1. ポイエティークRADIO
  2. 第百八十八回 倍速でも損なわ..

作品を楽しんでいるとき、いったい何を受け取っているのだろうか。倍速や斜め読みでも充分獲得可能なよさと、等速で独自のテンポにつきあうことでしか感知できないよさはどう違うのか。

00:30
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私、柿内正午と
くさんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
ということで今日は、情報処理についてのお話をしたいと思っているんですが、
はい。
というのも、なぜ前を見せたかというと、
そういう話をするよって、だいたいこうさ、録音する前に、
打ち合わせ、打ち合わせという言葉さえもないんだけどね、
じゃあこれにしようって言って、録音ボタンを押した途端に、僕が違う話を始めて、
それによってあなたが、は?約束と違うんだけど、みたいになって、
なんか、こう、ぐずぐずしていくっていうことをね、
しがちじゃないですか。
ハートは持ってない。
ハートは持ってない。
好きにさせようって思ってる。
ということで、今から僕が話す話は、
一見違う話かもしれないけれども、
最終的に情報処理の話になるから、
ちょっとお付き合いください。
うん、聞こう。
なんかさ、最近すごい辛いんだよ。
うん。
辛いわけじゃない。
なんか最近つまんないの。
うん。
日々が。
うん。
っていう時期が結構長く続いて、
うん。
これはそろそろやばいなって思ったから、
うん。
ちょっととっておきの本を読んで元気出そうと思って、
うんうん。
元気出したわけですよ。
うん。
アンディ・ウィア。
うん。
プロジェクト・ヘイル・メアリーね。
うん。
うん。
火星の人の。
うん。
でおなじみ。
でおなじみの。
うん。
あの、マット・デモンで映画にもなっている。
うん。
でおなじみの。
オデッセイね、エヴァのタイトルはね。
オデッセイのね。
うん。
アヴァの映画でしたね。
うん。
あれを。
うん。
いや、アヴァの映画だったよね。
ああ、そうだね。
うん。
アヴァとジャガイモの映画でしたけど、火星の人は。
うん。
プロジェクト・ヘイル・メアリーは。
これはね、でも正直ね、僕はあまりに面白すぎて。
うん。
すごい臨場感たっぷりにあなたに内容すべてしゃべってしまったけれども。
うん。
本来何も。
うん。
こう、知らないで読んだほうが絶対面白い本だから。
うん。
超面白いよっていうことだけにして。
うん。
ちょっとこれのネタバレ。
あなたのなんか筋は知ってしまっているけれども。
うん。
絶対に何も言わないでね。
うん。
っていうのはあるんだけど。
うん。
これが面白かったなって思うところ。
でちょっとまあ、ちょっとプロジェクト・ヘイル・メアリーの話とより、
アンディ・ウィアーのその火星の人とプロジェクト・ヘイル・メアリーのに共通するいいところの話をからちょっと今日始めたいと思うんですけど。
03:03
だから火星の人のネタバレはします。
うん。
けど、プロジェクト・ヘイル・メアリーのネタバレはしないので、
まあその辺が気になる人はその辺のこう、仕分けなんだなと思ってください。
うん。
あのね、
アンディ・ウィアーの小説を読むと、
プロジェクトマネージャーみたいな気持ちになってくるんだよ。
うん。
こっちは。
てかなんかそのこう、何か混乱なプロジェクト、一見不可能に思えるプロジェクトをいかにこう、成し遂げるかっていうさ。
うん。
でもプロジェクト・ヘイル・メアリーはまあ表紙が宇宙服だからね。
うん。
まあなんか宇宙行くんだなっていうことぐらいはさ、
うん。
なんとなく予想がつくとして、まあでもそこでまあ無理なんだよがもう吹っかけられてるわけよ。
うん。
もしくはあの火星の人の話にするならば、火星の人は火星に一人取り残されてしまった宇宙飛行士が30日分ぐらいしか食料がない中で、
その次の救助船が最短で来るとしても、こう数年かかるっていうときにいかにして、
その自分はまだ生きてるよだから助けに来てねっていうことを伝えたり、
まあ逆にそれを最短で伝えた上でどう食料問題解決するかとか、
まあ基本的にもう無理じゃんっていう状況に置かれたときにどうやってそこでこう生還するっていうね目的を果たすのかっていうさ話なわけじゃん。
で、このときにそのね、アンデビアンの小説の何が面白いかっていうと、
あのね、実現可能なタスクにまで細分化していくんだよね。
うん。
SFでその科学者がその科学の知見のもとに頑張っていくっていう意味だと、
ある種一種のナロウ系小説とかその一種の異世界転生物と構造としては似てるんだよ。
なんかすごい逆境の中でもその近代的な科学的な知見とエンジニアリング技術を持って無双した件みたいなさ、
そういう物語構造ではあるんだけど、
アンデビアンの面白いところはその細かいタスクに細分化した上で、
その一個一個のタスクは正直退屈だっていうのを書くんだよ。
で、そこのでも正直退屈な細かいタスクの手順をすっ飛ばそうとすると痛い目を見るっていうこともちゃんと書くわけだよね。
だから要するに魔法はないんだよ。
SFである種上手い嘘の仕方をしたりもするんだけど、
でも横着してその工程管理のプロセスを一個飛ばすとその分嫌なことが起きるよみたいな。
それこそ火星まで最短で救助船を飛ばすって言ったところで、
火星の人においては地球上でも主人公の救助計画が持ち上がるわけだよ。
で、本来の宇宙船の工程の中でいかに短縮して最短で火星までロケットを飛ばすかっていう話をめっちゃミーティングをするんだよね。
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で、その中でその火星の人における地球のプロマネはもうここのチェック項目のこの二重チェックのところを一個に短縮することでとか、
ここの安全管理の点検の部分の納期を半分にして納期を一日短縮しようみたいなところで、
1時間単位でなるべく早く、そうしないと死んじゃうからね、火星に宇宙船を飛ばさなきゃいけないんだってことをやっていくと、
そこの品質管理工程を飛ばしたことによって結局ロケットが飛ばなくなるみたいなことが起きてしまうっていうさ、
非常によくあるこの、いやもうちょっと今回巻き出お願いしたいからここの結合テストのところちょっと一旦スキップで、
教育環境で、教育過程の間に不安が起きたらその段階で直せばいいんじゃないですかみたいな話になった途端に、
もう大体そのプロジェクト破綻しているみたいな話をリアルにやるわけじゃない。
でね、ここがすごい面白い。で、もう一個は今回のそのまあ、火星の人もそうだし、プロジェクトヘルメアリーも科学者が主人になってくるときに、
科学の技術っていうのはさ、その観察から始め、実験とか観察から始まっていくんだよね。
で、それは仕事においてもそうじゃん。そのタスクの検証みたいなところで言うとさ、検証するために何かする。
で、それを一回実行してみるみたいになると、待機の時間が出てくるんだよね。
で、この待機の時間ってさ、暇なわけだよ。だけど結果がうまい具合に出るかどうかでソワソワしているから、
その無の時間ではない。てかなんか不安と向き合うしかない。ただこう、じっとしている時間。
で、むしろ急い忙しくさせてくれみたいな時間っていうのがさ、生じるわけだよ。
で、これはもっと科学じゃないところに持っていくと、さっきのその高手数管理とかの時の、
度重なる各所とのミーティングとかっていうのも、ある種同じことの繰り返しなわけじゃん。
なんだけどその同じことを各部署に最適化した形で伝達していくっていう繰り返しの業務ってすっごい退屈なわけ。
だけどそこで退屈だからといって、ああもうこれはもういいか、みたいな感じで飛ばしたら事故あるわけじゃん。
でね、そのなんか退屈なことが大事なんだ。もしくはすっごい些細な取りに足らないタスクをちゃんと一個一個やるのが大事なんだっていうことを、
すごいこうアンデビアを読むと、思うわけ。
意味が痛いな。
うん。だから僕は特に横着だからね。だからなんかすごいそこでもう、こう、いやそうなんだって。
もうトリビアルなことを、である意味それ一つ一つは誰でもできる。
というかもう誰がやっても同じようなしょうもないことを横着せずにちゃんと一個一個やらないと何もできないんだというかね。
火星から生きて帰るにも。
09:00
まずはこう、一個一個、今自分の道具箱に何が入ってるかの整理、点検から始めていって、そこの動作チェックをちゃんとして、それぞれちゃんとマニュアル読み込んでってところからしっかりやっていかないといけないんだっていうことをね、こう思ったわけ。
でそれがワクワクするように書かれてるのが面白いところだと思う。
要するにその魔法みたいに何かが起きるっていうワクワクもあるじゃん。
でもそうじゃなくてこんなちまちました作業、しかもすごいそのちまちました作業2週間かかったとか書かれたりするわけよ。
でもそのちまちました作業をちゃんと手を抜かずに2週間かけてやることによって最終的にダイナミックなプロジェクトが動くっていう、なんかそこをね、ちゃんとこう書いている感じがあって、僕はそれがすごいね、好きだなーって思いながら読んでたんだよね。
映像を省略できない魔法もあるんだよっていう。
あ、そうそうそうそう。
でその、まあ火星の人もそうだけど、まずスタート極限状態から始まるからそういう時こそ、なんか省略できないっていう。
