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はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。お相手は、私柿内正午と奥さんです。どうぞよろしくお願いします。
ということで、今日は友達について話していこうと思いますが、
僕は、この前の日記祭りで奥さんとおしゃべりしたときに、
お友達ができるってことをちゃんと支え合おうと思ってますっていう話をしたの。
その後も、基本的にお友達欲しいよっていうことをいろんなところで言ってるの。
で、たぶんこのポッドキャストでももう100回ぐらい言ってると思う。
友達が欲しいみたいなことを。
まあね、何でもいいんだけどさ、とにかくなんだろうな。
その場では奥さんは、内輪感みたいなのがあんまり好きじゃないから、
そういうのを出さないように、ある程度の孤立を守るじゃないけれども、
自分の位置っていうものできちんと保ちたいっていう話だったと思うんだけど、
僕はむしろ、本読むときと同じスタンスで、基本的に乗っ取られたいじゃないけれども、
本読むときも基本的に自分の考えで読むわけじゃなくて、
本の考えに乗っ取られるように読むわけじゃない。
それと同じような感じで、
要するに他人の自分にはない新鮮な脳の一部を自分に移植するじゃないけど、
そういうような経験を求めてるなみたいなことを思ってるわけですよ。
友達っていいなっていうのはね、今日話そうかなっていうふうに思ってる。
キャブ大使、繰り返していいか?
いいよ。
友達に対して、新鮮な脳みそ扱い、友達じゃなくないですか?
そこなんだよね。だから僕が欲しいのは新鮮な脳みそであって、友達じゃないんじゃないかっていう。
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結局あなたの知識力のために他人のという外部ハードディスクを求めているだけで、そこに友情とかないよね。
それはね、すごいね。
マジ面白い脳みそだなーみたいなインタラスティングっていう感情じゃん、それ。
いや、めちゃくちゃおっしゃる通りだと思う。
そうなんだよ。僕が友達欲しいって言ってるけど、友達が欲しいわけじゃないんだよ、きっとね。
コンテンツとして他人を求めてるのでは?
コンテンツとしてって言うと語弊があるけれど。
すごい悪い言い方をするとね。
要するに本と人をそんなに区別してないんだよね、僕はね。
なんかおもろいデータベース。自分とは別の道行きを経てデータ収集をしたデータベースをつまみ食いしたいみたいな意味にも取れるよねっていう。
一個そこはあるのは、例えばデータベースとか言い方もそうだしさ、インプットとかもそうなんですけど、
基本的にそういう、あれ?有機物じゃなかったんでしたっけ?みたいなアップデートとかもそうだけど、
人間とOSをあまり区別しない語彙っていうのが割とポピュラーになりつつあるけれども、
それはちょっと違うじゃない?
本読むのも別にそういう知識を蓄積するとか、自分の考えを更新するとか、今別に漢字に置き換えてるだけだけど、
言ってることとしてはインプットとアップデートなわけじゃん。みたいなことのためにやってるわけじゃない。
というかさ、すごいうさんくさい言い方をするとさ、人間に対する興味なわけじゃん。
これまでの文脈の中で、それぞれの状況下で、個人個人っていうのは一体どのような世界観だったり信念みたいなものを持って、
この世を認識しているんだろうかっていうのに、ざっくり言うと興味があるから本を読んだり、人と会いたいなって思ったりするっていうのが、
今の僕のスタンスなわけじゃない。だからそれはかなり理工的ではあるし、
ある意味では人をコンテンツ扱いしていることでもあるんだけれども、
それより前にそもそも人、おもろくないっていうところが多分スタンスとしてあるんやと思うんだよね。
だから最近のこの2年ぐらいの好みとして、本になりそうにない人の本が好きなんだよ。
これは僕だけじゃなくて多分、ヨガそう。東京の生活史っていう分厚い本があったりするのもそうだけど、
社会学っていうもの自体のさ、あれがこの何ていうのかな、定量的な、100人に聞きましたじゃなくてさ、
06:04
1人の話を聞くっていうものだったりするわけじゃない。
そういう方向に行くのとか、それこそ今僕も端っこの方で恩恵に預かっているさ、日記本ブームとかもさ、
そういうことなわけじゃない。だからそのね、そういう一環なんだろうなって思うんですよね。
友達が欲しいって言うと違うのかな、人と会いたいのかもね。
うーん、いきなり記憶深くといてあれだけど、なんかその、面白い人だな、気の合う人だな、
より前に友情を目的にするのもなんか違うし、後からくっついてくるものって構築されていくものじゃん。
だからその人が、いいリベート相手になるか、友達になるか、両方になるかは、
交流をする中で、なんかそういう感じだなみたいな、わざわざ名付けることはしないけど、
なんかそういう、自分の中でそういうポジションだな、この人はみたいなのができてくる。
そうだね。
だから何にもわからなくなっちゃった。
何にもわからなくなっちゃったね。
思ってるのはね、あなたはどうなのかな、一旦僕だけの話にするけれども、
実はすごくテキスト変調な人間じゃない。
どこが実はやめなんだけれども、要するに言葉、言語が最高というスタンスを、
例えば我々の中でも一つ持っているわけじゃない。
どういうことかというと、とりあえずなるべく言葉にして、
お互いに共通、理解を作っていきながら擦り合わせていって、
ここは触れんとことか、ここは突っ込んでも大丈夫みたいなところも含めて、
だいたい言語で明示化するみたいなところだったり、
そもそもなんだろう、これって、もやもやとか、
基本的にまず言葉にしてみて点検が始まるみたいなところがあるじゃない。
でもそれって実は人類のごく一部の人間の特性で、
本来そんなじゃない人たちもたくさんいるわけじゃない。
09:01
多分ね。
そういう人たちにとってのテキストって、
自分の使いこなす道具じゃなくて、
既成の洋服とかと同じようなものなのかもしれないと思うんだよね。
だから、ありものを買ってくる、ありものを取って自分のものを出すみたいなさ。
何が言いたいかというと、
友達が作りづらくなっている理由の一つに、
ツイッターを中心としたテキストベースのコミュニティツール、
コミュニケーションツールっていうものの主流になっていることがあるんじゃないかって思うわけですよ。
要するに、
例えば小学校とか、幼稚園から小学校からの友達っていうのはさ、
たまたま近所だからなわけじゃん。きっかけが。
で、その小学生がすごい、
小学校にあるかわからないけど思想的に偏ってるとかさ、
逆カプだったりとかさ、何かしらのそういう相反する部分があって、
ブロックするみたいな経験はないわけじゃん。
だから、
特にそこの話題に触れずになんとなくいて、
特に同じような共通の話題もないんだけど、なんとなく一緒に遊べちゃうみたいなのもさ、
一個友達の形式としてさ、あり得るわけじゃない。
なんていうのかな。だから今は、そういうなんとなく近くにいたからとか、
たまたまなんか一緒にいるみたいな。
本来よくよくそこで言語化を突き進めていくと多分決裂するみたいなものも含めて、
そういう友達の予知がない感じがあって、
そもそも最初からスタートがテキストだから、
その時点で最初からこうさ、その詩をうちにははまらないですねとか、
そういうのが明示化されちゃっている状態からスタートするし、
そこでもう違うとか、ちょっとこれは身が持たないってなったらブロックが簡単にできちゃうじゃない。
なんかね、このね、文字から始まる。
もしくはこれまで普通に生身同士だったらなんとなく均衡が保たれていたものが、
テキストが入ってきた瞬間にがっかりしちゃうみたいなことが起こりうるのって、
すごい友達と相性が悪くないって思った。
12:03
ツイッターで友達は作れないっていうこと?話?
