていうのはみんなあのメイクアメリカグレートアゲインの
キャップをかぶってるわけじゃないんだっていうところ
あのキャップをかぶっている人たちだけがヤバい人なんだと思ってたら
実はもっとたくさん票を投じる人たちがいたっていうところで
結構みんなビビったわけじゃない
みたいなことで基本的に不可視なものだったわけじゃない
自分がこの今のこの世界だったり
この状況というものをどう把握しているかっていうのがね
なんだけどマスクをつけなきゃいけないよみたいなことが
出始めた頃から
そもそもそれは政治信条だったり思想と関係なく
なんかこうエビデンスに基づいて
なるべく適正な
取っていこうって話だから本来は違うっちゃ違うんだけど
とはやっぱりそこでそのマスクなんてみたいな人とかさ
そもそもそんなに怖いものじゃないぞみたいなことを
言う人たちっていうのがさ
見える化されちゃうわけじゃないマスクっていうもので
これはすごいことだなって思ったの
今となってくるとさすがにあんまり外で
普通に入れなかったりするからみんなちゃんとマスクしたりは
増えてきてはいるけどそれでもやっぱり100%のわけじゃないというか
少なからぬ数の人がそんなにつけてなかったりするわけだよみたいな時に
結構こうなんていうの
思ってる以上に自分の観測範囲の外側に
18:02
全くこうなんていうのかな
違ったものを見てる人たちがいるよねみたいなことを
視覚から入ってくる
文字情報じゃなくて
普通にビジュアルとして分かるっていうところに
割となんかね
3月からの
10ヶ月ぐらい
今計算間違ってる気がするけど結構衝撃を受け続けているんだな
っていうことを思って
結局何がしたのか
とりあえずそういうことを思っていると
これまでは別にある意味では
自分の観測範囲内の中でこれいいなって思っている
考え方に寄与さえできればいいというか
そこで自分のいけてないと思っているものに対して
気を付けてなかったんだけど
それすら結構ばらけてくる
なんていうの
1個分かりやすくマスクみたいなところとか
感染症対策みたいなところに
1個絞った途端にこれまで同じ箱に入れてた人たちが
割と待ち待ちだったりするわけじゃない
気にする人しない人とか
それは当たり前のことで1種を1個に絞ったらその中で
他のところでなんとなく同質性を持っている人たちが同じ考えになるわけないんだから
バラバラになるのは当たり前っちゃ当たり前なんだけど
改めてそこで
ある意味だからその子は万人に対して
いい顔はできないんだなってことを実感した
すごい遠回りしちゃうね
それが結構面白いなって思って
僕は小学校の頃からずっと
さっき奥さんが言ってたけどコウモリ野郎だからさ
打ち合わせというか今日どういう話するみたいなときに
みんなが納得するようなことを喋ったり書いたりするのは無理みたいな話をしようか
みたいなことを言ったら
あなたはコウモリ野郎だもんね
普通に悪口だった
あなたのそういう器用なところは私はネタましく恨みしいからね
よく言うじゃない
僕は割と社会的な人間で
奥さんは目に見えない社会みたいなものよりも
21:00
具体的に目の前のものを大事にしがちみたいな
よく言ってたじゃない
コウモリ野郎かコウモリ野郎じゃなかったか
あなたのエピソードをめっちゃ抽出
家庭を打った抽出の仕方をすると
ソシオパスって言われるのは
別にあなたが社会性があるわけではなくて
社会性のある行動を携帯を模写するのが得意
ところを抽出すると
ソシオパスって言われる
エピソードが作れるっていう
友達とかによく言われるもんね
最近友達と会ってないからね
でも最近それは意識的に
自分の擬態じゃないけど
あんまり特に意味はわかってないけれども
社会的とされている振る舞いは
しなくていいやっていう風にしてるからだね
それはだいぶ知ってるけどね
あなたと結婚してからだいぶもういいかってなってる
だいぶ今はねコウモリとしてのレベルが下がってると思うんだけど
あとはやっぱり幼少期から染み付いた
コウモリ性みたいなのが
なかなか染み付いているわけだけれども
例えばそれこそ外食するしないとかね
あと例えばこの前カラオケも行ったりとかね
それもさ
一つの価値判断としてさ
家で飛沫飛ぶけれども
ある意味結局そこでの飛沫の交換をしている人間たちと
家の中で
家族と言った分にはピッチャピッチャ
リスクとしてあんまり変わんないなとか
映画館と一緒でさ屋内の換気施設としては下手な
ファミレスとかよりも明らかにちゃんとガッツリ換気してんじゃん
とかさ
カラオケ行きたいって言って調べたからね
