配信リレーに相応しい大物ゲスト。設楽町のトップ、設楽町長の土屋浩さんにご出演いただき、その人がらやエピソードを通して、設楽町についての理解や興味を深めていただきます!★matchboxインスタグラム🔗https://www.instagram.com/seirei.matchbox?igsh=MXFvd2huNGttbWpwdA==★町長(TeamTAKO)出演 欽ちゃんの仮装大賞 アーカイブ(hulu)https://www.hulu.jp/watch/100228181★設楽町HP
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番組アートワークami
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サマリー
このエピソードでは、設楽町の町長である土屋博さんをゲストに迎え、彼の幼少期や町の変遷について深く掘り下げます。特に、旧津久村と旧ひたら町の合併や地域の子供たちの遊びのスタイルについての思い出が語られます。また、下田町の地域活性化や個人の心情についても語られ、町での人との関わりや楽しく過ごすことの重要性が強調され、結婚や商売に関連するエピソードがシェアされます。さらに、下田町の町長が地域活性化や未来の夢について述べ、公認ポッドキャストの運営を宣言します。町の民間との連携や個人的な夢としてのトラック運転の話も紹介されています。
番組の紹介と町長の登場
しゃべり足りないブーマイコーさん、お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
どんな話をしたのか分からないですけれども、
なかなか独特な世界観をお持ちなので、
ちょっと楽しみなんですけれども。
楽しみですね。
その後も、なかなかニッチな我々の番組、
設楽♡研究所でお楽しみください。
マッチボックス。
始まりました。設楽♡研究所。
設楽♡研究所、マッチボックス代表のフランク・ナッパです。
同じくマッチボックスの芋子です。
この番組は、私たちが住むしたら町の魅力を発見し、
深掘り皆さんと共有していくためのポッドキャストです。
ということで、今日は日本ポッドキャスト協会の配信事例ということで、
9月がですね、ポッドキャストが始まったと言われているのが9月。
なので毎年日本ポッドキャスト協会の方でこの配信事例、
去年は20周年ということで大きなイベントでやってたんですけど、
今年は通常の配信事例という形のイベントをやるということで、
我々もついに始め、参加をしてみようじゃないかということでやっております。
時間が30分という風に限られておりますので、
早く本題に入りましょう。
ということで今日は我々2人だけでお話をしてもいいんですが、
せっかくこんな大きなイベントでいろんな人に聞いていただけるので、
したら町で一番強い人を呼んできてみましたので、
超ビッグゲストですね。
緊張してますね。
もう小声が。
今。
ということで早速紹介したいと思います。
したら町長の土屋博さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
お願いします。
なかなかポッドキャストでこういう視聴さんが出るというのは、
おそらくないんじゃないかと思っております。
ありがとうございます。
こちらこそ。
ということで今日はですね、せっかく町長さんに来ていただいておりますので、
土屋町長の幼少期
このしたら町の町長さんの人柄だとか親しみやすさ、
したら町の町長さんだなというところで、
この町長の話を聞くことで、したら町の雰囲気というものを皆さんに感じてほしいなと。
大体こういう番組に出てくれる段階で、
とても距離が近いんだなということは皆さん分かってくださっているかと思いますので、
もう気づいていると思いますよ。
その視聴者さんの魅力を今日は皆さんにも味わっていただきたいと思います。
で、今日はトークテーマというのが用意してありまして、
教会の方から出ております。
3つ。
未来。
聞く。
もう一個忘れちゃったな。
今日はその中で聞くをメインにいろいろ聞いていきながら、
時々最後の方で未来の話も聞けたらと思っておりますが、
そんな話でやっていきたいと思いますのでよろしくお願いします。
はい。
早速ですけど、
ちょうどさんのまずは、
子供の頃の話を聞いていきたいと思うわけですけれども、
ちなみにちょうどさん、何年生まれになりますか?
