2024-09-29 29:59

06-03-ごりの堂々巡り

有害鳥獣捕獲 介護 鍼灸 民間医療 INGRESS 言わなきゃよかったと後で後悔するようなことも 言わないで後悔するよりも良いかと思いながらしゃべります しゃべることは好きなのに苦手しゃべることで嫌われた経験多い そんなニンゲンの独りしゃべりです

50歳で20歳からの思い出話パソコン通信からインターネットテキストコンテンツから音声コンテンツ量産型50歳の思い出話?



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サマリー

エピソードでは、ゴリが学生時代を振り返り、特に1994年から1999年にかけてのパソコン通信やインターネットの進化について語っています。阪神淡路大震災やWindows 95の登場などの重要な出来事も取り上げられ、ネットワークが災害時にどのように役立ったかについて考察されています。このエピソードでは、パソコン通信からインターネットの普及、iMacの購入体験、そしてpodcastの登場についても語られています。特に、個人ホームページの作成、オフ会の開催、音楽を持ち運ぶ手段としてのiPodの進化に触れています。

学生時代のパソコン体験
毎度、ゴリです。僕、ゴリはですね、漁師、神級師、介護職といった視点から、一人喋りのゴリの堂々巡りというポッドキャストを普段やっております。
いつもはですね、狩猟や有害鳥獣捕獲とか、まああとは介護の話、まあ映画の話なんかもね、してますからね。
まあでも今回はね、配信リレーということで、テーマをもらってます。で、その中で選んだのが20。
結構これ選んでる人多いのかなーなんて勝手な想像ですけども、20をテーマに話をしてみようと思いました。
ちょうど30年前のね、20歳の頃からのネット事情、またポッドキャストの登場までっていうのを振り返りながら、その当時のまあ思い出話ですか、
そんなのをしてみたいなと思っております。
まずね、今聞こえてきたのは、フロッピーディスクの読み込みの音というね、懐かしい感じがしますけれども、
まあ中学高校時代というのは98シリーズ、NECのパソコンですね。これを使って、ゲーム三昧と、そういう時代でした。
ベーシックマガジンを片手に自分でプログラムを入力して、まあエラーとの戦いですよね。
0とO、1とLね。なんだかもう、小さい文字を拾いながら一生懸命入力してました。
パソコン自体に触れる前に、僕の場合ポケットコンピューターというね、シャープのPCE500という、そういうものに触れて、
まあベーシックっていうものにはもう触れてはいたんですけれども、本格的にね、
遊んだのはまあ98からですか、 このフロッピーディスクのカッチャンカッチャンという音も懐かしいですけれども、
そんなフロッピーディスクを使ってのゲームとして、まあ三国志とか、
信長の野望とかね。 まあイースとかドラゴンスレイヤーとか。
マットーは魔導物語か。 で、
当時流行ってたのは高校生の時にはぷよぷよ、 とかねクラックスとかコラムスとか。
まああとね、やっぱり高校生ぐらいになるとね、 ランスとかキャンバニーとかね、ドラゴンナイトとか闘神都市とか、
この辺りのゲームタイトルっていうのはやっぱり反応してましたよね。 あとはね、
コピーエイドとか、 ファイルマスターとか。
この辺りのソフトも結構いじってたような気がします。
なかなかね、マニアックな高校生だったなと思いますし、
高校の部活ではねパソコン通信をやっていたんですね。
で、高校の部活でパソコン通信というと非常に贅沢な気がするんですけども、
これはですね、先輩がアマチュア無線機を使ってサーバーにつなぐという仕組みを作ってくれていたので、
無料でね、
サーバーにBBSにつなぐことができていて、 それで僕らはもうパソコン通信を楽しんでいたんですね。
なので、逆に言うと自宅ではお金がかかっちゃうんで、
ずっと物質に入り浸って、
まぁ、来る日も来る日もパソコン通信やってたよ、ゲームをやっていたよ、お互いゲームを持ち寄って、
さっきのホニャララとか、ホニャララを使ってのホニャララみたいなことをね、やって遊んでたような気がします。
でですね、僕がね、20歳になる頃というとね、1994年なわけですけども、
これがね、新旧短期大学入学の年というね、一浪してます。
ということで、初めてね、大阪に自分が一人暮らして行ったんですけども、
これはね、当たり前ですけど、パソコンに触る時間がさらに伸びましてね、