クラスターが出てないとか
そういうの調べて自分なりに納得してカラオケ行ったけれども
僕カラオケ行った日その日他に面白い本読んじゃったから
っていうのが大きいんだけど日記に書いてないんだよ
僕たちカラオケ行ってわりと楽しかったしやっぱりだんだん
一つ一つ発散するみたいなことをしないと
24:01
日々溜まってるみたいなものを何かしらそいつ上手に晴らしていく
みたいなことは必要だよねみたいなことを思ったじゃない
僕らはねそこで
2時間お買い物するより2時間引きこもって
覚え出してる方が安全だよねって
2時間を不特定多数の人たちが行き交う場所でいるよりも
2人で唾飛ばし合ってみればまだ安全っていうのが
それは僕らの中の判断だったわけじゃない
ある意味そういうエクスキューズなしに日記に書くって難しいなって思って
そしてエクスキューズ書くとだるいじゃん
ある意味僕の日記っていつもだるいからいいんだけど
別に僕そういうだるさが欲しいわけじゃない
誰かに弁明しているパートは弁明されたい人にしか気持ちよくないからね
しかもいつも僕がやってるだるさって弁明したいわけじゃない
くどくど説明したい俺の話を聞け
ただくどくどとAということはBというところに繋がるかもしれないが
しかしAというものはAというものそれ自体であるからにしてうんぬんみたいな感じで
全然議論として何か展開していくとかじゃなくて
グツグツといろいろ考えあぐねている様っていうのを
やっていくのが好きだからそれやるっていうだけだから
あんまり誰かに納得させたいわけじゃないんだよね
むしろすごい簡単な事実ですらどこまでややこしい話にできるかっていうところに結構
そうねあのさあの
昨日あなたが朗読してくれたじゃないですか
たぶんそれは今日日記にも書こうかなって思ってるんだけど
まあいいのそのね昨日僕は
私が私塾しているこの前友田さんが私塾って言葉いいなって言ってたの
僕らが私塾しているね
小説家の穂坂和志という人が新刊を出しましてね
猫が来なくなったっていう本を出したんですけど
それを昨日旦那さんが買ってもうすっごいニコニコしながら読んでて
読み終わったら朗読してあげるねって言って
30分くらいかけて表題の一編を読んでくれて
マジで全部読んでくれて
すごいこう本当になんか頭
なんだろうな今時
ネットミームで言うと穂坂和志って書きない称号のパクリじゃんみたいな感じでしたね
僕がワンホークってことね
そうこれなんだって
マジでね
確かにあなたより鮮やかだね
この境地まで行けない
27:01
この境地に行きたくて書いてるところが
自分で読むんじゃなくて音声で聞かされたから
ここに連れてかれちゃうのみたいな感じはより強かったんだと思うけど
すごいこれかーって
私は散々話は聞かされてるけど読んでないから
そうだね
すごかった
この話するとまた1時間かかっちゃう
猫が来なくなったら最悪
猫の毛の色で猫の性格はだいたいわかるからね
どんなマスクかでね
だいたいそういうの人間がどんな人間かわかるってことで
そうそうそうそういうことだよ
ちょっとね
そうなんだよね
そういうことだよね
そういうことじゃないよ
だからあれでしょ
ちょっともう一回読むとね
猫の毛色は胎児期の染色体のスイッチで決まって
クローンでも同じ毛の色にならなくて
猫の生活が毛の色でだいたい決まるのだとすると
クローンでも外見も中身も違う猫が生まれることになる
それは一体クローンなのかっていうことだよね
うん
うん
っていうところでね
いやもう本当に穂坂和志はどんどんすごくなってる
うん
この猫が来なくなったに関しては
多分僕が描きたいというか
僕がやりたい穂坂和志みみたいなもののエッセンスがすごい詰まってるし
なんかね変な言い方なんだけどね
穂坂和志より上手いと思ったの
これ読んだとき穂坂和志なのに
うん
プルスルートらしい
てかなんていうのその上手さが穂坂和志でいいのかっていうのもちょっと思った
ちょっとごめんこれ話しとくね
うん
あのねちょっと話が全然ずれちゃうんだけども
穂坂和志において
ちょっとね猫が来なくなったっていう短編は
ある意味気象点決がつきすぎてるというか
すごい綺麗に詐欺がついてたね
落語っぽいんだよね
それこそクローンの話とさ
石はたとえ同じような石であろうが
2個あったら2個なんだみたいな話とかさ
それがちゃんと最後の
それこそオチに響いてくるわけじゃない
同じ猫というのは
それこそ全ての要素が同じであったとしても同じではありえないみたいな話とかさ
あとそもそも
自分の奥さんの浮気を認めない