昭和の35年。1960年生まれです。
僕らより二回り。
二回りも言ってないか。
わかりすぎて。
だいぶわかりすぎた。
その頃というと、今とだいぶ違いますかね、町の雰囲気も。
全然違いますね。
立派なお店はなかったですけど、ちっちゃいお店がたくさんありましたよ。
僕の家の近所にも3軒ぐらいお店があったので、
今は一軒も家の近所にはなくなってしまったんですけど、
僕の家の近所にも3軒ぐらいお店がありました。
よろず屋さんみたいな。
いろんなものを。日曜雑貨から魚であったり、肉であったり。
昔なので。
言い方が少し、ちょっとね。
わかりますよ。
腐りかけの隣のようなものまで売ってましたよ。
ギリギリのやつ。
そう、ギリギリのやつを売ってました。
僕らの時代でもまだその空気は残ってましたからね。
私たちの地区でも3軒ぐらいはね、3、4軒ありました。
でもいい時代なので、暗黙の了解みたいなのがあって、
それでどうだという雰囲気はなかったですよね、昔はね。
今はそんなものを売ったら多分大変なんだろうな。
昔はね、やっぱり穏やかな時代だったですね。
今はね、どこのスーパーさんもお店屋さんもね、
ちゃんとして見えて、田口にもありますけどね、
とても綺麗な商品が並んでますからね、昔の人たち。
雰囲気もあったのかなと思いますけど。
大きな違いで言うと、ちょちょさんのご出身が津久というか、
津久村ですね。
町の変化と遊びの思い出
そうですよね。
いつ、旧津久村と旧ひたら町の合併があったのか。
20年前なんで。
2005年ですね。
あれは平成の大革命。
2017年。
今年がちょうど?
20周年ですよ。
実は新しいしたら町になってから20周年ということで、
なおのこと、今日出ていただいた意味があるんじゃないかと思いますが、
今話してるのはそんな20年どこじゃない前の話ね。
旧津久村と旧ひたら町の話なんで。
津久村は今と比べると、
人口というか学校の人数ってどれくらいあったんですか?
人口が生まれた頃はよくわからないですけど、
最後の方は1600人くらいはいたと思います。
僕、小学校は2つあったんですが、
2つもあったんですか。
上津久小学校と下津久小学校というのがあって、
僕は下津久小学校だったんですが、
中学校は1つになって、津久中学校という中学校だったんです。
僕、同級生が44人。
そんなに多かったんですか。
その2つある小学校の同級生が44人ですか。
中学校は1つになるので、
1つになった時の同級生が44人。
僕ら5個集まって12人です。
すごい。
44人。
すごいね。
部活もそうするといろいろあったんですか。
部活はね、男の子は剣道と卓球とバスケット。
バスケットまであったんですか。
やってましたね。
女の子はね、バレーとテニスとバスケットもあったような気がするんだけどな。
当時から津久というと剣道というね、今でも文化がすごい続いてますけど、
当時からやっぱり剣道は盛んだんですか。
僕らより少し先輩のときの先生が、動く指導の熱心な先生で、
その頃強かったっていうのもあって、
わりと強くは強かったですけど、
今ほどすぐ優勝してしまうというような強さはなかったです。
まだ昔は他にも僕らの精霊中学校も、
剣道部は?
剣道部は僕らの育上まであったんです。
いろんな部活があったんですね。
バスケットもあったし、卓球もあったし、
でもどこも同じで、夏は陸上やって、冬は駅伝やって。
そこは変わらないですね。
変わらないですね。
いろんな競技をね、町場と違って。
僕の背景をみるとみなさん信じられないと思います。
僕、中学校のとき、愛知県中学校駅伝大会、
愛知県で優勝ですよ。
すごーい。
一応選手だったんですよ。
今でも走れる感じですかね。
今でもどうして僕を愛知駅伝にエントリーしてくれないのかって、
いつも思ってます。
じゃあ今年もしかすると。
走ってる可能性があるっていう。
知らなかった。
体調悪くせえようにしてもらって、体調整えてもらって。
したがって、この仕事をやっててすっごく不思議に思うのが、
どこへ行っても子どもたちもそうだけど、
公園を作ってくれって言われるんですよ。
公園を作ってくれって。
こんなに自然があるところで公園がいるのかなっていうのは、
すごく心にあるんだけど、
今の子どもを育てる人って、
目の届く、安心したところで遊ばせたいって思いがどうもあるのかなっていう。
そうですね。
公園で遊ばせるよりもっと面白いこといっぱいあるのになって、
いつも思ってて。
昔は今と違って、子どもたちもたくさんいたじゃないですか。
だからお兄さんお姉さんが必ずいて、川行っても誰か見てる人がいたけど。