いや、なんかあの、人のこと言えない、自分のこと棚にあげて言うけど、
君の世界はツイッターしかないとか。
いやでもそうなの。
でもまあそうなっちゃうわけじゃん。
今はそうなっちゃってるわけじゃん。
その世の中的なね、
その職場での誤配的な出会い、交通事故性のある出会いとかもないから、
なんかうっかりオタクに優しいギャルと出会うことも一生ないし。
交通事故ってどこで起こるんだろうって、なんか分かんなくなってるっていうのが、
友達って何?っていうの分からなさの一個の原因かもって思う。
なんかね、社会人になったときにすごい思って、
結局大学が行っちゃう、
なんかその、ちょうどいい網目のクラスターの、
動出性がありすぎてもさ、
私とかはさ、かなり特殊なわけじゃん、中高一巻で、みたいなのとか。
だからもうその時点で、まずなんか、
教育費をかける気のある親がいる子たちしかいない、みたいな環境だったり、
っていうのはちょっとさすがに少し狭すぎて、
なんかその中ですごい細分化されたクラスターになってるけど、
大学ぐらいが結構ちょこっと良くて、
なんかそこそこ幅があって、そこそこなんか、
それこそなんか地方から英語入試で頑張ってきましたっていうのと、
私みたいな裏口入学のやつが出会っちゃって、
うわーってなるみたいなこととかが起こる。
でもなんか会社まで行くと、
なんかこう本当に大学で勉強してません、みたいなのを、
なんかかっこいいと思って言っちゃうみたいな人を見て、
あー絶対無理ってなったりする感じとか。
そうなんだよね。
ちょっと広すぎるんだよね、会社とかまで行くと。
だからなんか社会人サークルとか、
趣味である一個方向づけがされている場に行って、
趣味の友達を作るみたいなところから普通に仲良く、
コンテンツを抜きでも仲良くなるみたいなのを求めてね、
なんかこうアグレッシブにね、行ける人は行くんだと思うんですけど、
行けない人というか、そういう元気のある人が苦手な人間は、
どこ行ったらいいの?みたいなので、結局ツイッターにいるみたいな。
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だからなんかツイッターに張り付いている人間が、
想像している以上に世の中でツイッターをやっている人は少ないっていう、
真実があるじゃない。
真実があるね。
あんまり確認、私の知り合いはみんなツイッター行ってるから、
わかんないんですけど。
でもそうでもないんだよな。
それに関しては、311以降のツイッターはさ、
割とこう、みんないる場に。
いやでもなんか、リアルが充実している人たちはさ、
マジでいないじゃん。
そういう意味だと、それはそうだね。
だからそれは、SNSより面白いことがあったり、
それこそ言語編集じゃない。
編集の人間しかツイッターは楽しくないっていう特性があるじゃん。
だからなんかインスタとかはさ、
いい感じの写真撮っていい感じで許されるっていうかさ、
それがなんか、
それもかなり高度なコミュニケーションだけどね。
だから私たちにとってはそっちの方が難しいわけじゃない。
その気づくろい的な。
なんか楽しそうだねみたいな、今度一緒に行こうみたいな、
情報量増えてねみたいな。
ああでもそうか。
苦手だけど別にそれが得意。
そっち、なんか全部言葉にしなきゃいけない。
でも私も苦手じゃん別に。
インプットは好きだけど、言語の。
言語のアウトプットめっちゃ下手じゃん。
誰がわかるの、この解文書みたいなさ。
文字だとね。
交互だとすごい僕よりも明晰な感じが。
どこいどこいだと思うよ私たちは。
え、どういうこと?