もう一人暮らしですから、朝から晩まで、学校の授業がない間はずっと触ってるみたいな。
阪神淡路大震災とネットの役割
もちろんね、友達と遊んだりなんかもするんですけども、よくパソコン触ってましたね。
で、何をやるかというとね、パソコン通信やってました。
学生時代はね、もうとにかく家にいればパソコン通信をやる。ゲームかパソコンですね。
パソコン通信ってね、あんまり馴染みのない人もいるとは思うんですけども、インターネットってものが普及する以前ですね、
パソコンとパソコンをつないで、サーバーですね、モデムを使ってサーバーにつないで行う通信。
インターネットっていうのはもう、ありとあらゆるパソコンが全部でつながってるみたいなイメージがあるんですけども、
パソコン通信っていうのはもう基本クローズドネットワーク。ある一つのBBSに行けば、もうそこしの中でしか見れない。
で、また違うBBSに行くには、一回回線を切って、電話番号を変えて、また違うところに繋ぎ直すなんていうことをね、一晩中やってましたね。
これは楽しかったですね。いろんなことをやってました。
小説系のBBSなんかによく入ってましたね。当時を思い出すとね。
なんか恥ずかしいですよね。今思えばね。なんか自作の小説書いたりとか、
詩を書いたりとかね。当時のね、ハンドルネームがね、
SPラセンっていう名前でやってましたね。時々アップするとね、その感想をもらったりなんかして、結構頑張ってやってた記憶があります。
この頃はですね、ダイヤルアップなんで、
通信量が高かったんですよね。
夜中11時を超えると電話料金が下がるよっていうものであったりとか、
あとは第二伝電。第二伝電系列の電話番号を使うとちょっと安いよとかって確かそんなんだと思うんですけどね。
まあそれを使ってパソコン通信を遊んでましたね。
で、当時入ってたのは、まあ草の根のBBSによく入ってたんですけども、大手のサーバーで行くと
PC版かな? PC版に入ってましたね。ニフティサーブはね、なんか運営さんが厳しい、管理が厳しいよって聞いたんで、なんか
足が遠のいてましたね。なんかこう、 自由な方がいいやみたいだね。そんなイメージがありました。
まあでも当時のデータっていうのは一切残ってないので、フロッピーディスクの時代ですし、
ハードディスクにもあったのかもしれませんけど、当時のハードディスクはスカジー接続で、今それが繋がる
デバイスもないですから、 当時のデータは一切ないなということでね。
一足。なんでね。そんな感じがしてます。 まあこれで94年っていうのが一つ終わりましたかね。
で、1995年ですね。大学2年生になる年なんですけども、ここで大きな事件が
起こります。出来事が起こります。それが阪神淡路大震災ということでね。 まあこれはね、かなり大きい
出来事でして、死者6,000人以上というね、大きな災害でしたけども。 1995年当時ですね、関西の医療系の学生が、まあいろんなね、
学校、大学だから医師であったり看護師であったり、で僕ら神級師とか柔道制服師とか、 あとは救急救命の人なんかもいたのかな。
そういう感じでね。 医療系の学生同士のこの横の繋がりを作りましょうなんていう飲み会のグループみたいのがありまして、
そこで1994年の年末に仲良くなった連中がいるんですけども、 その人たちの結構ね、そのやっぱり被災者になってしまった人もいるし、
まあちょっとはっきり覚えてないけど、亡くなっちゃった人がいるんだよっていう噂を聞いたこともあるっていうね、結構大きな出来事でしたね。
このね、阪神淡路大震災で僕の中でイメージがあるのは、僕も相変わらずこの阪神淡路大震災の朝までね、寝てやってたんですよ。
で、そろそろ寝ようかって言った時に地震が来て、1回停電はしたんですけどもすぐに復活してね、 まあすぐにまたパソコン通信に繋ぎまして、
皆さん今どうですかというやり取りをしました。 で、今考えればね、皆さんどうですかって言って答えられる人って大丈夫な人なんですよね。
ですよね。でも当時はね、その状況もわからない。朝まだ本当に6時前の段階で電話、パソコン通信に繋げてね、やってましたんで。
で、その後BBS上にはいろんな情報が上がってきまして、かなりね、各地の被害状況でありとか、どこにどういうものが足りないっていうものがいろんなBBSに上がってくる。
特に大手の掲示板にはそのまとめが載ってた気がしますね。結構。
上げる人も人力でやってるし、まとめてる人も手作業でやってて、今思えばとんでもないことをみんなやってたなと思います。