そうなの。
そしてだいたい省略して痛い目を見て、やっぱり省略しちゃいけないんだっていうのが出てくる。
リミットとして明らかに1ヶ月後までにどうにかなってないと死ぬみたいな状況でも、そのうちの2週間をちゃんと準備に費やすっていうことが、実は長期的な生存に直結するっていうのは、でもこれってさ、非常に難しい。
できないじゃん。
格言的なというか、精神論的な急がば回れではなく、本当にクリティカルなタスクスケジューリングとして急がば回れっていう。
確率の部分をいかに減らすかということにこそ苦心しなくてはならない状況で、そしてプロジェクト延伸も不可能な状況でっていうシチュエーションの話を書くのがうまい。
うまいんだよ。
うまいから両方そういう話。
うまいからこういう話だっていうところで、ここからはちょっと引きになれというか、それをきっかけに今日の話したいことになるわけだけど、僕は恥をしのんで言ってしまえば、本当は荒又広志みたいになりたい。
博覧狂気に憧れるの。
はい。
だからなんかもう全部知ってるよみたいな。
荒又広志がそうだとは思わないけど。
荒又広志は全部は知らないな。缶詰のことと。
すごい知ってるけど、すごい毎回初見みたいに新しいものを知るとキラキラする。
12:01
いやそうなんだよ。荒又広志のすごいところ。
いきなりさっそく脱線するけどさ、僕トリビアの泉っていう番組がすごい好きでね。
あの番組において何が一番好きだったかって荒又さんとタモリなんだよ。
でタモリはとにかく毎回、結構ずっとポーカーフェイスなんだけど、自分の壺にはまった時だけめっちゃキラキラするの。
荒又広志はなんか絶対誰よりも物知りなのに、誰よりもへーってちゃんと楽しそうにするの。
でもしくは知ってることでも、そうなんですよこれはねって言って楽しそうにするの。
だからなんかその知識がマジで自分の楽しみのために使われてる感じがあってすごい好きなんですけど。
まあなんだ、なるべく早く目に戻ると。
要するに僕はそういうのが、なんか言うとき、今みたいなさ、さっきみたいなコツコツとね。
千里の道の一歩からとかさ、急がば回り的な格言をさ、もっとかっこよく言いたいわけよ。
なんかこう、なんかアイザークアシモフはこう言いましたみたいなことよね。
ちょっと今トリビアに引っ張られすぎてるし、アシモフこんなこと言ってないらしいんだけど。
っていうのとかさ、要するにだからバーナードジョー曰くの初期の頃っていうのはさ、あれは名言漫画だったんだよもともと。
だからその本の名言を引用してすごいドヤりたいっていう動機で、バーナードジョーは本を読んでいると思われたいわけだけど。
まあなんかそういう感じでね。とにかくだから読んだことにしたい本が多いんだよ。
読んだことにしたい本も多いし、見たことにしたい映画も多いし、聞いたことにしたい音楽も多いわけ。
でその膨大なアーカイブに裏打ちされて僕は今こんな発言をしてますよっていう。
だからそのこの言葉に体重が乗ってるのはすごいよみたいな。
なんかもうプラトンぐらいから。
もうこう西田、なんだっけ、北廊下ぐらいまでのね。
もうこのぐらいの文脈引っ張ってますけどみたいな。
なんかそういうこうさ、フレーバーをさ、本当だったらひけらかしたいわけ。
でもないわけだよそれが。
でもないからなんかあることにしたいって思って焦るわけ。
で特になんかその自分でなんか物を書く用事がある時とかにそれを思うわけ。
なんか本当はこれ書きたいってなるときにそこ参照するねアーカイブで何があるかは知ってるわけ。
そのライブラリーある程度できてるわけ。
だからこれを書くんだったらこれとこれとこれの原点にあたって分かっている。
ますよっていう気の利いたことを一言でも入れた方が明らかに説得力が増すからこれとこれとこれを読んでから書きたい。
でもこれとこれを読むのすげえだるい。
みたいなタイミングででもそれを一応読もうとするんだけどなんかあまりその読書って楽しくなかったりさ。
結局何も頭に残らなかったりするわけですよ。
15:00
でそれがすごい嫌だったの。
てかなんかそういうモードに入る時のね本読むのつまんないの。
なんだけどちょっとだからそのプロジェクトヘルメナリーを読んで焦らずちゃんとすごいわかりやすい入門書から外説書に行って原点読みつつ別の翻訳と参照しつつということを丁寧にやって
本来読みたい読むべきだと思っている本が5冊あったとしてもそのうち1冊に絞ってそれを丁寧に読んだ方が結局のところ実りが多いよねっていう気持ちになって
すごいそこで焦ろうが焦る前が変わらないっていうかむしろちゃんと一個一個丁寧にやった方がいい。
冊数じゃなくてちゃんとこう手順を踏めてるかどうかの方が大事みたいな気持ちになってすごいなんかスンってしたのよ。
忍びをやめようって思ったのね。
そうそう無理なものは無理だし。
であと何よりねそのねだからどんな地味でその効果に直接つながらない手順でも時間をかけなきゃいけないところはあるっていうことがプロジェクトヘルメナリーにおいて僕の中でグッとくるポイントだったわけ。
要するに本読むの時間かかるんだよ。
だからもう今からあれとこれとそれを読んだことにしたいって思ったらもう5カ年計画ぐらい立てないとどうにもならない。
その5カ年計画はそれ並みに失敗する可能性が多いぐらいの過酷な計画になると思うの5カ年計画だとしてもね。
でもなんかそのぐらい時間かけてやらないといけないことだったっていうことにもうなんかこうなんか改めて気づいてなんかもうしょうがないなっていう気持ちになったんですよね。
っていうのがまず一個ね今日話したかったことですね。
だからなんていうのかなその役に立ちそうな話ここまでね。
だから結局その焦る、勉強に近道は勉強に何事にも近道はそんなにない。
だから一個一個手順を踏んで時間をかけるということを許容していこうという話がまあその本や読み書きにまつわるところに関してはもうそうだなっていうので一個あって。
ここから僕が今日話したい話は2つ分岐があるのよ。
どっちがどっちが良さそうかさ。
決めて。
一個はそういう膨大なプロジェクトに秩序をもたらすっていうのはめっちゃ快感っていう話。
要するに人は情報を整理したがっているっていう話が一つ。
18:02
もう一個は人は情報の氾濫に興奮するっていう話。
同じ話じゃないんだよね。
同じ話ではない。
具体的に言うと前者は僕はまたさっきちょっとあなたにすでに話してるようなノートの取り方の話を熱弁することになる。
でもう片方はどちらかというとあなたに話を聞きたくて。
なんかすごいさたくさん咀嚼げやってるじゃない。
すごいたくさん咀嚼げやってたりその推しの俳優のラジオを聞いてたりとか配信もあったりとか。
要するに膨大な情報の濁流に触れてるわけじゃん。
そこに対してどう触れ合ってるのかっていう話を聞いていくっていうルートがあるんだけど。
正直前者は日記に書いたなって。
そうだから正直僕もそっちはあんまり話すくらいないなって感じ。
おーんしか言えないから私が。
というのも去年映画を2倍速で見るみたいな本が出て話題になって。
タイトルだけで多分読んでる人は15%くらいだと思うんだけど。
なんかその倍速視聴について盛り上がるみたいなことがあったりしたんですよ。
僕はポッドキャストをね聞くんですけど。
このポッドキャストも倍速で聞くぐらいだったらそもそも聞かない方がいい。
っていうコンセプトでやってるんじゃない。
そうだったんだね。
そうだなって思ってるの。
これは問題提起というか僕の感覚だからこれはあなたの意見も聞きたいんだけど。
ポッドキャストね結論から言うと僕最近ポッドキャスト3倍速とかで聞くの。
うん。流しながら作業してることあるからね。
ポッドキャスト3倍速。物によるんだけど1では聞かないの。1.5から3で聞くの。
私にはピヨピヨとしか聞こえない。
でもね自分のポッドキャストは1倍速で聞くの。
ここで僕の中で何が起きてるかっていうと要するに情報が欲しい時は3倍速でいいんだよ。
3倍速って多分本読む時のスピードに近いの。
要するにザーッと一望してその中から自分にとって必要な情報をピックしていくみたいな意味で言うと早い方がいい。
21:09
そうじゃない。何か。
こんだけ話があちこち言ってたらね。
そうそう。そもそもね。
何の話になってんのってなるよね。
整理されてない情報というか。そもそも情報じゃない。
これね僕の中で一つも情報の場合に対応する対応があまり思いつかないんだけど。
雑談。
雑談よね。
だから何かそれを。
8日。
だから何て言うの。
それ。情報以外の何かを楽しみたい時は等倍で聞くみたいな感じになっているわけよ。
古代ギリシャ人が好きなもの。
そうそう。無駄。
無駄と僕はよく言いますけど。無駄なゴミデータと有益な情報があって有益な情報の方が3倍速で聞いたりとかさ。
さっきの話で言うと読んだことにしたい本になるわけよ。読んだことにしたい本っていうのは読みたい本って別なわけだよね。
要するにこの情報が自分の中に知識が溜まっていたらいいのになあんなわけじゃん。
要するにスキルセットみたいなものとして勝手に考えているわけだよねそれを。
そこの違いって面白いなというか。要するに情報とかスキルみたいなものとして結びついた途端に速さと親和性が高くなっていくわけ。僕の中では。
というかコスト意識が発生するよね。
コスパタイパーが良ければ良いほど良いものになっていくわけじゃん。情報というのは。
そうだね。
タイパーって言葉はいつ生まれたの?