どこいどこいでなんか自分の辞書で喋ってる。
ああ今ね、この喋りもね。
けど、だからなんかそれは認知特性的な話だったりじゃないですか。
なるほどね。
いやそれもそっか、だからそもそも今ね話してて思ったけど、
そもそもツイッターにいる人たちっていうか、
ツイッターってどういう場所かっていうと教室の端っこの方なんだよねきっとね。
だから教室の端っこの方でみんながワイワイしてる中に、
ちょっとはぐれた人たちがこそこそっと喋ってる、
掃除道具が入ってるロッカーの前の席にみんながちまって集まってる、
あれなんだよねきっとね。
だからそもそもそこには似たものしかいないっていうのはまず間違いない。
すごい面白いのはさ、
それこそ最近さ、私たちの中で話題沸騰なさ、
私たちの地元、治安が悪いで有名なところなんですけど、
そこの地元のお店の人たちがやってるツイッターとかインスタが、
18:05
なんかもう知らない使い方なんですよ。
ああそうだね、すごいよね。
その陰キャとか陽キャとか何もそういう卑屈なね、
カーストとかを気にしたことがなさそうな人がやるSNSっていうのはこういうものなんだみたいな。
何を言いたいのかわからない日常の垂れ流しというか、
それを自己検知欲すら感じないんだよね。
そう、あれすごいよね。
お店のアカウントだからお店の宣伝しろよって感じなんだけど。
なんだろう、これ知らないってやつってなるじゃん。
そのツイッターで面白いのは、
俺たちって言うじゃん。
俺たちで想定してるのって絶対カースト下の方というか、
下の方からもカーストに絶対に関わらないよみたいな。
お前らなんかそうやって上下関係作ってバカらしいって言いながら、
自ら疎外することによって疎外されるのを。
身を守ってるからね。
バリアしてるみたいな人たちの自意識で俺たちっていうツイッター昆布があるじゃん。
でも別に全然そういうんじゃない人たちもいるじゃん。
絶対交わらないじゃん。
面白いよね。
あなたはさっき、世界がツイッターだと思ってるの?みたいなこと言ってきたじゃん。
でも割と多分ね、今ね、ツイッターは世界に近づいてるところがあると思っていて、
どういうことかというと、今みたいな、あなたみたいな、
たまたまこの地元のお店だからとかじゃなければ、
絶対にリツイートだったりいいねで回ってこない人たちの言葉の経済圏がさ、
ツイッター上にすでに存在しているわけじゃない。
それの規模がどれくらい大きいかわからないから、
そこの割合自体が世界をそのまま映し取ってるとかそういう話じゃないんだけれども、
そもそも同じプラットフォーム上にいたとしても、
ここまで遠くてここまでわからない人たちがいるっていうのは世界じゃんって思う。
単純に極端な人たちの炎上騒ぎだったりとかっていうのが世界だっていうのは、
ちょっと認知が歪んできてると思うの。
そうじゃなくて、フォロワー16人ずつぐらいのところで、
すごいなんか近所のスーパーで会ったら川室会話をそこでやった。
原理上世界中に発信しているんだけれども、
絶対にその16人の中でしか回ってない言葉がそこに存在しているっていうことが。
しかもそれをなんか見れちゃう。
そうそう。それがすごいなって思う。
だからそれはなんか一個だから。
インターネットの凄さだなと思うし、
そういう人たちにまで届いて、
なんかがまで使う道具になったんだっていうところに、
だからもう俺たちとか行っちゃダメだよっていう気持ちになるな。
21:05
ミクシーっぽいよねって話をしてたのね。
ミクシーの本来閉じられたコミュニティの中でやってることを、
なんか同じインターネットだからのノリでツイッターでもやってるっていう感じの人たちを見かけて。
そうなんだよね。
そういうのってやっぱりミクシーって元から割とリアルよりだったよね。
いやまあだって紹介制だったじゃん最初。
僕誰も紹介してくれなかったから、ミクシー入れなかったから一人でずっとシーサーブログやってた。
だからその頃からそういう。
だからツイッターはどちらかというと僕の中ではシーサーブログだった。
どちらかというとハテナっぽかったんだけど、世界としては。
いつの間にかミクシーに、かつてのミクシーになった。
それは結局、ツール自体に基本的には思考性というものはなくて、
使う人間じゃないですか。
ツイッターが文字編集になり、編長だね。
でも思うよりインスタの方が文字制限ないんだよね。
そうインスタの方が文字制限ない。
なんでみんなツイッターしてるの。
そこが面白くて。
逆なんだね。画像をつけなきゃいけないからインスタは。
というのもあるし、文字制限があるからこそ、
あれは異様だと思う。140文字という設定の絶妙さはすごいと思う。
しかも140文字の何が絶妙かって、収まらなかったとしても、
一段落文だったり、一文は欠けちゃうんだよ。
だからどんどんツリー上につなげるにせよつなげないにせよ、
なんかこう1個か2個かつての絶妙さが、
僕はトゥードウィストの奴隷だけども、
あれをさ、一個一個タスクを消していくのはさ、
たぶんツムツムと同じ快楽物質が出てるから。
たぶんツイッター上で140文字を打つのもさ、
それが一番楽しいのかなと思う。
だからツイッター上で140文字を打つのも、
たぶんツイッター上で140文字を打つのも、
たぶんツイッター上で140文字を打つのも、
なんか似てると思うんだよね。
部屋の隅っこの埃を吸い取ってるときと同じような快感があるというかさ。
それ140に納めようとしてるときってこと?
そうそう、納めようとしてるとき。
綺麗に石を並べてるときと同じような快楽がきっとあるわけじゃん。
みたいなことを感じて。
だからそもそもツイッターっていうのは、
そこまで言語返上じゃない人に対して、
補助的なツールではあると思う。
読んでる人は少ないと思う。
文字読めないんだなっていう人は結構たくさん見かけるから、
文字は読めないのかもしれないけれども、
文字を書くことはできちゃうっていうところが、
24:02
一つ恐ろしいところだなっていうか、
そこまで言語返上じゃない人に対して、
その人が文字を書くことができるかどうか、
書くことができちゃうっていうところが、
一つ恐ろしいところだなっていう気がする。
そこで出た言葉に対して、
ぶっちゃけさ、
結構大変じゃない?言葉使うのって。
僕らでも喋っててもさ、
たまに不意な語彙にさ、
あ、それ何?みたいなことが起きたりするじゃん。
例えば、何でもいいんだけどさ、
例えばさっきの返上の問題でもいいよ。
頭ではわかってるんだけど、口が言っちゃう。
とかっていうのもさ、
わかってるのはわかってるんだけど、
どのタイミングでこれを追求しようかなとか、
ここで感じ悪くさ、
いや、返上でしょ?とか言った瞬間にさ、
そこでさ、は?何?みたいになるわけじゃん。
多分ツイッターでそういうことがたくさん起きてると思う。
頭ではわかってるんだけど、
そもそも文字化するのが下手だから、
言葉遣いが変になっちゃうとか、
逆に全然真逆のこと言っちゃってるとか、
そもそもその言葉の辞書的な意味をちゃんと理解しないで、
まるでキリ性反対の言葉として使っちゃってる人とかっていうのがいて、
それによってすごい、
なんかこう、
不要な争いが生まれて、
誤解を与えてしまったんだ、申し訳ございません、
的なやり取りが起こるわけじゃん。
この時ってだから、この誤解を与えた、
だから申し訳ありませんって言ってる側って、
なんか言われてる内容に対して、
なんかそれはちゃんと理解してたりする可能性が、
ちょっとあるなっていう場面がある気がしててね。
なんか言ってること、おっしゃる通りなんだけど、
自分としてはそういうつもりでこんな言葉を使ってませんでしたみたいなさ、
自分の辞書をそれこそこう、
持ち出してきちゃうみたいなところに、
そもそも言語運用に向いてないじゃんっていうところがあるというか、
言葉はみんなのものだから、あなただけのあれで使っちゃダメですよっていう、
基本ルールを踏まえようよっていう話なんだけど、
みたいなところがまちまちなわけじゃん今。
そこがまちまちな中で、
同じ言葉として当該並べられてしまった時、
いろんな不幸が起き、
そしてすごいそこで、
友達になりそびれる人が、
いるなって思うわけ。
だからそれこそだから、
街でけづくろい的なやりとりだけをするみたいな人たちですら、
それを文字に起こした言葉の使い方の荒さだったりで、
テキスト編長側の人間はなんかすごい、
それなんかゾワゾワするなって思って、
なんとなく距離を置いちゃうみたいなことが起きてしまう。
みたいなのがすごい、
なんか、
なんで人間に文字を持たせてしまったんだろうっていう気持ちになって。
27:06
えっとね、ちょっとごめん。
友達の話に戻らない?
