2024-09-29 26:57

06-02-写真館の談話室

『約85年分の家族の記録を見てきた僕』が考えるカメラ・写真の楽しみ方、思い出の残し方について発信している番組です。

カメラをはじめたのが20代前半のころ。そのときのカメラを始めたきっかけやエピソードをお話ししています。



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サマリー

このエピソードでは、ポッドキャストの20周年を記念し、写真とボランティア活動に関する彼の個人的な経験が語られています。特に、広報部での活動を通じて写真の魅力を見出し、仲間と共に成長していく様子が描写されています。また、彼は自身のカメラ歴や撮影スタイルの変化についても話します。特に、ソニーのフルサイズミラーレスやフジフィルムのカメラを使用した経験、そして家族との思い出作りに焦点を当てています。

写真を始めるきっかけ
皆さん、こんにちは。話スタジオと申します。
今回、日本ポッドキャスト協会さんの企画で、 ポッドキャスト生誕20周年記念の
セブンデイズ配信リレーに参加しております。 皆さん、よろしくお願いいたします。
今回は、ポッドキャスト協会さんから テーマをいただいてまして、
それが20周年に記念した20について お話ししようかなと思っていて、
この20、僕なりに考えたら、僕の20代について お話ししようかなと思っております。
僕のこの番組が写真についての番組なんですけど、
僕が写真をちゃんと始めたのが22の時なんですよね。
この20の時に始めて、今30過ぎてるんですけど、 10年近く写真を撮ってきたわけですけど、
そのについてお話ししようかなと思います。
その写真を始めたきっかけなんですけど、 僕はその学生時代に
インカレのボランティアサークルに入ってまして、 そこでそのインカレのサークルっていうのが
ボランティアをただするだけじゃなくて、 ボランティアを運営するみたいなところもやったりする。
結構面白いというかやりがいのある、 ただただボランティアを参加するによって
ボランティアを作っていくというか 企画していくっていうところも
学生が参加するというか主体でやるような団体で、 そこに面白さを感じて入ったんですけど、
実際僕はそんなボランティアの企画とかは あんまり結局やらなかったんですけど、
ボランティアの企画以外にも結構 やらなきゃいけないことがいっぱいあって、
それこそボランティア行きための場所を決めて、 そこに例えば泊まりで行くなら宿泊施設の手配をするだとか、
移動するバスを手配するとか、 あとは現地の人とやっていくから打ち合わせをしていくとか、
参加者の体調を管理する安全管理的な役職もあったりとか、 結構様々なスタッフとしてやらなければいけないんですけど、
その中で広報っていう広報仕事があって、
広報っていうのが基本的にはカメラマンという記録係っていうやつを勉強して、
その広報っていうのを写真を撮るっていうのが 最初に言ったようにメインになってくるんですけど、
僕自身その頃あんまり写真撮るのは そんなに得意というか好きでもなかったので、
全然本当に関心がなかったんですけど、
たまたまある参加したボランティアに仲良くなった先輩が、
広報部っていう部署、写真とか広報系のデータとか情報を管理する部署がボランティアになって、
そこの副部長を務めてる方がいたんですね。
その副部長と仲良くなったことをきっかけに写真を始めるようになって、
単純にその先輩に写真の撮り方みたいなのを めっちゃ教えてもらったんですよね、その当時。
その写真の面白さみたいなところをそこで実感したっていうのと、
すごい先輩に気に入られて、
その先輩は大学時代2校上の先輩で、 僕が3年生になると卒業した先輩だったんですけど、
そのボランティアが終わって楽しかったし、 広報というものにすごい興味が湧いてきたころで、
なおかつこの先輩に広報部入ってみないって言われたんですね。
この時はまさか自分がとか思ったんですけど、
でも先輩が単純に気の合う面白い人だったし、
そういうふうに自分に広報をやってもらいたいっていう風に 偶像わざわざ言ってくれたっていうので、
カメラに対して広報に対してすごいやる甲斐を感じ始めたんですね。
そこから写真を積極的に撮るようになって、
ミラーレスのカメラを買ったんですね、APS-C。
今フルサイズっていうサイズが一番標準なんです。
それの一段階下のセンサーサイズのカメラなんですけど、
それを買ってそこから半年ぐらいはガッツリそれでいろいろなものを撮って、
それこそ学祭とか学園祭とかもあったのでそれを撮ったりとか、
ボランティアもボランティアだけの活動以外にもイベントとかあったので、