旦那さんの心境がこんなもんだろうかとか
何話してたんだっけみたいになってる
何話してたんだっけの要素が
大体全部カチッと最後に集約されていくみたいな
言ってしまえば普通の小説っぽいんだよね
だからプルストで言うと
失われた時を求めてのちくま文庫版の第10巻っぽいんだよ
それまでは
結局何の話してたんだっけみたいなところで
すげー迷子になる
みたいなところが面白かったの
30:00
プルストの場合は
実はちゃんと最後の10巻まで読むと
マジで1巻の頃からずっと
ひとつのテーマをきちんと反復してたりとか
ここの要素とここの要素がちゃんと
照らし合わされてるんだな
みたいなことがわかってくるから
プルストはめちゃくちゃ西洋的というか
めちゃくちゃ構築的なわけ
すごいちゃんと
1個の西洋的な建築物を見るときのように
割と構造というものがある
ぶっちゃけ穂坂和志にこれまで構造があったとは思えないというか
割とただのジジイの
ヨタ話というかね
聞かされてる
気持ちに近いものがあって
それは小島信夫の系譜なんだよ
小島信夫自分で何書いてるか
わかんなくなっちゃってからが面白い
みたいなところがあるから
穂坂和志は割と
小島信夫が自分の小説に書いてるように
いわゆるインテリですから
っていうところが微妙にあるから
やっぱりそこでいかに
自分の理論制限とした部分というところから
外れていくかというところに
すごいちゃんと意識的に
やってきた小説家だと思っていて
ここ最近の
小説っていうのはどんどんすごくなり方
めちゃくちゃだからある意味小島信夫
ワナビーになってきてたわけ
なんかこの人自体は
何喋ってるかわかってんだろうかみたいな
ところが多く
これまで長編が多かったから長編だと
ある意味どんな話しても
最終的に猫の話になっちゃう
またらぼけジジイ感が
あったんだけど
猫の話だけしてると
こんなに名席なのかこの人は
っていうところがあって
読んでてある意味
穂坂和志のことが好きな
理智的な人が書いた
穂坂和志みたいな小説だな
みたいなところは
ちょっと思ったんだけれども
でも様子様子の一個一個として
その間のどこに連れて行かれるかわかんない感
っていうのはやっぱり
穂坂和志なんだよね
単純にねオチが
鮮やかすぎたっていうところに
逆に僕はちょっとこう
もやもやもしたし
だからこそ
安心して
40ページ分奥さんに
朗読することができたっていうところもあるな
って思って
でもやっぱり好みとしてやっぱり
小説って別に終わり方って
重要じゃないからさ
すげー楽しいって思ったら
ブズっと終わるのが好きだから
なんかすごいお後がよろしいようでされたな
みたいな感じが
するんだよね
まあちょっと穂坂和志の話
まだこのぐらいにしとくというか
猫が来なくなったまだ小大作しか読んでないからね
うん
それ以降のやつとも読んで
また印象は変わるかもしれませんが
お後がすごいことになってるかもしれない
そうすごいことになってるかも
最後まで読んでもどこに連れてかれたか
わかんないみたいなことになるかもしれない
でもやっぱり
穂坂和志って猫がすごい好きだから
猫というある意味
自分以上に小島信男みたいな
33:00
存在に対して
やっぱり自分
書き手というのは
人間にならざるを得ないよね
穂坂和志って人間だったんだ
っていう
俺って人間だなみたいなことに
やっぱり自覚的になるんだと思うんだよね
猫を相手にすると
人間で例えちゃうしね
そうそうそうそう
やっぱり猫を人間に例えることの無理さみたいなこと
中に出てくるけれども
やっぱりそういうところがあるなと思ってて
やっぱり猫は猫のまま書かなきゃいけない
みたいなところがあるなと
穂坂和志が一番訳わかんなくなった小説が
長編で言うと未明の闘争っていうね
あの小説があるんだけども
あれはだからね
最初が
あの
人間が死ぬ
死んだ人間が
ビックリガードのあたりの池袋の交差点を
歩いてるのを見たみたいな話から
始まるわけ
人間の葬式から始まると
なんか猫にできるんだよね
だんだん猫じみてくるんだよね文章自体が
あれはだから
人間からスタートしたから猫になれた
けれども猫からスタートしてしまうと
人間になっちゃうんじゃないかっていうのが
今のところの懸念点
というか
その方向で
やれば
ある意味その
読める文章というか
なんていうの
あまり上手く言えないけど
人間がわかるものになっていくような
って感じはしてて
人間がわかるものが読みたかったんだっけ
みたいなところは
ちょっとあるから
難しいよね
推し語りの難しさと一緒だよね
坂和志にとって猫って推しじゃん