遊び方を教えてくれたもんね、上の子たちが。
山行ってもね。
だいたいプールがなかったんで。
川に行くしかなかった。
泳ぐところは川に場所が決められてて。
一応あったんですね。
川で場所が決められてて、それこそ上級生の人が監視員みたいなのをやっててくれて、
そこの流れを泳ぎなさいねっていう時代だったんですよ。
子どもの中で一つ社会があったり、コミュニティがあったっていうのが、
すごく昔ならでは、今との違いなのかなと思いますけど。
そんな少年時代を楽しく過ごした土屋少年だったと思うんですけども、
どんなお若い頃、子どもじゃなくてもう少し大きくなってきた頃の土屋さんは、
どんな青年でどんなことを考えてたりしてたんですかね。
それこそ高校出た自分は、ディスコみたいなのが流行った頃で、
毎週ディスコに行ってたり。
楽しそうですね。
毎週ディスコに行ってたりというような時だったですよ。
あと、働くことも面白くて、
お金を稼ぐという意味じゃなくて、仕事自体が面白くて。
僕は友達がカレー屋を開店して任せてくれたので、カレーをやってました。
店長やってたんですか。
カレー作ってました。
どこまでもカレー作れって言ったりするんですか。
下田町の活性化
忘れてはいない小麦粉を炒めて、玉ねぎも炒めて。
そこから作るんですか。
そうです。やってましたよ。
いいですね。今度ちょうちょうカレーで。
なので、大学も一応入ったんですけど、
大学届を出しに行くときまでに、
3日しか行ってなかったです。
試験の人、オリエンテーションかな。
最初のやつですよね。
その人、大学届きました。
一応学費は親が払ってくれてたので、
いろんなところで話題になってますけど、
一応中退だとは思ってますが、
最終学歴を受けたときは高校卒業です。
証明書を出せとか言われない。
一応中退という意識はありますが、
高校卒業ということにしてます。
正直が一番だと思う。
学歴がない。
カレーとは。
全然そんなことは思わなかったです。
カレー屋さんになったとは。
カレー屋さんも面白くて、
お客さんとお話をするのが好きなので、
意外と客商売が好きだったですね。
面白いなと思いながらやってました。
どのタイムで下田町に戻ってくるんですか?
この話をすると、
僕は本当は洋服屋をやりたかったんですよ。
洋服すごく好きだったので。
それこそ15歳から名古屋にいて、
高校生のときは親戚の家に下職させてもらったんだけど、
そのあとずっと一人暮らしをしてたんで、
冬に家に帰ると寒くて暗いというのがたまらなく嫌で、
街が全体が。
そうで、結婚したいなという思いがあって、
そんな話をしてたら、
親が4年間人が大学を出る年になったでも、
辞めて家の商売をやらないかと言われたので、
頑張ってみるかということで、
それから10年間修行に行きました。
ちなみにご実家は何の商売をされたんですか?
ここは財務部屋です。
それから10年間修行に行って、
修行の最中に結婚をして、
それで32歳のときに確か帰ってきた。
1回では修行に出られてたんですか?
10年間行ってた。
どちらに出たんですか?
駒岸。
また向こうの方ですね。
木材の市場があったので、そこへ修行に行ってました。
全然知らない意外な経歴が。
奥さんはすごい綺麗な子だった。
奥さんはって何?
知っているところだと思う。
奥さんは綺麗だった。
奥さんも綺麗だった。
奥さんは駒岸の方ですか?
違います。
奥さんは僕が知り合ったときは岡崎に住んでいました。
名古屋にいたときに友達の女の子がいて、
女の子と同じ名古屋の会社に勤めていて、
女の子を紹介してあげるよって言うので、
奥さんが今の予めさんです。
お綺麗な方です。
ぜひ今度お邪魔しに。
やめなさい。
ぜひ。
奥さんもいますよ。
お綺麗な方ですよね。
こんなこと言うと怒られるのかな。
あそこの道の駅のところで出会ったときに、
娘さんかと思った。
それ言い過ぎですよ。
冗談じゃなくて本当にそう思った。
私もいつも間違えちゃうんですよ。
本当に娘さんなのかなと思って、
全然くっつかなかったですよ。
本当ですか。
今日おかえりに報告しました。
大変失礼なんだけど、
付き合ったときからどうやって付き合ってもらったのとか、
どうやって結婚してもらったのとか、
よく言われてました。
一番の謎だもんね。
僕が下田町に貢献できたのは、
唯一、うちの奥さんと結婚して、
こちらに戻ってきただけです。
まだ若いんだ。
ありがとうございます。
下田町にしたら若いよ。
超若手ですよ。
46歳って、19歳も違うの?
若いんですよ。
どうしよう。
本当にどうしよう感じるな。
46歳の頃何してました?