これがね、かなりこうネットワークってものが災害時に強いぞっていうイメージがね、僕の中でやっぱりついた、そんな年でしたね。
インターネットの進化
で、この95年っていうのはですね、他にも大きな出来事があって、Windows 95ってのが発売されたんですね。
この95はね、すごく画期的でしたね。
Windows 3.1とか使ってたんですけども、なんかこう、目で見ることができるファイルソフトみたいなね、そんなイメージでしかなかったんですけども、
Windows 95はもう、そこからいきなりインターネットってところに繋がっていくイメージができましたね。
パソコン通信とインターネットの併用みたいな感じでしたけど、当時のインターネットってそんなに使いやすいものではなかったんですよね。
これが、でもWindows 95の登場でかなり使いやすくはなったなということと、あと95年はテレ放題。
夜中は定額でネットに繋ぎ放題になるよっていうのがあって、もうほんとこれでやっぱり夜寝ないっていうことになりました。
朝まで遊んでる。4時ぐらいまで毎日繋げてたかな。
で、朝8時には学校行きますから、ほとんど寝てないので、授業中寝てるので見事に流年ということになったんですけども、
多分ね、今これ考えるとね、寝不足もたたって体調悪かったんですね。
体調崩して休学っていう、入院しましてね、どうしようかなーなんて思いながら、
学校辞めちゃおうかなーなんていうのもあったんですけども、そこはね、なんとか学校は繋がったんですけども、楽しかったんですね、学校がね。
で、この96年、流年休学中の96年に出てきたのがヤフージャパン。これびっくりしましたね。ヤフージャパン。
日本語でね、インターネット上で検索ができるっていうのはすごかったですね。びっくりしちゃって。
で、入院中はね、遊べたのがね、たまごっちぐらいですか、パソコンを病室に持っていくことはできなくて、プレステを病院に持ち込んで子供たちと遊んでた記憶がありますね。
で、退院してきてからは、ダイヤルQ2を使ったインターネット接続という、インターQっていうね、なんかそういう接続サービスがあったと思うんですけどもね、それを使ってかなり遊んでましたね。またね、遊びまくってました。
まあそれでもね、一応1997年、復学しまして。で、この頃に出てきたのがデジタル回線のISDN。で、わざわざね、デジタル回線のとかって言ってるのは、なんでかっていうと、今まではね、インターネットをやっている間は電話がかけられないし、受けることもできないっていうものだったんですけども、ISDNの登場で、
インターネットに接続しながら電話をかけたり受けたり、FAXもできるっていうことで、もうものすごく使いやすくなったんですよね。圧倒的な使いやすさがありまして、インターネットの普及にはこれはかなり影響したんじゃないかなと思いますね。
まあ、インターネット上で遊んでることと言ったら、ICQメッセンジャーとかですか、メッセンジャーをやる相手を掲示板で探して、どこの誰かもわからない人と、こんにちはとかね、仕事終わりましたよとか、学校から戻りましたとかね、単位もないことをチャットでやってるみたいな、そんな感じでしたかね。
1998年っていうのは、これは結構パソコン、インターネット関連では大きい年でして、Windows 98とiMacっていうものが登場するんですね。
これは両方ともなかなかすごいもので、iMacは本体、一体型っていうね、ブラウン管と本体が一緒になった、半透明だったんですよね。トランスルーセント、ボンダイブルーなんてね、もういろんなよくわかんない単語が並んでましたけども、とにかくかっこいいっていうね。
そんな感じだったんですけども、学生のお金ではちょっと買うのがね、大変で、もう本当にPCAT互換機でなんとか頑張ってた、しかも友達のオフルみたいなね、ベアボーンの状態でもらったやつを自分でまた組み立てて使ってたっていうね、学生にはなかなかiMacはハードルが高かったですね。
まあでもね、欲しいなぁと思いながら、ずっと指くわえてましたね。
まあこの年ですね、翌年ね、1999年が国家試験っていうことで、勉強しなきゃいけないっていう年だったんですけども、98年の頭は長野オリンピック、でもずーっとオリンピック三昧。
で、ちょうどこの学年も2年生から3年生にみたいな時だったんですけども、結構これもギリギリ、なんとか3年生になって、それが1998年ですよね。