そうそうそう、友達の話に戻りたいの。
戻る、今から戻るから。
今から戻るから。
ちょっと今ちょっと、
あの、
ちょっと今ツイッターへのね、
複雑な思い、愛憎にちょっとこう、
引っ張られちゃったけどね。
いつも引っ張られちゃうんで、
ツイッターって怖いんだよね。
そうだね、ツイッターって怖いんだよね。
なんだけど、
僕が言いたいのは、
人間の友達になる時っていうのは、
あんまりテキスト関係ないところで友達になると思う。
そうだね。
赤ちゃんとかそうじゃん。
うん。
あいつらさ、
あいつら。
ことも知らないじゃん。
うん。
物も知らなければ言葉も知らないじゃん。
うん。
だけどさ、
明確にさ、人間の好き嫌いというかさ、
フィーリングの合う合わないがあるわけじゃん。
うん。
面白いなって思うんだよ。
なんかそのさ、会った瞬間からニコーって笑い合うさ、
ちゃん達にも言えばさ、
会った瞬間からもうこいつはいないものとするみたいな感じで無視するさ、
赤ちゃんもいたりするわけじゃん。
それ赤ちゃん同士の話。
赤ちゃん同士の話。
赤ちゃん同士の話もそうだし、
赤ちゃんじゃない、赤ちゃんと赤ちゃん、非赤ちゃんでもいい。
だけど、とりあえずなんかそういうのがあるわけじゃん。
うん。
なんかさ、
大体人、
実はそれはって、
大人になっても一緒だと思っていて、
うんうん。
なんか顔合わせた瞬間になんとなくこの人好ましいなって思う人は、
大体そのまま相性がいいし。
まあ、そうね。
ぶっちゃけ第一印象で、
なんかこう、
から逆算して、
うんうん。
なんていうの、
いいところ、
いい感じの人だなって思ったらいいところ探す感じで見るし、
なんか嫌だって思ったらその嫌だに正当性を持たせるような荒探しをしちゃうっていう。
そうそうそう。
だから、そもそも赤ちゃんなの、僕たちも。
僕たちは赤ちゃん。
人間の選別眼としては赤ちゃんと一緒の敏感さを持っていると思っていて、
で問題は大人になるにつれて、
ちょっとまたツイッターにならないように気をつけないといけないけど、
なるにつれてどんどんテキストだったり、
その社会性的なものだったり、
なんか論理みたいなものだったり、
会社の肩書きみたいなものだったりっていう、
要するにそれって全てがテキストなわけじゃないですか。
あの、
抗議の意味で。
全てその文字に言語として置き換えられる属性なわけじゃないですか。
みたいなものがたくさん付与されていくと、
なんか、
で、そっちにそっちで判断するっていう、
テキスト同士の読解や解釈っていうところに、
引っ張られていってしまって、
僕らの赤ちゃん的直感が、
こう、
なんか、
追いやられていってしまっているんではないかっていうところに、
すごい、
友達の難しさがあるんではないかと思ったんだよね。
そうかなぁ。
いや、これは僕の今、
一つの、
思いつき。
なんかちょっとその、
社会性のある話題難しいわ、私には。
30:00
あ、そうだよね。
なんか、
すごいね、
想像なんだけど、
きっと私はマッチングアプリで、
マッチングアプリはさ、
基本文字の世界なわけじゃん。
文字と毛づくろいの世界なわけじゃん。
で、たぶん条件で、
あーいい感じかもって思って、
あって微妙だったら、
微妙だーってなっちゃうと思うんだよね。
それだけその文字情報で、
なんかいい感じかもって思ってても、
もう、あった瞬間に微妙だーって思ったら、
全部そういう社会性の、
社会的なタグ付けは、
意味をなさなくなるというか、
それは赤ちゃんなわけじゃん。
そう、赤ちゃんだよね。
俺の中の赤ちゃんが、
お前は無理って言ってるからって。
そうか、だからあなたは、
だから30分で置いておかしちゃう。
そっか、だからあなたは赤ちゃん力が強いのかもね。
あ、でもなんかその、
割と、
直感で懐く、
のが、
直せない。
いやでもそれはだから、
あなたはむしろそれ、
友達作れるタイプじゃない?