分かんない。僕未だにタイパーの意味はよく分かってない。時間かかればかかるほど良いって意味じゃないんだよね。
逆だと思う。
だからコスパは多分単価で終わった時により安い方とかさ、数字ベースで何かさ、効果的ってことでしょ。
なるほど。
タイパーも数字ベースだと思うけど、最近よく聞くよって。
よく聞くよね。
コスパと何が違うんだって。
時間にコストって?コストに時間って含まれてるでしょ。
うーん。
うーん、結構ちょっと分かんないな。
あーでもなんか、だから歩いて、20分歩いて。
時給で換算してるってこと?
20分歩いてタダで済むのと、200円払ってバス乗って5分で着くんだったら、コスパは徒歩だけどタイパーはバスってこと?
24:05
うーん、だからコスパとタイパー常にそういう緊張関係にあるってこと?
分かんないや、知らない言葉の話してもしょうがないからごめん。悪かった。後で調べる。
でさ、だからなんかその、でね、割とポルトガスの場合は分かりやすいの。
何か知りたいとか何か考えたいときに聞くやつと、ただダラダラしたいときのやつが分かれてるわけですよ。
でね、ちょっと一旦僕にとっての話をするわ。
ソシャゲはね、この間ないよ。
てかなんか、まあ毎回面白いわけじゃないからって言われるかもしれないけど、本編はちゃんとじっくり読むけど、イベントはかなり飛ばし読みするとかさ、いうことが起こるわけですよ。
僕の場合ソシャゲFGOしかやってないけど、なんかこう、その倍速視聴と等倍的なものだよね。倍速的な商品の仕方と、等倍的な楽しみ方と、まあこうハイブリッドな場所なわけですよ。
でさあ、あなたを遠目に見てるとさ、なんか4個か5個ぐらいさ、常にさ、やってるじゃん。ソシャゲを。
でさらになんかすごいさ、ずっとさ、なんかこう仕事中とかさ、なんかこうBGMとしてさ、なんかの配信のアーカイブとかさ、ラジオを聴いてるじゃん。
それはさ、だいたい全部等倍なの。
すごいね。全部楽しみとしてやってる。
そういうと言うと、私は具体的な話しかできないから具体的な話するね。
今やってるのが、ツイステッドワンダーランド、魔法使いの約束、ムキメイト、A3、フェイ、FGO、まあポケモンスリープはいいか、シナリオないからね。
で、ツイステッドワンダーランドのイベストイベントはめっちゃおもんないから、読んでない。何ならやってない時もある。
魔法使いの約束はシナリオがええんよ。でも正直こんだけやってるとちゃんと読む時間作れないのと、あとFGOだけがシナリオとバトルが完全にセットになってるわけ。
他のは違うんだよね。
走りたかったら必然的にシナリオを読むし、そこでスキップするかどうか選択を迫られるわけ。
他のやつって走ると読むが分かれているんだね、基本的に。何ポイント貯まったらシナリオ解放みたいな形で。
27:04
なので魔法役はちゃんと読みたいけど、今まとまった時間作る気力がないって思ってすっごい積んでる。
なるほどね、おもしろいね。
ストーリーを。
なるほど、おもしろいね。でも読めるようにするための。
とりあえず解放だけしておいて、後で読めるようにして、それがすごい積み上がってるし、メインストーリーも読めてないっていう。
本当に読みたい本掘る大事にとってあって、どうでもいい本から読んじゃうのと一緒だね。
A3とムキメイトはシナリオはぼちぼちだからだし、そんなにこうさ、込み入った話もないから、今のところ積んでない。
FGOはその時による。
なるほどね。
だから、まあ趣旨や選択はある程度してるわけだよね。もうツイステは完全に捨ててる。ぶっちゃけ。
ストーリーは?
というか、得意な、売りが違うわけ。ツイステは割とCVが良い。声でフルボイスだから、オーディオブック的に声がついているメインストーリーは聞ける。
イベントは声つかないからさ。
イベントは声つかない?
つかない。おもしろくないからシナリオ。
やる意味全くない?
やる意味ないから。そんなに育てたいとかもないから、メインのオーディオブックを開放するためだけにやってるみたいな感じで。
だから、趣旨や選択した結果魔法役のシナリオを一番気に入ってるのに積んでるっていう。
おもしろいね。
そういう事が起きていて、その差し上げとは別の、俳優、お芝居そのものもそうだし、仲の人、いわゆる俳優が俳優としてやっている活動に関しては全部当売。
だけど、あんまそんなに。
数追ってるわけじゃない?
この週たまたままとめっちゃ聞いてただけで、なんかやってるなぁと思うけど、そもそも課金するタイトルをめちゃめちゃ絞っている、これでも。
だから、俳優の配信とかは、興味ある人だったら無料部分だけ見るとかしてるじゃん。
30:03
本当にちゃんと課金して、本人が出しているものは全部追ってるのは本田レオだけで、それは推しというんだったらそれはやるかと思って。
推すが分からないから、一応やってみるかと思って、一旦決めて推しということにして、しばらくは開けるまでは基本的に情報を取りに行こうかなと思っているけど、あんまりもともと積極的に情報を取りに行くタイプじゃないから、
舞台だけ見てればよくないとは思っている。
ついでに話すと、そもそも私は舞台を見る人なんですよ。
舞台が一番ちょうどいいの?