議会議員になりました。
志が違うよ。
46歳でなりました。
かなり若かったですよね。中では。
周りだと上の方ばかりですよね。
新しく下田町になってからの議会ですね。
旧嗣村ではなくてね。
合併後第1回目の選挙だね。
合併時は確か嗣が6人。
みんな出たんだよね。
20人くらいいたじゃないですか。
議員さんが。
地域の活動
嗣が6人で、
14人くらいだったと思うけどな。
なので選挙せずにお互い。
町長さんだけは選挙したんだけど、
議会はそのまま出てこられて、
その間に2年。
2年任期で2年やって、
改選になって新たに選挙に。
17年に合併したので、
僕らが選挙に出たのは19人。
19年の選挙。
本当に議会としては初めての。
合併後、前、下、前、前、前直というのが初めて。
すんちゃん本当にあれじゃないですか。
新しく生まれ変わった下田町の歴史を、
ずっと行政の立場で囲われてきて、
町づくりに囲われてきたっていうのが、
土屋さん直ですね。
ダムも5月9日なので、
ダムのことはあれだったんだけど、
ちょうどその2年後に上院をするんだけど、
なので毎晩、
集まってダムの話し合いをした覚えがある。
2年くらい前晩でやった覚えがある。
議員さん同士ですか。
そう、議員さんと地区の人もいたり、
県の人がいたり、
いろんな説明を受けたりする中で、
やった覚えがあるね。
また土屋さんのとこに来て、
改めて下田町の歴史というかね、
朝政の歴史みたいなのを聞くと、
面白い話がどんどん聞けそうな気ができたね。
したらぶ。
僕はふぐに帰ってきた頃から、
さっきもそんな話をした。
毎日楽しく過ごしたいなっていうのがあって、
本当にいろんなことをやったです。
別にお金儲けとかではなくて、
別に地域のために何かをしようなんて思いもなかったですけど、
自分たちが楽しかったらいいなっていうので、
2000年のイレニアの時には、
友達みんなで集まって、
花火をあげようっていう話をして、
じゃあみんなで寄附を集めようって。
みんなで100万ぐらい寄附を集めて、
結構な額ですね。
みんなで花火屋さんをお願いして、
打ち上げ花火ですかね。
そう、あげていただいて、
そういうのができた時は本当に嬉しくてね、
別に集めたお金をどうかしたわけじゃない、
花火を使って持ち出しもかなりあったんだけど、
そうやっていろんなことを楽しくやって、
昔は自分たちも一生懸命、
遊びも仕事も一生懸命やるんだっていう思いでやってきたんだけど、
僕らがずっと最前線でやってると、
続かなくなってしまうと困ると思ったので、
次の世代の人にバトンを渡して、
僕らが立ち上げたものをバトンを渡すんだけど、
世代観ってすごく違ってて、
やめてしまうの。
大変だからとか。
すぐに続かなくなってしまう。
渡したものだからしょうがないねということで言ってたんだけど、
今、この皆さんのファッチボックスを読ませてもらったんだけど、
やっぱり基本は自分たちが楽しく。
そうです。今聞いてて。
そこが基本でないと続かないと思いますよ。
僕らはずっとやってる人が楽しいと思えるものを、
何でも遊びも何でも真剣にやったんですよ。
真剣に遊んでるもんね。
いかに僕らが楽しいかっていうことがまずあって、
何が良いかがあって、次に周りの人はどうかっていうスタンスで言うんで。
それが良いか悪いかわからんけどね。
でも一緒ですね。
自分たちが楽しくというところを基本に始めたものって割と続くんですよね。
お金ではない感じでしょ?
お金ではないので。
僕らもいろんなことやったけどお金ではないので。
僕仮想大賞20年くらいやってますけど。
そうですそうです。
楽しい時間の重要性
この前だって万博会議で。
万博の仮想大賞も出ましたけど。
で、票を受表されてました。
そうなんですか?
見てないの?
見てなかった。
見た方が良かった。
それって残ってないの?YouTubeとかさ。
多分あるかな。探しましょう。
あったら概要欄に貼って見ていただきたい。
今は19回連続出場中。
近所の方でしょ?