え、でもなんか、
なんかいい、
なんか、
なんか、
なりつきたいかもって思うけど、
コミュニケーション能力はないから、
よくわかんないけど、
また割りついてくる人みたいになっちゃうよね。
あー、そうね。
そこはまた別の問題かね。
で、
中高生の時はいいじゃん、別に。
女子中高生って、
とりあえず手繋いでるから、
それが許されてた頃はよかったんだけど、
許されなくなるじゃん。
あとなんか自分もされた時に、
いやー、ちっけえなーってなるみたいな。
だからね、
難しい。
難しいよね。
うん。
あとこれはまたちょっと違う話になっちゃうかもだけどさ、
この2年間でさ、
普通にパーソナルスペースが広がってるじゃん。
うん、そうね。
なんか両隣に人座るのすごい嫌というか、
もう一席空けてほしいとかさ、
アクリル板挟んでほしいみたいな気持ちになるみたいなのもあるから、
より一層難しいよね。
そう、だから今の女学生たち、
そういうコミュニケーションって多分すごい少ない。
そうなんだろうね。
今のうちも喋んないって思うね。
そうか、そうか、そうだよね。
なんかツイッターになっちゃうけどさ、
松山なんか行ったら、女の子3人、高校生くらいに行ったんだけど、
木食で食べ終わったらマスクして喋るみたいな。
だからそのお弁当つきながらダラダラ喋るみたいなやつない。
なくなってるのか。
33:01
学校ではやってるのかもしれないけど、
だってそもそもあれだもんね、
机くっつけてご飯、お昼食べるのなくなってんだもんね。
そうなんだ。
みんな前向いて、黒板見ながら食べてるんだ。
私はそれが良かったなって思って。
その方がむしろね、不幸は減る気もするけどね。
でもそれが楽しくて、
学校行くの方、
そういう気持ちを育む場所になるわけじゃない。
私たちは学力のために行ってると思ってたから、
なんでこんなことさせられなきゃいけないのって思ってたけど。
貴族意識というものを一応培う場ってあるでしょ。
そういうのに向いてる人の貴族意識を強めるためのスケープゴートだったなって自分は思ってるけど。
今ね、こうやって話してるとそもそも
友達できてたことないんじゃないかっていうかさ。
分かってきた。
あくちさんが言ってた内輪感みたいなものっていうのはさ、
そういう友達なのかもって思って。
僕が言ってる友達って、
何のこと言ってんだろうなってちょっと分かんなくなってきちゃった。
あくちさんが言ってる友達っていうのは、
毛づくろい?
内輪感みたいなものと繋がっていたわけじゃない。
要するに教室的な貴族意識だったり、
机くっつけるみたいな人たちのことをイメージしてたのかも。
それは憶測…。
今これは何を言いたいかというと、
それはあくちさんの発言の意図がどうとかっていうことを言いたいわけではなくて、
そもそも友達っていう時に広くイメージされるのってそういうものなんだとしたら、
僕がこれまで友達って言ってきた、
って名指して欲しがってきた関係性って、
本当に友達なのかっていう。
でもさ、友達ってさ、
なんかさ、
なんだろう、クッション言葉じゃないけど、
すごい解釈の幅のある言葉じゃない。
広すぎるよね。
ぶっちゃけ知人レベルだけど友達って言っても、
嘘ついたことにならない。
そうならない。
罪には問われない。
し、
こいつは親友、こいつは友達って言うと、
友達って言われた側が傷つくかもしれないから、
とりあえず全員友達にしとくみたいな、
気遣いにあふれたね、
曖昧な言葉っていうか。
そうなの?そんなの?
友達募集ですって言った時、
本当にその人が求めてるものが何かわからないと、
そこには突っ込んでいけないんだよね。
それはすごい思う。
僕はツイッターで感想をくれる人みんな友達だと思ってるよ。
36:03
向こうは一方的にあなたの生活をかなり知ってるからね。
だからそれに対して答えてくれたらもう友達じゃんって思う。
でもあなたはその人のこと何も知らないけどね。
僕本当に初期のプルースという生活の順番を出した頃に
そういった感想をくれた人のことは本気で友達だと思ったから
ありがとうございますって送ったの。
そしたらブロックされちゃったりとか、
鍵かけられちゃったりとかして、
あ、友達じゃなかったんだって思ってね。
学んでった。インターネットのサポを学んでたんだけど。
なるほどね。あなたはコンテンツだったんだね。
そこで初めて、あ、僕はコンテンツ扱いされてるんだって。
コンテンツで喋ったらびっくりしちゃうよね。
本の中でだけ喋ってる。
何だお前ってなるじゃんっていうのに気づかなかった。
アットマークをつけて、名指しで言葉をかけると
それはもうダメなんだっていうのに気づいて
喋ったーってされちゃったって思って
それそうだよねって。
食べてるハンバーガーが急に喋りだしたら怖いよねっていう。
そうだね。ちょっと切ないね。
気持ちになって、僕はハンバーガーなんだなって思ったっていう。
でもその中で普通に会話してくれる補職者の皆さんもいるわけじゃない?
それは補職者じゃないわけじゃん。
ちゃんと一人の人間として扱ってくれてるなって思って。
だから文振りとか人気祭りとかでお話ししてくれる人すごいいいなって思う。
ある意味合理的なのかもしれないなって思う。
友達を募集、なんとか好きな人と繋がりたいみたいなタグでさ、
一旦仮契約としてフォローフォロワーの関係になってさ、
こいつ無理だわって思ったらブロックする。
それで淘汰してって、残った人が友達みたいな。
でもね、そこって僕はね、自分の意識として物を知らないからさ、僕は。
この物を知らないっていうのは本当に素朴に物を知らないと思ってて。
どういうことかっていうと、今僕が読んでる本とか聞いてる音楽とか見てる映画って、
全部教室の他の人に教えてもらったりとかさ、してるものが強いわけですよ。
やっぱり誰かがこれ良かったよって言ってたやつを聞いた上で、
39:02
そいつよりなんとなく潰りたいからそれを検索したりとか、
Amazonのオススメ欄とかからもうちょっとディグって、
オススメ欄の2個先ぐらいのやつを聞いて、あれ良かったよみたいなことを言うみたいなことをさ、
こだかしくやり続けてきてるみたいなところがあるんだよね。
最初の一歩っていうものはやっぱり偶然なんだよね。
自分で選定してない。
まあでもそれはそうだよね。
そうそう、でそれみんなそうじゃなわけじゃん。
で今なんか行き詰まりを感じてるの、自分に。
自分より面白いものを知ってる人がいないから。
というよりも、全部自分が知っているものから、
それは本当に年取ったってことなのかもしれないんだけど、
何かを参照できてしまうから、なんだこれ?っていうものが減ってきてる。
全部ビートルズのファクトリジャーって言ったら。
そうそうそう、みたいなところがあって、
なんかその新鮮さとかさ、あんまり感じられないのに焦りを感じてる。
そうそうそう、だからね。
なんかこの間、お話、おしゃべり、あなたじゃない人とおしゃべりしてて、
金払ってキャバクラに行くってどういうことなんだって話してたんだけど、
だからそのコンテンツのおすすめをしてくれる人、
ある程度趣味が合いそうな人たちに教えてもらうみたいなのに、
行き詰まりを感じると、もう飛び越えた、
全然道が交わらなさそうな人間の話を聞きたくなるのかなって。
でもキャバクラだと自分が喋るでしょ。
そうなんだよね。
でもなんかそれに対して、自分のフォロワーは言いそうにないことを返してくれたりするわけじゃない。
なんかすごい自分の中ではめっちゃここ大事みたいなところを、
へーそうなんですねーって流されるみたいな。
あーってなると思う。
あれは自分の立ち位置の点検なんだ。
そこまで謙虚な気持ちで言ってる人少ないだろうけど。
私の好きな戦国鍋TVの中のコーナーで、
戦国武将が行くキャバクラっていうコーナーがあって、
レイナさんってね、キャバ女の方はね、
毎回戦国武将に指名されて、武勇伝を聞かされて、
全てをスルーするっていう方が決まってて、
でなんか最後、いつも指名客の常連さんが来て、
あの人も戦国武将なのって言われると、
すっごい雑だけど端的なサマリーを、
42:00
なんとかの人なんだって、って言って終わるっていうのがあって。
でもあれって、私はキャバクラに行ったことがないから分かんないけど、
あれが真実なのかもしれない。
どういうこと?