そういうところを記録しに行ったりとか、
個人的に散歩して撮りに行ったりとかしてるんですけど、
先輩が卒業する半年後に先輩が卒業する頃になって、
2人で会わないかみたいなこと言われてご飯と一緒に食べに行ったんですけど、
その時にこれお前に渡すって、
先輩が使った一眼カメラをそのゆずに受けたんですね。
びっくりしましたけど、
すごい気に入っていただいたから託したいと思ってくれたらしくて、
このカメラまだ使えるし、
俺は社会人だからあんま使わなくなるから、
お前に使ってほしいと言ってくれて、
僕はもう突然2台持ちになったんですけど、
しかも一眼レフって割とちゃんとしたやつ。
ソニーのα33だったかな、
当時ニコンとかキャノンが一般的というか、
ソニーなんて全然フルサイズミラーレスを出してるような時代じゃなかったので、
今はミラーレスカメラっていうのをソニーが設計してますけど、
そういうのがまだない時代だったんで、
その中でソニーを選んでなかなか強いよなと今更思いますねって言いながら、
僕も最初に買ったカメラはソニーのミラーレスなんですよね。
合わせたつもりはたまたま安くて使い勝手良さそうって選んでたのがソニーカメラで、
先輩も同じ感じだった。
ソニーって昔の一眼レフ時代でも結構マニアックな機能を付けたりしてたんで、
そこに刺さったんじゃないかなと勝手に思います。
今後のボランティア団体の方向だったりとか写真についてを
前に託したいみたいな感じで言ってくれて、
僕はもうそこで自分のやるべきことはこれだって決めたんですね。
ボランティアに参加するとか企画するとかじゃなくて、
そのボランティアに必要な写真を残していく、
情報を発信していくっていうのが僕の残り3年生になる頃だったので、
3、4年の使命なのかなと思ってやってきました。
やり出しましたね。
初めてそこで写真とこういうのをちゃんとやるようになって、
最初の1年間はその3年生はもうひたすら自分の計算というか、
どうやったら写真が整うか、よく言われる構図とか、
あの辺とかをすごい勉強したとか、いろいろ試してみて、
こういう撮り方すると広告的に伝えるとか、
写真の記録として成立するとかっていうのを学んだりとか、
最近目的によってやっぱり写真の撮り方って変わってきちゃって、
この中でどうしたらいいと。
まず、できなきゃいけないものをどうしたらいい、
何だろうというところが一個あって、
まず活動をちゃんとしましたっていう記録を当然残さなきゃっていうのも、
その結局で自分たちはどういうことをしたかっていうのも大事なんですけど、
ボランティアの団体に協力してくれる団体もいて、
車両団体っていうのが道具とか乗り物を提供してくれないとか、
ちゃんと大人が運営している団体さんがあって、
そういう人とか、あとボランティアの受け入れ先の人たちとかに、
ちゃんと自分たちは活動しましたよって報告書とか、
そういうのを作らなきゃいけないんで、
それがちゃんとビジュアルで分かる写真を撮らなければいけないっていうパターンがあったりとか、
もう一つは、ボランティアのイベントの中に報告会っていうのがあって、
僕たちこういうことをボランティア活動してますよっていう紹介するイベントが年に1回あるんですね。
後輩への引き継ぎ
そういうところで使われるような、
だって自分たちもボランティアに参加してみたいとかっていうふうに思わせる、
ある意味こういうイベントの中で、
あと単純にボランティアの時はあんまり写真とか撮らないので、
特に僕の時代はカメラがまだ普通に撮って撮ってる、
スマホであんま撮るっていう文化がない、
スマホの性能もそんなに高くない時代なので、
そういう活動している学生たちの思い出の記録を撮るっていうところも、
カメラマンの仕事としてあるかなと。
大体この3つを軸に僕は、
ボランティアのイベントの中に参加するイベントがあったりとか、
僕たちのイベントの中に参加するイベントの中に参加するイベントの中に参加するイベントの中に参加するイベントがあったりとか、
取り組んできて、
広報といえば、僕みたいなところもだいぶ浸透というか、
認知されてきて、その団体がね、
いろいろやってきて、
いろいろやってきて、
いろいろやってきて、
いろいろやってきて、
認知されてきて、その団体がね。
次の4年生になると、今度部長とかを編集しなきゃいけないんですけど、
その前、1校への先輩部長が、
次の部長は、君にやってほしいと。
さっきの先輩とはまた同じの1校下で、僕の1校先輩がいるんですけど、
にお願いしたいというふうに言ってくれて、
4年生からは広報の部長として、
1年間任期を務めたんですね。
僕はその頃も完全に広報といえばというところで、
