画像は:父の富井英男さん(右)と再会し、抱き合う満さん=昭和56年3月7日、東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで 

昭和56年3月7日、東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで、中国名を陳家東といった残留孤児、富井満は父親の英男と涙の再会を果たした。
 「苦労をかけてすまなかったなあ」と話す父に、富井は「気にすることはありません」と答えた。
 父はしみじみ語った。「これで、私の戦争は終わった‥」

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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サマリー

富井光さんは昭和56年3月7日に、中国残留日本人の父親の秀夫さんと再会しました。富井さんは中国で育てられた後、肉親を探すために日本を訪れ、その後も多くの肉親同士の再会があります。また、訪日中の中国残留孤児たちはテレビや他の家電製品、そしてお土産を中国の公安職員に渡しています。

00:06
戦後史開封 中国残留日本人
産経新聞に連載された戦後史開封 中国残留日本人をホットキャストで5回に分けてお届けします。
案内役は私、ナレーターのバーバラアキです。 第4話
富井光の再会
昭和56年3月7日 東京代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで
中国名を陳加藤といった残留孤児 富井光は父親の秀夫との涙の再会を果たした。
苦労をかけてすまなかったなぁ と話す父に富井は
気にすることはありません と答えた
父はしみじみ語った これで私の戦争は終わった
富井は満州の親王で両親と別れ別れになり その後新疆ウイグル自治区で中国人に育てられた
富井をはじめ中国残留孤児の肉親探し 訪日調査第1陣となる47人が来日して5日目
富井が肉親判明の第1号となった その後も肉親が分かるたびに肉親同士による別れと再会のドラマが国民の涙を誘った
その影には肉親探しの資料を作る厚生省職員らの苦労があった 厚生省中国残留孤児等対策室会員だった中川昇にはこんな苦い経験があった
孤児の身元調査のため本人から聞き取った情報をファイルにしていくのだが ある孤児のファイルを見ていておやと思った
孤児が記憶しているという父親の名前 その名前に見覚えがあったのだ
それよりずっと以前昭和30年代に厚生省は残留孤児らの身元調査のため 彼らに手紙を送った
しかし中国との骨董がないため差し出し人に役所名を使えず 厚生省の職員個人の名前で送っていた
孤児が記憶しているという父親の名前 それはこの時の職員の名前だった親の名前を全く覚えていなかった孤児が
藁をもつかむ思いで嘘をついていたのだ 中川は振り返る
必死な気持ちはわかるんですが嘘の証言とわかると お金と時間と労力をかけて作り上げた
厚さ10センチ近くの資料もゴミ箱行きになりました ドラマチックな対面劇の裏には厳しい現実もあった
厚生省社会援護局の初代調査資料室長だった 柳育恩はこう話す
調査が始まったばかりの頃 面接会場を一歩外に出ると雰囲気は一変しました
残留小児たちが目指すのは秋葉原でした 小児たちはテレビを買いに行ったのだ
日本製のテレビを中国に持ち帰ってもそのままでは使えない 中国で使うには改造が必要でしかも改造には日数がかかる
来日早々に秋葉原で改造の注文をしないと帰国までに間に合わない という事情だ
柳は言う テレビは自分用ではなく
中国に帰った後に地方の役人や公安職員へ渡すお土産なんです ラジカセなどの家電製品や日用品を日本訪問を実現させてくれた
公安職員に渡すお土産にしていました さらにこんな風景も見られた
訪日調査とお土産
調査を終えた小児は成田空港から中国に戻るが荷物が多すぎて 規定の重量を大幅にオーバーするため超過料金を請求される
小児は支払えないから航空会社との値段交渉を 厚生省係官が行った
訪日調査は回数を重ねれば重ねるほど肉親が見つかる率が低くなった 日本に帰国するには肉親の承諾が必要で
身元が判明せず帰国できないという問題が急浮上した 柳は振り返る
残留小児の老いた両親はすでに決定権を子供世代に譲っていて 両親が肉親であることを確認できないケースが急増していきました
感動的な対面シーンで ごめん
もう面倒を見られないと古びた腕時計を渡して 泣き崩れる母親の姿を見た瞬間
小児の強く美しい母親という幻想が音を立てて崩れました 世論の高まりを受けて日本は身元未判明小児の帰国を中国籍のまま受け入れ
同行する配偶者などの帰国旅費などを支給することになった さらに親族だけではなくボランティアでも身元引受人になれる制度を導入した
こうして身元不明小児の帰国は推進されたのに 身元が判明した小児と残留婦人は肉親の承諾が必要なので
かえって帰国が難航するという矛盾が生じた 平成元年
帰国手続を肉親に代わって行う特別身元引受人制度が実施されて 身元判明小児については一応の解決を見た
平成3年 残留婦人にも特別身元引受人制度が適用されるようになった
次回最終話は 家庭の事情から血液検査を拒否し代わりに大金を渡した親の話をお届けします
案内役は私ナレーターのバーバラアキでした
07:54

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