なんかそういうか、なんか自分の社会的な、
あ、端的に言われる。
社会的なこう、自分がすごいと思ってるトロフィーを、
平均ピカだねーって済まされるみたいな。
なるほどなるほど。
そう、なんか大したことじゃないのかもしれない。
し、なんか自分では大したことないと思ってたところ、
すごい、え、すごいって言ってくれるみたいな。
なるほど。
価値観が変わるまでいかないけど、なんか新しい風が、
別の評価軸がね。
そよぐみたいなことなのかなって。
なるほど。
でもそのこのさ、2年間でさ煮詰まってると、
だって24時間365日に近いレベルで私たち一緒にいてさ、
他の人間とは全然一緒にいない。
人格の切り替えっていうものが、
あなたはあるけど私にはなくて、
マジもう無理って私最近なってるじゃん。
だからそういう意味ではキャバクラとかそういう、
お金を払って、
あの、コミュニケーションのサービスをしてもらう場所っていうのは、
人格のお掃除にちょっとなるんだろうなっていう。
そうね。あとやっぱりね、
ちょっと今の話と微妙にずれちゃうのかもしれないけども、
やっぱり自分でその本を書いてさ、
書店さんとかいろんな人にさ、売っていくってなるとさ、
なんていうのかな。
一番強く残るのはね、嬉しいななわけ。
届いたなとか伝わったなっていうのが、
まず第一に嬉しいし、
ありがたいことにものすごいたくさんの、
そういう届いたかっていう手応えみたいなものを得られてるなっていうのが、
大前提にありつつ、
ひっくり返すようなこと言うけど、
まずこれが大前提にあるよっていうのがありつつ、
一番印象に残るのはね、
あ、こんなに相手にされないんだっていう思いなんだよ。
これでもね。
ちょっと一旦まずは。
うんうん、聞く聞く。
これがね、要するに何かっていうと、
外に発信するっていうことの一番の、
なんだろ、そこですごい、
それこそだからあなたや他の反応をくれせる人たちみたいに、
興味を持って聞いてくれる人っていうのは一定数は絶対いるの。
でもそれ以外の人たちっていうのは、
さっきのケバクラのレイナさんか、
それ以上に冷淡なわけ。
そもそもスルーするか、
なんかすごい一生懸命こうなんですって言っても、
え、そうなんだって終わるか、
なんか日記書いてるんだってって終わるか、
なんか読んだけど、
なんかたくさんしゃべんねみたいな感じで終わっちゃうみたいな人たちが、
本を買ってくれた人の中にもたくさんいるわけ。
45:01
具体的に言うと、
メルカリの履歴で40人くらいいるわけ。
なんかね、普通に人の方の、
ファイシャイの哲学とかをメルカリで売られてると結構、
マジでしょげつくんだけどさ。
あと普通にプルストン読む生活とか、
ほぼ経過のまま、
転売しようとする奴ら何なのっていうのは思うんですけど、
まあちょっといいよ、
これちょっとまたまた別の話になっちゃうから置いとくけど、
まあとにかくなんかそういうのとか、
あとちゃんと関数はくれるんだけれども、
なんか全然、
なんかすごい、
そこなんだみたいなところで、
こう書いてくる人とかね、
いるわけじゃん。
だからその全体的に見ると僕はすごい、
その戦国武将の気持ちになるわけ。
その本を出すたびに毎回、
なんか自分はすごいこう、
ある程度、
やっぱりちゃんと何かしらの意図を持ってやってるからさ、
こういうような効果があるといいなとかっていうところは、
もちろん演出聞かせてやるわけじゃないですか。
だからそれに対して、
なんだろう。
だから今感覚としては、
だから芝居をやってた時の感覚としては、
すごい、
自分が演出つけた舞台をこうさ、
がこう上演されてる時に一番後ろのさ、
照明のペットワークとかからさ、
客席見てるとさ、
なんかこう、
ああやべえ、
なんか3割ぐらいの人がモゾモゾしてるとかさ、
うわ、
あの人携帯開き出しちゃったとかさ、
そういうのがさ見えちゃうわけじゃん。
で、今その気持ちなわけ。
そういう時ってやっぱり、
その携帯開いちゃった人一人が、
どうしてもトラウマ的に一番強く残る。
っていうことを考えると、
基本的に何かを発信する時に、
一番やっぱりどうしたって残っちゃうのって、
今回も届かなかったって方なんだよ。
で、
ちょっと長くなっちゃったけど、
これが大事だと思うの。
さっきの話と一緒で、
自分っていうのは基本的に誰からも相手にされないもんなんだとか、
誰も自分のことなんか興味ないじゃんとか、
誰も親身に自分のことなんて聞いてくれないじゃんっていうことを、
思い知る場が、
僕には今あって、
なんかそれがすごい、
なんか最終的に、
すごいめっちゃ文字数喋る僕にね、
付き合ってくれて、
理智的なサマリーだったり、
何か返してくれる奥さんとかね。
リョウタさんとかね。
リョウタさんとかね。
なんかそういう、
