1. 千利休生誕5百年記念作品「茶聖あり」
  2. 第3話 「へうげもの」織部 ..
2022-07-14 07:51

第3話 「へうげもの」織部 茶の湯発展させたパロディーセンス【千利休生誕500年 第2部】

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「その日、京都は雷鳴がとどろき、雹(ひょう)が降った」。天正19(1591)年2月28日、天下統一を果たした豊臣秀吉に仕え、茶の湯を究めた千利休が、切腹して果てた。享年70。堺の商家に生まれ、安土桃山時代の武将・織田信長、秀吉の側近として政治的にも絶大な存在感を示したが、秀吉の怒りに触れたという。

政治や武家に通じ、今に至る茶道を大成した千利休は今年が生誕500年になる。多方面の活躍と謎の多い生涯で現代人をも引きつける「茶聖」の魅力に迫る。

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https://www.sankei.com/tag/topic/life_109/

                                                                                       

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政治や武家に通じ、今に至る茶道を体制した千利休生誕500年を迎えます。
他方面の活躍と謎の多い生涯で現代人をも惹きつける利休。
その魅力に迫るシリーズ、茶聖あり千利休生誕500年を菅俊介のナレーションでお届けします。
第2部は、戦国時代、茶人と名称、政治がどう結びついたのかをたどっていきます。
第3話 氷下者オリベ 茶の湯発展させたパロディーセンス
天下一の茶の湯者として君臨した千利休の亡き跡。
豊臣秀吉が茶道として後継としたのは、武将の古田オリベであった。
オリベは利休の弟子だが、聖筆で誕生な利休好みとは対照的ともいえる茶の湯の世界を開く。
その美意識は氷下者という言葉に象徴される。
瀬戸茶湾 筆見僧郎なり 氷下者なり
京都伏見のオリベ邸に、西国大名の毛利秀元らを招えた慶長四年、1599年の茶会の記録に、その表現が初めて登場する。
董石した博多の豪将神谷壮丹が、常識はずれの歪んだ茶器を見て驚き、記した。
氷下者とは氷勤なものといった意味だ。
歪んでいたり焼き損ないだったり、オリベの茶会の氷下たものは茶入れ、花入れ、水差しなど多岐に渡った。
古たオリベ美術館の宮下春政館長は、オリベは不完全でアンバランスな美を演出して客の度肝を抜いた。
利休好みの茶の湯が調和の取れたせいだとしたら、オリベ好みは大局の銅だったと考察する。
織田信長、秀吉、徳川家康の天下人三人にオリベは仕えた。
信長時代には巧みな弁説を変われ、使い番を務める。
天章六年、千五百七十八年、利休の皇帝である新木村繁が信長に無本を起した際、村繁に従った中川清秀を説得し信長方に寝返らせる。
また、慶長五年、千六百年の関原の戦いでは、日立の大大名で茶の湯の弟子の佐竹義信を徳川方に引き込む工作をした。
03:09
外交上手であったオリベ、その茶会の様子をオリベの活躍を描いた漫画、兵下者作者の山田義弘さんはこう想像する。
茶会の厳粛なイメージとまるで違って遊び心に満ちていたことだろう。何かしら笑いの要素を入れ相手の心をつかんでいたのではないか。
山田さんは利休の影響を強く受けた風流の愚道者としてオリベを描く。しかしその人物像もまた利休とは対照的だ。
感覚は怖い。しかしそれ以上に利休殿は怖い。漫画の一場面で家康が語った言葉だ。
茶会の愚人屋だった利休は瀬戸内海の海賊とも渡り合う必要があっただろう。相当に肝が座っていたはずと山田さん、寡黙で緊張感をまとった利休を描く。
一方のオリベは多弁で身軽だ。歓声の赴くままに美を探求し、利休にはない面白さや楽しさの境地を獲得していく。私はひたすらに勝福の世をねごうて茶をたててきたのみよ。晩年のオリベに山田さんはそう語らせている。
天章十八年。1590年。秀吉の小田原生抜で関東を転戦していたオリベは小田原にいた利休にこんな歌を送った。
武蔵阿部美。さすがに道の遠ければ、問わぬもゆかし、問うも嬉しし。伊勢物語で関東の武蔵の男に京の女が読んだ。武蔵阿部美。さすがに懸けて頼むには、問わぬもつらし、問うもうるさしを踏まえており、オリベの教養の一端がうかがえる。
頼りがないのもつらく、かといって頼りをくれても煩わしい、というたわいのない甲斐をもじっていて山田さんは親密な指定関係とオリベのパロディーセンスを感じると評する。
利休は御恩心、戸田へ戸田へず武蔵阿部美。さすがに遠き道ぞと思えば、と返しオリベとの旅茶一服をこい願う。文面は定調で愛情がこもっている。
茶の湯を確信した利休は、オリベの遊び心に茶の湯の発展に必要な創意を見出していたのだろう、と宮下さんは推察する。現在の茶道は利休とオリベの二人によって体制された、といって過言ではない。
06:29
茶の湯発展させたパロディーセンスでした。第4話は、皇帝荒木村重との見えない絆をお伝えします。千利休の門邸の一人とされた荒木村重の人物像に迫ります。
なお産経ニュースでは文章、写真やグラフィックでお楽しみいただけます。産経ニュース千利休で検索してください。ナレーターは菅俊介でした。
産経新聞社がお届けする茶世あり。最後までお聞きいただきありがとうございます。
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