詳しく聞こう。
舞台の前にまずライブにめっちゃ行くっていうのがある。
そうだね、あなただから音源買わないでライブ行くぐらいの感じ。
今はさ、自分でお金稼いでるから、音源も買うけど大人になったからさ、お金で落とした方がいいなって。
でも元々はアルバム買うお金でチケット買いたい人なわけ。
要するに舞台とライブの共通点は場所と時間が決まってるんだよね。
ライブは1回1回が基本的に2day、多くて3dayとかじゃん。
1個1個違うものみたいな感じだから、その1回のライブに行けなかったらその時のライブには触れられないっていうスタンスだけど、
舞台は1週間長くて2週間とか同じ演目がかかってると。
歌舞伎とかだともっと長いけど。
元々ライブでそこから舞台に移行した理由の一つとして、
舞台の特に学生までだとさ、いつでも行けるわけじゃんぶっちゃけ。
って思ってる間に決められなくて終わっちゃうっていうのをしょっちゅうやってたから、
それこそ情報の反乱になってたみたいなところがあって。
でも今フルタイムで働いててさ、あなたも連れて行きたいとか、
1人だったらせっかくならあなたが働いてて私が休みの時に行こうとかで、
必然的に狭まってくるわけじゃん。
33:03
でも候補が3日くらいになったところでやっと、じゃあいつ行こうっていう具体的なスケジュールに落とし込めるっていう。
それはライブと舞台の無限の可能性が縮小することによって、いつ行くかの選択コースとか同じくらいになったから、
舞台に行けるようになったというところがまずあって。
両方とも倍速とか存在しないじゃん。
あと映画館で映画を見るのも倍速が存在しないじゃん。
そういうものじゃないと私たぶんダメで。
家で映画見るの苦手なのも一旦止めるとかできちゃうじゃん。
僕は厳密に許さないけどね。
それだからそういうことだよね。
僕は一回ちょっとごめんね、余談だけど、僕はもともと子供の頃からずっと映画を見てるんだよ。
母親とだいたい夜寝る前とかに見たりするんだけど、
子供の頃から常に映画に関しては不可侵なもの。
絶対にその2時間は止めない。
何があっても止めないっていうのが自分の中でのこだわりというか、
そうじゃないと見れないものだと思ってたわけよ。
たまに見てる途中で父親が帰ってきたりして、
母親が食事の仕方越しに行くたびに一時停止になったりすると、
すごいアーッてなるわけ。
だいたい9時くらいから見始めて、その後父親が11時くらいに帰ってくるわけよ。
絶対帰ってくるんだ。今絶対帰ってくるんだと思っていると帰ってくるみたいなので、
すごい感触を起こすみたいな子供だった。
私たちが子供の頃だと2時間越えの映画がちょっと増えてきたみたいな。
だからその時間は厳密に映画の時間。
今もその気持ちが割とあるから、
あなたと映画を見る時とかも基本止めないで2時間はちゃんと見るっていう感じにするじゃない。
っていうのもあるなって思った。ちょっとごめん。一回余談でした。
だからそれこそ広赤のさ、今多分次7期かなアニメが。
6期がめっちゃ辛い話なのを知ってるじゃん。原作読んでるから。
だからさ、アニメって30分見て、次のは見るかどうかの選択をさ、
30分ごとにさ、委ねられるじゃん。
そのストレスに耐えられないわけ。だって次どうなっちゃうかさ。
知ってるからね。
知ってるし、多分知ってなくてもトーンでさ、わかるじゃん。
だからもうそれこそメイドインアビスとかさ、ひどい話。
アビスは原作知らないで見てるけども、3話まとめてとかじゃないとドロップアウトしちゃうから、ある程度時間を確保してみるっていう見方をしてたじゃん。
36:13
で、それこそ広赤の6期を今までちゃんとリアタイ、ほぼリアタイで見てたけど6期は辛すぎて見えなくて見れなすぎて
多分自分がツイッターに書いてたのがもう劇場に閉じ込めて3時間で見せてくれるっていうの。
でもそれが本当にそうで、
なんか、なんだろう、
こう、
途中は途中でも一つの何かの区切りまで、
こっちが飽きようが、もうやめてくれって思うが、
閉じ込めて強制的に浴びせてくれるメディアじゃないと、
なんだろう、選択の余地を感じてしまう。
のがすごい、そのメディアとのコンテンツとか、さっきの話で言うと情報との付き合い方においてすごいノイズなんだよね、私にとって。
それすごい面白い話だよね。
てかなんか今ちょっと話してて、一回あなたにわからない話になるかもしれないけど、
話すね。
というか、
これは本当にあなたにわからない話だと思うんだけど、
趣味っていうものがあるじゃないですか。
趣味っていうのはさ、共同体を作るんだよね。
わからない話だよね。どうぞ。
要するに、趣味の世界っていうのは、その趣味の世界におけるイケてるイケてないの高度があるわけ。
これは別に割とある話だと思う。
要するに僕らが学生だったさ、
何年か前ぐらいに演劇をやっていた人たちにとってさ、
そこの中でもその趣味の中で細分化されてさ、それぞれの共同体が出来上がるわけだよ。
演劇という趣味?
演劇という趣味の中で。
要するにラーメンズが羊なのか、ママゴトが羊なのか、マームとジプシーにいち早く感化されているのか、
もしくはバナナ学園みたいなものの方に極端に降っているのか、半中遊泳なのかロロなのかみたいなところで、
どれにグラデーションを置いているかっていうところにさ、趣味の比重があるわけだし、
僕が今挙げたのは僕の観測範囲のものだから、すでにこの時点で偏っているんだよ。
39:03
言ってしまえばこれすべてちゃんと網羅してるよねっていうところから、本来その趣味の共同体が始まっていくわけだよね。
これ例えば映画とかでも全部そうなわけだよ。
映画好きっていう時に、だいたいってことは今かかっているものの中でこれとこれとこれを抑えているよね、
みたいなことがだいたい起きる場所なわけだよ。
全部網羅できる人だけではないから見てなくてもいいんだけど、見てない人は気になってるんだけどまだ見てないんですよねって言わないといけないみたいなさ。
何かの行動がある場所があるわけじゃん。
あるんですよ。あなたにはわからない。
聞いてるよ。
でも多分これ天后とかでもあるんじゃない?
あると思う。
あるわけじゃん。この俳優だったらこれがベストアクトだったけどこれ見てたとかさ。
天后に関しては割とそういう見方を私はできちゃってる気がする。
あとそれこそ原作との両方をちゃんと、捨てだけじゃなくて原作とみたいな。
何かしらあるわけだよ。
でもそれによってもどれが正解とかじゃなくて、自分が属したいというか自分がイケてると思うのはどこで、
どのような態度のあり方がイケてないのか。
要するにどうせ顔でしょみたいなものに対していやそうじゃなくて、
ちゃんと身体表現として天后の舞台っていうのは面白さがこういう風にあるんだってところまで見るっていう意味の趣味の共同体もあれば、
別に顔が良ければ良くないって趣味の共同体も別であるわけじゃんみたいなところで、
そこのそれぞれの自分たちの解釈っていうもののある意味、戦わせるって言うとちょっと言い過ぎだけど、
なんかそういう場所なわけだよね。
それはもっと言うと小学生ぐらいのところまで遡っていくと、
オレンジレンジを聴いてたかバンプを聴いてたかみたいなところでもあるわけだよ。
そこに自分のアイデンティティを固くしていったりとかさ、
っていうのはお分かりやすくなんか出てくるわけだよね。
自分がどの趣味の共同体に何を託しているかっていうのが重要だった人間っていうのはいるわけですよ。
で、前置きが長くなったんですけど、そういう見方をしていくと焦るんだよね。
見るべきもの、チェックしておくべきもの、知っておくべきものが増えるから。
要するに自分がその趣味の共同体に行けてる場所にいたいとなったときに、チェック項目が膨大にあるわけだよ。
それをちゃんと全部抑えていこうと思うとすごい疲れるわけだよね。
そうなったときに処理すべき情報とかチェックすべきタスクに多分なっていく。
42:00
なっていかない人が本当に好きだなってするわけで。
そういう人がラマとヘロシみたいになっていくんでしょ?