数少ないね、
その人たちのありがたみを感じて、
お家に帰ってくるっていうさ。
だからさっきあなたが言ってた外部が今なくて見詰まっちゃうみたいなのっていうのは、
やっぱり、
その外で楽しい思いをしてリフレッシュするっていうことも、
もちろん大事なんだけど、
それ以上に外だとこんなに相手にされないんだっていうことを、
思い出す場としてきっと機能するんだよなっていうことを、
思ったっていうのを、
48:01
今。
そう、なんか、
もう、とにかく話が合わない人と喋ったほうがいいなって、
思って、
思ったけど、
意外と話が合っちゃったりするから、
難しいですね。
でも話が合うのも合うので別にね、
それはそれで絶対嬉しいことだからいいんだけど。
毎回だから、
毎回もちろん話が合わない人と話したくて話に行くわけじゃなくてさ、
話が合う人と会えるといいなって期待してさ、
外に出かけるわけじゃん。
でもその期待が必ずしも叶うわけではない。
っていうことを、
忘れていくんだよね、
ずっと家にいると。
なぜなら、
自分の、
お気に入りのテキストを書く人以外は、
ブロックしたりとかミュートしたりとかしていくから、
ある意味その家にいると、
話の合う家の中の人間か、
話の分かるツイッターだったり、
インターネット上の言葉たちしかなくなるから、
フィルターバブルとかね、
そういう陳腐な言い方じゃなくて、
普通に選べちゃうからね。
そうじゃなくて、
実際外に出て喋ってみると、
うわ、めっちゃ重んなって思うし、
同じぐらい重んなって思われてるなっていうさ、
瞬間がたくさんあるわけじゃん。
あるわけね。
それってすごい大事だったのかもなって思うね。
でも、
今思うのは、
場所は違うけどね、
お客さんを呼ぶようになったなっていう風に思ってるよ。
おぺたくからさ、
演劇の時はね。
携帯開いてるなって思うために、
お客さんがまず入ってないと思えないわけじゃないですか。
僕は演劇やった時は、
おぺたくで開いてるやつがいると、
やっぱり100なんか入れるもんじゃねえなって思ってた。
当時は。
当時はゴリゴリのエゴイストだったから、
俺の世界観を作るために
掃除として観客を入れるけれども、
お前らは大人しく黙って
俺の話を聞いてろよって思ってたから、
届いてないことに対して傷つきもしなかったし、
だからこそ、
そもそも下手に届けると
ノイズがあるから、
分かるやつだけくればいいっていう
めっちゃ頑固なラーメン屋のやつだった。
いやー、なんか、
昨日南森松さんと一緒に見てて、
演劇やる人ってやばいですねって話をしてて、
なんかあなたは別に、
外から見てる分にはさ、
割とこだわりが少ないように見える。
というか、制約が増える方が嬉しいみたいなタイプだったけど、
普通に厄介なんだよね。
いや、普通に厄介だった。
自意識は厄介な人じゃないとやっぱりやんないよなって、
いやだからね、
改めて思って。
だから芝居今もやりたいなとは思うんだけど、
ちょっとね、今ね、
大人になっちゃった?
今やるんだったらどうなるんだろうというか、
なんか、
51:00
普通に楽しんでもらいたくなっちゃいそうだよね。
普通に楽しんでもらいたくなると、
こっちがもうちょっと苦労すんだよなって思うんだよね。
ここに来て、
あの当時、
すごい真面目にやってた人たちの真面目さがよく分かる。
そうだね。
そうだね。
そう、なんか、
なんだろう、
ね、
勝負、
勝負を、
だからそれこそ、
あの、
スクールカーストって、
最下位になっちゃうんだよね。
それこそ、
あの、
スクールカーストって、
最下位になりたくないから、
最初から県外に自分で行くみたいな、
やり口なわけじゃん。
そうそう、
そのやり口に関しては僕はもう全ての生活面において、
ずっとそれでやってるところあるんだよね。
そうだね。
うん。
だからやっぱりさっき、
この冒頭ね、
友達の話をしようって言って始めましたけど、
友達が欲しいわけじゃなくて、
話の合わない人との、
気まずい1時間を過ごしたいっていうことなんだっていう、
気がしてきたね。
そっか。
うん。
いやだから、
そうなんだよな。
なんかさ、
もう結構喋ってるかな。
うん。
ちょっと最後にね。
僕すごいそのね、
会社の飲み会嫌いなんだよ。
会社の飲み会嫌いの一番の理由は、
割とちゃんと、
僕的には強めの思想があって、
会社の飲み会っていうのは何かっていうと、
要するにその会社の中だけでは、
拾いきれない、
その人間関係の、
軋みみたいなものを、
是正するための場所なわけじゃないですか。
それって何、
そこって要するにさ、
その会社の、
組織設計の不備によって生まれている無茶を、
陳労働者が賃金を未然におきって、
是正するっていうさ、
仕組みなわけでしょ。
馬鹿らしくない?