推し語りとも言えるわけじゃん
猫に対する
技術というのはね
やっぱり多少
そうなってくるとさ
ある意味
なんていうのかな
だいたいみんな似てくるじゃんオタクが
何をオタクあったりしているのか
しつこすさんもさ
まじょこれいさんもさ
人間たべたべがえるもさ
なんか似てくるじゃん
大枠で言うとね
なりかねないなみたいなところが
兄弟作だけ読むと
ちょっと思っていて
でも普通の人間はオタク語りしてて
小説にならないから
もちろんね
これは坂和志のオタク語りというか
推し語りなのでは
推し語りを媒体とした
小説なのかな
って感じはする
思った以上に推し語り要素が強くて
びっくりしたけど
ただの推し語りじゃなくて
それがちゃんと作品になっているところに
多分違和感があるんだ
小坂和志はただ推し語りだけして
それを
はいできたみたいな
イケシャシャと
作品として出しちゃうみたいなところに
僕は
面白さを感じていたのかな
みたいな気がして
だからちょっとね
わかんないね
36:01
まあちょっとね
小説も読んでみてね
そうそうちょっとね
読んでみないと
ちょっとまだわからないんだけれども
ちょっと今タイトル忘れちゃったな
いやなんかね
小坂和志の短編で僕が好きなのは
サザンとかサチモスの話している
短編が
なんか引用してたよね
あれがねすごいね
良くて
それ
それが
それがね
それみたいな
キースリーチャーズはすごい
キースリーチャーズはすごいっていうタイトル自体が
めっちゃすごいなって思うんだけど
ああいうのがね好きだったから
あれもだから
正直あんまり覚えてないんだよね
なんかサチモスの話してたな
ぐらいしか覚えてなくて
だから
でもこのある意味だって
猫が来なくなったらさ
覚えてられるじゃん
どんな話だとか言えちゃうじゃん今
で
どんな話かを知ってから読むとさ
ちょっと違うじゃん
っていうところで
ほかの本
何にも
覚えてないし
覚えてたとしても何にも面白くないのに
読むとめっちゃ面白いっていうのが
面白いところなのに
なんかある意味すげえ小説
ぽいなって思う
今のところの評価としては
入門編としては
よくできてるから
奥さんに聞かせようと思ったけど
穂坂和志ファンとしては
ちょっと
納得しきれない
いやなんかね
これは穂坂和志だなって思って
すごいニコニコして奥さんに
昨日聞かせてあげたいなって思ったから
聞いてって思って
2回目朗読して思った
1回目僕がニコニコしてた要素が
微妙にちょっと弱くなったところがあったの
って読んでてね
その時に落ちが綺麗すぎるんだ
構造が綺麗すぎるんだって思って
それはそれでめちゃくちゃ
ある意味優れた作品であることは
間違いないんだけれども
なんか求め
僕がこれまで穂坂和志に
興奮してた部分と
なんかちょっと違うというか
ある意味単純に上手さだけで興奮させられてない
みたいなところで
ちょっとね1回自問自答に
入っちゃってるところがあった
でもまあ
しょうがないそれは
だからまあ
僕は
なんか
うん
訳わかんなく
なっちゃってる方が好きだなというか
僕割と浦沢直樹のね
漫画好きで
黒色広げるだけ広げてたら
畳まないじゃん
てか絵って終わり方すんじゃん
もうそれでいいなって思ってて
綺麗に落ちが付くことってそんなに
大事なことじゃないというかさ
読んでる間楽しければいいじゃん
っていうのがやっぱりあるから
39:01
なんかね
最後に落ちが決まることによって
一個のパッケージとして
すごい優れているみたいなものに対して
なんかね
好きだよそういうのも
好きなんだけど
なんかちょっとこう
もっと終わりは雑でいいなみたいなのが
多分好みとしてある
っていうだけの話だから
猫が来なくなったら素晴らしい作品だと思うので
ちょっとまだ全部読んでないからね
ちょっとまた全部読んでから
これは
ラジオで話すかもしれないけど
話すけれど
いいよね
じゃあすごい綺麗に出せましたから
ここら辺にしとくね
そうだねだからまあその
ツイッターとかねニュースばっかり
読んでないで
坂和志を読めと
いうこと
ですね
やっぱり人間は人間すぎるから
息苦しいという話だね
やっぱり穂坂和志の猫のように
毎日毎日
何十年も
続けられるようなことを
一個こう
あれば
それを延々と続けて
いくというところにこそ
教訓みたいなのを作ること自体が
人間すぎるんですよね
猫が来なくなったを読もうと
いうところで
今日おしまいにしたいと思います
ありがとうございました
続いてグラスを
かけましょうと奥さんでした
さよなら
さよなら