すごい認知をされていたので、
広報の活動をもっと発信したいというか、
もっとクオリティを上げていきたい、何のために取ってるとか、
こういうふうに使っていきたいとか、こういうふうな広報をしていきたいというのが
自分の中にあったし、団体内にもやっぱりそういう、
もっとこうすればいいのにみたいな課題みたいなのがあったので、
それを解決する1年にしたいなと思っていて、
プラス僕の身につけた考え方だったりとか、撮影スキルを後輩たちに伝えたいというのが、
最後の1年、4年生、部長になって、自分のやりたいことになりました。
嬉しいことに、当時デジタルカメラがちょっと流行りだした頃でもあったから、
結構一眼カメラを持ち出す子が増えていて、一眼レフティ、ミラーレスというので、
写真を教わりたいですみたいなのを言ってくれる子たちも結構多くて、
そのためにも現場で一緒に教えたりとか、
ボランティア団体をおいての写真の考え方みたいなのを伝えていって、
後半も後輩の1人が動画も撮るようになってくると言ってて、
今だと当たり前にみんな動画とか撮りますけど、
当時はやっぱり動画って結構主張というか嫌なものだったので、
動画がまともに撮れる機会がビデオカメラとかそういうレベルなので、
GoProとかもそうですけど、一部の人しか持ってないし、
YouTubeがそんなに今みたいにSNS、スマホで上げてて投稿みたいな感じの時代ではないので、
動画を撮れるというだけで結構貴重な存在として扱われるような時代でもありました。
僕のその1年間で結構大きく写真と動画を記録するっていうところが増えていったかなと思います。
最終的にその人気を全うできて、一応その後継になる、
次の広報部を担う人たちに引き継げて、
僕の学生時代のカメラマン人生というか広報人生の1回そこで終わったんですよね。
本当に楽しい時間だったし、本当にカメラを夢中でやりこんだ時代だったな。
そのカメラに付随してその広報というか発信することに対するものをすごく多く経験できたなというのは、
本当にいろいろありました。発信とか雑誌みたいに作りましたし、
あとなんかね、ラジオっぽいんですけど、
写真家としての出発
映像がある、それこそYouTube的な番組、ローカル番組みたいなのを1、2回出させてもらったりもしましたし、
SNSの分業もちょろっとやったりとか、僕は直接関わってないんですけど、
インタビュー記事とかもあったりとかして、
僕は取材を受ける側として出させてもらったんです。
当時の後輩ちゃんが、後輩ちゃんの代理がインタビュー記事を書くコンテンツを作るんですけど、
その中で先輩を取材したいって言ってくれて出ました。
面白かったです。最初のインタビュー記事かな。
あれは嬉しかったです。
って感じで結構、発信回りとかメディア回りのこと一通り経験できた。
ラジオもやったわ。防災ラジオ系ですね。
防災に関するノウハウだったりとか、インタビューをする番組をボランティア団体でやってて、
それも1年半ぐらいだけでしたけど、参加した。
それをやってて、なんとなくラジオの感じとかわかるし、自分が楽しいなと思って、
このポッドキャストっていうものを始めたきっかけの一つとして、
過去にラジオを経験したとありましたね。
って感じで学生時代はそういう感じで、
方々と写真にのめり込んだ学生生活、半分はそんな感じですね。
カメラの選び方
社会人になってから撮るものがなくなって、ボランティアはもう参加しないんで、
撮るものなくなっちゃって、
ただせっかくだから、記録こんだけ撮れるようになったから、
ちゃんとした機材で、
友達との思い出作りとかで撮る写真を、もっと引き上げたいなっていうのもあって、
前、先輩にもらったHRFのカメラは、また次の後輩たちにあげちゃったので、
そのちっちゃいミラーレス、ソニーのミラーレスを持ってたんですけど、
フルサイズっていうカメラが大体その頃に出てきて、
すごい先進的な感じがして、新しい感じがしたんですね、当時。
今はもう一般的なスタンダードなんですけど、
当時は本当に、どこでこれ使うの?みたいな感じで使われてたんで、
発表されてたんで、本当にソニーしか出してなかったんですよね、
フルサイズミラーレスっていうの。
そこに惹かれて、α7Ⅱという名機を買いまして、
今はもう買い戻して持ってるんですけど、やっぱりあれがいいですね、サイズ感的に。
一眼レフって元々バカでかいというか、結構でかいし重いっていう、
けど写りがいいから使うみたいなところがあったんですけど、
ソニーのフルサイズミラーレスが出てきたら、
ちっちゃくなって、もう画質がいい。きれいに撮れる。
データがリッチ。
っていう、もう本当に走りの可能。
