1. 千利休生誕5百年記念作品「茶聖あり」
  2. 第2話 豊臣政権の「外交官」..
2022-12-01 07:51

第2話 豊臣政権の「外交官」頭角現したゆえの悲哀【千利休生誕500年 第3部】

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昭和58年11月11日、東京・奥多摩にたたずむ日の出山荘(東京都日の出町)の茶室。中曽根康弘首相は自ら、ロナルド・レーガン米大統領夫妻に茶を点(た)てた。日米首脳会談の中での歓待で、その後の「ロン・ヤス」と呼ばれた良好な関係をつくる足がかりとなったことはあまりに有名だ。

古来、狭い空間で時間を共にする茶室は、緊密な関係を築くにはうってつけの場だった。豊臣秀吉から茶頭に取り立てられた千利休も、天下人・秀吉との関係を深めていく。天正13(1585)年、御所での禁中茶会、15年の「北野北野大茶湯」で、利休は秀吉に次ぐ立場で茶を点てた。

政治や武家に通じ、今に至る茶道を大成した千利休は今年が生誕500年になる。多方面の活躍と謎の多い生涯で現代人をも引きつける「茶聖」の魅力に迫る。

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千利休と豊臣政権
政治や武家に通じ、今に至る茶道を体制した千利休は、生誕500年を迎えます。
他方面の活躍と謎の多い生涯で、現代人をも惹きつける利休。
その魅力に迫るシリーズ、茶聖あり。千利休生誕500年を、菅俊介のナレーションでお届けします。
第3部は、戦国時代。茶人と経済の関係、そして著名人に与えた影響などをたどっていきます。
第3部、第2話。豊臣政権の外交官、倒角現した故の悲哀。
昭和58年11月11日。東京、奥多摩に佇む日の出山荘の茶室。
中曽根康弘首相は、自らロナルドレーガン大統領夫妻に茶を立てた。
日米首脳会談の中での艦隊で、その後のロン・ヤスと呼ばれた良好な関係をつくる足掛かりとなったことはあまりに有名だ。
古来、狭い空間で時間を共にする茶室は、緊密な関係を築くにはうってつけの場だった。
豊臣秀吉から茶道に取り立てられた千利休も、天下人秀吉との関係を深めてゆく。
天章十三年、1585年。御所での金中茶会。天章十五年の北の大茶友で、利休は秀吉に次ぐ立場で茶を立てた。
茶の湯を契機とした二人の親密な関係は、権力者と茶の湯の側近というだけでなく、豊臣政権の外交を取り持つフィクサーとなった姿にもあらわれた。
金中茶会が催された年に、間白についた秀吉は、九州で次々と戦いをしかけ、勢力を広げる薩摩の島づけに対し、天下の支配者として定戦を勧告。
有力者が真意を説明し、勧告に従ったほうがいい、との趣旨の添え状も贈られた。
成り上がり者の秀吉を軽く見る向きのあった島づけに対し、勧告を献衣付けするために従められた添え状。
その添え状に名を連ねたのが、秀吉の側近だった武将、細川雄才、そして利休だった。
利休の外交的役割
鎌倉時代以来の武家の名家である細川との連盟。
大日本茶道学会会長の田中千道さんは、雄才と連書する利休は、豊臣政権下で雄才と同格だと受け止められただろう、と説明する。
時日、島づよしっさの返事は利休に当てられた。秀吉に使者を贈る取次を依頼している。
翌、天章十四年。島づの信仰を受けていた文後の大名、大友僧麟が大阪に上り、秀吉に求援を求める。内々の義は相益。相談ごとは、まずは利休にするようにと伝えられた。
また、利休だけが秀吉に意見する様も目撃する。
田中さんは、外から見れば利休は政権内の重要人物となっていた。近づいてくる人間も増える。それに応える中で政治の場に深く踏み込んでいったのだろう、と推測する。
なぜ、交渉役に茶人が引き立てられたのか。国学院大学講師の竹本千鶴さんは、難しい交渉の場では武将ではなく、細やかな心遣いができる茶人が担う方が適していた、と説明し、そのモデルケースに織田信長の家臣、松井勇漢を挙げる。
信長に高若舞を教えた師匠という文化人。茶の湯の腕も立ち、堺大官に就いた。武将ではないが活躍は堺にとどまらず、朝廷との朝政、信長と長く対立した本願寺との和睦交渉をまとめる。さながら外交官だった。
信長による勇敢の使い方を見ていた秀吉は、李宮にその役割を担わせようと従用した、と竹本さんは見る。秀吉は信長にとっての勇敢の役割ができる人物を求め、それが李宮だった。李宮も気づけば戻れなくなっていた。
李宮の皇帝、山上宗司は、その著書、山上宗司記に李宮がよく口ずさんだという歌を書き残している。けがさじと思う実りの友すれば、夜渡る橋と鳴るぞ悲しき。大切にしてきた茶の湯を諸政のためと利用する、その悲哀を代弁する。
李宮に説服を命じたのは、フィクサーとして引き立てた秀吉。悲号の最後は、望まないまま政治に身を置き、権力闘争の渦に飲まれた悲しき姿が浮かび上がるようだ。
お届けしたのは、産経ポッドキャスト、茶政有、千利休生誕五百年、第3部の第2話。豊臣政権の外交官、当格現したゆえの悲哀、でした。第3話は、松下幸之助、茶の湯から学んだ素直な心をお伝えします。
李宮と利休の悲哀
茶の湯に惹かれた経済人らが残した5話を紹介していきます。なお、産経ニュースでは文章、写真やグラフィックでお楽しみいただけます。産経ニュース千利休で検索してください。ナレーターは菅俊介でした。
産経新聞社がお届けする茶政有。最後までお聞きいただきありがとうございます。番組をフォローすると最新エピソードが自動でダウンロードされるので、外出の際にはデータ容量を気にせず楽しめます。番組右上のフォローボタンから是非フォローをお願いします。
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