で、1999年の2月に国家試験を受けるわけですけども、これもね、自己採点では落としてたんですけども、なぜか国家試験に合格していて、まあ僕は新級短大を卒業して、社会人になっちゃったんですけども。
で、この99年ですね。1999年のゴールデンウィークに大阪、OAP大阪っていうところで、Macユーザー主催のイベントのiWeek大阪っていうのが開催されたんですね。
iMacとの出会い
で、この1999年は多分川切だったと思うんだけど、そこから何年かiWeek大阪っていうのは続けてやられてるイベントで、Appleのね、Apple Japanの原田社長なんかもね、来るようなイベントで、あとユーザー主催イベントだったんですけども、結構ねプレゼントコーナーみたいなのがあって、
それに参加したくて、モノに釣られて参加したのが最初ですね。記憶にあるのは1回目か2回目かで忘れましたけども、モンキーパンチ先生の指揮師がもらえるようなんていうのがあって、結構本気でジャンケンに参加したんですけども、普通に負けてましたね。
で、実際ねそこで5色のiMacに触れちゃったんですよね。ゴールデンウィークにね。で、もう物欲センサービンビンですよ。で、もうすぐに日本橋のデンデンタウンに行ってね、もうiMac欲しいって。どうしようかなーって言って見てる。やっぱ高いんですよね。高いけど、なんとかして
iMac欲しいなーって思ってて、何件かお店見て回ってるうちに、ちょうどね、このゴールデンウィークの前にこのiMacってマイナーチェンジを何回か繰り返していて、5色になったのが99年の1月ぐらい。
で、99年の4月ぐらいに
マイナーチェンジしてるんですね。少しだけ速くなったりとかメモリが増えたりとか、ハードディスクも増えたりとかっていう
マイナーチェンジがあって、色は一緒なんですよ。色は一緒なんですけど、それのおかげでね、リビジョンCが少し安かったんですよ。ちょっとだけ何万か。
お店としては新しいMac、iMacを店頭に並べたいので、古いのが在庫として抱えるのは嫌だったんでしょうね。
ちょっと安かったっていうのを見てしまってもこれしかないなって言って買いました。
もうね、本当に右手にiMacで左手にプリンター。
Mac対応のプリンターも買わないといけない。その当時僕が持ってたプリンターは
Windows対応のプリンターだったんで、Mac対応のプリンターを買おうって言って買ったんですね。
iMacはね、 ちょっと人気がなかったタンジリン、オレンジ色ですね。
その子を迎え入れまして、本当はねライムカラーが欲しかったんですよ。
ライムグリーンがね。 まあね、iMacの方は買えなかったんでプリンターはそのライムグリーンを
っていうことでね、色バラバラ、何のセンスもないみたいなね、そんな買い物になりましたけどもまあ 満足してね帰りました。
まあでかい買い物でしたけどもね。一応 社会人になって
最初のでかい買い物が
僕のファーストMacですね。 OS8.5かな。
ホームページ作成の楽しさ
本当に懐かしい。ジャーンっていう音をね、初めて自宅で聞いた時にはちょっと感動しましたけどもね。
まあそうやってiMacを購入してしまうと
もうパソコン通信からは完全に離れてしまいましてね。
まあもういつの間にかもパソコン通信はもうね、全くやらないっていう状況になっちゃいまして。
その代わりね、インターネットの方にのめり込んでいくわけですけども、インターネットの方で何をやるかっていうと
ホームページビルダーというものが、インターネットが日本で普及し始めてすぐからかな?あって
これでホームページを作るっていうのがすごい流行ってたんですよね。当時ね。 僕もご多分に漏れず
ホームページビルダーを手に入れて、個人ホームページですね。僕はね当時ねフレンチブルドックの写真を載せた
ホームページを作ってました。自分が買ってたね、フレンチブルドック、名前をねザコバと言います。
カツラザコバのザコバですね。 女子のフレンチブルドックですね。
まあね、かなり可愛い子でしたけどもね。まあそのフレンチブルドックの飼い主が
集まって、ハットリ緑地公園でオフ会を開催するなんてのもね、あの当時経験して結構ね
そのオフ会開催するなんてのも楽しかったですよね。 2回ぐらいやったかな?僕ともう一人主催で
一緒にやってましたね。 で、ホームページはね実は一つだけじゃなくてもう一つ
あのプロレスの観戦ホームページなんかもやってましたね。 まあこれは当時
出てきた大阪プロレスというね、プロレス団体の村浜武博という選手の