だいたいそうなんだと思う。趣味人という人はね。
だけどそこの趣味の共同体に何かしら幸せを感じていながらもついていけないみたいなときに、焦るとそれを全部チェックしたくなるんだよね。
マラソンになっちゃうよね。
だけどそのマラソンって楽しいっけ?みたいなことなわけで。
ある意味そういう楽しみ方もあると思う。
その趣味の共同体をコンプするためにある意味倍速だろうが斜め読みだろうが全部チェックしてちゃんとその話題についていけるっていう楽しみはあるわけで。
でもその楽しみは要するに四角コレクターみたいなのと似たような。
とりあえず自分の中に何かが蓄積されてて、それがきちんと勉強した内容とコミュニケーションが合致することの楽しさみたいな。
これはめっちゃ素朴な話で、僕がどんどんエースでの役者の名前とキャラクターの名前との組み合わせを全部覚えていくみたいな素朴なところから色々あるわけじゃん。
物を知っていく面白さ。というかこれについては自信を持って語れるみたいなね。
のが一個。
倍速視聴しててさ、自信を持って語れるの?
それは知らんけど、要するに倍速視聴の中で、みんながみんなそうじゃないけど、一個仮説として、
要するに昨日テレビのあれ見たっていう教室での話題が配信になった結果膨大な量になっていくわけじゃん。見るべき番組が。
でそれをちゃんと頭に入れた上でその会話をしたいみたいな。
令和のプルストテキスノビズムの一環としてそういう倍速視聴の需要があるみたいな話が一個あるわけよ。
そういうのって自分の参与したい趣味の共同体に参加するためのタスクみたいな感じの発想なのかなみたいなことね。
これは今もずっと長らくいない人の話をしてるからそろそろ軌道修正したいんだけどのがあるのかなっていうね。
僕はでもその気がちょっとあるわけだよ。
読んだことにしたいもんね。
読んだことにしたい。読んだことにしたいのはなぜかというと僕が思う僕が描く理想の僕の書き手としての僕というのはその辺までちゃんとこうもちろん抑えているべきだからなわけだよ。
このべきだからっていう規範意識を何かしらの共同体に託しているわけだよね。
45:06
そこが分かんないのよね。私が分かんないだけなんだよね。
それは結構ね多くの人は分かってくれると思ってる。
べきというのがさ、その共同体によって要請されている規範意識だと言っているけど、それはそう思っているだけで、
それはその共同体の規範意識を内面化しているだけで、単純にそういう僕だったらかっこいいっていうだけでよくね。
でもそうなんだけど、そういう僕の方がかっこよくねっていうその発想自体がそもそも本当に自分だけの内発的に欲望化ってそうではない。
それはさ、過去に同じ趣味の先輩がそういう感じで、あ、そこから引いてくるんだみたいな発言をしているのを見て、かっけえ、俺もやりてえって思ったっていうだけでよくないって思っちゃうわけ。
もうちょっと詳しく。
なんかさ、他の本読みがさ、別ジャンルの古典とかを引いててね、そういう読み方できるとかっこいいよねっていう経験があって、
自分もそれができそうみたいな題材に当たった時に、じゃあだったらこれとこれの話をしたいなってなりますと。
でもそれは、あるとされている本読み界隈がそういう本読みはかっこいいよなっていう規範意識をあなたに要請しているわけじゃなくて、
単純にあなたが今まであったかっこいい本読みならそうするっていうのに従っているだけじゃないのっていう。
っていうのを今あなたが言ってるってね。
それはね、明確に違うと思う。
違うんだ。
うん。
違うんだ。そうなんだ。
あのね、趣味の世界っていうのは、コードが、規範がないとそもそも成立しないんだよ。
この前飲みに行った時にさ、例えばね、パンクスがヒップホップのライブに行く時にさ、ライダース着て行ったらさ、
ちょっとここにはお姉さんが喜ぶような音楽ないと思うけどって、すごいダボついた格好をしたお兄さんに生言われてブチ切れたみたいな話をさ、聞かせてもらったじゃん。
でもあれは、実際ね、そういうね、こう規範があることによって成立している共同性っていうのは必ずあるはずなんですよ。
要するに例えば僕があなたについてVKのバンドのライブに行くみたいな時に、
48:00
例えばね、僕が一人普通のフラットなざっくりしたセーターにGパンで行くと、
絶対にとりあえず浮きはするわけだよ。
受け入れられる。
連れてこられたんだなって。
そうなるわけじゃん。で、そこで明らかにそれは異物としてあるわけじゃん。
で、なんかそのぐらいのこと?
というか、着こなしで所属がバレるんだよ。
なんか、それはさ、教室でもそうじゃん。
腰パンするやつとそうじゃないやつとで、その所属しているグループが違うってことは明確にそこでわかるわけじゃん。
で、どの行動に従ってるのかっていうのはそこでこうはっきりと決まっていくわけでしょ。
で、本読みもそういうのがあるの。
要するにこの本を読んでいるような人っていうのはこういう本も読んでるでしょっていうのは、そのね、中にいればいるほどわかるわけ。
でもそれはすごい外側から関係なしに見てる人からしたらないような際かもしれないけど、
その際が決定的に重要だったりするわけだよ。
っていうのはあると思うよ。
じゃああなたは出読書を読んでないんだ。
出読書を読んでないね。
そっか。
だから僕は分かった上で、本当はすごくそのVKのバンドが好きにも関わらず、
すごい全身アースカラーでライブに行っちゃうみたいなタイプなんだと。
マジでそういうものが分からない私と、分かった上で特に乗らないあなたってこと?
そうそうそうそう。
それは全然別だね。
そう、で、完璧に同化はできないなって思いながら、居心地は悪いけど居心地が良くなるよりはこっちの方がマシかなみたいな気持ちになるのとの違いみたいなのがあるはず。
なるほど。
だからそう、でもあなたはさ、それがさ、ない。その発想がない。
うーん。
例えば天望のさ、現場だとさ、面からコーデみたいなのがあるじゃん。
なんかイメージカラー、黄色のキャラのオタクは全身黄色で行く。
うんうんうん。
と、ワンチャンファンサーがもらえる。
うんうんうん。
あとまあ、このキャラのオタクなんだなってなるっていうさ。
でまあそれによってお祭り感、お祭り気分になるのか知らないけど、まあ上がるわけでしょ。
で、まあ私の推しキャラのカラーが黄色で、私黄色が本当に苦手色なんですよ、顔色とか。
うんうんうん。
なんか、何回か悩んでる。
あ、そうそう。
今さっきの話をね、あなたに伝わるように話せる気がいました。
うん。
51:03
要するにね、何かそのこう作品に触れる時っていうのは、
すっごい大雑把に言うと、2つあるんだよ。
関心のベクトルというかタイプが。
1つは自分がとっても楽しいこと。
で、もう1つは自分の参加がその何かしらの共同体や作品そのものにこう寄与しているっていうことに喜びを見出すものの2種類があると思うわけ。
で、僕はあんまりそこの参加、その寄与、作品に寄与していくことへの喜びっていうものへの関心性が僕は鈍いと思う。
うん。うん。
要するにこれはその、例えばそのライブとかに行った時にヘドバンを周りがしている中で僕はヘドバンはしないとか、
なんかすごい振りが決まっている乗り方に対して、いや好きにさせてくださいって思うみたいなのは、
それは基本的に僕とその作品との間で好きに楽しませてくれよっていう方を優先して、
で、そのこの共同体においてはみんなこうやって首を振るもんだとか、こういう風にギターに咲くもんだみたいなのに対しては積極的に、意思的に乗らないという選択をこうしていくわけだよね。
で、例えばそれはさっきの話で言うと、その面から起きていくことで過剰な不安さを受けて記憶をなくしてしまうよりはちゃんと作品をしっかり見たいから星の色は身に付けていかないんだとか、
あとは単純に自分に似合わない色だから身に付けていかないんだっていう一つの判断もあれば、逆に別に自分のことを見ているわけでもないから、
この劇場の中で一人でもこの星色が増えていた方がいいだろうっていう判断で黄色を身に付けていくっていうのがあるわけじゃない。
