1. 千利休生誕5百年記念作品「茶聖あり」
  2. 第5話 不動の弟子、細川三斎..
2022-07-28 07:29

第5話 不動の弟子、細川三斎 忠実に技を継承【千利休生誕500年 第2部】

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「その日、京都は雷鳴がとどろき、雹(ひょう)が降った」。天正19(1591)年2月28日、天下統一を果たした豊臣秀吉に仕え、茶の湯を究めた千利休が、切腹して果てた。享年70。堺の商家に生まれ、安土桃山時代の武将・織田信長、秀吉の側近として政治的にも絶大な存在感を示したが、秀吉の怒りに触れたという。

政治や武家に通じ、今に至る茶道を大成した千利休は今年が生誕500年になる。多方面の活躍と謎の多い生涯で現代人をも引きつける「茶聖」の魅力に迫る。

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https://www.sankei.com/tag/topic/life_109/

                                                                                       

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00:08
政治や武家に通じ、今に至る茶道を体制した千利休生誕500年を迎えます。
多方面の活躍と、謎の多い生涯で現代人をも引き付ける利休。
その魅力に迫るシリーズ、茶聖あり千利休生誕500年を、菅俊介のナレーションでお届けします。
第2部は、戦国時代茶人と名称、政治がどう結びついたのかを、たどっていきます。
第5話 不動の弟子、細川三歳。忠実に技を継承。
千利休の弟子で、利休七徹と呼ばれる武将七人の顔ぶれは、時代や書手によって変わり、
計十五人に昇る。その中で不動の存在が、
日後細川家の基礎を築いた細川三歳、又の名を忠起だ。
歴史家の郭光三さんは、三歳は利休の弟子の中で最も若かったが、教養が高く、
他の弟子が入門から二十、三十年かけて身につけるものを既に持っていた、と認められた理由を推測する。
三歳は利休の弟子の中でも特別な存在だった。 歴史家の矢部誠一郎さんは、著書の中で、
武家茶人の代表として三歳の精神性を土台とした茶の湯の圧倒的な高い技量が、時代を越えて評価されてきた、と記している。
利休が三歳と初めて交流した記録は、 利休が三歳の父で友人の細川雄才にあてた
典章十三年、1585年の書上に見える。 利休六十三歳、三歳二十三歳の頃とされる。
三歳は若い頃から織田信長に仕え、 雄才から継いだ文化的な素養で高く評価されていた。
信長の茶道を務めた利休とも接点があったとみられる。 三歳は利休最晩年の弟子となるが、和美茶を体制しようとしていた利休から、技術や精神性を色濃く受け継いだ。
陶芸家や茶人としても活動する細川家の源頭主で、元首相の細川守博さんは、
03:00
三歳は利休の手前を忠実に守り、自分の創意を加えることを潔よしとしなかった。 細川藩の茶道型に利休の手前を改めてはいけないと強く命じたとの記録もあると話す。
利休との絆は強い。 典章十九年、1591年、
豊臣秀吉の怒りを買い、京都を追放された利休を淀川まで見送りに来たのは弟子の中でも三歳と古田織部だけ。
細川家の歴史が書かれた面交収録には、日ごろ多くの信仰のある大名がいたが、抗議をはばかり訪れる人もなかったとある。
森博さんは、秀吉に知られたら切腹を命じられる懸念もあった。 ぎょほど腹をくくらないとできない、と思んばかる。
利休の茶の湯を忠実に守った三歳の最大の功績は、武家の茶の湯を大成したことだとされる。
利休の茶の湯が子孫らによって伝えられる一方、三歳は武家の立場で継承した。 三歳の茶の湯には批判的な見方もあった。
松屋久重が利休の孫の壮丹からの聞き書きをまとめた利休小辞伝書には、 利休と全く同じで工夫がないから、結局それほど世に名を馳せることがなかったと記されている。
利休流へのこだわりの強さは直上的だったと伝わる 三歳の性格が影響しているとの研究もある。
戦国乱世に政治と密接に関わっていた茶の湯は、 太平への世の到来とともに庶民も手が出せる気軽なものとなり、
偽物の茶器があふれた。 三歳はそうした風潮を批判、
徳川家への至難などで江戸幕府と関わり、 将軍家の下で行われる流英の茶の湯の成立と発展に寄与した。
江戸幕府の初代名は茶の心得がなければ比例とされたほどだ。 森博さんは、利休は小さな茶室に大きな宇宙を作り出したアートディレクター。
その茶の湯が失われず、受け継がれたのはすごいことだ、と評価。 三歳の強い思いが武家の茶の湯を守り通した。
06:00
お届けしたのは産経ポッドキャスト 茶聖有 千利休生誕五百年
第2部の第5話。 不動の弟子細川三歳、忠実に技を継承でした。
第2部は以上となります。 続く第3部もご期待ください。
なお産経ニュースでは文章写真やグラフィックでお楽しみいただけます。 産経ニュース千利休で検索してください。
ナレーターは菅俊介でした。
産経新聞社がお届けする茶聖有。 最後までお聞きいただきありがとうございます。
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