応援ホームページっていうのをやってましたね。 これもね、なかなか面白かったんですけども
あの このホームページを作って
思い出したのが、当時ね 検索サイトって
podcastの発見と考察
今と違ったんですよね。 ディレクトリ型検索って言って
自分である程度こう登録、キーワードをつけて登録しないと検索に引っかかんないんですよ。 今ねグーグルなんかはこのロボット検索
今どうなのかな? まあグーグルが
やり始めてたのがロボット検索って言って自動巡回をして情報を集めて 世界中のありとあらゆるホームページから情報を引っ張ってきて検索に引っ掛けてくれる
っていうのがあったんですけども、まぁ実際ね僕がやり始めた時は登録しないとできなかったよ。
グーとかヤフーとかがそんな感じだったと思うんですけどもね。
まあ2000年、ミレニアム、よくこの頃は
もうねこの当時でね、僕はね1回仕事をねもう辞めてます。 一番最初に
一番最初に入った職場は結構早めに辞めてしまいましたね。
で次の仕事をやりながら
まあいろいろ 遊んでたんですけども
2001年に ipod が 登場しましたね。これも音楽を持ち運ぶっていうのにそれまではこう
ポータブル cd プレイヤーとかね md とかそういうので音楽聴いてたのが一気にこのメディアプレイヤーみたいなので聞くっていうのが
これで手軽になったってとこですよね。 でもね ipod もちょっと高かったですよね。
5万ぐらいしたんですよね。 そんな高いものはさすがに買えない。あの
ポータブル cd プレイヤーは当時安くて数千円でね 買うことができたような時代ですから
ちょっとね ipod すぐには手が出せなかったんですけども 数年後それが2004年ですね
ipod mini が登場してこれちょっと安かったんですよね で
初めて ipod をミニですけども購入して
そこで知ったのが podcast です なんだ podcast っていう感じでしたけども
まあいろんなところでね情報だけは聞くので 調べて聞いてみようと思って聞いたらほとんど英語だったんですよね
日本のやつもあったんですけどもなんかこう ニュースの解説だとかまぁあとよくわかんない人が喋ったりとかしてるだけで
大学の先生とかがなんか解説したりとかっていうのもあったかなぁ あんまりね面白さを感じなかったんですよね
当時ね でも自分でもできるよっていうことをね
まあ わかってはいたんですけども
今のね spotify とか apple podcast とかそういうサービスが特になくて
非常にこう自分で podcast を表に出すっていうのはすごい大変な作業だったんですよね
今はねあの本当にいろんなサービスで podcast が手軽にできるようになって非常にありがたいなと思いますね
とまぁね 今年50歳になるタイミングで20歳の頃の思い出を振り返るっていう感じで
とまぁね今回50歳になったタイミングで20代の思い出を振り返るという感じでやってきましたけども
ちょうどね 本当に20代
から ちょうどインターネットが世に出始めて
そして podcast の登場までっていう10年間
ねその パソコン通信の頃に
やっていた 自分を表現する
文章を書くというね表現から 今僕は
podcast をやって言葉で表現するっていう表現というか ただ垂れ流しているだけかもしれませんけれども
気がつけばねその パソコン通信の頃からやっていた
まあ文章で 自分の表現を出すっていうところからその後
ホームページですよねホームページ作成写真や文章っていうところを得てね まあ今僕がやっているのはこの podcast 言葉で表現するっていうことをやってますけれども
割とね手軽にできるものだと思います podcast ね
なんでねぜひね
やってない人はやってみたらどうかなぁと思います 今回ね50になったタイミングで20代の思いを振り返るというね
パソコン通信の時代から podcast が登場するまでっていうそういうタイミングでしたけれども こういう機会でもない限りね
なかなかこう しっくり自分を思い出すってことはない
と思ったんで今回こういうね機会をいただいて非常に楽しく 自分を振り返ることができました
皆さんもね自分の思いで振り返ってね podcast で話してみるのはいかがでしょうかね それでは時間となりましたので今日はこれで終わります
ご利用いただきありがとうございました
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