さっき僕が言った趣味の共同体に向けて何かを、作品を消化していくというかタスクとして潰していくみたいなあり方っていうのは要するにその黄色を着ていく側の発想に属する発想なんじゃないかなっていう。
あなたはそのファンの共同体についてはあんまりピンとこないかもしれないけど、作品自体に対しての賛意をするみたいなことに対しては分かるなっていうことかなって思った。
そうだね。
54:04
なんかそういうのがね、あったりするのかなっていう。
好きにすりゃいいじゃんと思うんだけどね。
でも好きにすりゃいいじゃんという時に好きにし方としてなるべくもそっちに貢献していくというさ、あり方はさ。
なんかその熱量とかベクトルとかスタンスとかは多分全然違うんだけど、そのファン、客席内の連帯の共感性が分からないから私には。
あなたに、自分が病院行くけど特に今したい髪型がないから好きな髪型ないとかしてほしい髪型あるって聞くじゃん。
それは私はどうでもいいから一番私のルックスを見る人のQOLが上がった方がいいかなっていうので参考意見として聞くわけで。
面から切るのもさ、似たようなもの。
舞台上と客席の関係性で言えば、自分を応援している人が可視化されている方が拍手票が増えるより。
いいよねっていう方向性なら分かるし、なんなら逆はあるの。
そんなに好きじゃないキャラの色は着ないどこみたいな勘違いされても困るし、させても悪いしみたいなので避けようっていうのはそっちは結構あるけど。
でもそれ結構さ動機として弱いんだよね。
消極的な判断だよね。
そういう解釈なら分かるかもって思って、やろうかしら、どうしようかしらっていう感じだよね。
何の話してたんだっけね。
要するに僕が、さっきの話で言いたかったのは、あなたに共感してもらえないけど、一般論というか僕が思っていることで言うと、
共同体に資するような参加の仕方っていうのは、多分作品との接し方がある程度情報になると思う。
要するにこのキャラクターに紐づくのはこの色とかもそうだし、それ以外にもこの作品が今こういう風に授与されているみたいなことに対して、
ちゃんと自分もどういう参加の仕方をするかとかっていうのを考えながら、ある意味その量とか量も含め、ちゃんと今のトレンドを抑えてますよっていう楽しみ方があって。
57:10
その楽しみ方は僕あんまり適性がない。それをやろうとすると全部チェックしなきゃみたいなタスクになっちゃうから嫌だなって思うわけ。
だからこれなんかある意味情報を楽しむ。情報と遊んでる。でもその情報と遊ぶこと自体は楽しいと思う。
今日話さなかったこのノートの話っていうのは、要するに膨大な情報を自分なりにイケてる整理の仕方をする。
ピタッと収まるところに収まっていくっていう、その分類の楽しさってあると思う。
選手名刊見て今にはできるタイプの楽しみ方よね。そもそもできないから憧れるんだけどそういうのがあるわけで。
でもそうじゃなくて、あなたのように、ないしは僕のようにでもいいけど、お気に入りの舞台の映像だったり記録映像を5回も6回もずっと見ながらニコニコできるっていうさ。
そういう楽しみ方があるわけじゃん。別にこれは対立するわけじゃなくて同居もするけどね。
でもどっちの方が至高としてあるわけじゃない?みたいな時にね。
同じ楽しみ方ではないというか、情報処理の仕方がちょっと違う気がするんだよね。あまりまだうまく言えないんだけど。
最初に言った情報処理としてのインプットしたいものとしての3倍速だろうが、とにかくざっと目を通したい、ないしは通すべきだと勝手に思ってしまっているもの群と、
とりあえず統率的なあり方で、とにかくそれを楽しく味わいたいみたいな欲望って、同じ作品の商品でも別のことが行われている気がするっていう。
なんかすごいそもそもの話するけどさ、3倍速で聴けてるんだよねあなたは。
うん。
だったら遠吠えと一緒じゃない?
うーん。
てか取りこぼす、なんていうの?3倍にすると取りこぼすのに3倍で聴くの?
あ、いやだから、そもそも。
あなたには聴く能力があるから3倍で聴けるんじゃなくて。
まあそれもあるけど。
てかぼーっとしてたら遠吠えでもさ、なんか今5分くらい聴いてなかったっていうのあるわけじゃん。
あるある。あ、でもだからなんていうのかな、なんていうのかな、えっとね、むずいな。
1:00:05
ぼーっとしてめっちゃ聞き漏らしてる遠吠えとさ、集中してガッと聴いてる3倍ってさ、なんか比べられる?みたいな。
てか比べたとき、ちゃんと集中して聴いてるんだったら3倍の方が良くない?って思っちゃうんだけど。
そういう話もある。そういう話もあるけど、どっちかっていうと、なんかまあそれでもいいんだけど、なんていうのかな。
でもなぜじゃあ遠吠えで聴くのかっていうことよ、一種のポートキャストは。
それに興味があんのよな。
あ、自分で?
うん。何が違うんだろうっていう。
ポエティクラシは音楽なんじゃない?
そう、音楽はね、倍速で聴かないもんね。
聴く人もいるのかもしれないけどさ、音程変わっちゃうじゃんね。
そうそうそうそう。
だから要するにその演劇とか映画も顕著だけどさ、要するにそれを時間芸術として捉えるとすると、そもそもその時間を作ってる。
時間を彫刻してるから、その時間というものをどのようにパッケージしているかっていう関心の持ち方をすると、そもそも倍速にするという発想と馴染まなくなっていくわけだけど、
それを倍速にしてもその中の内容?
シナリオにしか興味がないんだったら倍速で行けるよね。
そう、だったら別に倍速でもいいっていうさ、話なわけだよね。
だから本でも別につまみ読みだろうがなんだろうが、そのピックしてそれで十分な本っていうのは別にあるから、
そういうような読み方もするのもあるし、逆に一行一行が毎回なんかこれはって思いながら全然ページがめくれない本っていうのもあるわけじゃん。
で、なんかこの二つって同じ例えばその作品を見るとかさ、作品を読むという言葉で表されるけれども、なんか別個の行為じゃん。
うん、うん、うん、うん、うん、うん。
今本に限って話してる。
本も映像も何にせよ、なんか全然別の行為だと思うんだよ。
うん、うん、うん、うん、等速と倍速がね。
そうそう、でむしろ倍速の方がわかりやすい。つまり我々は情報を摂取してるんだと言える。
音声コンテンツにせよ小説にせよ、映画にせよ何にせよ。
でも情報を摂取したいだけなんだったら倍速にしても変わらないのであれば、このわざわざ遠前で見たり読んだり聞いたりするときに我々は一体何を見たり聞いたり読んだりしてるんだろうかっていうのが、なんか最近ね、興味がある。
1:03:00
うーん、圧縮できない情報じゃん。
圧縮できない情報って何?
まあとかよく言う。
いや、わかるんだよ。わかるんだけど。
というか、速さを変えると失われてしまう情報がそのメディアの中で重要度が高い場合それは倍速になじまないっていう話をしてるよね。
いや、そうしてるのしてるの。
そうしてるの。
そもそもさ、本に遠足って存在しないじゃん。純粋に時間の話だけで言ったら。だって人それぞれ何だろう読むスピード。
まあそれはそうなんだ。
今あなたはその遠足的な読書と倍速的な読書をそのちゃんと一行一行読むことと、なんかその要所要所だけピックアップして読むで対比して語ってたのかな。
うーん、まあおおむね層。
で、そのさ、それによって減る情報はピックアップ読みによって。
だからそれでそもそもピックアップ読みでいいものっていうのは情報しか取ってないっていうことなわけよ。
厳密には両方情報なんだよ。両方情報なんだけど、その情報っていうのは圧縮可能なものなわけじゃん。
基本的には。
その伝達が可能なように加工して、そのもう少しより簡便な形で再利用できるものだったり、再加工できたり伝達できたりするものっていうすごい狭い定義で情報という言葉をここで僕は今使ってて、
その圧縮した途端に損なわれてしまうものを、なんかうまくねこの情報という、今競技の意味で使っているこの情報というものと対比的になんかいい語がないかなっていう話なの。
それ差別化したいってこと?