だってお金欲しくて会社行ってんのにさ、
その会社からもらったお金って何でその会社のさ、
不備をさ、
俺らが修復しなきゃいけねえのって気持ちになるじゃない。
だから嫌いなの。
だからそもそも絶対嫌いなのが間違いないんだけど、
でもなんかとはいえ、
断りきれない飲み会がさ、
あった時代があるわけじゃない。
あれね、
今となっては、
大事だったかな。
相当人恋しいんだね。
え、違う違う違う違う。
そうじゃなくて、
そうじゃなくて、
あれが何で大事だったかっていうと、
今言ったような組織的な構造として、
そもそも会社の飲み会お菓子やろっていうこと自体は、
絶対変わらないの。
だからそこに関してはクソを覆うクソだと思ってるのは、
まずあるんだけど、
やっぱりそこで、
構成的に全然気の合わない、
54:01
お三達の話をさ、
ヘイヘイ聞いてたりさ、
逆にこっちが喋って全然響かなかったりする経験ってさ、
要するにその疑似キャバクラだけじゃん。
なんかそのこう、
自分の話の聞いてもらえなさとか、
分かられなさをさ、
確認する場として。
なんかあれすごいな、
適正だったなって。
自分に対する判断が、
適正値に収まる、
いい機会ではあったなって思って。
その時はだからそういう今言ったような、
気まずい1時間わざわざ人を探して、
なんかこう、
体験したいみたいな気持ちってなかったわけだよ。
なぜならもうその会社の中でそういうのがあったから。
っていう意味で、
インスタントにそういうそのこう、
相手にされてなさを。
キャバ状に迷惑かけずにおっさん同士で、
そうそうそうそう、やれるっていう意味だと、
あれは良かったのかもしれないって。
そやね。
いうのは思う。
まあ私はさ、女性社員だからさ、
別に、
本番にお扱いしてくる人はほぼいないけど、
してくんなよっていう喧嘩をめっちゃ売ってたから。
そうね、そこはまたね、あるよね。
僕おっさんしかいないところばっかりだったから、
っていうのは、
まあ1個良いところだったなとは思う。
まあそうなると一番若手である僕が割とそういう、
枠に入っちゃうんだけどね。
っていうのはまあ置いといて。
そうなんで、だから、
なんか今僕がこっちで異常に友達が欲しいとか、
なんかそのこう、
自分と全然違う判断基準のものと照らし合わせたいみたいな欲望があるとしたら、
なんか実は、
そういう、
いざやると、
良いものではないって。
良いものではないって。
良いものではないって。
その良いものではないものを、
求めるようになっちゃってるところに、
この2年間の良い良さを感じるなっていう。
良いものではないが、
回復、あれで言ったら不快かもしれないけど、
社会性の回復というか、
なんていうの、
だって運動なんかしたくないじゃん、筋肉痛になるから。
でも運動した方が、
生き物としての生命維持活動に良いわけじゃん。
それって、
なんて言うんだろう、
なんだろうな、
自分の自意識って、
自分の個体の存続の中では、
すごいどうでもいいことなのに、
めちゃめちゃ支配されるじゃん。
これ割と欠陥だなというか、
人間がすごい特殊な動物なんだなって思うんだけど、
57:01
やっぱり生命維持に必要なことは、
気持ちいいと思うようにできてるわけじゃない、
不快なことは必要。
でも必要なことは分かるから、
したくなるんだけど、
したら絶対嫌な気持ちになるから分かってる。
でもした瞬間は、
楽しいってなるプログラミングもされてるから、
走ってる瞬間は、
ちょっと爽やかな気持ちになるかもって思うけど、
次の日絶対後悔してるみたいなさ。
それが痛かった。
すごい。
さすが、それだよ。
ダメだよ、こんな分かってくれるようなコミュニケーションしてたら。
本当なんだよな。
ちょっと何言ってるか分かんないっすっていう。
やっぱり怪異しかない生活ができちゃうの、
家にずっといると。
だいたい外にあるから、不快なことっていうのは。
それを追いやることができてしまうの、この2年間は実は。
なんだけど、これをね、
だからわざわざ走るとか、わざわざ人と会うとか、
それなんか不愉快な思いをすることっていうのが、
実は健康にいいんだっていうことなわけじゃないですか、今の話って。
だからちゃんと運動したりとかする。
すごいじゃん、そんなこと。
運動したりとかするしなきゃ。
いやでも、なんか、
家の中が快適ではない、
危険であったり不安である人のことはすごい思う。
この2年間っていうか。
本当にね、そこは本当にね。
なんか恐ろしいなって思って。
でもそうやって恐ろしいなっていう想像力を働かせられるのは、
今まで自分と、
自分はさ、家の中がとても安全だった人間だから、
やっぱり安全じゃないとか、
とにかく実家から出たいっていう人に、
今までの人生で出会ってなかったら、
そういうことに思い足らなかったよねって思って。
だからそういうために、
人と知り合う効能があるというか、
やっぱり想像力は実体験からしか生まれないよねっていう気持ちがありますね。
そうなんです。
だからまた最後に余計なツイッターの悪口を。
ツイッター上でね、
何かしらのスタンスにおいて、
有敵理論的に、
うちと外を分けて、
対立関係がエスカレートしていくみたいな世界がさ、
たくさんあるわけじゃないですか。
南東の時代にせよね。
あれもだから要するにさ、
友達の問題だと思うんだよ。
想像力の働かせるために具体的な人間関係の中で、
1:00:02
すぐそこのこの人が、
自分と全然違う環境で生きてるじゃんっていうさ、
当然のことにさ、
一個でも気づくとさ、
あの人今どうしてるかなとかでさ、
その中にさ、
余地ができるわけじゃない。
考える箱ができるわけじゃない。
それってやっぱり具体的に誰かと会わないと、
なかなか増えないわけじゃない、そこって。
っていうのが、
できないまま、
それぞれのさ、
いや、うちらの周りにそういう人いないみたいな、
思い込みの中にどんどん、
潜影化してっちゃうみたいなのがあるから、
これも同じ話でさ、
具体的に引きこもって、
自分にとっての回だけを集めていくと、
割とそういうふうに煮詰まるって言い方は、
これ間違って応用ですよ。
これテキスト返答に人間としては感化できませんけど、
なんかね、
袋こじにはまり込んでいっちゃう、
みたいなのとさ、
たまたまポンと外出て、
話合わねえ思んなって思いながらも、
こんな人もいるんだ、
っていうことっていうのはさ、
やっぱり対極にある話だから、
なんかやっぱりそういうことなのかもな、
やっぱり自分を喚起するためにも、
やっぱり何かしらの、
全然違う人と会うっていう経験は、
ずっとね、
多くて悪いこと何もないなっていうのを、
思うなっていうと、
だからこそやっぱりツイッター界の希望として、
僕らの近所のお店たちのコミュニティみたいなものは、
一つあるなって思ったなっていう、
お話でした。
大丈夫ですか?
何か言いたいことある?
私は疲れた。
じゃあ、
今週はこんな形で、
プリティブラジオ、
お相手は私、関根翔子と、
こくさんでした。
どうもありがとうございました。