お笑い界の頂点に君臨したザ・ドリフターズですが、実は苦しい時代もありました。ドリフの前に立ちはだかったのは「コント55号」。〝視聴率100%男〟の欽ちゃんの快進撃を前に、いかりや長介さんも勝負を諦めていたといいます。テレビ黄金時代、ゴールデンタイムで熾烈な視聴率戦争を繰り広げた昭和のライバル物語です。
平成16年2月に産経新聞に掲載された記事を基に再構成しました。
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ザ・ドリフターズの時代と勢い
競うライバル物語
ライバル物語
ドリフター対コント55号
ナビゲーターは私、内田健介でお届けします。
次世代に繋げた精神
残り続けるギャグの記憶
ザ・ドリフターズの人気番組
8時代を全員集合の裏番組としてスタートした
萩本錦一の金ちゃんのドンとやってみよう
通称金ドンはギャグを書いた視聴者からの葉書きを読むという
視聴者参加のアイデアが受けて
昭和50年4月の放送初日に17.4%の視聴率を獲得
半年後には26.3%で
25.8%の全員集合を一旦抜いた
その後、52年の番組終了後も続編番組が作られていった
この番組のヒットで萩本は
次のターゲットをテレビドラマが選挙していた午後9時台に移し
51年にテレビ朝日で金ちゃんのドコまでやるの
通称金ドコをスタートさせる
内容は父親役の萩本を中心とする家庭を舞台にしたコメディドラマ
後年に目高の兄弟を歌ったわらべなどのタレントを生み
10年間のロングラン番組になった
萩本は金ドンの続編番組と金ドコ
TBSの週刊金曜日の3番組で
50年代後半には視聴率100%をとこの異名を取り
演出家・作家としての才能も広く認められた
一方のドリフターズは49年に新井中が脱退
月人をしていた志村健が新たに加わった後
しばらく低迷期を迎えた
しかしグループの力の大半を全員集合に費やすことによって
大いなるマンネリと揶揄されることも多かったが
50年代もコントの質の高さを保つことに成功する
永遠に続くかに見えたドリフト萩本の時代にも
終幕が迫っていた
氷菌族と全員集合の終焉
その発端はフジテレビの番組から発生した漫才ブーム
家族で楽しめる笑いからブラックユーモアを交えた
より刺激の強い笑いが求められる時代になっていた
そして56年
全員集合の裏番組として
フジテレビで俺たち氷菌族が始まった
テレビ画面を動き回ったのはブームから飛び出した
ビートたけし 島田信介
キンドンにも参加し氷菌族でチーフディレクターなどを務めた
三宅圭介は
全員集合がなかったら氷菌族は生まれなかった
チームプレイより一人一人の個性が目立つ番組にしよう
ハプリング的なアドリブも放送してしまおうと
そこには裏番組と同じことをやらないという
萩本さんに学んだ精神が流れていたと語る
氷菌族の追い上げを受けた全員集合は
58年初めて一桁の視聴率を記録
2年後の60年9月
803回で番組は終止符を打つ
50年代後半には数々の番組で
金ちゃん王国を築き上げた萩本も
60年に突然半年間の休養を宣言した
その後テレビに復帰したものの
休養前の勢いは戻らなかった
時代は平成に入り
お笑いで活躍するコメディアンも
昭和の時代とさまがわりした
しかしドリフターズとコント55号は
人々の心に残るコメディアングループで
あり続けている
お相手は内田健介がお送りしました
ご視聴ありがとうございました
05:15
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