00:00
なんかね、この小説、ちょっと読まないんですけれども、
あともう1個、僕好きなのがあって、ぜひどういう内容かはだけちょっと触れておきたいんですけど、
木の着物ってあるんですよ。
へぇー、木の着物?
そう、でね、僕実はこれから読んだんだね、木字を書いてきて。
っていうのも、幸田屋さんにとって着物っていうのがすごく重要なんですよ。
っていうのも、着物っていう小説書いてるぐらいなんですよ。
そうですか。
で、幸田屋さんってね、ずーっと着物着てらっしゃるんですよ。
あ、そうなんだ。
そう、だから、着物と共に生きている人だし、
それもね、なんだろうな、着物っていうのが好きだから着てるというよりかは、
普通の服が似合わないと。
で、だから仕方なく着物着てるんですっていう人なんですよ。
へぇー。
なんかだから、着物というものが、まあ、自分の宿命みたいなね、
まあもう、っていう感じもあるし、着物と共に生きてきたみたいなことでもあるし、
まあだからこそ着物に愛着もあるし、みたいなので、
まあ木の着物っていうものがあってね。
で、これはね、どういう話かって言うと、
ちょっと読みましょうかね、ちょっとでもせっかくだから。
えっとね、これ、えっとね、
杉を見に行ってるんですね。
で、ちょっと読むと、
はい。
えっと、あ、そうか、これもあれだな、
えぞまつ見に行ってる話出てきてるな、これ。
おー。
読みます。
北海道へ、えぞまつを見に行ったとき、
針葉樹林を走り登るジープの上で、
討伐したことは、どれがえぞまつだか、
みな一様にしか見えず、見分けることができなかった。
仕方がないので、目的地に着いてから教えをこうた。
あなたは梢の葉ばかり見るから、わからなくなっちゃう。
幹の色、木の肌の様子も見てごらんと言われた。
つまり、高いところにある葉や花にだけうつつを抜かすな。
目の高さにある最も見やすい元の方へを見逃すなというのである。
そのときに、これは木の装いであり、
樹皮を着物として見立てれば、
覚えの手がかりになると思った。
って言うんですよ。
ああ、そういうことか。
そうそう。
ずっとさ、やっぱ、葉とかさ、そういうの見ちゃうじゃんか。
まあ、遠くから見てるからなおのことなんだけども、
03:01
そうじゃなくて、高いところを見るんじゃなくて、
目の前のものを見なさいと。
これなんかすごい、まるでなんかこの、
木以外のことにも言われてるような感じなんですけれども、
そういう木の肌とか色とかも、
幹の幹の色とか、木の肌も見なさいと言って、
あ、そうかと。
見てなかったと言って、
木のこの樹皮を見る。
で、そのときに、
着物みたいだなと思ったんです。
うーん、すごいね。
着物に見立てていくんですよ。
ああ、そういうことか。
この木は、この着物のようだ。
この木はこんな着物のようだって。
話が展開していくんですよ。
へー。
イチョウの着物は、潮立っている。
みたいなのとかね、なんか出てくるんですよ。
面白いね。
面白い。
こうやって、自分のなんか好きなものというか、
ものとを、まあ媒介して、
木との関係性を育んでいくっていうことをされていって。
うーん、なるほどなーって思った。
うん。
なんか豊かっすね、木との関係性もね。
ちょっと遊んでますよね、ある意味ね。
なんか遊んでるよね。
そういうことあるよね。
うーん。
これでも面白いんだよな、これなんか、
なんかこの木はこんな着物だ、
この木はこんな着物だとかって言いながらね、
でもこんなこと言うんですよ。
こんな木の聞いた風なことを言うが、
本当は木の肌は、木の一生を通じて、
見た上でないと決まったことは言えないのだと思うって。
なぜなら、なぜなら木だって。
赤ちゃんの時代、青年の時代、少年の時代、
老いて後とだんだん肌は変わる。
少年の肌から察しもつかない老後の肌なのだろう。
肌だけではなく、
歯では形をさえ変えるものもある。
みたいなことで、こうやって、
なんだろうな、
そういう風に言うけども、
ちゃんと若い時にはならないようにって、
なんかさっきの話に戻ってくるんですね。
用心に戻ってきますね。
用心に戻ってくるんですね。
いやー、それはもう本当すごいね、
想像力でもあるし、すごいなんだろうな、
尊重みたいなものを感じますね。
その用心っていうのは何か、
ここでは決めつけないぞと。
それはなんかすごくそういうものを感じる、
そこに戻ってくるんですね。
さっきは1年だったけど、一生になりましたね。
そうだね、本当だね。
いやー、だからこれ小田さんがやっぱりなんだろうな、
こういう気とどういう風に関係性を深めていき、
そこから何を受け取っていくのか、
06:02
どんなことを受け取っていったのかってことが、
なんかめちゃくちゃ単行になる、本当に。
見るってことを深めていくということとか、
愛してね。
これね、言葉も美しいから、
本当に自分が木を見てる感覚になるんですよ。
なりましたよ、今日も何度も。
これちょっと、木の着物のところ最後もう1個だけ読んでいいですか。
もちろん。
もう本当に目をつむって聞いて欲しいんですけれども。
じゃあ僕は目をつめますね。
木を見てる感覚になるんで。
いきますよ。
箱根の樹木園には、
この木の太いのが何本か固まっていて、
見応えのあるものが、
分けても新緑のかなり強い梅の日には、
私はそこへ行き合わせたので、
その鮮やかさと言ったらなかった。
一面の小緑、浅緑の中に、
赤い幹が太さを見せて、
ほころでもなく、ひるむでもなく立っており、
雨がこんなにも華やかに活気のあるものと、
初めて知る思いがあった。
見ると素肌のような幹を透き通った、
雨水が流れ降りてゆく、
もったいないような美しさだった。
木の幹を、雨水が上から下へ、
流れるのは当たり前のことだが、
あまりに繊細できれいな流れなので、
しばらく見とれ。
そしてこの、
世にも美しい小さな流れの、
推量を測りたいものだという気になった。
測る道具は何も持っていない。
持っているはずもない。
あるのは自分の体と傘一本だけなのだ。
体の中で使えるのは、
手だけしかない。
右手四本の指と親指を股に開いて、
手のひらを直角に幹へ押し付け、
雨水が手の厚さを超えて溢れるのを、
呼吸の数で測った。
今は、
その、
手の平も、
もう憎わせに痩せているが、
当時でも、確か二呼吸ほどで、
水は手を超えたと覚えている。
新緑の雨は思ったより冷たかった。
っていう、
こと中の文章なんですけど、
えー、
うん、
いいねー、浮かびました浮かびました、なんか、
読んでるとあれですね、本当に命と命が振り合ってるって感じしますね。
09:01
うん、うん。
しかもそれを、秒数じゃなくて、
呼吸で測るって。
命と命が。
ね、その樹木と、
高田さんと雨と、
そのなんかそういう風景を浮かんで、
うーん、なんか、
ねー、いいね。
今日はこんなところで終わりましょうか。
終わりましょうか。
手に取ってみたくなった人いると思う、ありがとうございます。
よかった、ありがとうございます。
ありがとうございます。