うん。差別化したいっていうかなんかね、いい感じにそれを言い表して、いい感じの二項対立を作り上げたい。
二項対立中だね。
作業仮説としてなんかその、僕は割と圧縮不可能な情報に興味があるんだけど、圧縮不可能な情報のこと圧縮不可能な情報って一言って言うとさ、圧縮不可能な情報と圧縮可能な情報だとあんまりかっこよくないじゃん。
1:06:09
今日の会話でずっと会話見えてたあなたの結局かっこいいのが好きっていうのが出てきちゃったね今ね。
かっこよく言ったね。
かっこいいとか頭いいとか教養があるって思われてんだっていう。
なんかイケてる、イケてる二項対立作りたいんだよ。
今の会話で言うと圧縮可能という言葉自体がめちゃめちゃデジタルの言葉じゃない。
デジタルとアナログね。
デジタルとアナログでアナログの方が冗長的に豊かなものであるという言説があってさ、私はそれにケって思うんだけど、それでいいんじゃない。それでどうでしょうか。
嫌です。
嫌だよね。
なぜなら僕はデジタルとアナログの対立はアンチだからです。
分かりますよ。
むしろ結構僕の元々の今のこの一連の話の大元にあるのは、要するにデジタルアナログの安易な二項対立を脱却するために別で欲しいわけ。
別で欲しい時にそもそも僕が言いたいのって倍速がダメで等倍的なものがいいって話でもないわけ。
要するに圧縮可能な情報はいくらでも圧縮した方がいいに決まってるし、そうじゃないものについてはそのまま見た方がいい。
でもじゃあ何が圧縮可能とされて何が圧縮可能としないのかっていうのは今結構さ、人によるわけだ。
ここに対して何かその判断基準としてこういうものについては圧縮しない方がいいっていう。
もしくはこういう何かに対しては圧縮は人によってはしてもいいとかなんかそのねこう判断基準としての二項を作っておきたいというか。
自分にとっての好みとしてはこれは圧縮したくないみたいな。
今の話ずばりじゃなくて言ってることをざっくりまとめたら情報を処理する側の適性及び特性とその情報の強度。
要は速さを変えて消えてしまう情報というのは脆弱だっていう言い方もできるわけだよね。
今日その情報の圧縮可能性が高いもの低いものと情報処理者の回答能力、圧縮に対応するものなのかなって。
1:09:03
例えば今の発想でいくと多分演出をしたことがある人ないし演出を見るのが好きなタイプの人は多分技曲本を読んでるだけでもある程度絵が浮かぶんだよね。
私はないから技曲で読むと言葉だけしか、逆に言葉だけに向き合うなら技曲本を読まないとできない。
でも私は多分文字に引き寄せられちゃうから字幕出てると表情見れなくなっちゃう。
字幕なしで映像を見ていると文字がそんなに入ってこないというか文字を含んで演じてるからその演技を見ていればその文字通りではなくても意味は入ってくるわけじゃん。
別にそれを食べてると思ってるから演技に関しては。
でもこのセリフはそれこそキラーワードだから絶対残したいと思って俳優が演じた言葉は残るけどそれをするためにはやっぱり濃淡つけるわけじゃない?セリフの発し方に。
だからセリフそのものよりも今起こっていることにフォーカスしてほしいというところのセリフは残らないんだよねちゃんと。
だから私にとって、私にとってというか、演出通貨、劇場の演出通貨部にとっては情報処理能力と空間であったりイメージとの結びつきが強いからそれができる、回答できると思うんだけど、
適正のない人間にはできないという一例としてどうでしょう?
情報に対して人によってその情報からどれだけのものを読み取れるかっていうところに濃淡があるのはその通りだと思う。
かっこよくまとめないとだめ。
いや、うん。大丈夫。これは今の僕の課題だから。どっかのタイミングでかっこよくまとめてて、どや顔するから、どっかでね。
1:12:01
デジタルVSアナログなんてもう古いぜって。
てかもう、あんまりわからない。言葉がデジタルじゃんね、そもそも。
そうだね。
そもそも言語化可能な領域とそうじゃない領域っていうふうにざっくり分けてもいいのかもしれないけどね。
今さ、自炊者になるための26集っていう本読んでるんだけどさ、あの本、食事だとわかりやすいんだよね。
僕たちってさ、何かすごい風味豊かなものというかさ、味にレイヤーがすごいあるものを食べるとき頭がいい味とかするっていうじゃん。
で、頭がいい味がするものを食べてるときってさ、同じ量でもさ、すごい時間かかるんだよね。2時間とかかけて平気で食べれるわけじゃん。
だけど頭が良くない味がするというと語弊があるが、うま味一直線というかさ、それこそ稲田俊介語法で言うならばまずみがないご飯っていうのはさ、15分で食べ終われるわけだよね。
で、これはまさに圧縮可能性のさ。
最初から最後まで同じ味がする。
そうそう。最初から最後まで同じ味がするものっていうのはもう2倍速でいいわけだよ。だってずっと同じなんだから。
異種類の情報しかないからね。
そう、だけど一口食べた途端に最初にこう…
分かりやすいのはパフェだよね。
この風味が来た後にこの風味が来て最後スーッと抜けていくのはこの香りなんだみたいなものに関しては一口にいちいち立ち止まる必要がある。
というか逆にでもそれをペロリと食べてしまうこともできるんだけど、それペロリと食べた途端にその味のレイヤーのドラマはさ、味わい損ねるわけだよね。間違いなく。
ゆっくり食べないとそれはないわけじゃん。みたいな、そういう違いなんだろうなって気がしてて。
要するにどれだけその1の情報の中に無駄な情報を、多くの情報を読み取るかどうかっていう話なのかもしれないな。
何が?
さっきの僕が言ってた、倍速的なものと等倍的なものとの間にのこう差異っていうのは。
倍速でパフェ食べると美味しかったしか出てこないってこと?
味のレイヤー、食べるという体験において美味しいの一言で済ませていい、済ませる他ない食事とよく吟味するとそれぞれの味の展開がある。
その展開を楽しむっていう食事があるとき、なんていうのかな。
その展開させるっていう作業には必ず一定の時間が応用するわけだよっていうことなのかなっていう。
1:15:24
全然ピンときてないけどね、あなたが今。
時間芸術以外で等速とか倍速とかって存在する?
うん、するでしょ。
基本のBPMがないじゃん。そこまでデザインされてないものに対してはなくないっていう。
いや、あるよ。
ある?
例えば私たちの会話ってさ、何のデザインもされてないしさ、管理もされてないしさ、管理できてないじゃん。
今これがどうやって決着するかもわかんないし、何分で決着するかもわかんないじゃん。
その場合、等速は私たちの思考スピードのこと?
うーん、いや。
アウトプットの速度のこと?
うーんと。
アウトプットってさ、この喋ってる。
先に倍速からいこう。
倍速は我々ができないこと。
どういうことかというと、アジェンダが決まってて、そのアジェンダに対して建設的な議論を積み上げていって、最終的にその納得できるゴールにたどり着くような情報の応集。
要するに我々が語っている内容、それ自体がとても意義深かったり、面白かったりすること。これが倍速。ようやくできるようなお喋り。
倍速の意味広げすぎじゃね?
だって別に倍速の話はしたいわけじゃない。倍速的なものの話として思考実験してるだけだからね。
そこに別に僕は厳密さを求めてないよ。
じゃあもう時間の話するの意味ないじゃん。
え?
だって時間の問題じゃない。速さの問題じゃないでしょ。
いやいや、だから倍速的に体験することが可能なものとそうでないものがあるっていう仮定がまずあるわけじゃん。
要するに早送りできるものとできないものがある。
1:18:00
できないって、もしくは早送りすると失われるものがあるっていうときにそれは何なのかっていう話だけをしてるから。
あ、そうなの?
そう。
え、結構そういうあれで噛み合ってたよここまで。急にどうしたの?今急にハシゴを外された感じなんだけど。
時間芸術に対して倍速主張するのは冒涜だと思うけど、
時間の概念自体が読み手に委ねられてる本であるとか、
ポッドキャストもね、人は1分に何文字くらい処理できるからこのテンポで喋ろうって考えて作ってる人のものを倍速で聞くのはどうなのって思うけど、
私たちみたいにダラダラした会話にテンポのユーザビリティなんてないわけじゃん。
だからその各ユーザーにとってちょうどいいスピードで聞けばいいじゃんって思うわけ。
だからそのテンポを変えるということに私は割と気を取られてるから、
なんかそんなに具体的にテンポの話はなかったんだって今なってんの。
具体的なテンポの話はあんまりしてない。
知らない。
むしろその具体的なテンポというものが重要とされるときとされないときがあるって話なわけじゃん。
要するに倍速にするとテンポが崩れるわけだから。
テンポが崩れても構わない種類のものと、そうでないものがあるという話だよね。
それはわかる。
でもそれだと結局倍速で失われる情報というのの一つはテンポってことになるよね。
そりゃそうだ。
それはそりゃそうだで済むんだよ。
だから僕にとって興味があるのはそのテンポというものによって担保されている
そこの情報であったり体験だったり経験っていうものはどんなものなのかということをずっと話してるつもりだった。
さっきパフェを一例として
僕パフェの実用にあんまりピンときてなかったのは
あなたが言ってるパフェって時間的にさ、時間の経過に伴って味が変化していくことについて話してるわけでしょ。
情報量が多いって話をしてる。
僕はどっちかっていうと
マックとパフェで喋ってるつもりだった。
僕はマックとスパイスカレーで話してるつもりだった。
何が違うんだ?
