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2022-12-22 13:59

e5 なぜ鬱なんてものが存在するのか:進化は人の気持ちを考えない

鬱がなぜ存在するのか?不思議でならないのです。

進化的に説明する仮説をいくつか紹介します。

https://www.scientificamerican.com/article/depressions-evolutionary/

https://cpsyjournal.org/articles/10.5334/cpsy.70/

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今日はですね、鬱について話していきたいと思うんですね。
あの鬱、鬱病っていうのはすごく多いんですよ。全人口のうち30%から50%が一緒のうちに一度は鳴るっていう、そういう風に言われているんです。
で、鬱になるとですね、その仕事とか学校に行くことができなくなったりすることがあるわけなんですよね。
で、結構何にもできない状態になってしまって、人と会うのもそうなので一人でいる時間が増えるわけなんです。
で、本人も主観的に辛くて苦しくて、楽しいと思うことがなくなるんですよね。以前は楽しいと思っていたことをやっても楽しいと感じなくなるわけなんです。
で、さらにはあらゆる欲求が低減して、場合によっては命に関わるっていう、そういう状態なわけなんです。
ですから鬱になるっていうことは、生存にとっては普通に考えると不利なんですよ。
でもこんな風にですね、生存にとって不利なものが全人口の3割とか5割っていうのはちょっと頻度として高すぎるんですよね。
っていうのは、生存にとって不利な性質っていうのは自然選択、自然淘汰によってだんだん少なくなっていくものなんですよ。
だからそんな多くの人が鬱になるっていうのはちょっと説明がつかないところがあるんです。
いや、もちろんたくさんの人がかかる病気っていうのもあるんですね。
でもそういう病気には自然選択で淘汰されない事情があるんですよ。
例えば感染症っていうのはたくさんの人がかかりますよね。でもそれはそのウイルスとか細菌とか、そういう感染する側も進化するんで、
だからなくならないっていうのがあるわけなんです。
あとは年をとってからかかる病気っていうのも多くの人がなるんですよ。
でも年をとってからかかるっていうことはもう子供を産んだ後なので自然選択には関係ないっていう風になってそういう病気は残り続けるんですね。
あとはですね、現代人の生活のせいっていうタイプの病気もたくさんの人がかかるんですよ。だから糖尿病とかですね。
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でも鬱っていうのはこういう病気じゃないんですよ。もちろん若い人でも鬱になるわけなんですよね。
さらに割と今でも原始的な生活をしているコミュニティを見ても、そういうところでも鬱の人がいるんですよ。
だからこれだけ鬱が多いっていうのの理由がないんですよね。
そうなってくるとこの鬱になるっていうことに何か意味があるんではないかって考えないと説明ができなくなるわけなんです。
その鬱っていうのはただ体が異常になっている病気ではなくて、何か特定の状態になるとそれに対応するために起きる反応であると。
だから何かメリットがあるっていう、そういう考え方をすれば説明がつくっていうことになるんですよ。
そういう考えをサポートするマウスの研究なんかもあるんですね。
っていうのはある特定の遺伝子がなくなるとマウスが鬱にならなくなるんですね。
ということはそのわざわざマウスを鬱にするための遺伝子があるっていうことなんですよね。
さらにその遺伝子って人にもあるんですよ。 だからいろんな生き物でわざわざ鬱にするための仕組みが備わっているっていうことなわけなんです。
じゃあその鬱に何かこう意味があるんだと、何かメリットがあるんだとして、じゃあそのメリットは何だろうっていうのの考えにはですね、いくつかの仮説があるんですね。
今日はちょっとそれをいくつか説明していきたいと思います。
まず一つなんですけれども、鬱になる人は物をしっかり考えることができる、熟慮できるっていう仮説なんです。
その鬱になる人っていうのは普通よりもよりよく複雑な問題を解くことができる、そういうことみたいなんです。
だからなんか人生における難しい問題に直面すると、鬱になることによってその難しい問題を解いていくっていう、そういう考えになります。
その鬱になるとですね、一人でこもるわけですよね。さらに性欲とか食欲とかそういう欲求が減るわけなんですよ。
だからじっくり一つのことに集中することができるようになるっていうことなんですね。
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具体的にどういう状況のことを言っているかというと、例えば子供がいる女性がいて、その夫が不倫をしているとします。
そういう状況に置かれた時に鬱になる女性っていうのは異相ですよね。
