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ライバル物語
ドリフト対コント55号
ナビゲーターは私、内田健介でお届けします。
次世代に繋げた精神
残り続けるギャグの記憶
ザ・ドリフターズの人気番組
8時代を全員集合の裏番組としてスタートした
萩本金一の金ちゃんのドンとやってみよう
通称金ドンはギャグを書いた視聴者からの葉書きを読むという
視聴者参加のアイデアが受けて
昭和50年4月の放送初日に
17.4%の視聴率を獲得
半年後には26.3%で
25.8%の全員集合を一旦抜いた
その後52年の番組終了後も
続編番組が作られていった
この番組のヒットで萩本は
次のターゲットをテレビドラマが選挙していた
午後9時台に移し
51年にテレビ朝日で
金ちゃんのドコまでやるの
通称金ドコをスタートさせる
内容は父親役の萩本を中心とする
家庭を舞台にしたコメディドラマ
後年に目高の兄弟を歌った
わらべなどのタレントを生み
10年間のロングラン番組になった
萩本は金ドンの続編番組と金ドコ
TBSの週刊金曜日の3番組で
50年代後半には視聴率100%をとこの異名を取り
演出家作家としての才能も広く認められた
一方のドリフターズは
49年に新井中が脱退
月人をしていた志村健が新たに加わった後
しばらく低迷期を迎えた
しかしグループの力の大半を
全員集合に費やすことによって
大いなるマンネリと揶揄されることも多かったが
50年代もコントの質の高さを保つことに成功する
永遠に続くかに見えた
ドリフト萩本の時代にも終幕が迫っていた
その発端はフジテレビの番組から発生した漫才ブーム
家族で楽しめる笑いからブラックユーモアを交えた
より刺激の強い笑いが求められる時代になっていた
そして56年
全員集合の裏番組として
フジテレビで俺たち氷菌族が始まった
テレビ画面を動き回ったのは
03:02
ブームから飛び出したビートたけし
島田信介
キンドンにも参加し氷菌族でチーフディレクターなどを務めた
三宅圭介は
全員集合がなかったら氷菌族は生まれなかった
チームプレイより一人一人の個性が目立つ番組にしよう
ハプリング的なアドリブも放送してしまおうと
そこには裏番組と同じことをやらないという
萩本さんに学んだ精神が流れていたと語る
氷菌族の追い上げを受けた全員集合は
58年初めて一桁の視聴率を記録
2年後の60年9月
803回で番組は終止符を打つ
50年代後半には数々の番組で
金ちゃん王国を築き上げた萩本も
60年に突然半年間の休養を宣言した
その後テレビに復帰したものの
休養前の勢いは戻らなかった
時代は平成に入り
お笑いで活躍するコメディアンも
昭和の時代と様変わりした
しかしドリフターズとコント55号は
人々の心に残るコメディアングループで
あり続けている
お相手は内田健介がお送りしました
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問題2
桶狭間で吉本が打ち取られたとの
知らせを受けた家康
この時家康が下した決断は
問題14
三河統一を成し遂げた家康が
松平から徳川への解明を決断した理由とは
家康の生涯はピンチの連続
究極の選択と決断を順次公開
3Kニュース 徳川家康100の決断
06:01
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