手ブレ補正も、そのⅡから入ってるんで、
今の標準的な機能ほぼ詰め込まれてるカメラかなと思ってますね。
それを15カイロンぐらいで分割で買ったんですよね。
レンズは標準のzoomレンズ、キットレンズで撮ってましたね。
それで自分でスナップしに行って撮ったりとか、
編集の技術は当時なかったんで、
撮ってたし、カメラ内で編集してて、
JPEGデータで楽しんでたっていう感じで、
さっき言ったように基本的に友達との思い出、
遊びの思い出を撮るもので、
時々お家の周りをスナップしてて、
作品を作例っぽく撮って楽しんでました。
思い出の中で一番多く撮ったのは、
当時、彼女、妻との思い出がほとんどですね。
結構学生で遊んではいたんですけど、
友達と遊んでたら撮ってる余裕がなくなっちゃうというか、
バイバイするのに楽しすぎて、
あんまり撮ってなかったし、荷物になっちゃってたんで。
でかいしね。
あんまり撮らなかったんですけど、
妻とは旅行とか、
落ち着いたお出かけが多いので、
撮ってる余裕は結構あって、
今思い返すと、結構妻との思い出で撮ったなって。
ほぼほぼα7Ⅱで妻を撮ってきて、
妻もその写真をすごい喜んでくれて、
未だにあなたはα7Ⅱで撮ってる姿が似合うから、
ぐらい良かったなって。
で、今撮ってて、
ただフルサイズミラーレスが小さくなったんですけど、
やっぱりデカいっちゃデカいんですよね。
当然、スマホと比べたら。
で、この中ちょっと前、19年とか18年かかって、
ちょっと飽きちゃったんですよね。
撮り方もマンネリ化しちゃったっていうのもあって、
コンデジとかスマホの性能もだいぶ上がってきたので、
もっとコンパクトなもの撮りたくなっちゃって、
1回コンデジ買って、それも手放して、
1回買って、もう1回売って、
今、スマホをXperia 1っていうソニーの
コンデジスマホみたいなのがあるんですけど、
それの2に変えたんですね。
でもこれで十分じゃんというふうに思って撮ってて、
1,2年ぐらいはそれだったかな、コロナ禍、結婚式。
コロナ禍に結婚したんですけど、
結婚式、新婚時代はそれぐらいやってたなと思って、
やってたんですけど、
もう1回カメラを再開してるんですけど、
再開した理由が、結婚式の翌年に娘が生まれたんですね。
娘が生まれるのを聞くと、もう1回カメラ始めようと思って、
今度はソニーじゃなくて、今度はフジフィルムのカメラを買ったんですね。
X-E4っていう、めちゃくちゃコンパクトなんだけど映りがいい。
そしてデザイン、カメラとしてのプロダクトとしてのデザインもかなりシューズなカメラを買って、
当時10万ぐらいで買えたんです。
今、中古でプレミアム編についちゃって、
15、6万とかで結構いいのになっちゃって、
もう生産終了しちゃったっていうのもあるし、
っていうのをきっかけにまたカメラを始めました。
パパカメラマンとしての役割
カメラを始めて、1回目でもう1回始めるっていう時代でした。
でもやってみて、始めた理由もそうですし、
再開した理由もそうですけど、
自分としては写真を撮る役割みたいなのがあると、
なりたくなるんだなっていうのが、
それは20代から始めた頃はコウホーというカメラマン、
団体のカメラマンとしての役割。
再開した29の時ですけど、
29の時は父親、パパカメラマンとしての役割、
みたいなのでやりたくなったっていうのがあって、
今はそのパパカメラマンの司会ですし、
周りにクリエイティブ系の活動をしている友達とか知り合いがいるので、
そういう方々とか、
あとは友達にも家族ができたりする人たちが多いので、
そういうのを撮る役割を自分で提示して、
思い出を残すカメラマンっていうと、
アーティスト活動を支援して貢献するカメラマンっていう役割をつけて、
一応、正社員の方々は休日とかにカメラマンの活動をしています。
こんな感じですかね。
僕のテーマが20ということで、
僕の20代のカメラ人生っていうのをテーマにして、
今回はお話ししました。
今回はポッドキャスト生誕20周年記念ということで、
20をテーマにお話しをしました。
その20っていうのは、僕のカメラを始めた20代から現在までのカメラ人生というか、
カメラの経歴をテーマにお話ししました。
このポッドキャスト20周年のセブンデイズ配信日程は別のチャンネルだったが、
その動画のお話が出ますので、ぜひそちらも引き続きお聞きください。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
このお話のお相手は、写真家の弾幕の花田嬢です。
それでは。
26:57

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