そういう時にその人はですね、これからどうするかを考えなきゃいけないわけなんですよ。
選択肢としては夫の不倫を黙認するか、別れさせるか、あるいは自分から別れるかとかなんですけど、それぞれにリスクがあるわけですよね。
だから自分の置かれている経済的な状況とか、夫との関係とか、子供の状況とか、そういうのを総合的に考えて、
さらにこれから先何が起こるかわからないんだけれども、それも計算に入れて結論を出さなきゃいけないわけなんですよ。
それを鬱状態になって、他のことも何もできない状態になって、こればっかり考えることによってその結論を出すっていう、それについて考えるっていう、そういう仮説なんですね。
だからつまり、鬱っていうのは難しい問題を考えるために脳がそういう一人になるように仕向けているっていう、考えごとに集中するように仕向けているっていう、そういう仮説になるわけなんです。
というわけなので、僕は知らないんですけれども、セラピーとかでは、鬱の状態にある人に考えるのをやめるように指導するのではなくて、考えるのを手助けすることで状況を改善していくみたいな、そういう手法が取られるみたいなんです。
で、他にはですね、社会的リスク仮説というのがあります。
人間というのはですね、集団の中で生きるっていうことが生存にとって必須なんですよね。
特に昔は、例えば村みたいなのに属していて、そこから弾き出されると、生きていくのすら困難になっていたわけなんです。
でも、生活をしていれば人間関係に問題が生じることがあるわけですよね。
そういう時に鬱になって、そうすると閉じこもるわけなんですよ。
で、そうなってしまえば、それ以上問題を悪化させるようなことがなくて、その集団から排除される可能性を下げることができるっていう、そういう仮説がこの社会的リスク仮説になります。
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だから本に何もできなくなるんだけれども、少なくとも集団の中には留まっておけるようにっていう、そういう方策だっていうことみたいですね。
あとは別の考えとしてですね、鬱になるとわかりますから、そうすると自分が困難な状況にあるっていうことが人に伝わるんですよね。
だからそういうシグナリングの役割として、手助けを求めるための役割として鬱はあるんだっていう、そういう説もあります。
でですね、ここまでの話っていうのは何か問題があって、それに対応するためにあえて鬱の状態になっているっていう、そういう話なんですけれども、
でもその本人がそれを自覚しているかっていうと必ずしもそうではないと思うんですよ。
主観的には自分が何か特定のことに悩んでいるっていうのがなくても、その無意識の部分がその問題を認知して、
そういうふうに行動というか鬱の状態に持っていっていると、そういうことかもしれないです。
そもそも鬱っていうのは何か原因があって起きる場合もあれば、原因がなくて起きる場合もあると言われていて、原因がなくて起きる場合っていうのも割合としては結構大きいんですね。
そういうのの中の一部はこういう無意識の部分っていうのが関与しているんじゃないかなと、個人的にはそう思っています。
こういう仮説によると何か問題があって、それを解決したり生き残るために何もできない状態になっているっていう、そういうことなんですよね。
でも本人は主観的には辛いし苦しいし最悪なんですよね。
生きていくっていうことだけのためには有利なのかもしれないけど、本人はすごい辛いんで、これも迷惑な話っていうかどうにかならないのっていう感じなんですよね。
別に大して辛くない状態で一人になって引きこもるとかができればそれでいいんだけど、でも実際はすごい辛いんですよね。
これとよく似ているのが怪我をして痛い時ですよね。
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怪我をした時に痛いのは危険を回避するためだと言われているんですよ。
でも怪我をして、でももう危険は去ってしまってもう安全な状態まで逃げてるんだけど、それでも怪我してしまったところってずっと痛いんですよね。
危険を回避するためだけだったら痛いの止まってくれりゃいいんだけれども、そうじゃないって言うんでひどいですよね。
でもここで一つ指摘できることがあるとすればですね、進化っていうのは本人の主観なんか気にしないっていうことなんですよ。
生き残って子供が産めればですね、自然選択っていうのは成立するからその答えがどう感じているかなんて関係ないんですよね。
だからこんな風に理不尽なくらい苦しい思いをしたりとか痛い思いをしたりとかそういうことがあるわけなんです。
悲しいことなんですけど、人間の持っている意識とか感情っていうのはその人を生き残らせるための道具でしかないっていう、そういうことなんですよ。
今日の話はこの辺で終わりになります。
最後までお付き合いどうもありがとうございました。
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