僕は選挙があったりするので、3回か4回は出られないときがあったんですけど。
ずっと同じ仲間でやってます。
今は19回連続出場中だと思います。
すごいですよね。
それも自分たちが楽しく。
こんな山の中に住んでいても、毎晩楽しく過ごしたいねというところだけなので。
僕らがやってるこのポッドキャストも、そんなようなもんで。
僕がやりたいから、しゃべりやすい同級生を捕まえて。
その先に日本全国、世界中に飛んできますので、
誰か1人か2人聞いてもらった人が興味を持ってくれて、遊びに来てくれたり。
移住してくれたらいいなっていう大義名分を掲げつつ。
楽しんでほしいね。
下田町の未来と夢
立場が長々なので、長々らしいことを言うんであれば。
そういう人を応援していくのが、役場の仕事だと思ってますけどね。
ありがとうございます。
そういう人を応援する。
田舎の人でもそうなんだけど、役場が何かをしてくれるのを待ってる人が多くて。
なんでもそうで、役場がこんなことをしたらどうっていうのを待ってる人が多くて。
僕はそうじゃないと思ってて。
自分たちでいろんなことをやって、それをもっと広げたいので役場に支援がないと言われたときに、
助けてあげられるのが行政の仕事だと思ってるんで。
こういう動きはすごく大歓迎ですね。
ありがとうございます。
今、公認をいただいたところでお聞きをしてください。
いいですよ。大丈夫です。
このポッドキャストは、下田町の町長さんから積み付けをいただいたということです。
これから下田町公認ポッドキャストをやっていきたいと思いますので。
ありがとうございました。
お積み付きをいただきました。
したらぶ!
最後に、先ほども言いましたけど、このポッドキャスト配信リレーのテーマに
未来っていうのが一個ありますので、最後の指名としてですね。
町長さんの夢というか、下田町への夢、ご自分の夢でもいいんですけども、
未来に向けたこと、何か一言を言っていただけますか。
下田町はこれからいろんな可能性があると思ってて、
僕はこの町の将来を考えるときに、
もっと民間の方といろんなことを一緒にやっていきたい。
そこをやらないと、なかなか未来が見通せないなと思ってるので、
ぜひ住民の皆さんも巻き込んで、
民間の皆さんとの連携をいかに図っていくかというところをやっていきたいなというのが、
町長としての未来の夢です。
個人的な夢の語り
自分の夢は、
僕、車の運転好きなので、本当の夢を言うと、
長距離トラックの運転を一度してみて。
意外!
九州ぐらいに行く長距離の大型トラックの運転を、
ぜひ一度してみたいというのがあって、
これ本当に思ってるんだけど、
免許がないので、
まず免許を取るところから始めなきゃいけないというか、
多分夢のまま終わってしまうのかなと思うんだけど、
本当の夢はそれですね。
車の運転嫌いじゃないので。
ずっと今の大人だと免許取りに行くのも大変かもしれない。
おそらくもう合宿免許しかない。
個人的にはね、それが一番の夢。
ぜひその夢が達成したときには、またゲストで。
いかに楽しかったか。
聞きたいね、九州まで行った道中の出来事を。
一応高速道路を乗っていろんなところに行くんだけど、
仕事でも行くけど、見てていいなと思って。
トラックが横通り過ぎると。
今のトラックって綺麗じゃん。
綺麗ですよね。本当に快適そうだし。
僕らの頃はね、ガールブンダーとアイカーキーのね。
ジェットトラですよね、トラック野郎の。
意外な夢を最後に語っていただいたところでですね、
九州さんもお忙しいところもありますので、
また出ていただくということで、
今日はここまでにいたしたいと思います。
九州さん、今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
この後は金曜日のたきび会さんです。
下田町ね、今アウトドアの街、下田で頑張ってますんで。
いつかこの金曜日のたきび会さんにもですね、
下田町に来てキャンプしていただけるような。
キャンプでありますもんね。
ありますあります。
キャンプのね、管理人も知り合いでおりますのでね。
おりますおります、知り合いで。
ぜひ遊びに来ていただければ。
なんかあれですよ、ゆるキャンの聖地だよ。
最近盛り上がってくる。
なんかね、過去回にも出てきましたね。
ということなのでね、どんなお話をさせていただけるのかどうなのか。
またキャンプ好きの皆さん楽しみにしていただければと思います。
私たちもアウトドアの街、下田代表として。
え?代表だったんだ。
代表ですよ。
公認いただきましたので。
先ほど公認をいただきましたので。
ちょちょさんから公認いただきました。
ということでね、アウトドアの街、下田代表として。
番組に配置をさせていただきたいと思っております。
ということで、下ラブは現在のところ不定期での配信となっておりますので、
最新エピソードのお知らせが届くように、
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また下ラブでは、感想や質問お便りをお待ちしています。
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はい。ちょちょへのファンレターもお待ちしております。
ということで、最後までお付き合い下さりありがとうございました。
今日聞いていただいた方は皆さん、
インスタのフォロー、ぜひよろしくお願いします。
ということで、また次回お会いしましょう。バイバイ。
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