パフェは一つ一つの味の情報はそんなに多くない。
要するに組み合わせじゃん。味の。
だけどスパイスカレーとか出汁とかっていうのは一口で含まれる情報量が多い。
1:21:05
っていう違い。
パフェを上から食べていくか
こう、なんていうの?
要するにパフェの方が時間芸術感が強い。
それぞれのブロックごとにドラマがあるって話。
僕はただ単純に一口食べた時の情報量の差。
一口の情報量の差。
その一口に倍速が可能かどうかはあるわけだ。
要するにいいものというか頭のいい味のものを食べた時に
まず口の中に近づけた時に匂う
鼻から入ってくる情報を歯を立てる時の歯ごたえ
噛み切るまでの間に起こる食感の変化
その間に鼻腔の方に移ってくる風味がどんどんグラデーション変化していく
最初にまず始めに強くくる素材の味から
徐々に別の素材の味に変わっていって
喉を通過していく時までに
4種類か5種類くらいの何かの素材の味を感知する
みたいなことを頭がいい味と言うわけだ。
マクドナルドのハンバーガーが1位なわけだ。
要するに
想像した通りの味が最初から最後までするっていう
この想像した通りの味が最初から最後までする情報
マック的な情報は
確かにどんだけ倍速にしても失われるものはないわけだ
だけどこっちのいろんな味が腰の中で展開していく
っていう一口に関しては
その一口に時間がかかるわけだ
っていう話をしてた
それを別にお腹空いててバクバク食べちゃうと
これはよくあるけど
僕がそれをお腹が空いててすごいバクバク食べて
ああ美味しかったねって言って一言を済ませたら
あなたはその一口の情報量に気を取られて
全然済んでないみたいなことが起きるとき
あなたの方がある意味ちゃんとそれを
等倍でしか捉えられないテンポや情報を
捉えて食べてるわけじゃん
だけど腹ペコでとりあえずガツガツ食べちゃった僕は
その情報のレイヤーをキュって圧縮して
マックのハンバーガーぐらいの情報量として
体験してしまう
みたいなことが起きるよね
そうなったときはやっぱりそういう頭の癒しのものは
ゆっくり落ち着いて食べた方がいい
っていう話をしてた
いや分かるのよ
分かるんだけど
それこそさ
例に引っ張られるわけじゃないけどさ
食事のスピードって人それぞれじゃん
その人の動速で
1:24:02
従前に味わえてるんだったら
私の倍の速さであなたが食べてたとしても
あなたにとっては動速じゃん
そこまで具体的な話はしてないっていう話
本に関しては同じことが起きるじゃん
単純に読むのが速い人とさ
遅い人がいてさ
でもそれはそれぞれその人の動速じゃん
なんであれ
って思って
テンポの話で
でもそれはテンポの話だよ
要するにもともとの読むスピードの速さは
自分にとってのテンポじゃん
そのテンポより早めたり遅めたりできるわけでしょ
自分の中で
だから自分の従来の基本テンポよりも
早くさっさと読むこともできれば
さらにゆっくりとじっくりと読むってこともできるわけじゃん
その基準点の個人差は
個体差はあるにせよ
その中で起きているテンポの変化は変わんないでしょ
っていう意味で言うと
だから別にそこに共通のBPMがなかったとしても
共通のそのテンポとして
他の人と合わせることはできなかったとしても
その人にとっての基準点1があって
それをどう刻んでいるかっていうところでリズムが決まるんであれば
それはやっぱり読書にはあるよ
等倍的なものと倍速的なもの
要するに普段の自分のテンポというものに対してどうするかっていう話だから
分かったよ
分かったよ
そうだね
なんかやっぱあるんじゃないですか
今のあなたの話で言うと
そうですね
あるっていうことになりました
じゃあ今回は急いで読もうってすることがあるんだ
それはあるし
別にこれはそんなに
Macの半端はみたいなもんだなって思ってさあって読むみたいなのもあるわけでしょ
逆にその一行一行にすごいなんか
待って今なんか山椒っぽい味した
みたいな
山椒の後になんかもう一個柑橘っぽい
なんかこれ知ってるんだけどこれなんだっけみたいな
ぐらいの注意深さで一行にずっとこだわり続けるみたいなこともあるわけでしょ
そうだね
うん
そうだね
うん
分かった
すごい分かってくれた
ありがとう
うん
付き合ってくれて
うん
付き合ったせいで長くなっちゃった
いやでもなんか久々になんか
これはぜひ倍速視聴で
いやそうこれ今日のはね非常に倍速視聴してもちゃんとこう損なわれない情報
有益な情報が詰まってるんじゃない
とかそれがそのね
1:27:06
分かんない
今せっかくなんか終わりそうだったのに
じゃあもうちょっとだけ
だって今これをそれにはさあ具体的な倍速が存在するじゃん
この喋りはな
うん
そりゃそうでしょ
えそれがどういうこと
何が分かんない
もう何も分かんなくなっちゃった
なんで
なんでどういうこと
え何
今全然あなたの引っかかりが分かってない
なんかこっち側がさ
意図していてもしてなくてもテンポをさ提示してしまう
まあ我々の会話そりゃそうでしょ
だって今もこの速度でしか喋ってないからね
そう
難しいなと思って
なんていうのそこまでデザインできないなって思って
それはできないでしょ
だってそもそもしてないんだから
でだからそれを受け取る側が
この今のこの喋りをどういうものとして捉えるかっていうのは
それこそ僕らではコントロールできないことなわけで
で僕らにとっては僕らの録音っていうのは
それだけでかなり面白いわけよ
多分僕ら以上にこの録音から
この録音で喋られている言語の内容以上の情報を受け取れるのは
我々二人だけなわけですよ
つまり我々二人はこの録音を聞き返しながら
この日は調子に乗ってたなとか
この日はなんかすごいお互い全然噛み合ってないなとか
この時あなたが考えてたことは別のあれのことで
僕の話が全然こうあさってのとこに飛んでるなとか
逆にあなたがすごいずっと正論言ってるのになぜか僕が
なぜかすごい勘違いに固執して
なんか意固地になって賢悪なムードになってるけど
これ何だったんだろうなとか
そういうことをさ思い出せるさ情報が入ってるわけ
これはだからその一口の中で
味のドラマが繰り広げられるものとしてあるわけじゃないですか
でそのもう一方にその話してる内容自体
その人たちがその今日のこの議論の経過
それ自体に興味を持ってますってなったら
もうこんなだらったらだらったらノタ食ってるやつを
全部聞いてる暇なんか絶対にないから
2倍速3倍速でチャラチャラって聞いて
それっぽいやっとこう議論が進展してるなっていうところだけ
ちょっとつまんでおけば十分なものになるんでしょっていう
別に僕今この喋りそれ自体がこれは倍速に最適化しようみたいなの
な意図を持ってやれるような議論を持ってたら
そもそも今どきこのポッドキャストはめちゃくちゃ収益化して
1:30:02
こうやってるんじゃないですか
倍速にならない倍速的な情報にならないものとして
だから僕はさっきこれはこれは倍速的に
倍速でも聞けるんじゃないかって言ったのは
今日はちゃんとそういうその何内容
ないよなかったよ
あったかもねっていういやだからそういう
締めを言いたかった
締めを言ってであなたにそんなことねえよって言われて
どうもありがとうございましたになるかと思ったら
ちょっとあんまりうまくそこは共有できなかったなっていう
はい
ということで
小家ティックラジオ
お相手は私関係ないしょうがと
奥さんでした
どうもありがとうございました
01:30:55

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